「アルファ能」は出来るか?

少し前に「アルファ碁」という囲碁のコンピュータプログラムが、人間の最強棋士に勝ったというニュースがありました。

そして今日見たニュースでは、そのプログラムの進化版「アルファ碁ゼロ」が出現したそうです。

「アルファ碁」は過去の棋士の対局データを参考にして強くなるソフトでしたが、「アルファ碁ゼロ」の方はなんと、「先人の知恵」を一切排除して、「自己対局」を500万回繰り返して学習し、結果「アルファ碁」との100番の対局に全勝してしまったというのです。

これは色々考えさせられるニュースでした。

昔から綿々と続いて来た対局の積み重ね、その棋譜を勉強することで新しい戦法を磨いて来た歴史、そう言ったものが「アルファ碁ゼロ」の前では全く無意味なことになってしまうのです。

これが他の様々な分野に応用されていくと、やがて人間の居場所は無くなってしまうのでは、というSFのような心配をしてしまいます。

しかし「能楽」に関して考えてみると、「自己対局のみによる最強化」というのは不可能ではないでしょうか。

正しい型付、正確な地拍子、美しく聴こえる謡の声の周波数、といったものをインプットして、「あとは自分ひとりで稽古しといてね」と放っておいても、「味のある舞台」というものは出来ないのではないかと思います。

同じ時代にたまたま居合わせた手練れ同士が、舞台上で時には互いに自己主張し、時には相手の間合にあわせて、微妙な均衡の元に創り上げる熱い舞台。

そういったものには、まだ人工知能の入り込む余地は無いのではないでしょうか。

また個人的には囲碁や将棋においても、やはり生身の人間同士の対局にはその棋士の「人生」や「人となり」が反映されて、そこに勝敗を超えた面白味がある気がします。

「能楽師」には個性が強烈な人が多くて、たまに往生する時もありますが、その「人間臭さ」が舞台には必要であるが故に、能楽はこの先もAIに道を譲ることは無いのだろう、「アルファ能」は生まれないのだろうと思うのです。

