祇園祭のエピソード

昨日は私は大阪能楽会館で松実会に出ておりましたが、京都では祇園祭の山鉾巡行が行われていたはずです。

実は私はこの「山鉾巡行」を生で見た事が一度もありません…。

学生の頃は、前日の宵山に繰り出して飲んでしまい、山鉾巡行の時間には部屋で爆睡…というパターンの繰り返しでした。

能の道に進んでからは祇園祭自体に行く時間がなくなってしまい、今の季節になると京都以外の何処かの土地で祇園祭を懐かしく思い出すばかりです。

祇園祭の思い出やエピソードを幾つか書き連ねてみます。

・京大宝生会現役だった頃のある日、BOXに行くと「辰巳先生が京都新聞に出てはる!」とみんなが新聞を囲んでいます。

覗いてみると…「祇園祭で大金拾う女神や!」というような見出しで辰巳孝先生の写真入りの記事が。内容は、辰巳先生が祇園祭の最中に現金二百万円入り(!)の財布を落としてしまったのを、見つけた京都女子大の学生が警察に届けてくれて事無きを得た、というものでした。

辰巳先生は能装束なども良い物を見つけると即金で買い求められた、というような豪気な伝説がたくさんある先生でした。

・同じく京大宝生会現役の頃、京大金剛会にI先輩という方がいらして、この方は毎年長刀鉾に乗って、祇園囃子の笛を吹いておられました。

そのご縁である年、私も長刀鉾に上がらせてもらいました。

思えばあれが祇園祭と最も深く関わった出来事でした。

I先輩は森田流の笛の名手で、また童顔な外見と裏腹に大酒豪で、よく楽しい大酒宴に参加させていただきました。

・つい先程、山鉾巡行翌日の京都を歩いていると、こんな鉾を見つけました。

「洛央小学校」の校門横にあった「洛央鉾」です。

この鉾は、祇園祭の山鉾ではありませんが、祇園祭と同じ時期に小学生が引いて、松原通りを巡行するようです。

洛央小学校は祇園祭の「山鉾保存会」に話を聞いて勉強したり、祇園祭の山鉾の「曳き初め」にも参加したりと、学校全体として祇園祭に積極的に関わっているそうで、とても羨ましい学校だと思いました。やはりお祭りは、見るだけではなく参加するものだと私は思うのです。

以上、祇園祭にまつわるエピソード三題でした。

松実会に出演して参りました

今日は大阪にて、石黒実都先生のお社中会「松実会」に出演して参りました。

今回の松実会は、実都先生のお父様の石黒孝先生の三回忌追善の会でもありました。

石黒孝先生は、私がまだ京大宝生会の学生だった頃から関西の宝生流の中心メンバーのお一人で、その後私が東京芸大に入り、内弟子になり、独立し…という道程の中で殆ど変わらぬお若いお姿でおられて、「この方は歳をとらないのだろうか…?」と不思議に思う先生でした。

一昨年、亡くなられる二日前の先生の最後の仕舞「三笑」の地謡に座らせていただきました。

私にはいつもと変わらないお姿に見えて、二日後の訃報に全く現実感を感じられなかったのを覚えております。

その石黒孝先生のお嬢様の石黒実都先生は、私と年齢も近く、私の意識としては同じ職業の同僚というよりも、幾多の山場修羅場を乗り越えた「戦友」と思っております。

その実都先生の本日の会では、今日はまたもう一つ下の世代、石黒孝先生のお孫さんの石黒空君と初めて一緒に舞囃子の地謡を謡いました。

空君は高校2年生。

これから彼と数え切れない回数の地謡を共にするであろう、その最初の舞台が今日であったと、これも未来にきっと思い出すであろう舞台でした。

実都先生お疲れ様でした。どうもありがとうございました。

五番立

昨日の五雲会では沢山の皆様にいらしていただきまして、誠にありがとうございました。改めて心より御礼申し上げます。

半蔀の後にロビーである方に、「半蔀は三番目なのです」というお話をしたところ、「三番目とは何でしょう?」と質問されました。

能の演目数は流儀によって異なりますが、及そ200曲前後です。

これをシテの属性や、曲の持つ特性によって5種類に区分したものを「五番立」と言います。

「神、男、女、狂、鬼」の5種類で、能の番組を組む時にもこの順番に沿って組んでいきます。

例えば昨日の五雲会では、

・初番目(神)-氷室

・二番目(男)-経政

・三番目(女)-半蔀

・五番目(鬼)-土蜘

の順で演じられました。

五番立をより詳しく例示する為に、私がこれまで舞った能を五番立で区分してみました。

①初番目(神)
「脇能」とも言われ、神様がシテです。鶴亀のシテ玄宗皇帝も神様として扱われているのですね。私が舞った脇能は…

嵐山、右近、加茂、高砂(後のみ)、竹生島、鶴亀、養老。

②二番目(男)
「修羅物」とも言われ、武将がシテです。勝者がシテの「勝修羅」は箙、田村、八島の3番のみで、あとは敗者がシテの「負修羅」です。負修羅が圧倒的に多いのも、能らしいことだと思います。私が舞った修羅物は…

