本日の仕事終了しました

今日は水道橋宝生能楽堂で月並能があり、その前後に別の仕事があって、最後の仕事が先ほど終わりました。

明日は朝に東京を出て、京大「能と狂言の会」に行って参ります。

短いですが、本日はこれにて失礼いたします。

舞って謡って、謡って舞って

今日は朝から水道橋宝生能楽堂にて、辰巳満次郎師のお社中会「あまねく会」に出演して参りました。

大ベテランの方から初舞台の方まで、大変に熱気のある舞台でした。

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私の大先輩である、京大宝生東京OB会の皆様も大勢参加されていましたが、今日は驚くべきことがありました。

皆さん実に精力的に、1人で何度も舞台に出ておられたのです。

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それも「仕舞杜若クセシテ→直後の舞囃子梅枝地謡」とか、「舞囃子梅枝地謡→直後の舞囃子安宅シテ(!)」、また「能班女シテ→素謡善知鳥地謡→舞囃子藤戸地謡」など、ある意味で限界に挑戦するかのようなハードな出演のされ方です。

一番多い先輩では「舞囃子安宅地謡→素謡鵺地謡→素謡大原御幸シテ→舞囃子藤戸シテ」と4回も舞台に出られて、その全てが非常にレベルの高いものでした。

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また能「班女」は本当に見事な舞台で、謡も立ち居の姿も実に美しく、地謡で「良いなぁ」と思いながら拝見しておりました。

因みに「班女」の地謡の前列も全員京大OBの方々でした。

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現役時代から長い長い間稽古を積まれて、今なおその先を目指して厳しく研鑽されている京大宝生会の先輩達。

班女のシテを舞われた先輩は、後席でもう今後舞いたい能の候補のお話をされていました。

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OBの皆さんの底知れないパワーを再認識して、嬉しくなった本日の「あまねく会」でした。

京大「能と狂言の会」申合→京大稽古へ

今日は昼間に京大能楽部自演会「能と狂言の会」の申合がありました。

今回宝生会からは舞囃子「花月」が出ます。

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授業や実験、実習などで忙しい部員達がなんとか集まっての申合でしたが、苦心の甲斐あって有意義な申合になりました。

あとはこの申合で明らかになった問題点を微調整して、本番に臨むだけです。

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その後、夕方からは京大BOXに宝生会の稽古に行きました。

舞囃子以外にも、沢山の仕舞が出るのです。

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上回生は、学校や就活なども忙しい上に仕舞の難易度が高く、更に他の人の仕舞の地謡が大量にあるので非常に大変だと思います。

しかしその大変さを表に全く出さずに明るく稽古しているので、とても立派だといつも感心しています。

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そういえば先月の稽古で、急に上手になったと感じた部員がいて、「ちょっと見ない間に上達したねえ」と感じたままを近くの部員に言ったところ、その部員がしみじみと「彼女はすごく稽古してましたから…」と言ったのです。

私の知らないところで、皆それぞれ大変な日常を過ごしつつ、とても努力して稽古しているのでしょう。

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そして彼らは相変わらず、ちゃんと楽しいイベントもやっているようです。

一昨日のハロウィンには、4回生O君の下宿で「仮装無しのハロウィンパーティ」をやってアイルランド料理やお菓子などを大量に作ったそうです。

今日の稽古の帰りがけに、なんと私にもお裾分けがありました。

コウモリやカボチャや猫などの形に焼いたクッキーです。

新幹線で有り難くいただきたいと思います。

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とにかく何事においても頑張っている京大宝生会。

彼らの稽古における努力の成果が披露される自演会「能と狂言の会」は、京都金剛能楽堂にて11月12日(月)朝9時始曲です。

皆様どうかご来場くださいませ。

よろしくお願いいたします。

能「望月」の早替わり

一曲の能の中でシテが装束を着替える場合、

①いったん中入して楽屋で着替える。

②舞台上の作り物の中で着替える。

③舞台上で後見が着付ける(物着と言われます)

の3つのパターンがあります。

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しかしごく稀に、

④舞台上でシテが自分で着替える。

という場合があるのです。

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今日の「別会能」の最後にあった能「望月」が、その珍しい曲のひとつでした。

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後シテは「獅子舞」を舞う装束で登場しますが、僅かな手順でその外見がクルリと変わるような装束の工夫がしてあります。

その早替わりの場面は何度か観ましたが、見慣れてもなお新鮮な驚きがあります。

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もちろんその分シテの負担が大きく、楽屋で色々と特殊なやり方でシテ自ら着付けをしなければならないのです。

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今日の「望月」のシテは宝生和英家元でした。

非常に鮮やかな早替わりに、今回もまた”ハッ”と新鮮な驚きを感じたのでした。

第7回篁風会に出演して参りました

今日は宝生能楽堂にて、「篁風会」に出演して参りました。

東京芸大時代からの仲間である藪克徳さんのお社中会です。

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会は朝9時から始まって、きっちり夜8時まで。なんと11時間の長丁場でした。

