立秋の台風

今日は暦の上では「立秋」です。この先は暑さも「残暑」なのですね。

気分的には微かに秋の気配が…まだまだ感じられませんかね。。早く本当の秋が来てほしいものです。

6月のブログで、「夏至」の日に豪雨にあって新幹線に閉じ込められた話を書きましたが、「立秋」の今日は台風にあってしまいました。

朝から京都大山崎の稽古の予定だったのですが、延期にさせていただいて早めに京都を出ました。

夕方から予定している松本稽古は、七葉会前の最後の稽古日なので何とか稽古したいのです。

特急しなので辿る木曽路もずっと雨模様ですが、松本には遅れなく到着出来そうです。

しかし台風の進路は私を追うかのように確実に長野方面に向かっています。。

今度は明朝に松本を出て、新宿に向かう特急あずさがちゃんと動いてくれるかが心配です。

明日は明日で、七葉会前の最後の江古田稽古なのです。

自然災害には逆らえませんが、何とか最小限の影響で乗り越えたいものです。

大山崎の皆さんすみませんでした。また京都澤風会前に、追加で稽古させていただきます。

(その後松本に無事に到着すると、私が乗った少し後から、特急しなのが運休したとの情報が。危うい所でした)

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前川七曜会

今日は京都観世会館にて、太鼓の発表会「前川七曜会」に出演して参りました。

澤風会でも太鼓のお稽古をされている方が沢山おられて、今回紫明荘稽古場より1名、松本稽古場より3名が居囃子と独調で参加されました。

「居囃子」と「独調」は、ともに舞い手はおらずに地謡と囃子方だけの舞台です。

今日それらの地謡を謡ってみて改めて気がついたのは、「姿勢の大切さ」でした。

舞囃子の場合、どうしても動いているシテに眼がいきますが、今日の見所は皆さん太鼓を中心にお囃子と地謡に視線を注いでおられます。

間が正確で手が合っている事は勿論必要なのですが、やはり背筋をスッと伸ばして、手の動きも綺麗な人は一段と素晴らしく見えました。

地謡においても、小さな作法ひとつひとつを折り目正しく美しくすることが、その舞台を引き立てることに繋がると思いました。

また違う話で、「独調」とは太鼓と地謡の一対一の舞台ですが、同じ一対一でも「一調」という形式があります。

一調は太鼓の手組が通常と変わって、非常に難しくなります。通常の手をある程度知ってから一調を見ると、思わず笑ってしまいたくなる程に多彩で複雑な手組なのです。

今日は太鼓一調を何番も拝見出来て、その目眩くような手の変化に内心「おお!」と驚いたり、思わずニヤリとしたりしました。

能楽は、楽器一種類だけでも宇宙的な広がりと深さを持っていますが、今日は太鼓という楽器の深遠についても再認識できました。

私自身にとって、とても勉強になる会でした。

…今日は広島の原爆忌です。72年前に亡くなった母親の家族達を思いながら、今日も精一杯舞台を勤めさせていただきました。

有流友自遠方来 不亦楽

今日は京都下鴨・紫明荘の稽古だったのですが、普段の紫明荘組に加えて遠方より沢山の方々がお見えになりました。

茨城県より1人、信州松本より2人、越前福井より2人、遠州浜松より1人…と言った感じで、何かお盆休みの実家のような大賑わいでした。

紫明荘最年少の男の子のお祖母様や、明日京都である太鼓の発表会のためにいらした方々など、事情は様々でしたが共通点は「とりあえず宝生流は稽古している」という事でした。

