今シーズン最後の”肌寒さ”

今日は青森稽古でした。

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いつも青森に行くと何かしら面白い物事に出会うので、今回も淡く期待しながら新青森駅に降り立ちました。

やはり東京よりもかなり涼しい気温です。

湿気があり、ちょっと北国の冬の記憶が蘇るような空気感でした。

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新青森から普通電車に乗り換えて青森に向かうのですが、普通電車の中はなんと暖房がついていました。

そして乗り込んだ後にドアを閉めるボタンを押し忘れた人がいると、車内の人がすかさず「寒いじゃないまったく…」

という顔でボタンを押してドアを閉めていました。

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駅にはもう「ねぶた祭」のポスターが貼ってあり、「ちょっと早いけど”ねぶた作り”を覗きに行こうかな…」

と思って青森駅に到着しました。

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しかし外に出ると、どんよりした空から冷たい小雨が降っていたのです。

どうりで湿気があるはずです。

傘を持って来なかったので、ねぶた製作所のあるアスパムの麓まで歩くのはちょっと厳しそうです。。

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青森港前の広場に何か花でも咲いていないかと、雨を避けるように早足で行ってみました。

でも今回は花にも縁が無かったようで、広場は緑一色でした。

写真は「ヒメリンゴ」です。

花はすっかり終わり、よく見ると小さな実が出来かかっていました。

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宿に入ると部屋にはやはり暖房がついており、信じられないことに私はそれを「有り難いなぁ…」

としみじみ思ってしまったのです。

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先週末からの猛暑に参っていたのが嘘のようです。

ねぶたや花には出会えませんでしたが、おそらく今シーズン最後であろう「肌寒さ」を、今回の青森稽古で味わって帰ろうと思います。

金野泰大君の結婚式に出席して参りました

今日は宝生流能楽師の金野泰大君の結婚式と披露宴に出席して参りました。

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金野君は私の後輩で、宝生能楽堂での内弟子生活を5年ほど共にした仲間です。

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飯田橋のホテルのチャペルでの結婚式から参列したのですが、意外にも正式な教会での結婚式は殆ど経験がなく、色々なことが新鮮でした。

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中でも牧師様があの誓約の言葉「貴方は健やかなる時も、病める時も…」

を述べる時の”位取り”には実に感銘を受けました。

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誓約の文節ごとに空く絶妙な”間”によって式場の視線と気持ちが徐々に牧師様に集まります。

そして牧師様は、新郎新婦の「誓います!」という宣誓を聞いて控えめながらしっかりと頷き、何とも言えず幸福そうな笑みを浮かべて、

「アーメン」

と穏やかな調子で祝福をされたのです。

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一連の牧師様の所作を見ることによって、参列した私も自然と幸せな気持ちになりました。

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牧師様は、もちろん信仰に基づいた正式な作法に則って、決まった言葉と動作をされたのだと思われます。

しかしあの絶妙な間と所作は、能の舞台にも是非参考にさせてもらいたいと思いました。

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結婚式の後の披露宴もとても和やかで、心のこもったスピーチなどもあり、最後の新婦さんのお父様へのお手紙朗読では、私も感動して思わず目頭が熱くなりました。

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金野君今日は本当におめでとうございます。

どうか末永くお幸せに!

「ずく」とは如何に…?

今日は芦屋稽古で、謡の稽古曲は「加茂」でした。

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シテ謡で「あざあざしくは申さねども…」

という文句があり、「あざあざしい」とはどういう意味だろうと思って調べてみました。

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するとあっさり「鮮鮮しい。はっきりしている様」

と出てきて、拍子抜けしました。

「鮮やか」の「あざ」だったのですね。

知らない言葉はまだまだ沢山あるものです。

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そう言えば先日の松本稽古の時に、面白い言葉を知りました。

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稽古が終わって何人かで食事をしている時のことです。

そのお店の御主人がわざわざ能登半島に出かけて釣ってきたという「黒鯛の刺身」と、同じくお店の女将さんがわざわざ木曽の山奥で採ってきたという大量の「山菜の天ぷら」が出てきました。

