新歓ワークショップ終了しました

今年の京大宝生会新歓ワークショップもおかげさまで無事終了しました。

12人の新入生が観に来てくれました。

そして現役囃子方カルテット( OGさんは入っていませんでした。昨日のブログをお詫びして訂正いたします)による「中之舞」に合わせて、装束と面を付けた元部長が華麗に舞ってくれました。

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この京大宝生会新歓ワークショップも、有り難いことに年々参加者が増えております。

10年ほど前に始めたばかりの頃は、何と新入生1人であとは現役とOBOGだけ、という年もあったのです。

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これは現役が組織的に宣伝や呼び込みを頑張ってくれている成果だと思います。

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実はワークショップは終わりましたが、現役達は今頃百万遍で新入生と晩御飯を食べているはずです。

ここで和やかに話しつつ色々盛り上げて、何とか次の稽古に来てもらうまでが重要な仕事と言えるのです。

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今日来てくれた新入生は、個性的で見どころのある人がたくさんいました。

次の金曜日の私の稽古に、どうか1人でも多く来てほしいものです。

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新歓ワークショップの目玉は…

京大宝生会では明日4月16日に、新歓ワークショップを開催します。

宝生流は流儀として学生の能楽クラブ活動を積極的にバックアップしていて、この新歓ワークショップも流儀からの支援を受けて毎年装束や面も使用して開催しているのです。

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そして明日は、例年通りの型や謡の体験、装束の着付けや能面の体験などに加えて、ある新しい試みも準備されています。

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京大宝生会の現役と若手OGが、能楽囃子の大鼓、小鼓、笛、太鼓をすべて担当して、更に部員の1人が装束と面を付けて、「中之舞」を舞ってみよう、というチャレンジです。

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この2〜3年で能楽囃子を稽古する部員が急増した京大宝生会。

その宝生会自前の囃子方が、ついに初めてカルテットを組んで、人前で稽古の成果を披露するのです。

また、舞い手の4回生も、装束と面を付けての舞は勿論初めての経験です。

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新歓ワークショップなので、当然1人でも多くの新入生に入部してもらうというのが一番の目標です。

しかし、「京大宝生会自前の囃子方で、シテが装束と面も付けて舞う」というのは、京大宝生会にとっては少なくとも平成以降では初めての出来事なのです。

これを皮切りにして、どんどん囃子方としての経験も積んでいってもらい、また新しい囃子方メンバーも増えていけば、可能性が色々広がっていくと思います。

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明日18時半から京大能楽部BOXにて開催の京大宝生会新歓ワークショップ、沢山の新入生を迎えて盛り上がれるように、私も精一杯頑張ってサポートしたいと思います。

新勧の始まりは…

今日は新年度初めての京大宝生会稽古でした。

毎年恒例の新勧活動が既に始まっています。

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この時期は見学に来る新入生の数や反応に文字通り一喜一憂して、時には胃が痛くなる思いもすることがあります。

今年はどんな様子でしょうか…。

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京大では大抵の場合、新入生の出足が遅いことが多いので、今日などは見学者が来ても2〜3人かな、と思いながら16時半にBOXに到着しました。

すると、早くも見学者の女の子が座っています。

さらに間髪入れずにBOXのドアがノックされ、「見学に来ました」という男の子がひとり入って来ました。

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おお!幸先良い感じです!

今日はこの2人で充分満足…と思っていると、ドアが開いて「見学者を連れて来ました!」という現役部員が。

そしてそれからも、BOXのドアが開く度に見学者の新入生が次々に入って来ます。

1時間もすると、BOXの見所スペースは現役部員と見学者で大混雑。訳の分からない状態になってしまいました。。

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稽古を20時くらいに何とか一段落させて、見学者を連れて現役が晩御飯に行きました。

新入生に晩御飯をご馳走するのも、新勧活動の重要な仕事なのです。

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彼らがBOXから出発していくと、嵐が去ったように一気に静かになりました。

