舞台上での自己紹介

今日は宝生能楽堂にて「満次郎の会」2日目が開催されました。

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私はその番組の中の「能姿態放題」という演目で、「山神」という役で出演いたしました。

他にも「龍神」「女神」「鬼神」など8人の神々が同時に宝生能楽堂に降臨したのです。

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各神々は、様々な曲の”後シテ”の姿をしています。

“後シテ”は通常、登場すると自らが何者であるのかを自分で謡って「自己紹介(名乗り)」をします。

「そもそもこれは。秋津島根の。龍神なり〜。」

という感じです。

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今日は先頭から8回連続での”名乗り”がありました。

そして演目上の動きは厳密に決められておりましたが、この名乗りでの台詞と型に限っては、ある程度演者の裁量に任されていたのです。

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合わせの段階と本番では全く違う”名乗り”をした神様もいて、私はそれを舞台上で聞きながら、

「おお、なるほど!」と感心したり、

「うわ〜、こう変えてきたか!やられた〜!」と悔しがったりしておりました。

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さまざまな神々の属性に、それを演ずる能楽師のパーソナリティが加味されて、多彩な”自己紹介”になったと思います。

このような演出はそうそう無いと思われますが、次回同様の機会があれば、より練った名乗りにしたいと思ったのでした。

“命懸け”の舞

今日は辰巳満次郎師の個人演能会である「満次郎の会」10周年記念東京公演の第1日目が開催されて、大盛会のうちに終了いたしました。

私は能「安宅 延年之舞」の地謡を勤めさせていただきました。

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主に”延年之舞”について、書きたいことは無限にあるのですが、明日も第2日目が控えております。。手短かに書かせていただきます。

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“延年之舞”は、御囃子方からは「宝生流の安宅延年之舞は命懸けだ」と言われる程の舞です。

緩急で言えば比較的ゆったりとしている舞なのですが、そこで囃される御囃子の掛け声は正に”命懸け”の気迫を伴っています。

今日はその御囃子に呼応して、満次郎師の舞も「命懸け」の気合でした。

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ハリウッド映画のように、見せ場が次々にやってくる展開の能「安宅」。

その最後に舞われる命懸けの”延年之舞”。

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地謡座にいながらその迫力を感じると共に、実感として「自分がこの曲を舞ったら本当に死にそうかも…」

という思いに圧倒されてしまったのでした。

紋付の修繕

2年ほど前に作った楽屋働き用の紋付が、早くも何ヶ所か糸が切れたりほつれたりしてきました。

装束付けに使う糸針の切れ端をもらって”ずっこけ”という方法で止めたりして、騙し騙し使ってきたのですが、いよいよ裂け目が目立ってきたので、今日まとめて自分で縫って修繕しました。

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紋付は絹糸で縫ってあります。

絹糸は生物由来の為に経年劣化するので、何年か経つと弱くなるものなのですが、楽屋働きで荒っぽく使う紋付は一際早く傷んでくるのです。

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私が直しに使うのは太めの絹糸です。

元々縫ってある糸と比べると、倍以上の太さに見えました。

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正絹の紋付を縫う際には化繊の糸を使わずに絹糸で、しかもあえて細めの糸で縫ってあると聞いたことがあります。

縫い目に過度の負荷がかかった時に、生地が破れる前に糸が切れるようにしてあるのだそうです。

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しかし能の楽屋働きで使う紋付の場合は、この定石を踏み外してでも太くて強い糸で仕上げてもらいたい気がします。

“ヘビーデューティ”というのはアウトドア用品などに使う言葉ですが、私は酷使に耐える”ヘビーデューティ”な紋付があっても良いと思います。

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更に注文出来るとしたら、

①襟の裏側に「糸針と鋏」を収納出来る小さな内ポケットをつける。

②袂の内側にもポケットをいくつかつけて、「手拭い」、「番組などの紙」、「小本」などの出し入れをしやすくする。

などの機能もお願いしたいです。

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いつか上のような頑丈で機能的な紋付を、着物屋さんと共同開発したい…などとチクチクと紋付を繕いながら考えたのでした。

