2024年夏の自治医大合宿

皆様 お久しぶりでございます。

猛暑と仕事の山場が続いて、ブログをお休みしておりました。

松本城薪能の能経政シテや、七葉会などのいくつかの大きな舞台がおかげさまで無事に終わりました。

そして今週は自治医大宝生会の夏合宿に行って参りました。

場所は奥日光の中禅寺湖畔にある自治医大の研修施設です。

研修施設に到着すると…

なんと熊さんのポスターがお出迎えです。。

最近は全国的に熊の出没が増えているようです。

幸い合宿中に遭遇することはありませんでした。

春の自治医大合宿では何人かの部員が体調不良でお休みだったのですが、今回は新入生も含めたフルメンバーが参加してくれました。

京大若手OBの2人も参加して、私を含めて総勢9人という過去最多人数の賑やかな合宿になりました。

謡「黒塚」と、各自一番ずつの仕舞、そして自治医大にとっての”初舞囃子”を目指して全員揃って「中之舞」を稽古しました。

新入生には少々情報量の多い合宿でしたが、

「夏の成果は秋に出る!」

という受験勉強のような格言を言って励ましながら、なんとか全員が目標の稽古をクリア出来ました。

最終日には中禅寺湖から更に奥の「湯ノ湖」や「戦場ヶ原」まで足を伸ばして観光しました。

上は部員が撮影した「湯ノ滝」です。

実に涼やかです。

実際に真夏の奥日光は涼しくて、なんと2泊3日の間はエアコン無しで過ごせたのです。

稽古、食事、観光ともに誠に充実した合宿でした。

2024年夏の素晴らしい思い出として、部員達の心に刻まれた事でしょう。

もちろん私の心にも。

自治医大の自由な稽古

今日は久しぶりの自治医大宝生会の稽古でした。

先月の「全宝連」以来の稽古で、当初の予定では8月にある夏合宿に向けて、とりあえず仕舞と謡の曲を決めて、少し稽古を始めてみようかという話でした。

しかし稽古の中で、「実は10月の文化祭で何か仕舞を出したいのです」という話が出て、見栄えが良くストーリーもわかりやすいものを、と考えて「経政キリ」はどうかという話になりました。

まだクラブとして若い自治医大宝生会では、経政キリのように扇を2本使う「二本差し」という仕舞は未経験の部員が殆どです。

そこで今日は、1年生から6年生までとにかく全員で「経政キリ」をみっちりと稽古することにしました。

一本の扇は刀に、もう一本は盾に、という二本差しの基本がやはり難しいようで、皆それぞれ苦労して扇を扱っていました。

しかしなんとか頑張って、数時間の稽古で全員が一応ひと通り経政キリが舞えるようになりました。

自治医大宝生会はこのように、歴史が若い分、自由な稽古形態がとれます。

夏合宿では、今度は全員で「中之舞」をマスターするという稽古もしてみたいと思っております。

立ち飲み居酒屋新幹線

いつかはこんな日が来ると思っていました。。

今日は亀岡稽古を夜に終えて、帰りの新幹線で晩御飯を食べながら帰ろうと思ったのです。

いつも行く京都駅近鉄エリアにあるマーケットで食糧を買い込みました。

空豆、アジの南蛮漬け、チャーシューメンマ、チキンカツ明太子のり弁当

という我ながら美味しそうなラインナップです。

ビールなども買って、勇躍新幹線ホームに上がり、やって来た新幹線の中の様子を見て愕然としました。

自由席が絶望的な混み方なのです。

考えてみれば今日は、学校が夏休みに入って最初の週末の日曜日なのでした。。

実はこれまで新幹線で晩御飯を食べようと思って、座れなかったことが一度も無かったのです。

しかし今日は自由席通路まで人が溢れかえっています。これは絶対に座れません。

手にはズッシリと食べ物飲み物が入った袋…

なんとか晩御飯を食べる場所を確保しなくては。

自由席は早々に諦めて、指定席の空き席を探す事にしました。

ところが今日は指定席もほとんど埋まっているのです。

グリーン車ゾーンも過ぎて、これはいよいよ詰んだかと思ったその時…

12号車のドア横にこんな表示が。

そして公衆電話があった台は…

小さいながらも物が置けるスペースになっており、私の脳内には「立ち飲み大衆居酒屋」というワードが浮かんだのです。

第一弾の鯵南蛮漬け、空豆、チャーシューメンマを広げて、ビールで乾杯。

なんとか「立ち飲み居酒屋新幹線」を開店して、それなりに幸せなひと時を過ごしたのでした。

この先も、こんな状況に陥った時には迷わず12号車に向かおうと思います。

翁最中の餡は”松の翠”