残った数人で、舞囃子の稽古をするのです。

私「それにしても、一体何人見学者が来たのかね?」

現役「今晩御飯に8人行きました!」

私「確か3人途中で帰って行ったから…今日だけで11人!」

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この時期としては異例の大人数です。

今日の中からきっと何人かは入部してくれるでしょう。本当に幸先良いスタートです。

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現役達はビラ配りや新勧ハイクなど、既に大車輪で頑張ってくれています。

来週月曜には私も新勧ワークショップをする予定になっています。

現役の頑張りが報われて沢山の新入生が入ってくれるように、私はとりあえずワークショップを精一杯頑張ろうと思います。

4年間の成果

今朝私は、夢の中に突然「嵐山」の謡が聞こえて来て、それで目が覚めました。

自分がどこにいるのか一瞬わからなくなったのですが、場所は京大宝生会合宿所2階の「ヤヲハの間」の布団の中であり、よく聴くと「嵐山」は合宿の応援に来てくれた若手OGの声なのでした。

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なおも布団で暫く聞いていたのですが、難しい「渉り拍子」のところなどもきちんと正確に謡っていました。

流石OG、というより「こんなにハイレベルに謡えるのか」と驚くような謡でした。

これは正に4年間みっちり稽古した成果なのです。

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京大宝生会は昔から、卒業しても京都近辺にいる若手OBOGが合宿や普段の稽古に頻繁に来てくれます。

前述のようなハイレベルなOBOG達が現役の稽古を手伝ってくれるというのは、大変有り難いことです。

今回も昨日などは6〜7人もの若手OBOGが合宿に来て鸚鵡返しをしてくれていました。

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OBOGが現役の稽古に顔を出すというのは、場合によっては良くない影響を及ぼす恐れもあり、卒業後は一切現役の稽古には来ない、という学校もあるようです。

しかし京大宝生会に関しては、「クラブの中の事には口を出さず、経済的と技術的な援助だけをする」という不文律があり、現役と若手OBOGがとても良い関係を築いてくれています。

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現役は今回も例えば、「たった2日で舞囃子を一通り稽古して、地謡と合わせる」というような普通考えると不可能な課題に、それぞれ果敢に挑戦してくれました。

彼らもまた4年間みっちり稽古して、その成果を次の世代に還元してくれることでしょう。

今回もまた、実り多い合宿だったと思います。

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最後に昨夜遅くに開催された驚くほどハイレベルな「ピザ大会」の模様を。

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合宿所「喜津袮」

今日は恒例の京大合宿で大原に来ております。

「喜津祢(きつね)」という民宿を合宿所に使い始めたのは、もう25年ほど前になるので今の現役達が生まれる前ということになりますか。

離れの一棟を丸ごと借りられるのが有り難いのと、御飯が美味しいので、他の場所を探す気になれないのです。

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私は一階の6畳×3部屋を使って仕舞の稽古をしております。

謡の稽古は、上回生もしくはOBOGと下回生がペアになって、2階の4部屋(ヤ、ヤア、ヤヲ、ヤヲハの間)と、階段の踊り場や玄関などあらゆるスペースを使っての鸚鵡返しです。

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私が現役の頃の合宿は、暴飲暴食で朝はヘロヘロになって稽古していたのものですが、最近の現役は食べ過ぎず飲み過ぎず、夜更かしもあまりしない非常に健全な人達なのです。

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今日私は朝9時半から夜9時半までキッチリ仕舞の稽古をしました。

流石にもうビールなど飲んで休もうと思っております。

しかし喜津袮の離れでは、この時間(23時)でも何ヶ所かで鸚鵡返しの謡の声が聞こえています。

どこまでも熱心な京大宝生会なのでした。

ズボンさんごめんなさい

今日はまたゆるいお話です。

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このひと月程の間に、稽古に使っているチノパンが2本も駄目になってしまいました。

どちらも右膝部分に穴があいてしまったのです。

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以前から私のズボンは例外なく「右膝部分」だけが先に傷んできます。

