続報・しどろもどろ

先日の「しどろもどろ」のことについて、読者の方から何通かメールで情報をいただきました。どうもありがとうございます。

色々興味深いのですが、実はより混迷を深めた所もあるのです。

例えば「よろよろ歩く。左乱足  右乱足 シドロモドロ」という内容が古語辞典にあるそうですが、「左乱足  右乱足」でシドロモドロと読むのでしょうか。

また、難解な読みの漢字の中に「取次筋斗」という字があり、なんとこれが「しどろもどろ」と読むのです。

「翻筋斗打つ」で「もんどり打つ」と読むこともあり、「もんどり」が転じて「もどろ」になったという説があるようです。

通常の説は「まだら」が「もどろ」に変化した、というものなのですが、こうなると昨日の「花かつみ」のように、真相が何処にあるのかさっぱりわからなくなって来ました。。

また全く別の切口で、英語で「しどろもどろ」に近い発音の言葉を探してくださった方も。

・citrus modulus(柑橘類の係数)

・Siddharta (the) mutterer (ぶつぶつ呟く人 シッダールタ)

…。私が発音すると、それこそシドロモドロになりそうです。

「しどろもどろ」という単語だけでこれ程色々考えられるとは思いもよらないことでした。

他にも何か知識をお持ちの方は、どうかお知らせくださいませ。お待ちしております。

花かつみ

先日書いた東京の「隙間花壇」のシャガは既に花が終わっていましたが、今日京都の少し北の方ではまだシャガが満開でした。

京大宝生会の学生に興味深いことを聞いたのですが、「花かつみ」とはこのシャガのことを言うのだそうなのです。

「陸奥の安積の沼の花かつみ」とは、能「花筺」のいわゆるクルイの部分のシテ謡ですが、この花かつみがシャガのことだとは、全く思いもよらないことでした。

しかしちょっと調べてみると、更に面白いことがわかりました。

「花かつみ」が何の花なのかは実は諸説あって、松尾芭蕉などは奥の細道の中で、「かつみかつみと尋ね歩き」、日暮れまで探しても結局何の花かわからなかったそうです。

他にも「かきつばた」が花かつみである、という説や、「まこも」という植物がそうである、という説もあり、その中で「安積の沼」の地元である郡山市がシャガの一種である「ヒメシャガ」を「ハナカツミ」として市の花に指定した、ということらしいのです。

花筺のシテ照日の前が、継体天皇の花筺を手に越前から大和国に向かったのは秋ですが、継体天皇が皇子だった頃に日々天照大神に捧げた花の中に、ヒメシャガが入っていた可能性は十分にあります。

花筺クルイを舞う時に、ひとつのイメージとして花筺の中のヒメシャガを想像して舞うのも、また良いかも知れないと思いました。

しどろもどろ

昨日の舞台で仕舞「鳥追」を謡いましたが、その中に「しどろもどろ」という言葉が出て来ました。

シテが特徴的な足拍子を踏む所です。

能は室町時代の言葉で構成されているので、現代には残っていない表現が多く、また単語の細部が微妙に異なることも多々あります。

その中で「しどろもどろ」のように今と全く同じ表現を見つけると、ちょっと嬉しくなってしまいます。

しかし、ふと違和感も覚えました。

現在の「しどろもどろ」は、何か喋ろうとする時に言葉が上手く出てこない、という場合に用いられます。

ところが「鳥追」では、「しどろもどろに鳴る鼓の」と鼓の鳴り方を表すために使われているのです。実際シテも足拍子で鼓の音を表現しています。

そう考えると、能「加茂」で雷神の鼓の音をやはり足拍子とともに「とどろとどろ」と言うのと近い気がします。

そう思って「しどろもどろ」の語源を調べてみたのですが、「鼓の音が元になっている」、と言っているテキストは全然無くて、「言葉に詰まった時の様子」という説明しかありませんでした。

