京阪神巽会

もう昨日になりましたが、「大阪満次郎の会」は沢山のお客様にお越しいただきまして無事に終了いたしました。

そして明日は同じ会場の大阪能楽会館にて、「京阪神巽会」が開催されます。

この京阪神巽会は、実は私が京大宝生会を卒業してからすぐに入門した会なのです。

先日のブログにも書きましたが、私は卒業してすぐに七宝会の能「竹生島」の地謡につけていただきました。

当然その稽古をしなければならないということで、小川先生に連れられて辰巳孝先生の京都のお稽古場に入門のお願いに伺いました。

そのお稽古場はなんと祇園の「お茶屋さん」で、京大近辺しか知らなかった私にとってはほぼ初めての「京都らしい場所」だったのです。

当然昼間なので芸妓さんや舞妓さんはいないのですが、お茶屋さんの佇まいが何とも言えず「祇園」の雰囲気を醸し出していました。

それまで京大BOXでしか稽古していなかった私は、稽古を待つ間非常に緊張して待合で正座していた覚えがあります。

その後能楽師を目指すことになり、辰巳先生の鞄持ちとして、先生に付いて京阪神巽会の各稽古場をまわりました。

香里園の先生の御自宅舞台を始め、京都の「三上」、大阪の「大仙寺」、神戸の「湊川神社」。毎日のように京阪神巽会のどこかのお稽古場にいる日々でした。

それぞれのお稽古場の会員の方々とお知り合いになり、年に一度の「京阪神巽会」はそれらの皆さんが一堂に会する、私にとっては「お祭り」のような舞台になりました。

それから随分長い時間が経ち、会員さんも入れ替わりがありましたが、やはり京阪神巽会は特別な会だと思っております。

ただの学生が能楽師を目指すという過程で、ベテランの巽会会員の皆さんに色々教えていただきましたし、辰巳先生の稽古を間近で拝見出来た経験は何より今に生きていると思うのです。

明日が自分にとって何回目の京阪神巽会になるのか、最早はっきりとは判りませんが、今年も大切な舞台を精一杯謡わせていただきたいと思います。

大阪能楽会館

大阪は梅田に、格式ある大きな能楽堂があります。

「大阪能楽会館」という名前の舞台です。

私が京大宝生会の現役だった頃、七宝会の別会で受付のお手伝いに何度も伺ったのが大阪能楽会館の最初の思い出です。

中でも、私が4回生の秋にあった七宝会は、辰巳孝先生の能「松風」と、辰巳満次郎先生の能「道成寺」があるということで、勇んで受付に参りました。(受付の手伝いの学生は、舞台が始まると自由席で舞台を観られたのです)

「松風」と「道成寺」は勿論とても素晴らしい舞台だったのですが、私にとって一番強烈な記憶は、受付の用事で楽屋に入った時のことなのです。

楽屋の廊下で正座していると向こうから、とても大きな紋付袴姿の先生が歩いて来られました。

ハッとしてよく見ると、写真でしか拝見した事のない先々代宗家、宝生英雄先生です!

