○○之段…?

「酷暑」という言葉はよく耳にしますが、「極暑」という表現もあるのですね。今日の非常な暑さを表すのにはぴったりだと思いました。

.

その極暑の中、今日の五雲会には大勢の皆様にいらしていただきました。

誠にありがとうこざいました。

.

.

私は能「鵜飼」の地謡を勤めました。

地謡に出る直前の切戸口では、実は能楽師達が小声でいろんなことを話しています。

.

今日は、ある先輩に話しかけられました。

先輩「そういえば、”鵜飼”みたいな漁って外国にもあるのかね?」

.

成る程、実に興味深い問いです。

しかしその場ですぐに含蓄のある答えなど言える筈もなく…

.

私「えーと…。そうだ、ヨーロッパでは豚に茸を探させますよね!」

先輩「ああ、トリュフね。」

私「ということは、その場面を能にすると”豚之段”になりますね!」

.

2人で低い声で笑っているうちに切戸が開いて舞台が始まったのでした。

.

.

終わってからちょっと調べてみると、”鵜飼”とは実は日本が最も古い歴史を持ち、日本から中国大陸に持ち込まれた漁法であると書いてありました。

私は逆に大陸からもたらされた漁法だと思っていたので、これは新たな発見でした。

.

今日の先輩には次回の舞台で話してみたいと思います。

.

.

…切戸では、舞台に関するもっとまともな話もちゃんと交わされております。

念のため…。

夏の舞台

今日は水道橋宝生能楽堂にて、明後日開催の五雲会の申合がありました。

.

私は最後の能「鵜飼」の地謡でしたので、少し遅めに能楽堂に到着しました。

楽屋更衣室の前で最初に行き会ったのが金森隆晋くんでしたが、彼の様子がいつもと違いました。

.

風呂上がりのような火照った顔をして、髪もやはり水を浴びたように濡れています。

そして着ている浴衣は汗で肌に貼り付いていて、心なしか湯気のようなものが立ち上がっているようにさえ見えました。

.

.

彼は実は初番の能「経政」のシテで、申合を終えてから更に先輩や師匠の指導を受けた後だったようなのです。

今日の東京は朝から蒸し暑かった上に、冷房も「経政」の頃はまだあまり効いていなかったのでしょう。

.

思えば昨年の7月の五雲会では私も能「半蔀」のシテを勤めて、暑い経験をいたしました。

この時期の舞台は、暑がりの汗かきにとっては実に辛いものです。

.

汗を自由にかいて良いものならば、暑さを我慢すれば済むだけの話なのですが、我々の場合、汗だくの姿を見所に晒すのはやはりあまり良くないのです。

私の場合、身体には悪いのでしょうが、舞台の前の水分を控えたりして出来るだけ汗を少なくする努力をしております。

.

.

普通の人は「夏の浴衣」というと、お祭りなどの楽しい出来事と結びつくアイテムなのでしょう。

しかし私は、今の時期電車などで浴衣の人を見ると、暑い舞台と汗を我慢する苦痛が蘇ってきて「うわぁ…浴衣だよ…暑そう…」と反射的に顔を背けてしまったりするのです。

.

.

暑い申合を終えた金森隆晋くんの能「経政」をはじめ、藪克徳さんの能「半蔀」、大友順さんの能「鵜飼」がある明後日の五雲会。

宝生能楽堂にて、7月14日正午開始です。

皆さま是非「熱い」五雲会の舞台を観にいらしてくださいませ。

豪雨の後の亀岡浴衣会

今日は亀岡で「浴衣会」がありました。

.

亀岡は先日の豪雨の時はJR山陰線も、また「老ノ坂」と呼ばれる山越えの幹線道路も寸断され、一時完全に京都市内との交通が不可能になりました。

.

私も先週土曜日の稽古には山陰線が不通で行けず、今日はどうなっているか心配しながら東京を出ました。

.

しかし京都から山陰線に乗って、嵯峨嵐山から保津峡を越えて亀岡盆地に入る間、豪雨の痕跡は全く見られずに、保津峡も少し水量が多いかな、くらいの流れでした。

.

