京大宝生会 仕舞100番舞う会2019

今日は2年ぶりの開催となる「京大宝生会 仕舞100番舞う会」を決行いたしました。

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早朝に東京を出て、9時過ぎに京大能楽部BOXに到着すると、ちょうど最初の仕舞「高砂」が始まるところに間に合いました。

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実は「第1回仕舞100番舞う会」がいつ開催されたのか残念ながら覚えていないのですが、おそらく10年ほど前かと思われます。

なので回数も推定ですが、第5回目くらいになるはずです。

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前回のことは一昨年のブログに書いた記憶がありますが、その前回から参加者ほぼ全員が紋付袴に着替えるようになりました。

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そして私が舞う仕舞の数もぐっと少なくなり、前回も今回も10番程度でした。

あとの90番は現役と若手OBOGが舞ったのです。

(途中で澤風会紫明荘組のお2人が応援にきてくださり、岩船と羽衣クセを舞ってくださいました)

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休憩は殆どとらず、100番目が終了したのは19時45分。

10時間以上舞通し、謡通しだった訳です。

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最初元気一杯だった現役達も、流石に50番を超えた14時半頃から疲れた表情になって来ました。

しかし、朝からほぼ全曲の地謡を謡っている強者OBOG達はもっと疲れているはずなのに、無本でガシガシと謡っていきます。

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遂に最後の曲「葵上」をOBが舞終えて、BOXにいる全員で附祝言「五雲」を謡うと、みんな会心の笑顔で拍手をして「仕舞100番舞う会」を無事に終えることができました。

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下の写真は、現役の「扇係」の部員のノートです。

左ページから順に、朝から晩までの仕舞の番組と、使った扇、舞い手の頭文字が書いてあります。

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おそらく今日という1日に、最も沢山の仕舞を舞った宝生流の集団である我々京大宝生会の苦闘の跡が集約された2ページです。

「隅田川」の覚え方

今日は水道橋宝生能楽堂にて、リレー公演の能「隅田川」の地謡に出演して参りました。

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「隅田川」は難曲なので、先日の別会能が終わった後はずっと「隅田川」の地謡にかかりきりでした。

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この曲の地謡は、節や位取りが難しいのは勿論ですが、浚うにあたってまた別の難題がありました。

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クライマックスの部分で、「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と3回繰り返すフレーズを、シテ、子方、地謡が更に何度も何度も繰り返して謡うのです。

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私は新幹線などで謡を浚う時、非常に小声ながら、つい音に出して謡ってしまうことがあります。

しかしさすがに新幹線車内で「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」とブツブツ繰り返していると、隣の人が怪しむでしょう。

下手をすると車掌さんに通報されるかもしれません。。

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頑張って無言で覚えましたが、何となく調子が出ずに覚えるのにいつもより苦労してしまったのでした。。

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明日は2年ぶりに「京大宝生会 仕舞100番舞う会」が開催されます。

今度は仕舞で1日頑張ろうと思います!

感動的な「四海波」

今日は東京のホテルにて、宝生流若手能楽師の金森良充君の結婚披露宴に出席して参りました。

私が内弟子頭をしていて、もうすぐ卒業という時に内弟子に入ってきて、少しの間ですが宝生能楽堂で生活を共にした仲間です。

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能楽師の結婚披露宴では毎回恒例の、「四海波」の謡が今回も乾杯の前にありました。

披露宴会場にいる全ての能楽師(百数十人)が一斉に立ち上がって、重鎮の亀井保雄師の「四海波静かにて」の御発声に続けて「国も治まる時つ風…」と謡い始めます。

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高砂席をみてハッとしました。

我々が謡い始めてほんの少ししか経っていないのに、新婦が涙を拭っているのです。

「四海波」はおそらく2分弱程の短い謡ですが、その間新婦はずっと涙をふいていました。

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確かに、披露宴会場のような天井が高く音が良く響く場所で、100人以上の能楽師が一斉に謡うと迫力があります。

しかし感動して涙まで流して貰えるとは、逆にこちらも嬉しくて感動してしまい、かつて無いほど一生懸命に気合いを入れて謡ってしまいました。

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新婦も東京芸大で日本舞踊を専攻されていたということで、新婦側の御友人による琴と尺八の「春の海」の演奏もまた素晴らしいものでした。

