同明会に出演して参りました

今日は京都観世会館にて、京都の御囃子方主催の「同明会」に出演して参りました。

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御囃子方が主催の舞台なので、シテ方は観世流、金剛流もいらして、色々興味深い番組でした。

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我々宝生流の舞囃子「熊野 三段之舞」の直前には、金剛流舞囃子「弓八幡」がありました。

“舞金剛”と称される金剛流の五段神舞は、舞台狭しと縦横無尽に颯爽と駆け回っている印象でした。

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その一方で続く我々の「熊野 三段之舞」は、小書がついていることもあってシテも地謡も非常にしっかりとした位取りです。

花見をしながらも故郷の母親を案じるシテ熊野の複雑な心境を、丁寧に丁寧になぞるような繊細な舞と謡。

「好対照」という言葉が思い浮かびました。

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他にも、「五葉蘭曲」では笛と太鼓が下羽→乱→神楽→早笛→獅子と曲を次々と変化させながら演奏していたり、金剛流能「土蜘蛛」ではなんと「クセ」が途中に挟まったりしていました。

いずれも初めて拝見する番組で、大変勉強になりました。

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京大宝生会からも大勢観に来ていたようなので、後日また感想を聞くのが楽しみです。

京都の御囃子方の皆様どうもありがとうございました。

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色々考えながら謡うこと

今日は慶応初等部の能楽鑑賞会で、能「経政」の地頭を勤めて参りました。

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対象が小学生だったので、一番の能を途中で飽きないように観てもらうにはどうしたら良いだろう…などと色々な事を事前に考えておりました。

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よく「考えて謡っては駄目だ」と言われるのですが、私はまだ全くの未熟者なので、能が始まって謡いながらでも実に多くの事を考えてしまいます。

「シテの出の運びがゆったり目なので、地謡も少しスピードを緩めよう」

「お囃子方はこう謡ったらどう反応してくるかな…?」

「見所の子供達の話し声がちょっと大きくなってきた!これは飽き始めた危険信号かも。頑張って盛り上げていかねば!」

などなど、場面場面で無数の考えが泡のように次々と浮かんできます。

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しかし気が散っている訳ではなく、むしろ集中力が増しているので、舞台上のことはごく小さな事でもわかってしまいます。

そして今日は他の地謡メンバーも集中していたようで、終わって楽屋で話してみると、そういった細かい出来事を皆が共有していたのが面白かったです。

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頑張って勤めた「経政」が、慶応初等部の子供達の心に少しでも響いていると良いと思います。

美也子さんのこと

辰巳孝先生の妹にあたられる辰巳美也子様が先日亡くなられ、今日大阪での告別式に参列して参りました。

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失礼ながら生前のように”美也子さん”と書かせていただきます。

美也子さんに初めてお会いしたのは、香里能楽堂で開催される「七宝会」の受付をお手伝いした時でした。

当時私は京大2回生だったと思います。

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世間の常識など殆ど何も知らない私に、受付業務だけでなくマナーなど色々なことを教えてくださいました。

優しくも厳しい、そして頭が切れてユーモアのセンスのある方だと思いました。

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時は少し流れて、私が能楽の道を志した頃のこと。

東京芸大を受験する前の1年間、私は辰巳孝先生の鞄持ちとして、色々な稽古場にご一緒させていただきました。

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午前中に香里園末広町の御宅に伺い、そこから辰巳孝先生のお供をして電車か車で関西各地の稽古場に向かいます。

そして夕方か夜に稽古が終わると、また末広町の御宅まで先生と一緒に帰りました。

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御宅では美也子さんが自慢の料理の腕をふるって、美味しい出汁巻きや海老フライなどの晩御飯を作って待っていてくださいました。

私もご相伴にあずかり、時には居間のコタツで芸大の楽典の勉強などをさせていただいてから京都に戻る、という日々を過ごしました。

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あの1年間、辰巳先生と美也子さんは私のことをまるで家族のように可愛がってくださいました。

もちろん時には美也子さんから「澤田さん!あなたこんな事も知らへんの!」と叱られることもありました。。

今では全て懐かしい思い出です。

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今頃は天上で辰巳孝先生と再会されているのでしょうか。

あのお2人のウィットに富んだ掛け合いがきっと繰り広げられていることでしょう。

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辰巳美也子様のご冥福を心よりお祈りいたします。

新たな能楽師の誕生

今日は水道橋宝生能楽堂にて「五雲会」が開催されました。

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能楽堂に到着すると、楽屋に熨斗紙のかかったお菓子の箱が出してあります。

“初舞台”や”楽屋入り”の時には楽屋にお菓子を出す慣例があります。

今日も誰かそのような人がいるのかな、と思って熨斗紙を見てみると…

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「初舞台 内藤瑞駿」

と書いてありました。

おお!内藤飛能さんの御長男瑞駿君が、もう初舞台なのですか!