自分ではそんなに右膝だけに負担をかけている意識は無く、左右均等に使っていると思っておりました。

確かに仕舞を始める時の「下ニ居」の型では宝生流は右膝を突きますが、それだけでズボンに穴があくとは思えません。

不思議なことだと思っていたのです。

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それは大原での京大宝生会夏合宿の時のことでした。

私は夏合宿では、暑いので短パンで仕舞の稽古をしています。

「田村キリ」の稽古で、右膝を突いて下ニ居しながら引分をして、シテ謡「あれを見よ不思議やな」と謡いながら、右膝を軸に少しだけ回転する型がありました。

「不思議やな」とズリッと回転したところ、「いででで!」右膝が物凄く痛いのです。

檜舞台では滑りが良いので大丈夫なのですが、合宿所は畳なのでした。

「畳の上で右膝を軸に回転する」というのがこれ程までに強い摩擦を生むとは、驚きでした。

他にも「清経キリ」の後半で太刀をしまってから、やはり右膝を軸にツレへと向きを変える所などは、角度が大きい分痛さも「いでででででで!」と田村キリの倍くらいになります。

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この痛みを普段は右膝の代わりに、私のズボンが引き受けていてくれた訳です。

しかも私の稽古場は大半が畳敷きなのです。

「これはさぞかし痛かっただろう」と、ズボンに申し訳ない気持ちになりました。

そしてここ最近は郁雲会澤風会の稽古が多く、更に右膝部分を酷使してしまったので、何本かが耐えられなくなって破れてしまったのでしょう。

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今日も西荻稽古で、「ズボンさんごめんなさい!」と思いながら畳敷きの和室で稽古しました。

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因みに左膝を突くことが多い「金剛流」や「金春流」ではズボンは左膝から破けるのか、今度若手の友達に聞いてみたいと思います

京大黄金コース

昨日は後期試験期間を挟んでの久しぶりの京大稽古でした。

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現四回生はもう追いコンも終わって、実質OBになっています。

なので事実上最上回生となった現三回生を中心にした稽古体制でした。

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仕舞は新しい曲が多かったのですが、すでに地謡と合わせて稽古している部員も多くいました。

「次は三山です」などと声がかかると、わらわらと何人かが立ち上がって、地謡座に座っていきます。

一度に6人ほど並んでしまったり、地頭を譲り合ったり、この時期特有の少々緩やかな雰囲気の地謡でしたが、難しい曲でも果敢に地謡に挑戦する姿勢はとても良いと思いました。

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稽古の合間には、「今度の関西宝連の舞囃子の件ですが…」「今年出す能の曲の候補ですが、○○は出せますでしょうか…?」「関西宝連で三輪、全宝連で車僧の仕舞を出してもよろしいですか?」などなど矢継ぎ早に質問を受け、いつもながら彼らの前のめりなパワーには圧倒されました。

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そして前向きな稽古だけでなく、楽しいイベントもちゃんと(?)あるようです。

一昨日の2月3日には追いコンがあり、卒業生へのプレゼント贈呈などで盛り上がった後に、二次会として吉田神社の節分祭りに行ったそうです。三次会は勿論京大能楽部BOXです。

それもある意味黄金コースで、大変羨ましく思いました。

二次会の節分祭りの夜店で買った「ピカチュウ」の面を付けた部員が、BOXで仕舞「加茂」を舞って、「ほ〜ろ〜、ほ〜ろ〜」と謡うところを「ピ〜カ〜、ピ〜カ〜」と謡いながら足拍子を踏んでいる動画を見せてくれました。。

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現役稽古の後には若手OB達がやって来て、郁雲会澤風会で出す素謡「大会」の稽古をして、終わると時計は22時半を回っていました。

