鬘と葛

先日の「関西宝連」の後には、香里能楽堂近くのお店で後席(宴会ですね)がありました。

この後席もコロナの時には数年間出来なかったのです。

皆でご飯を食べながら、今日の舞台の話や学校の話などをして交流を深める貴重な機会です。

私も各テーブルを回って多くの学生さん達と話をしました。

普段よりゆっくり話せるので、私自身が勉強になることもありました。

文学部で、能「玉葛」を卒論の題材にするという学生さんの話を聞いていた時のことです。

学生さん「玉葛は源氏物語では”玉鬘”と書きます。能でも”髪”が重要なモチーフになっているのに、何故宝生流では”鬘”でなく”葛”と書くのですか?」

…なるほど。改めて尋ねられると、「玉鬘」を「玉葛」と書く理由は何故なのか、すぐには答えられませんでした。

また、学生さんは玉葛と似た雰囲気の曲で「浮舟」との比較も話してくれました。

しかしこの「浮舟」が宝生流には無いと話すと大変驚いていました。

確かに「浮舟」は他の流儀では大切にされている曲なのに、何故宝生流には残っていないのでしょうか。

「玉葛」に関しては色々と調べてみると面白そうです。

とりあえず来月の「全宝連金沢大会」でまた後席があるので、それまでに”葛”と書く意味などを調べてまたあの学生さんと話してみたいと思います

学校毎のカラー

昨日は香里能楽堂にて「関西宝生流学生能楽連盟自演会」が開催されました。

前身の「京都宝生流学生能楽連盟自演会」から数えると第130回になります。

コロナ禍を乗り越えて、ようやく学生能楽部の活動も軌道に乗って来ました。

序盤には各学校の新入部員達の”初舞台”の仕舞がズラリと並びます。

緊張感に満ちた初舞台は、懸命に舞う新入部員と、その舞に全力で合わせようとする地謡の先輩達の想いが見所にヒシヒシと伝わってきて胸が熱くなります。

力の入った舞や地謡からは各学校の”カラー”がはっきりと感じられて嬉しくなりました。

同じ謡を同じように謡っているのですが、同志社は同志社らしく、神戸大は神戸大らしい個性があるのです。

これらの個性は先輩から後輩に、稽古によって綿々と受け継がれて来たものでしょう。

学校毎の個性がはっきり出るのは、先輩達がしっかりと後輩の稽古をしている証拠だと思います。

コロナ禍の影響で一度途絶えてしまって、去年1人だけの新入生を得て復活したばかりの京都女子大には、今年3人の新入生が入って賑やかになっていました。

そしてその舞や謡は、私が昔から知っている”京都女子大宝生会のカラー”にちゃんとなっていました。

これから益々部員が増えて、新たな歴史を築いていってほしいと願っております。

京大宝生会にも5人の新入部員が入って嬉しい限りです。

早くも来月には次の舞台「全宝連金沢大会」が控えています。

私ももちろん金沢に行くので、今度は全国の皆さんの元気な舞や謡を観るのがとても楽しみです。

2025年京大新歓ワークショップ

一昨日の月曜日は京大宝生会の新歓ワークショップでした。

いよいよ京大でも本格的に新歓活動がスタートしたのです。

毎年少しずつ新しい試みをしている京大新歓ワークショップ。

今年は、

「装束をつけた現役が短い舞囃子を舞う」

というのが新企画でした。

新入生達に装束付けを見せるのもワークショップの一環です。

舞囃子というからには囃子方が必要なわけですが、今回は新3回生達が頑張って囃子方に挑戦してくれました。

3人の新3回生がそれぞれ大鼓、太鼓、笛を勤めて、非常に緊張しながらも立派な舞台になっていました。

最後に私が舞った舞囃子「船弁慶」などは、通常の「悪逆無道のその積もり〜」から始めて、舞働も入れたフルサイズの舞囃子でした。

その長い囃子を3回生の太鼓方がしっかりと打ってくれて、私は舞いながら

「みんなよく稽古して上達したなあ」

