般若か顰か

今日は宝生能楽堂にて五雲会に出演いたしました。

私は初番の能「小督」の地謡を勤めました。

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小督が無事に終わり、その後私は最後の能「紅葉狩」のツレの装束などをつけました。

そして紅葉狩が始まってシテとツレが舞台に出てしまうと、楽屋の仕事は一段落です。

「紅葉狩」は中入での装束の着替えを、舞台上の作り物の中で済ませるのです。

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なのでモニターで「紅葉狩」の舞台を見ながら、何人かの若手能楽師で話をしていました。

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「紅葉狩の後シテは、今日みたいに般若の面でやる時と、”顰(しかみ)”をかける時があるね」

「でも、”顰”は男の鬼だから、この場合おかしいんじゃない?」

「実はシテはオカマだったとか…」

「…」

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確かに、前シテは妖艶な女性なのに後シテで男の鬼に変身するのは違和感があります。

しかし「紅葉狩」の謡本には、何故か後シテが”顰”のバージョンの装束とイラストが載っているのです。

そちらが本来なのでしょうか…?

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答えは出ないままに、また別の楽師が話し始めました。

「そういえば、先月の月並の留(最後の能)が”葵上”、先月の五雲会の留が”鉄輪”、今月の月並の留が”黒塚”、今日の留が”紅葉狩”だから、ずっと鬼女で終わる能が続いてますね」

確かに。では来月の月並の留は…

「乱 和合」でした。面は当然”猩々”です。

そして来月五雲会の留は、私がシテの能「舎利」。面は”顰”です。

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私「こうなったら乱も舎利も、般若で出ちゃう…とか(笑)」

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などとつらつら話しているうちに能「紅葉狩」も無事に終わり、楽屋はまたバタバタと片付けの仕事に突入したのでした。

秋の薔薇

今日は午前中に五雲会申合があり、能「小督」の地謡を勤めました。

そして午後からは11月24、25日に開催の「満次郎の会」の申合で、能「安宅 延年之舞」と新作能「オセロ」の2番の地謡を勤めました。

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さすがに1日に能3番だと、脳内メモリーがいっぱいいっぱいです。

とりあえず五雲会申合を終えて、宝生能楽堂近くの本郷給水所公苑に「安宅」と「オセロ」の地謡のお浚いに向かいました。

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久しぶりに公苑に入ると、丁度秋の薔薇の時期に当たっており、苑内には色とりどりの薔薇が咲き誇っていました。

実は新作能「オセロ」は、”白き花”が重要なモチーフになっているのですが、私が撮ったのは”赤い薔薇”でした。

雲ひとつ無い青空に映えて、とても綺麗だったのです。

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撮影後は、すぐさま謡のお浚いに突入したのでした。

玉鬘神社にての演能

今日は奈良県桜井市の初瀬にこの度建立された「玉鬘神社」にて、創祀奉納能がありました。

番組は宝生和英家元による能「翁」と、辰巳満次郎師による半能「玉葛」で、私は2曲の地謡を勤めさせていただきました。

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玉鬘神社は、長谷寺から初瀬川を挟んで対岸にあたる山腹に建立されていました。

この地は昔、玉鬘ゆかりの「玉鬘庵」があった場所だそうです。

社殿の前に特設の舞台が敷設されており、周りは立ち見を含めて沢山のお客様で溢れていました。

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澤風会の会員さんも3人見に来てくださいました。その内のお1人は、つい先日の澤風会京都大会で舞囃子「玉葛」を舞われた方です。

自分で舞った曲を、その曲ゆかりの地で観能するというのは滅多に出来ないことで、大変素晴らしいことだと思います。

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時折雨がパラつく天気でしたが、修祓や玉串奉奠などに続いて先ずは家元の能「翁」演じられ、辺りは厳かな空気に包まれました。

続く半能「玉葛」も、全員が裃姿での「袴能」の形式で予定通り演じられました。

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地謡として舞台に出ているので、当然周りに眼をやることなどは出来ません。

玉鬘ゆかりの地で能「玉葛」を謡っているという実感もあまり無いままに舞台は進んでいきました。

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しかし、キリに差し掛かって「人を初瀬の山おろし」という文句を謡った瞬間に突然、「此処こそが”初瀬の山”なのだ」という感慨に打たれました。

山間の舞台で、お囃子の音も謡の声も初瀬の山に反響して実に良く通っています。

自分の謡が此処から初瀬川を渡って、対岸の長谷寺の方まで響いていけば良いと思いながら、残りのキリを精一杯の声で謡ったのでした。

本日の仕事終了しました

今日は水道橋宝生能楽堂で月並能があり、その前後に別の仕事があって、最後の仕事が先ほど終わりました。

明日は朝に東京を出て、京大「能と狂言の会」に行って参ります。

短いですが、本日はこれにて失礼いたします。

舞って謡って、謡って舞って

今日は朝から水道橋宝生能楽堂にて、辰巳満次郎師のお社中会「あまねく会」に出演して参りました。

大ベテランの方から初舞台の方まで、大変に熱気のある舞台でした。

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私の大先輩である、京大宝生東京OB会の皆様も大勢参加されていましたが、今日は驚くべきことがありました。

