舞台に出たら

今日は水道橋宝生能楽堂にて、明日から始まる七葉会の舞囃子の申合がありました。

澤風会代表の江古田稽古場のMさんも、船弁慶の長刀の舞囃子をされました。

申合とは言え、宝生能楽堂で舞うのはやはり緊張感があります。

過去の澤風会の舞台にほぼ皆勤のMさんですら、朝お会いした時は普段よりもかなり固くなっておられました。

しかし舞台に出るとむしろ固さがとれて、普段通りのMさんに戻って伸び伸びと舞われて安心いたしました。

ちょっと心持ちは違いますが、私も舞台の上に出ると「ああ、やっと舞台の上に来られた」と安心する時があります。

というか自己暗示に近いのですが、「自分は能楽師であり、舞台上では能をすれば良いのだから、地上の何処よりも舞台上が一番安心出来る場所の筈だ」と繰り返し思っていると、やがて本当に舞台上が安心出来る場所になっていったのです。

昔内弟子だった頃にはまた、楽屋の仕事が特に多かったので、その意味でも舞台に出ている時が一番嬉しかった記憶があります。

お弟子さんはまた全然違う心持ちだとは思いますが、どうか明日明後日の七葉会では舞台に出たら、「漸く稽古の成果を出せる!嬉しい!」という気持になって、舞台上の諸々を出来るだけ楽しんでいただければと思います。

また七葉会の会員でない方も、どうか明日明後日は宝生能楽堂に応援にいらしていただければと存じます。

どうかよろしくお願いいたします。

1件のコメント

イスラエルよりも…

私がこれまで体験した中で一番暑かった海外公演は、おそらく一昨年6月終わりに行ったイスラエルだと思います。

例年のイスラエルの6月は、最高気温は30℃に届かずに、空気は乾燥して日本より過ごしやすいと聞いて安心して日本を発ちました。

ところが現地に到着してみると、我々が滞在する期間は異常な高温になるという天気予報が出ていました。

35℃以上の日が続き、日差しは強烈で「飲みたくなくても定期的に水を必ず飲むように」とガイドさんに念を押されました。

しかし湿度は聞いていた通り非常に低く、カラカラに乾燥しています。紋付袴でも汗を殆どかかず、その点はむしろ日本の薪能よりも快適です。

とは言え知らない間に水分が失われるのもまた怖いもので、とにかくこまめに水分補給をしながら、炎天下の芝生や、地中海の浜辺での演能も何とかこなしました。

一方、3日前の日曜日。

京都観世会館で太鼓の会の舞台が無事に終わり、辰巳大二郎くんと2人観世会館を出ました。

「三条京阪まで歩こうか」と平安神宮大鳥居の側にある観世会館を出発。

しかし数分で2人とも汗だくになってしまいました。時間は午後2時半過ぎ。一番気温が高い頃です。

私「う”〜、暑”い!…しかしあのイスラエルに比べれば、まだマシだよね」

大二郎くん「い”や〜、イスラエルは乾燥してたから、まだ良かったです。こっちの方がヤバいです…」

確かに言われてみれば、京都は気温、日差し、湿度と三拍子揃って強烈です。

しかも建物が低く、日陰が殆どありません。

三条京阪までのわずか10数分で、2人ともバテバテでした。。

今日は東京でも37℃越えです。

今年の日本の暑さを乗り越えられれば、たとえ夏のイスラエルに行くことがあっても快適に過ごせると思われます。。

トマトとクワガタ

「松本はアルプスで守られているので、台風の被害はあまり無い」という話を以前に聞いたことがあります。

今朝松本の宿で起きて、「台風直撃の大嵐かも…」と恐る恐る窓外を見るとなんと雨は止んでおり、台風は本当にアルプスを越えられずに北陸方面に曲がっていったようなのです。

特急も平常運転で、何とか無事に東京に帰って、江古田稽古をすることが出来ました。

昨夜は松本稽古の後に、お弟子さん達と食事をせずに、雨を避けてすぐに宿に入りました。

そして荷物を置いてから宿の近辺で晩御飯のお店を探した所、韓国料理屋が一軒ありました。

5年前に仕事で何度か韓国に行って以来、韓国料理はしばしば無性に食べたくなります。

のぞいて見ると、やはり台風のせいか客の姿はひとりも見えません。無理かな…と思いつつ扉を開けて、「あのー、ひとりでも大丈夫ですか?」と尋ねると、手持ち無沙汰に座っていたオモニが「大丈夫!」と言ってくれました。