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帰ってから頂戴した引き出物を拝見すると、宮崎県のクラフトビールが入っていてまた嬉しくなりました。

楽しみにいただきたいと思います。

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新郎新婦ともに非常に真面目で好感の持てるお2人でした。

本日はおめでとうございます。

どうか末永くお幸せに。

ゲストハウス「月と」での静かな稽古

今日は昼前から京都紫明荘組の稽古でした。

早朝に東京から新幹線に乗って京都駅に着くと、予想を上回る人の多さにびっくりしました。

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毎年この時期は観光客でごった返す京都駅です。

それは重々承知していたのですが、今日は新幹線から地下鉄に乗り換えるまでに人が詰まっていて殆ど動かないという、ちょっと異常な状況でした。

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地下鉄丸太町から乗り換えの市バスも中々来ず、ひと苦労して漸く稽古場のゲストハウス「月と」さんに辿り着きました。

格子戸を開けて中に入ると、先ほどの京都駅での狂騒が嘘のような静謐な雰囲気でホッと心が和みました。

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いつもは2階の和室に向けて階段を上がるのですが…

亭主さん「今日は1階を片付けて、稽古スペースにしました」

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なるほど、カフェスペースの机などが綺麗に移動されています。

2階和室とはまた違った調度品がたくさんあり、大変趣きのある空間になっていました。

上は入り口から見た風景。

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そして下は、逆に部屋の奥から入り口を見た景色です。

格子戸の外から中を興味ありげに覗く人がいたり、宿泊客の中国人らしいご家族が見学に来られたり、色々気分が変わって面白い稽古になりました。

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しかし、今日は偶々お休みの方が多く、2回ほど”開店休業状態”になってしまいました。。

とは言え、来られた方は逆に普段よりもじっくりと時間をかけて稽古出来ました。

また人が途切れた時は珈琲をいただきながら坪庭をのんびり眺めたり、亭主さんとお話ししたり、何か心が癒されるような半日を過ごせました。

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人々で溢れている観光名所に疲れた方は、このゲストハウス「月と」さんにいらっしゃる事をお勧めいたします。

とても京都らしく、かつ静謐な時間を楽しむことが出来るはずです。

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そしてもしその日が澤風会の稽古日でしたら、どうかお気軽に見学なさってくださいませ。

今日のような日ならば、仕舞や謡の体験も出来るかもしれません。

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「月と」さんの詳細な情報は下のURLからご覧いただけます。

ゲストハウス&カフェ 京都 月と

https://tsukito.jp/

奥の細道スタート地点

昨日は素盞嗚神社の「桃まつり」を見た後に、千住大橋を渡りました。

渡った地点は橋の北西詰めで、そこには小さな公園があります。

公園にはこんな看板がありました。

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読んでみると、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅に出たのが1689年の3月27日(旧暦ですが)

とありました。

この公園訪れた日が3月25日だったので、ちょっと驚きました。

そしてせっかくなので、周囲を少し歩き回ってみました。

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堤防を乗り越える階段があり、そこから隅田川の河原に降りられました。

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河原にはこんなものがありました。

「全国河番付」

そして…

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「全国橋番付」。

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いずれも、「隅田川」と「千住大橋」が行司役になっていました。

確かに目の前の隅田川も、頭上に掛かる千住大橋も、どちらも大きさと風格を兼ね備えた立派な姿です。

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そして、千住大橋の下を見ると、何か小さな橋がかかっているのが見えました。

京都では、平行に流れる”鴨川”と”高瀬川”にかかる橋で「四条大橋」、「四条小橋」と呼び分けられています。

しかしこちらは「千住大橋」の下を横切る「千住小橋」。

なんだか「千住小橋」を応援したくなりました。

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千住小橋を潜った先には、江戸の昔に船が着いた場所という「御上がり場」がありました。

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芭蕉も3月27日の黎明にこの辺りから岸に上がって、北への旅に出たのでしょうか。

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実は恥ずかしながら「奥の細道」を読破したことがないので、今回の御縁で改めて読んでみたいと思っております。