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毎年夏の七葉会では楽屋に遊びに来て、ちょこちょこと走り回っていました。

それがもう4歳になって、いよいよ初舞台を迎えたのです。

今日最初の能「西王母」で、3000年に一度だけ実る”桃の実”を持って登場する、西王母の侍女の役でした。

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もちろん彼はまだ楽屋のことは何もわかりません。

装束を着けられるのもきっと苦しいことだと思われます。

お父さんの飛能さんが緊張感溢れる面持ちで、幕の直前まで付き添っていたのが印象的でした。

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しかし幕が上がってしまえば、もう誰も助けてくれません。

瑞駿君は毅然と前を向いて、一歩ずつゆっくりと橋掛りを歩んで行きました。

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楽屋で見ている楽師はなんだか皆が父親や母親の気分で、心配そうにモニターを見守っています。

子方が舞台の真ん中に無事到着すると、私も思わず「よしよし!」と頷いてしまいました。

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まだ本当に小さくて、後ろで座っている太鼓方よりも小さく見えるほどです。

その背格好では重く感じるだろう”桃の実”を、じっと動かずに持っています。

そしてやがてシテ西王母にその”桃の実”を渡すと、あとは笛座に最後まで行儀良く座っているのが仕事です。

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曲が無事に終わって、シテの後ろについて子方が橋掛りを帰っていきます。

幕が開くと、万雷の拍手が起こりました。

一人の能楽師が誕生した瞬間なのだと、私は感慨深くそれを見ておりました。

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帰って来た瑞駿君は、家元や三役に大きな声で「ありがとうございました!」ときちんと挨拶していて、今後が楽しみな良い子方だと思いました。

私もいつか彼の子方で舞えると嬉しいです。

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そして今日最後の能「船橋」のシテは、お父さんの内藤飛能さんでした。

私は地を謡いましたが、初番で子供の初舞台を終えての自分のシテはさぞかし大変だろうと思いました。

その「船橋」も先ほど無事に終わりました。

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内藤飛能さん本日はおめでとうございました!

瑞駿君の成長を私も楽しみにしております。

芸大へラストスパート

今年東京芸大を受験する高校3年生の男の子の稽古がいよいよ最終段階に入ってきました。

最初の実技試験まであと10日あまりなのです。

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このところ毎日稽古していて、今日も朝から水道橋宝生能楽堂で無本でガンガン謡っていました。

無本だと無意識にスピードが早くなり、また声が若干小さめになる傾向があります。

残りの期間でそこも修正して、慌てずに全開の声で謡えるようにしてもらおうと思います。

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確か一度このブログで書きましたが、以前ある能楽以外の伝統芸能の方と仕事をした時に、「朝から全力で声を出すのは喉に負担がかかるので避けたい」と仰っているのを聞いて驚いたことがあります。

私は普段、朝でも夜でも関係無くいつでも全開で謡うようにしておりますし、そう出来た方が良いと思っております。

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芸大の試験もおそらく午前中から始まると思われます。

試験開始時刻がわかったら、毎日その時間に合わせて謡う、ということもやってもらおうと思います。

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入試は何があるかわかりませんが、とにかく事前に出来る最善を尽くして、本番を迎えてもらいたいのです。

謡が難しい能「国栖」

最近は毎日、能「国栖」の稽古をしております。

来たる2月24日に大阪香里能楽堂にて開催の「七宝会」でシテを勤めさせていただくのです。

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「国栖」は、仕舞では割に最初の方に稽古する曲です。

京大宝生会では大抵、1回生の終わり頃には稽古する感じです。

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しかし、仕舞の部分は能「国栖」においては最後の3分ほどに過ぎず、実は前半にも見せ場が沢山あるのです。

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特に川船の作り物の陰に子方清見原天皇を隠して、シテとツレがその前に座って間狂言追手の武士から天皇を守るシーンが私は好きです。

前シテ老人は全く戦わずに、言葉の力だけで武士達を追い返してしまうのです。

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このシーンは、老人を演ずるシテの言葉に非常な力が込もっている事で初めて成り立つのだと思います。

“力を込める”とは決して大きな声を出す訳ではありません。

抑制された静かな声の中に”凄味”を含めないといけないのです。

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他のシーンでも謡の細かな抑揚が求められることが多く、これまで経験した曲の中でも謡の難しい曲だと、稽古をする中で実感しております。

これから本番までに謡をどう仕上げていくか、今少し試行錯誤して参りたいと思います。

第1回!

