見どころ満載の「絵馬」

今朝は京大合宿から大山崎稽古に直行して、その後夜には大阪の山本能楽堂にて、石黒実都師の「松実会」申合に出演して参りました。

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今回の松実会は「20周年記念・第10回」

という記念大会だそうです。

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記念大会に相応しく、能は「絵馬」というお目出度い曲が出ます。

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この能「絵馬」には、前後で4人のシテとツレが登場して、5つの能面が使われます。

なんとこの5面全てをシテの会員さんが打たれたとのことです。

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そして舞台には、前半は伊勢神宮の社殿、後半は”天の岩戸”として用いられる「宮」の作り物が出されます。

この曲の「宮」は特殊な構造で、観音開きの扉が自動で閉まるように細工されています。

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今回これまたなんと、この複雑な構造の「宮」を、石黒実都師ご自身で手作りされたそうなのです。

今日拝見しましたが、布の張力を上手く利用して扉が自動で閉まるようになっており、その精巧さに驚きました。

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もちろん能面や作り物だけでなく、超絶的スピードの後シテ”神舞”や、後ツレの”神楽相舞”も、この曲ならではの演出です。

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このように見どころ満載の能「絵馬」の他にも、沢山の舞囃子、仕舞、謡などが出る「松実会」です。

9月16日(月・祝)午前10時半より、大阪谷町四丁目の山本能楽堂にて開催されます。

皆さまどうかご来場くださいませ。

ワールドワイドなパンフレット

今日は岐阜の「長良川薪能」に出演して参りました。

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長良川河川敷にて行われる予定でしたが、残念なことに天候が良くなかったため、市民会館での開催となりました。

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能は家元がシテの「清経」でした。

楽屋に到着して、置いてあったパンフレットを何気なく手に取ってみました。

“当日用”は内容が少し違うこともあるのです。

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能の解説を読もうとして、ふと違和感を感じました。

見慣れない単語が目に入ったのです。

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「あれ?こんな言葉があったのか。或いは東海地方の方言のようなものだろうか…?」

と思って、本文を読み進めようとしたら、今度は何故か文字が全く頭に入って来ません。

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「…疲れているのだろうか?或いは”文字が読めなくなる病気”というのがあったかも…」

と一瞬不安になったのですが、よくよく見ると理由がわかりました。

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そのパンフレットは全ての内容が”中国語”で書かれていたのです。

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その横には、普通の日本語のパンフレットと、更に全て英語のパンフレットも並べてありました。

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ひとつの薪能公演に3カ国語のパンフレットを用意するのは大変なことと思います。

しかしこれだけ海外からのお客様が増えた現代です。

こうして色々な言語に対応して宣伝するのは、とても効果的で大切なことなのだろうと思いました。

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色々ととても丁寧に準備されている舞台でした。

関係者の皆様どうもありがとうございました。

2019亀岡浴衣会

今日は亀岡・大本宝生会の浴衣会でした。

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いつも「亀岡の花々」のレポートばかりなのですが、会員の皆さまは普段から非常に熱心に稽古を積み重ねておられます。

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今日の浴衣会では、半分以上の仕舞を会員さんだけで地謡をうたわれて、私と満次郎師は拝見しておりました。

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初舞台「鶴亀」の仕舞の方も、先週の稽古から大きく進歩しておられて、ご自分でしっかりとおさらいされたのだなぁと嬉しく思いました。

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ベテラン組の方々の仕舞の時間帯になると、さすがに皆さん落ち着いておられて型も正確です。

ほんの数年前には、この中の何人かの方々は仕舞初舞台だったのかと思うと、その上達ぶりにまたしみじみと嬉しくなりました。

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これだけの歴史があって技術レベルの高い能楽グループは、実は全国的にもそうそう存在しないと私は思います。

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今日初舞台や2回目の舞台だった方、またこの数年で順調に上達された方、そして数十年単位で続けてこられた大ベテランの方々が融合して、大本宝生会はこの先数年でまた大きく発展すると思われます。

