戦さのような緊張感

今日は渋谷のセルリアン能楽堂にて、能「藤戸」の地謡を勤めて参りました。

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シテ高橋憲正さん、地頭和久荘太郎さん、ワキ野口能弘さん、間狂言山本則重さんは、いずれも私が東京芸大にいた頃の先輩と同輩です。

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芸大の頃はまだまだ修行が始まったばかりで、皆悩んだりもがいたりしていました。

それから20数年を経て、今日はその面々が中心となって、力を合わせて難曲「藤戸」に挑戦した訳です。

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長い長い道のりで、それぞれが弛まずに少しずつ積み重ねて来たものがあります。

例えば「声の質」「謡の位取り」「地拍子や囃子の知識」「型のキレ」と言ったものです。

今日の「藤戸」では、舞台上にいる楽師からそれらが一気に発散されて、ビリビリとぶつかり合っているように感じました。

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私は地頭の隣の位置におりましたが、何か大きな戦さに参加しているような心持ちでした。

少しでも気を抜くと最前線のせめぎ合いから弾き出されそうで、非常な緊張感を持って最後まで謡わせていただきました。

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若手能楽師が中心の今日のような催しは、先輩方の胸を借りるような舞台とはまた違った意味で、とても勉強になりました。

芸大の頃の仲間達とこの先も、今日のような緊張感を持って切磋琢磨していけたらと思います。

役の無い1日

今日は水道橋宝生能楽堂にて「五雲会」が開催されました。

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能「氷室」「藤」「来殿」

の3番が演じられたのですが、実は私はその3番の地謡にも後見にも、もちろんシテやツレにもついておりませんでした。

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前月の五雲会でシテを勤めた楽師は、翌月の五雲会で何も役がつかないことがあるようなのです。

五雲会で全く役が無いのは私にとっては初めての経験で、今日1日楽屋のどこに居れば良いのか、少々戸惑ってしまいました。。

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しかし考えてみると内弟子見習いの頃、楽屋入りしてからしばらくの間は、今日と同じような状況だったのでした。

五雲会の翌月以降の予定番組が貼り出されると、慌しい楽屋仕事の合間に何気ない風で見に行き、自分の名前がまだ何処にも無いことを確認しては、

「まあ気長にやっていればいつかは地謡にもつくさ…」

と気落ちしないように楽屋仕事に戻ったものです。

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あれから幾星霜。

最近は五雲会で役につけていただくのが当たり前に思えていた気がいたします。

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あの頃、初めて自分の名前を能「鵜飼」の地の末席に見つけた時の武者震いするような喜びと興奮。

今日ずっと楽屋で過ごして、その気持ちを思い出しました。

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来月の五雲会からは、再び役につけていただいております。

あの初めての能地の時の気概を忘れずに、また新たな気持ちで舞台に出させていただきたいと思います。

酉年ですが…

今日は宝生能楽堂にて「第1回 獅子の会」に出演して参りました。

とはいえ私はあくまでもお手伝いで、今日の主役は「亥年」生まれの能楽師の方々でした。

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流儀を超えて40人ほどもいらっしゃるという「亥年」の楽師が全国から水道橋宝生能楽堂に大集合して、第1部本公演に加えて第2部乱能まで開催するという非常に大掛かりな舞台です。

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普段なら見られないお囃子方の組み合わせなどもあり、とても意義深い催しだと感じました。

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…因みに私は「酉年」なのですが、酉年生まれの能楽師はとても少ないようで、このような催しは困難かと思われます。。

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そういえば、以前には宝生流若手で「長男会」という集まりがあって楽しそうだったのですが、私は次男なので参加出来なかったのでした。。

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私はこのような集まりにはあまり縁が無い気がします。

あと可能性のあるのは、「AB型の会」とかでしょうか…。

しかしこちらも人数が少なそうですね。。

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ともあれ亥年の皆様、本日は誠にありがとうございました。

4曲の強者達

今日は午後に江古田で何人かの個人稽古をして、夕方から田町稽古に移動して夜まで稽古しました。

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江古田から田町までの移動中は、普段は文庫本を読んでいます。

しかし今日私は電車に乗るとすかさず”小本入れ”を取り出しました。

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今月の18日〜28日の間に、「忠信」「藤戸」「昭君」「新作能 王昭君」という4番の能の地謡を謡うことになっているのです。

最近ではこの4番の小本を常に持ち歩き、時間があれば見るようにしています。

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短い曲ながら、戦闘シーンの謡で似た言葉が多く出てきて、謡が飛んだり、抜けたり、ループしたりする危険性のある「忠信」。

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強弱、緩急、心持などに繊細な気遣いが求められる、難易度の高い名曲「藤戸」。

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構成がかなり特殊で、また数年に一度しか出ない希曲であり、地謡の量の多い「昭君」。

