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禁野に続く天野川

今日は朝から大阪の香里能楽堂にて、今週金曜日に開催される七宝会の申合がありました。

終わって今度は京都の紫明荘稽古に移動する為に、京阪電車に乗りました。

その車窓から何気なく外を見ていると、枚方市を過ぎて小さな川を渡った時に名前の看板が目に入り、少々驚いたのです。

「天野川」

実は能「雲雀山」のワキが「交野の御野  禁野に続く  天の川」と謡う場面があります。

現在の「交野市」は枚方市の隣にあたります。

何となくイメージしていたのは、夜空に架かる天の川が地平線に向かって落ちていく先に「交野の禁野」があるという、スケールの大きな景色でした。

ところが「天の川」は「天野川」で、地面を流れる小さな「天野川」の上流に「交野」があるようなのです。

宇宙的なシーンを想像していたのに、ちょっとがっかりだなと思って更に調べたら、またしても意外なことがわかりました。

実は交野は「七夕伝説発祥の地」と言われており、「天野川」は元々「甘野川」だったのを平安時代の貴族が「天の川」に見立てて改称したというのです。

交野から枚方にかけては、何故か天体に関わる地名(星ヶ丘、星の森、星田など)が多くあり、また「織姫」を祀った神社や「牽牛」の宿った石などもあるとか。

かの在原業平も「交野の七夕伝説」に因む和歌を詠んでいて、結局やはり「天野川」は「天の川」と思って良いようです。

いつも何気なく通っていた京阪沿線にも、平安時代から続く不思議な伝説の地があったのですね。

車窓から「天野川」を見かけて良かったと、大満足して紫明荘稽古に向かったのでした。

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ひとつ人より力持ち…

先週の軽井沢の佳広会からこの方、謡を覚えるのに苦労する日が続いております。

一曲の中に「サシ、クセ」という部分がセットで出て来る曲が多いのですが、この数日で同時進行でおさらいしたサシクセが以下の通りです。

水曜日の佳広会では「紅葉狩」「百万」「頼政」「生田敦盛」「歌占」のサシクセ。

昨日今日は「三山」「花筺」のサシクセ。

サシクセは微妙に似通った節と言葉使いなので、これを7曲同時に覚えると、脳内で大混乱が生じます。。

無論サシクセ以外にも覚える箇所は沢山あるので、ブツブツと呟きながら覚えていると段々精神が病んで来て、謡と違うあらぬ方向に言葉が変化していくことがあります。

今日は楽屋である先輩から、「三山の初同を覚えていたら、”ひとつ世に ふた道かけて 三山の”という言葉が、”ひとつ人より力持ち〜”になっちゃうんだよね…。」と言われました。

「ひとつ人より力持ち  ふたつ故郷後にして  …みっつ未来の大物だぁ!」最近の若い人は知らないでしょう。天童よしみ唄うアニメ「いなかっぺ大将」の主題歌です。

虚空を見つめながら小声で「いなかっぺ大将」を口ずさむ人は相当アブノーマルですが、能楽師が謡をさらっている時には、ままある光景なのです。

よくお弟子さんに、「先生方は謡を何でも覚えていてすごいです」などと言われますが、現実には日々追い詰められて、アニメや時代劇の主題歌などに迷走したりもしながら、謡と格闘しております。。

明日は七宝会申合で、能「井筒」の地謡を謡います。

今日までのサシクセを一旦リセットして、今度は「井筒」をサシクセ含めて全曲おさらいする作業にこれから取り掛かろうと思います。

三山と花筺

今日は愛知県の豊田で、能「花筺」の地謡に出演して参りました。

因みに昨日申合で地を謡って、明日本番なのが能「三山」です。

この2番の能を比べてみると、似通った部分と正反対な部分が混在していて面白いのです。

似た部分は、

・共に四番目の狂女物の能です。

・どちらも後半に、シテとツレが「唐織肩脱ぎ」という出で立ちで登場します。

・花筺の「狂い」という舞と、三山の最後の仕舞部分は位取りが近い舞だと思います。

一方正反対な所は、

・三山は春、花筺は秋の能です。

・片や三山は男女の三角関係に絡む鬱屈した執心がテーマで、此方花筺はハッピーエンドの幸せな恋愛を描いています。

そして私は昨日と今日にこの2番を謡って、「やはり花筺を謡うのは秋が良いなあ」「三山をあえて秋に謡うのもまた面白いなあ」というこれまた正反対の2つの感想を持ちました。