皆さん実に精力的に、1人で何度も舞台に出ておられたのです。

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それも「仕舞杜若クセシテ→直後の舞囃子梅枝地謡」とか、「舞囃子梅枝地謡→直後の舞囃子安宅シテ(!)」、また「能班女シテ→素謡善知鳥地謡→舞囃子藤戸地謡」など、ある意味で限界に挑戦するかのようなハードな出演のされ方です。

一番多い先輩では「舞囃子安宅地謡→素謡鵺地謡→素謡大原御幸シテ→舞囃子藤戸シテ」と4回も舞台に出られて、その全てが非常にレベルの高いものでした。

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また能「班女」は本当に見事な舞台で、謡も立ち居の姿も実に美しく、地謡で「良いなぁ」と思いながら拝見しておりました。

因みに「班女」の地謡の前列も全員京大OBの方々でした。

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現役時代から長い長い間稽古を積まれて、今なおその先を目指して厳しく研鑽されている京大宝生会の先輩達。

班女のシテを舞われた先輩は、後席でもう今後舞いたい能の候補のお話をされていました。

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OBの皆さんの底知れないパワーを再認識して、嬉しくなった本日の「あまねく会」でした。

京大「能と狂言の会」申合→京大稽古へ

今日は昼間に京大能楽部自演会「能と狂言の会」の申合がありました。

今回宝生会からは舞囃子「花月」が出ます。

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授業や実験、実習などで忙しい部員達がなんとか集まっての申合でしたが、苦心の甲斐あって有意義な申合になりました。

あとはこの申合で明らかになった問題点を微調整して、本番に臨むだけです。

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その後、夕方からは京大BOXに宝生会の稽古に行きました。

舞囃子以外にも、沢山の仕舞が出るのです。

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上回生は、学校や就活なども忙しい上に仕舞の難易度が高く、更に他の人の仕舞の地謡が大量にあるので非常に大変だと思います。

しかしその大変さを表に全く出さずに明るく稽古しているので、とても立派だといつも感心しています。

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そういえば先月の稽古で、急に上手になったと感じた部員がいて、「ちょっと見ない間に上達したねえ」と感じたままを近くの部員に言ったところ、その部員がしみじみと「彼女はすごく稽古してましたから…」と言ったのです。

私の知らないところで、皆それぞれ大変な日常を過ごしつつ、とても努力して稽古しているのでしょう。

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そして彼らは相変わらず、ちゃんと楽しいイベントもやっているようです。

一昨日のハロウィンには、4回生O君の下宿で「仮装無しのハロウィンパーティ」をやってアイルランド料理やお菓子などを大量に作ったそうです。

今日の稽古の帰りがけに、なんと私にもお裾分けがありました。

コウモリやカボチャや猫などの形に焼いたクッキーです。

新幹線で有り難くいただきたいと思います。

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とにかく何事においても頑張っている京大宝生会。

彼らの稽古における努力の成果が披露される自演会「能と狂言の会」は、京都金剛能楽堂にて11月12日(月)朝9時始曲です。

皆様どうかご来場くださいませ。

よろしくお願いいたします。

能「望月」の早替わり

一曲の能の中でシテが装束を着替える場合、

①いったん中入して楽屋で着替える。

②舞台上の作り物の中で着替える。

③舞台上で後見が着付ける(物着と言われます)

の3つのパターンがあります。

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しかしごく稀に、

④舞台上でシテが自分で着替える。

という場合があるのです。

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今日の「別会能」の最後にあった能「望月」が、その珍しい曲のひとつでした。

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後シテは「獅子舞」を舞う装束で登場しますが、僅かな手順でその外見がクルリと変わるような装束の工夫がしてあります。

その早替わりの場面は何度か観ましたが、見慣れてもなお新鮮な驚きがあります。

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もちろんその分シテの負担が大きく、楽屋で色々と特殊なやり方でシテ自ら着付けをしなければならないのです。

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今日の「望月」のシテは宝生和英家元でした。

非常に鮮やかな早替わりに、今回もまた”ハッ”と新鮮な驚きを感じたのでした。

第7回篁風会に出演して参りました

今日は宝生能楽堂にて、「篁風会」に出演して参りました。

東京芸大時代からの仲間である藪克徳さんのお社中会です。

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会は朝9時から始まって、きっちり夜8時まで。なんと11時間の長丁場でした。

