京都のオーロラ

今日は江古田稽古でした。

次の舞台迄には少し間があり、通常モードの稽古を淡々とする日かな…と思っていたら、1月に体調を崩してお休みされていた会員さんが久々に顔を出されたり、見学の方が急にいらしたりと、色々賑やかな日になりました。

そして先ほど稽古を終えて携帯のニュースを見たところ、「太陽フレア」という文字が見えました。

太陽フレアとは太陽表面の爆発現象で、今回は10年に一度の大規模な爆発だそうです。

私が江古田稽古をしていた同時刻に、太陽から噴出した大量のガスが地球に向かっていたようで、明日午後に地球に到達して電子機器などに影響が出る可能性があるそうです。

それは深刻な話ですが、太陽フレアのガスは同時に「オーロラ」の活動を活発にするのです。

世界各地で綺麗なオーロラが見える可能性が高く、日本でも北海道でオーロラが見えるかもしれません。

明日のニュースで北海道のオーロラが見られると嬉しいですが、また思い出したのが、「鎌倉時代には京都でオーロラが観測された」という話です。

この記録を残したのが「藤原定家」。

能「定家」では、死してなお「定家葛」になって式子内親王に絡みつくという、ちょっとストーカー気味な存在になっています。。

しかし定家の日記「明月記」は鎌倉時代の貴重な記録で、様々な天体現象も克明に記されています。

そこには「1204年2月21日に京都の夜空に”赤気”が現れて恐ろしい」と書かれています。

この”赤気”がオーロラの事で、当時は地軸の関係で低緯度でもオーロラが観測出来たようなのです。

定家さんは「恐ろしい」と書いていますが、もしも万が一、現代の京都にオーロラが出現するようなことがあれば、何としてでも観てみたいものです。

壮大な宇宙の活動の中で自分が存在しているという事実を、久しぶりに思い出させてくれたニュースでした。

マラソンポスター

澤風会の稽古場があったり、また定期的に仕事で行ったりする街には、同じ日本国内とは言えそれぞれ全く違うカラーがあります。

今回、面白写真を集める中でマラソンのポスターにその特徴が良く出ていたので紹介させていただきます。

街は東京、松本、京都、青森です。

まずは東京。

やはりスタイリッシュで洗練された印象です。

カラフルで楽しそうですが、ハジけた面白要素はあまり無いですね。

多様な人が暮らす首都東京で、ポスターも最大公約数に受け入れられるものにしたのでしょう。

次に松本です。

全くもって真面目なポスターです。

目に見える派手さは求めずに、日々を正しく気持良く生きている街、松本らしいポスターだと思います。

次は京都。

伝統を重んじる古都ながら、時代時代の新しい風も軽やかに取り入れて来た街です。

森見登美彦の小説などに感じられる、独特の怪しいユルさがあるこの街は、私の第二の故郷なのです。

ポスターのような格好で走ると面白そうですが、それをするとしたら京大生くらいでしょう。

しかし最後の街、青森は…


…。仮装でアフロ…。

もはやマラソンにする必要があるのかも良くわかりません…。

しかし、ユーモアのセンスで言うと、青森は私が行く街の中で群を抜いています。

冬が厳しいだけに、明るく暖かい季節をとことん楽しもうというある種の気迫、気合すら感じられます。

青森の皆さん、これからも面白写真を期待しております。

能のワキで多い役が「諸国一見の僧」で、僧は行く先々で不思議な出来事に巻き込まれます。
私は不可思議な目にはあまり遭いませんが、諸国を巡りながら、出会った面白い出来事をこれからも御紹介させていただきます。

今日はこの辺で。

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タリーズ、レバー、ナルニア国

先日のいなかっぺ大将ネタのブログに関して、記憶術があれば教えてほしいとのコメントをいただきました。

私は特に記憶「術」のようなものは持っておりません。

前にも書きましたが、覚えるときには必ず正しい謡だけを口ずさむようにしております。

そうすれば、頭が一瞬空白になっても無意識に正しい謡が出て来るものです。

逆に、覚える途中で間違った謡を1度謡ってしまったら、正しい謡を5〜6回すぐに謡い直すようにしています。記憶の上書きですね。

あとは私の場合、同じ謡でも頭に入って来る順番があるようです。

①ストーリーがはっきりしている謡が一番早く頭に入ります。

②固有名詞が多い謡も比較的入りやすいです。

③ストーリー性があまり無く、例えば人の世の無情といった普遍的なテーマを延々と説く謡が最も記憶し辛いです。

またこれら全ての謡に共通して厄介なのが「助詞・助動詞の変化」です。

「なりけり、なりたり、なりしに、なれば…」などが一曲の中にランダムに出て来て、これを間違えると曲が「ループ」したり、逆に「ワープ」したりと言った恐ろしいことも起こります。