と感動してしまいました。

ワークショップの後は新入生達と食事に行き、中々良い感触でした。

ワークショップはもう一度する予定で、新歓活動はまだ始まったばかりです。

今年もなんとか頑張って新しい仲間を増やしたいと願っております。

2024年「能と狂言の会」が開催されました

昨日は京都大江能楽堂にて、京都大学能楽部自演会「能と狂言の会」が開催されました。

宝生会からは舞囃子「紅葉狩」、素謡「船弁慶」、仕舞6番が出て、それぞれ稽古の成果が存分に出て大変良い舞台でした。

若手OBOGも大勢応援に来てくれて、着付けなど色々なところで手助けしてくれました。

今回は開始時間が15時半と遅めで、それでも17時半過ぎには終了していました。

全盛期には朝9時開始で能が観世、金剛、宝生と3番出て、18時頃にやっと終了という規模だったので、だいぶボリュームが減ってしまったなぁと感じます。。

しかし、去年の「能と狂言の会」はもっと少ない人数だったので能楽堂を借りる事も出来ず、個人のお宅の敷舞台を借りての開催だったのです。

今年は大江能楽堂で開催できたので、これは大きな前進と思います。

来年再来年と新歓を頑張って、なんとかあの全盛期の自演会の規模を取り戻してほしいと願っております。

先ずは昨日の舞台お疲れ様でした。

みんなとても気合いが入っていて素晴らしい舞台でした。

1、2回生の実力

一昨日の月曜日は京大宝生会の稽古でした。

来週11月11日(月)15時半より、大江能楽堂にて京大能楽部自演会「能と狂言の会」が開催されるので、その前の最後の稽古だったのです。

今回の自演会には2回生5人と1回生2人が参加しますが、その7人全員がほとんど全部の舞台にフル出演します。

例えば舞囃子「紅葉狩」が出るのですが、シテは2回生、地謡は残りの2回生と1回生全員で謡うのです。

3、4回生がいない今の京大宝生会ですが、それによって逆に1、2回生の成長が促進されていると感じます。

先日あった舞囃子「紅葉狩」の申合の時のことです。

これまでの京大の舞囃子では、申合で大鼓と小鼓の手を確認して、稽古と違う手で謡と囃子がズレてしまった部分を本番までに修正する、というのが常でした。

ところが今回は、謡の途中でお囃子が予想と違う手を打ってきて、「ああ、ズレてしまうな」と思ったら、地謡が瞬時に修正して囃子の手に合わせて謡っていたのです。

私がフォローする場面は殆どありませんでした。

3、4回生がいない中でのこの対応力は驚異的だと思います。

謡をきちんと覚えて、更に地拍子もよく理解していないと出来ないことなのです。

これはきっと若手OBOG達が丁寧に稽古をつけてくれた成果だと推察します。

そして1回生達は、入部半年でこのレベルの謡に参加している訳で、これは来年再来年に彼らが上回生になった時が本当に楽しみです。

自演会では他にも、仕舞6番と素謡「船弁慶」が出て、繰り返しですがほぼ全員参加になります。

1、2回生ながらハイレベルな舞台を、是非ご覧くださいませ。よろしくお願いいたします。

現場主義の玄翁和尚

昨日の神保町稽古には、山形県新庄の曹洞宗のお寺で僧侶をしている京大宝生会若手OBが久しぶりに来てくれました。

謡稽古は「殺生石」で、いつも曲の解説資料を作って来てくださる会員さんに今回も解説をしていただきました。

それを聞いてちょっと驚いたのが、ワキの「玄翁和尚」が”曹洞宗”の高僧だったという事です。

たまたま今回来てくれた京大OBと同じ宗派だった訳です。

解説も会員さんと若手OBが交互にする形になりました。

会員さん「玄翁和尚は、總持寺の”峨山禅師”に入門して、”二十五哲”の1人と数えられた偉い僧侶です」

おお成る程。

若手OB「でも…」

ん?

「実は總持寺から”出禁”になった事があるんですよね」

何と!それは一体なぜですか?

