桜色はどこに?

昨日の稽古の時に、あるお弟子さんが「桜色の着物で桜川を舞いたい」というお話をされていました。

その流れで桜川の能装束の写真をお見せした所、とても驚かれました。

「桜色じゃないのですね!」

能桜川のシテは、浅葱色の水衣を纏い、腰から下は同系の濃い浅葱色か、萌黄色の縫箔を着けています。

これは専門用語では「色無」と言われて、色無のシテは紅系統の色が一切入っていない装束のみを身につける決まりになっているのです。

つまり「桜川」にもかかわらず、舞台上には桜色は全く見当たらないのです。

シテは桜の花を掬う為の網を持っているのですが、そこにも花弁は載っていません。

観る人の想像力に訴えかけるというのが能楽の大事な要素なのですが、桜川は正にその真骨頂と言える曲だと思います。

場所は桜川、探す子供の名前は桜子、謡の中には「桜」「花」という文字が無数に散りばめられています。

無いのは本物の「桜」だけ。観客それぞれが記憶の中の「桜」を舞台上に投影させることで能が完成するのです。

折しも各地で桜が咲いています。川面に美しく散った花弁も其処此処で見られることでしょう。

その綺麗な風景を眺めて、出来ればその時の心象とともに記憶して、いつか桜川の舞台を観る時に思い出していただけると良いかと思います。

…しかしこれは能桜川のお話で、冒頭のお弟子さんのように仕舞や舞囃子を桜色の着物や桜模様の扇で舞うのは、とても素晴らしいことだと思います。

桃源郷へ

今日はまた松本稽古でした。

先日の稽古では甲府盆地の桃が全く咲いて無くてがっかりしたのですが、今日はどうでしょうか。奥多摩から暫く続くトンネル地帯を抜けると…

おお!桃の花が!