広い店内を貸し切りで、プルコギなど料理も美味しく、ビールも良く冷えており、非常に幸せな気分に浸っていると、オモニが「トマト食べる?」と聞いてきました。

もちろん「いただきます!」

みずみずしいトマトが丸ごと一個、輪切りになってきました。夏に食べるトマトは美味しさも一入です。

オモニ「私は山の方に住んでいて、トマト作ってるのよ。まだあるよ。」

更に、「お兄さん、出張?クワガタ要らない?」と意味不明なことを言われました。

見るとカウンターの上の虫籠の中に、良い型のノコギリクワガタがいます。

オモニ「家の裏山で木を蹴っ飛ばすと、こんなのが沢山落ちてくるのよ。出張の人には、子供にお土産と言ってあげているの!」

…私はトマトだけ有り難くいただいて、クワガタは遠慮しておきました。。

今回は台風に悩まされた週明けでしたが、そのおかげで美味しい韓国料理屋さんに出会えました。

山に囲まれた松本の、山の恵みを体感した二日間でした。

マッコリもなかなかの味でした。

立秋の台風

今日は暦の上では「立秋」です。この先は暑さも「残暑」なのですね。

気分的には微かに秋の気配が…まだまだ感じられませんかね。。早く本当の秋が来てほしいものです。

6月のブログで、「夏至」の日に豪雨にあって新幹線に閉じ込められた話を書きましたが、「立秋」の今日は台風にあってしまいました。

朝から京都大山崎の稽古の予定だったのですが、延期にさせていただいて早めに京都を出ました。

夕方から予定している松本稽古は、七葉会前の最後の稽古日なので何とか稽古したいのです。

特急しなので辿る木曽路もずっと雨模様ですが、松本には遅れなく到着出来そうです。

しかし台風の進路は私を追うかのように確実に長野方面に向かっています。。

今度は明朝に松本を出て、新宿に向かう特急あずさがちゃんと動いてくれるかが心配です。

明日は明日で、七葉会前の最後の江古田稽古なのです。

自然災害には逆らえませんが、何とか最小限の影響で乗り越えたいものです。

大山崎の皆さんすみませんでした。また京都澤風会前に、追加で稽古させていただきます。

(その後松本に無事に到着すると、私が乗った少し後から、特急しなのが運休したとの情報が。危うい所でした)

1件のコメント

前川七曜会

今日は京都観世会館にて、太鼓の発表会「前川七曜会」に出演して参りました。

澤風会でも太鼓のお稽古をされている方が沢山おられて、今回紫明荘稽古場より1名、松本稽古場より3名が居囃子と独調で参加されました。

「居囃子」と「独調」は、ともに舞い手はおらずに地謡と囃子方だけの舞台です。

今日それらの地謡を謡ってみて改めて気がついたのは、「姿勢の大切さ」でした。

舞囃子の場合、どうしても動いているシテに眼がいきますが、今日の見所は皆さん太鼓を中心にお囃子と地謡に視線を注いでおられます。

間が正確で手が合っている事は勿論必要なのですが、やはり背筋をスッと伸ばして、手の動きも綺麗な人は一段と素晴らしく見えました。

地謡においても、小さな作法ひとつひとつを折り目正しく美しくすることが、その舞台を引き立てることに繋がると思いました。

また違う話で、「独調」とは太鼓と地謡の一対一の舞台ですが、同じ一対一でも「一調」という形式があります。

一調は太鼓の手組が通常と変わって、非常に難しくなります。通常の手をある程度知ってから一調を見ると、思わず笑ってしまいたくなる程に多彩で複雑な手組なのです。

今日は太鼓一調を何番も拝見出来て、その目眩くような手の変化に内心「おお!」と驚いたり、思わずニヤリとしたりしました。

能楽は、楽器一種類だけでも宇宙的な広がりと深さを持っていますが、今日は太鼓という楽器の深遠についても再認識できました。

私自身にとって、とても勉強になる会でした。

…今日は広島の原爆忌です。72年前に亡くなった母親の家族達を思いながら、今日も精一杯舞台を勤めさせていただきました。

有流友自遠方来 不亦楽

今日は京都下鴨・紫明荘の稽古だったのですが、普段の紫明荘組に加えて遠方より沢山の方々がお見えになりました。

茨城県より1人、信州松本より2人、越前福井より2人、遠州浜松より1人…と言った感じで、何かお盆休みの実家のような大賑わいでした。

紫明荘最年少の男の子のお祖母様や、明日京都である太鼓の発表会のためにいらした方々など、事情は様々でしたが共通点は「とりあえず宝生流は稽古している」という事でした。