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どちらも大変美味しかったのですが、それを食べた地元松本在住の会員さんが、

「美味しいけど、これを採りにいく’ずく’が無いなあ」

と。

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私「’ずく’ってなんでしょう?」

会員さん「う〜ん、”めんどくさい事を苦にせずやる為のエネルギー”ですかね…」

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また別の会員さんは「そうそう。”あの人は意外と小ずくがあるよね〜”とかも言いますね」

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なるほど。

ずく。

微妙なニュアンスを僅か2文字で表現していて、大変興味深い言葉です。

また、自分で使ってみたくなる言葉でもあります。

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私は本来’ずく’の全く無い人間なのですが、内弟子の頃には’ずく’を全開に出していた気がします。

しかし今はまたせいぜい’小ずく’があるくらいに戻ってしまいました。。

明日からも’小ずく’エネルギーを何とか絞り出して、頑張って参りたいと思います。

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…なんだかちっとも上手く使えていませんね。。

もっと良い文例を考えたいのですが、’ずく’が無くなったので今日はこれにて…。

超高速「奥の細道」

今日は朝に水道橋宝生能楽堂で、土曜日開催の「五雲会」の申合がありました。

私は能「俊成忠度」の地謡を勤めました。

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「俊成忠度」は”和歌”に深く関わる曲です。

そして今日5月16日(旧暦では3月27日)は、和歌ではありませんが”俳句”の松尾芭蕉が、千住大橋のたもとから「奥の細道」の旅へと出発した日だそうなのです。

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全くの偶然ですが、今日私は五雲会申合の後に夕方から仙台稽古の予定でした。

千住大橋ならぬ上野駅から、徒歩ならぬ東北新幹線に乗って超スピードで白河の関を越えて、奥へと旅立ったのです。

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あっという間に仙台に到着すると、長いアーケード街を通って稽古場に向かいました。

すると、こんな光景が目に入りました。

祇園祭の”山鉾”のようですが、これは今週末に行われる「青葉まつり」で巡行する山鉾でした。

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しかしよく見ると、京都の山鉾とはちょっと趣きが違います。

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恵比寿様がドーンと載っているもの。

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巨大な和太鼓が据えられたもの。

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大きな鯛の載った鉾の周囲には、何故か無数の”絵馬”が下がっています。

こうなると、もはや「森見登美彦」の世界のようです。。

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他にもこんな鉾が。

上に載っているのは…

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なんと兜を被った伊達政宗公でした。

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実はこの仙台の「青葉まつり」は、1985年に伊達政宗公の没後350年を記念して復活したお祭りだそうなのです。

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ちょっとシュールな山鉾達を鑑賞しつつ稽古場に到着しました。

俳聖芭蕉ならば、山鉾のことを一首の俳句に詠んだかもしれません。

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しかし全く心得の無い私は、稽古を終えると再び東北新幹線に乗って、超スピードで白河の関を越えて上野へと帰ったのでした。

わずか数時間の”みちのくの旅”でした。

亀岡の花々〜兜巾か鈴懸か〜

今日は午後から亀岡稽古でした。

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京都市内で昼ごはんを食べようと思って歩いていると、空が段々と濃い色の雲に覆われて来ました。

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そして亀岡に到着する頃には今にも降りそうな気配です。

しかしなんとか稽古場まで天気はもってくれました。

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稽古の合間に少し花を見ようかと外に出ると、まず紫色が目に入りました。

「カザグルマ」の花でした。

去年は確か時期が合わなかったので、久しぶりに見ました。正に「風車」そのものの姿です。

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次に見つけた白い花ですが、こちらはオミナエシ科の「カノコソウ」という名前でした。

調べてみると、別名「ハルオミナエシ」とも呼ばれるそうです。

そう言われると、たしかに花を黄色くすると「女郎花」とそっくりになりそうです。

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次の花は…と探そうとしたところで、なんと急に雨が降って来ました。。

