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夜討曽我の「走り込み」

本日おかげさまで夜能「夜討曽我」を無事に勤めることが出来ました。

いらしてくださいました大勢の皆様、誠にありがとうございました。

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一曲の能の終わり方には、実は様々な種類があります。

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一番多いのは、

①留拍子(とめびょうし)」と呼ばれる左右一回ずつの拍子を、シテが踏んで終わるパターンです。

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それ以外には、

②「留拍子」を踏むタイミングで拍子を踏まずに静かに終わる曲。(大原御幸、楊貴妃、俊寛、蝉丸など)

③シテが切戸から引いてしまい、ワキが留拍子を踏んで終わる曲。(紅葉狩、土蜘など)

④シテが先に幕に入り、ワキ又はツレが留拍子を踏んで終わる曲。(道成寺、羽衣盤渉など)

等々のパターンがあります。

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そして今日の能「夜討曽我」は、④の終わり方でした。

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シテ曽我五郎は、曲の最後に頼朝方の軍勢に縄をかけられて、頼朝の御前へと引っ立てられていきます。

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これを能では、シテの両手を2人の「縄取り」と呼ばれるツレが掴んで、3人並んで橋掛りを全力疾走で幕に入るという「走り込み」という型で表現するのです。

そして舞台に1人残ったツレの「御所の五郎丸」が留拍子を踏みます。

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シテとして一番を舞って、最後に「走り込み」で終わるというのは、なんだかちょっとだけ「美味しいところを”御所の五郎丸”に持っていかれた!」という残念な感じがしないでもありません。。

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しかし、縄取りと3人で舞台から橋掛りに入り、あとは全力で「ドドドドド〜‼️」と幕に向かって走っていくのは、ある種の爽快感があったのもまた確かなのです。

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因みに来る7月28日に香里能楽堂にて開催される「七宝会普及公演」では、またこの能「夜討曽我」が演じられ、私は今度は「御所の五郎丸」を勤める予定です。

その時は、心して「留拍子」を踏ませていただきたいと思います。

無くて七癖…

今日は午前中に宝生能楽堂にて、明日の夜能「夜討曽我」の申合がありました。

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終わってからいつものように家元や師匠や先輩方より諸注意をいただきました。

それらをしっかりと心に留めてから、江古田稽古に向かうべく更衣室で着替えていました。

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すると、やはり着替えていたある先輩から「澤田くん、これは注意という訳では無いんだけど…」と声をかけられたのです。

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先輩「…澤田くんは、気合いが入ると口が前にニュッと出る癖があるよね…」

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なんと‼️それは衝撃です。自分では全く気がついておりませんでした。。

例えば、終盤に御所の五郎丸と戦うところで刀を高く振りかざして詰め寄る時に、口がニュッと出るらしいのです。。

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能面を掛けないいわゆる「直面(ひためん)」で演じる曲でも、能面を掛けているつもりで常に中間表情にしていなければなりません。

それが気合いが入ると顔が動いてしまうとは、由々しき事態です。

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江古田稽古場で稽古が途切れて独りになった時に、鏡に向かって刀を振りかざして気合いを入れてみました。

すると確かに口元に不自然な力が入っています。

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明日夜の本番までに修正出来るか不安ではありますが、何とか中間表情で通せるように頑張ってみたいと思います。

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「無くて七癖」といわれますので、私にももっと色々な癖があるのかもしれません。

とりあえず舞台上での癖をもしもお気付きになられた方は、どうか遠慮なく御指摘いただけると有り難く思います。

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チーム曽我、チーム頼朝

今は良くない意味でですが「アメリカンフットボール」が話題になっています。

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このアメリカンフットボールは、1つのチームの中に「攻撃チーム」と「守備チーム」と「キッキングチーム」が分かれて存在しているのが特徴です。

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試合の局面に合わせて、3つのチームがくるくると入れ替わるわけです。

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私がシテを勤める能「夜討曽我」はいよいよ明日が申合ですが、この「夜討曽我」という曲は、「チームに分かれている」という点でアメリカンフットボールに似たところがあります。

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曲の前半では、いわば「チーム曽我」とも言える4人が登場して、チーム内での人間模様が描かれます。

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そして後半になると、シテの曽我五郎以外は「チーム頼朝」とがらりと入れ替わり、五郎対「チーム頼朝」の戦闘が展開されるのです。

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こういった曲では、各チームの構成員の個性によって曲の印象も随分と変わってきます。

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今回の「夜討曽我」では、前半の「チーム曽我」は私以外の十郎、団三郎、鬼王をすべて先輩達が演じます。

それぞれがシテとしても実力派で、この皆さんと組んで私がシテを勤めるのは、実は非常なプレッシャーなのです。

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少ない動きの中での、4人の「チーム曽我」の命懸けの台詞の応酬。

