陸奥への道行

昨夜は最終近い新幹線で京都から東京に戻りました。

そして今日は午後に家を出て、東北新幹線で青森稽古に移動しています。

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三ノ輪の自宅を出ると、午後の陽射しが強くてまるで初夏の陽気です。夏の最後の抵抗なのでしょうか。

しかしこれから向かう青森はきっと肌寒かろうと思うので、鞄にはジャケットとマフラーを詰めておきました。

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新幹線が北上するにつれて、車窓の秋が深まっていきます。

しかし仙台辺りまでは、紅葉にはまだ早い感じでした。

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盛岡の手前までくると、夕暮れが迫って来ました。

秋の夕暮れは、気温が急激に下がっていくのが車窓から見ても想像出来るようで、実に寂しさを掻き立てる風景でした。

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やがて盛岡を過ぎて、いわて沼宮内の辺り、時間にして16時45分くらいにはほぼ真っ暗になりました。

能「黒塚」の中でワキ阿闍梨祐慶が、秋の日暮れに陸奥安達ヶ原で一軒の灯を見つけて、女主人に宿を頼むという情景が頭に浮かんできます。

そして寒く侘しい秋の夜を、一人過ごしてやがて鬼女になった女主人の心持ちも、朧気ながら解りそうな気がしました。

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しかし暗くて撮影は不可能でしたが、最後の日の名残りで見透かしてみると、いわて沼宮内辺りの紅葉はとても綺麗そうでした。

明日午前中の帰り道を楽しみにしたいと思います。

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驚いたことに新幹線が新青森駅に到着してホームに出ると、”肌寒い”などとんでもない、本格的な冬の寒さでした。

在来線の乗り換えホームで、慌てて鞄からジャケットとマフラーを引っ張り出して着込み、ようやくホッとしました。

そして青森は雨です。

おそらくこの雨は”秋と冬の境い目”の雨なのです。

北海道ではこの雨が雪になっているのでしょう。

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夏から冬を一気に縦断した、東北新幹線での道行でした。

これから青森稽古に行って参ります。

亀岡の花々〜秋の彩り〜

今日は亀岡稽古でした。

行きの新幹線から、白い雪を被った富士山が見えました。

毎年恒例の写真です。

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亀岡稽古場では秋の花もめっきり少なくなって、一見すると殆ど彩りがないように見えました。

しかし少し歩いてみると、所々に鮮やかな色を見つけました。

縁起物の「センリョウ(千両)」。

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実が黄色い「キミノセンリョウ」。

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今年も綺麗に色づいた「紫式部」。

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これらの赤、黄、紫は”実”でしたが、”花”の彩りもいくつか見つけました。

こちらは「山薄荷(ヤマハッカ)」の仲間だそうです。小さな青紫色の花がたくさん咲いていました。

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そして今日一番綺麗だと思った花がこれです。

ユキノシタ属の「センダイソウ」という名前だそうです。

仲間には「大文字草」や「人字草」という、花の形を漢字に例えた花があります。

白とオレンジ色と黄緑色がそれぞれ控え目に存在を主張しており、それらの小さな花がたくさん集まって、美しいバランスを保って咲いているのです。

来年もまた見てみたい花でした。

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他にもいくつか。

これは「ツワブキ」の珍しい”多弁型”です。

漢字で書いた”石蕗”は、初冬の季語になっているそうです。

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今回最も貴重な花がこちら。

温室の中で見つけた「マツムラソウ」です。

絶滅危惧種で、原産地の石垣島では自生地はただ一ヶ所しか残されていないのです。

今回会えて良かったです。

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次の亀岡稽古は11月半ばになるので、亀岡の花々に会えるのは今年は今日で最後かもしれませんね。

能「望月」の早替わり

一曲の能の中でシテが装束を着替える場合、

①いったん中入して楽屋で着替える。

②舞台上の作り物の中で着替える。

③舞台上で後見が着付ける(物着と言われます)

の3つのパターンがあります。

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しかしごく稀に、

④舞台上でシテが自分で着替える。

という場合があるのです。

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今日の「別会能」の最後にあった能「望月」が、その珍しい曲のひとつでした。

