無人島に連れていくとしたら…

七葉会から一夜明けて、私は早朝の新幹線で静岡県の掛川に向かいました。

「初秋の千人の宴」という能楽公演に出演するためです。

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能は辰巳満次郎師による「黒塚 白頭」でした。

午前中のワークショップを終えて、私は若手能楽師と一緒に、久しぶりに「藁屋」の作り物を製作いたしました。

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竹の柱と台輪を、さらしを細く裂いた”包地(ぼうじ)”というもので巻いて固定していきます。

柱がグラグラしないように固定するのには、いくつかのコツがあって若手能楽師が最初に鍛えられる作業のひとつなのです。

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私が包地を巻いているのを、たまたま横で見ている人がいました。

私が「このやり方で、筏を組んだりすることも出来るのですよ。小屋を作ったり」

すると見ていた人が、

「ヘェ〜そうなんですね〜。じゃあ、無人島に誰か一人連れて行くとしたら、能楽師が良いかもしれませんね〜」

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成る程。確かに我々は包地を使って縄をなったりすることも出来ます。

能楽師は意外にアウトドアに向いた職業かも…

などと思いながら、柱を立てて壁と扉を取り付け、屋根を乗せて、安達ヶ原の鬼女の棲家である「藁屋」が完成しました。

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朝には七葉会の重たいような疲労感もありましたが、一日働いて帰りの新幹線で爆睡すると、東京に到着した頃には何だかスッキリした気分でした。

やはり疲労は動きながら徐々に回復させるのが一番だと思いました。

世間はお盆休みに入りましたが、私は今週も淡々と仕事をして参りたいと思います。

第9回七葉会2日目が終了しました

2日間にわたる七葉会がおかげさまで先ほど無事に終了いたしました。

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来年は”10周年”を迎えるので、その舞台に向けての話などもある打ち上げでした。

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七人の若手能楽師と、七つの会で稽古している沢山の方々、そしてその知り合いの大勢の方々が織り成す、夢のような「第9回七葉会」でした。

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来年の記念大会で、一層稽古を重ねられた皆様とお会いするのを、心から楽しみにしております。

どうもありがとうございました。

第9回七葉会1日目

今日は宝生能楽堂にて「第9回七葉会」が無事開催されました。

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終了後にも色々ドラマチックなことがあり、日付変更ギリギリで帰ります。

また明日もよろしくお願いいたします。

第9回七葉会のお知らせ

明日明後日と、水道橋宝生能楽堂にて「第9回七葉会」が開催されます。

今日はその舞囃子と能の申合がありました。

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なんだかんだでもう9回目になった「七葉会」。

ここ数年は、土曜日に仕舞と謡、日曜日はそれに加えて舞囃子が10数番あり、一番最後に能が出るというパターンが続いております。

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七つの同門会が一堂に会する、なんとなく”夏祭り”のような雰囲気もある賑やかな舞台です。

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土日両日とも朝10時始曲です。

明日土曜日の17時過ぎからは、7人の主宰能楽師による番外仕舞も予定されております。

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また日曜日の最後の番組は能「加茂」で、昨年に続いて内藤飛能さんの「飛雲会」の会員さんがシテとツレを舞われます。

今日の申合でも、外の猛暑にも負けない程の熱量がある元気一杯の”別雷の神”を演じてくださいました。

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その他にも、何人かの主宰楽師のまだ小さな子供達の仕舞などもあり、見どころ盛りだくさんです。

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もちろん澤風会からも、舞囃子「氷室」、素謡「箙」、「歌占」、「草紙洗」に加えて沢山の仕舞が出ます。

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暑い日に、エアコンの効いた能楽堂で、熱い舞台を観るという週末は如何でしょうか。

皆さま明日明後日はどうか宝生能楽堂に、我々「七葉会」の応援にいらしてくださいませ。

よろしくお願いいたします。

暑さのピークはいつまで…

今日は夜に田町稽古でした。

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その前に、用事があって先ず水道橋宝生能楽堂に向かいました。

地下鉄日比谷線を秋葉原で降りて、さらに郵便局にも用事があったので、歩いて御茶の水方面へ出発しました。

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いつもなら何でも無い外堀通りの緩やかな上り坂なのですが、今日は途中で尋常ではない汗が出て来ました。

坂を上りきった御茶の水駅の郵便局で、エアコンの空気にホッと一息。

用事を済ませてまた水道橋へ歩き出しました。

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熱中症は大丈夫なのだろうか…

と思うほどの発汗量でしたが、能楽堂に到着してまたエアコンで少し涼んだら、すぐに汗も引きました。

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思えば昨年の今頃は、松本城薪能でもっともっと暑い思いをしたのでした。

暑さは苦手ですが、耐性は意外にあるようです。

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そういえば、昨年の松本城薪能では台風13号の影響に一喜一憂いたしました。

今年もまた台風が近づいているようです。

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今頃から台風がいくつか過ぎて、お盆の終わり頃に少し涼しくなったと去年のブログにありました。

もし去年通りならば、あと1週間ほどで暑さのピークが過ぎてくれるはずなのです。

それを信じて、明日からまた暑さに負けずに稽古して参りたいと思います。

東京五輪に向けたプレイベント

今日は国立能楽堂にて、2020東京オリンピック・パラリンピックに向けたプレイベント「ESSENCE能」に出演して参りました。

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今から55年前の前回の東京五輪の時には、10日間にわたる大規模な能楽公演があったそうです。