生田敦盛、箙、兼平、俊成忠度、忠度、田村(前のみ)、巴。

③三番目(女)
「鬘物」とも言われ、優美な女性がシテです。能楽の幽玄性を最も強く深く表現します。

昨日の五雲会で私が舞った半蔀は、この三番目に入ります。これまで舞った鬘物は…

葛城、胡蝶、半蔀。

④四番目(狂)
「雑能物」とも言われ、ドラマチックなストーリー展開の演目が多いです。

私が舞った雑能物は…

花月、須磨源氏、忠信、道成寺、百万、富士太鼓、放下僧、巻絹。

⑤五番目(鬼)
「切能物」とも言われ、鬼や怨霊、天狗などがシテの、派手な動きが多い豪快な演目です。私が舞った切能物は…

春日龍神、黒塚、石橋、乱、是界、鵺、野守、船弁慶、紅葉狩、来殿。

こうして数えてみると、これまでに35番を勤めていたとわかりました。

生涯にあと何番勤められるかは神のみぞ知るところですが、これからも一番一番大切に舞わせていただきたいと思います。

1件のコメント

能「半蔀」終了いたしました

本日の五雲会にて、能「半蔀」が何とか無事に終了いたしました。

猛暑の中、お忙しいところ沢山の皆様にお越しいただきまして、本当にありがとうございました。

今回もまた、終了後に沢山のご感想やご注意や、今後の課題をご指摘いただきました。

この位置から少しずつでも進歩していけるように、明日からまた稽古に励んで参りたいと思います。

これから宝生能楽堂にて、本日使用した胴着や襟、その他諸々の品々を片付けてから帰路につきたいと思います。

重ねて本日はどうもありがとうございました。

明日に備えて

連日暑い日が続いております。

京都では今日は祇園祭の宵々々山だったのでしょう。

私はと言えば、明日に迫った能「半蔀」に向けて、最終の稽古を水道橋宝生能楽堂でして参りました。

たまたま本番とほぼ同時刻の14時半頃に稽古出来たのですが、やはり暑さが一番の問題でした。

しかし暑さも含めて色々調整出来ましたので、あとは明日、幕の前に良いコンディションで立てるまで、色々気を配って過ごしたいと思います。

…明日の舞台にいらしてくださる方々には、特に私の半蔀を御覧いただくにあたって、僭越ながらお願い致したい事がひとつございます。

それは、「今晩はどうかよく睡眠をとってから、明日の五雲会にいらしてください」という事なのです。

能「半蔀」は、おそらく私がこれまで勤めた曲の中で、最も眠りの世界に近い曲目だと思われます。

曲中で作り物の蔀戸が二重に見えて来た方は、ひとつは眠りの世界への門なので、くれぐれもそちらには行かないようにしてくださいませ。。

とはいえ能を観ながらうとうとするのは、私の経験上誠に心地良い時間です。能を見ながらの睡眠は、脳内にα波が出て身体に良いと聞いたことすらあります。

私自身も学生の頃は、見所で寝てしまって曲が終わった時の拍手で目覚めて、慌てて拍手をする、ということもありました。

しかしながら明日は、出来ましたら半蔀の朧げな世界に浸っていただいて、なおかつ現実世界に留まっていただければありがたく存じます。

明日は沢山の方々と能楽堂でお会い出来るのを楽しみにしております。

どうかよろしくお願いいたします。

能「半蔀」のシテとは誰か?

今日は水道橋宝生能楽堂にて五雲会の申合があり、私の「半蔀」も先ほど終わりました。

いつものように色々な御注意を頂き、明後日の本番までに最終調整をもうひと頑張りしたいと思います。

今年シテを勤めた「兼平」と「百万」の時には、稽古と平行してシテの人物像に迫ろうと色々調べたりしました。

しかし今回の半蔀のシテ「夕顔」は、ちょっとその作業が難しいと感じています。

「夕顔の上」は人物名としては、「兼平」や「百万」よりも有名だと思います。

しかしながら能「半蔀」のシテは、「源氏物語の夕顔」と、「植物としての夕顔」が微妙に融合した、能固有の存在であると思われるのです。

私の考えたところでは、前シテの夕顔は「植物」の部分が主体であり、後シテは同じ夕顔でも「人間」の要素が強くなり、特に後半の「クセ」に入ってから以降は、完全に源氏物語の「夕顔の上」になっていると思います。

