自治医科大学の初稽古

今日は栃木県下野市にある「自治医科大学」にお邪魔して、新しく出来た「自治医科大学能楽部」の初めての稽古をして参りました。

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上野から宇都宮線で約80分で「自治医大駅」に到着します。

道中の車窓から見える景色はとにかく真っ平らで、”関東平野”が如何に広いのかを再認識いたしました。

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自治医大駅には、今春入学して能楽部を立ち上げた青年が迎えに来てくれました。

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徒歩で自治医科大学へ。駅から歩いて数分で正門の前まで来ました。

門をくぐると正面に附属病院の大きな建物が見えます。

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そこを通り抜けると、また次の巨大な建物が。

「ここは普段講義を受けている建物です。」

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その講義棟(?)で、金春流を稽古されている哲学の先生と合流しました。

この先生と青年が出会ったのが、能楽部立ち上げのきっかけになったそうです。

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そして更に歩いて行きます。

自治医科大学の広いキャンパスは縦長で、既に先ほどくぐった正門は地平線の彼方です。

巨大な建物が次々に現れる様に、何となく昔訪れた中国の「故宮」の広大さを思い出しました。

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やがて稽古場のある真新しい「アリーナ」の建物に到着しました。

アリーナの中には、陶芸部や演劇部の部室と並んで”茶道部”のお茶室があります。

ここを稽古に使えるというのです。

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入ってみると、殆ど新築同然の綺麗なお茶室で驚きました。

八畳のお茶室に、同じく八畳の待合、更に板の間の広い廊下がついており、稽古場には申し分無いスペースです。

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ここでとりあえず17時過ぎまで稽古しました。

その後に、ここよりも更に広いという学生寮の和室に向かったのです。

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自治医科大学の学生が全員暮らしているという「学生寮」。

その1階に和室がありました。

これがまた驚きの広さと綺麗さで、三間×二間半の部屋が2つ繋がっていました。

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普段ここでは宴会も行われているらしく、「飲み過ぎに注意!」という内容のポスターが何枚も貼られていました。

酔った学生は、ここからキャスターで部屋に運ばれていくのですね。。

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この和室で、授業を終えた学生さんが2人合流してくれました。

2人に仕舞「鶴亀」の前半と、謡「鶴亀」の冒頭を稽古しました。

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1人はとても良い声で、もう1人は構えと型が非常に綺麗で驚きました。

稽古への姿勢もとても意欲的で、少し稽古すればすぐに上達すると思われました。

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帰りは1人の学生さんの車に乗せてもらい、あっという間に自治医大駅へ。

色々と新鮮な驚きのあった今日の初稽古でした。

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今後能楽部の活動を軌道に乗せていくには、まだ課題もいくつかあります。

しかし京大宝生会や復活した日本女子大などとも徐々に交流を深めて、一歩ずつ「自治医科大学能楽部」の歴史を刻んでいってほしいと願っております。

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自治医科大学の皆さん今日はありがとうございました。

新しい「ダナー」

昨日は仕事が一段落して、午後から時間が空きました。

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かねてより”靴”を新しくしたいと思っていたので、街に買い物に出ることにしました。

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私はもう30年近く、アメリカの「ダナー社」というメーカーの靴を履いています。

元々はアメリカの木こりが履く為に作られたという無骨な靴で、特に靴底が「ビブラムソール」という登山靴にもなる頑丈なものなのです。

京大農学部林学科の頃にこのメーカーを知り、以来ずっと好んで履き続けています。

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前回は3年程前に、ドイツのブレーメン公演に行く直前にやはり「ダナー」の靴を買いました。

それから3年間、その靴を履いて北は北海道から南は九州まで、そしてドイツまでも共に旅をして来ました。

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その前の「ダナー」とは、イスラエルや韓国やアメリカにも行って来ました。

