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辰巳孝先生の十三回忌

今日は故辰巳孝先生の十三回忌法要が大阪香里園の先生の御自宅で営まれる日でした。

私も勿論伺う予定にしておりましたが、朝起きると喉の痛みが増しており、どうやら熱も出て来たようです。

周りの能楽師の皆さんに、万が一にも風邪をうつすことがあってはなりません。

誠に申し訳ないと思いながら、法要欠席の旨を連絡いたしました。

その後風邪薬を飲んでうとうとしながら、辰巳先生のことを色々思い起こしてみました。

先生の思い出は実に沢山あるのですが、やはり私を能楽の道に導いてくださった出来事が先ず頭に浮かびました。

私が京大4回生の時、京大宝生会は11月の自演会で2年ぶりに能「春日龍神」を出すことになり、私は地頭を勤めました。

4年間の集大成であり、またその前年に能を出せなかった悔しさもあったので、私は夏以降は「春日龍神」にかかりきりになりました。

毎日春日龍神を謡い、また後半達に代わる代わる鸚鵡返しをするうちに、9月頃には最初のワキ謡「月の行方も其方ぞと…」から最後まで、無本で謡うようになりました。

そうして全力投球した自演会も無事終わり、達成感と脱力感でボンヤリと過ごしていた年末のある日。

小川先生から連絡がありました。

「澤田さん来年の七宝会の地謡に入っているけど、知ってはる?」

七宝会は辰巳先生が主宰されている関西宝生流の公式な定例会です。

私にとっては青天の霹靂で、詳しく伺ってみると、来年の予定番組で能「竹生島」の地謡の末席に私の名前があるとのことでした。

当時23歳の私のような若輩者が七宝会の地に入るなど、全く思いもつかないことでした。

小川先生「辰巳先生はちゃんと見てはったのやねぇ」

「春日龍神」の地謡が、あの辰巳先生に認められたということなのでしょうか。

私は素直に感動いたしました。

まだ玄人になることまでは考えておりませんでしたが、その時に「自分は辰巳先生の元でこれからずっと宝生流をやっていくのだ」と強く決意したのを覚えております。

その辰巳先生が亡くなられてもう十三回忌になるとは、まさに光陰矢の如しです。

この道に私を導いてくださった先生に心より感謝しつつ、今日は辰巳先生の思い出をゆっくりと考える日にしたいと思います。

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  1. 風邪でしんどい時に布団の中で思うことは、今でも心にはっきりと刻まれた大切な想い出のことが多いですね。とても感動的なエピソード、何より大切な宝物ですね。若者の心に一生を決めるような思いを抱かせた辰巳先生のご指導が、今の宏司先生の後進を育てる熱い気持ちにつながって居るのだなあと感じました。

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