素盞嗚神社の桃まつり

今日は北千住に用事があり、時間に余裕があったので三ノ輪の自宅から歩いていくことにしました。

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千住大橋の手前にある「素盞嗚神社」は、これまで何度かブログにも書きましたが、平安時代からの由緒ある神社です。

行くたびに意外な表情を見せてくれる場所なのですが、やはり今回もそうでした。

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神社の前を通りかかると、「桃まつり」という看板があったのです。

境内に入ってみると…

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正に見頃を迎えた満開の桃の花が迎えてくれました。

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毎年4月初めの松本稽古への道中で、特急あずさの車窓から甲府盆地の桃の花は楽しんで来ましたが、間近でゆっくりと見る桃の花は実に久しぶりです。

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境内には様々な種類の桃が咲いていました。

同じ木に紅白の花が咲いているもの。

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枝垂れになっている木。

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花びらが紅白の斑らになっているもの。

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“源平”、”矢口”など色々名前がついていると後で知りました。

次の機会には名前もチェックしたいと思います。

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そして境内にはもうひとつ、驚くものがありました。

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数ヶ所に分かれて、何千という数の「雛人形」が飾ってあったのです。

由来は上の写真に書いてある通りですが、3月3日の”雛祭り”は過ぎていても、むしろ今満開の桃の花に囲まれた雛人形達は、どこか嬉しそうに見えました。

カメラを構えると何やら恥ずかし気な雰囲気だったので、お人形さん達の写真はちょっと控えました。

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桃の花はまだまだこれから咲くものも多くありました。

お近くの皆様は、もしお時間があれば今週から来週頃に素盞嗚神社を訪れることをお勧めいたします。

2019年春の別会能が無事に終了いたしました

「良い舞台というのは偶然では成立し得ない。

充分な稽古を踏まえた上での必然の結果である。」

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これは本日の宝生能楽堂における「春の別会能」の最後に演じられた能「道成寺」が無事に終了した後の、記念パーティで家元が仰られた言葉です。

今回の「道成寺」は全くそのお言葉通りに、時間をかけて丁寧に作り上げられた舞台だと感じました。

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「別会能」最後の「道成寺」が終わった時間は夜8時近くでした。

最後までご覧いただいた沢山のお客様からの、附祝言の後に頂戴した万雷の拍手の音は、楽屋で聴いていても実に有り難い響きでした。

「宝生流の一員として、これからも頑張っていこう」と気持ちを新たにした瞬間でもありました。

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本日の長丁場の舞台にいらしてくださいました皆様、誠にありがとうございました。

御茶ノ水の桜、亀岡の蓑虫

昨日、別会能の申合の後に水道橋宝生能楽堂から秋葉原まで歩く途中のことです。

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ボーッと歩いていて御茶ノ水の湯島聖堂の脇を通りかかった時、何気なく中を覗くと駐車場の奥に桜が咲いているのが見えたのです。

何人かの人が写真を撮っていました。

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思えば去年の3月17日。

東京での開花宣言が出たその日に、初めてソメイヨシノの花を見たのが丁度この辺りでした。

あの桜も咲いているだろうか…

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少し戻って地下鉄丸ノ内線の駅前で信号を渡り、また坂を下りて行きました。

聖橋をくぐって少し行ったところに、その桜の木が立っているのです。

そして近づいていくと…

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やはり開花していました!

去年よりだいぶ花が進んでいます。

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ビルを借景にした都心の桜。

今年も会えて良かったと満足して秋葉原に向かいました。

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一方、今日は亀岡稽古でした。

寒の戻りで寒くなる予報でしたが、亀岡駅に降りると本当に冬のような寒さです。

亀山城のお堀端の桜を見に行くと、まだまだ蕾の状態でした。

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東京と亀岡でこれほど季節が違うのだなぁと思いながら写真を撮っていると、面白いものを見つけました。

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「蓑虫」です。

昔はよく見かけましたが、最近では激減しているというニュースを昨年読んだ気がします。

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蓑の大きさからしておそらく「オオミノガ」だと思われました。

「蓑虫」も調べると色々興味深い昆虫です。

例えば昔の人は、この虫が鳴くと考えていたようなのです。

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「枕草子」にも、蓑虫が「ちちよ、ちちよ」と鳴くという記述があります。