「玄翁和尚は、總持寺の経営に参画する立場だったのに、總持寺にはあまり寄り付かずに、諸国を巡って布教活動ばかりしていました。

それで、玄翁さんが亡くなった後に、厳密には玄翁和尚の弟子達が一時期總持寺から出禁をくらってしまったのです」

成る程。事務的な仕事よりも現場で働く方が好きな人だったのですね。

何となく玄翁和尚への好感度が増しました。

若手OB「殺生石以外にも、北は秋田から南は鹿児島まで、玄翁和尚が”悪龍”を退治した、というような伝説は多く残っています」

それはまた興味深いです。

今後どこかの土地で玄翁和尚の足跡を見つけることができるかもしれません。

また移動の楽しみがひとつ増えました。

お祭りを終えて

全宝連京都大会から1週間と少し経ちました。

あの舞台では、みんな春先からの稽古の成果を遺憾なく発揮してくれました。

そしてそれからの1週間の間に早くも、京大と自治医大から「夏合宿のご案内」というメールが届きました。

京大からは、「秋の京大能楽部自演会の舞囃子のご相談」というメールも来て、既にシテと候補曲も決まっているようでした。

お祭りのような大きな舞台を終えて、この先は合宿と稽古で地力をつけて、また次の大きな舞台へのチャレンジが始まるのです。

…しかし、学生さん達はその前に大変な実習や前期試験などが待っているはずです。

とりあえず学業のヤマを越えて無事に夏休みが迎えられるように祈っております。

京大OBOGが囃子方を勤めた舞囃子

先日の「全宝連京都大会」では、京大宝生会から舞囃子「草紙洗」を出させていただきました。

シテも地謡も全員2回生で、ちょっとだけ背伸びした舞台になります。

2回生達にとってはもちろん初めての舞囃子ですが、実は他にも”初めて”の要素がありました。

大鼓と小鼓をそれぞれ京大宝生会若手OBとOGが勤めたのです。

これまで新歓企画の舞台などではそういう事もありましたが、全宝連のような歴史ある大舞台では例の無い事でした。

しかし大鼓も小鼓も、緊張しながらも非常に気迫のこもった演奏で、笛の貞光智宣先生のリードによって大変素晴らしい囃子になりました。

また、シテや地謡にとっても、普段から京大BOXで大鼓小鼓と何度も稽古ができたので、若い2回生達にとっては安心感に繋がったと思います。

今回の舞囃子「草紙洗」が無事にできた事で、2回生は大きく成長しました。

そしてまた囃子方を勤めた若手OBOGにとっても、今回の舞台の成功によって、今後も同じように学生達の囃子が打てる可能性が広がりました。

秋の京大能楽部自演会「能と狂言の会」では、更にパワーアップした舞囃子が披露できる事と期待しています。

舞台を”言語化”して観るということ

先週土曜日の全宝連京都大会レセプションの時のお話です。

宝生和英家元は昼間の国立能楽堂での舞台の後すぐに京都に駆けつけてくださり、レセプションの冒頭でスピーチをしてくださいました。

その中で家元は、

「他の学生達の舞台を見るのはとても大事です。他人の芸の長所と短所を”言語化”して、それを自分の芸に活かすのです。私も常にそうしています」

と仰いました。

「長所短所を言語化する」

という考え方は初めて聞いたので、すぐには腑に落ちませんでした。

しかしよくよく考えてみると「成る程!」と目から鱗が落ちる思いがいたしました。

例えば、

「この人は運びの最中に下を向いている」

とか、

「今の飛び返りはとてもキレが良かった」

というのを、普段の私は感覚的にしか捉えていなくて、「何となく上手い」としか認識していませんでした。

それを”言語化”して改めて認識し直す事によって、

「運びの最中に下を向かないように気をつけよう」

とか、

「キレのある飛び返りを研究してみよう」

と具体的に自分の芸に活かす事ができるのです。

今後は私も他人の舞台を観て気付いた事は一度”言語化”して、自分の芸の改善に努めていきたいと思います。

家元の貴重なお言葉は学生達にもきっと響いたことでしょう。

有り難い事でした。

全宝連京都大会が盛大に開催されました

昨日一昨日と京都金剛能楽堂にて、

「全宝連京都大会」

が盛大に開催されました。

コロナ禍の時には開催見送りやオンラインでの開催、また開催されても学校毎に固められた番組で、学生同志の交流が制限されていました。

しかし今回からは、番組も色々な大学がランダムに配置され、また初日終了後には京都ガーデンパレスホテルにて、全国の学生と、宝生和英御宗家始めシテ方能楽師も参加した「レセプション」も開催されました。

完全にコロナ以前に戻った雰囲気の2日間で、特にレセプションでの学生達の楽しそうな様子は、見ているこちらも思わず笑顔になってしまうほどでした。

そしてもちろん、2日間にわたる舞台は非常に熱気溢れるもので、見所も学生やOBOG、また学生のご家族などで終日賑やかでした。

舞台でも楽屋でも、またレセプションやその前後にも、本当に多くの素敵なエピソードが生まれた「全宝連京都大会」でした。

また個別のエピソードも改めて書かせていただきます。

今回の全宝連に関わったすべての皆様、特に運営を担って大会を成功させた全宝連委員の皆様に心より御礼申し上げます。