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辰巳孝先生の十三回忌

今日は故辰巳孝先生の十三回忌法要が大阪香里園の先生の御自宅で営まれる日でした。

私も勿論伺う予定にしておりましたが、朝起きると喉の痛みが増しており、どうやら熱も出て来たようです。

周りの能楽師の皆さんに、万が一にも風邪をうつすことがあってはなりません。

誠に申し訳ないと思いながら、法要欠席の旨を連絡いたしました。

その後風邪薬を飲んでうとうとしながら、辰巳先生のことを色々思い起こしてみました。

先生の思い出は実に沢山あるのですが、やはり私を能楽の道に導いてくださった出来事が先ず頭に浮かびました。

私が京大4回生の時、京大宝生会は11月の自演会で2年ぶりに能「春日龍神」を出すことになり、私は地頭を勤めました。

4年間の集大成であり、またその前年に能を出せなかった悔しさもあったので、私は夏以降は「春日龍神」にかかりきりになりました。

毎日春日龍神を謡い、また後半達に代わる代わる鸚鵡返しをするうちに、9月頃には最初のワキ謡「月の行方も其方ぞと…」から最後まで、無本で謡うようになりました。

そうして全力投球した自演会も無事終わり、達成感と脱力感でボンヤリと過ごしていた年末のある日。

小川先生から連絡がありました。

「澤田さん来年の七宝会の地謡に入っているけど、知ってはる?」

七宝会は辰巳先生が主宰されている関西宝生流の公式な定例会です。

私にとっては青天の霹靂で、詳しく伺ってみると、来年の予定番組で能「竹生島」の地謡の末席に私の名前があるとのことでした。

当時23歳の私のような若輩者が七宝会の地に入るなど、全く思いもつかないことでした。

小川先生「辰巳先生はちゃんと見てはったのやねぇ」

「春日龍神」の地謡が、あの辰巳先生に認められたということなのでしょうか。

私は素直に感動いたしました。

まだ玄人になることまでは考えておりませんでしたが、その時に「自分は辰巳先生の元でこれからずっと宝生流をやっていくのだ」と強く決意したのを覚えております。

その辰巳先生が亡くなられてもう十三回忌になるとは、まさに光陰矢の如しです。

この道に私を導いてくださった先生に心より感謝しつつ、今日は辰巳先生の思い出をゆっくりと考える日にしたいと思います。

南山小学校能楽教室

今日は東京都稲城市にある南山小学校で能楽教室をして参りました。

南山小学校では1年前にも同じように能楽教室をしたのですが、その時の参加者は6年生がたったの5人だけだったのです。

京王相模原線の稲城駅を降りて南東方向に15分程歩くと、道は段々と登り坂になります。

そして造成中と見られる広大な空き地の向こうに立派な校舎が見えて、そこが南山小学校でした。

1000人の児童でも対応出来そうな真新しい建物に、ほんの少しの生徒さんたち。

副校長先生「宅地の造成などがこれから始まる新しい街なのですが、街が出来る前に小学校が先に出来てしまったのです」

成る程そういう事情だったのですね、と腑に落ちて、5人の元気な生徒さん達を前に頑張って能楽教室をしたのが去年のこと。

今年再び稲城駅で降りて、街はどうなっているだろうかと同じ道を登っていくと、まだまだ空き地は多いのですが、新しい大型マンションや、分譲住宅地が増えて、お店や建物も新しいものが多く見られました。

街が段々に成長している感じです。

そして能楽教室参加者は、なんと去年の約5倍増の23人でした!

5人でも元気一杯だった子供達が、23人です。

非常に高いテンションで、充実した能楽教室をすることが出来ました。

風邪気味で喉は本調子ではありませんでしたが、子供達に元気をもらった感じで、終わった時には何か気分がスッキリしておりました。

来年またこの街に来れたら、今度は何人の子供達に会えるのか楽しみです。

そしてこの新しい街がどんな風に成長していくのかを見るのも、また楽しみのひとつになりました。

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松本澤風会

昨日は松本郊外の「美ヶ原温泉」にて「松本澤風会大会」を開催いたしました。

松本稽古場のメンバーを始め、東京、京都、岐阜、金沢などから集まった皆さんによる発表会でした。

今回は、6歳の男の子がお母さんの太鼓に合わせて仕舞「西王母」を舞い、次に入れ替わってお母さんが男の子の太鼓に合わせて仕舞「西王母」を舞うという企画や、小鼓や太鼓を稽古している方々が居囃子や舞囃子に挑戦されたりして、皆様存分に稽古の成果を発揮されました。

