「緊張感」と「不安感」

今日の仙台稽古にて、お弟子さん達から色々なお話を聞きました。

.

①舞台に出た時に頭が真っ白になる事がある。それは稽古の途中段階で舞台に出てしまった時で、それを超えてしっかり稽古した時の舞台では真っ白にならず冷静でいられる。

②能のシテで幕が上がった時に、地謡の先生方と視線が合った気がしてとても怖かった。

③同じく能のシテの時に、幕が上がって歩み始めようとしたら、金縛りみたいになって前になかなか進まなかった。

.

まだまだ色々聞いたのですが、いずれも興味深い内容でした。

.

例えば①に関しては、「緊張」と「不安」という異なる二つの要素の絡みだと思うのです。

稽古が足りないと思っている時には、当然「不安感」が大きく、それが「緊張感」と重なった時に頭が真っ白になって何もわからなくなるのだと思います。

.

しかし充分な稽古をして舞台に臨めば不安感は少なく、そのような場合の「緊張感」は逆に舞台に集中させてくれる気がします。

.

.

②は実は私も感じることで、視線を感じると無用な不安感を抱いてしまうので、私は地謡や後見とあまり目線が合わないように面の位置を調整したりいたします。

.

.

③は、橋掛りには傾斜があって、舞台に向かって僅かに登り坂になっています。

あくまで推測なのですが、それが緊張感と相まって、金縛りのようになかなか前に進めないように感じてしまったのではと思います。

.

.

私が普段感じていても、なかなか具体的に認識していなかった事を、お弟子さんに聞いて改めて考えてみて、「成る程そういう事だったのか」とわかる事があります。

.

今日はたまたま「緊張感」と「不安感」に関して、仙台の皆さんに非常に有意義なお話を伺うことが出来ました。

とても有り難い時間でした。

2件のコメント

植田竜二先輩のこと

今から50数年前の京大キャンパスに思いを馳せてみます。

.

.

そこでは能楽部宝生会に入部したばかりの1人の青年が、「浮き立つ雲の行方をや」と鸚鵡返しを受けています。

.

きっとその容貌は今の宝生会現役とどこか似通っていて、そして初めて謡に触れた喜びに眼を輝かせていたことでしょう。

.

.

青年は現役の4年間を全力で駆け抜けて、卒業してOBになってからも熱心に稽古を続け、京大宝生会と京都の学生宝生流を見守りながら、ずっとずっと過ごして来ました。

.

やがてその存在は学生クラブの範囲を超えて、関西宝生流全体に多大な影響を及ぼすまでになりました。

.

.

しかしそれほど大きな存在なのにもかかわらず、あくまで飄々とした佇まいで、片手にグラス、片手はポケットに突っ込んで、ユーモアに富んだお話でいつも周囲を笑わせている、それが植田竜二先輩です。

.

私は京大宝生会の現役だった頃から、植田さんには本当に一番お世話になりました。

.

私が能楽師になりたいと言い出した時、川端今出川の小料理屋「紀州屋」にて植田さんと徳永、米澤両先輩より頂戴した貴重なアドバイスは、今でも肝に銘じております。

.

.

内弟子修行を終えて「澤風会」を立ち上げる時には、「紫明荘」を稽古場として使えるように手配してくださり、澤風会の中心メンバーを紹介してくださいました。

.

植田さん無くして、今の私と澤風会は無いと思います。

.

.

その植田竜二さんと、このように早くお別れをしなくてはならないとは。

.

つい先週末に植田さんのお見舞いにいらした方からは「穏やかな口調でいつまでもお話しておられました」と伺い、私も年内にもう一度お見舞いに伺おうと思っていたのです。

話したいこと、伺っておきたいことは沢山ありました。

.

.

「第1回京宝連」に参加されたという植田さんは、この春の「第116回京宝連」の舞台を、大江能楽堂の最前列で最初から最後までじっと見つめておられました。

.

そして来週の日曜日には「第117回京宝連」にあたる関西宝連が大阪能楽会館で開催されます。

.

その舞台や見所には、植田さんの姿は無いかもしれません。

.

しかし、「この世にいなくなった人でも、その想念は世に残っている」というのは能楽の重要な要素のひとつです。

.

ならば植田さんの想念は、きっと次の日曜日にも、この先もずっと、学生の舞台と共にあると私は信じます。

.

そしてまた私がこの世にいる間は、「植田竜二先輩という偉大なOBがいらした」ということを、宝生会の現役に語り継いでいきたいと思います。

.

いつかどこかで、再びご一緒に謡えることを願いつつ。

植田さん、どうもありがとうございました。

1件のコメント

能一番にかかる時間

今日は水道橋の月並能に出演して参りました。

.

.

