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五雲会の能「殺生石」

今日の五雲会では、大変珍しいことですが私は「謡」というものを一句も謡いませんでした。

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最後の演目の能「殺生石」の後見だったのです。

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能「殺生石」の後シテは、日本昔話の桃太郎のように石を二つに割って登場します。

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この石は等身大の桃が紺色になったような形状です。

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前シテ「玉藻の前」が大小前に置いてある石に中入して、間狂言のあいだに着替えて後シテ野干の姿になる訳です。

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この石の中での着替えが中々面倒で、私は装束のいわゆる「前」を着ける立場だったので、玉藻の前の装束をすべて脱がして、野干の装束を短時間に着付けて、何とか間狂言の終わりに間に合いました。

更に後半に石が二つに割れる場面で上手い具合に作り物が割れてくれるかなど、この曲の後見は気を遣うことが多い後見でした。

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自分としてはベストを尽くしたのですが、見所からどう見えたのか、また御覧になった方の感想を伺ってみたいと思います。

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短いですが今日はこれにて。

六甲学院における「復活のキリスト」

今日は神戸の六甲学院創立八十周年記念・能楽鑑賞会にて、新作能「復活のキリスト」の地謡に出演して参りました。

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「新作能」と申しましても、この「復活のキリスト」が初演されたのは55年前のことだそうです。

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世界平和を祈って作られた作品で、当時の第十七代宗家宝生九郎重英先生が節付け、演出、さらに自らシテを演じられたのです。

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本日伺ったお話では、当時この曲の為に作られた装束の一部は、ローマ法王、エリザベス女王、ルーズベルト大統領に献上されたということで、いかに大がかりな催しだったかがしのばれます。

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その「復活のキリスト」が、今年6月に日本バチカン修好七十五周年記念公演として、バチカン市国において新演出により演じられ、宝生和英宗家のシテによって正に「復活」したのです。

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そして今日は、そのバチカン版演出による日本国内初公演だった訳で、そのような貴重な機会に地謡に加えていただいて、大変光栄なことでした。

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キリストの装束は内弟子時代に通称「プラチナの狩衣」と呼ばれていたもので、白地に光り輝く十字架の文様がデザインされています。

50年以上前に作られた物とは思えない輝きを放っていました。

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またキリストの冠はこの曲専用の冠で、同じく内弟子時代に蔵掃除の時にだけ眼にしていたものでしたが、まさか実際に舞台上で見ることが出来るとは思いませんでした。

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六甲学院の講堂にはステンドグラスがあり、またオリーブの枝を飾った作り物が舞台に置かれて、まるで聖書の世界に能楽が入り込んだような、神聖で荘厳で、不思議に心地良い空間が現出しました。

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初演から55年が経過した現在でも、残念な事に世界中で多くの争いが起こり、沢山の人々が悲しく辛い思いをされています。

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「世界平和を祈る」ために作られたこの「復活のキリスト」は、現代においてこそもっと演じられるべき曲なのかもしれません。