今年1月25日に書いた「翁堂の翁最中」というブログに、本日コメントを頂戴いたしました。

私のブログでは、松本の老舗菓子店「翁堂」の翁最中は中の餡が緑色で、これは翁が宇宙人という説に則ったものでは…

という内容をちょっとコミカルに書かせていただきました。

しかし頂いたコメントでは、

「餡の緑色は”松の翠”をあらわしているのでは」

と書かれていたのです。

茶道の表千家では、初釜に「常盤饅頭」というお菓子を用いるそうです。

そのお饅頭には”千年変わらない松の翠”を表す緑色の餡が使われているという事なのです。

成る程、確かに翁の詞章には「千秋、千年、千歳」などの言葉が出て来るので、そこに”松の翠”を結び付けて餡を緑色にするのは理にかなっています。

コメントの方は「個人的には翁宇宙人説が面白くて好きです」と書いてくださいました。

しかしコメントを拝読した私は「松の翠説」が明らかに正解だと確信できて、何かモヤモヤがスッキリと晴れた気持ちになりました。

素晴らしいコメントどうもありがとうございました。

木彫の狐像

今朝は青森駅近くの宿のチェックアウトから東北新幹線までに時間があったので、青森駅から新青森駅まで歩いてみました。

これまで度々歩いたことのある、1時間ほどの気持ちの良い散歩道です。

途中でいつも曲がり角の目印にしている”稲荷神社”と額の打ってある小さな神社にさしかかりました。

鳥居の手前でちょっと頭を下げて通り過ぎようとしたのですが、何か違和感を感じて戻ってみました。

鳥居の向こうの社をよく見て、違和感の正体に気づきました。

稲荷神社では狛犬の位置に「狐像」がありますが、ここではそれがとても変わっていたのです。

対になる方はこんな感じ。

これまで私が見て来た狐像は、狛犬と比べてホッソリとしたシルエットでした。

能「小鍛冶」の後シテが被る「狐台」の狐もやはり細くて軽快な印象を与えるものです。

それがこの小さな稲荷神社の狐像は、ずんぐりとしていて、丸太から直接彫り出したのがわかるように少々荒っぽく仕上げてあります。

無骨で、どことなく「円空仏」を思わせる彫刻です。

北米先住民族の「トーテムポール」にも通じるような、強さの中に、それでも狐の可愛らしさも無理なく同居していて、私はこの狐像がとても気に入ってしまいました。

社務所も無い小さな神社で、この狐像の由来を聞く事はできませんでした。

でも横に公民館があったので、次の機会に思い切って公民館に入ってこの「木彫の狐像」の事を聞いてみようかと思います。

ねぶた小屋の夜

今日は7月16日。ただ今の時刻は19時です。

京都では今頃、祇園祭の宵山で賑わっているのでしょう。

一方の私は、北の街に来ております。

現在の気温は24℃ほどで、とても過ごしやすいです。

京都祇園祭は今月が本番ですが、青森の「ねぶた祭」は来月8月2日〜7日が本番なので、今がねぶた製作の真っ最中なのです。

今年もねぶた製作を見学に、ねぶた小屋に向かいました。

三角形の「アスパム」の麓、写真の左下に「ねぶた小屋」が並んでいます。

今は夜なので隙間からちょっと覗く事しかできません。

しかしこの時間でも小屋の中には煌々と明かりが灯り、人々が作業しています。

これは龍ですね。

こちらは武将。

題材がわからないのが残念ですが…。

そして今回は、完成したねぶたを載せる”台車”

を見つけました。

この巨大な台車がアスパムの麓に何台も据え置かれて、ねぶたの登場を待っていました。

…実は私は、ねぶた祭も、祇園祭の山鉾巡行も、生で見た事が一度も無いのです。

そろそろ一度くらい眼の前で観てみたいものです。

…そして更に続きです。

稽古を終えた22時頃に、私は再びねぶた小屋を訪ねてみました。

やはりまだ作業は続いていました。

先ほどの龍のねぶた小屋を始め、半数近い小屋に人の姿があり、音楽を流しながら作業されているようでした。

おそらく仕事を終えてからねぶた小屋に来て、夜を徹して作業されるのでしょう。

人々の熱い思いの詰まったねぶた祭、成功をお祈りしております。

“静”から”動”へ

今日明日の二日間、水道橋宝生能楽堂にて

「宝生能楽堂四十五周年記念公演」

が開催されます。

初日の今日は、私は宝生和英御宗家の能「翁」の後見を勤めさせていただきました。

1月に「翁」の初シテを勤めさせていただき、今回はまた初めての「翁」の後見で大変貴重な経験になりました。

「翁」は非常に静かに始まります。

幕が開いてから面箱、翁、千歳、三番叟などがゆったりと歩いて登場して、そこから翁が座に着いて、面箱が翁の面を箱から出して蓋に置くまで、一切無音で時間が過ぎて行きます。

