自治医大宝生会の未来

今日は自治医大能楽部宝生会の稽古に行って参りました。

今日の稽古場所は部室棟のエレベーターホールです。

そこに縦長のシートを3枚敷いて舞台にするのが自治医大流です。

足袋を履いて早速稽古の準備をしていると…

新入生「あ、どうもこんにちは」

私「おお!こんにちは。澤田と申します。よろしくお願いします!」

そうなのです。自治医大宝生会にはつい先日、1年生と5年生の2人の新入部員が入部したのです。

先ほど挨拶した人は1年生で、間も無く5年生もやってきました。

彼らとの初めての稽古になります。

先ずは先輩達も一緒になって、

構え、運び、サシ、巻きザシ、仕掛け、ヒラキ、左右、カザシと基本の型を稽古して行きます。

その後で1年生は「紅葉狩」、5年生は「鶴亀」の仕舞を稽古しました。

2人とも素直な型で、中々に良い筋をしています。

引き続き謡も「鶴亀」を稽古しました。

こちらも、難しい発音の「ノム」という謡かたなども2人ともすんなりとこなしていて、やはり良い資質を持っていると感じました。

先輩達3人も、今週末に開催される「関宝連」を控えて仕舞「嵐山」「加茂」「殺生石」と、素謡「加茂」をみっちりと稽古しました。

6年前に京大宝生会から自治医大に転学したたった1人の青年が、入学してすぐに立ち上げた自治医大能楽部宝生会。

その青年を含めた6年生達が3月に卒業して、この先は「第二世代」が自治医大宝生会の新しい歴史を作っていくのです。

今日は新人2人を含めた5人の部員を稽古しました。

それぞれが直向きに稽古に取り組んでおり、また私が直した部分を一生懸命に修正している姿を見て、自治医大宝生会の未来には希望が持てると確信しました。

今後何十年も続く宝生会になるように、私も精一杯頑張って稽古をしていきたいと思います。

鬘と葛

先日の「関西宝連」の後には、香里能楽堂近くのお店で後席(宴会ですね)がありました。

この後席もコロナの時には数年間出来なかったのです。

皆でご飯を食べながら、今日の舞台の話や学校の話などをして交流を深める貴重な機会です。

私も各テーブルを回って多くの学生さん達と話をしました。

普段よりゆっくり話せるので、私自身が勉強になることもありました。

文学部で、能「玉葛」を卒論の題材にするという学生さんの話を聞いていた時のことです。

学生さん「玉葛は源氏物語では”玉鬘”と書きます。能でも”髪”が重要なモチーフになっているのに、何故宝生流では”鬘”でなく”葛”と書くのですか?」

…なるほど。改めて尋ねられると、「玉鬘」を「玉葛」と書く理由は何故なのか、すぐには答えられませんでした。

また、学生さんは玉葛と似た雰囲気の曲で「浮舟」との比較も話してくれました。

しかしこの「浮舟」が宝生流には無いと話すと大変驚いていました。

確かに「浮舟」は他の流儀では大切にされている曲なのに、何故宝生流には残っていないのでしょうか。

「玉葛」に関しては色々と調べてみると面白そうです。

とりあえず来月の「全宝連金沢大会」でまた後席があるので、それまでに”葛”と書く意味などを調べてまたあの学生さんと話してみたいと思います

学校毎のカラー

昨日は香里能楽堂にて「関西宝生流学生能楽連盟自演会」が開催されました。

前身の「京都宝生流学生能楽連盟自演会」から数えると第130回になります。

コロナ禍を乗り越えて、ようやく学生能楽部の活動も軌道に乗って来ました。

序盤には各学校の新入部員達の”初舞台”の仕舞がズラリと並びます。

緊張感に満ちた初舞台は、懸命に舞う新入部員と、その舞に全力で合わせようとする地謡の先輩達の想いが見所にヒシヒシと伝わってきて胸が熱くなります。

力の入った舞や地謡からは各学校の”カラー”がはっきりと感じられて嬉しくなりました。

同じ謡を同じように謡っているのですが、同志社は同志社らしく、神戸大は神戸大らしい個性があるのです。

これらの個性は先輩から後輩に、稽古によって綿々と受け継がれて来たものでしょう。

学校毎の個性がはっきり出るのは、先輩達がしっかりと後輩の稽古をしている証拠だと思います。

コロナ禍の影響で一度途絶えてしまって、去年1人だけの新入生を得て復活したばかりの京都女子大には、今年3人の新入生が入って賑やかになっていました。

