京大合宿2018年夏

毎年春休みと夏休みに、謡三昧舞三昧の濃い合宿を行う京大宝生会。

この夏も先週末から京都大原にて合宿を敢行しています。

私は今日の昼過ぎから仕舞の指導で参加しました。

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今回はいつもとちょっと違うことがありました。

江古田で稽古している高校3年の男の子が、今回限定で合宿に参加したのです。

彼は来年東京芸大を受験して、能楽師を目指す予定です。

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2人で合宿所の民宿に近づいていくと、中から謡が響いてきます。玄関先で鸚鵡返しをしているペアがいました。

先輩の方が振り返り、「先生ご無沙汰しております!」

おおなんと!勉強が忙しくて春からお休みしていた4回生が、久しぶりにやって来てくれたのです。

これは大変嬉しいことでした。

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高校生は果たして京大宝生会とうまく交流できるだろうか…

と少々心配しつつ、彼を現役達に任せて私は仕舞の稽古に入りました。

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午後いっぱい稽古して、18時からの夕食の時間。

高校生は私から遠く離れた現役達の真ん中に席をとり、野球の話などで大変盛り上がっていました。

むしろいつもの合宿の夕食よりも賑やかで楽しそうな雰囲気で、安心しました。

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まだまだ稽古は続きますが、京大宝生会も高校生も元気に頑張ってほしいです。

合宿の模様は、また続報を書きたいと思います。

流儀を超えて

昨日の「琥珀の会」に向けた稽古では、主に京大の能楽部OBOGが集まりました。

琥珀の会のように舞囃子がメインの会では、宝生会も観世会も金剛会も狂言会も一緒の舞台に立つことが出来ます。

例えば舞囃子「龍田」は、シテと地謡…宝生会。大鼓…観世(ブレーメン公演メンバー)、小鼓…観世会。太鼓…金剛会。笛…狂言会。

と言った具合です。

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初めて会う人もいたので全員自己紹介をしてもらうと、一番多いのは宝生会OBOGでしたが観世会の人も4人いて、金剛会、狂言会が一人ずつ。

それぞれの囃子方としての初舞台の話など聞いて盛り上がりました。

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また今回の稽古では、お囃子の流儀も大鼓が葛野流と石井流、小鼓は幸流と大倉流がいたので、流儀の違いを比較することなども出来ました。

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一昨年ブレーメンに行ったメンバー「ブレーメン能楽隊」が核になって始まった稽古会が、こうして徐々に人数を増やし、また流儀を超えた広がりを見せて、色んな囃子が出来る人が増えて来たのは大変喜ばしいことだと思います。

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今後ますます賑やかに、そして根底には京大宝生会の持つ「適度な緩さ」を維持しつつ、楽しく厳しく稽古会を続けていけたらと願っております。

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今回世話人として尽力してくれているメンバーに心より感謝したいと思います。

「琥珀の会」本番までどうかよろしくお願いします。

案山子に見守られて

今年の12月8日に、京大能楽部OBOGを中心にした大規模な稽古会を行います。

今日はその会に出るメンバーが集まっての稽古を、長野で敢行しました。

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長野駅前に集合して、送迎バスに乗り込みます。

私は「15分くらいで到着するのかな。」と思っていたのですが、宿に到着するまでに小一時間かかりました。

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先日の岡山よりも更に懐かしい感じの田園風景がどこまでも広がっています。

やけに案山子の多い土地で、上のようなスタンダードなタイプ。

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コウモリ型。

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猫型。

などなど、案山子の展示会のようでした。

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宿に併設の体育館を稽古場として使うことになっていました。

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こういった稽古に慣れている人ばかりが15人ほど集まっているので、準備はあっという間に進みます。

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椅子、バケツ、卓球台、平均台(?)などを使って、忽ちに舞台が設えられて、厳しい稽古を日暮れまで続けました。

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この12月の稽古会は、まだまだこれから番組も増えていきそうです。

会の名前も先ほど発表されて、「琥珀の会」と名付けられたようです。

琥珀のように、最初は柔らかな樹脂がやがて固まって熟成されて、美しい宝石のようになることを願っての命名です。

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第1回琥珀の会、また続報をお届けいたします。

本当に琥珀のように良い会に育っていくと良いと思います。

試験が終わった途端に

一昨日の金曜日、久しぶりに京大稽古に行きました。

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前期試験が終わって夏休みに入っており、そんなに人がいないかも…

