山形巡回公演

一昨日の月曜日には、文化庁巡回公演で山形県の酒田に行って参りました。

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山形県は実はこれまでの人生で一度も降り立ったことの無い県のひとつでした。

公演前日の日曜夜に感慨深い気持ちで酒田駅を出ると、最初の感想は「風が強いな…」ということでした。

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降ってくる雪も、地面に積もった雪も、絶え間なく吹く強風に飛ばされて一緒くたになって舞い狂っているのです。

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公演会場の「庄内能楽館」の周辺には、広大な松の防風林が続いていました。

その松の様子がまた何とも壮絶なものでした。

多くの松が根元から同じ方向に半ば倒れて生えていたのです。

海側から絶え間なく吹きつける強風に晒されて育って来た結果なのでしょう。

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先日の紀伊半島巡回公演とは全く異なる環境でしたが、小学生の子供達はここでも元気でした。

この辺りには「黒森歌舞伎」という民俗芸能が伝わっていて、この小学校の子供達による「少年歌舞伎」というのも行われているそうです。

地域の伝統文化と共に育った子供達は、能楽も眼を輝かせて観てくれました。

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公演後は能楽師皆でバスに乗り、最上川に沿って新庄駅へ向かいました。

車窓からは”風車”が多く見られました。

松を捻じ曲げるほどの強風を、発電に利用しようということなのでしょう。

厳しい環境を逆手に取った、強かな発想です。

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日が暮れて新庄駅に到着すると、雪が激しさを増していました。

「雪の降る街を」という古い歌が聴こえてきそうな、寒さが身に沁みる北国の風景でした。

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余談ですが今回の山形では、食べ物の美味しさに何度も驚かされました。

ホテルの朝食で出た「塩納豆」や本場の「芋煮」は、本当に毎日食べたくなる美味しさなのです。

また最上川を遡上する鮭で作られた「鮭とば」も、これまで食べた鮭とばとは全く別ものの芳醇な味わいでした。

そして何より「お米」と「味噌汁」の美味しさです。

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山形県はまた度々訪れてみたくなるような、しみじみと良い土地でした。

今回お世話になった皆様どうもありがとうございました。

3番の共通点は…

今日は水道橋宝生能楽堂にて「五雲能」に出演して参りました。

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昨年までの「五雲会」から名称を新しくしてのはじめての「五雲能」開催でした。

2度目の緊急事態宣言を受けて、再び客席数を半分に減らしての開催でしたが、沢山のお客様にいらしていただきました。

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今日の番組は能「竹生島」、「羽衣」、「国栖」の3番です。

楽屋入りして初番の「竹生島」の装束を見ると、興味深いことに気付きました。

後ツレ天女の長絹の色が”白”だったのです。

通常は”紫”の長絹です。

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そこで考えて、ハッと思いつきました。

能「羽衣」のシテも天女、そして能「国栖」の後ツレもまた天女なのです。

天女3番連続…。

これは長絹の色を3通りに変える方針なのだろうな…

と、思ったところで次の「羽衣」の装束が広げられて、またハッと驚きました。

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「長絹」ではなく「舞衣(まいぎぬ)」という装束だったのです。

色は紅。

能「羽衣」は宝生流では稀に「舞衣」で演じられますが、私が過去に見たことのあるのは白い舞衣のみで、”紅の舞衣”で演じられたのは初めてのことでした。

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そして留の能「国栖」の天女が見慣れた紫地長絹でした。

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長絹の色を変えて、また舞の笛も竹生島は「中之舞」、羽衣は「序之舞」、国栖は「下り羽」と異なる調子で、見所のお客様には同じ「天女」には見えなかったことと思われます。

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また全く異なる要素で、今日の能には3番ともに「漁師」が登場しました。