その圧倒的な存在感に、正にその場に平伏してしまい、通り過ぎて行かれるまで顔を上げられませんでした。

「オーラ」という言葉は当時使われていませんでしたが、雰囲気だけで圧倒される経験はそれが初めてで、いまだによく覚えております。

その「大阪能楽会館」も、寂しいことですが今年の年末をもって閉館されるということです。

実は明日、私は大阪能楽会館にて開催される「大阪満次郎の会」に地謡として出演いたします。

これは玄人会としては最後の大阪能楽会館の舞台になります。

しかも曲目は辰巳満次郎師の能「松風」です。

受付手伝いだった学生の頃から、能楽師になってからもずっとお世話になって来た「大阪能楽会館」。

そこで最後に謡うのが、思い出深い曲「松風」というのもまた感慨深いことです。

明日は大阪能楽会館に感謝しつつ、精一杯舞台を勤めたいと思います。

富士山の雪

今朝の新幹線から、今シーズン初めて雪をいただく富士山を見ることができました。

新年にこのブログを始めた最初も富士山の写真だったので、感慨深く眺めました。

…本当はもう少し書きたいのですが、本日は覚える謡の量と、考えなければならない事の多さに、ここで失礼したいと思います。

こんな日もあると、どうかご容赦くださいませ。

10年近くを経て。

今日はある稽古場で、会員さんの奥様が仕舞の稽古を始めてくださいました。

その会員さんは、水道橋の謡曲仕舞教室以来もう10年近く稽古されているベテランです。

奥様はこれまでも何度もお会いしたことがあり、東京だけでなく京都の会にまで、会員さんの応援にいらしていただいたこともあります。

しかし、彼此10年近くを経て、その奥様自身がお稽古を始めてくださるとは、正直びっくりいたしました。

今までにも何人か、能とは関係の無かった知人が稽古を始めてくれたことがありますが、そのような場合、最初は何となく気恥ずかしい感じがします。

しかし稽古を進めるうちに徐々にペースが掴めて来ました。横ではご主人が一緒に「サシ」や「ヒラキ」を稽古してくださっています。

奥様はとても筋が良く、今日だけで早くも最初の仕舞「絃上」をひと通り稽古されました。

ご夫婦で稽古されると、お家での話題も増えて大変良いと思います。

今夜は初めての仕舞稽古の話で盛り上がっておられるかもしれません。

どうか末長く稽古していただき、そしていつの日か「夫婦で共演」というのもひとつの目標にしていただければと思っております。

今後ともどうかよろしくお願いいたします。

面白写真  10月

今回の面白写真、先ずは「普通の看板」と「普通でない看板」の比較から。

普通の店員募集看板がこちら。

そして京都で見かけたのがこちら。

もしかして店員募集でなく、本当に仲間が欲しいだけの可能性もありますが…。

次は「○○禁止」の普通の方。

そしてやはり京都にて。

こんな風に禁止されると、「こちらこそすんまへんな〜」と素直に従いたくなりますね。

次は「能の型」シリーズです。

夜道で唐突に「左右!」と言われたようでビックリしました。

「左右」のバリエーションで「大左右」もあります。平仮名で書くと…




「お〜ざゆう」。

次にノンジャンルの面白看板です。

大阪にて。この分別方法は初めて見ました。
「一般」と「粗」はどうやって区分するのか興味あります。どなたか教えてくださいませ。

松本にて。

これ全部ひとりの店主がやっているとしたら、なかなか忙しそうです。

私はまだこちらに駆け込む程は疲れておりませんが、いずれ一度偵察に行きたいと思います。

最後は「面白い願い事」

「スーパーゆうめいじん」もすごい言葉ですが、むしろ「おくづかい」。

なんとなくひっそりと秘密に使うお金みたいで、良い響きだと思います。間違いですけどね。。

少し前の写真で、載せるタイミングが無かったのですが、願い事繋がりで。

三ノ輪橋の大衆居酒屋にあった七夕飾りです。

三ノ輪辺りは、決して上品な町ではありませんが、下町の温かい人情味が残っている楽しい町なのです。

それでは今回はこの辺で失礼いたします。

台風とバーナム効果

今日はまた台風のために、大山崎の稽古をお休みにしてしまいました。

8月に続けて今年2度目で、大変申し訳なく思っております。。

どうも昔から私は台風の影響を受けやすい気がいたします。

…と言ってもまあ気のせいなのでしょう。台風に影響される人は全国に何千万人単位でいるはずですからね。

このように、「誰にでも当てはまる一般的な事象を、自分だけに当てはまる特別な事だと勘違いしてしまう」という心理にも実は名前がついていて、「バーナム効果」というそうです。