よく「能はどれくらいの時間がかかるものですか?」という質問を受けることがありますが、今日の月並では初番の能「巻絹」が70分、次の能「芭蕉」はなんと130分、そして私が地謡に入った留(最後)の能「乱」は40分と少しで終わりました。

.

つまり、短い能では40分くらい、長いものでは2時間以上かかる曲があるのです。

.

今日はたまたま「短い曲」「中くらいの曲」「長い曲」と、各種取り揃えての番組でした。

.

因みに短い曲でも長い曲でも一曲は一曲として扱うので、どんなに長い曲でも途中でお囃子や地謡が交替する、などということはいたしません。

.

今日で言うと、130分かかった「芭蕉」の出演者はさすがに相当に消耗して舞台から帰って来られました。

.

今回私が出た「乱」は「芭蕉」の約3分の1の時間でしたが、また次は長い曲に出演することも当然あります。

.

なので、出演者としては曲の長短にかかわらず、その日の一曲にとにかく全力を尽くして演ずるように心掛けるのみなのです。

.

.

今日の能「乱」では、内弟子仲間の東川尚史くんがシテを勤めて、無事に「披き」を終えられました。

本当におめでとうございました。

崇寶会・松実会のお手伝い

今日は奈良春日野国際フォーラム舞台にて、「第18回崇寶会・松実会」のお手伝いをして参りました。

.

崇寶会は山内崇生師、松実会は石黒実都師の同門会です。

.

.

お2人は私と歳の近い先輩として、普段から何かと一番お世話になっている方々です。

.

今日の会は、私は確か第10回の時に初めてお手伝いさせていただいてから続く御縁ですが、今回の第18回ではとにかく仕舞がたくさんあって驚きました。

.

年齢層も、お子さんから学生、社会人、ベテラン勢と多彩な顔触れでした。

.

.

学生の何人かは京都で授業に出てから、また社会人の方の中には仕事を終えてからいらして、すぐに舞台に出てくださる方がいらっしゃいました。

.

小さなお子さんと一緒に来て、何とか舞台に出てくれた若いお母さんも印象的でした。

.

そうやって色々やり繰りして駆けつけてくださる方が多いのは、やはりこの会の舞台が魅力的だからこそだと思います。

合同の会で18回の歴史を刻む会はそれほど多く無いと思いますが、これもお2人のチームワークが抜群だから出来る事なのです。

.

.

この盛大でありながらも堅苦しく無い楽しい舞台が、今後も末永く続くように心より祈念いたします。

.

本日はどうもありがとうございました。

三日会わざれば…

今日の京大稽古にて。

.

私「では仕舞始めますか」

.

2回生(副部長)「え〜七騎落の地謡は、○○さん、××さん、☆☆さん、△△さんです」

.

七騎落を終えると次は…

2回生(副部長)「次の雲雀山の地謡は、□□さん、◇◇さん、●●さん、★★さんです!」

.

.

おお、2回生がテキパキと指示しています。

.

そして稽古が進んで夜遅くなり、何人かが帰る時間になると…

.

2回生(部長)「一旦ミーティングします〜」

.

おお、やはり2回生の新部長がきっちりと仕切っています。

更にそのミーティングでは…

.

部長「何か話ある人いますか?」

.

1回生「あ〜、新歓委員からですけど…」

.

なんと、1回生も早くも仕事をする立場になっていたのですね。

.

部長などの執行部学年を終えた3回生は、地頭にチャレンジして頑張っています。

そして4回生は、もう大学生最後の舞台を目前に控えて、貫禄すら漂わせています。

.

「男子三日会わざれば刮目して見よ」は、三国志の話を基にした慣用句ですが、今日の稽古では正にその心持で、「みんないつの間に成長していたのだなあ」と瞠目したのでした。

張り扇の修理

我々は稽古の時に、普通の扇の他に「張り扇」というものを使います。

このような物です。

.

張り扇は、扇の骨に和紙を重ねて貼り付け、更に上から牛や鹿の皮で包んで作ります。

.

私も以前は自分で作ったものを使っておりましたが、今使っている写真の張り扇は私の自家製とは全く違う上等なものです。

.

7年程前に、大皷方の佃良太郎さんの結婚式で、引き出物として頂戴したのです。

.

出席した能楽師200人分の張り扇を、なんと良太郎さんのお父様の佃良勝先生が自ら一本一本作って下さったものなのです。

.

.

以来7年、全国どこへ行くにもこの張り扇と一緒でした。

海外にも何度か一緒に行きました。

.

.

何万回と叩いても頑丈に耐えてくれていたこの張り扇なのですが、実はついに少し痛んでしまいました。

一本の白い部分と茶色の持ち手部分の縫い目が解けて、スポッと抜けてしまったのです。

.

.

扇の骨が芯になっている構造がよくわかりました。

.

.