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後シテは「獅子舞」を舞う装束で登場しますが、僅かな手順でその外見がクルリと変わるような装束の工夫がしてあります。

その早替わりの場面は何度か観ましたが、見慣れてもなお新鮮な驚きがあります。

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もちろんその分シテの負担が大きく、楽屋で色々と特殊なやり方でシテ自ら着付けをしなければならないのです。

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今日の「望月」のシテは宝生和英家元でした。

非常に鮮やかな早替わりに、今回もまた”ハッ”と新鮮な驚きを感じたのでした。

第7回篁風会に出演して参りました

今日は宝生能楽堂にて、「篁風会」に出演して参りました。

東京芸大時代からの仲間である藪克徳さんのお社中会です。

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会は朝9時から始まって、きっちり夜8時まで。なんと11時間の長丁場でした。

私の最初の出番は朝10時頃でしたが、最後は能「船弁慶」の地謡に座って、附祝言「五雲」まで、きっちりと謡い切りました。

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「篁風会」は今回で第7回を迎えるそうです。

これだけの規模の会を、その規模を維持しつつ7回も続けることは、並大抵の努力では出来ないことだと思います。

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藪克徳さんは今回も、殆どの番組の地謡を自ら謡われていました。

申合時のお弟子さんの録音用カセットテープまで、全て曲名を書いて用意するという几帳面さで、当日の楽屋と舞台のことも非常に細やかに気を配っているのがわかりました。

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彼は熱意と几帳面さを併せ持つ、稀有な存在だと思います。

篁風会が今後益々盛んになることをお祈りしております。

藪さん、篁風会の皆様、今回もどうもありがとうございました。

能「張良」の極私的見どころ

明後日10月28日の日曜日には、水道橋宝生能楽堂にて「別会能」が開催されます。

私は能「張良」の地謡で、先ほどその申合がありました。

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漢の高祖の臣下である”張良”が、”黄石公”という不思議な老人から兵法の奥義を授かる、というストーリー。

これは能「鞍馬天狗」にも出てくるお話です。しかし能「張良」は、大天狗が語る話とはかなり異なる展開になっています。

また、他の曲には見られない独特の演出がいくつかあり、とても面白い曲だと思います。

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①シテは”黄石公”なのですが、むしろワキ張良の方が動きや謡が多く、曲の中心になっています。”ワキ”が主役のようになっているのは、ある意味で能楽らしいと言えます。

②前シテの老翁は、おそらくシテとして最も短い舞台滞在時間と思われるます。(厳密には”橋掛り滞在時間”ですが。。)

③後シテ黄石公が沓を川に落とす場面で、後見がとても重要な働きをします。この働きの結果次第で、ワキの動きが全く変わるのです。

④そのワキ張良が川に落ちた沓を拾い上げようとする動きが、非常に難しいものです。体操やフィギュアスケートの選手ばりの動きを、能装束を身に着けてやってしまうワキは本当にすごいと思います。

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他にも能「定家」や、宝生和英家元による能「望月」など、稀曲・秘曲が揃った今回の「別会能」。

宝生能楽堂にて明後日10月28日正午始です。

皆様是非お越しくださいませ。

小本を探して

以前にブログで書いたことがありますが、私は仕事が一段落すると、それまでの期間に使っていた”小本”こと「袖珍一番本」を一気に片付ける習慣があります。

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今回も松本澤風会が終わったタイミングで、何十冊もたまっていた小本をずらりと並べて片付けようとしました。

するとなんと「梅枝」の小本だけが、どこを探しても無いということに気がついたのです。

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私の小本は、東京芸大を受験すると決めた頃に、小川芳先生に頼んで購入していただいたものです。

以来約25年の間、181番が1冊も欠けることはありませんでした。

いつかは失くなる本も出てくるだろうと思っていましたが、ついにその日が来た訳です。

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小本はバラ売りしていないので、古本を探すしかありません。

今日は水道橋宝生能楽堂で、藪克徳くんのお社中会「篁風会」の申合だったので、それが終わってから神保町の謡曲専門の古書店「高山本店」に足を伸ばしました。

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私の小本は表紙が深緑色の”昭和本”というタイプです。

しかし他のタイプも色々あるので、全く同じもので無くても仕方ないと思いつつ探し始めました。

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高山本店には、何故か古書店でよく行き合う小鼓方の田邊さんもいて、一緒に探してくれました。

