長野県巡回公演 初日

今日から3日間、長野県内の小学校3校をまわっての「巡回公演」に参加いたします。

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能は「黒塚」で私は今日は地頭、明日がシテ、明後日にまた地頭を勤めます。

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確か私も中学校の時に、体育館で能を観た記憶があります。

まさかそういった公演に自分がシテとして参加する日が来るとは、夢にも思いませんでした。

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今回まわる小学校の殆どの子供達にとって、生涯で初めての観能のはず。これは非常に責任重大なことです。

何とか子供達の中に「能楽を観た。面白かった!」という記憶を残していきたいのです。

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私の母親などは、学校で鑑賞した能「羽衣」に感動して、その後大学に進んでから能楽を始めたそうなのです。

今回そんな子供がいてくれる可能性もあるわけです。

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実は最初の小学校での公演がつい先程無事に終わりました。

子供達は、最初の狂言「柿山伏」の冒頭からクスクスと笑ってくれて、中々良い反応でした。

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舞台は体育館の床の上に板を敷く構造でした。

つまり子供達は、舞台と同じ高さで舞台の際を取り囲むように座っていて、手の届きそうな目の前で能が演じられる訳です。

こちらも子供達の様子がずっと目に入って来ましたが、能の間も最後までお行儀良く、眼を輝かせて観てくれました。

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終わった後の質問コーナーでは、「幕の色はなぜ五色なのですか?」と言った、かなり高度な質問も出て、回答する楽師も驚いていました。

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明日は私がシテの順番です。

どんな子供達と出会えるか、とても楽しみにしております。

無声の稽古

一昨日の夜は京大宝生会稽古でしたが、ここで私は初めての試みをしてみました。

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「声を出さずに稽古する」

という試みです。

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地謡は元々現役達が謡ってくれます。

問題は舞囃子の「アシライ」でした。

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お囃子は、打音に「掛け声」が加わることで初めて成立するものです。

打音だけで適切な「謡い出し」や「舞い始め」のタイミングをわかってもらうにはどうすれば良いか。

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結局私が選んだ方法は「気合いを入れる」という、至ってバカバカしく思えるやり方でした。

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幸いに声以外は全く健康体なので、とにかく無声であっても「コイ合」や「カシラ」、「カケ切り」などの箇所では顔に力を入れて、心の中では気合いを入れて大きな掛け声をかけてみたのです。

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一応これには伏線がありました。

以前にある新作能の舞台の時、前シテの出が「無声のアシライ」というものだったのです。

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大小とも全く掛け声をかけずに、前シテが橋掛りを歩んでくるのですが、不思議なことにそれに合わせて大小の「ヨオ〜、ホオ〜」という掛け声が聴こえてくる気がしたのです。

ベテランのお囃子方の力とはすごいものだと感動いたしました。

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無論私のアシライでは、そんな風に聴こえる筈がありません。

しかしとにかく「気合い」を入れてやってみました。

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すると、現役部員のシテや地謡は私の「無声のアシライ」をちゃんと汲み取ってくれて、謡出しなどの場所を正確にわかってくれたのです。

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今後も喉の調子が悪くなることはきっとあるでしょう。

その時は、今回の方法で「無声の稽古」をやらせてもらうかもしれません。

その時は私の「気合い」に免じて、聴こえない「掛け声」を想像して聴いていただければ有り難く思います。

「熊野」ツレ無事に終了いたしました

本日の「京都満次郎の会」における能「熊野 膝行三段之舞」の舞台は、先ほど盛会のうちに無事終了いたしました。

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私はツレを何とか無事に勤めることが出来ました。

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今週は、ブログを読んでくださった方々から喉に良い飴やお薬などを頂戴して、本当に有り難く思いました。

おかげさまで喉も回復傾向ですので、油断せずに早く完全に治したいと思います。

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短いですが今日はこれにて。

能「邯鄲」の楽の舞

今日は水道橋宝生能楽堂にて明後日開催の「月並能」の申合があり、私は能「邯鄲」の後見を勤めました。

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「邯鄲」という能は見どころが多く、テーマも深淵で、正に名曲と言えます。

その数ある見どころの中でも、私が何度見ても凄いと思うのは、「楽」の舞です。

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シテ盧生は曲のクライマックスで、「一畳台」という畳一畳分の大きさの作り物の上で「楽」という舞を舞います。