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未来への希望を感じた今日の亀岡浴衣会でした。

大本宝生会の皆様どうもありがとうございました。

下からの突き上げ

今日は熱海のMOA能楽堂にて、親子向け能楽教室の舞台に出演して参りました。

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能は「土蜘」で、シテが辰巳大二郎さん、頼光が辰巳和磨さん、小蝶が藤井秋雅さん、トモが上野能寛さんと、とても若い能楽師たちの舞台でした。

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私と同時期の内弟子世代よりも、ふた世代ほども入れ替わった下の世代達が、500人の満員の見所の前で堂々と「土蜘」を演じていました。

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これまで私は先輩達の舞台を見て、「なんとかあのように謡ったり舞ったりしたいものだ」と、少しでも追いつくために努力をして参りました。

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しかし今日若手の舞台を地謡から見ていて、「下からの突き上げ」という言葉が頭に浮かんできたのです。

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少しでも気を抜いていると、この若者達に追いつかれ、追い越されてしまうかもしれないな…

と、改めて気を引き締めました。

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しかし一方で、そのような勢いのある若手がいてくれるのはとても有り難いことだとも思いました。

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先輩達に追いつこうとする努力と、下の世代に追いつかれないようにする努力。

この先は二重の努力が必要であり、結局はその努力が私自身の芸を磨くことに繋がるのでしょう。

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「下からの突き上げ」のおかげで、自分の立ち位置と今後の方針を自覚することが出来た、有り難い舞台でした。

60人の初舞台!

今日は大阪の香里能楽堂にて「枚方市能楽体験教室発表会」が開催されました。

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午前中に大人の部、午後から子供の部の合計60人ほどが、ひと夏の間稽古した仕舞を披露したのです。

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何がすごいと言って、今日舞台に立った60人全員が「初舞台」なのです。

ズラリと並んで出番を待つ生徒さんに声をかけてみました。

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私「普段我々が出る発表会では、1人でも”初舞台”の方がいると大変おめでたいことなのです。今日はめでたさなんと60倍なのですよ!」

すると、

生徒さん「へえ〜、そうなのですか!それはギネスブックものですね!」

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確かに1日に60人の初舞台は、私の経験した舞台では最多記録更新です。

ギネスに申請して、登録されるかは大変微妙なところですが…。

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ともあれ大人から子供達まで、短期間の稽古で驚くほどの成果をあげた今日の舞台でした。

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才能があると思う人が本当にたくさんいらしたので、この教室が今後も続いていけば、更にレベルの高い仕舞が見られるだろうと想像いたしました。

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繰り返しになりますが、今回の能楽体験教室では枚方市のスタッフの皆様には大変お世話になりました。

今日も朝7時半頃から夕方まで、猛暑の中を走り回って舞台のサポートをしてくださいました。

心より感謝申し上げます。

相模原薪能に出演して参りました

今日は相模女子大グリーンホールにて開催された「相模原薪能」に出演して参りました。

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予定では野外の会場で行われるはずでしたが、大型の台風10号が近づいているということで、早い段階で屋内開催に変更するとの連絡がありました。

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今日の日中は晴れ間も見えて、「もしかして外でも出来たのかな…」と思ったりもしました。

しかし、午後に三ノ輪を出て最寄り駅の相模大野に到着する直前に、スコールのような雨がザアアッと電車の窓に降りかかってきたのです。

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野外会場で予定していたら、開催そのものが危うかったかもしれません。

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屋内会場では、かなりリアルな篝火型のライトが何本も置かれて、雰囲気は野外の薪能に非常に近いものでした。

お客様も雨風が時折強くなる中を大勢いらしていただき、最後の能「船弁慶」まで安全な環境で楽しんでいただけたようです。

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今回の大型台風では、西日本で激しい雨が降り、強い風が吹いたようです。

被害が出来るだけ少ないように祈っております。

時空を越える紋付と袴

世間ではお盆休みの真っ只中のようです。

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周りの人からちらほらと、海や山に行く予定、遊園地や野外フェスに行ってきた楽しい話などを聞いて「羨ましいなあ…」と思いながら、私自身は普段と全くかわり映えのしない生活を送っております。