しかし、「梅枝」は稀曲ということもあり、なかなか見つかりません。

田邊さん「梅枝の小本はさすがに無いですね…。」

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私もまあ無理かな…と思いかけた時。

目の隅に、見慣れた深緑色が見えたのです。

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よく見るとなんと大量の深緑色の小本が、ダンボールに入ってバラ売りになっていました。

喜び勇んで100冊以上ある小本を調べていくと…

私「ありました梅枝!」

田邊さん「おお〜!おめでとうございます!」

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という訳で、新品同様の小本「梅枝」を、再び入手できたのです。

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気を良くして更に店内を見ていると、これまた探していた「図解仕舞集第八巻」を発見。

この本は絶版で、やはり古本を探すしか無かったのです。

今日は探し物が見つかる日だったようです。

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今の時代、謡はスマホやタブレットに入れて覚える事も可能です。

その利点も確かにあると思うのですが、やはり私は”紙の本”を手繰って覚える方が良く頭に入る気がするのです。

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今回私の手元に来てくれた小本「梅枝」は、早速来月の仕事で活躍してもらうことになります。

この「梅枝」を含めて、今後は小本をもう失くさないように、大切に使おうと改めて思いました。

氷室と野守と鵜飼の共通性

今年の澤風会の舞台がおかげさまで3月の水道橋、8月の七葉会、10月の京都、先日の松本と全部無事に終わって、しばらくはゆったりと通常運転です。

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今日は夕方から田町稽古でした。

謡は「氷室」を稽古しています。

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後シテ氷室神が氷を持って現れる場面で、その氷を「萬境を映す鏡の如く」という謡で表現しています。

この”萬境を映す鏡”とは、すなわち能「野守」のシテが持つ”野守の鏡”のことです。

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前から不思議に思っていることがありました。

能「氷室」と「野守」の後シテは、同じ「小べしみ」という面を掛けており、装束もほぼ同じです。

更に持ち物である「氷」と「鏡」が似通っています。

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そしてもう1番、能「鵜飼」の後シテ閻魔大王もまた、能面「小べしみ」を掛けて上の2番と似た装束なのです。

「野守」の後シテは、曲の最後に「奈落の底」へと帰って行きます。

“奈落の底”は閻魔大王のいる”地獄”と同じか、若しくは近い場所だと思われます。

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①「氷室神」の持ち物”氷”と「野守の鬼」の持ち物”鏡”の類似性。

②「野守の鬼」と「閻魔大王」が同じ”奈落の底”に存在すること。

③3曲の後シテの能面と装束が似通っていること。

以上の①②③を考え合わせると、これら3曲の後シテは近い属性を持っているように思えるのですが、今のところ何も根拠が見つかりません。

「神」と「鬼神」と「閻魔大王」は、全く別個の存在とも思えますが、果たして…?

何かご存知の方は、ヒントでも良いので教えていただけると有り難く存じます。

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わかったことがあれば、またご報告させていただきます。

あまねく会申合と満月

今日は午後から水道橋宝生能楽堂にて、11月4日開催の辰巳満次郎師のお社中会「あまねく会」の申合がありました。

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今回は京大宝生会OBの柴田昇先輩が能「班女」を舞われて、私は地謡を謡わせていただきます。

京大宝生会のOBの先輩方は、毎年必ずどなたかが能を舞われています。曲も難しいものばかりで、大変に見応えがあります。

今回の「班女」も素晴らしい仕上がりで、本番で地謡座から拝見するのがとても楽しみです。

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他にも舞囃子なども沢山出るので、皆さま是非11月4日には「あまねく会」にお越しいただければと思います。

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さて申合が終わって、先ほど20時頃に宝生能楽堂を出て宝生坂を登って家路につきました。

今日は夜空を見上げながら歩きました。

満月が見えないかと探していたのです。

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給水所公園まで来たところで、雲の切れ間から見え隠れする月を見つけました。

