夜討曽我と河津桜

今日は千葉の青葉能にて、家元の能夜討曽我がありました。私は地謡でした。

会場の青葉の森公園を歩いていると、遠くに桜らしい花が見えて来ました。

桜には早過ぎるなと思いながら近づくと、なんと!河津桜でした。

元々は伊豆半島の河津で見つかった、2月に咲く早咲きの桜です。

驚いたのには理由があり、この河津というのは曽我兄弟の父親の河津三郎の出身地でもあるのです。

夜討曽我は正にこの河津三郎の仇を、息子の曽我兄弟が夜討で果たすお話なのです。

ここにもまた不思議な縁があると感じた1日でした。

先取りのお花見です。

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今日も兼平が

今日は水道橋宝生能楽堂で五雲会がありました。

初番は能絵馬でした。最近は年末に演じられる事が多かったのですが、旧暦では2月の曲なようなのです。これから年明けに演ずることも多くなるかもしれません。

2番目は能兼平でした。

やはりシテの造形が自分とは違う切り口で、大変興味深かったです。

観ていると兼平もう一度やってみたくなりました。

明日はまた私にとっては馴染み深い夜討曽我の舞台があります。

この9月には五雲会の能夜討曽我でツレ鬼王で舞台に出るので、明日の舞台も参考にしたいと思います。

合格祈願

昨日の東京は暖かくて天気も良かったので、水道橋宝生能楽堂から上野駅まで歩いてみました。

途中湯島天神に立ち寄ると、ちょうど梅祭りをやっていました。

湯島天神の梅はまさに見頃で、多くの人で華やぐ境内に春の訪れを感じました。

梅が出てくる曲は多く、ちょっと考えただけでも箙、東北、難波、胡蝶、巻絹…と次々に思いつきます。

能楽の題材においては、桜よりも人気があると言っても良い位です。

また天神様、菅原道真公をシテにした来殿という曲もあり、曲中では菅公が月光や蛍の光で勉強をしたと(元は中国の故事ですが)謡われています。

大学受験生の皆さんは、勉強がまさに佳境に入っていることと思います。

目前に迫った二次試験がどうか無事に終わりますようにお祈り申し上げます。

湯島天神の梅は、受験生の皆さんを応援するように咲き誇っていました。

曲名看板1

今日はゆるいネタです。

以前書きましたが、能の曲名がついたお店を見つけると、ちょっと嬉しくなります。

今年に入ってからの収穫をいくつか載せてみたいと思います。

先ずは正統派からいきます。京都にて。さすが京都、格調高い感じです。

本郷にて。「たかさごや〜。」謡のカラオケもありそうです。

大阪にて。これは変化球で、元ネタありです。念のため。「串弁慶」という曲も、もしあれば大変面白そうなのですが。

また面白い看板を見つけたら、続編を載せたいと思います。

「仕舞100番舞う会」やります

京大宝生会では数年に一度、現役と若手OBを中心に「仕舞100番舞う会」を開催しています。

第1回はいつだったのか定かでは無いのですが、おそらく10年位前です。

学生は4年で入れ替わってしまうので、メジャーな仕舞でも現役部員が誰も知らない、という事態がすぐに起こってしまいます。

或いは面白い仕舞なのに、見た事が無いために誰もやりたがらない、というのもよくある事です。

これらを解消する意味で、学生と若手OBが舞える仕舞をとにかく朝から晩まで舞い倒して、みんなで見てみようという企画なのです。

今回はおそらく第4回なのですが、3月31日(金)朝9時〜20時位まで、京大BOXにて開催いたします。

第1回の時は皆のレパートリーが少なく、私が半分くらい舞ってしまいました。

しかし今回は早めに企画を立てて、現役部員は「最低でも回生プラス1番」を舞うのを目標に設定しました。

それ以上舞う人もいるでしょうし、若手OBも参加すれば、おそらく私が舞うのは2割位になるかと思います。

また飛び入り参加も大歓迎です。OBや澤風会会員でお時間ある方は是非BOXにいらしてくださいませ。

ただし、順番は適当で早い者勝ち、というルールなので、早く来ないとあてにしていた仕舞が舞われてしまう恐れありなのです。どうか御注意をお願いいたします。

私の謡の覚え方

以前のブログで、新幹線で謡を覚える話を書きました。

その時に具体的な覚え方は改めて、と書いたので、今日書いてみたいと思います。

あくまで私の個人的な方法です。

①覚え難いと思う曲の場合、本番2週間前位から本を持ち歩きます。

②最初は覚えるつもりでなく、本を読む感覚で1回だけ通して見て、その場は終わりにします。後は普通に文庫本を読んだりします。

③これを1週間位続けます。大事なのは、間違った謡は絶対に誦んじない事です。眼で見て合っている謡を、1回だけ集中して見ます。

④1週間前位からは、地謡を細かく区切って、区切ごとに今度は覚えるつもりで繰り返し見ていきます。

すると、前の1週間で頭に謡が少しだけ刷り込まれているので、不思議と半分位迄はすんなり記憶出来ます。

⑤更に繰り返していくと、本当に覚え難い苦手な部分が残されて、最終ターゲットがはっきりします。

⑥あとはその最後の敵(?)に集中して、覚え倒します。

⑦一度全曲記憶したと思っても、またポッカリ忘れる部分もあるので、翌日また同じ事を繰り返します。

間違った謡を一度も誦んじていなければ、本番で一瞬頭が空白になっても、咄嗟に合っている謡が出てくることが多いです。

…そうは言っても、舞台が重なる時などは、悠長な事をしていられないので④だけを必死でやる、という事もままあります。

「正座の痺れ」と「覚え難い謡」には、生涯悩まされる事になりそうです。。

「荒い」と「柔らかい」

「荒い」と「柔らかい」。

能では何に使う形容詞だと思いますか?

