大仁稽古場への坂道

今日は伊豆の大仁稽古でした。

大仁稽古場へは、伊豆箱根鉄道の「田京」という駅を降りて、東へ向かって山を登って行きます。

中々の急坂です。

途中で振り返ると…

伊豆長岡の「葛城山」が見えます。

ロープウェイもあるこの山は、御釈迦様が寝ているようにも見える事から「寝釈迦山」とも呼ばれるとか。

坂道自体は車道ですが、道の両側は緑に覆われており、鶯の囀りや蛙の合唱を聴きながら登っていくのは「放下僧クセ」のような風情でとても良い気分です。

遠くには薄っすらと富士山の影も見えます。

この急坂を10分程登ると稽古場の公民館があります。

急坂の先の稽古場と言えば「大山崎稽古場」の「宝寺」に向かう坂道が思い出されます。

(2017年2月20日のブログにこの坂道の事を詳しく書きました)

しかし実は宝寺は現在本堂などの改修工事中で、もう1年以上あの長くて急な坂道を登っていないのです。

何かちょっと寂しい気がして、早くまたあの急坂を登って大山崎稽古に行きたいと願っております。

みかん色の街

昨日今日と「松山城二ノ丸薪能」に出演するために愛媛県の松山に行っておりました。

愛媛県と言えばなんと言っても「愛媛みかん」が有名ですが、松山市内はこの「みかん」の色で溢れていたのです。

バスも”みかん色”

路面電車も…

普通の電車も全て”みかん色”で統一されています。

ゆるキャラも、みかんと犬が合わさった「みきゃん」です。

最近は「こみきゃん」や「ダークこみきゃん」など、キャラが増えてきたようです。

そして食べ物では…

空港の売店で見た「みかんごはん」が衝撃的でした。

ちょっと怖くて買えませんでしたが…

しかし、「愛媛みかん」そのものはやはり美味しいです。

今朝空港で飲んだ100%オレンジジュースは本当に美味しくて、普段ほとんどオレンジジュースは飲まない私が思わずおかわりしてしまいました。

ここまで名産品のカラーにこだわる街も珍しい気がします。

松山もまた面白い街でした。

やはり「みかんごはん」買えば良かったか…

2024年松山城二ノ丸薪能

今日は「松山城二ノ丸薪能」に出演して参りました。

6年前の2018年5月10日のブログに前回の二ノ丸薪能の事を書いておりますので、あれから6年ぶりの松山という事になります。

薪能の舞台はやはり滴るような新緑と重厚な石垣を借景にした、非常に趣きのあるものでした。

舞台の前に天守閣も見に行きました。

司馬遼太郎が、四国最大の城でありながら辺りの風景が優美なために厳しく感じられない、と書いているように、何処となく安心感を与えてくれるような落ち着いた城構えでした。