皆さん興味津々で紫明荘組の稽古を御覧になっています。

普段おられない方々の視線がこれだけ沢山集まると、仕舞を稽古している人にとっては殆ど本番に近い雰囲気になります。

紫明荘組は緊張して、何でも無いところで間違えたりしましたが、これはむしろ有り難いシチュエーションだと思いました。

本番2ヶ月前になり舞もほぼ覚えて来た段階ですが、今日の緊張感の中で、1人で舞うと間違えやすいポイントが幾つか明らかになりました。

この経験を糧に、10月1日の京都澤風会が良い舞台になるように、一層稽古を頑張っていきたいと思います。

各地で宝生流を学ぶ人達が、紫明荘のひとつの卓を囲んで和やかに会話されている様は、まさに論語の一節が具現化しているように見えました。

遠方よりの皆さんどうもありがとうございました。

今は山中  今は浜

「今は山中  今は浜♪」と歌う「汽車」という題名の文部省唱歌がありますが、昨日の八ヶ岳薪能から一転して、今日は熱海で舞台がありました。

電車で移動するだけで、上の唱歌のように車窓からの景色が移ろって楽しいものです。

能においても、旅の情景を謡う「道行」という部分があります。

一番多いのが、ワキが曲の冒頭に謡う道行です。

しかしシテが謡う道行や、「蟬丸道行」のように地謡が謡ってシテが舞うものなど、幾つかバリエーションがあります。

それらの中でも私が特に好きな道行があります。

能「安宅」で義経とその家来達が、11人の山伏姿になって、都から北国を目指す時の情景を謡った道行です。

この道行、シテ弁慶とツレ同行山伏が全員で謡うのですが、シテがわずかに動く以外は、全員その場を全く動かずに謡います。

しかしながら、スピードの緩急と調子の強弱の変化だけで、如月十日の夜に花の都を忍び出て、加賀の国・安宅の関に到着するまでの苦難の道程を実に生き生きと謡い上げるのです。

あるシーンでは、引いたアングルから撮影した映像のように、琵琶湖沿いを点のようになって移動する一行が見えます。

またあるシーンでは、山中の急ぐ山伏達の荒い息遣いが間近く聞こえるような錯覚を覚えます。

また完全に個人的な話なのですが、「海津の浦では昔、京大宝生会が合宿をしたなあ」

「板取の辺りは、京大林学科の研究室の調査で古い石畳道を歩いたっけ」

「三国港近くの民宿で食べた蟹は絶品だった」などと、私の行った事のある場所が沢山出てくるのも、実は好きな理由のひとつなのです。

謡を習っている方は、道行で知った地名が出てくると、ちょっと嬉しくなった経験があるのではないでしょうか?

そして、少し先の話ですが、今年10月22日の宝生流秋の別会で家元が能「安宅」を「延年之舞」という小書付で舞われます。

私もツレ同行山伏の1人として出演させていただきます。

冒頭の道行から始まって、見せ場連続の能「安宅」。

どうか沢山の方々に御覧いただきたいと存じます。

3件のコメント

はさみの日

今日8月3日は語呂合わせで「はさみの日」だそうです。

増上寺では、2月の浅草寺針供養のように「鋏供養」が行われるとか。

鋏は実は能楽師にとって重要なアイテムです。

装束の着付けに不可欠で、取り分け「中入」で装束を素早く取り換える時には、糸を縒って作ったいわゆる「糸針」と「鋏」を如何に素早く使えるかで運命が分かれる事があります。

しかし私の場合、鋏に関しては少々問題がありました。

私は元々左利きなのですが、鋏は右手で使うための構造になっているのです。

右利きの方にはピンと来ないかもしれませんが、左手で普通に鋏を使うと、刃に隙間が出来てうまく切れません。刃が合わさる方向に無理に力を込めることでようやく切れるのです。

