昨日の稽古の時に、あるお弟子さんが「桜色の着物で桜川を舞いたい」というお話をされていました。
その流れで桜川の能装束の写真をお見せした所、とても驚かれました。
「桜色じゃないのですね!」
能桜川のシテは、浅葱色の水衣を纏い、腰から下は同系の濃い浅葱色か、萌黄色の縫箔を着けています。
これは専門用語では「色無」と言われて、色無のシテは紅系統の色が一切入っていない装束のみを身につける決まりになっているのです。
つまり「桜川」にもかかわらず、舞台上には桜色は全く見当たらないのです。
シテは桜の花を掬う為の網を持っているのですが、そこにも花弁は載っていません。
観る人の想像力に訴えかけるというのが能楽の大事な要素なのですが、桜川は正にその真骨頂と言える曲だと思います。
場所は桜川、探す子供の名前は桜子、謡の中には「桜」「花」という文字が無数に散りばめられています。
無いのは本物の「桜」だけ。観客それぞれが記憶の中の「桜」を舞台上に投影させることで能が完成するのです。
折しも各地で桜が咲いています。川面に美しく散った花弁も其処此処で見られることでしょう。
その綺麗な風景を眺めて、出来ればその時の心象とともに記憶して、いつか桜川の舞台を観る時に思い出していただけると良いかと思います。
…しかしこれは能桜川のお話で、冒頭のお弟子さんのように仕舞や舞囃子を桜色の着物や桜模様の扇で舞うのは、とても素晴らしいことだと思います。