クメールの彫像

一昨日の日曜日に、ほんのすこしだけ京都下鴨神社の古本市に行って来ました。

森見登美彦の「夜は短し歩けよ乙女」にも登場する京都三大古本市のひとつです。

.

昼前に行ったのですが、あまりの暑さにざっと一周しただけで30分程で挫折して引き上げてしまいました。。

.

しかし、何も買わなかった訳ではありません。

ふと目についた「クメールの彫像」という本を一冊だけ素早く購入したのです。

.

6〜13世紀頃のカンボジアの神仏像の写真と、その解説が書いてある、A5サイズ程の薄手の本です。

.

私は当然ながら古代カンボジア宗教美術に関する知識など全く持ち合わせておりません。

しかし、パラパラと頁をめくって、いにしえのクメール王朝時代のヴィシュヌ神やハリハラ神、シヴァ神などの美しい彫像達を見ていると、想像力が強く刺激されます。

.

古代インドの神々はインドシナ半島に伝わって、やがてアンコールワットやアンコールトムとほぼ同時期に、これらの彫像になったのです。

.

そしてまたそれらの神々は同時進行で日本にも渡って、能楽に多く登場する神様や仏様になったはずなのです。

そこにどんな人々が介在して、如何なるドラマが繰り広げられたのだろうか…。

.

能「春日龍神」など何曲かのいわゆる「龍神もの」のシテの元になった「ナーガ神」の像もありました。

これらの彫像は能に出て来る神仏とはかなり印象が異なるのですが、何か血の繋がった遠い親戚を見ているような気持ちにもなりました。

.

今日は久しぶりの休日だったので、家から一歩も出ずにこの本をのんびりと眺めて、遥か昔のインドの神々の旅路に想いを馳せたのでした。

銀河のワールドカップ

普段ならまず読まないと思われる本でも、時期によって読んでみたくなる事があります。

.

集英社文庫 川端裕人著「銀河のワールドカップ」もそんな本です。

少し前に古本屋で購入して、ワールドカップが始まったら読もうと思っていたのです。

.

.

とは言っても、この本はワールドカップそのものの話ではなく、「小学生サッカー」を描いているのです。

「なんだ、子供の話か」と思われるでしょうが、決して侮ってはいけません。

.

キャラの立った癖のある子供達が次々に登場します。

それぞれジダンやロナウジーニョ、マラドーナやクライフと言った名選手達になぞらえられていて、その試合描写には思わず日本代表の試合を見ているような熱さを感じてしまいます。

.

.

そしてまた、この物語の主人公は「コーチ」なのです。

元Jリーガーで、過去の出来事で一度はサッカーから遠ざかったコーチが、子供達と共に再び自分の場所を取り戻していくのです。

.

ある試合で、コーチ率いるチームは強敵と激突して苦しめられます。

しかしコーチは苦闘する子供達の姿を見て、「”本物の瞬間”というのがピッチ上にあるとしたら、それはこういう試合で顔を出す」のだと思います。

そしてその”本物の瞬間”の中にいる子供達に、嫉妬のような羨ましさを感じてしまうのです。

.

.

このシーンを読んで、私はつい一昨日の全宝連を思いました。

学生達は、自分の曲や仲間の地謡、また全体の素謡を何ヶ月もかけて色々苦しみながら稽古して、ようやく完成させたものをたった一度の本番で完全燃焼させます。

.

“本物の瞬間”というのが舞台上にあるとしたら、それは正に全宝連のような舞台で顔を出すのでしょう。

それを体感出来るのは、苦しい稽古を共有してきた現役部員のみです。

.

私もその舞台を見て、「銀河のワールドカップ」のコーチのような”羨ましさ”を感じていたのだとわかりました。

.

.

ワールドカップはまだまだ続き、私の読んでいる「銀河のワールドカップ」もまだ半分程が残っています。

今は松本稽古に向かう特急あずさでパラパラとめくって楽しんでいるところです。

日本代表の活躍と並行して続きを読んで、さらに熱くなりたいと思います。

旅の本

ある能の舞台になった場所を訪れて、その曲を思い出したり、出来れば謡ったり舞ったりすると、なぜだかちょっと良い気分になります。

.

