昭君の「萩箒」と「鏡台」

昨日の「七宝会」にて勤めました能「昭君」は、「作り物」の扱い方でいくつかの難しい点がありました。

昭君には「鏡台」という作り物が出て、また前シテは「萩箒」を持って登場します。

まず「萩箒」ですが、これは萩の枝を1.5m程の長さに束ねた反りのある箒です。

箒の上から20cm位の所を右手で持って、下端は地面スレスレになるようにします。

この「地面スレスレ」をキープするのが意外に難しいのです。

親指と人差し指で萩箒を強めに握り、残りの指の力の緩め加減で角度を調整します。

しかし謡を謡っているとつい指に力が入って、下端が地面から離れてしまったりします。

また同じ持ち物でも「棹」などは軽いのですが萩箒はちょっと重量があります。

これを20分程ずっと持っているので、うまく力を抜いて持たないと指が疲れて先端が震えてくることがあるのです。

更に難関だったのが「鏡台」の移動です。

前シテは中入の直前に、”常座”に置かれた鏡台を自分で持って”正先”に移動させます。

能面をかけていなければ何という事も無い所作です。

しかし能面をかけると、視界いっぱいに”鏡”が来てしまい、何も見えない状況になってしまうのです。

申合では正先からズレてしまい、本番では鏡台を持つ高さや能面の角度などを微調整して、なんとか狭い視界を確保して無事に置くことが出来ました。

こういった難しさは本番の会場の作りにも左右されたりするので、稽古だけでは乗り切るのが困難です。

当日の開場前に舞台を歩いてみて、五感と知恵を総動員して、なんとか打開策を考えます。

それだけに無事に終わった時の安堵感と充足感は一入なのです。

七宝会「昭君」無事終了いたしました

本日は「七宝会第二回公演」にて能「昭君」を何とか無事に勤めさせていただきました。

ご来場頂きました皆様誠にありがとうございました。

本日の諸々を書きたいところなのですが、「昭君」でほぼ完全燃焼しましたので、また明日以降にさせていただきたいと思います。

松本ジャポニスム2024に参加してまいりました

今日は松本四柱神社にて、

「松本ジャポニスム2024」

という催しに参加してまいりました。

数年前に始まったこの松本ジャポニスム、年々盛大になってお客様も安定して増えてきて何よりです。

今年は能楽の舞台が終わった後に、大手公民館にて体験ワークショップも設定しました。

アメリカ、ドイツ、中央アジアからの留学生など期待以上の参加者があり、来月から稽古を始めるかもしれない人も出るなど大成功の企画になりました。

いつもながら松本の皆様には何から何までお力添えをいただき、心より感謝いたします。

おまけです。

舞台の合間に食べた「翁堂」の動物ケーキです。

翁最中などの和菓子だけでなく、翁堂は洋菓子も充実しているのです。

杜若の物着

今日は水道橋宝生能楽堂にて「宝生会定期公演」に出演してまいりました。

私は能「杜若」の地謡を勤めました。

杜若はもう何度も謡っているのですが、この曲には他の曲には無いある特異な点があると思います。”物着”の後に、

「3人がひとつの身体に同居している」

という時間帯があるのです。

能には「物着」という演出がわりあい頻繁に出てきます。

舞台上で後見がシテの装束を着替えさせるのです。

よくあるパターンは、「亡くなった人の形見を身につけて舞う」

というもので、杜若の物着もそれにあたります。

しかし他の曲の物着で着るのは、

「1人の人間の形見」

です。

それが杜若に限っては、

「2人の人間の形見」を身につけるのです。

つまり頭にかぶる冠は「在原業平」の形見、

羽織っている衣は「藤原高子」の形見、

そしてそれらを身につけるのは「杜若の精」。

この姿を演じるシテは、「業平」「高子の妃」「杜若の精」という3つの”人格”を無理なく融合させて美しさを出さなければいけない訳で、非常に難しい役だと思います。

私はまだこの「杜若」を舞ったことは無く、いつか舞ってみたい曲のひとつです。

舞う機会が来たら、この”三位一体”の姿を色々考えながら表現したいと思います。

景清ツレの位取り

今日は宝生能楽堂にて開催の「宝生会特別公演」にて能「景清」のツレを勤めさせていただきました。

「景清」のツレは2人いて、1人は景清の娘である”人丸”、もう1人は男性である”人丸の従者”です

私は”人丸の従者”でした。

最初に”人丸”と”従者”が一緒に謡ういわゆる「同吟」がありますが、この同吟の位取りが非常に難しいものでした。

先ず男性と女性という性別の違う2人が、それぞれのキャラクターを損なわないように謡わなければなりません。

そして「景清」は奥伝の曲なので、それを考慮しつつ、しかしあくまでも「ツレ」なので重くなり過ぎないように。

更に行方不明の父親を探して相模国から日向国まで遥々長旅をするという、精神的にも肉体的にも厳しいシチュエーションなども勘案しなければいけないのです。

申合、本番ともに地謡の先生方などから細かなご注意をいただきました。

課題も残ったツレでしたが、多くの学びもある御役でした。