亀山城址にある稽古場も、大きな被害は無かったのとこと。少し安心いたしました。

.

.

能楽には「祈り」の思いが込められています。

浴衣会の初めに主催者代表の方より、「今回被災された方々への祈りの気持ちを込めて、今日の浴衣会の舞台を勤めさせていただきます」とのご挨拶がありました。

.

ニュースでは、今日になってからも広島で河川やため池が決壊しそうだと度々報道しています。

「祈る」しか出来ないのは何とも歯がゆいのですが、今はこれ以上被害が広がらないように、祈りたいと思います。

.

亀岡の皆様は、先週土曜の稽古が出来なかったにもかかわらず、頑張って謡い、舞ってくださいました。

先週土曜の分の代替稽古日程も決まって、また私も新たな気持ちで頑張って稽古させていただきます。

亀岡の皆さま、本日はどうもありがとうございました。

.

.

おまけですが、亀岡稽古場の「業平の杜若」に種子の入った莢が出来ておりました。

もう少し経つと、莢が茶色になって割れて、種子が見えてくるそうです。

種子から育てて花を咲かせるには3、4年かかると言うことですが…。

松本城薪能と松本澤風会発表会

今日は松本の稽古日でした。

.

新宿から特急あずさで無事に松本に到着したのですが、松本駅のアナウンスで「名古屋からの特急しなのは大雨の影響で全て運休になっております」とのこと。

今回の豪雨の影響は、長野にまで及んでいました。

.

.

松本駅に到着して観光案内所に立ち寄ると、下のようなチラシが置いてありました。

.

今からちょうど1ヶ月先の8月8日に、毎年恒例の「松本城薪能」が開催されます。

松本城天守閣と北アルプスを借景に舞台が組まれ、薪に照らされて宝生流の能と大蔵流の狂言が演じられるのです。

.

能は初番が金井雄資師の「清経」。

その後狂言「蝸牛」を挟んで、能「鵺」を私が勤めさせていただきます。

.

.

そしてこのチラシをよくよく見ると…

非常に小さな文字で「地元能楽愛好会・宝生流松本澤風会による発表会」と書いてあります。

.

.

実は今回、薪能開演前の15時半〜16時半の間に、薪能の舞台を使って松本澤風会の発表会をさせていただくことになったのです。

.

8年程前から、松本とその近郊の方々を中心に「宝生流松本澤風会」として稽古を重ねて参りました。

その後、金春流太鼓と幸流小鼓の稽古場も出来て、徐々に能楽が盛んになって来た松本です。

.

今回は仕舞に加えて、太鼓と小鼓の独調も披露される予定です。

.

そして仕舞は、松本城近くの小中学校の子供達や、地元の骨董屋さん、お味噌屋さん、鰻屋さんなどなどの皆さんが、只今絶賛稽古中です。

今日も、私も含めて皆さん汗をかきながら、一生懸命稽古いたしました。

.

松本城天守閣の前で舞う、という素晴らしいシチュエーション。

少しでも良い舞台にするために、私も当日ギリギリまで頑張って準備をさせていただきたいと思います。

.

.

薪能も含めて無料の催しです。

皆さま8月8日は出来ましたら15時半からの澤風会発表会から、松本城にお越しくださいませ。

どうかよろしくお願いいたします。

番組作り

「番組作り」というのは、中々に手間のかかる作業です。

.

今、ある大きな催しの番組作りを手掛けているのですが、その作業が佳境に入りました。

.

数百人の参加者と、40人程の能楽師のそれぞれの予定を考慮しつつ、能、舞囃子、仕舞、素謡、連吟、独吟の膨大な量の番組を組んでいきます。

.

本番の番組が一通り出来上がったら、今度は申合の番組作り。

こちらも細かい時間の希望などを可能な限り反映させて作っていきます。

.