そしてその舞や謡は、私が昔から知っている”京都女子大宝生会のカラー”にちゃんとなっていました。

これから益々部員が増えて、新たな歴史を築いていってほしいと願っております。

京大宝生会にも5人の新入部員が入って嬉しい限りです。

早くも来月には次の舞台「全宝連金沢大会」が控えています。

私ももちろん金沢に行くので、今度は全国の皆さんの元気な舞や謡を観るのがとても楽しみです。

2025年京大新歓ワークショップ

一昨日の月曜日は京大宝生会の新歓ワークショップでした。

いよいよ京大でも本格的に新歓活動がスタートしたのです。

毎年少しずつ新しい試みをしている京大新歓ワークショップ。

今年は、

「装束をつけた現役が短い舞囃子を舞う」

というのが新企画でした。

新入生達に装束付けを見せるのもワークショップの一環です。

舞囃子というからには囃子方が必要なわけですが、今回は新3回生達が頑張って囃子方に挑戦してくれました。

3人の新3回生がそれぞれ大鼓、太鼓、笛を勤めて、非常に緊張しながらも立派な舞台になっていました。

最後に私が舞った舞囃子「船弁慶」などは、通常の「悪逆無道のその積もり〜」から始めて、舞働も入れたフルサイズの舞囃子でした。

その長い囃子を3回生の太鼓方がしっかりと打ってくれて、私は舞いながら

「みんなよく稽古して上達したなあ」

と感動してしまいました。

ワークショップの後は新入生達と食事に行き、中々良い感触でした。

ワークショップはもう一度する予定で、新歓活動はまだ始まったばかりです。

今年もなんとか頑張って新しい仲間を増やしたいと願っております。

自治医大の新歓スタートしました

今日は自治医大宝生会の新歓でした。

自治医大宝生会はこの3月に3人がめでたく卒業して、地元の秋田、群馬、鳥取でそれぞれ研修医として働き始めました。

残った現役は3人です。

新歓でできるだけ多くの新しい部員を獲得したいところです。

今日は寮内の和室に仕舞扇や能面を並べて、私がその前で謡をひたすら謡い、和室の前を通る関心を持っていそうな新入生を部員が勧誘する、という作戦でいきました。

すると謡い始めてすぐに、2人の新入生が和室に入ってきたのです。

これは幸先が良いです!

体育会系の男の子2人で、最初は能面に興味があるという話でした。

能面の解説から始めてなんとか型の体験に持っていき、「構えの手の握りは、小指に力を入れて親指は力を抜くようにします。これは剣道の竹刀を握る時も言われる事ですね」

と言ったら、ひとりの男の子の目がパッと輝いたのです。

「自分は野球をやるのですが、バットの握りも同じなのです!」

そこからは2人とも能楽に引き込まれたようで、私が高砂の仕舞を舞うと熱心に見入っていました。

新入生「今は色々本当に忙しくて、サークルを決める余裕がないのです。でも落ち着いたらまた見に来たいです!」

はい、是非是非!

今日は入部には至りませんでしたが、昨日の食事会にも何人か来てくれたようで、今年の新歓は良いスタートです。

自治医大宝生会は例年部員が入るのはゆっくりなので、焦らず着実に新歓活動を進めたいと思います。

桜と桃、そして南アルプス

しばらくブログ投稿をお休みしておりました。

また少しずつ再開したいと思います。

昨日は松本稽古でした。

この時期の特急あずさの移動は車窓からの景色が特に綺麗なのです。

まず東京は桜が満開でした。

これは東小金井あたり。

八王子を過ぎて山間部を縫うように進んでいくと…

やがて甲府盆地が見えて来ます。

この写真、拡大するとピンク色の部分があります。やや右下の部分です。

そう、この時期の甲府盆地と言えば「桃の花」なのです。

菜の花との共演。

盆地全体が桃の花で埋め尽くされた感じで、今年も桃源郷の世界を満喫できました。

甲府を過ぎるとやがて左手に南アルプスの山々が見えてきます。

小淵沢駅からの眺め。

左側に鳳凰三山(地蔵ヶ岳、観音岳、薬師岳)

右側に甲斐駒ヶ岳です。

雪と岩のグラデーションに光が差し込んで、神々しいような美しさでした。

「北アルプスは男性的で南アルプスは女性的」という表現をどこかで読んだことがあるのですが、目の当たりにする南アルプスの山々はとても雄々しく男性的な力強さを感じました。

