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赤とんぼ

私が「夏の終わり」をしみじみ感じるのは、例えば

・草叢で秋の虫の声を初めて聴いた時。

・赤とんぼが飛んでいるのを初めて見た時。

・ツクツクボウシの声に気付いた時。

などなどですが、今年の場合「秋の虫の声」は早々と8月上旬に聴きました。

そして、今朝は東京で初めて赤とんぼが沢山飛んでいるのを見たのです。これはやはりしみじみと「夏が終わっていくなあ」と思いました。

そして例のごとく、能に「赤とんぼ」は出て来ただろうかと考えて、調べてみました。

するとやはり面白いことがわかりました。

とんぼは漢字で書くと「蜻蛉」ですが、これは「かげろう」とも読むのですね。

どうやら中世の日本では、「とんぼ」と「かげろう」は「翅が薄くてフワフワ飛ぶ虫」として、同じくくりで認識されていたようなのです。

そういえば平安時代に書かれた「蜻蛉日記」は「かげろうにっき」です。

能においては間接的ですが、能「源氏供養」の中で源氏物語の帖名として「蜻蛉」が出て来ます。読みは「かげろう」です。

ところが、ややこしいのは古代には「とんぼ」の事を「秋津」と呼んでいて、日本の形がとんぼに似ているので、日本国土を「秋津州」「秋津島」と称しているのです。

「秋津」は能にもよく出てくる単語で、例えば能「岩船」の後シテは「我は〜秋津島根の龍神なり」と謡っています。

「とんぼ」は「秋津」で、「蜻蛉」は「かげろう」…。

これまた脳内整理が難しい問題です。。

どなたか詳しい方がいらしたら、明快な区別を教えてくださいませ。

さてこの次は、ツクツクボウシの声を聴くのがいつになるのか楽しみです。

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大文字の思い出

今日8月16日は、京都では「五山送り火」が行われます。

私は「五山送り火」そのものよりも、送り火が焚かれる「大文字山」に、とても沢山の思い出があります。

大文字山に最初に登ったのは、京大に入学してすぐの春の頃でした。

始まったばかりの授業の冒頭で講師が「君達、京都は今最高の季節です。私の授業などに出ている暇があったら、何処か行って来なさい」と言って、真っ先に教室を出て何処かに行ってしまいました。

そこでかねてから登ってみたかった大文字山を目指した訳です。

何の情報も無く、ただ見えている「大文字」を目標に銀閣寺の裏手にまわると、登山口がありました。当時其処には馬小屋があって、林道を馬が歩いていて仰天しました。

山道は分かりやすく、中尾城跡を過ぎて長い階段を登ると、30分程で大文字の火床に出ました。

最初にあの景色を見た感動は、いまだに忘れません。

京都盆地の端から端までが眼下一杯に広がる、正に大パノラマです。

そしてすぐそこに京大のキャンパスも見えて、「こんなに素晴らしい眺望を見ないで、みんな授業を受けているのか。何と勿体無い」と妙な優越感に浸って、暫し火床で過ごしました。

その後、数限りなく大文字山に登りました。

1人で登り、京大宝生会の皆で登り、夜に登って100万ドルの夜景を楽しみ、冬に雪が積もればまた登り…。

夜中にライト無しで登る時もありました。「真の暗闇」というものを初めて知り、夜の山に満ちる何とも知れない「畏れ」を感じました。

能楽部で登る時には勿論山上で謡ったり、笛に合わせて舞ったりもしました。

最近は京大宝生会の新歓企画で夜に登って、大文字で鍋を囲むということもしているそうです。

「鴨川デルタ」「百万遍」などと並んで、京大生の大学時代の思い出に欠かせない存在である「大文字山」。

今夜は私は東京ですが、京大を見下ろすように聳えるあの大文字山に、20時頃に火が灯るのを、想像しながら過ごそうと思います。

面白写真  お盆編

今日は面白写真シリーズです。

能には関係無いか、たまに微妙に関係ある程度です。。

4月に「開花宣言」というブログで紹介した上野駅構内のパンダ達が、夏祭りバージョンになっていました。そしてよく見ると…

こちらのパンダにも赤ちゃんが生まれていました!

上野動物園のパンダの赤ちゃんは今生後2ヶ月だそうです。御披露目が待ち遠しいですね。

次は「何がメインのお店なのかわからない…」というお店をいくつか。

お酒がメインなのか、お茶がメインなのか…?

コーヒーショップにあえてこの店名…。

飲みながら英会話レッスンをするのでしょうか。

私が行くと、飲み過ぎて翌朝レッスン内容を忘れている恐れありです。。

お次は某「世界の○○ちゃん」にて。

お馴染みの「世界の○○ちゃん」社長ですが、京大生より、この格好だと某師匠に似ているとの指摘がありました。


元はこうですが、コートと帽子を被ると…

確かに似てますね!