なので私は助詞助動詞を記憶するときには、先ず「インパクトのある文字」に置き換えて記憶するということをしています。例えば…

なりけり→なり蹴り

なりけん→な理研

なるとかや→NARUTOかや

なりたり→なりタリーズ

なりしに→なり死に

なるに→ナルニア国

なれば→なレバー

人の言うらん→人の遊覧

人の見るらん→人蚤るらん

人や聞くらん→人や菊蘭

~かな→女性の名前

~やな→関西弁

…つまり謡を浚いながら、「次は何だっけ。タリーズだ。その次は理研だ。」という具合に記憶を手繰っていくのです。

しかしあくまでこれは正しい謡を記憶する迄の話です。

決して舞台上で、「次はレバーだっけ、ナルニア国だっけ」などと考えている訳ではありません。念のため。

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禁野に続く天野川

今日は朝から大阪の香里能楽堂にて、今週金曜日に開催される七宝会の申合がありました。

終わって今度は京都の紫明荘稽古に移動する為に、京阪電車に乗りました。

その車窓から何気なく外を見ていると、枚方市を過ぎて小さな川を渡った時に名前の看板が目に入り、少々驚いたのです。

「天野川」

実は能「雲雀山」のワキが「交野の御野  禁野に続く  天の川」と謡う場面があります。

現在の「交野市」は枚方市の隣にあたります。

何となくイメージしていたのは、夜空に架かる天の川が地平線に向かって落ちていく先に「交野の禁野」があるという、スケールの大きな景色でした。

ところが「天の川」は「天野川」で、地面を流れる小さな「天野川」の上流に「交野」があるようなのです。

宇宙的なシーンを想像していたのに、ちょっとがっかりだなと思って更に調べたら、またしても意外なことがわかりました。

実は交野は「七夕伝説発祥の地」と言われており、「天野川」は元々「甘野川」だったのを平安時代の貴族が「天の川」に見立てて改称したというのです。

交野から枚方にかけては、何故か天体に関わる地名(星ヶ丘、星の森、星田など)が多くあり、また「織姫」を祀った神社や「牽牛」の宿った石などもあるとか。

かの在原業平も「交野の七夕伝説」に因む和歌を詠んでいて、結局やはり「天野川」は「天の川」と思って良いようです。

いつも何気なく通っていた京阪沿線にも、平安時代から続く不思議な伝説の地があったのですね。

車窓から「天野川」を見かけて良かったと、大満足して紫明荘稽古に向かったのでした。

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ひとつ人より力持ち…

先週の軽井沢の佳広会からこの方、謡を覚えるのに苦労する日が続いております。

一曲の中に「サシ、クセ」という部分がセットで出て来る曲が多いのですが、この数日で同時進行でおさらいしたサシクセが以下の通りです。

水曜日の佳広会では「紅葉狩」「百万」「頼政」「生田敦盛」「歌占」のサシクセ。

昨日今日は「三山」「花筺」のサシクセ。

サシクセは微妙に似通った節と言葉使いなので、これを7曲同時に覚えると、脳内で大混乱が生じます。。

無論サシクセ以外にも覚える箇所は沢山あるので、ブツブツと呟きながら覚えていると段々精神が病んで来て、謡と違うあらぬ方向に言葉が変化していくことがあります。

今日は楽屋である先輩から、「三山の初同を覚えていたら、”ひとつ世に ふた道かけて 三山の”という言葉が、”ひとつ人より力持ち〜”になっちゃうんだよね…。」と言われました。