松本に到着したら北アルプスの風景と見比べてみたい、と思っていたのですが、残念ながら北アルプスは大半が雨雲の中でした。

松本市内を流れる女鳥羽川の桜はまだまだ蕾で、信州の本格的な春はもう少し先のようでした。

桜満開の東京から早春の松本まで、花と山々の絶景を堪能した電車旅になりました。

80の舞台

今日は大阪の大槻能楽堂で「みおつくしチャリティー能」に出演して参りました。

能「羽衣盤渉」シテ石黒実都師の地謡を勤めました。

少し早めですが、今日の羽衣盤渉が今年最後の舞台でした。

そして試みに手帳で「今年出演した舞台の数」を数えてみたのです。

全部で80の催しに出演しておりました。

2日以上の催しもあったので、日数で言うと87日舞台に出ていたようです。

コロナ前に比べると舞台の数は減っていると思いますが、その中でも一度も休む事無く、全部の舞台を勤め終える事が出来ました。

あとは年末にかけて各地の稽古場を巡る日々です。

最後の稽古は12月30日になります。

もう一息、年末まで気を抜かずに頑張って稽古して参りたいと思います。

父親のこと

三重県の父親が先週木曜日、11月21日の朝に92歳の天寿を全ういたしました。

眠ったまま静かに亡くなったようで、とても穏やかな顔でした。

その前の週に施設の方から、

「全身のむくみがひどくなり、酸素濃度が低下して状態が良くない」

と連絡がありました。

本当は11月22日に見舞いに行く予定でしたが、急遽18日月曜日、宝寺稽古と京大稽古の合間に三重県の施設に会いに行くことにしました。

どんな様子なのか、少し恐る恐る父親の部屋に入ってみると、意外にも本人は普通に車椅子に座っており、状態は少し改善しているようでした。

ゆっくりですが会話も出来て、

「また来るね」

と握手して、別れ際には笑って手を振ってくれました。

しかし施設の方から、

「色々な数値は悪くなっています。この先、急に何かあった時には、夜中や明け方でもお電話して大丈夫でしょうか?」

と聞かれて、やはり良くない状態なのだと知りました。

それから僅か3日後の21日木曜明け方5時頃。枕元の携帯の着信で飛び起きた私は、着信番号が施設からのものであるのを見た瞬間に全てを悟ったのです。

能楽とは無縁だった父親ですが、趣味が多い人で施設での最後の半年は、絵を描いたり読書したり、和歌を詠んだりしてのんびりと過ごしていました。

棺には、スケッチブックと12色のペンシル、好んで読んでいた岩波文庫の「唐詩選」、そしてこれも大好きだった地元久居の銘菓「野辺の里」を入れておきました。

父親の通夜には、昼間に斎場の前を偶然通りかかったという絵画同好会のお仲間が、以前に描かれた父親の肖像画を持って来てくださいました。

趣味が多く友人も多く、医師なのに最後まで病院とは殆ど無縁の健康体で、苦しまずに大往生した父親は幸せだったと思います。

天上でもお菓子を食べて読書して、スケッチなどしながら穏やかに過ごしてくれたらと祈っています。

ひと息に冬へ

4日前の土曜日には、宝生会定期公演での能「夜討曽我」の主後見で、汗だくで働いておりました。

もちろん私だけで無く、シテもツレもみんな口を揃えて

「舞台が暑かった!」

とやはり汗にまみれて言っていたのです。

しかし昨日から今日にかけて、季節が一変してしまいました。

気持ちとしては一気に夏から冬です。

しかも私は昨日今日は北の街、青森稽古だったのです。

夕方に青森に着くと気温は3℃。

暑がりの私も流石に震え上がりそうな温度です。

しかし天気予報をちゃんとチェックしていました。

新幹線で上野を出る時はシャツ一枚だけの軽装。

でも荷物にはカーディガン、ジャケット、マフラーを装備して、青森到着前にそれらを着込んでいたので寒さはそれほど感じませんでした。

北の街は暖房設備が充実しているので、稽古場の公民館で仕舞を始めるとむしろ暑いくらいです。

すぐにまたシャツ一枚に戻ってしまいました。。

そして今朝青森を出て上野に向かう新幹線に乗ると、車窓からは白くなった八甲田山が望めました。

今シーズン初めて見る雪景色でした。

まだ綺麗な紅葉をみていないので、どこかで今年の「秋」も味わってみたいものです。

藤原清貫という人物

私は現在、能「雷電」の地謡を覚えるのに必死になっています。

この曲は宝生流では「来殿」という曲名に変わって、後半の謡が全く違うものになっているのです。

長らく演じられていなかった宝生流の「雷電」ですが数年前に復曲されて、今回は11月24日に熱海のMOA能楽堂で辰巳満次郎師によって演じられます。

前半の地謡は「来殿」と同じですが、後半の「雷電」部分の地謡は馴染みが無いので、中々覚えられずにいます。

そこで「雷電」という曲の元になったという

「清涼殿落雷事件」

について調べてみることにしました。

何か覚えるための手掛かりになるかと思ったのです。

「清涼殿落雷事件」とは、

延長8年(西暦930年)6月26日に内裏の清涼殿と紫宸殿を激しい落雷が襲い、死者5名、重傷者4名という宮中においては未曾有の大惨事になった出来事です。

中でも清涼殿の中に居ながら雷の直撃を受けて即死したという、最も悲惨な犠牲者の名前を見て私は驚愕しました。

「藤原清貫」

…実はこの人物、能「蝉丸」でワキとして登場するのです。

帝の密命を受けて、第四皇子である「蝉丸」を逢坂山に連れて行き、出家させて捨て置いてくるという役柄です。

そして清涼殿落雷事件をさらに調べると、この「藤原清貫」は太宰府に左遷された「菅原道真」の動向監視をせよという”密命”を藤原時平より受けていたようなのです。

その為に菅原道真の強い恨みを買い、怨霊となった道真による雷撃で殺された、という噂が広まったそうです。

様々な秘命を受けて、宮中の闇の中の仕事をする男…

などと考えると、「藤原清貫」を主人公にした小説が書けそうな気にもなってきます。

清貫の他のエピソードや人物像などの資料があるかどうか、また探してみたいと思います。

というわけで、「雷電」を覚える手掛かりを探した結果、思わぬ人物に辿り着きました。

「雷電」の背景も少しわかったので、先ずは頑張って地謡を覚えようと思います。

藤原清貫のことをさらに調べるのはその後で。