もっと以前の「ダナー」の時には、上高地の河童橋から今は無い岳沢ヒュッテまで山登りもしました。

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そして今回。

北千住の靴店で「ダナー」を探しました。

時代の流れか、昔ほど無骨な外観ではなくなっていましたが、やはり「ビブラムソール」の頑丈そうな茶色の靴を買いました。

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今日は早速足慣らしに長めの距離を歩いてみました。

やはり「ダナー」は私の足に合っているらしく、ずっと前から履いていたかのようにすんなりと足に馴染んで、飛ぶように歩けます。

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「新しい靴は、素敵な場所に連れて行ってくれる」という素敵な言葉を誰から聞いたのだったか。

おそらく10代目くらいになるこの新しい「ダナー」を履いて、これからまた様々な素敵な場所に行ってみたいと思います。

夜の朝顔市散歩

私は最近よく、上野駅から三ノ輪の自宅まで歩いて帰るようにしています。

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昨夜も横浜での「京大宝生OB会全国大会」に顔を出した帰りに、酔い覚ましも兼ねて上野からブラブラ歩くことにしました。

時刻は21時過ぎ。

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10分ほど歩くともう日比谷線「入谷」駅が近づいて来ます。

昨日はその辺りで向かいから「朝顔」の鉢植えをぶら下げた人達が何人も歩いて来ました。

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ああそうか、「入谷の朝顔市」が今頃だったな、と思い出しました。

内弟子の頃には、先々代家元の奥様が毎年朝顔市にいらして鉢植えを買ってこられたものです。

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しかし実は私自身はその「朝顔市」に行ったことはありませんでした。

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「21時半近いし、もう終わっている頃かな…」

と思いながら歩いて行くと、前方の”言問通り”の辺りが何やら煌びやかに輝いて、大変華やかな雰囲気です。

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能「隅田川」にも出て来る、在原業平の「名にしおはば いざ言問はむ 都鳥 我が思ふ人は ありや無しやと」という和歌を由来とする”言問通り”。

その言問通りの”入谷の鬼子母神前”辺りが、朝顔市の会場になっていたのでした。

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21時半近くでもまだまだ大勢の人が行き交い、中には浴衣姿もちらほら。

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歩道から三段にわたって、朝顔の鉢が無数に並んでいる様は実に壮観でした。

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朝顔の価格表。

“夕顔”はちょっと高級品なのですね。

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そして”言問通り”を挟んで向かいの北側の歩道には、私の大好きな「夜店」が立っていたのです。

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大きな焼きとうもろこしに…

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串焼き。お姉さんは焼きながら何かの串焼きをモグモグ食べていました。

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お好み焼き。

シャッターチャンスを逃したのですが、男の子が”かけ放題”のマヨネーズを嬉しそうにグネグネかけているのが印象的でした。

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他にも懐かしいスマートボールなどなど。

私はこれが結構得意だったのですが、昨日は景品がアイドルの写真のようだったので遠慮しておきました。。

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結局朝顔は買わず夜店も冷やかしただけでしたが、思わぬ江戸情緒に触れることが出来て大満足でした。

いつか朝顔を買って、小学校の夏休みのように育てるのも良いかも、と思いながら、三ノ輪への帰途についたのです。

横浜での京大宝生OB会へ

今日は水道橋宝生能楽堂での「文月能」にて能「熊坂 床几之型」の地謡を勤めました。

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そして夕方に舞台を終えて、すぐに電車で横浜に向かいました。

今日は平行して「京大宝生OB会全国大会」が、横浜能楽堂にて開催されていたのです。

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参加者名簿を拝見すると、1961年卒の大先輩を筆頭に2015年卒の若手まで、30人以上の京大宝生会OBOGが集まっての舞台だったようです。

私は残念ながら今年は宴会のみの参加でした。

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毎年の事ながら、世代を超えたOBOGが全国から集合して、1日中賑やかに謡ったり舞ったりするのは素晴らしい事です。

今日は50数年前に学生能で演じられた能「蟬丸」の役をそのまま再現した素謡「蟬丸」が大変良かったと伺いました。

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皆さんそれぞれが普段から熱心に稽古を積んでおられるので、年々レベルが上がっているのもこの京大宝生OB会の大きな特徴です。