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畳一畳分とは、能舞台(5.4m四方)の僅か18分の1のスペースです。

この空間で、通常と同じ「楽」を舞わねばならないのです。

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一畳台の上では、シテの足数は3足を越えることは決してありません。

また「まわり返し」などの型も、狭いスペースに合わせて非常に巧みにアレンジされています。

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舞が進むにつれて観客の目は、むしろ一畳台が狭いが故にシテに集中していきます。

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そして舞の後半、シテのある動きによって観客は、「一畳台の上は夢の世界で、台の下は現実世界が広がっているのだ」と気付かされます。

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やがてシテが一畳台を降りて広い舞台に出て行く時、それまで一畳分のスペースに気持ちが集中していた分、舞台は対照的に限りなく広大な空間に感じられます。

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シテは今度はその広い空間を縦横に使って、スピーディに動き回ります。

その若干異常にも感じられる盛り上がり方で、「何かが終局に近づいている」とまた気付かされるのです。

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このような様々な効果を、「一畳台を使って楽を舞う」というシンプルな要素だけで実現させてしまう。

こういった発想を目の当たりにすると、能作者とは全く超人的な才能を持った人間なのだと改めて痛感してしまいます。

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この名曲「邯鄲」を、明後日の月並能で是非ご覧くださいませ。

・宝生流月並能

6月10日14時開演 於宝生能楽堂

能「柏崎」シテ金森秀祥

能「邯鄲」シテ大坪喜美雄 ほか

一番しんどいのは…?

次の3つのうちで、一番しんどい状態はどれだと思いますか?

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①激しく動きまわっている時。

②ゆっくり動いている時。

③じっと動かないでいる時。

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普通なら①が一番疲れてしんどいと思われるでしょう。

しかし、能においては実は③が最も辛いのです。

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先日の涌宝会の能「船弁慶」の時、私は何人かの楽師と楽屋のモニターで見ていました。

曲も終盤に差し掛かって、後シテの平知盛が長刀を肩に差し当てていわゆる「休息の型」に入りました。

ここから「その時義経 少しも騒がず 打ち物抜き持ち 現の人に」という謡の間、シテはじっとして動かずにいるのです。

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そこで、隣で見ていたある先輩楽師が「ここが一番しんどいんだよね…」としみじみと言いました。

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船弁慶の「休息の型」は、右足に全体重をかけて半身で構えています。

なのでたとえ短い時間であっても、装束も加えた重量と、それまで激しく動いていた疲労が重なって、足がガクガク震える程の辛さなのです。

「休息の型」では全然休息出来ず、それが終わって再び長刀を振りかざした時に「やっと動けた!」とむしろホッとするのです。

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実は明後日の「京都満次郎の会」で出る能「熊野 膝行三段之舞」でも、比較的長くじっと動かずにいる時間があります。

その時間、舞台上の立ち方はかなりの力を使って気張ってじっとしていると思っていただけると有り難いです。。

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繰り返しですが、初めて能を見る方でも「綺麗だなあ」と楽しめて、ちょっと知っている人は途中で「おおっ」と驚きがあり、よくよく知っている方は更に細部にわたって沢山の驚きと発見がある能「熊野 膝行三段之舞」を明後日の舞台でどうか多くの皆様にお楽しみいただければと思います。

・京都満次郎の会

6月9日(土)16時始 於金剛能楽堂

能「熊野 膝行三段之舞」シテ辰巳満次郎

ワキ福王茂十郎 ツレ澤田宏司

仕舞「蝉丸」宝生和英 他

隙間花壇〜梅雨入りの頃〜

今日は近畿から関東まで一気に梅雨入りしたようです。

思えば去年の梅雨入りの頃には、明け方の大きな雷で起こされたりしていました。

今年の梅雨は今の所、しとしと雨のおとなしい感じですね。

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喉を出来るだけ使わないように、昨日の亀岡稽古から帰った後は家から出ずに一言も口をきかずに、蜂蜜を舐めながら先ほどまで過ごしました。

何やら「くまのプーさん」になったような気分で、夜の田町稽古に向かおうと家を出ると…

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隙間花壇のガクアジサイがしとしと雨に濡れて、如何にも梅雨らしく咲いていました。

