松本城薪能と松本澤風会発表会

今日は松本の稽古日でした。

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新宿から特急あずさで無事に松本に到着したのですが、松本駅のアナウンスで「名古屋からの特急しなのは大雨の影響で全て運休になっております」とのこと。

今回の豪雨の影響は、長野にまで及んでいました。

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松本駅に到着して観光案内所に立ち寄ると、下のようなチラシが置いてありました。

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今からちょうど1ヶ月先の8月8日に、毎年恒例の「松本城薪能」が開催されます。

松本城天守閣と北アルプスを借景に舞台が組まれ、薪に照らされて宝生流の能と大蔵流の狂言が演じられるのです。

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能は初番が金井雄資師の「清経」。

その後狂言「蝸牛」を挟んで、能「鵺」を私が勤めさせていただきます。

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そしてこのチラシをよくよく見ると…

非常に小さな文字で「地元能楽愛好会・宝生流松本澤風会による発表会」と書いてあります。

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実は今回、薪能開演前の15時半〜16時半の間に、薪能の舞台を使って松本澤風会の発表会をさせていただくことになったのです。

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8年程前から、松本とその近郊の方々を中心に「宝生流松本澤風会」として稽古を重ねて参りました。

その後、金春流太鼓と幸流小鼓の稽古場も出来て、徐々に能楽が盛んになって来た松本です。

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今回は仕舞に加えて、太鼓と小鼓の独調も披露される予定です。

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そして仕舞は、松本城近くの小中学校の子供達や、地元の骨董屋さん、お味噌屋さん、鰻屋さんなどなどの皆さんが、只今絶賛稽古中です。

今日も、私も含めて皆さん汗をかきながら、一生懸命稽古いたしました。

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松本城天守閣の前で舞う、という素晴らしいシチュエーション。

少しでも良い舞台にするために、私も当日ギリギリまで頑張って準備をさせていただきたいと思います。

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薪能も含めて無料の催しです。

皆さま8月8日は出来ましたら15時半からの澤風会発表会から、松本城にお越しくださいませ。

どうかよろしくお願いいたします。

番組作り

「番組作り」というのは、中々に手間のかかる作業です。

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今、ある大きな催しの番組作りを手掛けているのですが、その作業が佳境に入りました。

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数百人の参加者と、40人程の能楽師のそれぞれの予定を考慮しつつ、能、舞囃子、仕舞、素謡、連吟、独吟の膨大な量の番組を組んでいきます。

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本番の番組が一通り出来上がったら、今度は申合の番組作り。

こちらも細かい時間の希望などを可能な限り反映させて作っていきます。

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明日いっぱいで何とか本番、申合ともに完成させねばなりません。

という訳で、短いですが今日はこれにて失礼いたします。

福井に初めて来た日

あるひとつの街に、生涯で一番最初に訪れた日というのは、まず覚えていないものです。

しかし私は、「福井」という街に初めて来た日を正確に言う事が出来るのです。

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それは1992年4月25日のことでした。

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その日私は福井県立能楽堂での中学生鑑賞能の手伝いで、小川芳先生と一緒に京都から電車で福井駅に到着しました。

小川先生は、「お昼を食べてから能楽堂に行きましょう」と仰って、お蕎麦屋さんに連れて行ってくださいました。

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グルメの小川先生のこと、ただのお蕎麦屋さんではあるまいと思ったら、やはりそこは福井名物”おろし蕎麦”の名店でした。

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初めて食べる”おろし蕎麦”の美味しさに感動していると、ふいにお店のテレビから「歌手の尾崎豊さんが急死しました」との声が。

「尾崎豊」の歌は、私の世代の青春のシンボルでした。

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「おろし蕎麦美味しい!」という気持ちと、「尾崎豊死んでしまったのか!」という衝撃と、そんな私の動揺を何も知らずに目の前で美味しそうにお蕎麦を食べていらっしゃる小川先生と…。

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そんな思い出とともに、尾崎豊の命日「1992年4月25日」は、福井に初めて来た日として私の中に記憶されているのです。

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あれから幾星霜、今日は福井で「京大宝生会OB会全国大会」が開催されました。

OB会は盛会のうちに終わったのですが、実はまだ明日もOB会絡みの重要な予定があるのです。

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この続きはまた明日書かせていただきます。

今日はこれにて。

小田原巡回公演

今月半ばに長野県の小学校をまわる3日間の巡回公演に参加しました。

今日はその同じ巡回公演の企画で、日帰りで小田原市の小学校に行って参りました。

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曲目は長野県の時と同じ能「黒塚」。

シテは家元で、私は今回は地謡を勤めました。

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朝に東京駅をバスで出発して、11時頃に小田原の小学校に到着して体育館に入りました。

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体育館には当然ながら長野県の時と全く同じ舞台が設えてあります。