先輩方の胸をお借りするつもりで頑張ろうと思います。

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一方で後半に登場する「チーム頼朝」は、私の少し後輩になる若手能楽師4人が揃いました。

年齢で言うと私よりも一回り程も下の若者達です。

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今度はイキのいい若武者達との、こちらも命懸けの切り組み。

若いパワーに負けないように、気合いを入れて臨みたいと思います。

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このように、一曲のうちで異なる2つのチームが登場する華やかな曲「夜討曽我」は、

・宝生夜能

5月25日(金)18時15分開始 於宝生能楽堂

にて演じられます。

尺八の演奏や、仕舞3番も出る盛りだくさんの催しです。

皆さまどうか今週末の夜は宝生能楽堂でお楽しみくださいませ。

「紅葉狩」「熊野クセ」「船弁慶クセ」

昨日は夕方から京大稽古でした。

今週末26日に迫った関西宝連前の最後の稽古で、特に新入生達は入部してすぐの初舞台なので必死の稽古です。

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手をちょっと震わせながら誠にぎこちなく運びを進めていく様子は、若干微笑ましくもありますが、見ているこちらまで手に汗を握ってドキドキしてしまいます。

「そうだ!右に丸く回って、真ん中で左足をかけて!サシながら角を向いて、そうそう!それで角では左止まりで、右捻って前向きながらカザシて…」

と心の中では大声で応援しながら仕舞を見ています。

新入生が何とか最後の左右打ち込みを終えて座ると、思わず「はぁ〜」と安堵の溜息をついてしまうのです。

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ちなみに京大宝生会では、入部したての新入生は「紅葉狩」「熊野クセ」「船弁慶クセ」のどれかの仕舞を稽古することにしております。

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これら3つの仕舞は、曲は違えど型はとても似通っています。

そして最初に覚えるべき基本的な型を網羅しているのです。

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私は新入生に仕舞を教える時には、見ている新入生全員に「この型は皆の仕舞に共通なのだけれどね…」と声をかけてから直すようにしています。

自分の稽古が終わった新入生は、他人の稽古を見ているだけではともすれば退屈してしまいがちです。

その点でも、共通の型が多い3つの仕舞を稽古することにはメリットがあるのです。

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新入生は他の新入生の仕舞を見ながら、その場で「マキザシ」や「カザシ」などを自発的にお浚いしてくれています。

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そして更に言えば、この基本的な仕舞を新入生に教えることで、上回生も今一度自分の型を見直すことが出来るのです。

3、4回生になると、今更「左右」や「カザシ」などを私が直接教えることはありません。

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しかし、私が新入生に教えている内容を「コピー」して他日新入生に教えることで、正確な型のやり方を再確認できるのだと思います。

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今週は京大宝生会の面々はおそらく毎日のように、空き時間を見つけては其々必死で稽古をすることでしょう。

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この必死の稽古の成果を発揮する舞台は、

・第6回関西宝生流学生能楽連盟自演会

(第118回京都宝生流学生能楽連盟自演会・第6回阪神宝生流学生能楽連盟自演会)

5月26日(土)朝10時半始 於河村能舞台

です。

皆さま是非ともお越しくださいませ。

加茂川のベンチ

今日は午前中に大山崎稽古、そして夕方から京大稽古でした。

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合間に少し時間が空いていたので本屋でも行こうかと思ったのですが、今日の京都は年間に何日あるかという実に爽快な初夏の日和です。

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こんな日にはぴったりな私の好きな場所があるのです。

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ここは出町柳駅前の、加茂川の西側の河原です。

すぐ前には、鴨川を「加茂川」と「高野川」に分ける通称「鴨川デルタ」があり、その向こうには左の比叡山から右の大文字山まで、新緑の東山のパノラマが広がります。

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そして写真の下の方に写っているのが、私のお気に入りのベンチなのです。

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ここに座って本を読んだり謡を覚えたりしていると、今の時期は乾いた風がいつも吹いて来て実に良い気分になります。

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しばらくベンチで休んで、河原にて夜討曽我の稽古などしてから京大稽古に向かいました。

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京大稽古は相変わらず怒濤のような勢いで、密度の濃いものでしたが、それはまた次回のブログにて。

本日はこれにて失礼いたします。

幕上げのバリエーション

「能舞台」は他の舞台とは異なる独特の構造をしています。

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「橋掛り」と呼ばれる廊下のような構造が舞台から延びていて、その突き当たりには「揚げ幕」が垂れています。

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この「揚げ幕」は、基本的には幕の下端に結び付けられた2本の長い竹によって上げ下げをしますが、実は幕の開け方にはいくつかの種類があります。