またこのような確りとした母体があることで、卒業して少し稽古から離れてしまったOBOGも、また仕事などが落ち着いたらいつでも帰って来られるのが何より素晴らしいことだと思います。

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先週末は現役達の元気な全宝連の舞台があり、今週はそれに負けない盛大なOB会がありました。

京大宝生会の「現役」と「OB会」の両輪が、この先も揃って順調に回り続けていくように、私も微力ながらお手伝いして参りたいと思います。

塩竈の鳥瞰図

今日は仙台稽古でした。

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稽古場に到着すると、会員さんが鞄から何やら紙を取り出して見せてくださいました。

それは、昭和初期の仙台周辺を描いた古い「鳥瞰図」のコピーでした。

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そして、その鳥瞰図のうちの1枚に「鹽竈神社(しおがまじんじゃ)」と「松島」が描いてあったのです。

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昨年9月の「みちのくの千賀の塩釜」というブログで私は、現在の鹽竈神社から見える景色はそれほど絶景では無かった、と書きました。

それを読んだ会員さんが、「昔の鹽竈神社からは、おそらく松島までが見渡せて絶景だったはず」と、この鳥瞰図をわざわざ探してくださったという訳なのです。

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中央やや左下の丘の上に「鹽竈神社」があり、上部中央から左にかけて「松島」に連なる島々が描かれています。

そして鹽竈神社の背後はすぐ海で、景色を遮ぎる建物などは何もありません。

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塩竈港周辺が埋め立てられる前は、鹽竈神社から見える海の眺望は、確かに現在とは比較にならないほど素晴らしいものだったでしょう。

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更に中世まで時代を遡ると、塩竈の海岸には塩田の風景が広がっていたはずです。

そしてそこでは海水を煮詰めるための煙が絶えず立ち上っていました。

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海水の青、島々の緑、塩煙の白が一体となって織りなす景色は、まさに「絶景」と言えるものだったに違いありません。

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数々の歌に詠まれた「千賀の塩釜」の本当の姿を、1枚の鳥瞰図で少しだけ想像出来た気がして嬉しく思いました。

鳥瞰図を探してくださった会員さんに感謝いたします。

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今度はこの知識を持って、是非もう一度「鹽竈神社」に行ってみたいと思います。

日本女子大初稽古

今日は昼から江古田稽古でした。

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団体稽古を夕方に終えて、個人稽古の時間になってしばらく経った17時頃。

「お邪魔いたします」

と礼儀正しい声が聞こえてきました。

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稽古場に入って来たのは、日本女子大の新入生2人。

これまで日本女子大の和室で母親が稽古していたのですが、今日は初めて私が江古田稽古場で稽古することになったのです。

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記念すべき(?)初稽古は、「羽衣」の謡から始まりました。

ワキ「我三保の松原に上がり…」から、地謡「天人の五衰も目の前に見えてあさましや…」まで。

弱吟の8つの音の説明なども含めて、30分ほど稽古しました。

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2人ともちゃんと声が出ており、しかも素直な声質に聞こえました。

そして稽古が終わると2人仲良く足が痺れて立てないというのも、お約束でした。。

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少し足の痺れを直して、今度は仕舞「羽衣キリ」に取り掛かりました。

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今度は1人ずつのシテ謡です。

自分だけでは謡えません…というので一緒に謡ったのですが、聞いていた限りではちゃんと力の入った、やはり素直で大らかな謡でした。

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型も一緒にやれば完全について来れるレベルまで達していました。

私の経験からすると、この先半年も稽古すれば全宝連の学生達と比べても遜色無いほど上達するのは間違いないと思われます。

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2人は稽古後に母親と、夏休み中の稽古日程なども相談していました。

日本女子大の学風で非常に真面目な彼女達が、この先どのように稽古を重ねていくのか、そしてどんな舞台を見せてくれるのか。

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今日の初稽古を経て、非常に楽しみになって参りました。

「演歌の似合うねぶた」その後…

昨日は松本から青森に移動しての稽古でした。

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夕方青森に到着すると、まだ稽古開始までは1時間半ほど時間があります。