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先週末の七葉会のエピソードを、思い出したものから書いてみたいと思います。

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今回澤風会の最年少出演者は小学5年生の男の子でした。

楽屋で紋付袴を着付けている時、袴を見て大変懐かしいと思いました。

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黒地に金色の格子模様が入った、子供用の袴です。

実はこれは私が小学3〜5年生の時に舞台ではいていた袴なのです。

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その後、今回の男の子のお兄さんが小学生の時に、暫くの間この袴を使ってくれていました。

お兄さんは今はもう東京芸大に入学して、宝生流の若手予備軍として修行を始めています。

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私がこの袴で、今回と同じ宝生能楽堂で仕舞を舞ってからもう40年が経ちます。

そして今年七葉会デビューを果たした弟くんが、またこの黒地金格子の袴で舞ってくれたわけです。

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これはしみじみ嬉しいことだなぁ…と思っていたら、高橋憲正さんの憲宝会の男の子がやはり仕舞で初舞台ということで、楽屋で着替え始めました。

憲正先生自ら、男の子に綺麗な空色の紋付を着付けながら、

「この紋付いいでしょ、僕が子供の時に来ていたものなんだよ」

と話されました。

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着付け終わった男の子の凛々しい姿は、憲正先生の子供の時の姿を想像させてくれました。

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私の黒地の袴も、この憲正さんの空色の紋付も、また時間と場所を飛び越えて、次の世代がいつかどこかの舞台で使っていくのでしょう。

一層しみじみと感慨深い気持ちになったのでした。

無人島に連れていくとしたら…

七葉会から一夜明けて、私は早朝の新幹線で静岡県の掛川に向かいました。

「初秋の千人の宴」という能楽公演に出演するためです。

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能は辰巳満次郎師による「黒塚 白頭」でした。

午前中のワークショップを終えて、私は若手能楽師と一緒に、久しぶりに「藁屋」の作り物を製作いたしました。

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竹の柱と台輪を、さらしを細く裂いた”包地(ぼうじ)”というもので巻いて固定していきます。

柱がグラグラしないように固定するのには、いくつかのコツがあって若手能楽師が最初に鍛えられる作業のひとつなのです。

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私が包地を巻いているのを、たまたま横で見ている人がいました。

私が「このやり方で、筏を組んだりすることも出来るのですよ。小屋を作ったり」

すると見ていた人が、

「ヘェ〜そうなんですね〜。じゃあ、無人島に誰か一人連れて行くとしたら、能楽師が良いかもしれませんね〜」

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成る程。確かに我々は包地を使って縄をなったりすることも出来ます。

能楽師は意外にアウトドアに向いた職業かも…

などと思いながら、柱を立てて壁と扉を取り付け、屋根を乗せて、安達ヶ原の鬼女の棲家である「藁屋」が完成しました。

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朝には七葉会の重たいような疲労感もありましたが、一日働いて帰りの新幹線で爆睡すると、東京に到着した頃には何だかスッキリした気分でした。

やはり疲労は動きながら徐々に回復させるのが一番だと思いました。

世間はお盆休みに入りましたが、私は今週も淡々と仕事をして参りたいと思います。

第9回七葉会2日目が終了しました

2日間にわたる七葉会がおかげさまで先ほど無事に終了いたしました。

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来年は”10周年”を迎えるので、その舞台に向けての話などもある打ち上げでした。

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七人の若手能楽師と、七つの会で稽古している沢山の方々、そしてその知り合いの大勢の方々が織り成す、夢のような「第9回七葉会」でした。

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来年の記念大会で、一層稽古を重ねられた皆様とお会いするのを、心から楽しみにしております。

どうもありがとうございました。

第9回七葉会1日目

今日は宝生能楽堂にて「第9回七葉会」が無事開催されました。

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終了後にも色々ドラマチックなことがあり、日付変更ギリギリで帰ります。

また明日もよろしくお願いいたします。