既に日がかわって昨日のことになりますが、「第14回澤風会京都大会」はおかげさまで無事に終了いたしました。
書くことは無限にあるのですが、ともかく皆様に心より感謝を申し上げます。
また明日以降に落ち着いて舞台の模様などを書かせていただきたいと思います。
今回お世話になりました皆様、重ねてどうもありがとうございました。
既に日がかわって昨日のことになりますが、「第14回澤風会京都大会」はおかげさまで無事に終了いたしました。
書くことは無限にあるのですが、ともかく皆様に心より感謝を申し上げます。
また明日以降に落ち着いて舞台の模様などを書かせていただきたいと思います。
今回お世話になりました皆様、重ねてどうもありがとうございました。
今日は群馬県の甘楽町にある「楽山園」という”大名庭園”で開催された「甘楽薪能」に出演して参りました。
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午後に最寄駅の「上州福島」に到着すると、日差しがとても強くて夏の名残の暑さでした。
上州福島駅は、小さな電車の止まる小さな無人駅です。
私はこういう駅舎が何故か好きなのです。
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楽山園に到着して少しすると、日が傾いて気温が急速に下がっていきました。
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高く晴れた空には、数え切れないほど沢山のアキアカネが飛び交っています。
乾いた風に芒がたなびいて、辺りは一気に秋の景色に変わりました。
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そして日が暮れると、今度は秋の虫の大合唱です。
「面白や 千草にすだく虫の音の 機織る音は きりはたりちょう」
という能「松虫」の一節そのままの風情でした。
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薪能の演目は能「黒塚 白頭」で、こちらも秋の雰囲気にぴったりな曲です。
満員のお客様もきっと”秋”を満喫されたのではないでしょうか。
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舞台が無事に終わって、またあの小さな上州福島駅に戻って来ました。
やって来た電車に乗り込むと、車内のいたるところに絵が貼ってあります。
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これはなんの企画だろう…と思って見回すと、
「絵手紙列車」でした。
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こんな絵手紙や…
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こんな絵手紙。
終点の高崎駅まで、色んな絵手紙を楽しみました。
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三ノ輪の家に帰って少し休んだら、明日は早朝から京都に移動して、いよいよ「第14回澤風会京都大会」です。
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良い舞台になるように、精一杯頑張ろうと思います。
今日は京都大江能楽堂にて、いよいよ明後日に迫った「第14回澤風会京都大会」前の最後の紫明荘組稽古をいたしました。
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仕舞、独吟、舞囃子、そして能「羽衣」を、本番と同じ舞台で稽古したのです。
細かな位置取りや見る方向などを最終確認することが出来ました。
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羽衣に使用する”羽衣の松”の作り物も、今日のうちに作りました。
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そして稽古の前には、楽屋に出す飴やお菓子や珈琲などの買い出し。
稽古の後には、宴会場のホテルに行って宴会の打ち合わせ。
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本番前にすることは、今日のうちに全部終えることができました。
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明日は一度群馬県の甘楽町に行って薪能に出演します。
そして明後日の朝にまた京都に戻って来るのです。
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澤風会の最早”名物”となっている台風がこのタイミングで発生したようなのですが、土曜日はなんとか天気持ち堪えてほしいです。
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皆さま明後日21日土曜日には、「第14回澤風会京都大会」にどうかお越しくださいませ。
大江能楽堂にて午前11時始曲です。
能「羽衣」は12時40分頃〜13時40分頃の予定です。
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どうかよろしくお願いいたします。
今日は早朝より夜まで、大阪のNHKにて、歴史番組の収録に参加いたしました。
「観阿弥と世阿弥」をテーマにした回で、私は下のような髪型や…
さらに下のような扮装になりました。
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今回収録した番組は11月中旬に放映されるということです。
意外な人の意外な姿や台詞があり、きっと楽しんでいただけると思います。また改めて詳しく告知させていただきます。
皆さま是非ご覧くださいませ。
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今日は色々なプロフェッショナルに囲まれて、興味深い経験満載だったのですが、少々疲れましたのでまた改めて書きたいと思います。
今日は水道橋宝生能楽堂にて、来週9月23日に開催される和久荘太郎さんの「演能空間」の申合がありました。
能は「烏帽子折」です。
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この曲は滅多に出ない大曲であり、シテが大変なのは勿論ですが”子方”もシテに準ずる重要な役割を担います。