しかし実は私は風邪を引いてしまい、途中からひどい声になってしまいました。。

そして天気は本降りの雨。。

どうやらブログに書いた事と逆のことが起こるようです…。

体調のこともあり、昨日はブログを更新出来ませんでしたが、昨日の分は後日「1日に2回更新」という裏技で帳尻を合わせたいと思います。

明日は稲城市の小学校で1人で能楽教室をするので、何としても明日までに風邪を治したいと思います、と書くとまた逆になりそうですが…。

中入のパターン

能のうちで「中入」がある曲は沢山あります。

更にそのうちの大半には「間狂言」があり、1人の狂言方がその曲に関する話をワキ方に10分ほど物語る、というパターンが最もよくみられます。

しかし中には違うパターンの曲もあり、作り物の出し入れで時間をとったり、狂言方2人若しくは狂言方とワキ方で寸劇のようなものをしたりする場合もあります。

あくまで私の好みですが、前者の狂言方の語りだけの中入よりも、後者の方が色々面白い気がいたします。

今日の五雲会で地謡を謡った能「小督」の中入はというと…

①まず前シテが中入。

②その後にワキがゆったりとした運びで中入。

③それに続いてツレ小督の局とツレ侍女が静々と登場。

④更に続けて作り物「片折戸」が後見2人によって舞台に出される。

⑤狂言方による短い台詞。

⑥ツレ小督の局の謡。

⑦地謡。

というように進み、ここまでで10分ちょっとかかるので、シテが装束を取り換えるのには充分な時間がとれるのです。

この小督の中入は、ストーリーに途切れが少なくて良く考えられていると思いました。

また五雲会最後の曲「黒塚」の中入は、シテ里女の寝室を見たがる狂言方と、それを止めるワキ方の寸劇です。

この寸劇が本当に面白く、昔大阪の舞台で、地謡が思わずニヤリとしているのを見たことがある程です。

他にも「烏帽子折」「橋弁慶」「船弁慶」「放下僧」などの中入は面白いと思います。

これらの曲を御覧になるチャンスがあれば、中入にも是非御注目くださいませ。

寒いのか暑いのか?

昨日の天気予報で、今日からぐっと気温が下がると聞いておりました。

確かに東京の自宅で朝起きると肌寒く、暑がりの私もついに長袖を引っ張り出して羽織り、京都の紫明荘稽古に向かいました。

ところが、雨模様で湿度は高いため、新幹線に乗るまでにちょっと急いで行動したら今度は車内で汗が出て来ました。

そして京都に着いて地下鉄に乗り換え、紫明荘最寄りの駅で地上に出ると、外はやはり冷んやりとして肌寒い感じです。

紫明荘に到着して稽古を始めるとまた暑くなり、稽古を終えて京大BOXまで歩く最中は肌寒く、京大で稽古を始めるとまた汗をかく…という繰り返しで、一体今日は暑いのか寒いのか、どっちなんだハッキリしてくれい!

…と思ってしまいました。

京大の学生の格好も、Tシャツに短パンと、重ね着してすっかり冬支度の者が混在して何とも珍妙な雰囲気です。

この時期は風邪も引きやすいようで、京大ではマスク姿を何人か見かけました。

これだけ気温が乱高下して天候も不安定だと、体調管理は本当に難しいと思います。

当面は長袖を捲ったり伸ばしたり、雨具を常に持ち歩くようにしたりして、この不安定な気候を何とか乗り切ろうと思っております。

…因みに帰りの新幹線車内は、空調が効きすぎで肌寒いのでした。。

作り物の出し入れ

今日は水道橋宝生能楽堂にて、明後日土曜日に開催の「五雲会」の申合がありました。

私は能「小督」の地謡でした。

この「小督」という曲には、ちょっと変わった作り物が出ます。

「片折戸(かたおりど)」という名前の作り物なのですが、これは本体の「扉」と、その左右に置く「柴垣」が5つの、合計6つの部品から成り立っています。

これを中入り後に後見が束ねて持って出て、舞台上でバラして舞台いっぱいに拡げて並べます。

そしてまたある場面になると、後見が全て束ねて持って帰る訳です。

この「片折戸」の出し入れは、作り物の出し入れの中でも複雑な部類に入るので、注目していただければと思います。

明後日の五雲会では、他にも能「枕慈童」では「藁屋」と「菊花付き一畳台」、能「黒塚」でも「柴屋」と「枠枷輪(わくかせわ)」という作り物が出ます。

「枠枷輪」は、「半幕」という特殊な幕上げ方法で舞台に出します。

また「藁屋」と「柴屋」は、ある重要なモノが中に入った状態で舞台に出すので、それを如何に見所に気付かれずに出すかが難しいのです。

…という訳で、明後日正午始めの宝生流五雲会。

「作り物の出し入れの様々な方法」という視点で見ても、色々と面白いと思います。

皆様どうかお誘い合わせの上、宝生能楽堂にお越しくださいませ。

亀岡の花々  〜夏の名残り〜

今日は亀岡稽古でしたが、夏の最後の抵抗なのか今日の京都は30℃近くまで気温が上がり、亀岡稽古場ではなんと蝉が鳴いていました。

しかしこの暑さならば、もしかしてまだ可能性があるかも…と思ってフジバカマを見てみると…

やはりアサギマダラがまだいてくれました!