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一度しか上演されておらず、従って地謡の経験も一回だけの新作能「王昭君」。

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何れ劣らぬ手強い武芸者が4人並んでいるようです。。

これから今月末までは、この強者達4曲を同時に相手にして、厳しい鍛錬を積んで参りたいと思います。

後半戦の舞台に向けて

私自身のシテ「鵜飼」と学生の「全宝連京都大会」という、いわば上半期の総決算の舞台があった6月が、昨日で無事に終わりました。

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今日から早くも今年の後半が始まります。

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土日の全宝連では、各大学が既に今後の舞台に向けて動き出しているというのを知りました。

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名古屋と金沢では、来年の年明けの学生自演会でそれぞれ奇しくも同じ「羽衣」の能を出すことがレセプションで告知されました。

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さらにこれは昨日の能「船弁慶」の時のこと。

義経を勤めた学生さんに烏帽子をつけながら、「今年は装束を着る機会は今回だけ?」

と聞いてみたのです。すると学生さんは眼をキラリと光らせて、

「いえ、秋の自演会でもまた着ます!」

と気合いに満ちた返事でした。

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そして我が京大宝生会も動き出していました。

全宝連終了後に、金剛能楽堂前で現役達に最後の挨拶をして、東京に帰ろうとした時のことです。

部長「先生、7月13日にBOXの使用が可能になりました。”竹生島”の最初の稽古をよろしくお願いいたします。」

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実は京大宝生会は、この秋の11月26日に開催される京大能楽部自演会「能と狂言の会」にて、能「竹生島」を演じることになっているのです。

その最初の稽古を、いよいよ来月から始めることになりました。

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ここ数年で能「巻絹」→能「経政」と積み重ねて来た経験を活かして、次の「竹生島」がどんな能になっていくのか。

そしてその本番までにどんなドラマが待っているのか。

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昨日一昨日の全宝連を経て、それぞれが大きく成長を遂げた京大宝生会です。

またそれは全国の学生さん達も同様だと思います。

頑張る全国の皆さんの姿を想像しつつ、京大宝生会は今年後半戦も充実した舞台を目指して参ります。

2019全宝連無事終了いたしました

今日も金剛能楽堂にて全宝連の第2日目が開催され、盛会のうちについ先ほど幕を閉じました。

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見所は終日大勢の学生とお客様で賑わい、おかげさまで最後の鑑賞能もほぼ満席になりました。

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昨夜のレセプションでは全国の各大学の部長から部の紹介がありました。

その中で、今年の新歓で10人近くの新入生が入った学校が金沢支部、名古屋支部、京都支部で3校もあり、それらの大学は全体人数が20〜25人になったそうです。

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他にも、部員が2人だけになっていたのが今年の新歓で人が入って、存続の危機を乗り越えたという学校もありました。

現在部員が少ない学校も希望を持ち続けてほしいと思いました。

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舞台では、京大宝生会は幸いに全員ミスも無く、稽古の成果を充分に発揮出来たと思います。

他にはやはり東大宝生会が良い舞台でした。先日の水道橋での関宝連から、更に稽古を積んでレベルを上げてきたのがわかりました。

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そして同志社宝生会の素謡「玉葛」は、舞台からはみ出すほどの20数名の大人数ながら、男女で良く声が揃っていました。

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逆に、シテ1人に地謡1人という最小人数の仕舞も何番かありましたが、それぞれ安定した舞と謡で感心しました。

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仲間の人数や、部を取り巻く環境がそれぞれ異なる中で稽古している学生達が、同じ舞台に集まり2日間にわたって時間を共有する。

これは実に尊いことだと思うのです。

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今回の全宝連でも、他大学の舞台を見て「上手いなあ」と思ったり、「良い曲だなあ」と舞いたい曲候補が増えたり、「頑張っているなあ」と励まされたり、色々な想いが心に刻まれたはずです。

中には人生を変えるような出会いもあったかもしれません。

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そのような貴重な舞台である「全宝連」が、発展傾向の中で今年も無事に開催できたのは本当に喜ばしいことです。

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この盛り上がりを引き継いで、来年の金沢大会も、またそれ以降もこの全宝連がますます発展していくことを願っております。

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実行委員始め学生の皆さん、全宝連京都大会の大成功おめでとうございます。

解説→地謡→仕舞。

今日は水道橋宝生能楽堂にて「夜能」の舞台に出演して参りました。

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18時半に始まって20時半に終了した今回の「夜能」。

私は先ず冒頭18時半〜18時55分の”解説鼎談”に能楽師代表として参加いたしました。

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そして解説鼎談が終わり、長唄の舞台を挟んで19時20分〜20時10分まで能「土蜘」の地謡を勤めました。

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さらに「土蜘」が終わると、その後の仕舞3番のうちの最後の演目「富士太鼓」のシテを勤めて、舞い終えると丁度20時半だったのです。