「竹生島」シテは琵琶湖の漁師。

「羽衣」ワキは三保の浦の漁師。

「国栖」シテは吉野川の漁師。

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偶然ながら”湖”、”海”、”川”の漁師が揃いました。

こちらもそれぞれ異なる装束、異なる位取りで、気付かなければ同じ「漁師」とは思われないでしょう。

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このように、その日の舞台の「隠しテーマ」を見つけて、その装束や囃子の変化は実は色々考えて配分されたものだと気がつく事も、能のひとつの楽しみ方だと思います。

紀伊半島巡回公演

昨日今日と、文化庁主催の紀伊半島巡回公演に出演して参りました。

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昨日は和歌山県の有田川に面した中学校での公演、今日は奈良の小学校での公演でした。

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校庭には”登り棒”や”吊りタイヤ”など、私の小学校にもあった遊具が並んでいて、とても懐かしい雰囲気の小学校です。

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そして公演会場の体育館のすぐ裏手には…

能「当麻」に出てくる「二上山」が聳えていました。

来る途中のバスの車窓からは「畝傍山」「耳成山」「葛城山」なども見られて、悠久の歴史を感じる巡回公演になりました。

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今日は私が能「黒塚」のシテを勤めて、終了後には装束のままで子供達からの質問を受ける時間がありました。

過去の巡回公演でも中々に鋭い質問が出て、油断ならないこの「質問コーナー」です。

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今回もやはり、

「鬼女はいつから”鬼”になったのですか?」

というような深遠な問いがあり、回答に四苦八苦いたしました。

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しかし、お囃子の体験コーナーでは逆に「小鼓と大鼓の皮の材質は何でしょうか?」というお囃子方からの質問に、

「アルパカ!」

と答えた子供がいて楽屋は静かに爆笑していました。

小学生とは面白いですね。

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今回の巡回公演はやはりコロナ禍の影響で何ヵ所かの公演が無くなってしまいました。

行けなかった学校、会えなかった子供達のことを思うと非常に残念ですが、せめて昨日と今日、ふたつの学校で公演出来たのは大変有り難い事でした。

関係者の皆様誠にありがとうございました。

またコロナが落ち着いたら、今回行けなかった学校でも公演が出来たらと思います。

向かい風の中を進んだ1年

何もかもが予想外だった2020年が静かに暮れていきます。

人類全体がひどい逆風に晒された1年でした。

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今年は「澤風会」として開催できた舞台はただ1回のみ、9月21日セルリアル能楽堂での東京大会でした。

それも3月開催の予定が半年遅れて、様々な感染防止策をとって何とかギリギリ開催した舞台だったのです。

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更に8月に行われる予定だった「七葉会10周年記念大会」も1年延期になってしまいました。

しかし、その代わりの企画として、七葉会同人の若手能楽師7人による玄人能「七葉會」が立ち上がり、この「七葉會」の企画は来年以降も継続することが決まっています。

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そして対面での稽古が困難になった事により、新しく「スマートフォンを使った遠隔稽古」に取り組みました。

試行錯誤の末に、現在では30人程の皆様と継続して謡の遠隔稽古をしております。

9月21日の澤風会では、「zoomを使った遠隔舞台参加」にも挑戦しました。

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また今年は、感染防止のために出来るだけ電車やバスに乗らないように心掛けました。

その結果、歩く距離が去年より大幅に増えたのです。

去年2019年の年間歩行距離が2300km。

一方で今年2020年の年間歩行距離は3140kmでした。

ある意味では、コロナ以前よりも健康的な生活になったとさえ言えます。

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…来年もまだ暫くはコロナウイルスとの戦いが続きそうです。

しかし感染防止を徹底しつつ、「転んでもただでは起きない」をモットーに、また新しいことにも挑戦して参りたいと思います。

この大変な一年にお世話になりました皆様、誠にありがとうございました。

来年もどうかよろしくお願いいたします。

挑戦の関宝連

少し前になりますが、12月12日土曜日に水道橋宝生能楽堂にて「関東宝生流学生能楽連盟自演会」が開催されました。

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例年は年2回開催のところ、6月が中止になったため今年唯一の関宝連になりました。