「ある季節の曲を、その季節に謡う」というのは本当に気持ちの良いことで、また一方で「違う季節の曲を謡うことで、その季節を感じる」というのも実にしみじみと感慨深いことなのです。

「三山」と「花筺」という2曲の、複雑な対比を体感して、能楽の良さをまた再認識した週末になりました。

道成寺の鐘作り

今日は午後に能の申合が一番あり、その前後にみっちり道成寺の鐘作りという、少々濃い1日を過ごしました。

鐘作りは水道橋宝生能楽堂の内弟子時代に毎年していましたが、今回の作業メンバーはその頃の内弟子仲間3人で、ちょっと懐かしい思いもありました。

しかし道成寺の鐘というのは、数ある作り物の中でも断トツに手間のかかり、また絶対に失敗の許されない、正に作り物の最高峰なのです。

朝から気合を入れて、作り物倉庫に乗り込みました。

今回はしかも場所が水道橋ではない為、鐘の構造が細部で色々異なっています。

作り方を間違えると、最初からやり直しという恐れもあるので、慎重に作業を進めなければなりません。

とはいえ実は作業時間も限られていて、あまりゆっくりもしていられないという中々に難しいミッションでした。

ただそこは、内弟子時代に長年苦楽を共にした3人です。作業を始めると当時の呼吸がすぐによみがえってきて、「鋏ある?」「あ〜はいここに!」

「ここ、テープで仮留めしてもいいかな?」「うん、それいい考えじゃない!」

という感じで、チームで複雑なパズルを解くように、ゆっくりと着実に鐘作りが進んでいきました。

午後5時を過ぎて今日はタイムアップ。

それでも作業は7割方終わりました。

明後日の日曜日に再び残りを作って、更に道成寺本番当日にも仕上げの作業がある予定です。

毎回何かしら心に残る道成寺鐘作りですが、今回も思い出深いものになりそうです。

佳広会

昨日軽井沢であった大鼓の会「佳広会」は、葛野流家元の亀井広忠師のお社中会でした。

実は澤風会でも亀井師に大鼓を習っている人が何人かいらして、昨日は4人の澤風会会員(母親の郁雲会会員も含みます)が大鼓を打たれました。

皆さん熱演でしたが、中でも仕舞や謡では大ベテランの方が、なんと大鼓は昨日が初舞台ということで、緊張されながらも大変素晴らしい舞台でした。

謡仕舞に加えて大鼓のお稽古もされるのはすごいと思っていたら、昨日は更にすごいベテランの方々がおられました。

「大鼓は亀井先生、小鼓は○○先生、笛は○○先生、太鼓は○○先生で、謡仕舞は○○先生に習っています。」という方など、いったいお仕事との兼ね合いはどうされているのか、本当に大したものだと思いました。

しかし楽屋での話では、昔はそのような方がもっと沢山いらして、能楽界を支えてくださっていたとのことです。

一方澤風会には、最近になってお囃子の稽古を始める人が増えて来ました。

京大宝生会も近年稀に見るお囃子稽古ブームです。(笛3人、大鼓小鼓太鼓各1人。)

能楽関係で複数の種類のお稽古をしてもらえると、師匠同士の交流も増えて、能楽全体にとって非常に有意義なことなのです。

どうか複数の稽古をされている人達は、今後も順調に稽古を続けていただきたいものです。

そして昨日の佳広会のベテランの方々のように、能楽界を横に繋いで盛り上げていってもらえたらとても有り難いと思いました。

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南風月

8月がもうすぐ終わります。

今日は軽井沢にある舞台で、大鼓の会に出演して参りました。

緑のトンネルを抜けた所にある緑に囲まれた会場で、「葉月」に相応しいなと思ったのですが、なんと「葉月」とは「葉が落ちる月」という意味だそうですね。

旧暦の名前とはいえ、ちょっと意外な印象を受けました。

別の語源で、台風が来る季節なので台風を表す南風(はえ)から南風月→はえづき→はづき、という説もあるそうで、私はこちらの方が好みです。

それで思い出したのですが、南風を「はえ」、東風を「こち」というのを始め、日本語には異なる種類の「風」を表現する単語が多くあります。

世界的に見ても、その民族にとって大切な事象には、それを表す言葉が沢山あるのです。

例えば、モンゴルの人々は「馬」を非常に細かく呼び分けているし、チベット人は「ヤク」をやはり年齢性別のみならず、角の形、毛の色、性格までも複雑に組み合わせて、それぞれ別の呼名で呼んでいるそうです。