結構大粒の雨です。

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せめてあと1種類くらい、と思って大急ぎで撮影したのが下の花です。

ふわふわした鞠状の花がたくさん咲いています。

薄いホワイトチョコレートが丸く集まったようにも見えて、ちょっと美味しそうに見える花でした。

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名前は「トキンイバラ」というそうです。

漢字にすると「兜巾茨」でしょうか。

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しかし脳内でその漢字変換をした時に、”あれ?”と私は違和感を覚えたのです。

この花の形状は「兜巾」ではなく、「鈴懸」ではなかろうか?

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能「安宅」や、能「鞍馬天狗」などいくつかの能には「山伏」が登場します。

その山伏が身につける能装束の中に、「鈴懸」と「兜巾」というものがあるのです。

「兜巾」は頭に被る黒くて円形の小さな帽子です。

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そして「鈴懸」とは…。

形は”極太のサスペンダー”とでも言いましょうか。

幅5㎝ほどの極太サスペンダーに、ふわふわした鞠状の房飾りがいくつか付けられていると思ってください。

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そしてその「ふわふわした鞠状の房飾り」が、「トキンイバラ」の花にそっくりなのです。

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なぜこの花を見て「鈴懸茨」と名付けなかったのか、実に不思議に思われます。。

ちなみに本物の山伏は、能装束の「鈴懸」のことを「結袈裟」と呼ぶそうなので、「ユイゲサイバラ」でも良いかと思うのですが。

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もしどなたかこの命名の由来をご存知でしたら、どうか教えてくださいませ。

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今回はこれにて失礼いたします。また天気の良い日にたくさんの花をご紹介したいと思います。

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復活への第一歩

私の母親は2年半ほど前から、母校の日本女子大学構内にある和室を借りて、「日本女子大学宝生会」の復活に向けての新歓活動をコツコツとしておりました。

チラシを作成したり、先ずは職員など大人の稽古を始めて、学生に見学を呼びかけたり。

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何度か学生も見に来てくれたそうなのですが、卒業間近の4年生だったりしてなかなか定着まではしてくれませんでした。

20数年間も途絶えていたクラブの復活は、やはり相当に難しいと思われました。

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それが今春、大きな動きがあったのです。

京大宝生会の大先輩のお孫さんが、この春にめでたく日本女子大学に入学されたのです。

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4月の終わりには母親から、そのお孫さんが友達を連れて、合計3人で稽古見学に来てくれたと聞きました。

復活に向けて、大きな第一歩だと嬉しく思っておりました。

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そして昨日。

私は澤風会江古田稽古日で、普段通りに昼から江古田舞台で稽古をしておりました。

母親は例によって日本女子大に新歓活動に行っています。

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夕方になって、いつも元気なボーカリストの方の稽古をしていると、母親が帰って来ました。

横目で見ると、母親はなにやら非常にそわそわしている様子です。

するとなんと母親の後ろから、緊張した面持ちの3人の女学生さんが稽古場に入って来るではありませんか!

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母「見学に来てもらったの!」

聞くと3人の女学生さん達は、今日既に日本女子大で「羽衣キリ」の仕舞と謡を稽古して来たとのこと。

稽古の後に、「都営バス一本ですぐ江古田に行けるから!」と母親が強引に連れて来たようです。

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折良く稽古場には、日本女子大宝生会のOGの澤風会会員さんもいらして、大学の建物や授業の話などで盛り上がっていました。

3人は足袋も扇も持っていて、「稽古を続けるつもりです!」と言ってくれました。

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母親が新歓活動を始めて3年目、ついに「日本女子大学宝生会」が復活することになりそうです。

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とは言え、まだクラブとして安定するまでには時間がかかるでしょう。

復活組の先輩である神戸大学宝生会の歩みなどを参考にさせていただき、なんとか人数を増やして継続していけるように、私も出来る限り手伝って参りたいと思います。

皆さまもどこかで「日本女子大学宝生会」の姿を見かけたら、どうか応援をよろしくお願いいたします。

うれしい”ご質問”