お城周辺には何故か猫がたくさんいて、薪能の間にも「ニャア」という声が微かに聞こえてきて、それも何か優しい感じがしました。

伊勢神宮の舞楽

今日は久々に仕事で伊勢神宮に行って参りました。

実はこの書き出しは、丁度6年前の2018年4月29日の「伊勢神宮の舞女さん」というブログの書き出しと全く同じなのです。

その時は、神楽の時に「舞女」さん達が三宝などを神前に御供えする動きに感銘を受けたという事がブログに書いてありました。

今回も同じように神楽を拝見しました。

やはり「舞女」さん達の作法や、「倭舞」という4人での舞は見事でした。

しかし今回の神楽で特に「これはすごい!」と思ったのは、男性が面をつけて舞う「舞楽」でした。

緑色の面に、黄色を基調にした装束だったと思います。

舞楽の知識は何も無いのですが、舞人の足運びや、浮き沈みする動き、面をかけているのを感じさせないスムーズな移動などを見て、この舞人は名手だろうと確信しました。

後で調べると、今日の舞楽は「高麗楽(こまがく)」を伴奏とする「納曽利」という舞楽だったようです。

動画もいくつか見つけたのでまた見てみようと思います。

そして今日改めて気がついた事がありました。

「倭舞」も「納曽利」も、神様に向けて奉納されるので我々参拝者は舞の大半を”後ろ姿”しか見られない事になるのです。

それでも演者の力量によって、後ろ姿だけで「上手いなぁ」と感じさせる事ができるのです。

能楽もその昔は同じように、見所は横と後ろにしか無かったそうです。

その時代の観客は、今日の私のように”後ろ姿”に感銘を受けたのでしょう。

またもう一つ、「倭舞」も「舞楽」も、参拝者がどんなに感動しても”拍手”をする事はありません。

もちろん神様も拍手はされないわけで、あれだけの技芸を見せた舞人達が、喝采を受ける事なく静かに退場していくのもまた神楽の潔さ、美しさだと感じ入ったのでした。

拝見する度に違うところに感銘を受ける伊勢神宮の御神楽です。

またいつか拝見するのを楽しみにしたいと思います。

鞄の代替わり

私の持ち物の中で、「鞄」は大変重要な位置を占めています。

移動の多い生活なので、鞄の機能性によって旅の快適度は大きく左右されるのです。

収納性、ポケットの数、ファスナーの位置と開く方向、キャスターの数などなど、色々と拘って選んだ鞄は、ある意味で「人生の相棒」とでも言える存在なのです。

その鞄が壊れてしまいました。。

こんな形のキャリーバッグです。

ドイツ製の頑丈な作りで、2輪の大きなキャスターは無茶な引きずり方にもよく耐えてくれました。

この鞄を買った時の思い出があります。

大阪で「道頓」という新作能があった時に、会場の道頓堀に行く途中に”先代の鞄”のキャスターが壊れて、慌てて近くの難波アーケード街の鞄屋さんに駆け込んで購入したのが上のキャリーバッグだったのです。