子方の卒業の曲とも言われます。
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今回の子方は、和久さんの御長男の凛太郎君です。
年齢も背格好も、ちょうど”元服する若者”の役にぴったりで、実に清々しい演技でした。
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数年前に、私が教えていた少年が辰巳満次郎先生シテの「烏帽子折」で子方を勤めさせていただきました。
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その少年は「烏帽子折」で子方を卒業して、今ではすっかり”青年”になり、東京芸大邦楽科に入って宝生流の若手予備軍として修行しています。
あの時の「烏帽子折」で満次郎先生に元服させていただいたのだと今でも感謝しております。
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和久凛太郎君も、今回の舞台でお父様の荘太郎さんの手で元服を果たして、その先は立派な青年になっていくのでしょう。
ひとりの少年が大人への一歩を踏み出す、一生に一度しかない貴重な舞台です。
皆さま、23日開催の「演能空間」はどうかお見逃しないようにお願いいたします。
今日は大阪の山本能楽堂にて、石黒実都師主宰の「20周年記念松実会大会」に出演して参りました。
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20年前はまだ私は東京芸大の学生でした。
松実会の20年の遥かな道のりを想像いたします。
無数の出来事や、別れや出会いを経て、今日の晴れやかな舞台があるのでしょう。
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能「絵馬」も大変素晴らしい舞台でした。
その後ツレである男神と女神を勤めた2人が、朝から実に息の合った行動をしていました。
舞台上でも、難しい「神楽相舞」を良く揃えて舞っていたのです。
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終わった後の宴会で、2人は京都女子大宝生会の同期だったことがわかりました。
現役の4年間で喜怒哀楽を共にした2人が、少しの時を経て舞台の上でふたりの神様になり、同じ舞を舞うのです。
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入部当時の彼女達は、将来そんな出来事が起こるとは夢にも思わなかったでしょう。
しかし、大学を卒業してもコツコツと稽古を続けてくれたこと、そしてもちろん石黒実都師が20年間息長く「松実会」の稽古を愛情を持って続けてこられたことで、「同期の神楽相舞」という奇跡のような舞台が実現したのです。
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この上なくパワフルな石黒実都師は、この先も松実会をずっと盛り上げていかれることでしょう。
また次回以降も、今日の記念大会のようなドラマチックで素晴らしい舞台に出会えることを楽しみにしております。
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石黒先生、松実会の皆様、本日は誠にありがとうございました。
今日は朝から京都に移動して、久しぶりに「ゲストハウス月と」にて紫明荘組稽古でした。
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21日に開催の「第14回澤風会京都大会」直前の稽古だったので、沢山の方々に来ていただきました。
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京大宝生会のOBOGも沢山で、稽古が終わってから神戸大宝生会OBの方も含めて5〜6人で晩御飯を食べに行きました。
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話題は京大神大、現在過去未来と360度以上に及んで、終盤は半ば混沌としていたのですが、その中で早くも来年の「澤風会15周年記念大会」の話が出ました。
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4年前の「10周年記念大会」では能「加茂」が出ました。
更に9年前の「5周年記念大会」に遡ると、能「夜討曽我」、「藤」、「井筒」、「船弁慶」と4番の能が出たのです。
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今年の第14回大会の能「羽衣」を経て、来年はどんな能が出ることになるのでしょう。
しかし勿論、先ずは今週末の第14回大会が肝心です。
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晩御飯の途中でOBのM君が、「確か新潟辺りでは”予祝い”という慣わしがあるそうですよ」
と言いました。
物事の成功を予めお祝いしてしまう、という風習だそうです。
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あらかじめ盛大にお祝いをすれば、成功に向けてのモチベーションは確かに上がると思います。
それでは今日の晩御飯は「第14回澤風会大会」の”予祝い”になるのだろうと、我々は一層盛り上がったのでした。
今日は宝生能楽堂にて開催の「月並能」で、能「鵺」の地謡を勤めました。
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地謡では、以前書きましたが座って、扇を抜いて、その扇を前に回して…という作法を全員が揃って同時に行います。
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…実は昨日の「彦根城能」の時に、地謡ではない所で能楽師のシンクロ現象が発生しました。
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昨日私は京都を正午に出て、JR普通電車で彦根駅に向かいました。
車窓の田園風景を楽しみながら1時間ほどで彦根駅に到着して、席から立ち上がって扉の方に振り返ると…
私「あ…」
石黒実都師「あれ…」