最後に電車で見かけたポスターです。


これは読まなければ!京大の上回生も必読ですね。

今回はこの辺で失礼いたします。

七葉会の在り方

一昨日の七葉会の宴会スピーチで、亀井雄二くんが「七葉会は上の2人(高橋憲正さんと私)が後輩の言うことに耳を傾けてくれるから、会がスムーズに出来る」ということを話してくれました。

しかしむしろ私の目線から見ると、私以外の七葉会メンバーがあまりにしっかりしているので、任せっきりで申し訳無いといつも感じています。

番組の取り纏めから印刷まで、また当日のめくりの作成は東川尚史くん。お弁当は内藤飛能くん。宴会は亀井雄二くん。当日の楽屋のお菓子や飲み物の調達を藪克徳くん。

また受付や切戸や細々とした仕事を東大宝生会、また慶應大宝生会の学生さん達。

これらは誰か偉い立場の人が決めた割り振りではなく、全員顔を付き合わせての話し合いの中で、自然に決まった役割分担なのです。

一方私の役割分担はと言うと、事務所のパソコンとコピー機を使って、各会の名前をA3用紙サイズにプリントアウトして、楽屋に貼る位のことしかしていないのです。

なので偉そうなこと等言える筈もなく、「みんなありがとう。何もしなくてすまん!」と思いながらせめて頑張って地謡を謡っているという次第なのです。

宝生流としての楽屋での先輩後輩の序列は厳然としてあります。

しかし「七葉会」という括りの中では序列云々ではなく、構成メンバーが対等に意見を言い合える関係でいたいと思いますし、これはひとつの大きな実験でもあると思います。

七葉会が今の在り方でずっと存続していけたら、将来この会は何処まで成長していけるのか。

とりあえず3年後の七葉会10周年に向けて、また来年も新しいチャレンジを続けていきたいと思っております。

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貴船神社と鉄輪の井戸

昨日までの七葉会もおかげさまで無事終了いたしました。

関係者の皆様、応援にいらしていただいた沢山の方々、本当にありがとうございました。

七葉会のことは中味が濃すぎるので、後日また書かせていただきたいと思います。

今日は午前中から頑張って京都に移動して、京大若手OBの「能楽の会」の稽古をしました。

来たる10月1日に京都大江能楽堂にて開催予定の京都澤風会で、京大若手OBは素謡「鉄輪」を出すことになっており、今日もその稽古をする為に遠くは金沢から若手OBOGが集まりました。

実は先週の紫明荘稽古で何人かの若手OBOGに、「素謡鉄輪に備えて貴船神社に詣でて来ました。」という話を聞いていました。

「貴船神社境内で鉄輪の謡を奉納したのですが、途中で観光客がすぐ後ろを通って、気まずかったですよ。ははは。」といった感じで、怖そうなスポットでも果敢に謡を謡ってきたそうです。

一方今日の稽古に遥々金沢から来てくれたOGは、「夜行バスで金沢から来ました。朝京都に着いて、ひとりで貴船神社に詣でて来ました…」

え、ではまさか「鉄輪」の謡もひとりで奉納…?と聞いたら、「しませんよそんなこと。」と言われて安心しました。

今日の稽古場が四条烏丸で、実は能「鉄輪」のシテが住んでいた「下京辺」の近くです。

なので稽古終了後に下京の「鉄輪の井戸」まで皆で足を延ばして、貴船神社との距離感を体感して参りました。

「ここから出発して貴船神社で丑の刻参りする為には、多分夜10時位に出て3〜4時間かけて歩いたのだよ。。」「ひえ〜怖…」

皆貴船神社と鉄輪の井戸に詣でて、「鉄輪」の舞台をしっかりイメージ出来たと思います。

今度は七葉会の次の舞台、10月の京都澤風会が楽しみになって参りました。

七葉会無事終了しました

おかげさまで七葉会の今年の舞台も無事に終了いたしました。
宴会の後に七葉の内の何枚かの葉っぱ達と二次会に繰り出し、普段はなかなか取れない仲間との気楽な時間を過ごせました。

また詳しくはゆっくり書かせていただきます。

今日はこれにて、おやすみなさいませ。

七葉会初日

今日から七葉会が始まりました。

初日から素謡、独吟、仕舞も長刀あり、杖ありとバラエティに富んだラインナップでした。

また今年気がついたのは、小学生以下の子供が増えたことです。

20人以上はいたのではないでしょうか。

能楽を後世に伝えていく為の様々な努力が、巡り巡って実を結んで来た結果ではないかと、大変嬉しく思いました。

明日はベテランの舞囃子が沢山出る二日目です。

皆様どうか明日も宝生能楽堂に応援にいらしてくださいませ。

よろしくお願いいたします。

舞台に出たら

今日は水道橋宝生能楽堂にて、明日から始まる七葉会の舞囃子の申合がありました。

澤風会代表の江古田稽古場のMさんも、船弁慶の長刀の舞囃子をされました。

申合とは言え、宝生能楽堂で舞うのはやはり緊張感があります。

過去の澤風会の舞台にほぼ皆勤のMさんですら、朝お会いした時は普段よりもかなり固くなっておられました。

しかし舞台に出るとむしろ固さがとれて、普段通りのMさんに戻って伸び伸びと舞われて安心いたしました。

ちょっと心持ちは違いますが、私も舞台の上に出ると「ああ、やっと舞台の上に来られた」と安心する時があります。

というか自己暗示に近いのですが、「自分は能楽師であり、舞台上では能をすれば良いのだから、地上の何処よりも舞台上が一番安心出来る場所の筈だ」と繰り返し思っていると、やがて本当に舞台上が安心出来る場所になっていったのです。

