本日の五雲会にて、能「半蔀」が何とか無事に終了いたしました。
猛暑の中、お忙しいところ沢山の皆様にお越しいただきまして、本当にありがとうございました。
今回もまた、終了後に沢山のご感想やご注意や、今後の課題をご指摘いただきました。
この位置から少しずつでも進歩していけるように、明日からまた稽古に励んで参りたいと思います。
これから宝生能楽堂にて、本日使用した胴着や襟、その他諸々の品々を片付けてから帰路につきたいと思います。
重ねて本日はどうもありがとうございました。
本日の五雲会にて、能「半蔀」が何とか無事に終了いたしました。
猛暑の中、お忙しいところ沢山の皆様にお越しいただきまして、本当にありがとうございました。
今回もまた、終了後に沢山のご感想やご注意や、今後の課題をご指摘いただきました。
この位置から少しずつでも進歩していけるように、明日からまた稽古に励んで参りたいと思います。
これから宝生能楽堂にて、本日使用した胴着や襟、その他諸々の品々を片付けてから帰路につきたいと思います。
重ねて本日はどうもありがとうございました。
連日暑い日が続いております。
京都では今日は祇園祭の宵々々山だったのでしょう。
私はと言えば、明日に迫った能「半蔀」に向けて、最終の稽古を水道橋宝生能楽堂でして参りました。
たまたま本番とほぼ同時刻の14時半頃に稽古出来たのですが、やはり暑さが一番の問題でした。
しかし暑さも含めて色々調整出来ましたので、あとは明日、幕の前に良いコンディションで立てるまで、色々気を配って過ごしたいと思います。
…明日の舞台にいらしてくださる方々には、特に私の半蔀を御覧いただくにあたって、僭越ながらお願い致したい事がひとつございます。
それは、「今晩はどうかよく睡眠をとってから、明日の五雲会にいらしてください」という事なのです。
能「半蔀」は、おそらく私がこれまで勤めた曲の中で、最も眠りの世界に近い曲目だと思われます。
曲中で作り物の蔀戸が二重に見えて来た方は、ひとつは眠りの世界への門なので、くれぐれもそちらには行かないようにしてくださいませ。。
とはいえ能を観ながらうとうとするのは、私の経験上誠に心地良い時間です。能を見ながらの睡眠は、脳内にα波が出て身体に良いと聞いたことすらあります。
私自身も学生の頃は、見所で寝てしまって曲が終わった時の拍手で目覚めて、慌てて拍手をする、ということもありました。
しかしながら明日は、出来ましたら半蔀の朧げな世界に浸っていただいて、なおかつ現実世界に留まっていただければありがたく存じます。
明日は沢山の方々と能楽堂でお会い出来るのを楽しみにしております。
どうかよろしくお願いいたします。
今日は水道橋宝生能楽堂にて五雲会の申合があり、私の「半蔀」も先ほど終わりました。
いつものように色々な御注意を頂き、明後日の本番までに最終調整をもうひと頑張りしたいと思います。
今年シテを勤めた「兼平」と「百万」の時には、稽古と平行してシテの人物像に迫ろうと色々調べたりしました。
しかし今回の半蔀のシテ「夕顔」は、ちょっとその作業が難しいと感じています。
「夕顔の上」は人物名としては、「兼平」や「百万」よりも有名だと思います。
しかしながら能「半蔀」のシテは、「源氏物語の夕顔」と、「植物としての夕顔」が微妙に融合した、能固有の存在であると思われるのです。
私の考えたところでは、前シテの夕顔は「植物」の部分が主体であり、後シテは同じ夕顔でも「人間」の要素が強くなり、特に後半の「クセ」に入ってから以降は、完全に源氏物語の「夕顔の上」になっていると思います。
そしてまた序の舞が終わってからの最後のシーンでは、花なのか人なのか判然としない存在となって消えていくのです。
今回はこの曖昧な「夕顔」の輪郭はあえてはっきりと捉えずに、植物と人間の間で移ろうあわあわとした儚い空気感を、そのまま表現するような事が出来たらと思っております。
明後日の五雲会に皆様どうかいらしてくださいませ。
よろしくお願いいたします。
1月26日のブログで「マスクの効用」について書きました。
これは、あくまで私の感覚ですがマスクを着けると能面と似た負荷が顔にかかり、いざ舞台で面をかけた時に違和感無く舞える気がする。