このホームページには、今まで様々な読者の方から「お問合せ」をいただきました。

昨日もまたそのような「お問合せ」をいただいたのですが、今回はこれまでとは少々違う内容でした。

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“能に関するご質問”という題名で、都内の高校生からの問合せだったのです。

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その生徒さんは、以前小学生の時に夏休みの自由研究で「能楽」を取り上げてくれたそうです。

そしてそれから数年経って、今高校で伝統芸能について調べる課題に取り組んでおり、そこで再び「能楽」を、今度はより深く調べてみたいと考えたそうなのです。

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その後に質問がいくつか箇条書きで書いてありました。

「お忙しい立場だと思いますが、答えていただけるとありがたく思います」と最後に丁寧に書いてありました。

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全く接点のない私に、こうして能楽の事を質問するメールを書くのは大変な事だったと思います。

そして高校生が自発的に能楽に興味を持って調べてくれるとは、本当にありがたいことです。

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先ほど新幹線に乗りながら、早速質問に対するお返事を書かせてもらいました。

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拙い内容の回答ですが、どうか高校の課題に役立ててもらえるとうれしいです。

そして今回の課題で終わることなく、「能楽」に今後もずっと興味を持ち続けてもらいたいと願っております。

カンカン森通り散歩

10連休も終盤になりました。

今日は私にとって連休中最後の空いている1日でした。

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実は自宅近所に以前から気になっている道がありました。

そこを今日は探索してみようと思い立ったのです。

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「カンカン森通り」。

最初に発見したのは夜に家に帰る途中で、何か突拍子も無いネーミングに思われました。

しかし調べてみるとなんと「カンカン森」とは400年近い歴史のある古い名前だったのです。

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三ノ輪の自宅から徒歩3分で「カンカン森通り」の入り口があり、そこから日暮里駅方面に道なりに10分程歩くと…

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マンションの隙間に小さな社がありました。

境内の広さはせいぜい5×10m程です。

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この社は「猿田彦神社」。

そして「カンカン森」とは正式には「神々森」と書くのでした。

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境内に由緒書きがありました。

それによると、今から約370年前に猿田彦神を祀って建立された神社だということです。

ちょうどその頃に、この辺りが非常に風景が良くて日の暮れるのを忘れて過ごしてしまう里であったために「日暮里」の名前で呼ばれるようになったとも書いてありました。

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この神社は「日暮里」の歴史を現代までずっと見守ってきたのですね。

そして大正時代までは境内はもっとずっと広く、木々が生い茂って昼なお暗い雰囲気でした。

その神々しさに、人はこの地を「神々森」と呼んでいたのだそうです。

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この猿田彦神社では毎年9月1日に例大祭が行われるそうで、境内横には御神輿でも仕舞ってあるのか倉庫が並んでいました。

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今年の9月1日にはそのお祭りを是非見てみたいものです。

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旅の神様でもある猿田彦神様に、明日からまた始まる移動の日々の無事を祈って社を後にいたしました。

静かに暮れていく連休最後の1日でした。

三種の神器と能楽

今日から年号が改まり、いよいよ「令和時代」が幕を開けました。

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今朝「剣璽等承継の儀」をテレビで拝見いたしました。

三種の神器のうちの「草薙の剣」と「八尺瓊勾玉」を、テレビカメラ越しとはいえこの眼で見ることが出来るとは、実に感慨深いことでした。

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というのも、「三種の神器」は実は能楽にも深く関わっているのです。

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例えば「草薙の剣」は、能「草薙」においてシテ日本武尊が実際に手に持ち、その神剣の力で東夷を征伐した時の戦いを再現します。

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また「八咫の鏡」と「八尺瓊勾玉」は天照大神の「天の岩戸開き」の時に使われたと言われています。