私の場合は、「本」においても似たような傾向があって、ある土地を訪れる時にその土地にゆかりのある本を読むと、密かな喜びを感じてしまうのです。

.

と言っても、「名作」や「文豪の作品」などは2ページも保たずに寝てしまう人間なので、くだけた読みやすい本ばかりです。

.

先日伊勢神宮に向かう道中では、三浦しをん「神去なあなあ夜話」を読みました。私の故郷でもある三重県の山奥が舞台の本です。

また中央本線で松本に向かう時は、角川文庫「山の霊異記」という甲信越地方の山の怪談話を。

京都への新幹線では、今は森見登美彦「有頂天家族 二代目の帰朝」をお供にしています。

.

そして今日は青森稽古に向かう東北新幹線にて、椎名誠さんの「北への旅」という文庫本をパラパラとめくっているのです。

この本は、椎名さんがカメラを持って東北を旅した記録の写真とエッセイ集です。

北の街で出会った人々、お祭り、市場、自然などが沢山の写真と共に、東北への愛情溢れる文章で紹介されている本です。

.

今回特に強い印象を受けたのが、JR八戸線の「鮫」という変わった名前の駅で降りて、「種差海岸」という海岸を歩いた時のお話でした。

種差海岸は「日本にまだこんなに美しい海岸があったのか」という程に綺麗な場所だそうで、これはいつの日か必ず「鮫駅」から出発して歩いてみようと心に決めました。

.

今日はもう一冊、西木正明さんの「流木」という文庫本もあり、岩手の山奥の話をこれから読もうと思っております。

.

.

…文庫本ばかり読んでいるようですが、能「夜討曽我」と「俊成忠度」の勉強をする合間にちょっとずつ読んでいるのです。念の為…。

なまけものの日

ずっと毎日ブログを書いていると、「ああ、今日は特別に書くようなことが無いなあ…」という日も当然あります。

.

今日はぽっかりと空いた休日だったのですが、起きると外は雨。

とりあえずたまった洗濯をしながら、破れた紋付の縫い目を繕ってしまうと、特にすることが無くなってしまいました。

.

いや、長期的にはやる事は山積みなのですが、ひとつには最近読み始めた森見登美彦「聖なる怠け者の冒険」の影響があると思われます。

この本の主人公は主人公のくせに、「のんびり過ごす」ためにとにかく全力を尽くす人なのです。

「怠惰への意志」を強く持って、出来れば週末を「独身寮の冷んやりとした万年床」でずっとゴロゴロして過ごしたい!と思っているのです。

.

実は私も本来はこの主人公と同じような性質を持っているのですが、周りの皆様のおかげで何とか怠けずに生活しているのです。

しかし今日のような日には、満を持して「怠ける」というのも良いかと思い、1日有意義なことはせずに、ゴロゴロして「聖なる怠け者の冒険」など読むことにいたしました。

.

半分くらい読んだところで、精神的に充分に「怠けた」気分になりましたので、明日からまた頑張って働きたいと思います。

今日はこれにて。

山の本

今日はぽっかりと空いた休日でした。

郁雲会澤風会の準備作業が沢山あるのですが、合間に本を読む時間もありました。

.

最近読んでいるのが時代小説家の長谷川卓著「嶽神」シリーズ(講談社文庫)です。

大まかなストーリーは、戦国時代の甲信越を舞台に、深山に棲む「山の者」と呼ばれる人々が乱世に巻き込まれながらも懸命に生きていく、というものです。

.

私は京大時代に「木地師」というやはり深山を渡り歩いて暮らしていた山の民を調べたことがありました。

また柳田國男や椋鳩十の本などでも、日本の山々には平地とは全く異なる生活があったと知り、大変興味深く思っておりました。

.

この「嶽神」シリーズは、まさにその山の民が主人公であること、また山田風太郎ばりの荒唐無稽なアクションシーンがふんだんにあること、そして舞台が甲信越地方で、見知った場所が多く出てくることなど、私の好みのツボを巧みに押さえた本なのです。

更に、私は好きな本を読み終わるととても寂しい気分になってしまうのですが、「嶽神」は既に10冊程出版されており、まだまだ続きそうなのでその点でも安心なのです。

ちなみに「能役者の家系」であるという意外な人物も登場します。

.