私の最初の出番は朝10時頃でしたが、最後は能「船弁慶」の地謡に座って、附祝言「五雲」まで、きっちりと謡い切りました。

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「篁風会」は今回で第7回を迎えるそうです。

これだけの規模の会を、その規模を維持しつつ7回も続けることは、並大抵の努力では出来ないことだと思います。

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藪克徳さんは今回も、殆どの番組の地謡を自ら謡われていました。

申合時のお弟子さんの録音用カセットテープまで、全て曲名を書いて用意するという几帳面さで、当日の楽屋と舞台のことも非常に細やかに気を配っているのがわかりました。

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彼は熱意と几帳面さを併せ持つ、稀有な存在だと思います。

篁風会が今後益々盛んになることをお祈りしております。

藪さん、篁風会の皆様、今回もどうもありがとうございました。

能「張良」の極私的見どころ

明後日10月28日の日曜日には、水道橋宝生能楽堂にて「別会能」が開催されます。

私は能「張良」の地謡で、先ほどその申合がありました。

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漢の高祖の臣下である”張良”が、”黄石公”という不思議な老人から兵法の奥義を授かる、というストーリー。

これは能「鞍馬天狗」にも出てくるお話です。しかし能「張良」は、大天狗が語る話とはかなり異なる展開になっています。

また、他の曲には見られない独特の演出がいくつかあり、とても面白い曲だと思います。

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①シテは”黄石公”なのですが、むしろワキ張良の方が動きや謡が多く、曲の中心になっています。”ワキ”が主役のようになっているのは、ある意味で能楽らしいと言えます。

②前シテの老翁は、おそらくシテとして最も短い舞台滞在時間と思われるます。(厳密には”橋掛り滞在時間”ですが。。)

③後シテ黄石公が沓を川に落とす場面で、後見がとても重要な働きをします。この働きの結果次第で、ワキの動きが全く変わるのです。

④そのワキ張良が川に落ちた沓を拾い上げようとする動きが、非常に難しいものです。体操やフィギュアスケートの選手ばりの動きを、能装束を身に着けてやってしまうワキは本当にすごいと思います。

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他にも能「定家」や、宝生和英家元による能「望月」など、稀曲・秘曲が揃った今回の「別会能」。

宝生能楽堂にて明後日10月28日正午始です。

皆様是非お越しくださいませ。

小本を探して

以前にブログで書いたことがありますが、私は仕事が一段落すると、それまでの期間に使っていた”小本”こと「袖珍一番本」を一気に片付ける習慣があります。

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今回も松本澤風会が終わったタイミングで、何十冊もたまっていた小本をずらりと並べて片付けようとしました。

するとなんと「梅枝」の小本だけが、どこを探しても無いということに気がついたのです。

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私の小本は、東京芸大を受験すると決めた頃に、小川芳先生に頼んで購入していただいたものです。

以来約25年の間、181番が1冊も欠けることはありませんでした。

いつかは失くなる本も出てくるだろうと思っていましたが、ついにその日が来た訳です。

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小本はバラ売りしていないので、古本を探すしかありません。

今日は水道橋宝生能楽堂で、藪克徳くんのお社中会「篁風会」の申合だったので、それが終わってから神保町の謡曲専門の古書店「高山本店」に足を伸ばしました。

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私の小本は表紙が深緑色の”昭和本”というタイプです。

しかし他のタイプも色々あるので、全く同じもので無くても仕方ないと思いつつ探し始めました。

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高山本店には、何故か古書店でよく行き合う小鼓方の田邊さんもいて、一緒に探してくれました。

しかし、「梅枝」は稀曲ということもあり、なかなか見つかりません。

田邊さん「梅枝の小本はさすがに無いですね…。」

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私もまあ無理かな…と思いかけた時。

目の隅に、見慣れた深緑色が見えたのです。

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よく見るとなんと大量の深緑色の小本が、ダンボールに入ってバラ売りになっていました。

喜び勇んで100冊以上ある小本を調べていくと…

私「ありました梅枝!」

田邊さん「おお〜!おめでとうございます!」

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という訳で、新品同様の小本「梅枝」を、再び入手できたのです。

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気を良くして更に店内を見ていると、これまた探していた「図解仕舞集第八巻」を発見。

この本は絶版で、やはり古本を探すしか無かったのです。

今日は探し物が見つかる日だったようです。

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今の時代、謡はスマホやタブレットに入れて覚える事も可能です。

その利点も確かにあると思うのですが、やはり私は”紙の本”を手繰って覚える方が良く頭に入る気がするのです。

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今回私の手元に来てくれた小本「梅枝」は、早速来月の仕事で活躍してもらうことになります。

この「梅枝」を含めて、今後は小本をもう失くさないように、大切に使おうと改めて思いました。

あまねく会申合と満月

今日は午後から水道橋宝生能楽堂にて、11月4日開催の辰巳満次郎師のお社中会「あまねく会」の申合がありました。

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今回は京大宝生会OBの柴田昇先輩が能「班女」を舞われて、私は地謡を謡わせていただきます。