…しかしこのままでは明日以降の稽古に支障をきたすので、自分で修理することにしました。

.

.

ごく普通の黒い糸と針で、白い部分と茶色の部分をジグザグに縫い、更に上からぐるぐる巻きにして完成です。

また明日からバシバシ叩いていかせてもらいます。

.

張り扇さん、これからもどうぞよろしくお願いします。

東京の地下鉄は…

「東京の地下鉄はややこしい」というのは、昔からよく聞く話です。

.

.

昨日は夕方に水道橋から装束を持って、六本木のあるレストランに行くというミッションがありました。

.

乗り換え案内に従って地下鉄三田線で水道橋を出発。

日比谷で地下鉄日比谷線に乗り換えようと思いました。

.

ところが日比谷駅の三田線から日比谷線までは、結構距離がある上に、階段のアップダウンも沢山あるのですね。。装束を持っている身には辛い道程でした。

余裕を持って出たのですが、予想よりも時間がかかって、疲れてしまいました。

.

.

今日はより複雑で、

①三ノ輪から地下鉄日比谷線で秋葉原へ→

②秋葉原から歩いて岩本町駅に行き、都営地下鉄新宿線で九段下へ→

③わんや書店で謡本を受け取り、再び九段下駅から、地下鉄半蔵門線で三越前へ→

④三越で御歳暮をひとつ送る→

⑤歩いて日本橋駅に行き、都営地下鉄浅草線で三田へ移動→

⑥田町稽古。

.

という、書くと余計に複雑に感じる地下鉄移動日でした。

.

そして、何箇所かで罠に嵌ってしまいました。

.

③でわんや書店を出て九段下駅に戻り、地下鉄半蔵門線に乗った筈が、気がつくと「次は曙橋〜」というアナウンスが。

方向が逆で、そもそも何故か都営地下鉄新宿線に乗ってしまっています。。

.

狐につままれた気持ちでまた九段下へ引き返し、今度は慎重に半蔵門線に乗り換えました。

.

次に④三越で御歳暮を済ませ、⑤日本橋駅まで歩いたのは良かったのですが、都営地下鉄浅草線のホームに入ると逆方向で、それでは向かいのホームに行こうとすると、「このホームから向かいのホームには行けません」という看板が。

.

何故か改札の外にしか階段が無かったのです。

.

.

合計で20分以上時間をロスしてしまい、稽古ギリギリに何とか三田駅に到着できました。

.

そして田町稽古を終えて、またまた地下鉄浅草線→地下鉄日比谷線と乗り継いで、只今無事に三ノ輪駅に戻って参りました。

.

間違いを含めると、今日の夕方以降だけで8回地下鉄に乗ったことになります。

.

東京暮らしも長いので、「東京の地下鉄」といっても、そう苦労することは最早無いと思っておりましたが、なんの地下鉄の手強さを改めて思い知らされた昨日今日だったのでした。

銀杏吹雪

昨日の朝は京都大山崎の宝寺で稽古でした。

.

その稽古中に、会員さんの一人が窓の外を見て、「あら!雪⁉︎」と声を上げました。

.

しかし昨日朝は良い天気で、そこまで寒くもありません。

.

何だろうと窓外を見ると、境内の大銀杏の葉が、風が吹く度にまるで雪のように大量に散っていたのでした。

.

「花吹雪」ならぬ「銀杏吹雪」だったのです。

とても美しい光景でした。

.

.

そして昨日午後には名古屋経由で特急しなのに乗り、松本に向かいました。

.

恵那あたりから山に分け入って木曽路を信州に向かっていくと、季節が秋から冬にどんどん進んでいくのがわかります。

.

紅葉はだんだんと無くなり、途中で行く手に雪を被った木曽御岳が見えて来て、やがて松本盆地に入ると北アルプスは今回も寒々しい雪雲に覆われていました。

.

天気予報では西日本平野部でも初雪の予想で、夜になると松本はしんしんと冷え込んで来ました。

.

.

そして今朝、今度は特急あずさで新宿に向かいました。

.

ところが松本を出て間もなく、上諏訪駅で特急が止まってしまいました。

.

茅野の先で車が強引に踏み切りに入って遮断機の棒が折れたとかで、30分程立ち往生してしまったのです。

.

仕方なく本を読んで待っていると、目の端の車窓外を何か白い粒が横切りました。

.

.

昨日の「銀杏吹雪」のことがあるので、「また雪に見える何かかな?」と思って窓をじっと見てみました。

.

すると、今度は間違い無く白い雪の粒が、はらはらと舞っていたのです。

.

降っている雪を見たのは今シーズン初めてでした。

.

昨日の「銀杏吹雪」と今日の「初雪」。

.

秋の終わりと冬の始まりを体感出来た週明けでした。

.

.

.