たった2週間前のことですが、何か懐かしさを感じながら黒塚の作り物「枠かせ輪」を作りました。

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今日は梅雨とは思えない良い天気で、朝から気温もぐんぐん上がり、公演が始まる午後には体育館内は30℃くらいになりました。

生徒さんたちも暑かったと思いますが、公演の最初から最後までお行儀良く鑑賞してくれました。

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公演後に何人かの生徒さんが感想を言ってくれました。

「私はバレエを習っています。能とバレエの動きはかなり違いますが、背筋を伸ばして、指先まで神経を使うという点は似ていると思いました。」

と言うように、非常に深い視点から見てくれた人もいて、感心いたしました。

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上半期の巡回公演は今日で一段落。

下半期はまた秋から始まります。

私もまた何度か参加しますので、子供達の中に能楽が良い記憶として残るように、次回以降も頑張りたいと思います。

全宝連名古屋大会2日目

昨日はレセプションの後に、京大宝生会現役やOBOG達を中心にして「名古屋名物・台湾ラーメン」なる看板メニューを持つ激辛台湾料理店で二次会をしました。

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メニューには唐辛子マークの数で辛さが表示してあるのですが、ノーマークの「ホイコーロー」と言った普通の料理までも激辛という恐るべきお店でした。

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「名古屋名物・台湾ラーメン イタリアン」という最早複雑過ぎて訳がわからない名前のラーメンが、唐辛子マーク6個の激辛ダントツ1位メニューで、こわごわ1つだけ頼んでみました。

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辛いもの好きを自認する現役部員も、「これは人生で一番辛いラーメンです!」と太鼓判を押してくれた程の辛さで、私は一口食べるのが精一杯でした。

混沌とした激辛二次会を経て、日が変わる頃に解散。

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そして今日は全宝連名古屋大会2日目でした。

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私がややへたばりつつ朝9時半に名古屋能楽堂に到着すると、現役達は爽やかな顔をして既に見所に座っています。

「今朝は名古屋名物のモーニングセットを食べに行きました。小倉トースト美味しかったです」

という部員も何人かいて、いやはやさすがに現役は若いです。。

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2日目のトップバッターは同志社の素謡「加茂」でした。

全宝連最大勢力の同志社がズラズラと舞台に並んでいく様は壮観で、また無本の素謡「加茂」が朝の気怠さを吹き飛ばすようなすごい声量で、聴いていて誠に気持ちが良かったです。

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同志社さんは昨日の終盤の仕舞「鵜飼」も圧倒的な声量の地謡で、「とにかく全力で謡うのだ!」という一番大切なことを、私を含めた見所の学生達に改めて教えてくれました。

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そして2日目の大トリは神戸大学の仕舞「鞍馬天狗」。

去年3人だった部員が一気に8人に増えて、地謡も大変賑やかです。

シテが無事に舞い終えて横板に戻ると、最後は附祝言「五雲」を気合を込めて謡って、きっちりと締めてくれました。

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今年の全宝連も、盛りだくさんな内容で盛会のうちに終了いたしました。

幹事の名古屋の皆様、色々本当にありがとうございました。

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これから1年間また各大学に戻って研鑽を積み、1年後今度は我々の京都に集まって、また熱い舞台が繰り広げられる訳です。

来年の舞台を楽しみにしつつ、名古屋を後にしたのでした。

全宝連名古屋大会

全宝連名古屋大会第1日目が先ほど無事終了いたしました。

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京大宝生会の面々も、全国一広い名古屋能楽堂の舞台を一杯に使って、元気に舞って謡ってくれました。

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今年感じたのが、学生を指導している先生方が沢山いらしていたということでした。

全宝連名誉会長の宝生和英家元をはじめ、地元名古屋の先生、東京や関西から監督にいらした先生方が、10人ほども入れ替わり立ち替わり見所で学生の舞台を見守っておられました。

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また名古屋大会にもかかわらず、京大OBOGも10人近く応援に来てくれました。

更に、「澤田先生、○○の母です。いつもお世話になっております。」

現役達のご家族も、関東や関西から大勢いらしてくださいました。

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学生達と、彼らを取り巻く環境は、数年前よりも明らかに盛り上がって来ています。

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来年はまた全宝連が京都に巡って来ます。

京都大会で全宝連を一層盛り上げたいと思います。

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これからレセプションに行って参りますので、今日はこれにて。

能「項羽」の虞美人草

今日は熱海のMOA能楽堂にて、新作仕舞「覇王」と能「項羽」の地謡を勤めて参りました。

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昨日の五雲会の能「杜若」では、舞台の上に杜若の花が出て来ないと書きました。

私にとってはその方が、自分なりの杜若を自由に想像出来て心地が良いとも。

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しかし、それとは逆の主張をする能もあるのですね。

能「項羽」では、ワキ草刈が色とりどりの花を肩に担いで舞台に登場します。

そして前シテ項羽の化身の老人が、その花々の中から真紅の「虞美人草」を一本引き抜いて、その花を手に虞氏の思い出を語るのです。

老人の手の中にある真っ赤な虞美人草は、ちょっと艶めかしいような強烈な存在感を放っていました。

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また曲の後半では、虞氏の霊がツレとして登場し、実際に高櫓から身を投げて虚しくなる型をします。