と思って部長さんにメールしてみたところ、「今11人いて、更に何人か増える予定です。」との返事が。

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おお、それは普段と殆ど変わらない人数ではないですか。

これはまた熱い稽古になりそうだと、紫明荘組稽古から京大BOXに直行しました。

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到着するとたしかに大勢の現役が稽古しています。

試験中には来られなかった人達の顔もちらほら。

特に1回生が沢山来てくれていて、仕舞もそれぞれ前回のエレベーターホール稽古とは違う新しい曲をリクエストされました。

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毎年思うことですが、全宝連を経た1回生のシテ謡がとても大きな良い声になっていて驚かされます。

感心していると部長さんが、「実は先日、1回生だけの仕舞発表会を行ったのです。OBOGさんにも声をかけて、20人程が集まって1回生の仕舞を見てから講評をいただきました。」

それはおそらく初めての企画で、1回生の実力を上げる為に大変良いことだと思いました。

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そして1回生に続いて先輩たちもガンガン稽古をして、ようやく21時頃に稽古を終えてご飯を食べに行くことになりました。

すると1回生が何だかとても大きなカバンを担いでいます。

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私「荷物大きいね。これから帰省?」

1回生「いえ、中身は紋付袴です。今日は京大のオープンキャンパスで、宝生会が仕舞を発表したのです。」

なんと、そういえば他にも着物カバンを持った人がいました。

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皆試験が終わった途端に1回生発表会やオープンキャンパスなど、精力的に活動しているのですね。

「夏休みだから人が少ないかも…」などと思うのは大間違いでした。

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次の稽古は大原での夏合宿になります。

こちらも普段よりも更に熱い稽古が展開されることでしょう。

体力をつけて体調を万全にして参加しなければ、と改めて気を引き締めた一昨日の京大稽古でした。

激暑エレベーターホール稽古

昨夜は香里園に宿をとったのですが、真夜中頃に暴風雨の音で目が覚めました。

台風12号がおそらく丁度この辺りを通過しているのだろうな…と夢うつつで思いながら、七宝会の疲れで再びぐっすりと眠りに入りました。

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そして朝目覚めると、カーテンの隙間から明るく光が差し込んでいて、嵐が去ったとわかりました。

ホッとして京阪電車に乗り、京大稽古へ。

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しかし今日はいつもの稽古日ではないので、BOXの舞台が使用出来ません。

BOXのある「サークル棟」の2階にある、各サークルが自由に使える「共用室」という場所で初めて稽古をしました。

「共用室」はエアコン完備でなかなか快適な空間です。

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舞囃子「花月」の鸚鵡返しをするのが一番の目的だったのですが、希望者にはその後に仕舞も稽古する事にしておりました。

しかしここでちょっと問題が。

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共用室は8畳ほどの大きさで、仕舞には狭いのです。

その上今日は9人の部員が揃っており、1人の稽古の間に8人が横で待っていると更に狭くなります。

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そこで考えたのがサークル棟2階のエレベーターホールです。

ここはとても広い上に全く物が置かれていないので、仕舞稽古には持ってこいなのです。

しかし唯一のネックが「暑い」ということ…。

小さな窓がひとつあるだけで、むしろ熱がこもって外よりも暑いくらいです。。

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「狭いけれど涼しい共用室」か、「広いけれど暑いエレベーターホール」か。

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ここは思い切って、広さを取りました。

そして手近にあるもので柱と階と大小前を設定して、下のような”即席舞台”が出来上がりました。

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柱はビニール傘、大小前はゴザ、階は部員の鞄です。

理想的な稽古スペースです。

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ここで9人をみっちり稽古しました。

能「経政」と舞囃子「花月」も、思ったよりも稽古が進んで、大変良い成果があがりました。

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もちろん激暑で汗ダラダラになり、終わったところで部員に「先生、暑い中お稽古ありがとうございました…」とちょっと心配そうに言われてしまう程でした。

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しかし、暑い中で稽古するのを選択したのは、実は来週に迫った「松本城薪能」に向けてのシミュレーションという意味もあるのです。

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野外の舞台で昼間に1時間かけて開催する、薪能前座の「松本澤風会発表会」では、おそらくもっともっと暑くなる筈です。

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ここから出来るだけ暑さに慣れていかないと、当日が乗り切れないと思われるのです。

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というわけで、今日の「激暑エレベーターホール稽古」は色々な意味で非常に充実した稽古になったのでした。

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昼過ぎに京大稽古を終えて、更に亀岡稽古へ。

暑い稽古の時間はまだまだ続くのです。

最後が嬉しい一日

本日の七宝会普及公演もおかげさまで無事に終了いたしました。

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長丁場の昼夜2部の舞台で、最後が能「夜討曽我」でした。

私は多くの登場人物の中で一番最後に舞台に出る「御所の五郎丸」の役を勤めて、更にその舞台の最後には、シテが先に幕に入った後に私が「留め拍子」を踏んで今日の舞台を締めくくるという”栄誉”にあずかりました。

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しかし舞台が終わっても仕事は勿論すぐには終わりません。

能「夜討曽我」の8人の登場人物それぞれの装束や、弓矢や太刀や松明などの沢山の道具を片付けていると、あっという間に30分近くが経ってしまいました。

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今日は最後が”胴着”という格好で終わったのですぐには着替えられず、お客様にご挨拶に行けませんでした。

当然皆さんとっくにお帰りになっただろうと思い、着替えて外に出ると…

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能楽堂の隣の駐車場に、夕闇の中で数人のスーツ姿の若者達の影が。

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なんと、京大宝生会の現役とOB数人が、ずっと待っていてくれたのです!