そしてまた序の舞が終わってからの最後のシーンでは、花なのか人なのか判然としない存在となって消えていくのです。

今回はこの曖昧な「夕顔」の輪郭はあえてはっきりと捉えずに、植物と人間の間で移ろうあわあわとした儚い空気感を、そのまま表現するような事が出来たらと思っております。

明後日の五雲会に皆様どうかいらしてくださいませ。

よろしくお願いいたします。

夏のマスクの効用

1月26日のブログで「マスクの効用」について書きました。

これは、あくまで私の感覚ですがマスクを着けると能面と似た負荷が顔にかかり、いざ舞台で面をかけた時に違和感無く舞える気がする。

またマスクで階段を昇り降りすると更に効果が増す気がする。というような内容でした。

あの頃は真冬で風邪も流行っており、マスクをするのがむしろ当たり前でした。

実は私はここ数日、久々にまたマスクを着けて生活しております。

これは風邪予防ではなく、今週末の五雲会での能「半蔀」シテに向けての対策なのです。

私は何度も書いているように暑さが大の苦手で、ここ最近の暑さで面をかけて稽古すると、汗は目に入るし、息はすぐに苦しくなってしまいます。

この感覚に少しでも慣れようと、平常時からマスクで顔に負荷をかけようと言う訳です。

夏のマスク生活は冬場よりも格段に息苦しく、地下鉄日比谷線から総武線までの階段を早足で登ると、高校の頃に陸上部の練習で味わった苦しさが蘇ってくる感じです。。

…夏の最中にマスクを着けていて、気がついた事があります。

それは、「この暑さの中でも、マスクを着けている人が意外にいる」という事でした。

女性の場合は、紫外線対策という意味もあると思いますが、男性もちらほらと見かけます。

エアコンから喉を守る為かもしれませんね。

しかし私は最近のマスク生活で思うのですが、夏のマスクは何かから身体を守るというよりは、肺活量や、暑さに耐える忍耐力を鍛えるトレーニングになる気がします。

私はおそらく半蔀が終わったら、マスクは見るのも嫌!という感じになりそうですが、五雲会まで今少し、マスク生活を頑張ろうと思います。

仁田四郎の故郷を訪ねて

能「夜討曽我」では、いよいよ曽我兄弟が父親の仇討を果たすのですが、肝心の仇討シーンはなんと舞台上では演じられません。

間狂言が語りの中で仇討が成功したと物語り、その後に始まる後場では、兄の曽我十郎は「仁田の四郎」と戦って討死したらしいと仄めかされます。

この十郎を討ち取った仁田四郎忠常という人物は実在します。

私が月に一度仕事で行く伊豆に、「伊豆仁田」という駅があって、そこには「仁田家」の御屋敷があり、敷地内に仁田四郎の墓もあるのです。

私は何度か行ったことがあるのですが、9月の五雲会で能「夜討曽我」のツレ鬼王を勤めることもあり、昨日仕事の行き掛けに久しぶりに訪ねてみることにいたしました。


三島から伊豆箱根鉄道に乗り換えて、「伊豆仁田」で下車。相変わらずの猛暑です。

駅には下校する高校生が沢山いました。

実はこの高校生達の学校「田方農業高校」は、仁田四郎の子孫である仁田家第三十七代当主、仁田大八郎が創設したそうなのです。

そもそもこの伊豆仁田駅も、大八郎さんが開業させたとか。仁田家すごいです。

駅から東に向かいます。途中田方農業高校を左手に見て進んで行くと…。

「仁田橋」にぶつかりました。

この橋のかかる川の名前が「来光川」。源氏に縁の深い土地なので、「頼光」に関係があるかと調べたのですが、名前の由来は不明でした。

仁田橋から振り返ると、

愛鷹山の向こうに富士山です。暫し見ていたい美景でしたが、今日も暑さに耐えられずに移動開始。。

仁田橋から土手を降りると…

立派な構えの御屋敷が。

ここが仁田家屋敷でした。

そして御屋敷の敷地内に仁田兄弟の墓所がありました。

例によって墓所の写真は控えましたが、中央に仁田四郎忠常、左手に五郎忠正、右手に六郎忠時の三つの石塔が並んでいました。

仁田四郎は、能「夜討曽我」とは別の富士の巻狩において、手負いの大猪に飛び乗って止めを刺したという逸話がある程の剛の者だったそうです。
宝生流の「夜討曽我」には出て来ませんが、観世流の小書「夜討曽我  十番斬」には仁田四郎がツレとして登場して、十郎と実際に戦います。