買い手は非常に限られると思われますが…。

伝統芸能を志す中高生達

今日は「都立白鵬高校・附属中学校創立130周年記念式典」

というものに行って参りました。

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私が江古田で稽古している男の子が、白鵬高校の”日本の伝統文化枠”というコースに通っていて、今日の式典ではそのコースの生徒達による公演があったのです。

男の子は仕舞「嵐山」での出演でした。

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と言っても私がしたのは裃の着付けの補助だけで、あとは舞台袖で公演を見守っていました。

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中1から高3まで、9人の生徒達が箏曲、長唄囃子、能、狂言、歌舞伎舞踊、日本舞踊を披露しましたが、皆玄人を目指しているだけあって非常にレベルの高い舞台でした。

そしてまた9人の子供達は皆、学年を超えてとても親しくしているようでした。

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これは大変良いことだと思います。

というのは、伝統芸能の修業では周りに大人しかいない状況が生まれがちで、気楽に話せる同年代がいなくて孤独感を感じることが多いのです。

特に中学高校では、学校で同じような修業をしている生徒はまずいないので、やはり孤立してしまうおそれが高いと思います。

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その点白鵬の生徒達は、同じ日本の伝統芸能を志す同世代の仲間と6年間を過ごせるわけです。

修業の苦労などもお互いに理解して共感し合える筈で、それは精神的にとても救われることだと思うのです。

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また今日の式典では、生徒の保護者の方々がとても沢山手伝いに来て、ステージの設営などをしておられたのも印象的でした。

文化祭などの行事でも必ず保護者が手伝いをするそうです。

仲間達の存在と共に、保護者の方々の手厚いサポートがあればこそ、彼らは中高時代の修業を乗り越えて来られたのでしょう。

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彼らが白鵬での6年間の経験を糧にして、東京芸大など次のステージに進んでいき、更に長く厳しい修業を経てやがて一人前になることを祈って会場の東京文化会館を後にしたのでした。

最高の環境での巡回公演

昨日に続いて、今日は川崎の小学校での巡回公演でした。

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会場の体育館に6年生達が入って来ると、先ずは小学校の先生から開始の挨拶がありました。

「皆さんの前にある立派な能舞台は、舞台を作る方々が昨日の夜9時半頃までかかって組み立ててくださったのです。」

生徒達から驚きの声が漏れました。

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楽屋で聞いていた私も、改めて驚きました。

今回お世話になっている”影向社”の皆様のプロフェッショナルな仕事ぶりの凄さにです。

昨日の舞台が終わったのが16時頃。

そこから舞台解体→移動→設営で夜9時半。

そして今日は我々能楽師が朝9時前に到着した時には、皆様もう忙しく働いておられました。

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楽屋に必要な机、椅子、鏡などの備品の調達から、飲み物や食べ物の用意(今日は朝早かったのですが、楽屋には朝ご飯用にとサンドイッチとお握りがズラリと並んでいました)、また学校毎に微妙に違う進行を把握して、MCの私に的確な指示を出してくださるのも影向社の方でした。

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今回の巡回公演は、今までに経験した数多の舞台の中でも最も仕事のしやすい環境でした。

それらを全て整えてくださった影向社の皆様に、心より感謝いたします。

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さて、小学校の先生の挨拶はまだ続いています。

「それでは、舞台の壁の向こうにいらっしゃる役者の皆さんに、大きな声で”よろしくおねがいします!”と言いましょう!」

おお、それはかつて無いパターンです。

子供達「よろしくお願いします‼️‼️

壁も震えるような大声に、またしても驚かされながらMCの私は切戸をくぐって舞台に出たのでした。

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今回は6年生限定というだけあって、とても行儀よく真面目な姿勢の子供達でした。

しかし笑ったり驚いたりの反応は良く、また最後の質問コーナーでも次々に手を挙げてくれました。

「良い子達だなぁ」と感心していると、一番最後になんと我々にプレゼントまで用意してくれていたのです。

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「それでは、今日お世話になった先生方に、折り紙の花束の贈呈です!」

上の写真のような花束を持った子供達がズラリと立ち上がり、私は慌てて楽屋の能楽師達を舞台に呼び出して、皆で照れながら花束をもらったのでした。

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MCの大役も今日で無事に終わり、非常に良い気分で小学校を後にしました。

坂戸小学校の皆さんと、今一度影向社の皆様に心より御礼申し上げます。

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12月にあと1回残っている巡回公演も、精一杯頑張ろうと思います。