日本語に「風」や「雨」など気象に関する単語が数多くあるのは、やはり四季の豊かな土地に暮らす日本人にとって、気候の微妙な違いが大切に思われていたということなのでしょう。

今日は日本の東を南風、台風が過ぎていきました。

この台風がおそらく、秋の空気を日本に呼び込んでくるのだと思われます。

また季節が移ろっていくのを味わえる幸せを感じつつ、軽井沢の緑の会場を後にいたしました。

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室町オリンピック…?

先日北の街で、また面白いイベントを見つけました。




縄文オリンピックの略なのでしょう。

下は競技内容の拡大図です。

名前だけでは詳細がわかりませんが、おそらく縄文人が必要としていただろうスキルを、やさしく面白い競技にしたものと思われます。

これを見てあることを思い出しました。

随分昔ですが、アラスカのアンカレッジの街で「ワールド・イヌイット・オリンピック」というものを見たことがあるのです。

これはやはりイヌイットの生活に欠かせない、狩猟や採集を競技に仕立てた大会で、例えば5人チームで1人が獲物役になり、4人で手足を持って運ぶ競争とか、木ノ実に見立てたボールに蹴りで届く高さを競う高跳び競技などがありました。

会場は大きな体育館で、驚くほど大勢の人が観戦して大変な盛り上がりでした。

…能楽は、そもそもが国土安全を祈るものなので、競うことにはあまり向かないと思います。

しかし、能楽そのものではなく、ジョモリンピックやイヌイットオリンピックのように、能楽に必要なスキルを競技にしたら面白いかもと思いました。例えば…

・摺り足100m走。

・110m欄干越え走(ハードルの代わりに欄干が沢山並んでいる)。

・チームを組んでの作り物早作り競争。

・笠投げ(男笠をフリスビーのように投げる距離を競う。またはカーリングのように、中央の的に近く落とすのを競う)。

・紋付袴早たたみ競争。

…ちょっと無理めでしょうか…。

現在世界中にある競技の多くは、人間の生活に必要な、あるいは必要だった行動を競技にしたものです。

能楽には昔の日本人の動きが多く残っているので、これを競技に応用するのは意外に理にかなっている気もするのですが…。

「ふざけすぎ!」とお叱りを受けるようでしたら、お詫びして撤回いたします。。本日はこれにて。

出会いの化学反応

他の皆さんと同様に私も、これまでの人生の色々な段階で、沢山の面白い人達と出会って来ました。

全く違う時と場所で知り合ったそれら面白い人達を、引き合わせて友達になってもらうのが、実は私はとても好きなのです。

面白い人同士が友達になれば、化学反応を起こして更に面白いことが起きそうだからです。

実は今日の江古田稽古でそんなことがありました。

江古田稽古場に新たに入会してくれたのは、20数年前に京大宝生会の縁で知り合った人でした。英語の先生です。

そしてその人が稽古に来る時間帯に、私の小中高の同級生も稽古しているのです。こちらは英語の通訳をしています。

今日初めて稽古場で顔を合わせました。

私としては、その2人が目の前で会話しているのを見るのは不思議な感じなのですが、どちらも実に愉快な人物でテンションも高めなので、すぐに打ち解けて軽快に話していました。