星占いなどはこの「バーナム効果」を上手く利用しているのでしょう。

本当を言えば、自然災害の台風を恨んでも仕方ないことですし、自分の他にも大変な目にあった人は沢山いるのだから、我が身を嘆くことも無いわけです。

それでもつい恨み節を吐いたり愚痴をこぼしたりしてしまうのが人間の性なのでしょう。

能「天鼓」のサシの謡にも、「恨むまじき人を恨み、悲しむまじき身を嘆きて…」とあるので、2000年も前の後漢時代の人も同じような「バーナム効果」の心理状態を味わっていたようです。

ここは寧ろ能「山姥」クセにある「ただ打ち捨てよ何事も」という心持ちを目指して生きていきたいものです。

今日は久しぶりに青空を見ました。これから「天高く馬肥ゆる秋」になっていくのでしょう。

大山崎の皆様、来月は必ず参りますので、どうかまたよろしくお願いいたします。

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能「安宅」無事終了しました

宝生会別会の能「安宅  延年之舞」はおかげさまで無事終了いたしました。

シテツレ子方合わせて10人が一斉に楽屋で装束を着けて、着いた者から順に鏡の間に移動するので、楽屋はてんてこ舞いです。

楽屋はとても大変なのですが、この「安宅」や、「正尊」、「七人猩々」、「春日龍神 龍神揃」、「鞍馬天狗 天狗揃」などのいわゆる「人数もの」の楽屋は、独特の華やかな空気に包まれます。

装束を着けたツレ同士が互いの姿を見て、「おっ、兜巾が似合うね。ベスト・トキニスト・オブ・ザ・イヤーだね!」などと評し合ったりしています。

安宅のツレ同行山伏の着付(最初に着る装束)は、大抵が白地に紺、緑、茶などの格子柄の模様が入った、そこそこ色のある装束です。

今日の私の着付は…とズラリと並んだ装束を見渡すと…。

白地に格子は皆と一緒なのですが、格子の色は薄い茶と銀鼠色で、全体に非常に落ち着いた(地味な…)色に見えます。。

しかし内弟子さんが言うには「澤田さんの着付は、僕のおすすめのシャンパンゴールドです!」

成る程!シャンパンゴールド!