私はすぐに観光物産館アスパムに向かいました。

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正確にはアスパムの麓にある「ねぶた小屋」を目指したのです。

三角の巨大な建物が”アスパム”、その左下にあるクリーム色の倉庫のような建物が「ねぶた小屋」です。

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5月末の青森稽古の時に、夜遅くに演歌を流しながら作業している「ねぶた小屋」を見つけて、その後の様子が気になっていたのです。

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早速その小屋に行ってみました。

小屋は閉まっていましたが、隙間が開いており、中では作業が進められているようです。

「すみません、ちょっと見学させていただいてもよろしいでしょうか?」と中に声をかけると、幸いにも「いいですよ」とのご返事が。

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中にはかなり製作の進んだ「ねぶた」が並んでいました。

これは”七福神”でしょうか。

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龍の頭のようなものや…

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何だかわかりませんが大きな物が…。

製作途中でも圧倒的な迫力を感じます。

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そして今回私が何より気になっていたのが、「今日も演歌が流れているだろうか?」ということでした。

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…しかし結果的には、なんと演歌ではなく普通にラジオが流れていたのです。

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何となく少しだけ残念に思った私は、稽古を終えた深夜に再びねぶた小屋を訪ねてみました。

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やはりあの小屋には明かりが灯っています。夜遅くまで作業されているようです。

そして近寄って耳をすますと…

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なんと今度はヒーリング音楽が聴こえてきたのでした。。

演歌は前回たまたま流れていた、ということのようです。

ようやくスッキリしました。

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今回は他にも明かりのついた小屋がいくつかあり、ねぶた祭本番をひと月後に控えて製作作業も佳境に入っているようです。

テントに映る「ねぶた」のシルエットが綺麗でした。

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今年もねぶた祭本番は観られそうにありませんが、祭の成功を祈りつつ。

合掌マスター…?

全宝連の心地良い興奮が冷めやらぬまま、私は通常の稽古の日々に戻りました。

昨日は松本稽古でした。

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仕舞の稽古でちょっと面白いことがありました。

「敦盛キリ」と「女郎花キリ」と「花筐クルイ」の仕舞を順番に稽古した時のことです。

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これらの仕舞には、ある共通した型がありました。

「合掌」です。

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現代日本人が普通に「合掌」する時は、両手のひらを合わせますが、能の型の「合掌」は少しやり方が異なります。

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①扇を握っている右手を開いて、指を完全に伸ばして揃えます。

②同時に扇をひっくり返して持ちます。(紙と竹の境目付近を親指の付け根で挟み、要の部分が中指の先付近にあたるようにします)

③左手も右手と同様に開きます。

④両手のひらが上を向くようにして持ち上げていき、小指と薬指が触れるように身体の正面で合わせます。

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…というのが大まかな手順なのですが、この中の②の「扇をひっくり返して持つ」という箇所で、3人の方々が全く同じように苦労されていたのです。

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私は稽古の時には「親指と人差し指で扇を固定して持ち、残りの3本の指を扇の内側に握り込み、その3本を伸ばしていくと扇がひっくり返ります」

と教えるようにしています。

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ところがそのやり方でやっているのに、何故か結果的に全然違う持ち方になっており、ご本人も私も思わず笑ってしまう、というのが3回続いた訳です。。

昨日はその後も皆さんで顔をつき合わせて扇を何度もひっくり返している姿を横目で見て、微笑ましく思いながら続きの稽古をしておりました。

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…しかし、実は「合掌」にはさらに難しい段階が存在するのです。

それは、

「能面をかけて合掌する」

というやり方です。

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能面をかけていると、合掌する時の自分の指先が全く見えません。

つまり目をつぶって合掌するのと同じです。

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すると不思議なことに、持ち上げた両手の指先が前後や上下にずれてしまい、なかなかぴったり合ってくれません。。

確実に両手が合うには、経験と集中力が必要なのです。

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…というわけで、上記①〜④の合掌が出来るようになった方は、今度は目を閉じての合掌に挑戦してみてください。

それが出来るようになれば、立派な「合掌マスター」と言えると思います。

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次回の松本稽古で「合掌マスター」にお会いするのを楽しみにしております。

