1、2回生の実力

一昨日の月曜日は京大宝生会の稽古でした。

来週11月11日(月)15時半より、大江能楽堂にて京大能楽部自演会「能と狂言の会」が開催されるので、その前の最後の稽古だったのです。

今回の自演会には2回生5人と1回生2人が参加しますが、その7人全員がほとんど全部の舞台にフル出演します。

例えば舞囃子「紅葉狩」が出るのですが、シテは2回生、地謡は残りの2回生と1回生全員で謡うのです。

3、4回生がいない今の京大宝生会ですが、それによって逆に1、2回生の成長が促進されていると感じます。

先日あった舞囃子「紅葉狩」の申合の時のことです。

これまでの京大の舞囃子では、申合で大鼓と小鼓の手を確認して、稽古と違う手で謡と囃子がズレてしまった部分を本番までに修正する、というのが常でした。

ところが今回は、謡の途中でお囃子が予想と違う手を打ってきて、「ああ、ズレてしまうな」と思ったら、地謡が瞬時に修正して囃子の手に合わせて謡っていたのです。

私がフォローする場面は殆どありませんでした。

3、4回生がいない中でのこの対応力は驚異的だと思います。

謡をきちんと覚えて、更に地拍子もよく理解していないと出来ないことなのです。

これはきっと若手OBOG達が丁寧に稽古をつけてくれた成果だと推察します。

そして1回生達は、入部半年でこのレベルの謡に参加している訳で、これは来年再来年に彼らが上回生になった時が本当に楽しみです。

自演会では他にも、仕舞6番と素謡「船弁慶」が出て、繰り返しですがほぼ全員参加になります。

1、2回生ながらハイレベルな舞台を、是非ご覧くださいませ。よろしくお願いいたします。

美ヶ原は美しかった

先々週の日曜日10月20日には松本市内の「才能教育会館ホール」にて「松本澤風会大会」がありました。

その翌日21日に、松本澤風会会員で山登りのエキスパートのお2人にガイドしていただき、前日の舞台の参加者9人で「美ヶ原高原」に行って参りました。

車でも上の方までいけるようですが、我々は山登りが主眼なのでちゃんと歩いて登ります。

ここから山に入ります。

最初は川沿いの深い森を歩きます。

道端にはリンドウの花。

そして高度が上がっていくと、まだ早いと思われた紅葉もちらほらと。

やがて森林限界を越えて、巨大な岩山が見えてきます。あの岩山の上が山頂のようです。

思ったよりも本格的な山道でしたが、総勢9人で山の話や能楽の話など楽しくお喋りしながら登ったので、それほど疲れは感じませんでした。

2時間ほど登ってようやく「美ヶ原高原」に到着です。

山頂部はとにかく広大な原っぱで、牛が放牧されていました。

日本ではなく、ヨーロッパアルプスあたりのような風景です。(行った事は無いのですが…)

そしてこの日は快晴で空気も澄んでおり、360°どこを見回しても山また山の絶景でした。

八ヶ岳と富士山。

槍穂高連峰。中央が槍ヶ岳です。

中央アルプスの山々。

ちなみに右端が能楽師東川尚史君、左のお2人が松本澤風会の山登りエキスパートです。

他にも浅間山や、北アルプス、南アルプスの山々もくっきりと見えました。

山頂には各放送局のテレビ塔が林立しており、何か宇宙基地のような光景です。

この山頂まで登って、「王ヶ頭ホテル」という四つ星ホテルで美味しいカレーをいただいてから下山しました。(カレーが美味しすぎて、写真を撮る間も無く食べ終えてしまいました…)

下山して見上げた美ヶ原高原。

山上に小さくテレビ塔が見えます。

あそこまで登って、降りてきたのか…と皆それぞれ感慨深い面持ちでした。

今回は朝10時の登山開始から午後2時半の下山まで、終始快晴で絶好の眺望に恵まれました。

おそらく今後再び美ヶ原高原に登っても、今回程の絶景は見られないかと思われます。

全員の思い出に残る素晴らしい山行でした。

松本澤風会の山登りエキスパートのお2人に、心より感謝申し上げます。

(写真は私が撮影したものと、参加者Nさん、Yさんが撮影したものです。NさんYさんありがとうございます)