…しかし私はまたも風邪気味になってしまいました。。

大きな舞台は一段落したので、無理せずに治したいと思います。

元伯先生のこと

私が初めて「太鼓」を習ったのは、東京芸大に入学してからのことでした。

.

当時の太鼓の先生は「観世元信先生」でした。

.

落語がお好きな先生で、稽古の口調もどこか落語に似た穏やかな江戸言葉でした。

.

.

そして一年が過ぎ、翌春から先生が替わられました。

今度は元信先生の息子さんの「観世元伯先生」です。

.

外見は元信先生と似ていらして、どんな稽古なのか興味深く思いながら初めての元伯先生稽古に臨みました。すると…

.

.

「(刻みを高く)上げろ〜‼️」

「(刻みを上げるのは)まだだ〜‼️」

「そこは、まっつぐ(真っ直ぐ)打て〜‼️」

.

もしも手を間違えようものなら「おい‼️‼️」

とドスの効いた声と眼光が飛んで来ます。

.

親子で同じ江戸言葉なのに、これほど雰囲気が違うものかと妙な所に感動しながら、「これは今後の太鼓は大変な稽古になるな…」と内心恐れを抱いたことを覚えております。

.

4年生になった頃の「真の序の舞」物の「老松」の稽古など、半ば命懸けの心持で稽古部屋に入ったものでした。

.

.

しかし元伯先生の厳しい稽古と、その芯の通った厳格な稽古の在り方それ自体に、とても大切なものを教えていただいたと感じております。

.

.

その観世元伯先生が、全く信じられない話なのですが51歳の若さでお亡くなりになりました。

.

一年前に体調を崩されたと伺い心配しておりましたが、あの気迫と生命力に溢れた先生のこと、必ず治して舞台に戻って来られると信じておりました。

.

.

先生御自身が想像を絶する厳しい稽古や無数の舞台を潜り抜けて、血の滲む修行をして身につけられたその芸は、これから一層舞台で花開き、そしてこの先数十年かけて多くの後進に伝えられる筈の大切な宝物でした。

.

.

その舞台を、その稽古を出来ないままに旅立たざるをえなかった先生の無念さは、私には想像すら出来ません。

世にこんな残酷なことがあるのかと思います。

.

.

せめて残された我々に出来ることは何でしょうか。

先生という宝物はこの世には居なくなってしまわれましたが、また先生が遺していかれたものも沢山あるのだと思います。

.

私が受けた教えなどはほんの僅かですが、それでも強烈に心に残っております。

自分の舞台の稽古をする時、また澤風会で太鼓物をあしらいながら稽古したりする時には、先生の厳しい稽古を思い出すことが多いです。

.

せめて今までに教えていただいたことはしっかりと忘れずに、今後の舞台や稽古に活かしていくこと。

それが私に出来る唯一のことのような気がします。

.

.

元伯先生、今はゆっくりとお休みください。

そしてどうかこれからも能楽界を見守っていてくださいませ。

数々のお教えどうもありがとうございました。

1件のコメント

マグダレナ・ソレさんからのメール

今朝早くにメールの着信音が鳴りました。

この時間のメールは、ドイツの後輩からのことが多いのですが、朝起きて開いてみると全く違う人からでした。

.

先月にニューヨークから遥々撮影にいらした、写真家のマグダレナ・ソレさんからのメールだったのです。

.

「出来上がった写真はお送りします」と聞いて楽しみに待っておりました。

.

.

先月の写真撮影は江古田稽古場で行われました。

.

装束は松本稽古場の会員の古美術商の方からお借りした「色無唐織」と、京大宝生会の和裁が堪能な四回生が織ってくれた「箔」と「鬘帯」を着付けて、面は母親の旧知の方からお借りしている「深井」を掛けての撮影でした。

.

これらは私が用意出来る唯一の装束です。

.

もっと沢山の装束をお持ちの適切な方がおられるとは思いましたが、今回は是非ともこの撮影をお引き受けしたいと考えたのです。

.

.

「私のホームページをご覧いただいての依頼であった」というのが第一の理由です。

.

そして更に、上に記した唯一の装束セットは、昨年夏のブレーメン公演に際して様々な方との御縁で揃ったものであり、「縁あって揃った装束で、また新たな縁を作れる」というのがとても有り難い事に思えたからです。

.

.

ソレさんからの今朝のメールには、「能楽という芸術に触れる大変印象的で素晴らしい経験が出来て心より感謝します」というような内容が書かれていて、何とか役目を果たせたかと安堵いたしました。

.

.

願わくば今回の御縁がこの先も繋がって、またソレさんや仲介の日本人の方と何かお仕事が出来れば有り難いことです。

.

ソレさんにお送りいただいた写真はとても沢山あるのですが、これらはまた何らかの方法で改めて皆様にご覧いただきたいと思っております。