「嶽神」は文庫本で、主に電車で読むのですが、最近家で寝る前に読んでいるのがやはり山の本です。

これはあまり売っていない本なのですが、加藤博二という人が今から60年程前に書いた本の復刻版「森林官が語る山の不思議〜飛騨の山小屋から〜」(河出書房)という本です。

.

第二次大戦前頃に飛騨の深い山奥に暮らした著者が体験した、山の民や動物や、謎の生き物達も出てくる不思議な話です。

能「山姥」の現代版のような話もあり、日本にはつい戦前までは、平安時代から続く深山の暮らしがあったようです。

.

そんな話を少しずつ読んで、想像力を膨らませながら満足して眠るのが、最近の密かな幸せなのです。

GNHとは?

年末から高野秀行著「未来国家ブータン」という本を読んでおりました。

早稲田大学探検部出身の高野さんの本は、いつも辺境地が舞台の破天荒な探検行の話で、大変面白いのです。

.

今回も「雪男」の話や、秘境ブータンの中でも最奥に位置する村の珍しい暮らしの話など、旅行に行った気分で楽しく読ませていただきました。

.

その本の中で特に興味深かったのが、「国民総幸福量」という言葉です。

.

国民総生産量= GNPではなく、ブータンでは国民総幸福量= GNHの増加が最大の政策目標らしいのです。

.

「国民一人一人がより幸福になれば、社会全体もより幸せになれる」という夢のような政策を、政府が真剣に考えて施行しているのがブータンという国だそうなのです。

.

持続的な幸福の為に、自然や文化も大事に保護保全しているようです。

またなんと国王が自ら国内を行脚して、国民の暮らしを見ながら世直しをしているという、まるで「水戸黄門」か能「鉢木」か、という話も書いてありました。

.

高野さんは、「日本がそうなったかもしれない未来を目指している国」というような表現をしていました。

.

確かに現代日本がこれからブータンのような政策をとることはまず出来ないと思います。

しかし、少なくとも私自身の生き方の中では、周りの人たちを含めた「幸福量」が増えること、またその幸福が刹那的なものでなく長く持続することを、ひとつの目標にしてみたいと思いました。

.

私の文章ではなかなか伝わりにくいのですが、興味を持たれた方は集英社文庫「未来国家ブータン」を是非お読みくださいませ。

奇妙な孤島の物語

最近読んだ本の中で、不思議な話がありました。

1979年2月にハワイ沖で、乗組員5名の小さなボートが嵐のために行方不明になりました。

10年近く後、その「サラ・ジョー号」の残骸が3600キロも離れたマーシャル諸島の無人の環礁で発見され、しかも残骸の横には簡易なお墓があって、乗組員の1人スコット・モーマンが埋葬されていたというのです。他の4人の行方は杳として知れませんでした。

とても想像力を掻き立てられる話です。

「奇妙な孤島の物語」という題名の本なのですが、驚くのはこの本の作者は一度も行ったことのない50の孤島の話を書いていて、それぞれが上の様な不思議な余韻を残すエピソードなのです。

この本の持つ雰囲気が能楽に通じると私は思いました。

・自らが体験したのでは無い話を、主に伝聞を基に物語にしている。

・全てを説明せずに、読者に想像力を働かせる余地を多分に残している。

・歴史に埋もれて忘れ去られた人物や、名も無い市井の人々に光を当てて、そこにも壮大な物語があることを教えてくれる。

普段は文庫本しか読まないわたしですが、この大判ハードカバーの本は毎日少しずつ大事に読んでいます。

ニュージーランド沖の無人島で、ペンギンの大群に囲まれて行方不明になった兵士は、その後どうなったのか。

10数人の男だけが暮らす、インド洋に浮かぶ絶海の孤島の観測所で、それでも彼等が感じている自由とは一体どんなものなのか。

そしてサラ・ジョー号の4000キロ近くにわたる漂流の旅路と、5人の乗組員の運命。

今夜も能を観るように「奇妙な孤島の物語」を少しだけ読んで、一生行かないであろう海の彼方の孤島のドラマを想像しながら、休もうと思います。