皆さん興味津々で紫明荘組の稽古を御覧になっています。

普段おられない方々の視線がこれだけ沢山集まると、仕舞を稽古している人にとっては殆ど本番に近い雰囲気になります。

紫明荘組は緊張して、何でも無いところで間違えたりしましたが、これはむしろ有り難いシチュエーションだと思いました。

本番2ヶ月前になり舞もほぼ覚えて来た段階ですが、今日の緊張感の中で、1人で舞うと間違えやすいポイントが幾つか明らかになりました。

この経験を糧に、10月1日の京都澤風会が良い舞台になるように、一層稽古を頑張っていきたいと思います。

各地で宝生流を学ぶ人達が、紫明荘のひとつの卓を囲んで和やかに会話されている様は、まさに論語の一節が具現化しているように見えました。

遠方よりの皆さんどうもありがとうございました。

今は山中  今は浜

「今は山中  今は浜♪」と歌う「汽車」という題名の文部省唱歌がありますが、昨日の八ヶ岳薪能から一転して、今日は熱海で舞台がありました。

電車で移動するだけで、上の唱歌のように車窓からの景色が移ろって楽しいものです。

能においても、旅の情景を謡う「道行」という部分があります。

一番多いのが、ワキが曲の冒頭に謡う道行です。

しかしシテが謡う道行や、「蟬丸道行」のように地謡が謡ってシテが舞うものなど、幾つかバリエーションがあります。

それらの中でも私が特に好きな道行があります。

能「安宅」で義経とその家来達が、11人の山伏姿になって、都から北国を目指す時の情景を謡った道行です。

この道行、シテ弁慶とツレ同行山伏が全員で謡うのですが、シテがわずかに動く以外は、全員その場を全く動かずに謡います。

しかしながら、スピードの緩急と調子の強弱の変化だけで、如月十日の夜に花の都を忍び出て、加賀の国・安宅の関に到着するまでの苦難の道程を実に生き生きと謡い上げるのです。

あるシーンでは、引いたアングルから撮影した映像のように、琵琶湖沿いを点のようになって移動する一行が見えます。

またあるシーンでは、山中の急ぐ山伏達の荒い息遣いが間近く聞こえるような錯覚を覚えます。

また完全に個人的な話なのですが、「海津の浦では昔、京大宝生会が合宿をしたなあ」

「板取の辺りは、京大林学科の研究室の調査で古い石畳道を歩いたっけ」

「三国港近くの民宿で食べた蟹は絶品だった」などと、私の行った事のある場所が沢山出てくるのも、実は好きな理由のひとつなのです。

謡を習っている方は、道行で知った地名が出てくると、ちょっと嬉しくなった経験があるのではないでしょうか?

そして、少し先の話ですが、今年10月22日の宝生流秋の別会で家元が能「安宅」を「延年之舞」という小書付で舞われます。

私もツレ同行山伏の1人として出演させていただきます。

冒頭の道行から始まって、見せ場連続の能「安宅」。

どうか沢山の方々に御覧いただきたいと存じます。

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はさみの日

今日8月3日は語呂合わせで「はさみの日」だそうです。

増上寺では、2月の浅草寺針供養のように「鋏供養」が行われるとか。

鋏は実は能楽師にとって重要なアイテムです。

装束の着付けに不可欠で、取り分け「中入」で装束を素早く取り換える時には、糸を縒って作ったいわゆる「糸針」と「鋏」を如何に素早く使えるかで運命が分かれる事があります。

しかし私の場合、鋏に関しては少々問題がありました。

私は元々左利きなのですが、鋏は右手で使うための構造になっているのです。

右利きの方にはピンと来ないかもしれませんが、左手で普通に鋏を使うと、刃に隙間が出来てうまく切れません。刃が合わさる方向に無理に力を込めることでようやく切れるのです。

では右手で切れば良いと思うのですが、私の場合「箸」と「鋏」は不思議に左手でないと扱えないのです。

とは言え鋏は子供の頃から使って来た身近な道具です。私も小学生の内には左手で自在に使えるようになっていました。

しかしそれは「洋ばさみ」の話です。能の楽屋で使う「和ばさみ」は、更に左利きには使い辛い構造でした。

X型構造で梃子の原理が使える洋ばさみに対して、和ばさみは刃同士を合わせる力をダイレクトに刃に伝えないと切れてくれません。

左利き用の鋏もありますが、いざという時に人と同じ鋏が使えないと大変な事になります。

楽屋入りしてから私は、安い和ばさみを購入して家で紙を切る練習をしたりしました。

何事も回数をこなせば慣れるもので、今では右利き用の和ばさみも左手で問題無く使えるようになりました。

左利きに関しては、「装束付け」を覚える時により苦労をしたのですが、それはまた別の機会に。

今日もこれから八ヶ岳薪能の楽屋で鋏を使う機会が沢山あると思います。今日は「鋏」に感謝しつつ1日を過ごしたいと思います。

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亀岡の花々  8月

昨日の亀岡稽古では、盛夏の花々がいくつか見られました。


ノカンゾウです。先月のヤブカンゾウと入れ替わりで咲いていました。

ヤブカンゾウは八重咲きですが、ノカンゾウは一重です。

ノカンゾウも「忘れ草」と言われるそうです。カンゾウの蕾は中華料理店では「金針菜」と言われて美味しいようで、「食べるとその美味しさに嫌な事を忘れる」というのも、忘れ草の語源の諸説の中のひとつです。