その難波の「ジャガー鞄店」が大変素晴らしいお店で、私の好みにぴったりの上のバッグとすぐに出会えたのでした。

新作能「道頓」を調べてみると2015年上演だったので、もう8年以上前のことになります。

そして今日。

関西で昼間に時間があったので、難波の同じ「ジャガー鞄店」に足を延ばして、8年ぶりの新しいキャリーバックを購入いたしました。

色々吟味して買って鞄ですが、まだ慣れるまでは時間がかかると思います。

これからの移動の日々の中で、だんだんと「相棒」としての協力関係を築いていきたいと願っています。

アクティブな皆さん

今日は松本稽古でした。

2月18日のブログで、松本稽古をお休みされる方々のお休みの理由が、

「種子島でH3ロケットの発射を見るので」

「雪山でイグルー作りの講習会をするので」

「世界一周旅行をするので」

というそれぞれ大変羨ましいものである事を書きました。

今日の松本稽古場には、種子島でロケット打ち上げを見た方や、雪山イグルー作りの達人がいらしてくださいました。

そして世界一周旅行の方も、約1か月の旅行を終えて無事帰国されたと聞きました。

皆様お元気そうで何よりでした。

イグルー達人の方は、昨日まで雪山に入っておられて、まだ今シーズンもう一度イグルー作りに山に行かれるそうです。

寒い冬もアクティブに乗り切られた松本稽古場の皆様です。

これから春になって、一層精力的に動いていかれることでしょう。

また色々な面白いお話を聞かせてもらいたいと楽しみにしております。

筑波山”下山”記

自治医大合宿は下のような素敵な雰囲気の古民家ゲストハウスで行われました。

午前中に稽古を終えて、昼頃に宿をチェックアウトして、合宿は無事終了いたしました。

そしてその後は全員予定が無い事が判明したので、日が暮れるまでの間に「筑波山」に行ってみようという話になったのです。

山麓の「筑波山神社」に到着したのが13時半頃。

登山にはちょっと遅いので、ケーブルカーを使って一気に山頂に行く事にしました。

ケーブルカーは10分足らずで筑波山山頂駅に到着します。

山頂駅は男体山と女体山の中間部にあり、我々は「女体山」経由で、巨石や奇岩の多いという「白雲橋コース」を通って下山することにしました。

山頂からは黄砂に霞んではいましたが、関東平野や霞ヶ浦が見えて絶景でした。

またちょうど時期が良く「カタクリ」が咲いているのも見られました。

道は中々の急坂です。

しかし途中ですれ違った登山者の中には高齢の女性や小さな子供、また小型犬を連れた人までいて、皆さん健脚でびっくりしました。

そして山道の途中に確かに様々な巨石奇岩が点在していました。

「ガマ石」や…

「裏面大黒」など、個性的な名前が付けられています。

ここは何と「高天原」と呼ばれており、この先には神々が座す天上世界があるというのです。

またこの山にも「弁慶」に関係する場所がありました。

これは「弁慶七戻り」で、巨岩が落ちそうで恐れた弁慶が七回後戻りしたという伝説があるそうです。

弁慶は修行でここまで来たのでしょうか…

急だった山道も、ようやく緩やかになって来ました。

そして程なく、無事に麓の鳥居まで降りて来る事ができました。

今回は時間の制約があって、登山というより筑波山”下山”でした。

また機会があれば、次回はちゃんと”登山”して、男体山にも登頂してみたいです。

自治医大合宿は筑波山観光まで付いて、大変盛りだくさんなものになりました。

自治医大宝生会の皆さんありがとうございました。

840年前の今日

能「敦盛」、「忠度」、「箙」など色々な曲の舞台となった「一ノ谷の合戦」。

旧暦の寿永3年2月7日にあった源平の戦です。

これを西暦に直すと、1184年3月20日。

つまり840年前の今日にあたるのです。

今日は関西の稽古日だったので、夕方に終えてから思い切ってその「一ノ谷の合戦」の舞台まで足を伸ばしてみました。

三ノ宮駅で降りて北に向かう道は「イクタロード」。

その先に見えているのは…

生田神社です。

楼門のすぐ手前の左手に、本日の一番の目的の木がありました。

そう、「箙の梅」です。

きっとこの梅の何代か前の先祖を、梶原景季が手折って箙に差したのでしょう。

840年前には満開だったはずですが、現代の3月20日では勿論花は全く残っていませんでした。

拝殿にお参りして、その裏手にある「生田の森」に向かいます。

この森で平敦盛の霊が、息子とつかの間の再会を果たしたのでしょう。

今日の謡蹟散歩はここまで。

昨日の本郷界隈とは打って変わって慌ただしい行程でしたが、ちょうど840年前のこの日この場所に想いを馳せる事が出来て非常に感慨深い時間でした。

本郷界隈を抜けて

今日は水道橋宝生能楽堂に用事があり、時間に余裕があったので三ノ輪から歩いていこうと思い立ちました。

自宅から能楽堂へはしばしば歩くので、いつもコースを変えています。

今回は日暮里繊維街から谷中墓地を抜けて、東京芸大の手前で右折して不忍通りに降りていきました。

そこでふと、「東大本郷キャンパスを通っていこうか」と思いました。

不忍通りから少し入った所に小さい門があり、芸大にいた頃東大病院に用事があり、何度か通っていたのです。

久しぶりにその「池之端門」をくぐろうとして、目の端に「弁慶」という文字が入ってきて思わず立ち止まりました。

なんとこの井戸はその昔義経一行が奥州へ落ち延びる途中で、武蔵坊弁慶が発見したという「弁慶鏡ヶ井戸」だそうなのです。

まさか東京の真ん中、東大キャンパスのすぐ横に弁慶に纏わる史蹟があるとは驚きでした。

芸大の頃は全く気がつきませんでした。

キャンパスに入って本郷通り方面に坂を登っていきます。

途中「東大剣道部」「東大柔道部」の看板のある、とても味わいの深い重厚な建物などがありました。

更に行くとまた下り坂になり、坂を下りたところにはかの有名な「三四郎池」があります。

この池、元々は加賀藩ゆかりの庭園の一部で正式名称は「育徳園心字池」というそうです。

加賀藩と言えば能楽宝生流とは深い繋がりがあり、その後に能楽愛好家でもあった夏目漱石の小説から「三四郎池」と呼ばれるようになった訳で、この池は能楽と実は浅からぬ縁があったのですね。

三四郎池の周囲は木々の中の遊歩道になっていて、これは京大における「吉田山」に近い存在感だと思いました。

そして安田講堂に向かっていくと、途中で見慣れない格好で写真を撮っている人達を見かけました。

どうも大学院の卒業生のようです。

よく見ると安田講堂の入り口に「学位記授与式」とあり、どうやら明後日が大学院卒業式のようでした。

さっきの人達は前もって記念写真を撮っていたのでしょう。

そして赤門から本郷通りに出て、壱岐坂を下って宝生能楽堂に向かいました。

今日も色々と新しい発見があり、良い散歩道でした。

もう少し後の桜の時期にも歩いてみたいと思いました。

名古屋申合からの散歩

今日は朝から名古屋に出張しました。

日曜日開催の「桃華能」の申合があったのです。

私は能「藤栄」の地謡でした。

この「藤栄」のサシとクセは、実は能「自然居士」と全く同じ文句と節なのです。

全く同じなら全然大丈夫なのですが、他の箇所にも「自然居士」と似ている処があり、そちらは途中で微妙に文句が変わるのでやや厄介なのです。

私はつい先日まで神保町稽古場で「自然居士」の謡稽古をしていたので、油断するとそちらの謡が出てきてしまいそうです。

注意しながら「藤栄」申合を終えました。

あとは帰るだけなのですが、せっかく久しぶりの名古屋なので、名古屋能楽堂から名古屋駅までブラブラと歩く事にしました。

途中で食べた昼ごはんは…

鶏のトマトチーズ丼。

全然名古屋っぽくは無いのですが、美味しかったです。

付いてきたお味噌汁は赤出汁で、こちらは正しい名古屋の味でした。

昼ごはんを終えて更にブラブラ行くと、古い店構えの小さな和菓子屋さんを発見。

豆大福を買って、帰りの新幹線で美味しくいただきました。

途中の「那古野」辺りの裏通りには、明治時代の建築や古い街並が残っていて、しみじみと良い散歩道でした。