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①2本の竹を垂直に立てて、幕を全開にする。

②竹ではなく幕の片側の布を持って、人間が1人通れるだけの隙間を開ける…「片幕」と呼ばれる。

③竹を少しだけ持ち上げて、半分くらい揚がった幕の下をくぐるようにして、後見が作り物などを舞台に出す…「半幕」と呼ばれる。

④2本の竹を交差させて束ね、それをクルクルと巻き上げて幕を半分ほど揚げ、シテの姿を少しだけ見せる…これも「半幕」と呼ばれる。

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先ずシテ、ワキ、ツレは①の開け方で舞台に登場します。

狂言も大半は①で出ますが、間狂言では②の「片幕」で登場することがあります。

囃子方は、能の時は②の「片幕」で、舞囃子の時は切戸から舞台に出ます。

③は例えば能「黒塚」の「枠かせ輪」や、能「松風」の「汐汲み車」などの作り物を舞台に出す時に用いられる開け方です。この「半幕」で舞台に出した作り物は、必ず切戸から引く決まりです。

また極めて例外的に、能「錦戸」のツレはこの「半幕」を使って舞台から退場します。

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…そして見所のお客様が最も注目するべきは④の「半幕」なのです。

この④の開け方をするのは、数ある能の中でもほんの数曲に限られています。

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実は昨日の五雲会で演じられた能「石橋」も、この④が用いられる曲のひとつでした。

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能「石橋」で、前ツレが①の開け方で静かに舞台から退場した途端に、囃子方が「乱序」という激しい囃子を打ち出します。

この掛け声がまるで「獅子の咆哮」のようで大変に迫力があり、お客様の視線は一瞬囃子方に集中します。

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しかしながら、この瞬間に幕の内側では大きな動きが行われているのです。

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ツレが退場して幕が閉まった直後に、後見は瞬時に竹を交差させて束ね、シテ「獅子」が幕の際ギリギリまで素早く歩み出ます。

そして「乱序」の囃子が始まった瞬間、2人の後見が幕をクルクルと巻き上げ、シテの首の下までが見えるようにするのです。

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この「半幕」が上がっているのは、笛の「ヒシギ」の間の僅か数秒だけで、ヒシギが終わるとまたクルクルと幕が下されます。

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お客様の大半、特に「脇正面」のお客様は、昨日も殆どがこの「半幕」を見逃されていたと思われます。。

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他の曲では、能「船弁慶 後ノ出留ノ伝」や能「小鍛冶 白頭」、また能「望月」の後シテなどが、この④の「半幕」で一瞬だけそのシルエットを見せるのです。

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能楽は知れば知るほど面白いと言われますが、この幕の揚げ方のバリエーションもやはり、知ってからご覧になった方がより舞台を楽しめると思われます。

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「獅子口」の締め方

今日は宝生能楽堂にて五雲会が開催され、辰巳大二郎さんが能「石橋」の披きを無事に勤められました。

私もその地謡を勤めさせていただきました。

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「石橋」のシテは「獅子」ですが、この獅子は他の曲には無い極めて特殊な動きをします。

その動きのひとつが、「首を激しく振る」というものです。

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歌舞伎の獅子になると、紅白の頭を振り回す「毛振り」と呼ばれるより派手な動きになりますが、能ではその場で左右にブンブンと顔を切ります。

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また一方、能「石橋」のシテは「獅子口」というこの曲専用の面を掛けます。

この「獅子口」という面は、数ある能面の中でも最も大きく、最も重たい面なのです。

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そんな重い「獅子口」を掛けて激しく首を振ると、面がズレてしまいそうです。

そうならない秘密は、実は「面紐」にあるのです。

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能面の両目の横あたりには穴が開いています。

通常はこの左右の穴に面紐を一本ずつ通して、頭の後ろで結んで固定します。

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しかし能「石橋」においては、「獅子口」の左右の穴に面紐を2本ずつ通すのです。

そして頭の後ろで高さを変えて2箇所で固定する訳です。

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しかもその面紐を他の曲と比べて非常にキツく締め上げます。

後見が面紐を締めていくと、「ギチ…ギチ…」と紐が頭に食い込む音が聞こえます。

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こんなに締めて大丈夫なのかな、紐が切れたりしないのだろうか、いや寧ろ頭が破裂するのでは…と、楽屋に入ったばかりの頃は本気で心配したものです。

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そしてそのように2箇所で縛った後に、最初に締めた方の紐を一度解いて、再び更に強く締め直すという念の入れようなのです。

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そこまで締めると、「獅子口」は最早シテの頭と一体化したかのように完璧に固定されます。

そうなればシテは安心して、思う存分左右にブンブンと頭を振れるという訳なのです。

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今日のシテ辰巳大二郎さんも、溌剌とした動きで頭を振っていました。