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私は関宝連においては、日本女子大2人、自治医科大6人、そして江古田稽古場でずっと稽古してきて今年國學院大に入学した学生1人を教えています。

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ところが残念ながら自治医科大は、感染拡大防止で学外に出られないために今回参加が叶いませんでした。

つまり、京大宝生会出身の自治医科大の青年が来られなくなった訳で、「地頭がいない」という危機的状況になってしまったのです。

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しかし日本女子大の2人と國學院の1人は非常な頑張りを見せてくれました。

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素謡「竹生島」では日本女子大がシテとツレを、國學院がワキを勤めました。

そして通常よりもかなり距離を取って3人が横一列に並びます。

常座、正中、ワキ座、という感じの距離感でした。

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距離が離れると謡を合わせるのが難しくなってしまいますが、3人の地謡は声が良く揃っていました。

更に、回数を重ねたzoom謡稽古によって個々の声量が格段に大きくなっていて嬉しい驚きでした。

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この3人はそれぞれ「紅葉狩」「竹生島」「玉葛」の仕舞も舞って、こちらも少ない稽古回数ながら急成長のあとを見せてくれました。

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そして地謡も。

國學院大4年生の舞囃子「船弁慶」では、江古田で稽古してきた國學院1年生が初めての”舞囃子地謡”に挑戦したのです。

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その船弁慶の地謡は、4年生1人と1年生1人の合計2人だけです。

しかも1年生は初舞囃子地謡。これはかなり困難なチャレンジです。

本番ギリギリまで、國學院宝生会指導者の佐野玄宜さんと一緒に稽古舞台で稽古をしました。

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舞囃子船弁慶の本番は、私は能「加茂」の装束付けをしていて見られませんでしたが、佐野玄宜さんによれば無事終わったという事で安堵しました。

玄宜さん「終わって帰ってきたら、シテも地謡も座り込んで放心状態でしたよ(笑)」

それはそうでしょう…。

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このように今回の関宝連は、それぞれの学生が高いハードルに挑んでそれを何とかクリアするという、非常に貴重な経験を積む事が出来ました。

コロナの影響を逆手にとって、皆が一気に大きく成長してくれたのです。

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そして今回参加が叶わなかった自治医科大宝生会も、勿論zoom謡稽古は続けています。

今年は新しく2人部員が増えて、合計6人になったとのこと。

その自治医科大が戻ってきたら、次回以降の関宝連ではより強力な布陣で目を見張るような舞台をお見せ出来ると思います。

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一方で関西では京大宝生会が、もがきながらも懸命に活動を続けています。

全国の大学の中でもおそらく最も厳しいサークル活動制限が敷かれている中での京大宝生会の不屈の苦闘の様子は、また数日後に書きたいと思います。

1件のコメント

あれから1年

最近では月に1回松本稽古に行っております。

今日も昼過ぎの特急あずさで松本稽古に向かいました。

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小春日和の暖かな日で、夕方到着した松本駅前の気温計でも20℃ありました。

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松本市街はちょうど紅葉の盛りを迎えていました。

稽古場近くの「四柱神社」を通りかかると…

夕陽に照らされた紅葉が目に入りました。

陽が残っているうちにと境内に入ってみます。

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今年はお花見も紅葉狩も1人ですが、それでもこうやって綺麗な紅葉が見られるのは幸せなことだと思いました。

たっぷりと目の保養をして稽古場へ。

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会員さん達とお話ししていると、実はちょうど1年前に松本澤風会を開催したのだという話になりました。

「凡蔵」という和食屋さんの2階の大広間を使っての盛り沢山な舞台、そのまま凡蔵で大宴会。

そして翌日は大勢で安曇野の山中にある会員さんの素敵な御宅にお邪魔して、雄大な北アルプスを眺めながら豊かで楽しい時間を過ごしたのでした。

明日であれから1年になるというのです。

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あの頃は現在の困難な状況など欠片も想像できませんでした。