喉の不調を経て

しばらくブログ更新が滞っておりました。

実は9月20日頃から、定期的に来る喉の不調に悩まされていたのです。

しかも今回はかなり酷い症状で、扁桃腺が腫れて熱を持ち、毎晩布団に入った途端に咳が出始めて止まらなくなり、うとうとしては咳き込んで起きてしまい、一晩中殆ど寝られないという状態が3週間ほど続きました。

しかし不調なのは喉だけで、食欲はあり、体力的にも普段と変わりはありませんでした。

なので「働きながら治す」という決意を固めました。

その頃ちょうど仕事の大きな山場が来ていたのです。

新作能のツレ、また能大原御幸の法皇の役をいただいており、加えて京都澤風会、松本澤風会があり、薪能や定例会、七葉會などの地謡も難しい曲が何曲かついておりました。

鞄に入れて持ち歩く小本も常時7〜8曲あり、新幹線で一通りさらうだけで東京から名古屋あたりまで移動している感じでした。

声を全力で出すと咳が出て破綻してしまうので、そうならないギリギリの声量で謡う日々が続きました。

喉の不調のピークは10月初旬までで、その後は少しずつですが症状は回復していきました。

10月第2週頃から夜の咳が止まって、寝られるようになったのが大きかったです。

今では喉はほぼ元通りに回復しました。

まだ右の耳に水が溜まっている感じがして、地謡の調子を合わせるのが少し困難なのですが、これも過去の経験で早晩回復すると思います。

ベストな喉の調子で謡えずに、ご迷惑をおかけした舞台もあったと思います。大変申し訳無く思っております。

何とか回復しましたので、今後はまた全力で謡って参りたいと思います。

ブログも徐々に書いていくつもりですので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

今は東北新幹線で北に向かっているのですが、ブログを書きながらふと車窓を見て驚きました。

福島の空にくっきりとした虹が掛かっていたのです。

何かこの虹に力をもらえた気がいたしました。

安心して「静寂」を味わうこと

今日は水道橋宝生能楽堂にて、明後日日曜日開催の特別公演の申合がありました。

私は能「石橋」の地謡を勤めさせていただきました。

実はこの曲の地謡は、シテの「獅子」が出て来る前に殆ど謡い終わってしまうという珍しい曲なのです。

今日も前半のツレ「樵童」のところの地謡が終わって、やや安堵して後半の獅子を待っておりました。

すぐに勇壮な獅子の出囃子「乱序」が始まりますが、途中で急にシンと静まる箇所があります。

石橋が架かる深山幽谷に水滴が滴る有様を、数秒の静寂を空けて打たれる小鼓と太鼓の極めて小さな打音で表現する、繊細微妙な囃子です。

今日はその緊張感のある静かな場面を、何故かいつもより安心して聴いている事ができました。

いつもは私はもっと緊張して聴いているのです。

何故だろう…と考えて、

「そうか、申合なので携帯などの電子音が鳴る心配が無いからだ」

と思い至り、微妙な気持ちになりました…。

ほんの少し前、携帯や腕時計の電子音が存在しなかった頃には、本番でも安心して、

「静寂」

を聴いている事ができたのです。

明後日の特別会本番では、もちろんアナウンスで「携帯電話の電源をお切りください」という放送があると思います。

特にこの能「石橋」では「静寂」が本当に大事ですので、どうか一時、携帯が無かった頃に戻って、電源を落として安心して静寂を味わっていただければと思います。

後半は体育会系で

昨日は水道橋宝生能楽堂にて宝生流若手勉強会の「青雲会」が開催されました。

今年から能の地頭に青雲会OBが呼ばれる体制になり、今回はOBの私が能「田村」の地頭を勤めました。