そして後シテ項羽の霊もそれを追って高櫓に上がり、虞氏が飛び降りた後を鉾で浚って探す型をするのです。

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このような写実的な描写をする能も、「世阿弥作」となっているのが実に面白いと思います。

昨日「杜若」の良さを書いたばかりでなんなのですが、「項羽」のような曲もわかりやすくて良いなと思ってしまいました。

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尤も、滅多に出ない曲の地謡でしたので、舞台で謡っている間はそんなことを考える余裕は一切ありませんでしたが。。

自分だけの感覚

今日は宝生能楽堂の五雲会にて能「杜若」の地謡を勤めました。

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「杜若」という曲も以前書いた「桜川」のように、舞台の上には杜若の花は一切出て来ません。

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ここで話は唐突に変わってしまいますが、私は昔から時たま不思議な感覚に襲われることがあります。

例えば青空を見て綺麗だと思った時に、「しかしこの’青’という色は、他の人にも自分と同じように見えているのだろうか?」と考えてしまうのです。

自分以外の全ての人が、全然違う色を’青’と認識しているとしたら、などと思うと、何となく頼りない気持ちになってしまいます。

或いは、カレーを食べて美味しいと思った時なども同様で、「この味は本当にみんな自分と同じように認識しているのかな?」と己の感覚に不安を覚えてしまったりするのです。

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しかしまたここで能「杜若」に立ち返ってみると、元々舞台上に杜若が無い以上、上に書いたような心配は全く無い訳です。

誰にも見えない杜若を自分だけのイメージで自由に想像すれば良いので、そこに他の人との五感の共有は必要無いのです。

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私は能舞台に上がると、緊張感と並行して言いしれぬ安心感と開放感を覚えてしまいます。

これは他人を全く気にせずに、自分の感覚だけでその空間に存在できるということから来る感覚なのかもしれないと、今日の能「杜若」の序之舞の間にぼんやりと考えていたのでした。

鍛え直す。

舞台と稽古が立て込んでおり、なかなか喉を休める時間がとれない日々が続いております。

しかし昨日会員さんから良い言葉をいただきました。

正確にはその会員さんの知り合いのボイスパフォーマーの方の言葉です。

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「喉が枯れたら、そのガラガラ声から新しい声を発見する!」という内容の言葉で、成る程、そんな前向きな考え方もあるのかと感心いたしました。

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「新しい声」という訳ではないのですが、喉が不調な分、それ以外の部分でいかにカバーするかを毎日考えています。

「口の開け閉めはきちんと大きく」とか、「腹筋に力を入れて、喉には余計な力をかけずに」など、人には毎日のように言っていることを、もう一度自らの身体で確認することが出来ています。

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数年前に、膝を怪我したサッカー選手が、その治療期間を使って上半身など膝以外の部分を鍛え直して、結果より強い選手となって戻って来たのをニュースで見ました。

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私も喉の調子が戻ってきたら、その前よりも良い謡になっているように、この機会に喉以外の要素を色々と鍛え直しておきたいと思っております。

長野県巡回公演 3日目

早いもので、3日間にわたる長野県巡回公演も今日が最終日でした。

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今日の小学校は3校の中で一番遠くにあり、長野駅前からバスで1時間半ほどかかりました。

千曲川を渡ったり、長いトンネルをくぐったりして、やがて辺りは長閑な田園風景に。

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そしてバスは山間の村の小学校に到着しました。

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昨日とは打って変わって、空は綺麗に晴れ渡りました。

爽やかな夏空の下に広がる人気の無いグラウンド。

何か郷愁を感じさせる小学校の風景でした。

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しかし公演開始前に体育館に入って来た子供達は、実に活発で元気一杯の様子でした。

豊かな自然に囲まれて、のびのび育っているのでしょう。

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御囃子方の短いワークショップも楽しんでくれたようで、能「黒塚」の後シテの出囃子が始まると、太鼓や大小鼓の手を真似てリズムをとっている子供が何人かいました。

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繰り返しですが、今回は子供達が本当に舞台の際まで座っていて、手の届きそうなほんの目の前で能や狂言が演じられたのです。

これまで色々な作り方の舞台を見て来ましたが、今回の「かぶりつきで観る舞台」という方法は学校公演においてはとても効果的だと感じました。

おそらく間近で観た子供達の心には、「能楽」が非常に強く印象付けられたことと思います。

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3日間で延べ700人程の子供達に観てもらった今回の巡回公演。

いつかこの先に、「あの時の長野県巡回公演を観て能楽に興味を持ったのです」という人とどこかの能楽堂で会えたら良いなと思いながら、帰りの新幹線に乗り込んだのでした。