「ひとつ人より力持ち  ふたつ故郷後にして  …みっつ未来の大物だぁ!」最近の若い人は知らないでしょう。天童よしみ唄うアニメ「いなかっぺ大将」の主題歌です。

虚空を見つめながら小声で「いなかっぺ大将」を口ずさむ人は相当アブノーマルですが、能楽師が謡をさらっている時には、ままある光景なのです。

よくお弟子さんに、「先生方は謡を何でも覚えていてすごいです」などと言われますが、現実には日々追い詰められて、アニメや時代劇の主題歌などに迷走したりもしながら、謡と格闘しております。。

明日は七宝会申合で、能「井筒」の地謡を謡います。

今日までのサシクセを一旦リセットして、今度は「井筒」をサシクセ含めて全曲おさらいする作業にこれから取り掛かろうと思います。

三山と花筺

今日は愛知県の豊田で、能「花筺」の地謡に出演して参りました。

因みに昨日申合で地を謡って、明日本番なのが能「三山」です。

この2番の能を比べてみると、似通った部分と正反対な部分が混在していて面白いのです。

似た部分は、

・共に四番目の狂女物の能です。

・どちらも後半に、シテとツレが「唐織肩脱ぎ」という出で立ちで登場します。

・花筺の「狂い」という舞と、三山の最後の仕舞部分は位取りが近い舞だと思います。

一方正反対な所は、

・三山は春、花筺は秋の能です。

・片や三山は男女の三角関係に絡む鬱屈した執心がテーマで、此方花筺はハッピーエンドの幸せな恋愛を描いています。

そして私は昨日と今日にこの2番を謡って、「やはり花筺を謡うのは秋が良いなあ」「三山をあえて秋に謡うのもまた面白いなあ」というこれまた正反対の2つの感想を持ちました。

「ある季節の曲を、その季節に謡う」というのは本当に気持ちの良いことで、また一方で「違う季節の曲を謡うことで、その季節を感じる」というのも実にしみじみと感慨深いことなのです。

「三山」と「花筺」という2曲の、複雑な対比を体感して、能楽の良さをまた再認識した週末になりました。

道成寺の鐘作り

今日は午後に能の申合が一番あり、その前後にみっちり道成寺の鐘作りという、少々濃い1日を過ごしました。

鐘作りは水道橋宝生能楽堂の内弟子時代に毎年していましたが、今回の作業メンバーはその頃の内弟子仲間3人で、ちょっと懐かしい思いもありました。

しかし道成寺の鐘というのは、数ある作り物の中でも断トツに手間のかかり、また絶対に失敗の許されない、正に作り物の最高峰なのです。

朝から気合を入れて、作り物倉庫に乗り込みました。

今回はしかも場所が水道橋ではない為、鐘の構造が細部で色々異なっています。

作り方を間違えると、最初からやり直しという恐れもあるので、慎重に作業を進めなければなりません。

とはいえ実は作業時間も限られていて、あまりゆっくりもしていられないという中々に難しいミッションでした。

ただそこは、内弟子時代に長年苦楽を共にした3人です。作業を始めると当時の呼吸がすぐによみがえってきて、「鋏ある?」「あ〜はいここに!」

「ここ、テープで仮留めしてもいいかな?」「うん、それいい考えじゃない!」

という感じで、チームで複雑なパズルを解くように、ゆっくりと着実に鐘作りが進んでいきました。

午後5時を過ぎて今日はタイムアップ。

それでも作業は7割方終わりました。

明後日の日曜日に再び残りを作って、更に道成寺本番当日にも仕上げの作業がある予定です。

毎回何かしら心に残る道成寺鐘作りですが、今回も思い出深いものになりそうです。

佳広会

昨日軽井沢であった大鼓の会「佳広会」は、葛野流家元の亀井広忠師のお社中会でした。

実は澤風会でも亀井師に大鼓を習っている人が何人かいらして、昨日は4人の澤風会会員(母親の郁雲会会員も含みます)が大鼓を打たれました。

皆さん熱演でしたが、中でも仕舞や謡では大ベテランの方が、なんと大鼓は昨日が初舞台ということで、緊張されながらも大変素晴らしい舞台でした。

謡仕舞に加えて大鼓のお稽古もされるのはすごいと思っていたら、昨日は更にすごいベテランの方々がおられました。

「大鼓は亀井先生、小鼓は○○先生、笛は○○先生、太鼓は○○先生で、謡仕舞は○○先生に習っています。」という方など、いったいお仕事との兼ね合いはどうされているのか、本当に大したものだと思いました。