これは仕舞を形容する時に使うのです。

「荒い」仕舞とは、修羅や鬼神などがシテの動きの激しいものを指します。

「柔らかい」仕舞は、美しい女性や女神、或いは高貴な男性などがシテの、優美でゆったりした動きのものです。

私自身の考えは、最初のうちはこれらを交互に稽古すると、「荒い」型と「柔らかい」型がバランス良く上達出来ると思っています。

しかしこれも好みがあるので、例えば「天狗が好きなので、天狗がシテの曲をとりあえず全部稽古したい」という人もいます。

これはこれで有りだと思います。天狗物を究めた後に、全然違うジャンルの曲を稽古すると、芸の幅がそこで広がることもあります。

ちなみに今日の京都下鴨稽古場では、昨年船弁慶キリという荒い曲を舞われた方が、今度は柔らかい半蔀クセを稽古されました。

今回はこの選曲が良くハマって、船弁慶とは別の方が舞っているようなお淑やかな雰囲気になりました。

その旨をお伝えしたら、「いえいえ内面が伴ってないから〜」と謙遜されましたが、寧ろ内面的には変わらずに、演技で別人格を表現出来るのがすごい事なのだと思います。

お弟子さんが芸の幅を広げていくのを見ると、私は自分の事のように「おお!嬉しい!」と思ってしまいます。

明日もまた別の場所で稽古です。

「おお!嬉しい!」という瞬間が、明日もあると良いです。

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旧BOXの冬稽古

京大ではサークル活動の部室を昔から「BOX(ボックス)」と呼びます。

能楽部のBOXは一昨年までは京大体育館の裏手にありました。

立派な舞台がありましたが、エアコンは無く、冬は古い石油ストーブで暖を取っていました。

ところが私が現役の頃の京大宝生会の稽古では、「窓を閉め切って稽古すると、声が実際より大きく聞こえてしまって良くない」という理由で一年中BOXの窓を全開にして稽古する慣わしでした。

地謡座の真後ろは北向きの大きな窓だったので、冬は容赦無く北風が吹き込んで来ました。

石油ストーブは稽古中は殆ど役に立たずで、しかも大学支給の灯油が切れる時もありました。

この週末のような寒波では、BOXは本当に歯の根が合わない寒さでしたが、「謡って舞えば暖まる!」とガンガン稽古していました。

今のBOXは最新のBOX棟の地下に入り、前より更に立派な舞台とエアコンも完備なので、冬でも暖かく稽古出来るようになりました。地下なので当然窓は閉めて稽古しています。

今のBOXしか知らない世代も声は大きいので、旧BOXの窓全開稽古の意味は果たしてあったのか…?とも思ってしまいます。

しかしあれはあれで、鍛錬としては良い経験だった気がします。

懐かしい冬の思い出です。

高校生鑑賞能

今日は大阪で高校生鑑賞能がありました。

私は地謡で参加いたしました。

4年ほど前に始まった催しですが、運営がとても丁寧で素晴らしい企画です。

回を重ねるごとに観客が増えて、今回は正面はほぼ満席で、脇正面までたくさんの学生さんが来てくれました。

私は大学の能楽部でのみ指導しておりますが、関西には高校の宝生流能楽部もいくつかあって、その卒業生が大学でも能楽部に入ってくれる、という流れが出来てきています。

京大宝生会にもそんな学生がいて、「数年前、高校の時に高校生鑑賞能に行きました」と言っていました。

今日来てくれた高校生の中からも、大学に入って能楽部に入ったりして、長く能と親しんでくれる人が出てくれるととても嬉しく思います。

小川芳先生のこと

今日は今月初めての京大宝生会の仕舞稽古でした。

冬の寒い日に京大稽古に行く時には、私が京大時代に稽古を受けた小川芳先生のことを必ず思い出します。

当時小川先生は、同志社大、京都女子大、京大宝生会で、普段の仕舞稽古を一人で指導されていました。

身寄りは遠くに住む親戚だけで、京阪藤森駅前の団地に一人で住んでおられました。

小柄な先生でしたが、品のある端正な舞姿で、稽古もきちんと正確な型を熱心に教えてくださり、時には厳しく指導されることもありました。

また稽古以外でも、食べることとお喋りがとてもお好きで、我々現役部員やOBを事ある毎に食事やお茶に連れて行ってくださいました。

私の京大宝生会時代は小川先生を抜きには語れず、あの熱心な稽古が無ければ能楽師を目指す事も出来なかったかもしれません。

小川先生はもう20年近く前の1月の終わりに亡くなられました。

告別式は今日のような雪まじりの寒い日に、藤森の団地の小さな集会所でありました。

驚いたのは小さなその集会所から、藤森駅に向かって弔問客の長蛇の列が出来た事です。

大部分が小川先生に稽古を受けた学生とOBで、その数は雪の屋外にも関わらず、200人を越えていました。

何よりも我々学生の事を考えてくださり、学生の指導に捧げられたような先生の人生。

その事実がその時改めて、私の中に本当に強烈に印象付けられました。

京大宝生会ではまだまだお世話になった先生方がいらっしゃるので、また改めて思い出を書いて参ります。