巡回公演のMC

今日は相模原の小学校にて「巡回公演」に出演して参りました。

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巡回公演への参加は6月の長野公演と小田原公演以来です。

小学校の体育館には、あの時と全く同じ舞台が綺麗に設営されていました。

演目は狂言「柿山伏」と能「黒塚」で、これも6月の時と同じです。

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しかし私にとっては、あの時とは大きく違う点がひとつありました。

私は今日の公演で、各演目の前後に舞台に出て解説などをする「MC」を仰せつかったのです。

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普段から小学校での能楽教室は頻繁にやっており、喋るのは慣れていると自分では思っていたのですが、今回ばかりは勝手が違いました。

あらかじめ用意された原稿に沿って、ほぼ決まった内容を話さなければならなかったのです。

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謡の暗記はやり方がわかっているのに、現代語の原稿を覚えようとしても何故か全く頭に入って来ません。

先週1週間は毎日MC原稿を眺めて、ため息ばかりついておりました。。

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そしていよいよ今日は本番です。

MCは原稿を見ながらでも良いとは言われていたのですが、私の場合はおそらく原稿を見るとかえって言葉に詰まりそうな気がします。

ここは思い切って、原稿は持たずに手ぶらで舞台に出ました。

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今日の子供達は1年生から6年生まで全校生徒の450人。

私はこういう時は、低学年に合わせて喋るようにしています。

とにかく易しい言葉で、「能舞台の揚幕の向こうは別の世界なのです。」とか、「狂言は面白かったら大きな声で笑ってください!その方が演者も嬉しいのです。」

と言った内容を話して、一度切戸に引きました。

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狂言「柿山伏」が始まると、冒頭から本当に大きな笑い声が起こって、なんだか大変な盛り上がりになってしまいました。

ちょっと効果があり過ぎかな…?

と思いながらも、私の言葉はどうやら子供達の心に伝わってくれているようで、少しホッとしました。

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それから御囃子方の実演の前後、また最後の能「黒塚」の前後にもMCに出て、何とか原稿の内容を大きく逸脱せずに喋ることが出来ました。

子供達が「黒塚」の間狂言でも大声で盛り上がりだしたので些か不安になりましたが、後場が始まるとちゃんと静まって”能”の鑑賞モードになってくれました。

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実は明日も朝から巡回公演があり、また別の小学校でMCをするのです。

今日1回終えているのでだいぶ気は楽ですが、より良い内容を話せるようにしたいと思います。

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…ちなみにMCだけではなく、一応能の地頭としても舞台に出て働きました。念のため…。

船場能「経政」に出演して参りました

今日は大阪船場にある「坐摩神社」にて「第2回船場能」に出演して参りました。

番組は辰巳満次郎師による能「経政」でした。

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「坐摩神社」と書いて、何と読むかすぐにわかる人は余程の大阪通だと思われます。

これで「いかすりじんじゃ」と読むのです。

“摂津国一宮”で、とても古い歴史を持つ神社だそうです。

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船場は大阪町人文化の中心地であり、おそらく江戸時代には能楽も多く演じられたに違いありません。

その頃御屋敷や御座敷の中では、燭台の灯りで能を演じることが多かっただろうということで、今日は舞台の四隅に4本の燭台を置いて、”蝋燭能”の形式で「経政」が演じられました。

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そもそも「経政」では、燭台の灯火の中で管絃講が行われている所に経政の霊が現れるわけで、今日の演出はストーリーにぴったり合っていたわけです。

見所のお客様達は、ひと時タイムスリップして、当時の旦那衆が楽しんだのと同じ感覚で能を体感していただけたのではないでしょうか。

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「船場能」が終わると私はすぐに京大稽古に移動しました。

来月12月16日に香里能楽堂にて開催される関西宝連の稽古をしたのですが、最後には能「経政」を稽古して終えました。

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今日は経政に始まって経政で終わる1日だったのです。

般若か顰か

今日は宝生能楽堂にて五雲会に出演いたしました。

私は初番の能「小督」の地謡を勤めました。

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小督が無事に終わり、その後私は最後の能「紅葉狩」のツレの装束などをつけました。