「しどろもどろ」と鼓の音の関わりは、確かにありそうなので、これからまた調べて行きたいと思います。何方か御存知の方がいらしたらどうか教えてくださいませ。

謡をやっていると、日本語の奥深さ難しさを日々実感させられます。

正しく豊かな日本語表現の出来る日本人になりたいものです。

初夏の風に吹かれて

現代においては能舞台は殆どが完全に室内に造られていますが、元々は屋外に面した造りでした。

室内にありながら能舞台に屋根があり、周りに白州があるのは、野外にあった頃の名残という意味でもあります。

その頃の白州の上には屋根は無く、刻々と角度を変える日光を反射して、舞台を効果的に照らす役目を果たしました。

能のいわゆる「五番立て」という分類は、太陽の動きに合わせた順番立てでもあるのです。

今日はその昔ながらの様式に沿って造られた、屋外に面した舞台での仕事でした。

朝一番に舞台に出ると、清冽な風が吹き抜けて、鳥の声を聴きながら謡を謡います。

陽が高く昇るにつれて、舞台は明るくなっていきます。小さな虫が飛んでいますが、風があるのですぐにどこかに行ってくれます。

午後に入ると、初夏らしく空気が暖まって来ました。舞台は少し気だるいようなふわりとした雰囲気に包まれます。

今日の天候が理想的だったというのもあるのですが、本当に外の空気を感じながらの舞台は素晴らしいと思いました。

仕舞や連吟などそれぞれの番組が、舞台を取り囲む外界の様々な変化で文字通り「自然に」味付けされて、何とも味わい深いものになっていました。

勿論、強い風雨や暑さ寒さには弱い点がありますが、屋外に面した能舞台での会がある時には、是非一度観に行かれることをお勧めいたします。

私の澤風会も、もしいつか機会があれば、今日のような舞台で発表会が出来たら良いなと思いました。

名前同志で引かれ合う?

世間はゴールデンウィーク真っ只中ですね。しかし昨日と今日は連休の谷間で、仕事や学校も普通にあるようです。

京大宝生会は結局連休前には1人だけの入部で、後は連休後に期待か…と思っていました。

ところが昨日の稽古にはなんと8人くらい見学に来て、1人新たに入部してくれたそうです。

この辺の新入生の動きの読めなさが、新歓の難しくまた不思議な所です。

不思議と言えば、何故か同時期に同じ苗字や似た苗字の人が入って来ることが多いのです。

「名前同志が引き合う」というのは非科学的な考えですが、例えば私の現役時代の3回生は「なかむらさん」が2人。私の同期は「たかはしさん」と「たかくわさん」。過去には他にも「なかむらさん」と「なかがわくん」、「よしだくん」と「よしださん」、「おおつきさん」と「おおたさん」などが同期でいました。