明日いっぱいで何とか本番、申合ともに完成させねばなりません。

という訳で、短いですが今日はこれにて失礼いたします。

福井に初めて来た日

あるひとつの街に、生涯で一番最初に訪れた日というのは、まず覚えていないものです。

しかし私は、「福井」という街に初めて来た日を正確に言う事が出来るのです。

.

それは1992年4月25日のことでした。

.

その日私は福井県立能楽堂での中学生鑑賞能の手伝いで、小川芳先生と一緒に京都から電車で福井駅に到着しました。

小川先生は、「お昼を食べてから能楽堂に行きましょう」と仰って、お蕎麦屋さんに連れて行ってくださいました。

.

グルメの小川先生のこと、ただのお蕎麦屋さんではあるまいと思ったら、やはりそこは福井名物”おろし蕎麦”の名店でした。

.

初めて食べる”おろし蕎麦”の美味しさに感動していると、ふいにお店のテレビから「歌手の尾崎豊さんが急死しました」との声が。

「尾崎豊」の歌は、私の世代の青春のシンボルでした。

.

「おろし蕎麦美味しい!」という気持ちと、「尾崎豊死んでしまったのか!」という衝撃と、そんな私の動揺を何も知らずに目の前で美味しそうにお蕎麦を食べていらっしゃる小川先生と…。

.

そんな思い出とともに、尾崎豊の命日「1992年4月25日」は、福井に初めて来た日として私の中に記憶されているのです。

.

あれから幾星霜、今日は福井で「京大宝生会OB会全国大会」が開催されました。

OB会は盛会のうちに終わったのですが、実はまだ明日もOB会絡みの重要な予定があるのです。

.

この続きはまた明日書かせていただきます。

今日はこれにて。

小田原巡回公演

今月半ばに長野県の小学校をまわる3日間の巡回公演に参加しました。

今日はその同じ巡回公演の企画で、日帰りで小田原市の小学校に行って参りました。

.

曲目は長野県の時と同じ能「黒塚」。

シテは家元で、私は今回は地謡を勤めました。

.

朝に東京駅をバスで出発して、11時頃に小田原の小学校に到着して体育館に入りました。

.

体育館には当然ながら長野県の時と全く同じ舞台が設えてあります。

たった2週間前のことですが、何か懐かしさを感じながら黒塚の作り物「枠かせ輪」を作りました。

.

今日は梅雨とは思えない良い天気で、朝から気温もぐんぐん上がり、公演が始まる午後には体育館内は30℃くらいになりました。

生徒さんたちも暑かったと思いますが、公演の最初から最後までお行儀良く鑑賞してくれました。

.

公演後に何人かの生徒さんが感想を言ってくれました。

「私はバレエを習っています。能とバレエの動きはかなり違いますが、背筋を伸ばして、指先まで神経を使うという点は似ていると思いました。」

と言うように、非常に深い視点から見てくれた人もいて、感心いたしました。

.

.

上半期の巡回公演は今日で一段落。

下半期はまた秋から始まります。

私もまた何度か参加しますので、子供達の中に能楽が良い記憶として残るように、次回以降も頑張りたいと思います。

全宝連名古屋大会2日目

昨日はレセプションの後に、京大宝生会現役やOBOG達を中心にして「名古屋名物・台湾ラーメン」なる看板メニューを持つ激辛台湾料理店で二次会をしました。

.

メニューには唐辛子マークの数で辛さが表示してあるのですが、ノーマークの「ホイコーロー」と言った普通の料理までも激辛という恐るべきお店でした。

.

「名古屋名物・台湾ラーメン イタリアン」という最早複雑過ぎて訳がわからない名前のラーメンが、唐辛子マーク6個の激辛ダントツ1位メニューで、こわごわ1つだけ頼んでみました。

.

辛いもの好きを自認する現役部員も、「これは人生で一番辛いラーメンです!」と太鼓判を押してくれた程の辛さで、私は一口食べるのが精一杯でした。

混沌とした激辛二次会を経て、日が変わる頃に解散。

.

そして今日は全宝連名古屋大会2日目でした。

.