これはとても嬉しく思いました。

私「台風の予報だけど、雨が降る前に晩御飯を食べに行ける人はいる?」

現役「はい!行きます!」

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というわけで、香里園駅近くで楽しく晩御飯を食べて解散したのでした。

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今日はなんだか、最後に嬉しい思いをする一日でした。

花傘巡行の思い出

祇園祭の花傘巡行が猛暑のために中止になったというニュースを見ました。

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「花傘巡行」という単語を久しぶりに見て、非常に懐かしい気持ちになりました。

実は私は京大の頃に、花傘巡行のアルバイトをしたことがあります。

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京大狂言会の先輩から斡旋されて、初めて京都らしいお祭りに参加したのです。

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朝に八阪神社の社務所に集合して、巡行の装束に着替えます。

私は何か幟のような物を一本持たされて、行列に加わってぞろぞろ歩いた記憶があります。

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面白かったのは、女の子のアルバイトらしい人達が浴衣姿で巨大な団扇を持って、我々の行列をあおいでくれたことでした。

あれは寧ろ、あおぐ女の子の方が暑いのでは…とちょっと心配になりました。

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しかしその時の花傘巡行は、そこまで暑かった記憶もないのです。

なので、今年の猛暑はやはり尋常では無いということなのでしょう。

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しかし伝統に固執せずに、人々の体調優先で花傘巡行を中止するというのは、とても京都らしいしなやかな考え方だと思いました。

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来年もし復活したら、懐かしい花傘巡行を見にいきたいものです。

永平寺の修行僧

京大宝生OB会全国大会では、2日目には観光をするのが慣わしです。

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私は例年は観光は失礼して帰るのですが、今年の福井大会ではある大事な目的があって、最初の永平寺だけどうしても行きたかったのです。

今朝福井駅前から、OBの皆さんと一緒に貸し切りバスに乗り込みました。

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実はこの春に卒業した京大宝生会新OBのTくんが、今まさに永平寺で修行をしているのです。

彼が卒業する頃は私がバタバタしていて、結局顔を合わせられずに彼は入山してしまいました。

何とか今日一目会って、ひとこと激励の言葉をかけたいと思ったのです。

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しかし厳格な修行で有名な永平寺です。

事前に我々が行く日程だけは伝わっていましたが、Tくんに会えるかは行ってみないとわからないという状況でした。

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OB会一行20数名が永平寺に到着すると、若い修行僧がひとりやって来ました。

「今日は私が皆さまをご案内させていただきます。よろしくお願いいたします。」

そして彼が広大な永平寺を案内してくれたのです。

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まるで迷宮のような廊下と階段とお堂を巡りながら、修行僧さんと少しずつ話をしました。

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すると、なんと彼は偶然にもこの春Tくんと全く同じ日に永平寺に入った、同期の修行僧だったのです。

度々メモ書きを見たりしながら、一生懸命に説明してくれる真面目な姿は、Tくんに重なるものがありました。

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面白かったのは、食事を作る部署がある「大庫院」での説明です。

「ご飯は意外に美味しいのです」とのことで、メニューをいくつか教えてくれたのですが、「カレー」「麻婆豆腐」などもあるそうなのです。

また「カシューナッツご飯というのが美味しくて、人気メニューです。」

精進料理といっても、私のイメージよりもかなりバリエーションに富んだもののようでした。

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折しも山門楼上の「羅漢堂」で御勤めが始まるようで、急角度な階段を沢山の修行僧が登っていきました。

あの中にTくんもいるようです。

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しかしOB会一行の永平寺における予定時間をすでに過ぎており、ついに彼に会えずに出発しないといけないか…と半ば諦めかけた時。

案内の修行僧さんが、「あと5分お待ちいただければ、Tさんを連れて参りますが」と言ってくれたのです。

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もちろん我々は5分待つことにしました。

そして…

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「皆さんいらしていただいて有り難うございます」と合掌しながら、僧衣のTくんがやって来てくれたのです。

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実はひと月ほど前に永平寺で彼に会ったという若手OBから、やつれてしんどそうな様子だったと聞いて心配していました。