3匹飛んでいたうちの2匹が写真に写っています。

今週末の雨の前に、南の島に旅立つと思われるので、ギリギリで会うことが出来て良かったです。

そして他に何か花が咲いていないか探してみると…

先ずはよく見るノコンギクがありました。

「野菊の墓」の野菊はこの花だと言われているそうです。

野菊に続いて、こちらは「野牡丹」だそうです。

何となく南国風の花だなと思ったら、やはり中南米原産の「紫紺野牡丹」でした。

今日の夏の暑さにぴったりの花です。

これは「サンインヒキオコシ」という花です。

「ヒキオコシ」という名前の由来は、弘法大師が行き倒れの行者を見つけて、この植物を絞って汁を飲ませたところすぐに元気になった、という故事から来ているそうです。

しかしその汁は「一度飲んだら忘れられないほど苦い」そうで、正に「良薬は口に苦し」ということなのでしょう。

林床に変わった花が咲いていました。

調べると「シモバシラ」という名前だそうで、確かに霜柱が立っているのに似ているな、上手いこと名付けるなと思ったら、実はもっと驚きの由来がありました。

この花が散った後の枯れた茎に、冬になると霜柱が立つそうなのです。

地下に張った根が水分を茎に吸い上げて、それが凍るのだとか。

これは冬の亀岡稽古の楽しみが増えました。また「シモバシラ」の「霜柱」が撮れたら、報告いたします。

最後はこちらです。

「コムラサキ」の実です。

コムラサキは園芸店では「紫式部」として売られているそうです。

このブログで6月17日に、半蔀の謡蹟を訪ねた時に「紫式部の墓」に咲いていた小さな紫色の花。

今あそこを訪ねたら、きっと上のような実がなっていると思われます。時間があれば行ってみたいところです。

6月17日はとても暑い日でした。

今日もまた暑い日でしたが、この暑さは夏の名残りです。

アサギマダラと紫式部の実を見て、何かこの夏が完結したような気分になりました。

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「危ないこと」や「痛いこと」

このブログでは舞台に纏わる様々なことを書いていますが、実はそれは主に「きれいなこと」と言いますか、表に出しやすい事柄を選んで書いております。

日々の舞台の裏では、「危ないこと」「痛いこと」「汚いこと」なども本当はたくさんあるのです。

今日は、ここ1週間の舞台でのそういった出来事を書いてみたいと思います。

①先週火曜日、群馬での薪能。(虫が苦手な方は②まで飛ばしてください!)