…何か派手な着付に見えて来ました。

装束を着けて鏡の間に行くと…

先輩「あれ、澤田くんの着付、なんか地味だね」

私「いえいえ派手です。シャンパンゴールドですから!」

そういった空気も本番が近づくにつれて、まるでゴム飛行機のプロペラを廻すように徐々に引き締まっていきます。

そして囃子方の「お調べ」が始まる頃、鏡の間には、各々の緊張感が綯交ぜになった非常に張り詰めた空気が漂います。

やがて聞こえてくる「次第」の囃子に乗って、身も心もツレ同行山伏となった私は舞台へと飛び出して行くのでした。

「地力」のある篁風会

今日は水道橋宝生能楽堂にて、藪克徳師の同門会「篁風会」に出演して参りました。

朝9時開始で、終わったのが19時40分。

毎年のことながら実に盛大な会だと思います。

能が「杜若」で、その他舞囃子もたくさん出ました。

実は今日の舞囃子の中で、ちょうど来年の郁雲会澤風会で出る予定の珍しい曲があり、密かに参考にさせてもらいました。

また素謡も多くあったのですが、この素謡の時に驚いたことがあります。

素謡「半蔀」は、番組にはシテとワキの2人だけのお名前が書いてありましたが、始まってみると20人以上の地謡が座っておられます。

会主「すいません、人が少ないと寂しいから誰か出て、と言ったらこんなことになりました…。」

いやいや、実に素晴らしいことだと思いますよ。

出る予定でない素謡に出て地を謡えるということは、前にその曲をきちんと稽古していないと無理なことです。

今日は「半蔀」以外の素謡にも地謡が本当に大勢出ておられたので、篁風会の皆さんはちゃんと稽古した曲のレパートリーが多いということなのでしょう。

我が澤風会も、「地謡に飛び入りしてもすぐにちゃんと謡える力」、略して「地力」をもっともっとつけていきたいものだと、大いに刺激を受けたのでした。

…明日の別会「安宅」に備えて、私は早く休みたいと思いますが、なんと藪君も明日私と同じ安宅のツレ同行山伏を勤めるのです。

彼のタフさもまた、見習いたいものだと思いました。

能「安宅 延年之舞」申合

今日は水道橋宝生能楽堂にて、明後日開催の宝生会別会の申合がありました。

かねてから書いておりますが私は宝生和英家元のシテによる能「安宅 延年之舞」の、ツレ同行山伏を勤めます。

能「安宅」は見処満載の曲ですが、私が個人的に好きなところは、

①シテツレ合わせて9人同吟による、都〜安宅の関までの道行。

②全員素早く二列縦隊になっての最後の勤行。

③全員素早くV字型に座っての勧進帳読み上げ。

④橋掛を端から端まで走りながらのシテ謡「あ〜〜〜〜〜〜暫く‼️」。

⑤全員でスクラムを組んでのおしくらまんじゅう。

⑥弁慶の舞。

⑦同行山伏達の一斉退場。

と言ったところです。

このうち特にツレ同行山伏達の息の合った動きが重要なのが②③⑤⑦のシーンなのですが、実は最後の⑦が私にとっては意外とネックなのです。

…と言いますのは、⑤まで終わるとツレ同行山伏達は舞台を取り囲むようにL字型に座って、そのまま最後まで殆ど動けないのです。

今日の申合でも、途中段々と足が痺れてくるのがわかり、⑦のシテ謡「疾く疾く発てや」で正に早く立たないといけないのに、私だけ立てずに置いてけぼりになったらどうしよう…と不安になってしまいました。

しかしその時、視界の端に見えたのが他のツレ達の様子です。何となくみんな足が辛そうな雰囲気なのです。

「自分だけしんどいのではないらしい」と思えると人間なぜか変に安心するもので、⑦のシーンでも無事に立って速やかに退場できました。

とは言え今日は着物に袴姿、明後日の本番は重い装束を着けての舞台です。

今日明日はちょっとだけ控え目な食事にして、本番で「疾く疾く」立てるようにしたいと思います。

「アルファ能」は出来るか?

少し前に「アルファ碁」という囲碁のコンピュータプログラムが、人間の最強棋士に勝ったというニュースがありました。

そして今日見たニュースでは、そのプログラムの進化版「アルファ碁ゼロ」が出現したそうです。

「アルファ碁」は過去の棋士の対局データを参考にして強くなるソフトでしたが、「アルファ碁ゼロ」の方はなんと、「先人の知恵」を一切排除して、「自己対局」を500万回繰り返して学習し、結果「アルファ碁」との100番の対局に全勝してしまったというのです。

これは色々考えさせられるニュースでした。

昔から綿々と続いて来た対局の積み重ね、その棋譜を勉強することで新しい戦法を磨いて来た歴史、そう言ったものが「アルファ碁ゼロ」の前では全く無意味なことになってしまうのです。

これが他の様々な分野に応用されていくと、やがて人間の居場所は無くなってしまうのでは、というSFのような心配をしてしまいます。

しかし「能楽」に関して考えてみると、「自己対局のみによる最強化」というのは不可能ではないでしょうか。

正しい型付、正確な地拍子、美しく聴こえる謡の声の周波数、といったものをインプットして、「あとは自分ひとりで稽古しといてね」と放っておいても、「味のある舞台」というものは出来ないのではないかと思います。

同じ時代にたまたま居合わせた手練れ同士が、舞台上で時には互いに自己主張し、時には相手の間合にあわせて、微妙な均衡の元に創り上げる熱い舞台。

そういったものには、まだ人工知能の入り込む余地は無いのではないでしょうか。

また個人的には囲碁や将棋においても、やはり生身の人間同士の対局にはその棋士の「人生」や「人となり」が反映されて、そこに勝敗を超えた面白味がある気がします。

「能楽師」には個性が強烈な人が多くて、たまに往生する時もありますが、その「人間臭さ」が舞台には必要であるが故に、能楽はこの先もAIに道を譲ることは無いのだろう、「アルファ能」は生まれないのだろうと思うのです。