逆に、1年後にはこの苦境が夢だったように世の中が回復していることを信じて、また松本で盛大に舞台が出来るように地道に稽古を続けていこうと思います。

2件のコメント

桜島、御楼門、そしてアサギマダラ

昨日今日と「皓月会50周年記念大会」と「かごしま能」に出演するために鹿児島に来ております。

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せっかく鹿児島に来たので、桜島を見て帰りたいと思って朝早くに路面電車に乗って港の方に行ってみました。

終点の「鹿児島駅前」で降りて少し歩くともう港で、目前には桜島が堂々たる姿を見せていました。

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港からフェリーで20分で桜島に渡れるということで、渡し船好きの私としては「渡ってみたい…」と一瞬思いましたが、流石にそれは我慢して港から出て行くフェリーを見送るだけにしました。

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港を後にして皓月会会場の「県民交流センター」へ。

そして午前中に「皓月会」が無事に終わった後、会場近くの「鶴丸城御楼門」を見学に行きました。

明治期に焼失したこの御楼門ですが、県民の皆さんの願い叶って今年復元されたそうです。

門と言っても見上げるように巨大で立派な建造物でした。

そして御楼門から遠く見晴るかす桜島からは、先程は見られなかった噴煙が上がっているのが見えて「おお…!」と何か感動してしまいました。

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“日本の歴史”と”地球の息吹”が、現代のリアルタイムに共存しているのです。

鹿児島は不思議で、非常に魅力的な街でした。

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実は今日はもうひとつ感動したことがありました。

朝に港から県民交流センターに向かう途中、私の目の前を一匹の「アサギマダラ」がヒラヒラと横切って飛んでいったのです。

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秋になると南の島へ”渡り”をする蝶「アサギマダラ」。

毎年10月初めに京都亀岡稽古場の「藤袴」という花に立ち寄るのを見ていたのですが、今年はコロナ禍でその時期に亀岡稽古に行けず、アサギマダラにも会えずに残念な思いをしていたのです。

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そのアサギマダラに10月最後の日に、まさかこの鹿児島で会えるとは。

なんとか撮影しようと追いかけたのですが、アサギマダラは強い風に乗ってあっという間に空高く飛び去っていきました。

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舞台のことを書きませんでしたが、2日間とも晴天に恵まれて、会員の皆様の温かさと熱意に満ち溢れた素晴らしい舞台になりました。

今の時期にこれだけの大きな催しを成功させるために、石黒実都師はじめ関係者の皆様のご苦労は並々ならぬものだったと拝察いたします。

2日間お世話になりまして、誠にありがとうございました。

7ヶ月ぶりの稽古

昨日は江古田稽古でした。

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江古田稽古場では、旧ジパング倶楽部謡曲教室の会員さん達を母体とした謡の団体稽古を、10年以上ずっと続けています。

しかしコロナウイルスの影響で、今年3月以来7ヶ月にわたって稽古を休止しておりました。

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そして昨日、ようやくその団体謡稽古が再開されたのです。

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7ヶ月前と変わらない皆さんが元気に集合して、久々の再会を喜び合いました。

団体稽古にあたっては、窓開け換気、控えめな発声、また私の謡は録音した音源をスピーカーで流して私自身は説明だけをする、という方法をとりました。

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全力で謡えないのは少々物足りなく感じます。。

それでも「龍田」の後半を1時間みっちりと鸚鵡返しした後は、久しぶりの充実感がありました。

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先日92歳になられたという澤風会最高齢の会員さんも全く変わらずお元気な様子で、仕舞「吉野静」を稽古すると7ヶ月前よりも上達されていてびっくりしました。

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そして江古田稽古から一夜明けて、今日は早朝の飛行機で鹿児島に向かっています。

故石黒孝師のお社中会を石黒実都師が引き継いだ「皓月会50周年記念大会」が2日間にわたって開催され、最後には玄人による「かごしま能」があり、辰巳満次郎師の能「俊寛」などが演じられるのです。