また共に「英語」と「能楽」に関わる人になるわけで、この点でも今後何か面白いことに繋がっていけば良いと思います。

能楽を縦糸にして、これからも色々な面白い人達との出会いを織り重ねていけたら、有り難いことだと思います。

亀岡の花々〜夏から秋へ〜

昨日の亀岡稽古で、今年始めてツクツクボウシの声を聞きました。

空気も少し乾いて、暑さも僅かですが和らいで、いよいよ秋が近づいてきたと思いました。

亀岡には夏から秋への移ろいを感じさせる花々が咲いていました。

スズムシバナです。

ややこしいのですが、ランの仲間に「スズムシソウ」があり、そちらは鈴虫に形の似た花を咲かせるそうです。

こちらのスズムシバナは、鈴虫が鳴き始める頃に咲くので名付けられたということ。

オシロイバナと逆に、朝咲いて夕方には萎れてしまうので、写真を撮った時もちょっと元気が無い感じでした。

またこのスズムシバナは「キツネノマゴ科」に属するそうで、またしても新美南吉風な名前に興味が湧いて調べてみたのですが、「キツネノマゴ」の名前の由来は残念ながらはっきりしませんでした。

ヤブランです。

夏から秋に咲く花ですが、こちらは「キジカクシ科」だそうで、やはりメルヘンチックな科に属しているのですね。


ナデシコに似た花が咲いているなと思いましたが、これは「オグラセンノウ」というやはりナデシコの仲間でした。

なんと絶滅危惧種だそうです。

シーズン終わりの最後のひと花が見られてラッキーでした。

もう萩が咲いていると思ったら、これは「ヌスビトハギ」だそうです。萩よりも花の時期が少し早いのです。

この植物、花が終わると下のようになります。

この種子の形に見覚えはありませんか?

草原を歩いた後に、この種が服に大量に付いてしまって、取るのに苦労することがあります。

このような種を持つ植物を総称して「ひっつき虫」というそうです。なんだか今日は可愛らしい名前が多いのです。

秋の七草、オミナエシです。

ようやく能関係の花を見つけました。

能「女郎花(おみなめし)」では、この花を「花の色は蒸せる粟のごとし」と謡っていますが、確かに小さくて黄色い花は粟の粒に似ているように見えます。

ちなみに仲間の「オトコエシ」は白い花です。

こちらも秋の七草、フジバカマです。

能「善知鳥」に「間遠に織れる藤袴」という謡がありますが、こちらは本当の衣類の袴を指していると思われます。

フジバカマという植物には、実は特別な話のネタがあるのですが、それはまた回を改めて書きたいと思います。

今日はこの辺で失礼いたします。

坪光松ニ先生の思い出

京大宝生会で私がお世話になった先生方で、冬の寒い日になると思い出すのが小川芳先生ですが、また夏の暑い日に思い出される先生がいらっしゃいます。

坪光松ニ先生です。

坪光先生には謡を教えていただきました。

先生は宝生流職分でありながら、大阪大学で教授までされていた、数学の先生でもありました。

その話を聞いて、高校で使っていた数研出版の教科書を見ると、なんと著者一覧に坪光先生の御名前もありました。

今も「数研出版  坪光松ニ」で検索すると先生の著書が出てくる筈です。

如何にも学者然とした、静かで知的な風貌の先生の謡は、しかし迫力と味わいに満ちた「本物」の謡でした。

また僅か一文字も疎かにせずに技巧を凝らした謡い方と、曲全体を見渡した正確な位取りには、「謡に微分積分の考え方が応用されているようだ」と感じたりしました。

先生の鸚鵡返しの謡は、たとえ相手が経験の浅い学生だからと言って、一切手加減の無いものでした。

今でも残っている当時のテープを聴くと、学生のまだ幼い謡に対して、先生は何度でも繰り返して正確無比な本物の謡を謡って下さっています。

私などは、相手に応じて「ここはまだ出来なくて良いかな」などと注意を先送りすることがままあるので、先生の姿勢には本当に頭が下がります。

実は数年前に渡独した若手OBのT君は、その坪光先生の鸚鵡返しのテープを繰り返し聴いて謡の勉強をしていて、ドイツにも持って行っていました。彼が坪光先生最後の弟子と言えるかもしれません。

今の現役達も、出来れば坪光先生のテープを聴いてほしいものです。

実際には先生に4年間フルに習ったのは、私の学年が最後でした。

先生が亡くなられたのは8月の暑い日で、葬儀は教会で執り行われました。

先生がクリスチャンだったのをそこで初めて知って驚きました。

また、教会なので当然謡は謡えず、「先生をお送りするのには、賛美歌よりも謡が良いのになあ」と内心思ったことを覚えています。

いつか坪光先生のあの鸚鵡返しのように教えられるようになるのが、私にとっての遠い目標なのです。