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同じ車両のほんの数列後ろに、石黒師が座っていたようなのです(12両編成)
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石黒師「お昼ご飯食べて行っていいかなぁ」
私「済ませてきましたが、コーヒーなら付き合いますよ」
そして、彦根駅前の適当なお店に入りました。
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私「このお店にも誰かいたりして…」
という言葉の途中で、先に入った石黒師の笑い声が聞こえてきます。
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え?まさか…と思って扉をくぐると…
山内崇生師「よ!お疲れ様!」
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ななんと、一番手前のテーブルで、来たばかりの丼を前にした山内師が微笑んでいたのでした。。
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山内師「これ”彦根丼”。美味しそうでしょ?」
石黒師「へぇ〜、じゃあ私は”彦根うどん”ひとつお願いします!」
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…このような石黒師、山内師との奇妙なシンクロ現象は、何故か度々起こります。
普段は全国のバラバラな場所で活動しており、性格も全く異なると思われる我々です。
しかし、長年同じ仕事場を経験して来た結果、ある舞台に向かう時の脳の働き方が、おそらく似通ってしまうのだと思われます。。
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それが嬉しいかと言うと、そうでもありません。
電車でバッタリ会った時…
私「なんか残念というか悔しいですね。。」
石黒師「ほんまやね…私高槻から普通に来ただけやのに…」
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何か運命に負けた感じがある、能楽師のシンクロ現象。
若干不本意ながら、この先も度々続くのだろうと思われます。。
今日は「彦根城能」に出演して参りました。
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彦根城能舞台は江戸時代の寛政12年に作られたという舞台です。
橋掛りがかなり斜めに付いているのも、歴史ある能舞台の特徴なのです。
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今日の能「望月」の子方は、フルサイズの”羯鼓”の舞があるなど色々と難しい役です。
今回勤めた男の子は、非常に気合いの入った良い演技でした。
聞けばお父さんとお兄さんも以前に「望月」の子方を勤められたそうで、きっとこの役には期する所があったのでしょう。
舞台を無事に終えた男の子は、ひとつ大人になった良い顔をしていました。
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「望月」の地謡座に座っていると、途中でなんだか袴に入れた手が非常に痒くなってきました。。
目だけを動かして辺りを見ると、なんと沢山の蚊が飛んでいます…。
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地謡座では動けないので、「耐えるしかないか…」と思ったところで、ふと気がつくことがありました。
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能「望月」の舞台は”近州守山の宿”で、この彦根からも比較的近い場所です。
そして”近州守山”とは、古来「蚊の産地」として知られているのです。
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「人間ほどもある蚊がいる」という伝説もあって、そんな人間大の蚊が出てくる「蚊相撲」という狂言もあるくらいです。
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なので、
「歴史ある舞台の上で、名高い名所の蚊に刺されるのもまたひとつの思い出になるか…」
と痒さを我慢して地謡に没頭していったのでした。。
昨日は「松実会申合」でしたが、今日は香里能楽堂にて「第14回澤風会大会」の申合がありました。
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今回の澤風会では、舞囃子「高砂」と能「羽衣」が出るので、その2曲の申合でした。
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舞囃子「高砂」シテの会員さんは、去年宝生流教授嘱託になられて、澤風会で能「小袖曽我」の曽我五郎を勤めた方です。
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そして今回能「羽衣」シテを勤める会員さんは、この度教授嘱託の資格を取られることになりました。
10年ほど前に紫明荘で全くの初心から稽古を始めて、澤風会10周年大会では能「加茂」後シテ、去年の能「小袖曽我」でツレ母と、順調に経験を積んでこられました。
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紫明荘で稽古を始めた人が教授嘱託の資格を取る、というのは亡くなられた植田竜二先輩の望みでもありました。
今回ようやく植田さんにそのご報告ができることになり、大変嬉しく思います。
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先ほどの申合での能「羽衣」は、長く稽古を重ねた甲斐あって、ほぼ完成に近い段階に来ていました。
しかし修正点もいくつか見つかりました。
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本番までにはまだ何回も稽古があるので、更に稽古をして、
「紫明荘で稽古を積んだ人はしっかりしている」
と思ってもらえるように頑張りたいと思います。
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当日は植田先輩も能楽堂のどこかで、ニコニコして舞台を見守っておられることでしょう。