次は月末4月27日の「七宝会」での能「昭君」シテに向けて、また稽古に励んで参りたいと思います。

橙白会に出演して参りました

今日は水道橋宝生能楽堂にて「橙白会」に出演して参りました。

「橙白会」は辰巳大二郎君の御社中会です。

ご遠方の山形から来られた方が長い舞囃子をされたり、小さな兄妹が仕舞に加えて連吟にもチャレンジしたり、他にも皆さん前回よりも難易度の高い演目に挑戦されていました。

ほかならぬ会主の辰巳大二郎君も一番最後に、

「番外舞囃子天鼓盤渉」

という難曲を舞われました。

通常の「天鼓」は”楽(がく)”という足拍子が非常に多い舞を舞いますが、これが

「盤渉楽(ばんしきがく)」になると笛の調子が高くなり、唱歌も複雑になって足拍子を正確に踏むのが中々大変なのです。

それを会主として一日中働いた最後に舞うのはすごいと思いました。

明日はまた水道橋宝生能楽堂にて、

「宝生会特別公演」が開催されます。

私は能「景清」のツレを勤めますので、今日は早めに休みたいと思います。

辰巳大二郎さん始め橙白会の皆様どうもありがとうございました。

令和6年第2回七宝会のお知らせ

来る4月27日(土)15時より、「第2回七宝会」

が開催されます。

場所は「枚方市総合文化芸術センター本館・関西医大小ホール」です。

能「清経音取」シテ宝生和英

狂言「蝸牛」善竹隆司

能「昭君」シテ澤田宏司

という番組で、宝生和英御宗家が久々に七宝会にてシテを舞われます。

また私もシテを勤めさせていただきます。

能「清経」は、「音取」という小書(特殊演出)で演じられます。

これは笛の特殊な演奏に導かれるように、シテ清経が橋掛を時間をかけて歩んで舞台へ向かいます。滅多に観られない小書です。

また能「昭君」も上演頻度の低い珍しい曲です。

皆様この機会に是非特殊演出や希曲を観に七宝会にお越しくださいませ。

どうかよろしくお願いいたします。

2024全宝連のお知らせ

「全国宝生流学生能楽連盟自演会」略して、

「全宝連」京都大会が来る6月29日(土)30日(日)に京都金剛能楽堂にて開催されます。

2日目30日の午後3時からは、

鑑賞能「鞍馬天狗白頭」シテ宝生和英ほか

が演じられます。

この「全宝連京都大会」と鑑賞能「鞍馬天狗白頭」に関して、宝生和英御宗家に京都の学生がインタビューをさせていただきました。

その動画が下記URLよりご覧いただけます。

鑑賞能チケットは今月27日の「七宝会」などでご購入いただけます。

皆様どうかインタビュー動画をご覧いただきまして、奮って全宝連及び鑑賞能にお越しくださいませ。

どうかよろしくお願いいたします。

https://twitter.com/zenkoku_hosho?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

平仮名の地名、人名

今月27日(土)に大阪の七宝会にて能「昭君」のシテを勤めさせていただくので、今はその稽古に没頭しております。

「昭君」は紀元前の前漢時代のお話ですが、謡の中に出てくる地名や人名に”平仮名”が多く使われています。

そもそも前シテの老夫婦が住んでいるのが、

「かうほ(こうほ)の里」

という平仮名地名です。

また曲の前半には、

「しんやう」、「とけつ」

といった平仮名人名が登場します。

極め付けは、辺境に流されてしまった愛娘”王昭君”の面影が映る鏡の事を、

「えんとん」

という平仮名で書いてあるのです。

ある意味でこの曲の最も重要なはずのアイテムが、元の字がわからない状態で謡われている訳です。

不思議な心持ちになりますが、裏を返せば自分で色々な漢字を想像して当て嵌める楽しみもあるのです。

「えんとん」

は、たとえば「円団」かな…とか(“団”も中国では丸いものをあらわすようです。団扇とか)

「かうほ」の夫婦が「えんとん」の前で悲しみにくれるこの曲を、想像力を駆使して理解していきたいと思います。

2件のコメント

能楽師に限らず…

大きな舞台や難しい役が近づくと見る夢があります。

昨夜も見ました。

昨夜のは舞台の正中で”引き分け”という型をした所で、次のシテ謡が全く出て来なくなり、見所が次第にザワザワし出す、という内容でした。

この手の「悪夢」は、他の楽師もよく見ると聞いた事があり、「能楽師」という職業に特化した夢かと思っていました。

しかし先日、そうとは限らないと思う出来事があったのです。

3月の澤風会郁雲会の能「敦盛」でツレを勤めた中学生高校生のうちの2人が、本番が近くなった頃に同じような「悪夢」を見たと話してくれました。

「舞台の上で謡が止まっちゃって、どうしよう…ってなる夢を見たんです」

「あ、それ私も見た!」

という感じです。

どうやらこの「悪夢」は、能楽師に限らず舞台に真剣に向き合っている人が本番近くに見る、という夢なのでしょう。

ちなみに私の経験では、この「悪夢」を見るか見ないかで、舞台の出来に影響は無いと思われます。

先日の能「敦盛」でもツレは皆とても良い出来でした。

京大や自治医大などにも、この手の夢を見た人がいるか聞いて見たいと思います。