今年の「薪能納め」

今日は静岡の沼津御用邸にて薪能がありました。

「松籟の宴」という一連のイベントの一環で満次郎師が半能「融」を舞われたのです。

私にとっては、「今年最後の薪能」でした。

御用邸の松林の中で「竹のインスタレーション展」が開催されており、その作品のひとつの前に能舞台が組まれていました。

「インスタレーション」とは初めて聞きましたが、「空間と一体化させた芸術作品」といったもののようです。

題名もついており、どうやら「生け花」の要素がある作品なのですね。

さらにその作品を背景に能を演ずる訳なので、「能×インスタレーション×御用邸松林の風景」という、大変芸術性の高い空間が出来上がりました。

11月半ばの薪能という事で寒さが少々心配でしたが、幸いにそれ程気温が低くならずに、満席のお客様の前で無事に舞台を終えることが出来ました。

火入式の奉行役でいらした沼津市長さんは能楽好きだそうで、「出来れば毎年恒例の舞台にしたいです!」と前向きに仰ってくださいました。

繰り返しですがこの舞台が今年の「薪能納め」でした。

しかし能楽堂での舞台や稽古はまだまだ続きますので、年末までノンストップで頑張って参りたいと思います。

座ったままで舞う曲

今日は午前中に水道橋宝生能楽堂にて、明後日開催の月並能の申合がありました。

私は能「熊坂 床几之型」の地謡を謡いました。

「床几之型」の小書でわかるように、後シテの大盗賊「熊坂長範」が暫くの間床几に腰掛けたままで演技をする特殊演出です。

あまり詳しく書くとネタバレになってしまうのですが、今日地謡座から見てとても興味深い小書だと思いました。

人によっては「床几にかけて型を出来るので、歳をとってからやる為の小書だ」と考えるようです。

しかし私は少し違う印象を受けました。

通常の「熊坂」は薙刀を担いで登場して、舞台いっぱいを使って牛若丸との大立ち回りを派手に演じます。

そのシーンを床几にかけたままで舞うと、少々地味になるのでは、と思われます。

ところが、確かに動く範囲はごく狭くなりますが、そこにまた違う効果が現れた気がしたのです。

「観客の眼がシテに集中していく」という効果です。

一点だけを見続けることでシテの動きに徐々に感情移入していき、型のひとつひとつが通常よりもむしろ強く印象に残るのです。

因みに床几に長く腰掛けて型をする能は他にもあり、やはり同じ効果を狙っていると思います。

例えば能「頼政」がそうですが、これは途中で立ち上がります。

また能「海人 懐中之舞」は、前シテの「玉之段」を床几にかけて演じますが、後シテは立って舞います。

それらと比べてもこの「熊坂 床几之型」は、「座ったままでどこまで舞えるのか」を究極的に突き詰めてみようという、作者の強い意思を感じるのです。

いったいどこまで座って舞うのか、興味を持たれた方は是非、宝生能楽堂にて明後日の日曜日14時開演の「月並能」においでくださいませ。

きっと驚かれると思います。

異名同曲と同名異曲

今日は昼過ぎに京都金剛能楽堂で京大能楽部自演会「能と狂言の会」の申合があり、その後バタバタと東京に移動して、これから水道橋宝生能楽堂にて「リレー公演」に出演いたします。

3ヶ所の能楽堂(宝生能楽堂、矢来能楽堂、梅若能楽学院会館)で今日から3週間にわたって同じ演目を上演する企画です。

「同じ演目」と書きましたが、チラシの表には「黒塚」と「安達原」の2つの曲名が書かれています。

内容は同じ曲でも宝生流では「黒塚」、観世流では「安達原」と呼ぶのです。

このように全く違う名前になるのは珍しいのですが、同じ曲を「少しだけ違う」曲名で呼ぶことは多くあります。

・宝生流「草紙洗」は観世流では「草子洗小町」、喜多流では「草紙洗小町」。

・宝生流「大原御幸」は喜多流では「小原御幸」。

・宝生流「八島」は観世流では「屋島」。

などなど。ややこしいところでは、

・宝生流「枕慈童」は観世流では「菊慈童」ですが、観世流「枕慈童」という曲もあり、こちらは宝生流とは内容が違う曲になります。更に金剛流には、同じ慈童が出てくる「彭祖」という曲もあります。