またマスクで階段を昇り降りすると更に効果が増す気がする。というような内容でした。
あの頃は真冬で風邪も流行っており、マスクをするのがむしろ当たり前でした。
実は私はここ数日、久々にまたマスクを着けて生活しております。
これは風邪予防ではなく、今週末の五雲会での能「半蔀」シテに向けての対策なのです。
私は何度も書いているように暑さが大の苦手で、ここ最近の暑さで面をかけて稽古すると、汗は目に入るし、息はすぐに苦しくなってしまいます。
この感覚に少しでも慣れようと、平常時からマスクで顔に負荷をかけようと言う訳です。
夏のマスク生活は冬場よりも格段に息苦しく、地下鉄日比谷線から総武線までの階段を早足で登ると、高校の頃に陸上部の練習で味わった苦しさが蘇ってくる感じです。。
…夏の最中にマスクを着けていて、気がついた事があります。
それは、「この暑さの中でも、マスクを着けている人が意外にいる」という事でした。
女性の場合は、紫外線対策という意味もあると思いますが、男性もちらほらと見かけます。
エアコンから喉を守る為かもしれませんね。
しかし私は最近のマスク生活で思うのですが、夏のマスクは何かから身体を守るというよりは、肺活量や、暑さに耐える忍耐力を鍛えるトレーニングになる気がします。
私はおそらく半蔀が終わったら、マスクは見るのも嫌!という感じになりそうですが、五雲会まで今少し、マスク生活を頑張ろうと思います。
能「夜討曽我」では、いよいよ曽我兄弟が父親の仇討を果たすのですが、肝心の仇討シーンはなんと舞台上では演じられません。
間狂言が語りの中で仇討が成功したと物語り、その後に始まる後場では、兄の曽我十郎は「仁田の四郎」と戦って討死したらしいと仄めかされます。
この十郎を討ち取った仁田四郎忠常という人物は実在します。
私が月に一度仕事で行く伊豆に、「伊豆仁田」という駅があって、そこには「仁田家」の御屋敷があり、敷地内に仁田四郎の墓もあるのです。
私は何度か行ったことがあるのですが、9月の五雲会で能「夜討曽我」のツレ鬼王を勤めることもあり、昨日仕事の行き掛けに久しぶりに訪ねてみることにいたしました。
三島から伊豆箱根鉄道に乗り換えて、「伊豆仁田」で下車。相変わらずの猛暑です。
駅には下校する高校生が沢山いました。
実はこの高校生達の学校「田方農業高校」は、仁田四郎の子孫である仁田家第三十七代当主、仁田大八郎が創設したそうなのです。
そもそもこの伊豆仁田駅も、大八郎さんが開業させたとか。仁田家すごいです。
駅から東に向かいます。途中田方農業高校を左手に見て進んで行くと…。
この橋のかかる川の名前が「来光川」。源氏に縁の深い土地なので、「頼光」に関係があるかと調べたのですが、名前の由来は不明でした。
仁田橋から振り返ると、
愛鷹山の向こうに富士山です。暫し見ていたい美景でしたが、今日も暑さに耐えられずに移動開始。。
仁田橋から土手を降りると…
ここが仁田家屋敷でした。
例によって墓所の写真は控えましたが、中央に仁田四郎忠常、左手に五郎忠正、右手に六郎忠時の三つの石塔が並んでいました。
仁田四郎は、能「夜討曽我」とは別の富士の巻狩において、手負いの大猪に飛び乗って止めを刺したという逸話がある程の剛の者だったそうです。
宝生流の「夜討曽我」には出て来ませんが、観世流の小書「夜討曽我 十番斬」には仁田四郎がツレとして登場して、十郎と実際に戦います。
…今回の伊豆仁田散策で、伊豆には源平の時代から現代まで、リアルに繋がる風土があると実感出来ました。
暑さに耐えられず短い滞在になりましたが、涼しくなった頃にまた、頼朝や曽我兄弟の史跡を訪ねてみたいと思います。
因みに来光川の仁田橋から少し下流に、頼朝ゆかりの「蛇ヶ橋」という地名があり、そこには「しんじゃがばし」という実に美味しそうな名前の橋があるそうなのです。
その「新じゃが橋」の写真も次の機会に。
一昨日土曜日の亀岡稽古では、夏の花々以外にもうひとつ写真を撮ってきたものがあります。
大きな山桃の木にたわわに実った果実が、地面に無数に落ちています。
辺りにはむせ返るほどの果実香が漂っていました。
実は亀岡稽古場の縁の下には狸の親子が住んでいて、夕方になるとこの山桃の実を食べに出てくるそうなのです。
