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松本澤風会

昨日は松本郊外の「美ヶ原温泉」にて「松本澤風会大会」を開催いたしました。

松本稽古場のメンバーを始め、東京、京都、岐阜、金沢などから集まった皆さんによる発表会でした。

今回は、6歳の男の子がお母さんの太鼓に合わせて仕舞「西王母」を舞い、次に入れ替わってお母さんが男の子の太鼓に合わせて仕舞「西王母」を舞うという企画や、小鼓や太鼓を稽古している方々が居囃子や舞囃子に挑戦されたりして、皆様存分に稽古の成果を発揮されました。

しかし実は私は風邪を引いてしまい、途中からひどい声になってしまいました。。

そして天気は本降りの雨。。

どうやらブログに書いた事と逆のことが起こるようです…。

体調のこともあり、昨日はブログを更新出来ませんでしたが、昨日の分は後日「1日に2回更新」という裏技で帳尻を合わせたいと思います。

明日は稲城市の小学校で1人で能楽教室をするので、何としても明日までに風邪を治したいと思います、と書くとまた逆になりそうですが…。

中入のパターン

能のうちで「中入」がある曲は沢山あります。

更にそのうちの大半には「間狂言」があり、1人の狂言方がその曲に関する話をワキ方に10分ほど物語る、というパターンが最もよくみられます。

しかし中には違うパターンの曲もあり、作り物の出し入れで時間をとったり、狂言方2人若しくは狂言方とワキ方で寸劇のようなものをしたりする場合もあります。

あくまで私の好みですが、前者の狂言方の語りだけの中入よりも、後者の方が色々面白い気がいたします。

今日の五雲会で地謡を謡った能「小督」の中入はというと…

①まず前シテが中入。

②その後にワキがゆったりとした運びで中入。

③それに続いてツレ小督の局とツレ侍女が静々と登場。

④更に続けて作り物「片折戸」が後見2人によって舞台に出される。

⑤狂言方による短い台詞。

⑥ツレ小督の局の謡。

⑦地謡。

というように進み、ここまでで10分ちょっとかかるので、シテが装束を取り換えるのには充分な時間がとれるのです。

この小督の中入は、ストーリーに途切れが少なくて良く考えられていると思いました。

また五雲会最後の曲「黒塚」の中入は、シテ里女の寝室を見たがる狂言方と、それを止めるワキ方の寸劇です。

この寸劇が本当に面白く、昔大阪の舞台で、地謡が思わずニヤリとしているのを見たことがある程です。

他にも「烏帽子折」「橋弁慶」「船弁慶」「放下僧」などの中入は面白いと思います。

これらの曲を御覧になるチャンスがあれば、中入にも是非御注目くださいませ。

寒いのか暑いのか?

昨日の天気予報で、今日からぐっと気温が下がると聞いておりました。

確かに東京の自宅で朝起きると肌寒く、暑がりの私もついに長袖を引っ張り出して羽織り、京都の紫明荘稽古に向かいました。

ところが、雨模様で湿度は高いため、新幹線に乗るまでにちょっと急いで行動したら今度は車内で汗が出て来ました。

そして京都に着いて地下鉄に乗り換え、紫明荘最寄りの駅で地上に出ると、外はやはり冷んやりとして肌寒い感じです。

紫明荘に到着して稽古を始めるとまた暑くなり、稽古を終えて京大BOXまで歩く最中は肌寒く、京大で稽古を始めるとまた汗をかく…という繰り返しで、一体今日は暑いのか寒いのか、どっちなんだハッキリしてくれい!