思えば夜明けと共に東京を出発して、朝10時の大山崎稽古から始まった稽古尽くしの1日でした。

23時頃から現役部員や若手OB達と百万遍に行き、京大宝生会30年来の行きつけの店「なみなみ」で久しぶりに皆とゆっくり話をしながら遅い晩御飯を楽しみました。

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これもまた幸せな「黄金コース」なのでした。

吉田神社の節分祭り

今日は節分です。

去年の節分の記憶が全く無いのは何故かと思い、過去ブログを見てみると去年は七宝会の能「兼平」が2月4日にあったのでした。

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「節分」というと、例年の私は何となく浮き浮きとした気分になります。

何故かと言うと、京都吉田神社の「節分祭り」を思い出すからです。

京都では年間を通じて沢山のお祭りがありますが、実は私は吉田神社の節分祭りが一番好きなのです。

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京大の正門前を東西に通る道が「東一条通」で、その東一条の最東端に「吉田山」がゆったりと聳えており、さらにその吉田山の山腹に「吉田神社」があります。

普段は京大生が大勢行き交うこの東一条が、2月2日〜4日の「節分祭り」の時には全く違う顔を見せてくれるのです。

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東一条が東山通りと交差する角から、吉田山の山頂にある「吉田大元宮」にかけて、何百という夜店が極彩色の灯りをともしてズラリと立ち並びます。

その絢爛たる有様は、全国様々な夜店を見てきた私からしても、全国随一の規模だと思われます。

ちょっと現実離れした、不思議で妖しい魅力を持った空間が現出するのです。

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大学生活を謳歌していた頃の私の「節分祭り黄金コース」は以下の通りです。

①2月3日のまだ人が少なめの夕方に、先ず一度夜店をざっと冷やかしながら参道を登る。途中で「景品付福豆」、「恵方巻き(まだ全国区ではありませんでした)」、「節分祭り限定の日本酒・富士千歳」などを購入。空腹であれば「河道屋の年越し蕎麦(ここは節分の時に年越し蕎麦を出すのです)」を食べて、一度下山する。

②宝生会の稽古日ならば能楽部BOXへ、そうでなければ吉田寮の一室に行き、恵方巻きを黙って食べたり、日本酒を飲んだり、お好み焼きや焼きそばを食べたりして夜が更けるのを待つ。

③21時頃に再び吉田神社へ。吉田山中腹の本殿の辺りは、通勤ラッシュ並みの身動き出来ない混雑です。これは殆どが23時に始まる「巨大お焚き上げ」を見る為の人々なのです。23時になると、直径10m×高さ10mはあろうかという(記憶は多少誇張されているかも…)お焚き上げが始まり、巨大な炎が天を焦がすのを「おーっ」と歓声を上げて見守ります。

あまりの熱さに最前列の人々は間も無く後ろに退散してくるので、上手くすり抜けて最前列に行くことが出来ます。

④いい加減こちらも熱くなってくるので、後ろに退散して参道を更に登って「大元宮」に参拝します。大元宮の扉は普段は閉ざされており、年に一度節分祭りの期間だけ開かれます。

ここに参拝すると、何と全国すべての神社に参拝するのと同じ御利益があるということなのです。ここは気持ちを引き締めてお参りさせていただきます。

⑤そして再びBOXまたは吉田寮に戻り、福豆で豆撒きをして、冷えた身体を富士千歳で暖め直す。

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…これが黄金のフルコースでした。

能楽の道に進んでからは、何年かに一度素早く行ってすぐに帰る、ということが続いております。

去年は兼平の直前で行けず、今年も2月2日〜4日に東京で舞台があり、行けそうにありません。。

あと1時間ほどで「巨大お焚き上げ」が始まるはずです。

来年こそはまた京大宝生会の面々と、あの節分祭りの幻惑的不思議空間に行けることを願いつつ、今日はこれから明日の舞台の準備などして静かに休もうと思います。

ムーミン雪だるま

今朝携帯でニュースを見ると、「京大センター試験会場にムーミン多数出現」という謎の見出しが。

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??と思って本文を見ると、昨日のセンター試験で地理の問題に「ムーミン」が出て話題になり、おそらくそれを知った京大生が昨夜のうちに試験会場前に雪で「ムーミン雪だるま」を多数作っておいた、ということのようです。