私以外の7人の地謡は全員が20〜30代の若者達です。

このような若いメンバーと能地を謡うのは初めてのことで、普段とは違う緊張感と難しさがありました。

やはり舞台のシチュエーションによって地謡のあり方も微妙に変わると思います。

今回の「田村」をどう謡おうか…と色々考えて、

「前半は文化系、後半は体育会系」

というイメージでいってみようと思いました。

青雲会は若手勉強会なので、宝生流の若手の溌剌としたパワーをお客様に感じていただくのが目標です。

本番の前半「文化系」が終わって、後半が始まった時です。

大鼓のやはり若い楽師が、一セイの囃子を非常な気合いを込めて打ってきたのです。

それに呼応して、後シテ坂上田村麻呂の謡も最大限の気迫がこもったパワフルな謡になっていました。

最早申合とは全く違う迫力です。

しかし私の後半コンセプトは「体育会系」なので、望むところです。

力任せになって破綻しないように注意しつつ、ゴリゴリと腹に力を込めて謡っていきました。

若い地謡メンバーと声が合うか不安でしたが、皆伸び伸びと大きな声でついて来てくれて、最後までイメージ通りに溌剌と謡い切る事ができたと思います。

思えばこの先は、彼ら若手と一緒に謡う機会がどんどん増えていくはずなのです。

今回の「青雲会」は私にとっても今後に繋がる大変貴重な舞台になりました。

大同二年の謎

今日は水道橋宝生能楽堂にて、明後日21日開催の「青雲会」の申合がありました。

昨日書きましたように、私は能「田村」の地頭を勤めました。

「田村」の申合が始まって、前シテ童子の謡を聴いていて「おや?」と思いました。

語りの冒頭で、

「そもそも当寺 清水寺と申すは 大同二年のご草創」

と謡われているのです。

昨日「清水寺建立の日付までは謡われていない」と書いてしまいましたが、それは大間違いでした。お詫びして訂正いたします。

そして思い返してみれば、能「花月」のクセの冒頭にも、

「そもそもこの寺は 坂上田村麻呂 大同二年の春の頃 草創ありし…」

という謡がありました。

しかしここで不思議なことがあります。

清水寺建立は「延暦17年(西暦798年)」という史実がある一方で、謡では

「大同2年(西暦807年)春のご草創」

となっているのです。

色々調べてみると、東北地方を中心とした非常に多くの神社や寺が、この「大同2年」に建立された事になっているそうなのです。

ある説を読むと、

①なんらかの理由で清水寺建立の時期が「大同2年」とされ、それが能「田村」や能「花月」の謡の詞章になった。

②坂上田村麻呂の伝説と共に「大同2年」という謡の詞章も東北地方に広がった。

③いつしか清水寺との関わりが忘れられて、「大同2年」は「坂上田村麻呂に縁のある年号」として認識されて、田村麻呂が創建したとされる多くの寺社の創建年号になった。

という事だそうです。

謡にのって「大同2年」という年号が東北地方に広がったというのは大変興味深く、ロマンのある話です。

…しかし、何故「延暦17年」が「大同2年」に変化したのか、という理由はまだ謎のままなのです。

「善知鳥峠の謎」などとともに、またひとつ今後調べていきたい謎が増えました。

清水寺の建立された日

昨日の事になりますが、スマホのニュースで「清水寺は798年8月17日(旧暦延暦17年7月2日)に坂上田村麻呂によって建立された」というのを読みました。

能「田村」では前シテの童子によって清水寺の縁起が語られますが、建立の日付までは語られておりません。

私は昨日初めて知りました。

ニュースを見て先ず思ったのが、

「こんな暑い時期に建立されたのか…」

という事でした。

“平安時代は実は気温が高かった”