昨日入部した男の子も、実は現役4回生と同じ苗字らしいです。

ちなみに能においては、「夜討曽我」でシテの「曽我五郎時致」と戦う相手が「古屋五郎」と「御所の五郎丸」です。

こちらは名前ですが何故か「五郎」の相手は「五郎」ばかりなのです。

変わった所では、キンキキッズの2人が同じ苗字なのも全くの偶然だそうです。

苗字や名前で引かれ合う縁というのも確かに存在するような気がして、不思議なことですが大変興味深いです。

阿漕が浦

今日から5月に入りました。私の誕生月で、今頃の季節が私は一番好みです。

私が生まれたのは三重県津の辺りで、実は能「阿漕」の舞台となった阿漕が浦もすぐ近くなのです。

「あこぎ」というと、現代においては「あこぎな商売をする」というように「悪どい、欲深い」と言った意味で使われます。

能においても、「罪深い事を何度も繰り返して、やがて露見してしまう」というやはりネガティブな意味で「あこぎ」という言葉が用いられています。

ところが、私の故郷においては実は「あこぎ」は親孝行な息子で、病弱な母親の為に危険を顧みず密漁をした、という美談として伝わっているのです。

息子の名前は平治と言って、密漁から逃げる時に平治の名前が入った笠を海岸に落として帰った為に捕らえられました。

地元では、平治の笠を象った「平治煎餅」というお菓子まで売られています。

今週土曜日の七宝会において私は能「阿漕」の地謡に入ります。今日は申合があって、地を謡って参りました。

シテは密漁の咎で地獄の責め苦を受け、ワキに救いを求めながら、最後まで成仏に至らずにまた波の底に消えていきます。

しかし阿漕が浦近くの生まれの私としては、ちょっとシテに肩入れして、「そこまで責めなくても良いのでは…」と思ってしまうのでした。

隙間花壇

何の写真かと思われるでしょう。

これは東京の下町にある私の自宅マンションと、隣のマンションの間の隙間なのです。

ますます何のことかわからなくなって来ますね。隙間には消火栓や街灯があって、雑草が手入れも無く繁って…と私も暫くの間思っていました。

毎日前を通るうちに、ふと気がつきました。

「よく花が咲いているなあ」

季節が変わる度に、その季節の花が、少しずつですが代わる代わる咲くのです。

能に関係がある花だと例えば「シャガ(敦盛や芦刈で葉っぱを作り物に使う)」や「ヒナゲシ(虞美人草)」。

他にも水仙、菫、紫陽花、曼珠沙華、また私の知らない花々が交代で数本ずつ姿を見せてくれます。

誰が世話をしているのか全くわからないのですが、気がついてみると明らかに一定期間できちんと手入れされている「花壇」でした。
立ち止まって見ている人は皆無なので、殆どその存在は認識されていないと思われますが、私は日々前を通るのが密かな楽しみになっています。

野の花は野山に自然に咲くのが一番とは思いますが、東京の真ん中で四季を教えてくれるこの「隙間花壇」も、違った意味でしみじみ良いなあと思うのです。

今はシャガが終わって、紫陽花の開花を待っている所です。

写真の下の方にある尖った細長い葉っぱがシャガで、街灯を包むように繁っているのは紫陽花と額紫陽花です。紫陽花が開花したらまた写真を載せたいと思います。

夏の曲

田町稽古場では、今稽古している謡の団体稽古曲がもうすぐ終わります。

新しい曲の候補があればお知らせください、とお願いしていたら、今日お弟子さんからメールが届きました。

「次の曲は夏に向けて、加茂、氷室、草紙洗などはいかがでしょうか?」

どれもとても良い選曲です。

「加茂」の最初のシテとツレの謡は、盛夏の京都のあの暑さの中、通り雨がさっと過ぎて、一時涼風が吹き抜けた鴨川の風景が見えます。

「氷室」。京都北山の森の奥の奥に今も残る氷室跡を見に行ったことがあります。車の離合が困難な細い山道を辿った先に隠れ里のような氷室集落があり、その里山に氷室跡がありました。夏の一夜、氷室神の来臨と共に辺り一面氷に包まれる氷室を想像すると、むしろ寒さすら感じます。

「草紙洗」。曲としては春の曲ですが、小野小町が詠んだのは「水辺の草」という夏の歌でした。

この中から次の稽古曲が選ばれると思います。

すっかりブログ中心になってしまいましたが、当ホームページは澤風会の会員募集の目的で立ち上げたものなのです。

新しい曲が夏に向けて始まる田町稽古場。この機会に謡を始めたいと思われる方は、是非お問い合わせフォームよりご連絡くださいませ。

どうかよろしくお願いいたします。

曲名看板3

今日も京大稽古に何人か新入生が見学に来てくれました。今頃現役と晩御飯を食べているはずで、何とかそのまま入部してくれると良いです。

今日は曲名看板シリーズです。正確には「こぐー」と読むらしいですが、能楽関係者は是非「こごー」と発音してほしい所です。

番台の女性が薙刀を持っているかも…

ハイツかも…

ちょっとリッチかも…

カフェかも…でも定食屋かも…

今日は以上です。曲名では無く、能楽用語看板シリーズも集めていますので、いつか公開したいと思います。

牡丹の花房匂い満ち満ち…

「立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花」とは美人の例えですが、牡丹の花は能「石橋」においては、作り物として舞台を華やかに彩ります。

宝生能楽堂の作り物の牡丹は実際の牡丹と比べるとかなり大きく、花の作り物の中では最大の大きさだと思います。

通常の石橋では紅白二色の牡丹が出ますが、宝生流の小書「連獅子」になると、紅白に加えて薄桃色の牡丹も出て、より華やかさが増します。

今は丁度牡丹が咲く季節です。亀岡稽古場には牡丹が沢山あるので、上手くすると満開の牡丹が見られるかもしれません。今日は期待して稽古場に向かいました。すると…

やはり咲いていました!白は満開までもう一息。

赤はまだ咲き始めでした。


一番見事だったのがピンク色。なんと石橋連獅子に使う3色が揃っていたのでした。

作り物では偶に本物の草花を使うことがありますが、石橋の場合は作り物が本物よりも大きいので、それは難しいと思います。

しかしこの見事な亀岡の牡丹が三色揃って舞台に出たら、さぞかし舞台映えするだろうと思いました。