玉紫陽花です。紫陽花よりも遅く咲くそうで、むしろ花よりも、紫色の玉のような蕾が遠目からも綺麗に見えました。


シソ科の「メハジキ」です。子供が茎を短く折って、瞼に挟んで遊んだのが名前の由来だとか。

今回調べて不思議なことがありました。

「天魔」と書いて「めはじき」と読むことがあるそうなのです。この由来は調べても見つかりませんでした。何方か御存知の方はお教えくださいませ。


イタチササゲです。何やら新美南吉のお話に出て来そうな名前です。

「イタチ」は、花の色が鼬の毛に似ているかららしいですが、「ササゲ」とは「捧げ」ではなく、豆果が「ササゲ」という豆に似ているからだそうです。

何か物語を期待したので、ちょっと残念…。


百日紅の大きな木がありました。

桜もそうですが、年に一度花が咲く時に初めて、その強い存在にハッと気がつく木です。


最後にカワラナデシコ。

別称が「ヤマトナデシコ」です。大和撫子の方が正式名称だと思っていました。

現在では日本女性を象徴する花のようになっていますが、昔は「子供」にも例えられました。

能「生田敦盛」のシテ敦盛は、我が子である子方の男の子に「忘れ形見の撫でし子の…」と謡いかけます。

今日はこの辺で。次の稽古の時には、秋口の花が見られるかもしれません。

北極や砂漠に比べたら…

今日から8月になりました。

私は涼しい青森から一気に日本を縦断して亀岡稽古にやって参りました。やはり関西の暑さは半端ではないです。。

今回の移動では、私は新しい文庫本を旅の友にしました。

自宅にある、まだ読んでいない本の山から一冊選んだのですが、その本を選択したのには実は暑さ対策の意味もありました。

題名は「アグルーカの行方」。角幡唯介という早大探検部OBの探検家の北極探検記です。

1845年の北極探検で、隊員129人が全滅した英国フランクリン隊。

その足跡を日本人探検家2人が辿るという内容です。

まだ読み始めで2人の旅も序盤なのですが、極地帯の猛烈な寒さと、雪と氷に悩まされる描写がふんだんに出て来ます。

これを読むと、「今日の暑さも極地の寒さに比べたらまだマシかな」と思えて来ます。

更に昨日の深夜、たまたま付けた青森の宿のテレビで「熱砂の海を走り抜け!ナミブ砂漠250kmグレートレース」というドキュメンタリーをやっていました。

アフリカの砂漠地帯を1週間かけて、水や非常食、寝袋などの荷物を背負いながら走る過酷なマラソン大会です。

日中の気温は摂氏45℃まで上がり、日射しを遮る物など全くない中で、1日に最長70km以上を走破した鉄人達の話です。

ある女性は戦乱の祖国に勇気を届ける為に、必勝を誓って参加しました。

またある青年は、貧困から抜け出す為にプロのランナーになり、やはり勝利が絶対に必要だと語っていました。

最高齢71歳の男性は、「あらゆるトラブルやストレスを楽しんで走っているよ」と笑顔で走って行きました。

そして男子の総合トップはなんと日本人で、常に微笑んでいるような涼しげな表情のまま、信じられない速さで砂漠を疾走していました。

この昨夜の番組を思い出すと私はまた、「ナミブ砂漠のグレートレースに比べたら、今日の気温など涼しいものだ」と思えて来ました。

…というわけで、極寒の北極に消えた129人の探検隊や、灼熱のナミブ砂漠を熱い想いを持って走り抜けた人達を想像しながら、今日も私は汗かき稽古に励んだのでした。

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ねぶた見学

今日は仕事で青森に来ました。

青森では、明後日から「ねぶた祭」が開催されます。

今回ねぶた祭そのものは見られませんが、一台作るのに2000万円はかかるという「ねぶた」の製作をひと目見たいと思い、仕事前に足を伸ばして参りました。

青森駅から、連絡船八甲田丸の横を通って港を横断します。

やがて青森県観光物産館アスパムに到着。

アスパムの横には巨大なテントが沢山建ち並んでいました。

開いているテントを覗くと、そこには…


ありました!大迫力のねぶた!


金太郎さんも格好良いです!


本番に向けて、最後の仕上げ中でした。


行った時間が遅く、大部分のねぶたテントは閉まっていました。


隙間から覗く親子がいたり…


大きな太鼓の準備をしたり…。よく見ると、左端に大きな太鼓みたいな人が…!


