暑さのピークはいつまで…

今日は夜に田町稽古でした。

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その前に、用事があって先ず水道橋宝生能楽堂に向かいました。

地下鉄日比谷線を秋葉原で降りて、さらに郵便局にも用事があったので、歩いて御茶の水方面へ出発しました。

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いつもなら何でも無い外堀通りの緩やかな上り坂なのですが、今日は途中で尋常ではない汗が出て来ました。

坂を上りきった御茶の水駅の郵便局で、エアコンの空気にホッと一息。

用事を済ませてまた水道橋へ歩き出しました。

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熱中症は大丈夫なのだろうか…

と思うほどの発汗量でしたが、能楽堂に到着してまたエアコンで少し涼んだら、すぐに汗も引きました。

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思えば昨年の今頃は、松本城薪能でもっともっと暑い思いをしたのでした。

暑さは苦手ですが、耐性は意外にあるようです。

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そういえば、昨年の松本城薪能では台風13号の影響に一喜一憂いたしました。

今年もまた台風が近づいているようです。

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今頃から台風がいくつか過ぎて、お盆の終わり頃に少し涼しくなったと去年のブログにありました。

もし去年通りならば、あと1週間ほどで暑さのピークが過ぎてくれるはずなのです。

それを信じて、明日からまた暑さに負けずに稽古して参りたいと思います。

東京五輪に向けたプレイベント

今日は国立能楽堂にて、2020東京オリンピック・パラリンピックに向けたプレイベント「ESSENCE能」に出演して参りました。

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今から55年前の前回の東京五輪の時には、10日間にわたる大規模な能楽公演があったそうです。

そして来年の2020東京五輪期間中には、なんと合計12日間にわたって”史上最大規模”の能楽公演が企画されていると伺っております。

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スポーツの祭典であるオリンピックに向けて、来年は全世界から物凄い数の人々が日本にやって来ることでしょう。

せっかく日本で開催されるのですから、その方々にスポーツだけでなく日本の伝統文化も味わっていただくというのは、とても大事なことだと思います。

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私は残念ながら今後の人生においても、五輪競技に選手として参加することは出来そうにありません。

しかし能楽師として、来年の五輪期間中に日本全体を盛り上げるためのお手伝いが少しでも出来るならば、それは有り難く嬉しいことです。

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今日はその来年のためのプレイベントに参加させていただき、大変意義深い1日になりました。

そして遠い先だと思っていた東京オリンピック・パラリンピックが、今日1日の体験でなんだか目前のことのように思えてきたのでした。

熱海の舞台を終えて

熱海にての能「昭君」と「王昭君」を含む舞台が先ほど無事に終わりました。

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昨日が申合で、その後に大半の能楽師は熱海泊まりでした。

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泊まった宿はプールなども付いたリゾートホテルで、休日を満喫する人々で溢れていました。

それを横目に我々はブツブツと謡を覚えたりしておりましたが、美味しい晩御飯と朝御飯で熱海の味覚は充分に堪能させていただきました。

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ワキ方や囃子方も含めた相部屋だったので、普段あまり聞けないお話をたくさん聞くことが出来て非常に勉強になりました。

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おワキの細かな動作などは、シテ方からは意外に見えないことが多く、それらの微妙な動きに実に多くの意味が隠されていると知りました。

詳細はオフレコなのが残念なのですが…。

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それにしても「昭君」と「王昭君」という今月最大の山場を、なんとか越えることが出来ました。

舞台の途中は、果たして最後まで気力体力が持つのか不安な時間帯もありました。

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しかし最後の「王昭君」が終わると、不思議なことにまだまだ謡い続けられそうな気持ちになっていたのです。

いわゆる”ランナーズハイ”みたいなものでしょうか…?

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明日からはまた通常の稽古の日々に戻ります。

満次郎先生、巽会とあまねく会の皆様、本日は誠にありがとうございました。

昭君と王昭君

少し前に、今月は4曲の難曲を覚える月だと書きました。

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そのうち「忠信」と「藤戸」が無事に終わり、あとは明日に「昭君」と「王昭君」の2曲を謡います。

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古典の「昭君」と、新作の「王昭君」。

同じ人物のエピソードを異なる切り口で仕上げてあるこの2曲を、同時に観るのはお客様にとって大変興味深く面白いことだと思います。

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…しかし、地謡にとっては微妙に似た単語などが多く出て来て、中々に手強い2曲なのです。。

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短いですが、昭君と王昭君を頑張るために今日はこれにて失礼いたします。