私がややへたばりつつ朝9時半に名古屋能楽堂に到着すると、現役達は爽やかな顔をして既に見所に座っています。

「今朝は名古屋名物のモーニングセットを食べに行きました。小倉トースト美味しかったです」

という部員も何人かいて、いやはやさすがに現役は若いです。。

.

.

2日目のトップバッターは同志社の素謡「加茂」でした。

全宝連最大勢力の同志社がズラズラと舞台に並んでいく様は壮観で、また無本の素謡「加茂」が朝の気怠さを吹き飛ばすようなすごい声量で、聴いていて誠に気持ちが良かったです。

.

同志社さんは昨日の終盤の仕舞「鵜飼」も圧倒的な声量の地謡で、「とにかく全力で謡うのだ!」という一番大切なことを、私を含めた見所の学生達に改めて教えてくれました。

.

そして2日目の大トリは神戸大学の仕舞「鞍馬天狗」。

去年3人だった部員が一気に8人に増えて、地謡も大変賑やかです。

シテが無事に舞い終えて横板に戻ると、最後は附祝言「五雲」を気合を込めて謡って、きっちりと締めてくれました。

.

今年の全宝連も、盛りだくさんな内容で盛会のうちに終了いたしました。

幹事の名古屋の皆様、色々本当にありがとうございました。

.

これから1年間また各大学に戻って研鑽を積み、1年後今度は我々の京都に集まって、また熱い舞台が繰り広げられる訳です。

来年の舞台を楽しみにしつつ、名古屋を後にしたのでした。

全宝連名古屋大会

全宝連名古屋大会第1日目が先ほど無事終了いたしました。

.

京大宝生会の面々も、全国一広い名古屋能楽堂の舞台を一杯に使って、元気に舞って謡ってくれました。

.

.

今年感じたのが、学生を指導している先生方が沢山いらしていたということでした。

全宝連名誉会長の宝生和英家元をはじめ、地元名古屋の先生、東京や関西から監督にいらした先生方が、10人ほども入れ替わり立ち替わり見所で学生の舞台を見守っておられました。

.

また名古屋大会にもかかわらず、京大OBOGも10人近く応援に来てくれました。

更に、「澤田先生、○○の母です。いつもお世話になっております。」

現役達のご家族も、関東や関西から大勢いらしてくださいました。

.

学生達と、彼らを取り巻く環境は、数年前よりも明らかに盛り上がって来ています。

.

来年はまた全宝連が京都に巡って来ます。

京都大会で全宝連を一層盛り上げたいと思います。

.

これからレセプションに行って参りますので、今日はこれにて。

能「項羽」の虞美人草

今日は熱海のMOA能楽堂にて、新作仕舞「覇王」と能「項羽」の地謡を勤めて参りました。

.

.

昨日の五雲会の能「杜若」では、舞台の上に杜若の花が出て来ないと書きました。

私にとってはその方が、自分なりの杜若を自由に想像出来て心地が良いとも。

.

しかし、それとは逆の主張をする能もあるのですね。

能「項羽」では、ワキ草刈が色とりどりの花を肩に担いで舞台に登場します。

そして前シテ項羽の化身の老人が、その花々の中から真紅の「虞美人草」を一本引き抜いて、その花を手に虞氏の思い出を語るのです。

老人の手の中にある真っ赤な虞美人草は、ちょっと艶めかしいような強烈な存在感を放っていました。

.

また曲の後半では、虞氏の霊がツレとして登場し、実際に高櫓から身を投げて虚しくなる型をします。

そして後シテ項羽の霊もそれを追って高櫓に上がり、虞氏が飛び降りた後を鉾で浚って探す型をするのです。

.

このような写実的な描写をする能も、「世阿弥作」となっているのが実に面白いと思います。

昨日「杜若」の良さを書いたばかりでなんなのですが、「項羽」のような曲もわかりやすくて良いなと思ってしまいました。

.

尤も、滅多に出ない曲の地謡でしたので、舞台で謡っている間はそんなことを考える余裕は一切ありませんでしたが。。