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120分の催しの中で、3回にわたって計約90分舞台に出るのは、私としては珍しいことでした。

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3回の出番それぞれ役割が全く異なるので、身につける紋付袴で変化をつけることにしました。

着替えることでなんとなく気持ちもリセット出来る気がしたのです。

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最初の鼎談では、普段「後見」を勤める時の紋付袴セットを着ました。

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終わってから長唄20分の間に「地謡用」の紋付袴セットに着替えて能「土蜘」の舞台へ。

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そして「土蜘」が終わると、今度は「舞用」の色紋付と袴を素早く着付けて、最後の「富士太鼓」の仕舞に臨んだのです。

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今日の「夜能」は、おかげさまでお客様にも大変大勢いらしていただき、心地良い緊張感の中で最初から最後まで勤め上げることが出来ました。

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能のシテの時とはまた違った意味で、とても良い経験を積ませていただきました。

本日いらしてくださいました大勢の皆様、誠にありがとうございました。

また改めて

今日は熱海で舞台があり、能「杜若 沢辺之舞」の地謡を勤めました。

帰ってから来週末の「全国宝生流学生能楽連盟自演会 京都大会」までの諸々の準備をしていると、いつのまにか時計は23時45分になっていました。

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大変恐縮なのですが、本日のブログは短く終わらせていただきます。

今日の舞台のお話などは、また改めて。

本日はこれにて失礼いたします。

第9回七葉会に向けて

今日は午後に少しだけ江古田稽古、その後に田町に移動して夜まで稽古でした。

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江古田と田町で今稽古している仕舞と謡は、大半が8月10日、11日に宝生能楽堂にて開催される「第9回七葉会」に出す演目です。

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例えば今日は仕舞「是界」、「松虫クセ」、「田村クセ」、「笹之段」、「嵐山」などを稽古したのですが、いつの間にか皆さんほぼ完成していて驚きました。

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私の場合、仕事のひとつの山場を越えるまでは、次の舞台のことをあまり考えられない傾向があります。

最近では能「鵜飼」と「草紙洗」の稽古をしている間は、頭の中はその2曲でいっぱいいっぱいでした。

しかしもちろんその間も、澤風会稽古は変わらないペースで淡々と積み重ねていたのです。

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そして「鵜飼」と「草紙洗」が終わって冷静になってみると、江古田田町の皆さんが夏の「七葉会」へ向けての準備を順調に進めてくださっていた事に気がついた訳です。

これは大変有り難いことでした。

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もちろんまだ改善する余地はありますし、謡の方はまだこれから役の稽古をする段階です。

ここから暫くは、江古田田町は「七葉会」に向けて力を入れて稽古して参りたいと思います。

江古田田町の皆様、この調子で本番までどうかよろしくお願いいたします。

自治医科大学能楽部との初顔合わせ

一昨日の五雲会には、新しく出来た「自治医科大学能楽部」の学生さんと顧問の先生が観に来てくれました。

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京大宝生会から今春自治医科大学に転学して、2ヶ月で能楽部を立ち上げた青年も勿論来てくれて、終了後には京大宝生会の現役やOBと一緒に食事をしました。

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「僻地医療」を目的とした自治医科大学。

これまでに唯一、私が出会った自治医大の関係者は石川県出身で、卒業後に能登半島の先、日本海に浮かぶ絶海の孤島に数年間赴任したと聞きました。

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一昨日聞いた話では、自治医大では6年間の大学生活の後に、9年間の出身都道府県での医療勤務が待っており、その勤務地の大半が僻地なのだそうです。

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東京芸大1年生の、能楽師の卵の青年もその食事に来ていました。

私「我々は、芸大4年間の後に水道橋での内弟子10年間なのだから、大分恵まれているよね」

青年「そうですね、ははは…💧」

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そのような厳しい修行(?)への覚悟が出来ているからか、自治医大の学生さん達は若いのに肝が据わっている雰囲気で、また人間的にとても魅力的な人ばかりでした。

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笑ったのが自治医大での飲み会の話です。

酔い潰れた学生が出ると、「台車持ってこ〜い」と言って、台車に載せて運んでいくそうなのです。

私「医大なのに、担架じゃないんだ?」

自治医大生「ええ、だって担架はエレベーターに入らないですから」

成る程。

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そして、酔っ払いを介抱するのは皆医療の心得がある人達なので、まず心配は要らないということでした。

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このように、京大とも芸大とも全く違うカラーを持つ自治医科大学に、新たに能楽部が出来たわけです。

今後彼らが宝生流の稽古を始めてくれて、その活動がもしかしたら僻地医療の赴任先にも広がっていけば、とても素晴らしいことだと思うのです。

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それはまだ遠い目標ですが、今回の五雲会での初顔合わせはとても有意義な第一歩になった気がします。

自治医科大学能楽部の皆さん、今後ともどうかよろしくお願いいたします。