と聞いたことがあります。

いくら何でも最近の猛暑ほど暑くはなかったでしょうが、エアコンの無い時代の真夏に大きな寺を建てるのは、さぞかし大変な工事だったと想像します。

実は今日は亀岡稽古日で、その前に清水寺に行こうと思えば行けたのですが、今日の京都の予想最高気温は37℃。

そしておそらく清水道と境内は、外国人観光客などで溢れかえっている事でしょう。

真夏の暑さに耐えて大伽藍を建立した人々の苦労を偲びつつ、新幹線の中から遠く見える清水寺に小さく合掌したのでした。

ちなみに偶々なのですが、今週水曜日に宝生能楽堂にて開催される「青雲会」で能「田村」が出て、私はその地頭を勤めさせていただきます。

平日ですが、皆さまご都合よろしければどうか宝生能楽堂にいらしてくださいませ。

http://www.hosho.or.jp/wp/wp-content/uploads/2024/08/202408seiunkai.pdf

“静”から”動”へ

今日明日の二日間、水道橋宝生能楽堂にて

「宝生能楽堂四十五周年記念公演」

が開催されます。

初日の今日は、私は宝生和英御宗家の能「翁」の後見を勤めさせていただきました。

1月に「翁」の初シテを勤めさせていただき、今回はまた初めての「翁」の後見で大変貴重な経験になりました。

「翁」は非常に静かに始まります。

幕が開いてから面箱、翁、千歳、三番叟などがゆったりと歩いて登場して、そこから翁が座に着いて、面箱が翁の面を箱から出して蓋に置くまで、一切無音で時間が過ぎて行きます。

一方で切戸の内では15人近い能楽師が、「ある瞬間」を待ってじっと待機しております。

「ある瞬間」、

つまり「面箱が白式尉の面を蓋の上に置いて準備を終えて、両袖の露を取って立ち上がる瞬間」

が来ると、切戸がサッと開いて、シテ方の後見、囃子方後見、地謡がドッと舞台に出て行きます。

橋掛からも千歳、三番叟、囃子方などがやって来て、あれよという間に20人ほどが舞台や横板の定位置に着きます。

ほとんど間を置かずに笛と小鼓の演奏が始まります。

切戸がサッと開いてから笛の吹き始めまで、30秒も無いと思います。

このスタートの仕方は”緞帳”の無い能舞台の特徴を活かして、

「幕開けから準備段階までの”静”の時間」を全て見せる事によって、

「演奏が始まる時の”動”への転換」をより鮮烈に見せる効果を狙っているのかとも思われます。

この”静”から”動”への鮮やかな舞台転換もまた、能「翁」でしか味わえない醍醐味だと思います。

お祭りを終えて

全宝連京都大会から1週間と少し経ちました。

あの舞台では、みんな春先からの稽古の成果を遺憾なく発揮してくれました。

そしてそれからの1週間の間に早くも、京大と自治医大から「夏合宿のご案内」というメールが届きました。

京大からは、「秋の京大能楽部自演会の舞囃子のご相談」というメールも来て、既にシテと候補曲も決まっているようでした。

お祭りのような大きな舞台を終えて、この先は合宿と稽古で地力をつけて、また次の大きな舞台へのチャレンジが始まるのです。

…しかし、学生さん達はその前に大変な実習や前期試験などが待っているはずです。

とりあえず学業のヤマを越えて無事に夏休みが迎えられるように祈っております。

曇天の松本城にて

今日の松本は、午後に降った雨が夕方に上がると少し涼やかな空気になって、東京や京都の猛暑に比べるととても過ごしやすく感じました。

久しぶりに松本城にやって参りました。

流れる雲の下の天守閣は、また迫力が増して良い眺めです。

天守閣前から「二の丸御殿跡」に移動します。

この二の丸御殿跡に、8月8日には特設舞台が作られて「松本城薪能」が開催されるのです。

今年の松本城薪能では宝生和英御宗家の能「紅葉狩」が演じられ、私も能「経政」のシテを勤めさせていただきます。

入場無料ですので、皆さま是非お越しくださいませ。

情報は以下にリンクを貼っておきます。

https://www.matsumoto-castle.jp/topics/6883.html