そこはもう桃源郷と言って良い風景でした。街中至るところ満開の桃なのです。

車窓からなのでピントがいまいちですが。

桃と菜の花の競演です。

写真には上手く写りませんでしたが、遠く雪を戴く富士山の姿も見えました。右隅を拡大するとかすかに写っています。

電車で行けるので、厳密には桃源郷というのは間違いで、三笑の慧遠禅師もこんな大きな町はお好みで無いでしょう。

しかし本当に夢のような風景なので、お時間がある方は今週中くらいに是非甲府盆地にお出かけすることをお薦めいたします。

謡いまつがい

昨日、いただいたお菓子を食べる時に「かぼちゃ」「くるみ」味と食べて最後に食べたのが下の味でした。

…「どんもーあ」。新しい植物だろうかと思い、その字で検索までしてしまいました。。

ずっと気になって、布団に入っても考えているうちにハッと気がついて一人赤面しました。

最近はまた、メールで「どうもありがとうございません」と送ろうとして、すんでの所で気がつくということもありました。

自らの言語能力に自信が無くなっている今日此の頃です。

謡本においては、元々が難解な上に、記号がまるで読み仮名のようについているので、言い間違いならぬ謡い間違いが起こりがちです。

私の経験したのは、例えば…

・敦盛…敦盛キリの「盛」の部分の横に「トリ」の記号が書いてあり、「熊谷の次郎直実逃さじと追っかけたり。敦トリも〜!」

・紅葉狩…後ワキ「夢の告げと〜」の「告げ」の横に「ステル」の記号があり、「夢のステ〜!」

また、記号も関係無しの謡まつがいとしては、

・右近…キリの「おさまる都の花盛り〜」を「おさまる都の花飾り〜」

すごい所では、

・右近の同じ所で「おさるの都の花盛り〜!」

というのがありました。

その場では、内心ちょっと笑ってしまったりするのですが、そこで謡本の書き方の難しさや、当たり前に謡っている部分の謡いにくさを再認識できたりするのです。

今日のネタのどれかが自分のことだと思われた方は、大変申し訳ありません。

冒頭の私のネタを、よろしければ何処かでお使いくださいませ。

iPhoneから送信

四条五条の橋の上

京都はこの週末、桜が満開です。

街中は正に能「熊野」の「四条五条の橋の上           老若男女  貴賎都鄙  色めく花衣〜」の謡の風景を現代に置き換えたような状態で、大変な人出でした。

海外からの観光客が多いのが当時と一番違う所でしょうか。

今日は雨模様になってしまいましたが、昨夜は京大稽古の後で部員達と円山公園まで歩いて花見に行きました。

円山公園では佐野藤右衛門さんの枝垂れ桜が丁度満開になっていました。


細かい雨は降っていたのですが、「桜狩  雨は降り来ぬ  同じくは  濡るとも花の陰に宿らむ」の心で傘は使わずにお花見をしました。

上の和歌が折り込まれた能「右近」は、来週15日に私が能「百万」を舞う五雲会にて、亀井雄二さんが舞われます。

春の曲が揃った今回の五雲会です。能楽堂で春を体感しに、是非お越しくださいませ。

五雲会は水道橋宝生能楽堂にて、4月15日(土)正午始です。

夢の無い話

今日は、とある町のホールでの演能です。

私は切り組みの立衆でした。

開演時間が近付き、鏡の間にあたるスペースで装束を着けることになりました。しかし…

私「すみません、楽屋に忘れ物をしました。。」

あろうことか、ひとつ下の階にある楽屋に胴帯を忘れてしまったのです。普段は決してしない凡ミスです。

「すぐ取って来ます!」一番近くにあった階段で急いで下に降りました。

ところが、楽屋がある筈のそこは駐車場でした。「来る時と違う階段を降りたからかな…」ちょっと焦りながらも、このフロアに楽屋があるのは確かなので、あちこち走りまわって探します。

しかしどうしても楽屋が見つからず、ついに開演時間が来てしまいます。

「どうしよう、舞台に穴をあけてしまう!」と狼狽えながら、胴着一枚の姿で走っている所で目が覚めました。。今朝の事です。

この手の能役者にとっての悪夢は、シテが間近に迫って来るとかなりの高確率で見てしまうのです。

例えば舞った事の無いシテを稽古無しでやる夢や、「猩々の前シテ」を勤める事になっている夢も見ました。

周りの先輩に型を聞いても何故か誰も教えてくれず、いよいよ追い詰められた所でハッと目覚めるパターンです。

内容が酷い分、目が覚めて夢だとわかった時の安堵感はとても大きく、「夢で良かった〜!現実では頑張ろ。」と思うのでした。

夢の無い夢のお話でした。

新たなスタート

今日は澤風会が終わってから初めての江古田稽古でした。

皆さんそれぞれ新しい仕舞を決めて、また次の舞台に向けてスタートを切りました。

最高齢90歳のお弟子さんも元気に次の曲「養老」の仕舞を稽古されました。

そして謡も今日から新しい曲「田村」の鸚鵡返しを始めました。

桜咲く4月の初め、街中には如何にも新入社員、見るからに入学式帰りの大学新入生、と言った人達が溢れています。

こういう春の新鮮な雰囲気の中で、気持ちも新たに稽古を開始するのは、大変に気分が良いものです。

しかも田村の鸚鵡返しで桜が満開の清水寺の風景を謡っていると、「今自分は他の人よりも深く濃厚に春を体感している」と思われました。

日本の四季折々の美しさを、普通よりも鮮烈に濃密に味わえるのは、謡や仕舞の稽古をしている人だけの特権だと思います。

稽古を終えて、「春宵一刻  値千金 」と頭の中で謡いながら、江古田稽古場前の中学校の満開の桜を眺めて帰路につきました。

曲名看板2

今日は緩めの回です。以前載せた曲名看板シリーズその2です。

こう見えても、実は身分の高い超イケメンの店主がやっている居酒屋、かも知れません。

きっと容姿端麗で教養も高い女将がいて、最高級の接待が受けられる宿、のはずです。

あれ、何か一文字足りないような…

  