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稽古と舞台の日々が、本当に少しずつですが平常運転に戻りつつあります。

第9回篁風会に出演して参りました

今日は水道橋宝生能楽堂にて「第9回篁風会」に出演して参りました。

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七葉会の仲間でもある藪克徳君のお社中会で、第1回篁風会からずっと呼んでいただいております。

今年はやはりコロナウイルスの影響を受けて、私の澤風会と同様に3部制で間に長めの休憩を挟んでの舞台でした。私は第2部に参加いたしました。

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藪君は東大宝生会を指導しているので、篁風会には毎回東大宝生会の舞や謡が出ます。

そして今回は、その東大から舞囃子が2番も出ていたのが印象的でした。

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最初の舞囃子「加茂」は、実は来たる12月12日に開催される「関東宝生流学生能楽連盟自演会」において能として演じられる予定です。

その後シテを舞う学生が今日は舞囃子バージョンで「加茂」を舞ったわけです。

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もう一番の舞囃子は難曲「梅枝」でした。

この舞囃子は、本来ならば6月に金沢で開催予定だった「全国宝生流学生能楽連盟自演会」で演じられる予定でした。

その全宝連が来年に延期されたために、今日の篁風会での披露になったのです。

この「梅枝」は、型も謡も難しい曲なのですがなんと地謡も東大宝生会の現役学生のみで構成されており、大変高い完成度で驚きました。

全宝連で舞われていたら、全国の学生達にとってもさぞかし良い刺激になっただろうと思います。

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今日はさらに驚きがありました。

東大宝生会に新入生が2人入部したとのことで、今日そのうちの1人が仕舞「熊野クセ」で初舞台を踏んだのです。

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全国的に大学サークルの新歓活動が制限されており、京大宝生会もまだ1人も新入生が入部せずに苦しんでいます。

その中で東大宝生会に入部してくれた貴重な新入生に「何故入部しようと思ったのですか?」と単刀直入に聞いてみました。

すると「先輩方のTwitterを見て入部を決めました」とのことでした。

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やはり現状では、TwitterなどのSNSで地道に情報発信するしか無いようです。

しかしその効果で複数の新入部員が入った大学があるというのは心強いことです。

京大宝生会にもその旨を来週の稽古で伝えようと思います。

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色々な驚きや刺激のあった本日の篁風会でした。

藪克徳君はじめ篁風会の皆様どうもありがとうございました。

五雲会の能「龍田」無事終了いたしました

本日宝生能楽堂にて「五雲会」が開催され、私の能「龍田」もおかげさまで無事に終了いたしました。

あいにくの雨にもかかわらず、300人近いお客様にいらしていただきました。

誠にありがとうございました。

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「龍田」は舞台上にある宮の作り物に中入してその中で着替えるので、一度幕から出ると最後まで舞台にいることになります。

曲が終わって楽屋に戻って時計を見ると、丁度90分が経過していました。

私がこれまで舞った中では長丁場の部類に入る曲です。

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しかし、8月15日の「兼平」、9月6日の「歌占」に比べると気温が低い分だけ消耗も少なく、最後まで冷静に舞えた気がします。

「キラリと光る型」がちゃんと光ったかは自分ではわからないのですが…

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そして自分の「龍田」が終わった後には、紋付に着替えてまた楽屋に降りました。

今日の留めの能「忠信」は、合計10人のシテとツレが出演するので楽屋は大忙しなのです。

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シテ上野能寛君は今日の「忠信」が初シテでしたが、私も10数年前にこの「忠信」で初シテを勤めたのです。

感慨深い気持ちでツレ義経の装束付けなどを手伝いました。

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今日の五雲会で私の今年のシテは全て無事に終わりました。

しかし年内の仕事はまだまだ続きます。

明日からまた新たな気持ちで頑張って参りたいと思います。

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本日お越しくださいました皆様、重ねて心より御礼申し上げます。

ありがとうございました。