こうなると書いていても訳が解らなくなります。。

しかし逆に曲名通になると、曲名を見ただけでどの流儀かわかるようになり、それはそれで楽しいかもしれませんね。

興味ある方は是非調べてみてくださいませ。

今日はこれにて。

渡り鳥

今日は夜に香里能楽堂で、新作能「復活のキリスト」の稽古がありました。

京都から香里園に京阪電車で向かったのですが、途中車窓から、渡り鳥の編隊飛行を見ました。

淀を過ぎて八幡市との中間くらいの所で、遠くの空でしたが10数羽の比較的大型の鳥達が、逆V字の隊列を組んで、北東から南西方向に向かって飛んで行ったのです。

「ああ、秋だなあ」としみじみ思いました。

私が見たのは、推測ですが鴨の一種で、大阪城公園にある飛来池を目指していたと思われます。

能「花筺」のシテ照日の前は、南に渡っていく渡り鳥である「雁」を道案内にして、越前国を出発し大和国桜井にあった玉穂宮を目指しました。

しかし、実は現代日本においてはこの「花筺」のエピソードは成立し得ないのです。

…というのは、雁がシベリアから飛来する南限が、現在は島根県の宍道湖だそうだからです。

日本海側までしか渡って来ないと言うことは、福井県から奈良県に向かうための道案内にはなりません…。

これにはやはり地球温暖化が影響しているようです。

明治の頃には上野の不忍池にも雁がいたそうで、もっと昔の継体天皇の時代には、大和国辺りまで渡っていたかもしれません。

しかし、じわじわと暖かい地域が北上して行き、もしかすると遠い将来には、本州では雁の渡りが見られなくなる、という日が来るかもしれません。

一介の能楽師の私ですが、やはり地球の環境が変化していくのは気がかりなことです。

渡り鳥を見てしみじみと秋の深まりを感じる風情が、いつまでもこの日本にあってほしいと思うのです。

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農繁期と能繁期

我々能楽業界では、「農繁期」をもじって「能繁期」という言葉を使うことがあります。

春は4月〜5月、秋は丁度今頃の10〜11月にあたり、舞台の数が年間で一番多くなる時期なのです。

ここ最近は正しく「能繁期」で、お仕事を頂戴するのは有り難いことながらもいつも以上にバタバタしておりました。

舞台が増えると稽古の日数が減ってしまうというのが悩ましいところで、澤風会各稽古場の皆様には大変申し訳無く思っております。。

今月後半には少し落ち着いて参りますので、また稽古頑張りたいと思います。

この「農繁期」と「能繁期」はだいたい同じ時期に重なっております。

春と秋の、一番過ごしやすく天候も安定している頃です。

厳しい自然と直接向き合う「農業」と、「能楽」を比較するのは大変失礼かと思います。

しかし、移動中の新幹線や電車の窓から「田植え」や「刈り入れ」が綺麗に済んだ田圃が見えると、「ああ、農業の皆さんも農繁期で頑張っておられるのだな。私も能繁期を頑張ろう!」と元気をいただくことがあるのです。