…と思ってしまいました。

京大の学生の格好も、Tシャツに短パンと、重ね着してすっかり冬支度の者が混在して何とも珍妙な雰囲気です。

この時期は風邪も引きやすいようで、京大ではマスク姿を何人か見かけました。

これだけ気温が乱高下して天候も不安定だと、体調管理は本当に難しいと思います。

当面は長袖を捲ったり伸ばしたり、雨具を常に持ち歩くようにしたりして、この不安定な気候を何とか乗り切ろうと思っております。

…因みに帰りの新幹線車内は、空調が効きすぎで肌寒いのでした。。

作り物の出し入れ

今日は水道橋宝生能楽堂にて、明後日土曜日に開催の「五雲会」の申合がありました。

私は能「小督」の地謡でした。

この「小督」という曲には、ちょっと変わった作り物が出ます。

「片折戸(かたおりど)」という名前の作り物なのですが、これは本体の「扉」と、その左右に置く「柴垣」が5つの、合計6つの部品から成り立っています。

これを中入り後に後見が束ねて持って出て、舞台上でバラして舞台いっぱいに拡げて並べます。

そしてまたある場面になると、後見が全て束ねて持って帰る訳です。

この「片折戸」の出し入れは、作り物の出し入れの中でも複雑な部類に入るので、注目していただければと思います。

明後日の五雲会では、他にも能「枕慈童」では「藁屋」と「菊花付き一畳台」、能「黒塚」でも「柴屋」と「枠枷輪(わくかせわ)」という作り物が出ます。

「枠枷輪」は、「半幕」という特殊な幕上げ方法で舞台に出します。

また「藁屋」と「柴屋」は、ある重要なモノが中に入った状態で舞台に出すので、それを如何に見所に気付かれずに出すかが難しいのです。

…という訳で、明後日正午始めの宝生流五雲会。

「作り物の出し入れの様々な方法」という視点で見ても、色々と面白いと思います。

皆様どうかお誘い合わせの上、宝生能楽堂にお越しくださいませ。

亀岡の花々  〜夏の名残り〜

今日は亀岡稽古でしたが、夏の最後の抵抗なのか今日の京都は30℃近くまで気温が上がり、亀岡稽古場ではなんと蝉が鳴いていました。

しかしこの暑さならば、もしかしてまだ可能性があるかも…と思ってフジバカマを見てみると…

やはりアサギマダラがまだいてくれました!

3匹飛んでいたうちの2匹が写真に写っています。

今週末の雨の前に、南の島に旅立つと思われるので、ギリギリで会うことが出来て良かったです。

そして他に何か花が咲いていないか探してみると…

先ずはよく見るノコンギクがありました。

「野菊の墓」の野菊はこの花だと言われているそうです。

野菊に続いて、こちらは「野牡丹」だそうです。

何となく南国風の花だなと思ったら、やはり中南米原産の「紫紺野牡丹」でした。

今日の夏の暑さにぴったりの花です。

これは「サンインヒキオコシ」という花です。

「ヒキオコシ」という名前の由来は、弘法大師が行き倒れの行者を見つけて、この植物を絞って汁を飲ませたところすぐに元気になった、という故事から来ているそうです。

しかしその汁は「一度飲んだら忘れられないほど苦い」そうで、正に「良薬は口に苦し」ということなのでしょう。

林床に変わった花が咲いていました。

調べると「シモバシラ」という名前だそうで、確かに霜柱が立っているのに似ているな、上手いこと名付けるなと思ったら、実はもっと驚きの由来がありました。

この花が散った後の枯れた茎に、冬になると霜柱が立つそうなのです。

地下に張った根が水分を茎に吸い上げて、それが凍るのだとか。

これは冬の亀岡稽古の楽しみが増えました。また「シモバシラ」の「霜柱」が撮れたら、報告いたします。

最後はこちらです。

「コムラサキ」の実です。

コムラサキは園芸店では「紫式部」として売られているそうです。

このブログで6月17日に、半蔀の謡蹟を訪ねた時に「紫式部の墓」に咲いていた小さな紫色の花。

今あそこを訪ねたら、きっと上のような実がなっていると思われます。時間があれば行ってみたいところです。

6月17日はとても暑い日でした。

今日もまた暑い日でしたが、この暑さは夏の名残りです。

アサギマダラと紫式部の実を見て、何かこの夏が完結したような気分になりました。

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「危ないこと」や「痛いこと」

このブログでは舞台に纏わる様々なことを書いていますが、実はそれは主に「きれいなこと」と言いますか、表に出しやすい事柄を選んで書いております。

日々の舞台の裏では、「危ないこと」「痛いこと」「汚いこと」なども本当はたくさんあるのです。

今日は、ここ1週間の舞台でのそういった出来事を書いてみたいと思います。

①先週火曜日、群馬での薪能。(虫が苦手な方は②まで飛ばしてください!)