しかし楽屋での話では、昔はそのような方がもっと沢山いらして、能楽界を支えてくださっていたとのことです。

一方澤風会には、最近になってお囃子の稽古を始める人が増えて来ました。

京大宝生会も近年稀に見るお囃子稽古ブームです。(笛3人、大鼓小鼓太鼓各1人。)

能楽関係で複数の種類のお稽古をしてもらえると、師匠同士の交流も増えて、能楽全体にとって非常に有意義なことなのです。

どうか複数の稽古をされている人達は、今後も順調に稽古を続けていただきたいものです。

そして昨日の佳広会のベテランの方々のように、能楽界を横に繋いで盛り上げていってもらえたらとても有り難いと思いました。

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南風月

8月がもうすぐ終わります。

今日は軽井沢にある舞台で、大鼓の会に出演して参りました。

緑のトンネルを抜けた所にある緑に囲まれた会場で、「葉月」に相応しいなと思ったのですが、なんと「葉月」とは「葉が落ちる月」という意味だそうですね。

旧暦の名前とはいえ、ちょっと意外な印象を受けました。

別の語源で、台風が来る季節なので台風を表す南風(はえ)から南風月→はえづき→はづき、という説もあるそうで、私はこちらの方が好みです。

それで思い出したのですが、南風を「はえ」、東風を「こち」というのを始め、日本語には異なる種類の「風」を表現する単語が多くあります。

世界的に見ても、その民族にとって大切な事象には、それを表す言葉が沢山あるのです。

例えば、モンゴルの人々は「馬」を非常に細かく呼び分けているし、チベット人は「ヤク」をやはり年齢性別のみならず、角の形、毛の色、性格までも複雑に組み合わせて、それぞれ別の呼名で呼んでいるそうです。

日本語に「風」や「雨」など気象に関する単語が数多くあるのは、やはり四季の豊かな土地に暮らす日本人にとって、気候の微妙な違いが大切に思われていたということなのでしょう。

今日は日本の東を南風、台風が過ぎていきました。

この台風がおそらく、秋の空気を日本に呼び込んでくるのだと思われます。

また季節が移ろっていくのを味わえる幸せを感じつつ、軽井沢の緑の会場を後にいたしました。

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室町オリンピック…?

先日北の街で、また面白いイベントを見つけました。




縄文オリンピックの略なのでしょう。

下は競技内容の拡大図です。

名前だけでは詳細がわかりませんが、おそらく縄文人が必要としていただろうスキルを、やさしく面白い競技にしたものと思われます。

これを見てあることを思い出しました。

随分昔ですが、アラスカのアンカレッジの街で「ワールド・イヌイット・オリンピック」というものを見たことがあるのです。

これはやはりイヌイットの生活に欠かせない、狩猟や採集を競技に仕立てた大会で、例えば5人チームで1人が獲物役になり、4人で手足を持って運ぶ競争とか、木ノ実に見立てたボールに蹴りで届く高さを競う高跳び競技などがありました。

会場は大きな体育館で、驚くほど大勢の人が観戦して大変な盛り上がりでした。

…能楽は、そもそもが国土安全を祈るものなので、競うことにはあまり向かないと思います。

しかし、能楽そのものではなく、ジョモリンピックやイヌイットオリンピックのように、能楽に必要なスキルを競技にしたら面白いかもと思いました。例えば…

・摺り足100m走。

・110m欄干越え走(ハードルの代わりに欄干が沢山並んでいる)。

・チームを組んでの作り物早作り競争。

・笠投げ(男笠をフリスビーのように投げる距離を競う。またはカーリングのように、中央の的に近く落とすのを競う)。

・紋付袴早たたみ競争。

…ちょっと無理めでしょうか…。

現在世界中にある競技の多くは、人間の生活に必要な、あるいは必要だった行動を競技にしたものです。

能楽には昔の日本人の動きが多く残っているので、これを競技に応用するのは意外に理にかなっている気もするのですが…。

「ふざけすぎ!」とお叱りを受けるようでしたら、お詫びして撤回いたします。。本日はこれにて。