では右手で切れば良いと思うのですが、私の場合「箸」と「鋏」は不思議に左手でないと扱えないのです。

とは言え鋏は子供の頃から使って来た身近な道具です。私も小学生の内には左手で自在に使えるようになっていました。

しかしそれは「洋ばさみ」の話です。能の楽屋で使う「和ばさみ」は、更に左利きには使い辛い構造でした。

X型構造で梃子の原理が使える洋ばさみに対して、和ばさみは刃同士を合わせる力をダイレクトに刃に伝えないと切れてくれません。

左利き用の鋏もありますが、いざという時に人と同じ鋏が使えないと大変な事になります。

楽屋入りしてから私は、安い和ばさみを購入して家で紙を切る練習をしたりしました。

何事も回数をこなせば慣れるもので、今では右利き用の和ばさみも左手で問題無く使えるようになりました。

左利きに関しては、「装束付け」を覚える時により苦労をしたのですが、それはまた別の機会に。

今日もこれから八ヶ岳薪能の楽屋で鋏を使う機会が沢山あると思います。今日は「鋏」に感謝しつつ1日を過ごしたいと思います。

2件のコメント

亀岡の花々  8月

昨日の亀岡稽古では、盛夏の花々がいくつか見られました。


ノカンゾウです。先月のヤブカンゾウと入れ替わりで咲いていました。

ヤブカンゾウは八重咲きですが、ノカンゾウは一重です。

ノカンゾウも「忘れ草」と言われるそうです。カンゾウの蕾は中華料理店では「金針菜」と言われて美味しいようで、「食べるとその美味しさに嫌な事を忘れる」というのも、忘れ草の語源の諸説の中のひとつです。


玉紫陽花です。紫陽花よりも遅く咲くそうで、むしろ花よりも、紫色の玉のような蕾が遠目からも綺麗に見えました。


シソ科の「メハジキ」です。子供が茎を短く折って、瞼に挟んで遊んだのが名前の由来だとか。

今回調べて不思議なことがありました。

「天魔」と書いて「めはじき」と読むことがあるそうなのです。この由来は調べても見つかりませんでした。何方か御存知の方はお教えくださいませ。


イタチササゲです。何やら新美南吉のお話に出て来そうな名前です。

「イタチ」は、花の色が鼬の毛に似ているかららしいですが、「ササゲ」とは「捧げ」ではなく、豆果が「ササゲ」という豆に似ているからだそうです。

何か物語を期待したので、ちょっと残念…。


百日紅の大きな木がありました。

桜もそうですが、年に一度花が咲く時に初めて、その強い存在にハッと気がつく木です。


最後にカワラナデシコ。

別称が「ヤマトナデシコ」です。大和撫子の方が正式名称だと思っていました。

現在では日本女性を象徴する花のようになっていますが、昔は「子供」にも例えられました。

能「生田敦盛」のシテ敦盛は、我が子である子方の男の子に「忘れ形見の撫でし子の…」と謡いかけます。

今日はこの辺で。次の稽古の時には、秋口の花が見られるかもしれません。

北極や砂漠に比べたら…

今日から8月になりました。

私は涼しい青森から一気に日本を縦断して亀岡稽古にやって参りました。やはり関西の暑さは半端ではないです。。

今回の移動では、私は新しい文庫本を旅の友にしました。

自宅にある、まだ読んでいない本の山から一冊選んだのですが、その本を選択したのには実は暑さ対策の意味もありました。

題名は「アグルーカの行方」。角幡唯介という早大探検部OBの探検家の北極探検記です。

1845年の北極探検で、隊員129人が全滅した英国フランクリン隊。

その足跡を日本人探検家2人が辿るという内容です。

まだ読み始めで2人の旅も序盤なのですが、極地帯の猛烈な寒さと、雪と氷に悩まされる描写がふんだんに出て来ます。

これを読むと、「今日の暑さも極地の寒さに比べたらまだマシかな」と思えて来ます。

更に昨日の深夜、たまたま付けた青森の宿のテレビで「熱砂の海を走り抜け!ナミブ砂漠250kmグレートレース」というドキュメンタリーをやっていました。

アフリカの砂漠地帯を1週間かけて、水や非常食、寝袋などの荷物を背負いながら走る過酷なマラソン大会です。

日中の気温は摂氏45℃まで上がり、日射しを遮る物など全くない中で、1日に最長70km以上を走破した鉄人達の話です。

ある女性は戦乱の祖国に勇気を届ける為に、必勝を誓って参加しました。

またある青年は、貧困から抜け出す為にプロのランナーになり、やはり勝利が絶対に必要だと語っていました。

最高齢71歳の男性は、「あらゆるトラブルやストレスを楽しんで走っているよ」と笑顔で走って行きました。

そして男子の総合トップはなんと日本人で、常に微笑んでいるような涼しげな表情のまま、信じられない速さで砂漠を疾走していました。

この昨夜の番組を思い出すと私はまた、「ナミブ砂漠のグレートレースに比べたら、今日の気温など涼しいものだ」と思えて来ました。

…というわけで、極寒の北極に消えた129人の探検隊や、灼熱のナミブ砂漠を熱い想いを持って走り抜けた人達を想像しながら、今日も私は汗かき稽古に励んだのでした。