…今回の伊豆仁田散策で、伊豆には源平の時代から現代まで、リアルに繋がる風土があると実感出来ました。
暑さに耐えられず短い滞在になりましたが、涼しくなった頃にまた、頼朝や曽我兄弟の史跡を訪ねてみたいと思います。

因みに来光川の仁田橋から少し下流に、頼朝ゆかりの「蛇ヶ橋」という地名があり、そこには「しんじゃがばし」という実に美味しそうな名前の橋があるそうなのです。

その「新じゃが橋」の写真も次の機会に。

山桃と狸

一昨日土曜日の亀岡稽古では、夏の花々以外にもうひとつ写真を撮ってきたものがあります。

これは山桃の実なのです。

大きな山桃の木にたわわに実った果実が、地面に無数に落ちています。

辺りにはむせ返るほどの果実香が漂っていました。

実は亀岡稽古場の縁の下には狸の親子が住んでいて、夕方になるとこの山桃の実を食べに出てくるそうなのです。

稽古している小学生の男の子も、「こないだは5匹も見た!」と話しています。

これは是非見たい!と思って、稽古の合間合間に山桃の辺りを覗いてみたのですが、残念ながらその日は出てきてくれませんでした…。

「土日は狸も休みなのですかね…。」などと残念がっていると、なんとお弟子さんが綺麗な山桃の実を洗って持って来てくださいました。

そのまま口に含むと、微かな苦味と共に、爽やかな甘味とほのかな酸味が広がりました。やさしい自然の味です。

お弟子さん「赤ワインに漬けて食前酒にしたりしますね」。成る程、これは果実酒に向いていそうです。

狸には会えませんでしたが大満足いたしました。

…狸と言えば、能には「狸」という動物は登場しません。

しかし狂言には「隠狸」など何番か、狸が出てくる楽しい演目があります。

やはり狸は昔から、コミカルな役割を担う動物だったのでしょう。

そう言えば思い出したのですが、内弟子の頃にある会の番組で、仕舞「猩々」が間違えて「狸々」と書いてあったことがあり、皆で「たぬたぬ!」と読んでニヤニヤしたことがありました。

「七人狸々」とか見てみたいものですが、やはり能にはなりそうにありませんね…。

亀岡の花々  7月

昨日は亀岡稽古でした。亀岡稽古場には夏の花が沢山咲いていました。
先ずはヤブカンゾウです。花としては見知っていたのですが、実はこの花が「忘れ草」と呼ばれることは知りませんでした。

万葉集を始め、小野小町、紀貫之、壬生忠岑、藤原定家など多くの歌人が「忘れ草」を和歌に詠んでいます。

「忘れ草」と言われる由来はいくつかありますが、「憂鬱な想いや嫌な事を、この美しい花を見て忘れたから」という説が一番好みです。

能「草紙洗」で小野小町が洗った万葉の恋の歌にも、忘れ草の歌があったのでしょう。「忘れ草も乱るる」という詞章があります。

桔梗です。

能「大江山」で、秋の七草として「桔梗、刈萱、吾亦紅…」と謡われていますが、実際には花は6〜7月に咲くようです。

これも知らなかったのですが、野生の桔梗は今や絶滅危惧種なのだそうです。日本の山野草の代表のひとつと思っていたので、何とか生き延びてほしいです。

この花を見るとまた、亡くなられた倉本雅先生を思い出します。先生の会の名前が「梗風会」でした。桔梗の花が描かれた梗風会の記念扇を大切に持っております。

半夏生。

「はんげしょう」と読みます。暦の上での「半夏生」もあり、ちょうど1週間前の7月2日が半夏生でした。

白く見えるのは花ではなく、葉っぱが半分白くなっているのです。

このことから「半化粧」とも呼ばれるそうです。

夏の半ばに咲く、半分だけ化粧した花で「半夏生」そして「半化粧」。

日本語ならではの、実に美しい字と響きだと思います。

先日の松本稽古ではこの「半夏生」を象った美味しい和菓子をいただきました。

山百合です。

遠目からもちょっと異常に大きな花が見えて、怖いくらいでした。近寄ると20㎝はある巨大な花が2つ。

南国の花のような強烈な個性でした。「ユリの王様」とも呼ばれるそうです。

能「雲雀山」に出てくる「姫百合」もないかと思って見回したのですが、ちょっと遅かったのか見つかりませんでした。

…この時点で汗だくになって耐えられなくなり、室内に撤退いたしました。。

いよいよ本格的に夏がやって来たと実感いたしました。

本日はこの辺にて失礼いたします。