そして「農繁期」の産物を沢山食べて、更に元気をつけて、この秋の「能繁期」を乗り越えたいと思います。

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ひろしま平和能楽祭

昨日は香里園で七宝会がありましたが、今日は広島に移動して「ひろしま平和能楽祭」に出演いたしました。

広島は母親の家族が原爆で亡くなった場所です。

一度きちんとその辺りの町を訪ねておきたいと思いながら、なかなか時間が無く、広島に来るのは5〜6年に一度のこの「ひろしま平和能楽祭」だけになってしまっております。

今回は6年ぶりの広島でしたが、広島駅を始めとして街が新しくなっていて驚きました。

高級高層マンションがいくつも建ち並び、前回よりも街に活気があるように見受けられます。

車で会場のアステールプラザ能楽堂に向かう途中に平和公園の横を通り、原爆ドームが遠くに見えました。

あそこから程近い場所に、母とその家族の暮らしがあったのです。

色の褪せた写真でしか見たことのない祖父母、叔父叔母達は、もちろん子孫の一人が能楽師になっているなどとは思いもよらないことでしょう。

しかし能楽師としてこの広島で仕事を頂戴し、しかもそれが「平和」を祈る舞台だというのもまた何かの御縁だと思います。

今日は能「井筒」の後見と、能「鵜飼」の地謡を、母の家族と原爆で亡くなられた方々への鎮魂の心を込めて精一杯勤めさせていただきました。

バタバタと過ぎるばかりの生活ですが、次の平和能楽祭を待たずに、何とか広島の街を改めて訪ねてみたいと思っております。

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瞬きを止める方法

火曜日のプラスチック成形加工学会の時に、私は壇上で能の型のモデルを少し勤めました。

ずっと「構え」の状態で立ち、満次郎師の解説に合わせて「くもる」「しおる」「面を切る」などの型をやるのです。

その解説の中で満次郎師が「我々は能面をかけていなくても、”直面(ひためん)”と言って表情を変えずにいます。瞬きも一切致しません」と仰いました。

その瞬間、何となく会場の数百人が「へ〜っ」と感嘆の声を出して、私の眼に視線を集中した気がしました。

「これは瞬きしてはならないぞ」と内心ちょっと困ってしまいました。

実は白状すると、私は「瞬きを一切しない方法」というのを未だ会得しておりません。

その昔、東京芸大にいた頃に当時観世流の教官をしておられた野村四郎先生に「瞬きを止める方法はありますよ。」と伺ったことがあります。

しかし私が「それはどんな方法ですか?」と質問しても、先生は笑って「それは自分で考えてごらんなさい」と仰るばかりでした。

それ以降、例えば直面のツレで舞台にずっと立っている時などに、色々と瞬きしない方法を研究してみました。

…が、とりあえず現在のところ、

①瞬きをした「つもり」になって、僅かに眼を細めただけですぐまた元に戻すと、「瞬きをした気持ち」になれる。

…という程度の事しか出来ておりません。

そしてどうしても我慢出来なくなった時は、以前に書いた「手品師の手法」を使って、

②お客様の視線が明らかに自分に無い時に、素早く瞬きをする。

という小技を併用しております。

プラスチック成形加工学会の時にも①②の合わせ技を使い、「お客様にはどう見えただろうか?」と内心ドキドキしながら壇を下りました。

そして終了後のパーティの時にある大学教授が「舞台上で一切瞬きをしないと聞いてから、ずっと貴方の眼を見ていたのですが、本当に全然瞬きしていませんでしたね。すごいと思いました。」と私に話しかけてくださいました。

どうやら今回は私のやり方でクリア出来たようで良かったです。

しかし、野村四郎先生の仰ったのはおそらくもっと根本的な方法だと思われます。

今日も七宝会でずっと舞台におりましたので、密かに色々試してみたのですがやはり瞬きを「長時間」「完全に」止めるまでには、まだまだ研究と鍛錬が必要だと思いました。

なので舞台上で直面の私がいても、じっと眼だけを見たりしないよう、くれぐれもお願い申し上げます。。

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プラスチックと能楽

今日はまた新幹線で大阪に移動して、「プラスチック成形加工学会」という学会の特別講演をされる満次郎師の助手を勤めて参りました。

「プラスチック成形加工」と「能楽」。

一見何も接点が無いように思えます。

しかし満次郎師の実演を交えた講演の最中は、学会の皆さん大変熱心に見聞きしてくださいました。

終了後のレセプションでは、会長が「プラスチック素材が今後どのような分野に広がる可能性があるのか、模索して行くことが重要である。」という内容の事をお話されました。

そして全くの門外漢の私にも、大勢の学会の方々が話し掛けてくださり、例えば「扇の要」や、「紋付袴」などでは既にプラスチック素材や化学繊維が使われていることなどを話すと、大変興味深そうに扇の写真などを撮影しておられました。

「コルク」や「皮革」などは、少し前に比べると技術が進歩して、自然の物にとても近い素材が開発されているそうです。

ならば例えば小中学校のワークショップなどで使う「能面」を、木材に近い風合のプラスチックで大量に作れたら、低コストで多くの子供達に能面を掛ける体験をしてもらえるでしょう。

また薪能などで使う野外の舞台にプラスチック加工素材を用いることで、雨や湿気に強く、軽量で強い舞台が作れる可能性があります。

プラスチックというと失礼ながら何か「本物ではなく模造品である」というような先入観がありましたが、学会の方々は「本物を超える素材を作る」ということを目標に、研究開発を熱意を持って進めておられることを知りました。

普段は考えもしないことですが、我々のいる能楽業界も、急速に進化している様々な先端素材を如何に有効に使っていけるのかを、模索することが今後必要なのだろうと感じました。

大変勉強になった、学会参加の一日でした。