若さ溢れる清々しい獅子でした。

大二郎さんおめでとうございました。

最古の薪能「興福寺薪御能」

今日は奈良の興福寺薪御能にて、辰巳満次郎師シテの能「俊成忠度」のツレ藤原俊成を勤めて参りました。

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「興福寺薪御能」の発祥は西暦869年にまで遡るそうです。

その頃はもちろんまだ「能楽」は存在しておらず、「修二会」という儀式に大和猿楽の楽師が出勤していました。

その後猿楽が発展して能が生まれ、「修二会」の儀式から「薪御能」へと変わっていったようです。

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現代では全国各地で沢山の薪能が催されていますが、その元祖と言える舞台がこの「薪御能」なのです。

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橋掛りが舞台の裏側を通ってついていたり、地謡や囃子方が素袍裃に侍烏帽子を着していたり、また薪能の開始時に「独特の儀式」があったりと、おそらくとても古い能の型式を残している催しなのだと思われます。

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今日は残念ながら天候の関係で、野外ではなく雨天会場のホールでの開催になってしまいました。

しかし考えてみれば、いにしえの時代には「雨天会場」などは無かったはずです。

その時代の薪御能の主催者は、天候に一喜一憂させられてさぞかし大変ことだったろうと思います。

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先ほど書いた「独特の儀式」の中には、芝の上に敷いた何枚かの紙を下駄で踏んで、そこに水がしみ出てこないか確認する、というものもあるのです。

これは雨上がりの状況で何とか舞台を行おうとした時の苦心の名残りだと思われます。

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明日も行われる「興福寺薪御能」。

明日は野外で開催されるように祈っております。

兄弟とは…

今日は江古田稽古場にまた新しい仲間が増えました。

小学生の男の子です。

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実は彼のお祖父様、お祖母様、そして高校生のお兄さんも江古田稽古場でずっと稽古をしています。

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お兄さんの影響で稽古を始めてくれたのでしょうか。

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因みに私にも年子の兄がおりますが、何故か私と兄は正反対の選択をしながら人生を歩んで来た気がします。

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小学校の時には、兄も私も同じように母親の能の稽古に連れて行かれましたが、私は稽古を始めて、兄は一切興味を持ちませんでした。

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また、私は高校の時漠然と、「大学に入ったらサイクリング部に入りたいな…」と思っていました。

しかしなんと1年早く大学生になった兄がサイクリング部に入ってしまったのです。

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仕方なく、という訳では無いのですが、私はサイクリング部をやめて能楽部宝生会に入りました。

思えば兄がサイクリング部に入っていなければ、私はほぼ確実に京大サイクリング部に入部して、今こうして能楽師にはなっていなかった筈なのです。

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あるいはまた、私が小学2年生で稽古を始めていなければ、兄がかわりに稽古を始めて私のポジションに現在いる可能性もあった訳です。

兄弟とは不思議で面白いものです。

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私と兄はかように異なる道を選んで来ましたが、兄弟で何か同じことをやるのは本当は素晴らしいことだと思っております。

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今日稽古を始めてくれた男の子も、家でお兄さんと仕舞の話で盛り上がったりしてくれたら嬉しいものです。

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…しかしながら例えば私の兄がある日突然「稽古したい!」と言い出す可能性もあるわけで、そうなればそれはまた面白いことだと思うのです。

面白看板 〜居酒屋編〜

無賃乗車のことを「薩摩守」という人は、今はもう殆どいないのではないでしょうか。

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これは「無賃乗車」→「タダ乗り」→「ただのり」→「忠度」→「薩摩守」

という、能「忠度」を知っている人ならば「なるほどね」とニヤリとする連想です。

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前にも書いた気がしますが、日本人はこういった駄洒落が実に好きな民族なのだと思います。

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先日大阪のある町で、下のような看板を見つけました。

これは、「雄鶏屋」→「おんどりや」→「おんどりゃ〜!」

という大阪ならではの駄洒落ですね。

しかも焼き鳥屋さん限定のネーミングかと思ったら、すぐ近くに下のような看板が。

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「海鮮踊り食い」の「踊り」をとって「踊り屋」→「おどりや」→「おどりゃ〜!」

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「おんどりや」も「おどりや」も、河内弁(?)を駆使したネーミングセンスが光ります。

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一方で、こういった駄洒落をあまり使わない土地もあるのです。

先日信州松本で見かけた居酒屋さんの名前は…

「おさけや」

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そして「おさけや」の近くの海鮮居酒屋さんの名前が…

…。

実直で素直な町・松本らしいネーミングですが、ここまでストレートだと逆にツボに入って笑ってしまいました。

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実は今日の投稿にて、このブログが第500回の節目を迎えます。

ここまで続けられたのは、皆様からの暖かいコメントや、稽古場などで頂戴する応援のお言葉のおかげです。

次は1000回目指して頑張って更新して参りますので、どうか今後ともよろしくお願いいたします。