稽古している小学生の男の子も、「こないだは5匹も見た!」と話しています。
これは是非見たい!と思って、稽古の合間合間に山桃の辺りを覗いてみたのですが、残念ながらその日は出てきてくれませんでした…。
「土日は狸も休みなのですかね…。」などと残念がっていると、なんとお弟子さんが綺麗な山桃の実を洗って持って来てくださいました。
そのまま口に含むと、微かな苦味と共に、爽やかな甘味とほのかな酸味が広がりました。やさしい自然の味です。
お弟子さん「赤ワインに漬けて食前酒にしたりしますね」。成る程、これは果実酒に向いていそうです。
狸には会えませんでしたが大満足いたしました。
…狸と言えば、能には「狸」という動物は登場しません。
しかし狂言には「隠狸」など何番か、狸が出てくる楽しい演目があります。
やはり狸は昔から、コミカルな役割を担う動物だったのでしょう。
そう言えば思い出したのですが、内弟子の頃にある会の番組で、仕舞「猩々」が間違えて「狸々」と書いてあったことがあり、皆で「たぬたぬ!」と読んでニヤニヤしたことがありました。
「七人狸々」とか見てみたいものですが、やはり能にはなりそうにありませんね…。
昨日は亀岡稽古でした。亀岡稽古場には夏の花が沢山咲いていました。
先ずはヤブカンゾウです。花としては見知っていたのですが、実はこの花が「忘れ草」と呼ばれることは知りませんでした。
万葉集を始め、小野小町、紀貫之、壬生忠岑、藤原定家など多くの歌人が「忘れ草」を和歌に詠んでいます。
「忘れ草」と言われる由来はいくつかありますが、「憂鬱な想いや嫌な事を、この美しい花を見て忘れたから」という説が一番好みです。
能「草紙洗」で小野小町が洗った万葉の恋の歌にも、忘れ草の歌があったのでしょう。「忘れ草も乱るる」という詞章があります。
能「大江山」で、秋の七草として「桔梗、刈萱、吾亦紅…」と謡われていますが、実際には花は6〜7月に咲くようです。
これも知らなかったのですが、野生の桔梗は今や絶滅危惧種なのだそうです。日本の山野草の代表のひとつと思っていたので、何とか生き延びてほしいです。
この花を見るとまた、亡くなられた倉本雅先生を思い出します。先生の会の名前が「梗風会」でした。桔梗の花が描かれた梗風会の記念扇を大切に持っております。
「はんげしょう」と読みます。暦の上での「半夏生」もあり、ちょうど1週間前の7月2日が半夏生でした。
白く見えるのは花ではなく、葉っぱが半分白くなっているのです。
このことから「半化粧」とも呼ばれるそうです。
夏の半ばに咲く、半分だけ化粧した花で「半夏生」そして「半化粧」。
日本語ならではの、実に美しい字と響きだと思います。
先日の松本稽古ではこの「半夏生」を象った美味しい和菓子をいただきました。
遠目からもちょっと異常に大きな花が見えて、怖いくらいでした。近寄ると20㎝はある巨大な花が2つ。
南国の花のような強烈な個性でした。「ユリの王様」とも呼ばれるそうです。
能「雲雀山」に出てくる「姫百合」もないかと思って見回したのですが、ちょっと遅かったのか見つかりませんでした。
…この時点で汗だくになって耐えられなくなり、室内に撤退いたしました。。
いよいよ本格的に夏がやって来たと実感いたしました。
本日はこの辺にて失礼いたします。
昨日は全宝連以来の京大宝生会稽古でした。
皆新しい仕舞を稽古したのですが、いくつか面白い出来事がありました。
3回生で秋に舞囃子を出す男子2人は、共に中ノ舞物なので、一緒に稽古することにしました。
2人並べて、私も横に立って中ノ舞の稽古を始めると、当然初めてなので型や場所はバラバラにずれたりします。たまにぶつかったり。
それが笑いのツボに入るらしく、見ている部員がニヤニヤし始め、ついに舞っている者まで、私も含めて笑い出してしまいました。。
また4回生で仕舞「三山」を稽古した女の子は、稽古を終えるとやけにテンションが高く嬉しそうです。
「そんなに三山が気に入ったのかな…?」と思っていると、その女の子は「だって私、4回生にして初めて招き扇とハネ扇をしたんですよ!!」と満面の笑みで、握り拳に力を込めて言いました。そこが喜びのツボだったのか。。
そしてまた全宝連で舞囃子を無事終えた男の子は、「え〜。…何かクセがやりたいです…」(テンション低め)