京大宝生会のOBの先輩方は、毎年必ずどなたかが能を舞われています。曲も難しいものばかりで、大変に見応えがあります。

今回の「班女」も素晴らしい仕上がりで、本番で地謡座から拝見するのがとても楽しみです。

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他にも舞囃子なども沢山出るので、皆さま是非11月4日には「あまねく会」にお越しいただければと思います。

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さて申合が終わって、先ほど20時頃に宝生能楽堂を出て宝生坂を登って家路につきました。

今日は夜空を見上げながら歩きました。

満月が見えないかと探していたのです。

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給水所公園まで来たところで、雲の切れ間から見え隠れする月を見つけました。

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先月の9月24日は「中秋の名月」でした。

私はその日は松本稽古の帰りに「一杯のワイン」をいただき、その後に乗った特急あずさの窓から名月を眺めたのです。

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そして今日の満月が「栗名月」という名前だと思っておりました。

栗名月が見られて良かった良かったと思いながら、一応と思って「栗名月」を調べたところ、なんと私の認識が間違っていることがわかりました。

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「栗名月」とは、「中秋の名月」の次の満月の直前、”十三夜”の月の事を言うのだそうです。

今年の栗名月は一昨日の10月21日。

つまり、松本澤風会の日の夜だったのです。

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そして私はその日、旅館”月の静香”の前に出て、澤風会に参加された何人かの方々とお月見をしていたのでした。

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「中秋の名月」と「栗名月」は、できれば両方とも見た方が縁起が良いそうです。

私は図らずも、どちらの名月も松本で見たことになります。

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ともあれ、今日の雲間から見える満月もとても綺麗です。

皆さまこれからでも、是非夜空を見上げてみられたら良いかと思います。

寒いので、くれぐれも暖かくしてお願いいたします。

松本澤風会無事終了しました

美ヶ原温泉の旅館”月の静香”大広間にて、昨日松本澤風会を無事に開催することができました。

小鼓方の住駒充彦さん始め、ご参加くださいました皆様誠にありがとうございました。

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松本澤風会は、来年で稽古開始から10年、再来年が第10回の舞台を迎えます。

最初の頃は仕舞と謡だけだった番組が、舞囃子、居囃子、独調なども増えて、多彩なものになりました。

また昨日は太鼓と小鼓、仕舞と笛、舞囃子シテと太鼓など、一人で複数回舞台に出る人が多くいらっしゃいました。

これはとても大変なことなのですが、どうかこれからも精力的に挑戦していただければと思います。

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一夜明けて今日は、京都や東京からいらした方々と紅葉狩に出かけました。

天気も良く、北アルプスの一足早い秋を満喫いたしました。

貴船神社の怖い思い出

今日は水道橋宝生能楽堂にて「五雲会」が開催され、私は能「鉄輪」の後見を勤めました。

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前シテは夜の京をヒタヒタと北へ歩いて、貴船神社へと丑の刻参りに通います。

女性の怨念がひしひしと感じられる、非常に不気味な雰囲気の”道行”謡です。

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今からもう8年ほども前のことになりますが、年末に貴船神社に詣でたことがあります。

大山崎のふるさとガイドでもある木村さんの案内で、半ば能「鉄輪」の取材のような貴船ウォーキングでした。

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クリスマスも終わった12月27日だったと記憶しています。

叡山電車の貴船口駅で降りて、くねくねした細い車道を登って貴船神社へと向かいました。

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辺りには意外にも人が多く、特に若い女性がひとりで歩いている姿が目立ちます。

「今流行りの”パワースポット”というやつだろうか…?」と思いながら、やがて貴船神社に到着しました。

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境内にもやはり結構人がいて、とりあえずお参りをした我々の横でも、手を合わせる女性がいます。

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お参りの後に、木村さんのガイドで境内を色々見てまわりました。

大阪湾から遡って来たという”磐船”などを見たりして、30分ほどゆっくりと境内で過ごした後に、「では帰りましょうか」と最後に辺りをぐるりと見回しました。

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そこで、「あれ?」と思いました。

何とも言えない異常な感じがしたのです。

もう一度見回した時、その違和感の原因に気づきました。

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先程30分前に我々がお参りした時に、横でお参りしていた若い女性。

彼女が先程と全く同じ場所で、同じ姿勢でじっと手を合わせているのです。

30分間も微動だにせずに、一体何を祈っているのか…?

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そう考えた時、行きの貴船口駅からの道を歩いていた沢山の女性のことが思い浮かび、背筋がスッと寒くなりました。

“パワースポット”などでは無く、彼女達はもっと切実で深刻な思いで貴船神社に詣でているのではないだろうか…。

それはまるでリアルな「鉄輪」のようだと思いました。

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能「鉄輪」の世界は、おそらく現代の京都にも、当時と同じように息づいているのです。

今日の舞台で”道行”を謡う前シテの後ろ姿を見ながら、あの時の怖さを思い出したのでした。