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先月の9月24日は「中秋の名月」でした。

私はその日は松本稽古の帰りに「一杯のワイン」をいただき、その後に乗った特急あずさの窓から名月を眺めたのです。

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そして今日の満月が「栗名月」という名前だと思っておりました。

栗名月が見られて良かった良かったと思いながら、一応と思って「栗名月」を調べたところ、なんと私の認識が間違っていることがわかりました。

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「栗名月」とは、「中秋の名月」の次の満月の直前、”十三夜”の月の事を言うのだそうです。

今年の栗名月は一昨日の10月21日。

つまり、松本澤風会の日の夜だったのです。

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そして私はその日、旅館”月の静香”の前に出て、澤風会に参加された何人かの方々とお月見をしていたのでした。

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「中秋の名月」と「栗名月」は、できれば両方とも見た方が縁起が良いそうです。

私は図らずも、どちらの名月も松本で見たことになります。

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ともあれ、今日の雲間から見える満月もとても綺麗です。

皆さまこれからでも、是非夜空を見上げてみられたら良いかと思います。

寒いので、くれぐれも暖かくしてお願いいたします。

松本澤風会無事終了しました

美ヶ原温泉の旅館”月の静香”大広間にて、昨日松本澤風会を無事に開催することができました。

小鼓方の住駒充彦さん始め、ご参加くださいました皆様誠にありがとうございました。

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松本澤風会は、来年で稽古開始から10年、再来年が第10回の舞台を迎えます。

最初の頃は仕舞と謡だけだった番組が、舞囃子、居囃子、独調なども増えて、多彩なものになりました。

また昨日は太鼓と小鼓、仕舞と笛、舞囃子シテと太鼓など、一人で複数回舞台に出る人が多くいらっしゃいました。

これはとても大変なことなのですが、どうかこれからも精力的に挑戦していただければと思います。

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一夜明けて今日は、京都や東京からいらした方々と紅葉狩に出かけました。

天気も良く、北アルプスの一足早い秋を満喫いたしました。

貴船神社の怖い思い出

今日は水道橋宝生能楽堂にて「五雲会」が開催され、私は能「鉄輪」の後見を勤めました。

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前シテは夜の京をヒタヒタと北へ歩いて、貴船神社へと丑の刻参りに通います。

女性の怨念がひしひしと感じられる、非常に不気味な雰囲気の”道行”謡です。

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今からもう8年ほども前のことになりますが、年末に貴船神社に詣でたことがあります。

大山崎のふるさとガイドでもある木村さんの案内で、半ば能「鉄輪」の取材のような貴船ウォーキングでした。

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クリスマスも終わった12月27日だったと記憶しています。

叡山電車の貴船口駅で降りて、くねくねした細い車道を登って貴船神社へと向かいました。

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辺りには意外にも人が多く、特に若い女性がひとりで歩いている姿が目立ちます。

「今流行りの”パワースポット”というやつだろうか…?」と思いながら、やがて貴船神社に到着しました。

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境内にもやはり結構人がいて、とりあえずお参りをした我々の横でも、手を合わせる女性がいます。

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お参りの後に、木村さんのガイドで境内を色々見てまわりました。

大阪湾から遡って来たという”磐船”などを見たりして、30分ほどゆっくりと境内で過ごした後に、「では帰りましょうか」と最後に辺りをぐるりと見回しました。

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そこで、「あれ?」と思いました。

何とも言えない異常な感じがしたのです。

もう一度見回した時、その違和感の原因に気づきました。

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先程30分前に我々がお参りした時に、横でお参りしていた若い女性。

彼女が先程と全く同じ場所で、同じ姿勢でじっと手を合わせているのです。

30分間も微動だにせずに、一体何を祈っているのか…?

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そう考えた時、行きの貴船口駅からの道を歩いていた沢山の女性のことが思い浮かび、背筋がスッと寒くなりました。

“パワースポット”などでは無く、彼女達はもっと切実で深刻な思いで貴船神社に詣でているのではないだろうか…。

それはまるでリアルな「鉄輪」のようだと思いました。

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能「鉄輪」の世界は、おそらく現代の京都にも、当時と同じように息づいているのです。

今日の舞台で”道行”を謡う前シテの後ろ姿を見ながら、あの時の怖さを思い出したのでした。