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しかしよく見ると、地面近くには違う花も見られます。

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なんと、もうオシロイバナが咲いていました。

紫陽花と白粉花の競演。

春が過ぎて、また暑い夏に確実に向かっていることを教えてくれました。

「謡」という乗り物

昨日の大山崎稽古では、試みにこれまで稽古した謡本を全部持って来てもらいました。

15曲ありました。

毎月一回、1時間ほどの団体稽古をコツコツと積み重ねて来た結果です。

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そして昨日はその15曲を、短い範囲で次々に謡っていくという「プチ・半歌仙会」のようなことをしてみたのです。

(半歌仙会とは、18曲を1日かけて謡う素謡会のことです)

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「竹生島」から始めて、「土蜘」「加茂」「船弁慶」「小鍛冶」「咸陽宮」「大江山」「鞍馬天狗」「安宅」…

と謡って、最後に「高砂」の千秋楽できっちり100分間謡い続けました。

15曲制覇はなりませんでしたが、「四半歌仙会」にはなりました。

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これだけまとめて謡うと、謡というものが如何に多彩で幅広く、奥深いかが良くわかります。

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何も知らないで聞いていると、謡は全部同じように聞こえてしまいます。

しかしきちんと稽古してから謡ってみると、一曲毎に時空間が全く異なる、目眩くような世界が広がっているのです。

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琵琶湖縦断の長閑な舟旅。

源頼光と怪僧の緊迫した闘い。

賀茂の神様の不思議な縁起。

嵐の海上で義経に襲いかかる平知盛の怨霊。

天下の名刀小狐丸の誕生秘話。

始皇帝を暗殺から救った琴の秘曲。

酒呑童子が大江山に住み着くまでの放浪の日々。(月にまで行って来たのです!)

春の鞍馬山中での大天狗と牛若丸の邂逅。

安宅の関での、富樫と弁慶の命懸けの攻防。

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「謡」とは、このような沢山の物語世界に自在に入り込んで行ける「乗り物」のようなものだとも言えます。

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大山崎では、来月から新しい曲「草紙洗」の稽古が始まります。

今度は美しい平安の宮中絵巻の世界へと、大山崎の皆さんと共に「謡」に乗って入って行きたいと思います。

蜂蜜の豊穣

昨日は松本稽古でした。

松本では、稽古前に先ずは会員さんの骨董品店に立ち寄ります。

その後稽古場に向かうのですが、途中でやはり会員さんのイタリア料理店があり、そこも覗いて挨拶をしていくことが多いのです。

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昨日もランチの終わった時間にそのイタリア料理店の前を通ると、店内の会員さんが出て来てくださいました。

「先生!こんにちは!」

私「おお、ごんにぢは…」

「先生、声どうされたのですか?」

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…そうなのです。

先日の夜能「夜討曽我」の後から、声が枯れてしまって中々本調子に戻ってくれないのです。。

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私が「ちょっと声が枯れてしまって…」と言おうとして、「ちょっと声が…」まで言ったところで、会員さんが「そうだ!ちょっと待っていてくださいね!」と店内に駆け込んで行かれました。

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何だろうと思っていると、ややして戻って来られて「先生これをどうぞ!」

その手にはジャムのような小瓶があり、中身は黄金色に見えます。

おお、これはもしや蜂蜜ですか⁉︎

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「そうなんです、この蜂蜜美味しいんです!」

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実は喉の回復の為に色々調べたのですが、「蜂蜜」が一番効果があるようなのです。

自分で買おうかと本気で思っていたところでした。

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「ありがとうございます!ちょうど蜂蜜が欲しかったのです。助かりました!」と有り難く頂戴して、稽古場に向かいました。

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そして稽古場で早速、先ずは熱いお茶に溶かして飲んで、更に直接掬って舐めてみました。

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…なんと美味しい蜂蜜でしょうか。

最初口に含むと、飾り気のない自然な味に感じられました。

しかしやがて口の中で溶けるにしたがって、「豊穣」とでも表現したくなるような豊かな彩りのある濃い甘さが、口一杯に広がっていきました。

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その甘さが喉に流れていくと、これは確かに痛んだ喉を癒してくれそうだと感じられたのです。

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この蜂蜜は、岩手県の…

リンゴと桜の花から採れたものだそうです。

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私が青森稽古の時に東北新幹線で通る、「水沢江刺」の近辺でしょうか。