「島」でした。

今回は以上です。またネタがたまったら第3弾もやりたいと思います。

見学者第1号

昨夜の京大宝生会稽古は現役部員や新OGが引っ切り無しに出入りして、何となく舞台の本番のような華やかなざわつき感がありました。

今週からいよいよ新入生が大学にやって来て、本格的な新歓が始まったのです。

とは言え昨日はまだ京大生協のイベントがあるだけで、その出入りに合わせてビラ撒きをしたものの、BOXまで新入生が見学に来ることは無さそうでした。

ビラ撒きが一段落してようやく通常の稽古に入って暫くした頃、「あれ、K君がいない」誰かが気付きました。

さっきまでいた筈の新3回生K君が何処かに行ってしまいました。

しかし京大においては、急にふらりといなくなる人は決して珍しく無いのでそのまま淡々と稽古を続けていました。すると…

19時半頃になってBOXの扉が開き、K君が顔を出しました。「ああ、帰って来た」と思ったら、K君の背後に見慣れない男の子の姿が…。

K君「新入生です。吉田食堂の前で声をかけて連れて来ました」

なんと!新入生見学者第1号です!

「京都の北部から来た1回生の○○です。理学部です」

ぎこちない自己紹介の後、こちらも現役、OGの順にやはり何と無く照れ臭そうに名前、学部、出身地を名乗りました。

これから1〜2ヶ月の間おそらくこの光景が繰り返されるであろう、しかし記念すべき最初の見学者でした。

京大の場合、見学に来た日に入部する人は少なく、何回か来ているうちに慣れていって入部に至る、というパターンが多いのです。

彼もこれから何度か稽古に来て、是非とも入部してほしいと思います。

しかしふらりといなくなって新入生を連れて来たK君は、謎めいていますが素晴らしいです。

現役と若手OBOGの皆さん、これから新歓どうか頑張ってください!

桜守

能「田村」の前シテは、清水寺の桜の下で自分を「花守」だと言います。

「いつも花の頃は木陰を清め、明け暮れ木陰に」いるので花守と言うのだ、と。

現代においては「桜守」という人々がいて、これは花の時期に限らず、年間を通して桜の成育や手入れ、看病などの世話をする職人さんのことだそうです。

最も著名な桜守は、京都嵯峨野に代々続く造園家の「佐野藤右衛門」さんです。

有名な円山公園の枝垂れ桜も佐野藤右衛門さんの育てたものです。

この佐野藤右衛門さんの枝垂れ桜が、実は大山崎稽古場の宝寺にもあるのです。まだ小さい木ですが、毎年綺麗な花を咲かせます。

今年は花が遅いので、まだ下の写真のように蕾が固い感じです。

しかし二週間後にある珍しい追儺式の「鬼くすべ」の頃には満開になっているかと思われます。

「鬼くすべ」はまた別稿で詳しく書きますが、毎年4月18日の14時頃から宝寺本堂で行われる儀式です。

宝生流の謡の奉納もあります。お時間のある方は是非お越しいただき、桜守が育てたという枝垂れ桜も御堪能いただければと思います。

甲府盆地の桃の花

昨年の4月上旬の事です。松本稽古に向かう為に、いつものように新宿から特急あずさに乗りました。

八王子を過ぎて奥多摩辺りまで来ると、電車はトンネル地帯に入ります。

小一時間ほどトンネルを出たり入ったりした後、広々とした甲府盆地を見下ろす高台に出るのですが、そこで目を見張りました。

多少美化された記憶ではありますが、その時の甲府盆地は満開の桃の花で全体が淡いピンク色に埋め尽くされていたのです。

数年前から通っていた松本稽古ですが、このような美しい甲府盆地を見たのは初めてで、また桃がこんなに綺麗な花だと思った事もそれまでありませんでした。

西王母の誕生日が旧暦3月3日だと先日書きましたが、今の暦だと丁度4月上旬にあたります。

三千年に一度だけ実る桃があるという西王母の園は、おそらくこんな感じなのでは、と思われる夢のような風景でした。

そして今日。また松本稽古がありました。

今年は桜も遅いので、桃もまだだろう、しかし少しだけでも咲いていないかな…と期待しながらトンネルを抜けると…

桃の花は見事に全くありませんでした。。

むしろまだ梅が咲いていて、周りの山々は白く雪を戴いています。

春は名のみの甲府盆地でした。

またいつかあの、西王母の世界のような桃の風景を見てみたいものです。