一方で切戸の内では15人近い能楽師が、「ある瞬間」を待ってじっと待機しております。

「ある瞬間」、

つまり「面箱が白式尉の面を蓋の上に置いて準備を終えて、両袖の露を取って立ち上がる瞬間」

が来ると、切戸がサッと開いて、シテ方の後見、囃子方後見、地謡がドッと舞台に出て行きます。

橋掛からも千歳、三番叟、囃子方などがやって来て、あれよという間に20人ほどが舞台や横板の定位置に着きます。

ほとんど間を置かずに笛と小鼓の演奏が始まります。

切戸がサッと開いてから笛の吹き始めまで、30秒も無いと思います。

このスタートの仕方は”緞帳”の無い能舞台の特徴を活かして、

「幕開けから準備段階までの”静”の時間」を全て見せる事によって、

「演奏が始まる時の”動”への転換」をより鮮烈に見せる効果を狙っているのかとも思われます。

この”静”から”動”への鮮やかな舞台転換もまた、能「翁」でしか味わえない醍醐味だと思います。

現場主義の玄翁和尚

昨日の神保町稽古には、山形県新庄の曹洞宗のお寺で僧侶をしている京大宝生会若手OBが久しぶりに来てくれました。

謡稽古は「殺生石」で、いつも曲の解説資料を作って来てくださる会員さんに今回も解説をしていただきました。

それを聞いてちょっと驚いたのが、ワキの「玄翁和尚」が”曹洞宗”の高僧だったという事です。

たまたま今回来てくれた京大OBと同じ宗派だった訳です。

解説も会員さんと若手OBが交互にする形になりました。

会員さん「玄翁和尚は、總持寺の”峨山禅師”に入門して、”二十五哲”の1人と数えられた偉い僧侶です」

おお成る程。

若手OB「でも…」

ん?

「実は總持寺から”出禁”になった事があるんですよね」

何と!それは一体なぜですか?

「玄翁和尚は、總持寺の経営に参画する立場だったのに、總持寺にはあまり寄り付かずに、諸国を巡って布教活動ばかりしていました。

それで、玄翁さんが亡くなった後に、厳密には玄翁和尚の弟子達が一時期總持寺から出禁をくらってしまったのです」

成る程。事務的な仕事よりも現場で働く方が好きな人だったのですね。

何となく玄翁和尚への好感度が増しました。

若手OB「殺生石以外にも、北は秋田から南は鹿児島まで、玄翁和尚が”悪龍”を退治した、というような伝説は多く残っています」

それはまた興味深いです。

今後どこかの土地で玄翁和尚の足跡を見つけることができるかもしれません。

また移動の楽しみがひとつ増えました。

束の間の涼しさ

連日信じられない程の暑さが続いています。

暑さが一番の苦手な私にとって、家から稽古場に行く道のりが本当に難行苦行で、稽古よりも移動で体力を使っている感じです。

しかし、今日の移動した先はちょっとだけ気温が低めでした。

16時半で26℃です。

小雨模様で湿度はありますが、東京のサウナのような空気に比べたら大分ましです。

さてここはどこでしょうか…?

答えは「仙台」でした。

今は街中に「すずめ踊り」のポスターが貼られています。

有名な「仙台七夕まつり」は来月8月6〜8日だそうで、「すずめ踊り」は7月の目玉なのでしょう。

今日は束の間の低めの気温を満喫(?)して、また明日からは東京、関西の暑さに何とか耐えていきたいと思います。

お祭りを終えて

全宝連京都大会から1週間と少し経ちました。

あの舞台では、みんな春先からの稽古の成果を遺憾なく発揮してくれました。

そしてそれからの1週間の間に早くも、京大と自治医大から「夏合宿のご案内」というメールが届きました。

京大からは、「秋の京大能楽部自演会の舞囃子のご相談」というメールも来て、既にシテと候補曲も決まっているようでした。

お祭りのような大きな舞台を終えて、この先は合宿と稽古で地力をつけて、また次の大きな舞台へのチャレンジが始まるのです。

…しかし、学生さん達はその前に大変な実習や前期試験などが待っているはずです。

とりあえず学業のヤマを越えて無事に夏休みが迎えられるように祈っております。