この岩戸開きの有様が能「三輪」と能「絵馬」の中で詳しく描写されています。

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そして三種の神器は「壇ノ浦の合戦」において、平家と共に一旦海中に沈みます。

それを源義経がすくい上げたのです。

その壇ノ浦の合戦の模様は、能「大原御幸」のシテ建礼門院によって切々と物語られます。

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このように神話の時代や源平合戦での出来事を、我々能楽師は能の中で擬似体験しています。

とは言えそれらは余りにも遥かな昔の出来事で、もしかするとフィクションなのではないかと思ってしまう時もあります。

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しかし今回の「剣璽等承継の儀」で、「三種の神器」がその神性を古のままに保ちつつ、現代まで引き継がれているのを目の当たりに出来ました。

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連綿と継承されて来た「三種の神器」は、能の中の世界が遥か昔に確かに存在していた証のように私には思われて、なにか力強い気持ちになるのです。

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奇しくも今月は「草薙」を2回謡い、「絵馬」に関わるワークショップをする予定があります。

神秘なる「三種の神器」に思いを馳せつつ、新しい令和時代も一層能楽の道に励んで参りたいと思います。

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善知鳥峠の謎

昨日のブログを読んでくださった方より、「地名や会の名前に振り仮名をつけてほしい」とのお便りをいただきました。

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確かに「石和川(いさわがわ)」などは、山梨に縁の無い人や遠くの土地の人には読み辛い漢字ですね。

今後はそのような漢字には出来るだけ読み仮名をふるようにいたします。

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読みの難しい地名、というので思い出したことがありました。

先日松本稽古場の方より、長野県塩尻市に「善知鳥峠」という峠があると伺ってちょっと驚いたのです。

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謡をやっている人ならば、「善知鳥」という曲があるので「うとう峠」とすぐに読めるでしょう。

しかし驚いたのはそこではなく、「何故長野県の中心部に善知鳥峠があるのだろうか?」ということでした。

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能「善知鳥」は陸奥の話であり、”善知鳥(うとう)”という鳥もやはり北国に住む海鳥なのです。

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おそらく能の「善知鳥」とは全く関係無い由来があるのだろうと思い、調べてみると更に驚きました。

なんと「善知鳥峠」の由来になった昔話があり、それは能「善知鳥」の前日譚にあたるそうなのです。

以下がその昔話です。

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北の国の猟師が「善知鳥」という珍しい鳥の雛を捕らえました。

猟師は息子を伴って、その雛を都に売りに行こうとします。すると親鳥が子供を取り返そうといつまでも後をついて来ます。

やがて塩尻の峠にさしかかると吹雪になりました。

猟師はついに前に進めなくなり、その周りを善知鳥の親鳥は「うとう、うとう」と鳴きながら飛び回っていました。

翌朝吹雪が止んで、村人たちは猟師の息子の泣き声を聞きました。行ってみると、吹雪から息子を庇って死んだ猟師を見つけました。

そしてその横で、やはり鳴いている雛鳥と、雛鳥を庇って息絶えた親鳥を見たのです。

哀れに思った村人はそこを「善知鳥峠」と名付けて弔ったのでした。

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…という話の後に、能「善知鳥」のストーリーがあるというのです。

確かに2つの話は一応矛盾無く繋がります。

しかし、現在の青森県辺りの海岸から、海鳥の雛を京都まで歩いて運ぶというのは、かなり非現実的です。

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とは言えここまで詳細な昔話が残っているということは、長野県塩尻の「善知鳥峠」と、青森の海岸で「善知鳥」を捕らえた猟師との間には、やはり何らかの関わりがあったのでしょうか…。

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またひとつ興味深い謎が増えました。

この「善知鳥峠」に纏わる話は、今後もっと調べてみたいと思います。

また「善知鳥峠」という場所も、松本稽古の際にでも是非実際に訪れてみたいものです。

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今日はいよいよ平成最後の日になりました。

明日から始まる新しい時代に期待しつつ、静かに平成最後の数時間を過ごしたいと思います。