その日は非常に虫が多く、舞台上にもたくさんの大小の虫達が飛んだり跳ねたりしていました。

演者に踏まれないか、ハラハラしながら後見座で見ていると、私の右の袂から何やら虫が袖の奥に入っていく気配が。

しかし舞台上では何があっても大きな身動きなどは出来ません。

「うわ〜!勘弁して!」と内心思いながらもジッと耐えていると、今度は右肘の辺りに刺すような痛みが。

「ぐわ〜!痛い!」と思いながらも更に耐えて、舞台が終わってから急いで見てみると、やはり何かに噛まれたような赤い腫れが出来ていました。。

前に舞台上で鼻の頭に蚊が止まった時もキツかったのですが、今回はそれ以上でした。

②先週水曜日、大阪枚方での薪能。

午後に現地に到着すると、天気は良いけれど非常に強い風が吹いていました。

楽屋テントの「中」で楽屋弁当を食べようとしたら、隙間風で蓋が吹き飛ばされる位の強風です。

薪能「黒塚」で使う作り物の「柴屋」の扉が風で開いてしまうので、テントの固定に使う鉄の杭を扉に縛り付けて重石にしました。

シテ満次郎師は、さすが苦もなく扉を開けておられましたが、何と開けた瞬間に扉を固定する紐が一本切れてしまいました。

地頭の山内師がすかさず気付いて、後見を呼んで予備の紐で結びなおしてもらい、事無きを得ました。

何とか無事終わってホッとした帰り道。

中秋の名月を眺めながら歩いていた私は暗闇の淀川河川敷で水溜りにはまり、草履と黒足袋がどろどろになってしまいました。

駅のホームで足を洗い、残念ながら黒足袋は処分して、羽織袴に裸足で草履という姿で新幹線で東京まで帰る羽目になりました。。

③先週土曜日、熱海のビーチでの薪能。

演出の一環として、私は松明を持ってシテと一緒に船に乗り込むことになりました。

マリーナから出航した船がビーチに乗り上げ、舳先から先ず私が渚に降りて、次に降りて来るシテを松明で照らすという演出です。

出航までは何とか無事でしたが、船上で松明に火を灯そうとした所、着火マンで簡単につく筈の松明が全然つかず。

船頭さんのターボライターも加えて必死で炙り、何とかビーチに到着する直前に点火しました。

やれやれと燃える松明を掲げて、さて船から降りようとスロープを見ると、なんと先端部分が波の中にあります。

「これは袴は明日クリーニングだな…」と瞬間的に思いましたが、波が引くのを見計らって出来るだけ目立たないように最後にピョーンと飛んで降り、これも何とか海中ではなく地面に着地できました。

…といった感じで、「能楽師」は比較的安全な職業とは言いながら、日々小さな危険やアクシデントを乗り越えながら「何とか」仕事をこなしている訳です。

他の人の話ではもっともっとすごいものも沢山ありますが、それはまたの機会に。

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名古屋の道成寺

今日は名古屋能楽堂にて、内藤飛能君の能「道成寺」がありました。

先月初めに、内藤君と東川尚史君と3人で鐘作りをしましたが、ついにその鐘が陽の目を見る時が来た訳です。

名古屋能楽堂は、客席数660で日本一、舞台の広さも通常の三間四方よりも少し大きくとってあります。

それに合わせて天井も水道橋宝生能楽堂よりも1メートル近く高くなっています。

そしてそのサイズに合わせたのか、鐘自体も水道橋のものよりも一回り大きく、いかにも重そうです。

私は3月の宝生会別会に続いて、鐘後見のひとりを勤めることになっていました。

実際に午前中に一度舞台に出して吊り上げてみると…

「う〜ん!」と力を込めて、鐘後見の大の男4人で綱を引くのですが、なかなか思うように上がってくれません。

「これは水道橋よりもかなり重いね…」と鐘後見メンバーは若干不安になりました。

しかし、鐘が上がらないと舞台は始まりません。

途中も、上げる高さを微調整しながら何度も鐘を上げ下げしないといけないのです。

足袋の裏を少し濡らしたり、それぞれちょっとした工夫をして、午後の本番をむかえました。

幕が上がって、狂言方によって鐘が舞台に運ばれて来ます。

やはり3月の時のように、ここで見所のテンションが上がっていくのを感じました。

綱が滑車に通されて、狂言方から家元に渡されます。いよいよ鐘を吊る時が来ました。

「むんっ!」と力を込めると、やはり本番はアドレナリンが出ているためか、午前中よりもスムーズに鐘が上がっていきました。

そうは言っても、やはり重い鐘です。

私は後ろから綱引き役の人を押さえるだけの役でしたが、今回は舞台が終わると手に力が入らない程に疲れてしまいました。。

先月苦労して作り、今日一日必死で上げ下げした鐘も、本番が無事に終わるとすぐに解体されてしまいます。

しかも作るのは2日がかりだったのに、こわすのにはたったの30分しかかからないのです。

今日も記憶に残る良い道成寺でしたが、名古屋の鐘での鐘後見は、次回は若者に譲りたいかも…と、筋肉疲労でちょっとプルプルする指でブログを打ちながら思ったのでした。

能「安宅」の演出

今月22日にある宝生会別会にて、家元は能「安宅  延年之舞」という大曲を演じられます。

私もツレの同行山伏を勤めます。

この「安宅」は、シテ弁慶の他に子方義経、ツレ同行山伏8人、ワキ富樫、間狂言2人と、舞台上に合計13人の立方が登場します。

登場人物がシテ1人ワキ1人だけの能も多い中で、大変華やかな曲だと言えるでしょう。

これらの人々が混乱なく移動して、舞台や橋掛をフルに使って演技をします。

また持ち物や小道具も、「扇」、「数珠」、「笈(おい)」、「金剛杖」など沢山ありますが、これらを実に上手く入れ替えたり回収したり、また渡したりして効果的に使用します。