私の最初の出番は朝10時頃でしたが、最後は能「船弁慶」の地謡に座って、附祝言「五雲」まで、きっちりと謡い切りました。

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「篁風会」は今回で第7回を迎えるそうです。

これだけの規模の会を、その規模を維持しつつ7回も続けることは、並大抵の努力では出来ないことだと思います。

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藪克徳さんは今回も、殆どの番組の地謡を自ら謡われていました。

申合時のお弟子さんの録音用カセットテープまで、全て曲名を書いて用意するという几帳面さで、当日の楽屋と舞台のことも非常に細やかに気を配っているのがわかりました。

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彼は熱意と几帳面さを併せ持つ、稀有な存在だと思います。

篁風会が今後益々盛んになることをお祈りしております。

藪さん、篁風会の皆様、今回もどうもありがとうございました。

能「張良」の極私的見どころ

明後日10月28日の日曜日には、水道橋宝生能楽堂にて「別会能」が開催されます。

私は能「張良」の地謡で、先ほどその申合がありました。

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漢の高祖の臣下である”張良”が、”黄石公”という不思議な老人から兵法の奥義を授かる、というストーリー。

これは能「鞍馬天狗」にも出てくるお話です。しかし能「張良」は、大天狗が語る話とはかなり異なる展開になっています。

また、他の曲には見られない独特の演出がいくつかあり、とても面白い曲だと思います。

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①シテは”黄石公”なのですが、むしろワキ張良の方が動きや謡が多く、曲の中心になっています。”ワキ”が主役のようになっているのは、ある意味で能楽らしいと言えます。

②前シテの老翁は、おそらくシテとして最も短い舞台滞在時間と思われるます。(厳密には”橋掛り滞在時間”ですが。。)

③後シテ黄石公が沓を川に落とす場面で、後見がとても重要な働きをします。この働きの結果次第で、ワキの動きが全く変わるのです。

④そのワキ張良が川に落ちた沓を拾い上げようとする動きが、非常に難しいものです。体操やフィギュアスケートの選手ばりの動きを、能装束を身に着けてやってしまうワキは本当にすごいと思います。

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他にも能「定家」や、宝生和英家元による能「望月」など、稀曲・秘曲が揃った今回の「別会能」。

宝生能楽堂にて明後日10月28日正午始です。

皆様是非お越しくださいませ。

小本を探して

以前にブログで書いたことがありますが、私は仕事が一段落すると、それまでの期間に使っていた”小本”こと「袖珍一番本」を一気に片付ける習慣があります。

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今回も松本澤風会が終わったタイミングで、何十冊もたまっていた小本をずらりと並べて片付けようとしました。

するとなんと「梅枝」の小本だけが、どこを探しても無いということに気がついたのです。

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私の小本は、東京芸大を受験すると決めた頃に、小川芳先生に頼んで購入していただいたものです。

以来約25年の間、181番が1冊も欠けることはありませんでした。

いつかは失くなる本も出てくるだろうと思っていましたが、ついにその日が来た訳です。

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小本はバラ売りしていないので、古本を探すしかありません。

今日は水道橋宝生能楽堂で、藪克徳くんのお社中会「篁風会」の申合だったので、それが終わってから神保町の謡曲専門の古書店「高山本店」に足を伸ばしました。

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私の小本は表紙が深緑色の”昭和本”というタイプです。

しかし他のタイプも色々あるので、全く同じもので無くても仕方ないと思いつつ探し始めました。

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高山本店には、何故か古書店でよく行き合う小鼓方の田邊さんもいて、一緒に探してくれました。

しかし、「梅枝」は稀曲ということもあり、なかなか見つかりません。

田邊さん「梅枝の小本はさすがに無いですね…。」

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私もまあ無理かな…と思いかけた時。

目の隅に、見慣れた深緑色が見えたのです。

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よく見るとなんと大量の深緑色の小本が、ダンボールに入ってバラ売りになっていました。

喜び勇んで100冊以上ある小本を調べていくと…

私「ありました梅枝!」

田邊さん「おお〜!おめでとうございます!」

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という訳で、新品同様の小本「梅枝」を、再び入手できたのです。

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気を良くして更に店内を見ていると、これまた探していた「図解仕舞集第八巻」を発見。

この本は絶版で、やはり古本を探すしか無かったのです。

今日は探し物が見つかる日だったようです。

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今の時代、謡はスマホやタブレットに入れて覚える事も可能です。

その利点も確かにあると思うのですが、やはり私は”紙の本”を手繰って覚える方が良く頭に入る気がするのです。

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今回私の手元に来てくれた小本「梅枝」は、早速来月の仕事で活躍してもらうことになります。

この「梅枝」を含めて、今後は小本をもう失くさないように、大切に使おうと改めて思いました。