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…。

いかにも京大生がやりそうなことです。

「面白いけど、アホやなぁ…」とか、「暇やなぁ、寒いのに…」と言った月並みな感想しか出てこなかったのですが、ふと考えてみると、「多数のムーミン雪だるま」が出現可能な程、昨夜雪が降ったのですね。

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昨日香里能楽堂で七宝会を終えて、17時半くらいに能楽堂を出た段階では全く雪は降っていなかったので、夜に入って急に強く降ったのでしょう。

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受験生の皆さんは、今年も雪の中で大変だったと思います。

無事にセンター試験が終わっていると良いです。

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因みに私は、京大受験の時は共通一次試験、東京芸大受験の時にセンター試験を受けました。

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センター試験の時は、住民票を左京区にしていた為か、幸運にも京大が試験会場でした。

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朝早く起きて先ず「高砂」を待謡から謡って気合を入れてから、自転車で京大に向かった記憶があります。

なのでその年は雪では無かったのでしょう。

会場の教養学部A号館の教室に入ると、試験官が見覚えのある教官で、一瞬怪訝そうに見られたのも覚えています。

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毎年のことなのですが、昨日今日とセンター試験を受けた受験生の中には、この春に京大宝生会に入部してくれる人がいる筈なのです。

どうか二次試験も良いコンディションで迎えられるように祈っております。

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そして無事京大に入学して、宝生会に入部してくれたあかつきには、「ムーミン雪だるま」の話など出来ると良いと思います。

木の間に光る稲妻は…

今日は冬型の気圧配置で寒い中、香里能楽堂にて今週土曜日開催の七宝会新春公演の申合がありました。

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能「葛城 神楽」の地謡を謡ったのですが、この葛城のクセに、「葛城や 木の間に光る 稲妻は」という歌が引用されています。

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稲妻というと、太平洋側で育った私は夏だけ見られるものだとずっと思っておりました。

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ところがある時、金沢出身の京大宝生会の後輩T君から、「金沢辺りでは、冬には雪が降る時に稲妻が光るので、葛城クセの内容は非常に良くわかります。」と聞いたのです。

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それはもう10年程前に、そのT君がシテを勤めて、京大宝生会が能「葛城」を出した時の話でした。あれは思い出深い演能でした。

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その年の秋。

京大宝生会は、葛城山上の国民宿舎で「葛城 能合宿」を敢行しました。

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夜に皆で外に出て、すすきが靡く山頂でT君が「葛城キリ」を舞った時のこと。

丁度地謡が「月白く雪白く…」という文句に差し掛かった所で、夜空を覆っていた雲が一瞬途切れて、雲間から一筋の月光がT君を目掛けてサッと射し込んできたのです。

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居合わせた全員が、鳥肌が立つような何とも言えない気分になりました。

「葛城の神様」という存在を強く感じたのです。

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この能合宿ではその後も、いくつも不思議なことがありました。

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そして11月半ばの本番の朝。

京都市内に季節外れの雪がぱらついたのです。

「葛城の神様がやって来たのだ」と皆で言い合いました。

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最後まで神がかっていたこの時の能「葛城」。

舞台が終わって数年後には、シテT君と地頭のWさんが結婚するという後日談まで付きました。

葛城の女神は縁結びの神様でもあられたのでしょうか。

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私はその後も現在に至るまで、稲妻と共に降る雪を見ることが叶わずにいます。

いつの日か見てみたいと願っております。

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因みに今度の七宝会新春公演での能「葛城」は、「神楽」の小書が付くので、通常の葛城をご存知の方は「おお!」と驚くような変化があると思います。

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香里能楽堂にて13日土曜日13時半始曲の七宝会新春公演に、皆さま是非お越しくださいませ。