そして来年の2020東京五輪期間中には、なんと合計12日間にわたって”史上最大規模”の能楽公演が企画されていると伺っております。

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スポーツの祭典であるオリンピックに向けて、来年は全世界から物凄い数の人々が日本にやって来ることでしょう。

せっかく日本で開催されるのですから、その方々にスポーツだけでなく日本の伝統文化も味わっていただくというのは、とても大事なことだと思います。

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私は残念ながら今後の人生においても、五輪競技に選手として参加することは出来そうにありません。

しかし能楽師として、来年の五輪期間中に日本全体を盛り上げるためのお手伝いが少しでも出来るならば、それは有り難く嬉しいことです。

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今日はその来年のためのプレイベントに参加させていただき、大変意義深い1日になりました。

そして遠い先だと思っていた東京オリンピック・パラリンピックが、今日1日の体験でなんだか目前のことのように思えてきたのでした。

熱海の舞台を終えて

熱海にての能「昭君」と「王昭君」を含む舞台が先ほど無事に終わりました。

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昨日が申合で、その後に大半の能楽師は熱海泊まりでした。

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泊まった宿はプールなども付いたリゾートホテルで、休日を満喫する人々で溢れていました。

それを横目に我々はブツブツと謡を覚えたりしておりましたが、美味しい晩御飯と朝御飯で熱海の味覚は充分に堪能させていただきました。

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ワキ方や囃子方も含めた相部屋だったので、普段あまり聞けないお話をたくさん聞くことが出来て非常に勉強になりました。

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おワキの細かな動作などは、シテ方からは意外に見えないことが多く、それらの微妙な動きに実に多くの意味が隠されていると知りました。

詳細はオフレコなのが残念なのですが…。

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それにしても「昭君」と「王昭君」という今月最大の山場を、なんとか越えることが出来ました。

舞台の途中は、果たして最後まで気力体力が持つのか不安な時間帯もありました。

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しかし最後の「王昭君」が終わると、不思議なことにまだまだ謡い続けられそうな気持ちになっていたのです。

いわゆる”ランナーズハイ”みたいなものでしょうか…?

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明日からはまた通常の稽古の日々に戻ります。

満次郎先生、巽会とあまねく会の皆様、本日は誠にありがとうございました。

昭君と王昭君

少し前に、今月は4曲の難曲を覚える月だと書きました。

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そのうち「忠信」と「藤戸」が無事に終わり、あとは明日に「昭君」と「王昭君」の2曲を謡います。

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古典の「昭君」と、新作の「王昭君」。

同じ人物のエピソードを異なる切り口で仕上げてあるこの2曲を、同時に観るのはお客様にとって大変興味深く面白いことだと思います。

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…しかし、地謡にとっては微妙に似た単語などが多く出て来て、中々に手強い2曲なのです。。

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短いですが、昭君と王昭君を頑張るために今日はこれにて失礼いたします。

戦さのような緊張感

今日は渋谷のセルリアン能楽堂にて、能「藤戸」の地謡を勤めて参りました。

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シテ高橋憲正さん、地頭和久荘太郎さん、ワキ野口能弘さん、間狂言山本則重さんは、いずれも私が東京芸大にいた頃の先輩と同輩です。

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芸大の頃はまだまだ修行が始まったばかりで、皆悩んだりもがいたりしていました。

それから20数年を経て、今日はその面々が中心となって、力を合わせて難曲「藤戸」に挑戦した訳です。

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長い長い道のりで、それぞれが弛まずに少しずつ積み重ねて来たものがあります。

例えば「声の質」「謡の位取り」「地拍子や囃子の知識」「型のキレ」と言ったものです。

今日の「藤戸」では、舞台上にいる楽師からそれらが一気に発散されて、ビリビリとぶつかり合っているように感じました。

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私は地頭の隣の位置におりましたが、何か大きな戦さに参加しているような心持ちでした。

少しでも気を抜くと最前線のせめぎ合いから弾き出されそうで、非常な緊張感を持って最後まで謡わせていただきました。

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若手能楽師が中心の今日のような催しは、先輩方の胸を借りるような舞台とはまた違った意味で、とても勉強になりました。

芸大の頃の仲間達とこの先も、今日のような緊張感を持って切磋琢磨していけたらと思います。

役の無い1日

今日は水道橋宝生能楽堂にて「五雲会」が開催されました。

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能「氷室」「藤」「来殿」

の3番が演じられたのですが、実は私はその3番の地謡にも後見にも、もちろんシテやツレにもついておりませんでした。

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前月の五雲会でシテを勤めた楽師は、翌月の五雲会で何も役がつかないことがあるようなのです。

五雲会で全く役が無いのは私にとっては初めての経験で、今日1日楽屋のどこに居れば良いのか、少々戸惑ってしまいました。。

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しかし考えてみると内弟子見習いの頃、楽屋入りしてからしばらくの間は、今日と同じような状況だったのでした。

五雲会の翌月以降の予定番組が貼り出されると、慌しい楽屋仕事の合間に何気ない風で見に行き、自分の名前がまだ何処にも無いことを確認しては、

「まあ気長にやっていればいつかは地謡にもつくさ…」

と気落ちしないように楽屋仕事に戻ったものです。

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あれから幾星霜。

最近は五雲会で役につけていただくのが当たり前に思えていた気がいたします。

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あの頃、初めて自分の名前を能「鵜飼」の地の末席に見つけた時の武者震いするような喜びと興奮。

今日ずっと楽屋で過ごして、その気持ちを思い出しました。

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来月の五雲会からは、再び役につけていただいております。

あの初めての能地の時の気概を忘れずに、また新たな気持ちで舞台に出させていただきたいと思います。