昔内弟子だった頃にはまた、楽屋の仕事が特に多かったので、その意味でも舞台に出ている時が一番嬉しかった記憶があります。

お弟子さんはまた全然違う心持ちだとは思いますが、どうか明日明後日の七葉会では舞台に出たら、「漸く稽古の成果を出せる!嬉しい!」という気持になって、舞台上の諸々を出来るだけ楽しんでいただければと思います。

また七葉会の会員でない方も、どうか明日明後日は宝生能楽堂に応援にいらしていただければと存じます。

どうかよろしくお願いいたします。

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イスラエルよりも…

私がこれまで体験した中で一番暑かった海外公演は、おそらく一昨年6月終わりに行ったイスラエルだと思います。

例年のイスラエルの6月は、最高気温は30℃に届かずに、空気は乾燥して日本より過ごしやすいと聞いて安心して日本を発ちました。

ところが現地に到着してみると、我々が滞在する期間は異常な高温になるという天気予報が出ていました。

35℃以上の日が続き、日差しは強烈で「飲みたくなくても定期的に水を必ず飲むように」とガイドさんに念を押されました。

しかし湿度は聞いていた通り非常に低く、カラカラに乾燥しています。紋付袴でも汗を殆どかかず、その点はむしろ日本の薪能よりも快適です。

とは言え知らない間に水分が失われるのもまた怖いもので、とにかくこまめに水分補給をしながら、炎天下の芝生や、地中海の浜辺での演能も何とかこなしました。

一方、3日前の日曜日。

京都観世会館で太鼓の会の舞台が無事に終わり、辰巳大二郎くんと2人観世会館を出ました。

「三条京阪まで歩こうか」と平安神宮大鳥居の側にある観世会館を出発。

しかし数分で2人とも汗だくになってしまいました。時間は午後2時半過ぎ。一番気温が高い頃です。

私「う”〜、暑”い!…しかしあのイスラエルに比べれば、まだマシだよね」

大二郎くん「い”や〜、イスラエルは乾燥してたから、まだ良かったです。こっちの方がヤバいです…」

確かに言われてみれば、京都は気温、日差し、湿度と三拍子揃って強烈です。

しかも建物が低く、日陰が殆どありません。

三条京阪までのわずか10数分で、2人ともバテバテでした。。

今日は東京でも37℃越えです。

今年の日本の暑さを乗り越えられれば、たとえ夏のイスラエルに行くことがあっても快適に過ごせると思われます。。

トマトとクワガタ

「松本はアルプスで守られているので、台風の被害はあまり無い」という話を以前に聞いたことがあります。

今朝松本の宿で起きて、「台風直撃の大嵐かも…」と恐る恐る窓外を見るとなんと雨は止んでおり、台風は本当にアルプスを越えられずに北陸方面に曲がっていったようなのです。

特急も平常運転で、何とか無事に東京に帰って、江古田稽古をすることが出来ました。

昨夜は松本稽古の後に、お弟子さん達と食事をせずに、雨を避けてすぐに宿に入りました。

そして荷物を置いてから宿の近辺で晩御飯のお店を探した所、韓国料理屋が一軒ありました。

5年前に仕事で何度か韓国に行って以来、韓国料理はしばしば無性に食べたくなります。

のぞいて見ると、やはり台風のせいか客の姿はひとりも見えません。無理かな…と思いつつ扉を開けて、「あのー、ひとりでも大丈夫ですか?」と尋ねると、手持ち無沙汰に座っていたオモニが「大丈夫!」と言ってくれました。

広い店内を貸し切りで、プルコギなど料理も美味しく、ビールも良く冷えており、非常に幸せな気分に浸っていると、オモニが「トマト食べる?」と聞いてきました。

もちろん「いただきます!」

みずみずしいトマトが丸ごと一個、輪切りになってきました。夏に食べるトマトは美味しさも一入です。

オモニ「私は山の方に住んでいて、トマト作ってるのよ。まだあるよ。」

更に、「お兄さん、出張?クワガタ要らない?」と意味不明なことを言われました。

見るとカウンターの上の虫籠の中に、良い型のノコギリクワガタがいます。

オモニ「家の裏山で木を蹴っ飛ばすと、こんなのが沢山落ちてくるのよ。出張の人には、子供にお土産と言ってあげているの!」

…私はトマトだけ有り難くいただいて、クワガタは遠慮しておきました。。

今回は台風に悩まされた週明けでしたが、そのおかげで美味しい韓国料理屋さんに出会えました。

山に囲まれた松本の、山の恵みを体感した二日間でした。

マッコリもなかなかの味でした。