因みに私が務めるツレ同行山伏の持ち物は、「扇と数珠」→「数珠のみ」→「手ぶら」→「扇と数珠」と変化します。

実は先程、シテ方全員揃っての稽古があったのですが、一曲を通してやってみると改めて「舞台や小道具の使い方、入れ替え方の妙」を感じました。

これは偏に作者の技量なのでしょう。

見所から見るといたって円滑に進む「安宅」は、水面下では演出の細心の心配りによって成り立っている曲なのです。

別会にいらっしゃる方、また今後に能「安宅」を御覧になる方は、その辺りの「妙」もまた味わっていただければと思います。

絶対晴れる!

今週は火曜日群馬、水曜日大阪枚方、土曜日熱海と三ヶ所で薪能がありました。

このうち、水曜日枚方と本日土曜日熱海は、事前の週間天気予報では雨のマークがついていました。

雨の場合は室内の会場が用意されていましたが、やはり外で綺麗な月を見ながらの舞台というのが一番です。

とは言え天候には逆らえません…と思っていたら、逆らえる人がいたのです。

満次郎師「絶対晴れる!雨は降らないことになっている‼️」

今週の三ヶ所の薪能はすべて満次郎師が中心となり、自らシテも舞われる舞台です。

何としても晴れた夜空の下で演能したい、というお気持ちは痛いほどわかります。

週間予報を度々チェックしながら様子を見ていると…

なんと、水曜日の雨マークが前日に外れて、曇りに変わりました。そして当日夜の枚方、淀川河川敷は、中秋の名月が美しく輝く絶好の夜空になったのです。

更に、本日土曜日の週間予報も雨だったのが、雨のち曇りに変わり、そして先程熱海の会場に入る時には、なんとなんと青空が広がって来ていました。

満次郎師の気合パワーは、本当に雨を吹き飛ばしてしまったのです。

全く非科学的ですが、こういうパワーは実際にあるのかも…と思ってしまうほど不思議な、今週三ヶ所の薪能でした。

私も澤風会の前には、気合パワーで雲を吹き飛ばしたいと思っております。

「後見」の難しさ

シテ方が舞台に出る時、次の3つのうちで一番緊張を強いられるのはどれでしょうか?

①シテ、ツレなどの役。

②地謡。

③後見。

おそらく大半の予想は①でしょう。能楽師にこの質問をしても①と答える人が多いと思います。

しかし私にとっては実は③の「後見」が一番緊張するのです。

「後見」とは、紋付袴姿で横板の隅に2人で座っていて、舞台上の事を色々補佐する役割です。

何故私にとって「後見」が一番緊張するのかと言うと…

・シテの装束は基本的に「後見」が着付けるので、舞台の最中に装束が乱れたりしないか、見え具合は悪くないかなど、常に気を配らねばならない。

・作り物の出し入れも「後見」の仕事なので、出す位置が適切かどうか、また途中で紐が切れたり、竹が折れたりといったアクシデントが無いか、これも常に注意を払う必要がある。

・「物着(ものぎ)」と言って、舞台上でシテが着替える時があり、「後見」は衆人環視の中で装束を素早く正確に着付けることを要求される。

これらに加えて、

・舞台の最中に何かアクシデントがあった場合、静観するのか、何らかの対応をするのかを瞬時に判断せねばならない。

更に、

・シテが急な体調不良などで舞台続行が不可能になった場合、替わりに「後見」が続きを舞う。

という事態も有り得るのです。

そして「後見」はこれら全てのことを、

・決して目立たずに、立ち居振る舞いもお客様の印象に残らないように、何気無く行動しなければならない。

のです。

私は今週火曜日の薪能で「船弁慶」の後見を勤めて、また明後日の日曜日には能「大江山」の後見を勤めます。

舞台が円滑に進んで無事に終わるまで、私は非常に緊張して後見を勤めておりますが、それは決して表面には出さないので、ご覧になった皆様の印象には残らない筈です。

皆様の記憶に残らないように、頑張りたいと思います。