4月や5月の稽古の時に新幹線の窓外に見えた桜やリンゴの花から、蜜蜂達がせっせと集めてくれた蜂蜜を今私が美味しくいただいているわけです。

しかもその蜂蜜が喉を癒してくれる。なんだか不思議で、とても有り難い気分になります。

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今週末の京都満次郎の会での能「熊野」ツレまでに、この蜂蜜の力を借りて喉を回復させたいと思います。

素戔嗚神社の神輿振り

今朝目が覚めると、窓の外から微かに賑やかな音や声が聞こえて来ました。

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そして松本稽古に向かうべく家を出ると声は一層大きくなり、「ワッショイ!ワッショイ!」という掛け声の合間に「ピッピッ!」という笛のリズムが加わっています。

金曜日から今日にかけて、家の近所の「素戔嗚神社」の「天王祭」という大きなお祭りが開催されているのです。

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掛け声のする方を覗いてみると…

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遠くに御神輿が見えます!こちらに段々と近づいて来ます。

しかし…

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何やら様子が変です。神輿がゆらゆらと左右に揺れているのです。

写真手前の男の子もそれに合わせて…

ゆらゆらと揺れています。

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危ない、倒れる!

と思ったところで、「ヨイショ〜‼️」という掛け声とともに神輿が起き上がり…

今度は逆方向に倒れていきます。

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「ヨイショ〜‼️」ともう一振り!

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これは「神輿振り」と呼ばれる天王祭の名物なのです。

神輿を荒々しく左右に振り倒すことで神威を増して、疫病を退散させるのだとか。

如何にも江戸のお祭りらしい、勇壮な光景です。

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一番大きな「本社神輿」は違う町内を練り歩くはずなので、これはちょっと小振りな神輿です。

しかし、それを担ぐ氏子さん達は実に活き活きと楽しそうです。

この祭のために生きている!という感じに見えます。

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神輿が真横を通り過ぎていきます。

ちょっと驚いたのが、担ぎ手は壮年男性に限らずに、老若男女が入り混じっているのです。

町内総出でお祭りに参加しているようで、それもまた良いなあと思いました。

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台の上に神輿を置いて一休み。

半纏姿のおじいさんが、「若ぇのはもっと気合い入れて担ぎやがれってんだ!」と正統派べらんめえ口調で声を張り上げています。

この町には昔から綿々と続く「江戸」がしっかり息づいているのだなあと嬉しくなりました。

今日の東京は、白い雲がポカリポカリと浮かぶ夏の青空です。

暑くなる午後から夕方まで、まだまだ「神輿振り」は続くのでしょう。

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羨ましいなあ…と思いながら、私は松本稽古に向かったのでした。

満を持しての…

私は何事も計画的に実行するのが大の苦手です。

2年後に大きな目標を設定して、それに向けて課題をひとつづつ着実にクリアしていくというような経験は、これまでの人生で一度もないかもしれません。

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しかし、今日の涌宝会2日目で能「船弁慶」を舞われたシテの方が正にそのような2年間を過ごされたのです。

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2年前の涌宝会の時に、その方は仕舞「船弁慶キリ」を舞われました。

私もその地謡を謡った後に、その方が私に「実は再来年にこの船弁慶の能を舞おうと決心したのです」と仰られたのです。

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その後、舞囃子「船弁慶」を経験されて、今回の涌宝会で満を持して能「船弁慶」に挑戦されたわけです。

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そして果てしない稽古と綿密な準備を経てようやく迎えられた今日の本番です。

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おシテは緊張感を通り越した何か透明な雰囲気で能楽堂にいらっしゃいました。

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見所はやはり2年越しの船弁慶を観るために集まった方々で殆ど満席です。

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そのような舞台に立ち会うだけで、私も緊張してしまいます。

私は楽屋でのお手伝いだけでしたが、舞台の成功を心底から祈りつつ、出来る限りの仕事をさせていただきました。

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関係した全ての方々の力が重なり合って、今日の船弁慶は素晴らしい舞台になりました。

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3日間にわたった涌宝会の最後を飾る、2年前から作ってこられた能。

その舞台を終えられたシテの方は、しかしまだ何かが続いているような引き締まったお顔で楽屋で挨拶をされていました。

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おそらく今後何日もかけて、ここまで御苦労された様々と、今日の素晴らしい舞台を噛み締めていかれることでしょう。

このような大切な舞台に立ち会わせていただいて、大変光栄に思いました。