その日は非常に虫が多く、舞台上にもたくさんの大小の虫達が飛んだり跳ねたりしていました。

演者に踏まれないか、ハラハラしながら後見座で見ていると、私の右の袂から何やら虫が袖の奥に入っていく気配が。

しかし舞台上では何があっても大きな身動きなどは出来ません。

「うわ〜!勘弁して!」と内心思いながらもジッと耐えていると、今度は右肘の辺りに刺すような痛みが。

「ぐわ〜!痛い!」と思いながらも更に耐えて、舞台が終わってから急いで見てみると、やはり何かに噛まれたような赤い腫れが出来ていました。。

前に舞台上で鼻の頭に蚊が止まった時もキツかったのですが、今回はそれ以上でした。

②先週水曜日、大阪枚方での薪能。

午後に現地に到着すると、天気は良いけれど非常に強い風が吹いていました。

楽屋テントの「中」で楽屋弁当を食べようとしたら、隙間風で蓋が吹き飛ばされる位の強風です。

薪能「黒塚」で使う作り物の「柴屋」の扉が風で開いてしまうので、テントの固定に使う鉄の杭を扉に縛り付けて重石にしました。

シテ満次郎師は、さすが苦もなく扉を開けておられましたが、何と開けた瞬間に扉を固定する紐が一本切れてしまいました。

地頭の山内師がすかさず気付いて、後見を呼んで予備の紐で結びなおしてもらい、事無きを得ました。

何とか無事終わってホッとした帰り道。

中秋の名月を眺めながら歩いていた私は暗闇の淀川河川敷で水溜りにはまり、草履と黒足袋がどろどろになってしまいました。

駅のホームで足を洗い、残念ながら黒足袋は処分して、羽織袴に裸足で草履という姿で新幹線で東京まで帰る羽目になりました。。

③先週土曜日、熱海のビーチでの薪能。

演出の一環として、私は松明を持ってシテと一緒に船に乗り込むことになりました。

マリーナから出航した船がビーチに乗り上げ、舳先から先ず私が渚に降りて、次に降りて来るシテを松明で照らすという演出です。

出航までは何とか無事でしたが、船上で松明に火を灯そうとした所、着火マンで簡単につく筈の松明が全然つかず。

船頭さんのターボライターも加えて必死で炙り、何とかビーチに到着する直前に点火しました。

やれやれと燃える松明を掲げて、さて船から降りようとスロープを見ると、なんと先端部分が波の中にあります。

「これは袴は明日クリーニングだな…」と瞬間的に思いましたが、波が引くのを見計らって出来るだけ目立たないように最後にピョーンと飛んで降り、これも何とか海中ではなく地面に着地できました。

…といった感じで、「能楽師」は比較的安全な職業とは言いながら、日々小さな危険やアクシデントを乗り越えながら「何とか」仕事をこなしている訳です。

他の人の話ではもっともっとすごいものも沢山ありますが、それはまたの機会に。

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名古屋の道成寺

今日は名古屋能楽堂にて、内藤飛能君の能「道成寺」がありました。

先月初めに、内藤君と東川尚史君と3人で鐘作りをしましたが、ついにその鐘が陽の目を見る時が来た訳です。

名古屋能楽堂は、客席数660で日本一、舞台の広さも通常の三間四方よりも少し大きくとってあります。

それに合わせて天井も水道橋宝生能楽堂よりも1メートル近く高くなっています。

そしてそのサイズに合わせたのか、鐘自体も水道橋のものよりも一回り大きく、いかにも重そうです。

私は3月の宝生会別会に続いて、鐘後見のひとりを勤めることになっていました。

実際に午前中に一度舞台に出して吊り上げてみると…

「う〜ん!」と力を込めて、鐘後見の大の男4人で綱を引くのですが、なかなか思うように上がってくれません。

「これは水道橋よりもかなり重いね…」と鐘後見メンバーは若干不安になりました。

しかし、鐘が上がらないと舞台は始まりません。

途中も、上げる高さを微調整しながら何度も鐘を上げ下げしないといけないのです。

足袋の裏を少し濡らしたり、それぞれちょっとした工夫をして、午後の本番をむかえました。

幕が上がって、狂言方によって鐘が舞台に運ばれて来ます。

やはり3月の時のように、ここで見所のテンションが上がっていくのを感じました。

綱が滑車に通されて、狂言方から家元に渡されます。いよいよ鐘を吊る時が来ました。

「むんっ!」と力を込めると、やはり本番はアドレナリンが出ているためか、午前中よりもスムーズに鐘が上がっていきました。

そうは言っても、やはり重い鐘です。

私は後ろから綱引き役の人を押さえるだけの役でしたが、今回は舞台が終わると手に力が入らない程に疲れてしまいました。。

先月苦労して作り、今日一日必死で上げ下げした鐘も、本番が無事に終わるとすぐに解体されてしまいます。

しかも作るのは2日がかりだったのに、こわすのにはたったの30分しかかからないのです。

今日も記憶に残る良い道成寺でしたが、名古屋の鐘での鐘後見は、次回は若者に譲りたいかも…と、筋肉疲労でちょっとプルプルする指でブログを打ちながら思ったのでした。