戦さのような緊張感

今日は渋谷のセルリアン能楽堂にて、能「藤戸」の地謡を勤めて参りました。

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シテ高橋憲正さん、地頭和久荘太郎さん、ワキ野口能弘さん、間狂言山本則重さんは、いずれも私が東京芸大にいた頃の先輩と同輩です。

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芸大の頃はまだまだ修行が始まったばかりで、皆悩んだりもがいたりしていました。

それから20数年を経て、今日はその面々が中心となって、力を合わせて難曲「藤戸」に挑戦した訳です。

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長い長い道のりで、それぞれが弛まずに少しずつ積み重ねて来たものがあります。

例えば「声の質」「謡の位取り」「地拍子や囃子の知識」「型のキレ」と言ったものです。

今日の「藤戸」では、舞台上にいる楽師からそれらが一気に発散されて、ビリビリとぶつかり合っているように感じました。

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私は地頭の隣の位置におりましたが、何か大きな戦さに参加しているような心持ちでした。

少しでも気を抜くと最前線のせめぎ合いから弾き出されそうで、非常な緊張感を持って最後まで謡わせていただきました。

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若手能楽師が中心の今日のような催しは、先輩方の胸を借りるような舞台とはまた違った意味で、とても勉強になりました。

芸大の頃の仲間達とこの先も、今日のような緊張感を持って切磋琢磨していけたらと思います。

役の無い1日

今日は水道橋宝生能楽堂にて「五雲会」が開催されました。

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能「氷室」「藤」「来殿」

の3番が演じられたのですが、実は私はその3番の地謡にも後見にも、もちろんシテやツレにもついておりませんでした。

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前月の五雲会でシテを勤めた楽師は、翌月の五雲会で何も役がつかないことがあるようなのです。

五雲会で全く役が無いのは私にとっては初めての経験で、今日1日楽屋のどこに居れば良いのか、少々戸惑ってしまいました。。

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しかし考えてみると内弟子見習いの頃、楽屋入りしてからしばらくの間は、今日と同じような状況だったのでした。

五雲会の翌月以降の予定番組が貼り出されると、慌しい楽屋仕事の合間に何気ない風で見に行き、自分の名前がまだ何処にも無いことを確認しては、

「まあ気長にやっていればいつかは地謡にもつくさ…」

と気落ちしないように楽屋仕事に戻ったものです。

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あれから幾星霜。

最近は五雲会で役につけていただくのが当たり前に思えていた気がいたします。

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あの頃、初めて自分の名前を能「鵜飼」の地の末席に見つけた時の武者震いするような喜びと興奮。

今日ずっと楽屋で過ごして、その気持ちを思い出しました。

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来月の五雲会からは、再び役につけていただいております。

あの初めての能地の時の気概を忘れずに、また新たな気持ちで舞台に出させていただきたいと思います。

酉年ですが…

今日は宝生能楽堂にて「第1回 獅子の会」に出演して参りました。

とはいえ私はあくまでもお手伝いで、今日の主役は「亥年」生まれの能楽師の方々でした。

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流儀を超えて40人ほどもいらっしゃるという「亥年」の楽師が全国から水道橋宝生能楽堂に大集合して、第1部本公演に加えて第2部乱能まで開催するという非常に大掛かりな舞台です。

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普段なら見られないお囃子方の組み合わせなどもあり、とても意義深い催しだと感じました。

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…因みに私は「酉年」なのですが、酉年生まれの能楽師はとても少ないようで、このような催しは困難かと思われます。。

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そういえば、以前には宝生流若手で「長男会」という集まりがあって楽しそうだったのですが、私は次男なので参加出来なかったのでした。。

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私はこのような集まりにはあまり縁が無い気がします。

あと可能性のあるのは、「AB型の会」とかでしょうか…。

しかしこちらも人数が少なそうですね。。

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ともあれ亥年の皆様、本日は誠にありがとうございました。

4曲の強者達

今日は午後に江古田で何人かの個人稽古をして、夕方から田町稽古に移動して夜まで稽古しました。

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江古田から田町までの移動中は、普段は文庫本を読んでいます。

しかし今日私は電車に乗るとすかさず”小本入れ”を取り出しました。

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今月の18日〜28日の間に、「忠信」「藤戸」「昭君」「新作能 王昭君」という4番の能の地謡を謡うことになっているのです。

最近ではこの4番の小本を常に持ち歩き、時間があれば見るようにしています。

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短い曲ながら、戦闘シーンの謡で似た言葉が多く出てきて、謡が飛んだり、抜けたり、ループしたりする危険性のある「忠信」。