そして紅葉狩が始まってシテとツレが舞台に出てしまうと、楽屋の仕事は一段落です。

「紅葉狩」は中入での装束の着替えを、舞台上の作り物の中で済ませるのです。

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なのでモニターで「紅葉狩」の舞台を見ながら、何人かの若手能楽師で話をしていました。

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「紅葉狩の後シテは、今日みたいに般若の面でやる時と、”顰(しかみ)”をかける時があるね」

「でも、”顰”は男の鬼だから、この場合おかしいんじゃない?」

「実はシテはオカマだったとか…」

「…」

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確かに、前シテは妖艶な女性なのに後シテで男の鬼に変身するのは違和感があります。

しかし「紅葉狩」の謡本には、何故か後シテが”顰”のバージョンの装束とイラストが載っているのです。

そちらが本来なのでしょうか…?

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答えは出ないままに、また別の楽師が話し始めました。

「そういえば、先月の月並の留(最後の能)が”葵上”、先月の五雲会の留が”鉄輪”、今月の月並の留が”黒塚”、今日の留が”紅葉狩”だから、ずっと鬼女で終わる能が続いてますね」

確かに。では来月の月並の留は…

「乱 和合」でした。面は当然”猩々”です。

そして来月五雲会の留は、私がシテの能「舎利」。面は”顰”です。

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私「こうなったら乱も舎利も、般若で出ちゃう…とか(笑)」

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などとつらつら話しているうちに能「紅葉狩」も無事に終わり、楽屋はまたバタバタと片付けの仕事に突入したのでした。

秋の薔薇

今日は午前中に五雲会申合があり、能「小督」の地謡を勤めました。

そして午後からは11月24、25日に開催の「満次郎の会」の申合で、能「安宅 延年之舞」と新作能「オセロ」の2番の地謡を勤めました。

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さすがに1日に能3番だと、脳内メモリーがいっぱいいっぱいです。

とりあえず五雲会申合を終えて、宝生能楽堂近くの本郷給水所公苑に「安宅」と「オセロ」の地謡のお浚いに向かいました。

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久しぶりに公苑に入ると、丁度秋の薔薇の時期に当たっており、苑内には色とりどりの薔薇が咲き誇っていました。

実は新作能「オセロ」は、”白き花”が重要なモチーフになっているのですが、私が撮ったのは”赤い薔薇”でした。

雲ひとつ無い青空に映えて、とても綺麗だったのです。

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撮影後は、すぐさま謡のお浚いに突入したのでした。

玉鬘神社にての演能

今日は奈良県桜井市の初瀬にこの度建立された「玉鬘神社」にて、創祀奉納能がありました。

番組は宝生和英家元による能「翁」と、辰巳満次郎師による半能「玉葛」で、私は2曲の地謡を勤めさせていただきました。

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玉鬘神社は、長谷寺から初瀬川を挟んで対岸にあたる山腹に建立されていました。

この地は昔、玉鬘ゆかりの「玉鬘庵」があった場所だそうです。

社殿の前に特設の舞台が敷設されており、周りは立ち見を含めて沢山のお客様で溢れていました。

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澤風会の会員さんも3人見に来てくださいました。その内のお1人は、つい先日の澤風会京都大会で舞囃子「玉葛」を舞われた方です。

自分で舞った曲を、その曲ゆかりの地で観能するというのは滅多に出来ないことで、大変素晴らしいことだと思います。

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時折雨がパラつく天気でしたが、修祓や玉串奉奠などに続いて先ずは家元の能「翁」演じられ、辺りは厳かな空気に包まれました。

続く半能「玉葛」も、全員が裃姿での「袴能」の形式で予定通り演じられました。

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地謡として舞台に出ているので、当然周りに眼をやることなどは出来ません。

玉鬘ゆかりの地で能「玉葛」を謡っているという実感もあまり無いままに舞台は進んでいきました。

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しかし、キリに差し掛かって「人を初瀬の山おろし」という文句を謡った瞬間に突然、「此処こそが”初瀬の山”なのだ」という感慨に打たれました。

山間の舞台で、お囃子の音も謡の声も初瀬の山に反響して実に良く通っています。

自分の謡が此処から初瀬川を渡って、対岸の長谷寺の方まで響いていけば良いと思いながら、残りのキリを精一杯の声で謡ったのでした。