今日は神楽坂の矢来能楽堂にて、辰巳大二郎さんのお社中会「橙白会」に出演して参りました。

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てっきり初めての開催かと思っていたら、実は「”橙白会単独での開催”は第1回」ということでした。

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舞台を拝見すると確かに納得しました。

会員の皆様それぞれ、第1回目にしては非常にレベルの高い謡や舞を披露しておられたのです。

もう何年も稽古を積まれて、満を持して今日の晴れ舞台を迎えられたのでしょう。

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年齢構成も、91歳の方の独吟の直後に小中学生の兄弟の仕舞が続くなど、とても幅広いものでした。

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若い会主が今日の舞台の総ての中心となって終日奮闘する姿は実に爽やかで、この魅力的な会がこれから発展していく予感をひしひしと感じました。

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橙白会の皆さま本日はありがとうございました。”単独第1回”おめでとうございます!

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矢来能楽堂の入口では、今日の舞台を祝うように千重咲きの椿が天に向けて花開いておりました。

「右近」ツレ無事に終わりました

今日は宝生能楽堂の「月並能」が開催されて、私は能「右近」のツレを無事に勤めることが出来ました。

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実はそのツレが終わってからすぐに、来月の「東京澤風会・郁雲会」の番組の印刷準備作業に入っております。

申し訳ございませんが、本日は短めで失礼いたします。

生活を舞台だと思うこと

よく澤風会の会員さんが舞台の本番直前に、

「先生すごく緊張してます…!」

と弱々しい声で仰います。

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そんな時は例の「本番は稽古のつもりで、稽古の時は本番のつもりでやってください!」という励ましの台詞を言うことが多いです。

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しかし、私とて本当を言うと舞台前は緊張するのです。

ましてや舞台以外の日常生活の色々な場面では、むしろ気弱な性なので舞台よりも遥かに緊張したりします。。

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そこで私は考えました。

「日常でこれから起こる事を舞台だと思えば、過度に緊張せずに臨めるのでは?」

そして、舞台前の気持ちを静かに思い浮かべてみると、案の定少し緊張感が落ち着くということに気づいたのです。

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これから先はこのやり方で、日常生活の荒波を乗り越えて参りたいと思います。

能「右近」のツレの隠れた苦労

「舞台から落ちる恐怖」というのは、能楽師ならばおそらく誰もが常にどこかで感じています。

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とは言え舞台はかなり広いので、大抵は落ちる心配はそれほどありません。

しかし、たまにとても狭い所で動かなければならない時があります。

例えば能「松風」の”破之舞”で、正先に置いてある松の作り物の前を通過する時などがそうです。

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そして明後日の「月並能」で出る能「右近」でも、そのようなシーンがあるのです。

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前半の冒頭で、舞台に「花見車」という作り物が出てきます。

シテがその中に乗り込み、2人のツレが車の両脇に立ち並びます。

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そのツレ2人の立ち位置なのですが、見所から見て左側のツレは、舞台の端と車の間の1m程の”隙間”に立たなければいけないのです。

私は今回で「右近」のツレは4回目ですが、今回は見所から見て右側の”安全な方”のツレです。

“隙間に立つ方”は今回東川尚史くんが勤めますが、彼ももう何度も「右近」のツレは勤めているので、まず大丈夫だと思います。

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何気なくシテツレ3人が並んでいるように見える「右近」冒頭ですが、実は他にも隠れた苦労があるのです。

全く真横が見えないので、横板で一度遠くから「花見車」の位置を確認したら、あとは勘に頼って適切な立ち位置に行くしかありません。

今日あった申合でも、地謡から「ツレ2人の位置が微妙に前後にズレていたよ」と指摘されました。

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明後日の本番では修正して、きちんと立ち並ぶようにしたいと思います。