コーラもねぶたです。


これはどういうことだろう…紋付袴か、タキシードか…?と思ったら、ねぶた祭では「ハネト衣装」の事を「正装」と呼ぶそうです。

どんな衣装かと街で探したら、素敵な家族に出会いました。


これが正装なのですね。

いつか正装でねぶた祭に参加してみたいと、また将来の夢が増えました。

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松上げの花火

昨日の東京は雨模様の中で、隅田川花火大会が開催されたようです。

私がこれまで見た中で一番印象深い花火はというと、実は花火大会ではなく、京都の「松上げ」というお祭りでの花火なのです。

以前書きましたが、私は京大3回生の時に全宝連京都大会の委員長を務めました。

6月最後の週末にその全宝連が終わった翌日から、今度は農学部の林業実習で、京大演習林のある「芦生(あしう)」という森に行きました。

京都の北部は深い森に覆われていて、中でも芦生は広大な原生林が残る貴重な地域です。

10日間程の林業実習の後に、今度は芦生の一番奥の集落にある漬物工場で暫くアルバイトをしました。その夏は殆ど芦生の森で過ごしたのです。

8月に入り、8月24日は昔から伝わる火祭りの「松上げ」の日でした。

朝から地域の男衆が集まって、高さ20mの杉の太い丸太を河原に突き立てる作業をします。

作業を終えた夕方に一旦解散。

日がとっぷりと暮れた夜8時頃、再び河原に集落の全員が集まって来ました。

男衆だけが結界になった川を渡り、昼間に立てた杉の周りで松明に火をつけます。

松明といっても特殊なもので、細い木を束ねて紐で固定し、それに二、三尺程の藁紐が繋がっています

男衆は先端に火のついた松明を藁紐でぐるぐる回して、杉の天辺に向けて投げ上げます。

杉の天辺には大きな籠が取り付けてあり、その中に燃えやすい枝などが入れてあります。

最初の松明が籠に入ると、その男衆は今年の福男になるのです。

そして籠の中には実は沢山の花火も仕込まれていて、松上げの無事を祝福するかのように、籠が燃え上がると同時に空に盛大に打ち上がるのです。

私も一応男衆に混じって松明を投げ上げましたが、何十年にもわたって投げ続けて来た人達には敵うべくも無く、天から落ちてくる松明を避けて逃げ回っているうちに籠が燃え上がりました。

口を開けて籠を仰いでいると、やがて火が花火に燃え移り、頭上で夢のように花火が炸裂しました。

その時に勝る花火の光景は未だに経験しておりません。

数年前から、芦生の松上げもクレーンで杉を立てているようです。

しかしあの籠に一番松が入って花火が上がるシーンは、まだ変わらない筈です。

8月24日の芦生の松上げをなんとかまた見に行きたいと思っております。

七葉会のお知らせ

今から約二週間後の8月11日(金・祝)、12日(土)に、水道橋宝生能楽堂にて「七葉会」が開催されます。

この七葉会は、東京芸大時代に学年が近かった7人の宝生流若手が集まって、それぞれの社中会のお弟子さん達の仕舞、謡、舞囃子などを合同で発表する会です。今年で7回目になります。

7年前に始めた当初は構成メンバーは5人でした。

当時宝生流重鎮の今井泰男先生が、「ひとりで会をするのが難しい若手は、何人か集まって宝生能楽堂を使って会をすれば良い」と仰られました。

それを受けて、「それでは本当にやってみようか」と思い切って5人で船出したのです。

3年目から7人の固定メンバーになり、5年目からは番数が増えて2日間になりました。

会の運営のイロハから、当日の舞台の地謡まで、とにかく自分達で勉強しながら手探りで進んで参りました。

「問題が起こったら、都度全員で相談しよう」という、先輩後輩の垣根をあまり意識しない体制が奏功したのか、大きなトラブルの無いままに第7回まで辿り着いた訳です。

この会の歩みと共に、メンバーも結婚したり、披き物の大事な舞台を勤めたり、子供が出来たり…とそれぞれの人生を歩んで来て、今年はひとりが産休、ひとりは長男が仕舞デビューします。

勿論お弟子さん達も、7年間を経て皆さんとても上達され、また新しい顔ぶれも増えました。

皆さま再来週の金土は是非宝生能楽堂に応援にいらしていただき、7年間の修行を経た我々七葉会の「今」を御覧くださいませ。

どうかよろしくお願いいたします。

七葉会:於宝生能楽堂

8月11日朝9時〜18時頃

8月12日朝10時〜17時半頃予定