しかし、良さそうなクセの仕舞は他の若手OBが稽古していて、なかなか曲が決まりません。そこでちょっと難しいのですが、誰もやったことのない「雲林院クセ」を提案してみました。
すると本人を含め4回生のテンションが急に高くなって、「なんと!うんりんいんくせ!!」と盛り上がっています。
更に稽古を始めて、途中いわゆる「遍昭節」と言われる所に来ました。これは「下の下」という高さから「ウキ」の高さに一気に上がる珍しい節ですが、私がそれを説明してから「かの・ へ・えんじょおおが…」と謡うと、謡本を見ながら稽古を見ていた4回生達が「ひょえ〜」というような声を出して、また実に嬉しそうにニヤニヤしています。
…稽古の時にニヤニヤしたり嬉しそうにするのは、不真面目だと言う向きもあるかもしれません。しかし、京大宝生会の場合は純粋に仕舞や謡の中に「面白さのツボ」や「嬉しさのツボ」を見出して、それが笑顔になって現れているのです。
能楽の中にこれほど楽しさを見つけられる人達はなかなかいないと、私はむしろそちらを褒めてあげたいのです。
「楽しく熱い稽古」を今後も続けて行きたいと思います。
本日も水道橋にて能「半蔀」の稽古を受けて参りました。
半蔀の能には「作り物」が出ます。
能に使う「作り物」は、基本的には竹を包地(晒を細く裂いたもの)で巻いただけのシンプルな構造です。
そこに布をかけたり屋根を載せたり、植物を飾ったりして変化をつけます。
中には芸術作品や工芸品のように手の込んだ精緻な作り物もあります。
「道成寺の鐘」、熊野などに使う「花見車」、「鉢木」などがその代表格と思います。
そして「半蔀」の作り物もまた、シンプルながらとても美しいものです。
四隅の柱と蔀戸には夕顔の緑の蔓が伝い、金銀色の瓢箪と白い花が、派手にならないように気を配って散りばめられています。
能の場合、作り物は舞台の度に一回一回作り直すので、毎回微妙に違う作り物になります。
作り手のセンスが問われる所もあるので、私も内弟子の頃には半蔀の作り物には気を遣ったものです。
蔀戸に巻く蔓がシテの顔を隠さないように、また吊るした瓢箪がシテの頭に当たらないように、それでいてバランス良く美しく見えるように…。
手前味噌ですが、鍛え上げられてチームワークも良い宝生流の内弟子達が作る作り物は、どれもきちんと丁寧に作られているので、鑑賞に堪える「作品」と言えると思います。
7月15日の五雲会では、「半蔀」以外にも能「氷室」、能「土蜘」にも作り物が出ます。
内弟子の腕の見せ所です。是非作り物にも注目して、舞台を御覧くださいませ。
宝生流五雲会:7月15日(土)正午始 於宝生能楽堂
能「氷室」シテ藤井雅之
能「経政」シテ亀井雄二
能「半蔀」シテ澤田宏司
能「土蜘」シテ高橋憲正 頼光当山淳司 ほか
私の自宅マンションと隣のマンションの間の極小自然空間、隙間花壇のガクアジサイはもう散りかけになりました。
すると今度は地面に近いところに別の黄色い花が。
何の花かわかりますか?
1枚目と2枚目は共に昨日の夕方、田町稽古に向かう途中に撮影しました。
ところが不思議なことに、今朝江古田稽古に行く時には下の写真のようになっていたのです。
一晩で全部萎れてしまいました。
更に近くには、赤い花も。こちらの色の方が馴染み深いかもしれません。
最終ヒントは、秋になって出来る種子を割ると、中から白い粉が出てきて、昔はそれで子供がお化粧ごっこをして遊んだのです。
答えは「オシロイバナ」でした。
この花は夕方に咲いて、翌朝には萎れてしまいます。しかし次の蕾が次々に出来て、毎日夕方になると花開くのだそうです。
その為に日本では「夕化粧」という美しい別称があり、アメリカでは同じ仲間を「Four o’clock」と呼ぶそうです。4時位に咲く花という意味なのでしょう。
赤い花のオシロイバナは小さな頃から見慣れていましたが、黄色や白もあるようです。
秋に種子が出来たら、白粉のような胚乳を収穫してみたいのですが、隙間花壇の管理人さんは、花が終わるとあっさり剪定してしまわれることが多いのでちょっと心配です。。
白粉が採れたらまたご報告させていただきます。
今日の江古田稽古も無事終わったので、隙間花壇のオシロイバナを見るのを楽しみに帰りたいと思います。