後半戦の舞台に向けて

私自身のシテ「鵜飼」と学生の「全宝連京都大会」という、いわば上半期の総決算の舞台があった6月が、昨日で無事に終わりました。

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今日から早くも今年の後半が始まります。

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土日の全宝連では、各大学が既に今後の舞台に向けて動き出しているというのを知りました。

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名古屋と金沢では、来年の年明けの学生自演会でそれぞれ奇しくも同じ「羽衣」の能を出すことがレセプションで告知されました。

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さらにこれは昨日の能「船弁慶」の時のこと。

義経を勤めた学生さんに烏帽子をつけながら、「今年は装束を着る機会は今回だけ?」

と聞いてみたのです。すると学生さんは眼をキラリと光らせて、

「いえ、秋の自演会でもまた着ます!」

と気合いに満ちた返事でした。

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そして我が京大宝生会も動き出していました。

全宝連終了後に、金剛能楽堂前で現役達に最後の挨拶をして、東京に帰ろうとした時のことです。

部長「先生、7月13日にBOXの使用が可能になりました。”竹生島”の最初の稽古をよろしくお願いいたします。」

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実は京大宝生会は、この秋の11月26日に開催される京大能楽部自演会「能と狂言の会」にて、能「竹生島」を演じることになっているのです。

その最初の稽古を、いよいよ来月から始めることになりました。

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ここ数年で能「巻絹」→能「経政」と積み重ねて来た経験を活かして、次の「竹生島」がどんな能になっていくのか。

そしてその本番までにどんなドラマが待っているのか。

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昨日一昨日の全宝連を経て、それぞれが大きく成長を遂げた京大宝生会です。

またそれは全国の学生さん達も同様だと思います。

頑張る全国の皆さんの姿を想像しつつ、京大宝生会は今年後半戦も充実した舞台を目指して参ります。

2019全宝連無事終了いたしました

今日も金剛能楽堂にて全宝連の第2日目が開催され、盛会のうちについ先ほど幕を閉じました。

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見所は終日大勢の学生とお客様で賑わい、おかげさまで最後の鑑賞能もほぼ満席になりました。

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昨夜のレセプションでは全国の各大学の部長から部の紹介がありました。

その中で、今年の新歓で10人近くの新入生が入った学校が金沢支部、名古屋支部、京都支部で3校もあり、それらの大学は全体人数が20〜25人になったそうです。

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他にも、部員が2人だけになっていたのが今年の新歓で人が入って、存続の危機を乗り越えたという学校もありました。

現在部員が少ない学校も希望を持ち続けてほしいと思いました。

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舞台では、京大宝生会は幸いに全員ミスも無く、稽古の成果を充分に発揮出来たと思います。

他にはやはり東大宝生会が良い舞台でした。先日の水道橋での関宝連から、更に稽古を積んでレベルを上げてきたのがわかりました。

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そして同志社宝生会の素謡「玉葛」は、舞台からはみ出すほどの20数名の大人数ながら、男女で良く声が揃っていました。

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逆に、シテ1人に地謡1人という最小人数の仕舞も何番かありましたが、それぞれ安定した舞と謡で感心しました。

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仲間の人数や、部を取り巻く環境がそれぞれ異なる中で稽古している学生達が、同じ舞台に集まり2日間にわたって時間を共有する。

これは実に尊いことだと思うのです。

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今回の全宝連でも、他大学の舞台を見て「上手いなあ」と思ったり、「良い曲だなあ」と舞いたい曲候補が増えたり、「頑張っているなあ」と励まされたり、色々な想いが心に刻まれたはずです。

中には人生を変えるような出会いもあったかもしれません。

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そのような貴重な舞台である「全宝連」が、発展傾向の中で今年も無事に開催できたのは本当に喜ばしいことです。

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この盛り上がりを引き継いで、来年の金沢大会も、またそれ以降もこの全宝連がますます発展していくことを願っております。

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実行委員始め学生の皆さん、全宝連京都大会の大成功おめでとうございます。