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強弱、緩急、心持などに繊細な気遣いが求められる、難易度の高い名曲「藤戸」。

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構成がかなり特殊で、また数年に一度しか出ない希曲であり、地謡の量の多い「昭君」。

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一度しか上演されておらず、従って地謡の経験も一回だけの新作能「王昭君」。

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何れ劣らぬ手強い武芸者が4人並んでいるようです。。

これから今月末までは、この強者達4曲を同時に相手にして、厳しい鍛錬を積んで参りたいと思います。

後半戦の舞台に向けて

私自身のシテ「鵜飼」と学生の「全宝連京都大会」という、いわば上半期の総決算の舞台があった6月が、昨日で無事に終わりました。

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今日から早くも今年の後半が始まります。

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土日の全宝連では、各大学が既に今後の舞台に向けて動き出しているというのを知りました。

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名古屋と金沢では、来年の年明けの学生自演会でそれぞれ奇しくも同じ「羽衣」の能を出すことがレセプションで告知されました。

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さらにこれは昨日の能「船弁慶」の時のこと。

義経を勤めた学生さんに烏帽子をつけながら、「今年は装束を着る機会は今回だけ?」

と聞いてみたのです。すると学生さんは眼をキラリと光らせて、

「いえ、秋の自演会でもまた着ます!」

と気合いに満ちた返事でした。

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そして我が京大宝生会も動き出していました。

全宝連終了後に、金剛能楽堂前で現役達に最後の挨拶をして、東京に帰ろうとした時のことです。

部長「先生、7月13日にBOXの使用が可能になりました。”竹生島”の最初の稽古をよろしくお願いいたします。」

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実は京大宝生会は、この秋の11月26日に開催される京大能楽部自演会「能と狂言の会」にて、能「竹生島」を演じることになっているのです。

その最初の稽古を、いよいよ来月から始めることになりました。

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ここ数年で能「巻絹」→能「経政」と積み重ねて来た経験を活かして、次の「竹生島」がどんな能になっていくのか。

そしてその本番までにどんなドラマが待っているのか。

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昨日一昨日の全宝連を経て、それぞれが大きく成長を遂げた京大宝生会です。

またそれは全国の学生さん達も同様だと思います。

頑張る全国の皆さんの姿を想像しつつ、京大宝生会は今年後半戦も充実した舞台を目指して参ります。

2019全宝連無事終了いたしました

今日も金剛能楽堂にて全宝連の第2日目が開催され、盛会のうちについ先ほど幕を閉じました。

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見所は終日大勢の学生とお客様で賑わい、おかげさまで最後の鑑賞能もほぼ満席になりました。

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昨夜のレセプションでは全国の各大学の部長から部の紹介がありました。

その中で、今年の新歓で10人近くの新入生が入った学校が金沢支部、名古屋支部、京都支部で3校もあり、それらの大学は全体人数が20〜25人になったそうです。

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他にも、部員が2人だけになっていたのが今年の新歓で人が入って、存続の危機を乗り越えたという学校もありました。

現在部員が少ない学校も希望を持ち続けてほしいと思いました。

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舞台では、京大宝生会は幸いに全員ミスも無く、稽古の成果を充分に発揮出来たと思います。

他にはやはり東大宝生会が良い舞台でした。先日の水道橋での関宝連から、更に稽古を積んでレベルを上げてきたのがわかりました。

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そして同志社宝生会の素謡「玉葛」は、舞台からはみ出すほどの20数名の大人数ながら、男女で良く声が揃っていました。

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逆に、シテ1人に地謡1人という最小人数の仕舞も何番かありましたが、それぞれ安定した舞と謡で感心しました。

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仲間の人数や、部を取り巻く環境がそれぞれ異なる中で稽古している学生達が、同じ舞台に集まり2日間にわたって時間を共有する。

これは実に尊いことだと思うのです。

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今回の全宝連でも、他大学の舞台を見て「上手いなあ」と思ったり、「良い曲だなあ」と舞いたい曲候補が増えたり、「頑張っているなあ」と励まされたり、色々な想いが心に刻まれたはずです。

中には人生を変えるような出会いもあったかもしれません。

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そのような貴重な舞台である「全宝連」が、発展傾向の中で今年も無事に開催できたのは本当に喜ばしいことです。

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この盛り上がりを引き継いで、来年の金沢大会も、またそれ以降もこの全宝連がますます発展していくことを願っております。

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実行委員始め学生の皆さん、全宝連京都大会の大成功おめでとうございます。