どうやらこれは”カネタタキ”という秋の虫の声を聴き誤ったもののようです。

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次回の亀岡稽古では、お堀の桜も咲いていることでしょう。

そして今日のあの「蓑虫君」もどうしているか、確かめてみたいと思います。

最大級の催し・春の別会能2019

今日は水道橋宝生能楽堂にて、日曜日開催の「春の別会能」の申合がありました。

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今回は「宝生能楽堂 開場四十周年記念」

として開催される別会能で、特別な番組になっています。

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午前11時〜午後3時までが「第1部」で、素謡「翁」、能「高砂 作物出」、狂言「二人袴」、能「安宅 延年之舞」が演じられます。

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そして少し間をあけて午後4時〜午後8時まで「第2部」が開催されて、能「草紙洗」、狂言「富士松」、最後に能「道成寺」が演じられるのです。

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全部御覧になると午前11時から夜8時までというのは、1日だけの催しとしては私が楽屋に入ってからでは最大の規模になります。

今日の申合だけでも約5時間程かかりました。

複数の曲に出演する楽師もいて、申合の楽屋はいつにも増して活気に溢れていました。

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私は第1部の能「安宅 延年之舞」のツレ同行山伏を勤めさせていただきます。

初めて「安宅」のツレを勤めたのは内弟子の頃で、場所は金沢の石川県立能楽堂、シテ弁慶は佐野萌先生でした。

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それから何度もツレ同行山伏をさせていただきましたが、何度経験しても本当に良く出来た構成の曲だと思います。

舞台の使い方と言い、見せ場の並べ方と言い、一切の無駄がなく作られています。

シテツレ子方、ワキに間狂言の合計13人が、舞台と橋掛りを縦横無尽に移動して繰り広げる緊迫感漲る大活劇なのです。

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他の3曲も同様に名曲揃いです。

明後日3月24日は是非宝生能楽堂にいらしていただき、歴史的な規模の「春の別会能」を御覧いただきたいと思います。

どうかよろしくお願いいたします。

1件のコメント

大原から加古川へ

今日は朝に大原の京大宝生会合宿所を出て、加古川能に向かいました。

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霧のような細かい雨に煙る大原の里は、それはそれで風情があるなあと思いながら、京都バスで国際会館駅へ。

そこから地下鉄で京都駅に出て、更に姫路行きのJR新快速に乗り換えました。

あとは加古川まで1時間半弱、謡を覚える時間です。

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神戸を過ぎると、普段はあまり通ることのない地域に入っていきます。

私は新快速の進行方向右側の山手の席に座っていました。

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謡本からふと目を上げて右手の車窓を見ると、松の木が立ち並ぶ公園の景色が目に入りました。

そして何故かその景色には見覚えがありました。

ずっと昔に来たような…

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思い出しました。

あれは京大宝生会で能「箙」が出た時のことです。もう10数年前になります。

「箙ツアー」を企画して、何人かの部員で”一ノ谷”を訪れたことがありました。

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確かその時に「須磨浦公園」という所にも行って、それがこの車窓の景色だと思われ…

と、そこでハッと気づいて私は左側の車窓を振り返りました。

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窓の外には、須磨の浦がゆったりと広がっていたのです。

海は東海道新幹線で熱海の辺りを通る度に見ている筈なのに、何故かとても久しぶりに海というものを見る心地がして、静かに感動しました。

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更に新快速は進んでいきます。

今度は前方に巨大な橋が見えて来ました。

「明石海峡大橋」のようです。

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能「草紙洗」で紀貫之が詠み上げる和歌

「ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に 島隠れゆく 舟をしぞ思ふ」

が頭に浮かんできました。

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しかし車窓には圧倒的な迫力の明石海峡大橋が、淡路島に向けて「ドドーン」という感じで伸びています。

和歌に詠まれた明石の浦の風情は、とうの昔に無くなってしまったようでした。

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仕事とは言え、今日の大原から加古川への移動は何か”旅情”のようなものを感じてとても心地よいものでした。

海の良い写真が撮れたらもっと良かったのですが、天気もあって中々難しかったです。

本当はもっと青く、のたりのたりとした「春の海」でした。