しかし今回会った彼は意外に、というほど元気そうで、顔色も良くやつれた様子は全くありませんでした。

どうやら入山して3ヶ月経って、ようやく少し慣れてきたということのようでした。

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しかし私の内弟子生活も大概しんどいものでしたが、それと比べるのもおこがましい程の実に厳しい修行生活です。

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夜は10時頃就寝、朝は3時半起床だそうです。

布団は寝袋状に身体に巻いて、右半身を下にして寝る、ということまで決まっているとか。(御釈迦様の涅槃像と同じ格好です)

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Tくん「皆さん是非お手紙をくださいませ。お手紙を読むと、今日もまた頑張ろうと思えるのです。」

携帯などもちろん無い永平寺の修行生活では、「手紙」が唯一の下界と繋がる手段なのです。

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筆不精な私ですが、何とか彼に手紙を書いてみようと思いながら永平寺を後にしたのでした。

福井に初めて来た日

あるひとつの街に、生涯で一番最初に訪れた日というのは、まず覚えていないものです。

しかし私は、「福井」という街に初めて来た日を正確に言う事が出来るのです。

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それは1992年4月25日のことでした。

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その日私は福井県立能楽堂での中学生鑑賞能の手伝いで、小川芳先生と一緒に京都から電車で福井駅に到着しました。

小川先生は、「お昼を食べてから能楽堂に行きましょう」と仰って、お蕎麦屋さんに連れて行ってくださいました。

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グルメの小川先生のこと、ただのお蕎麦屋さんではあるまいと思ったら、やはりそこは福井名物”おろし蕎麦”の名店でした。

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初めて食べる”おろし蕎麦”の美味しさに感動していると、ふいにお店のテレビから「歌手の尾崎豊さんが急死しました」との声が。

「尾崎豊」の歌は、私の世代の青春のシンボルでした。

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「おろし蕎麦美味しい!」という気持ちと、「尾崎豊死んでしまったのか!」という衝撃と、そんな私の動揺を何も知らずに目の前で美味しそうにお蕎麦を食べていらっしゃる小川先生と…。

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そんな思い出とともに、尾崎豊の命日「1992年4月25日」は、福井に初めて来た日として私の中に記憶されているのです。

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あれから幾星霜、今日は福井で「京大宝生会OB会全国大会」が開催されました。

OB会は盛会のうちに終わったのですが、実はまだ明日もOB会絡みの重要な予定があるのです。

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この続きはまた明日書かせていただきます。

今日はこれにて。

銀河のワールドカップ

普段ならまず読まないと思われる本でも、時期によって読んでみたくなる事があります。

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集英社文庫 川端裕人著「銀河のワールドカップ」もそんな本です。

少し前に古本屋で購入して、ワールドカップが始まったら読もうと思っていたのです。

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とは言っても、この本はワールドカップそのものの話ではなく、「小学生サッカー」を描いているのです。

「なんだ、子供の話か」と思われるでしょうが、決して侮ってはいけません。

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キャラの立った癖のある子供達が次々に登場します。

それぞれジダンやロナウジーニョ、マラドーナやクライフと言った名選手達になぞらえられていて、その試合描写には思わず日本代表の試合を見ているような熱さを感じてしまいます。

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そしてまた、この物語の主人公は「コーチ」なのです。

元Jリーガーで、過去の出来事で一度はサッカーから遠ざかったコーチが、子供達と共に再び自分の場所を取り戻していくのです。

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ある試合で、コーチ率いるチームは強敵と激突して苦しめられます。

しかしコーチは苦闘する子供達の姿を見て、「”本物の瞬間”というのがピッチ上にあるとしたら、それはこういう試合で顔を出す」のだと思います。

そしてその”本物の瞬間”の中にいる子供達に、嫉妬のような羨ましさを感じてしまうのです。

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このシーンを読んで、私はつい一昨日の全宝連を思いました。

学生達は、自分の曲や仲間の地謡、また全体の素謡を何ヶ月もかけて色々苦しみながら稽古して、ようやく完成させたものをたった一度の本番で完全燃焼させます。

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“本物の瞬間”というのが舞台上にあるとしたら、それは正に全宝連のような舞台で顔を出すのでしょう。

それを体感出来るのは、苦しい稽古を共有してきた現役部員のみです。

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私もその舞台を見て、「銀河のワールドカップ」のコーチのような”羨ましさ”を感じていたのだとわかりました。

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ワールドカップはまだまだ続き、私の読んでいる「銀河のワールドカップ」もまだ半分程が残っています。

今は松本稽古に向かう特急あずさでパラパラとめくって楽しんでいるところです。

日本代表の活躍と並行して続きを読んで、さらに熱くなりたいと思います。