ズボンさんごめんなさい

今日はまたゆるいお話です。

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このひと月程の間に、稽古に使っているチノパンが2本も駄目になってしまいました。

どちらも右膝部分に穴があいてしまったのです。

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以前から私のズボンは例外なく「右膝部分」だけが先に傷んできます。

自分ではそんなに右膝だけに負担をかけている意識は無く、左右均等に使っていると思っておりました。

確かに仕舞を始める時の「下ニ居」の型では宝生流は右膝を突きますが、それだけでズボンに穴があくとは思えません。

不思議なことだと思っていたのです。

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それは大原での京大宝生会夏合宿の時のことでした。

私は夏合宿では、暑いので短パンで仕舞の稽古をしています。

「田村キリ」の稽古で、右膝を突いて下ニ居しながら引分をして、シテ謡「あれを見よ不思議やな」と謡いながら、右膝を軸に少しだけ回転する型がありました。

「不思議やな」とズリッと回転したところ、「いででで!」右膝が物凄く痛いのです。

檜舞台では滑りが良いので大丈夫なのですが、合宿所は畳なのでした。

「畳の上で右膝を軸に回転する」というのがこれ程までに強い摩擦を生むとは、驚きでした。

他にも「清経キリ」の後半で太刀をしまってから、やはり右膝を軸にツレへと向きを変える所などは、角度が大きい分痛さも「いでででででで!」と田村キリの倍くらいになります。

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この痛みを普段は右膝の代わりに、私のズボンが引き受けていてくれた訳です。

しかも私の稽古場は大半が畳敷きなのです。

「これはさぞかし痛かっただろう」と、ズボンに申し訳ない気持ちになりました。

そしてここ最近は郁雲会澤風会の稽古が多く、更に右膝部分を酷使してしまったので、何本かが耐えられなくなって破れてしまったのでしょう。

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今日も西荻稽古で、「ズボンさんごめんなさい!」と思いながら畳敷きの和室で稽古しました。

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因みに左膝を突くことが多い「金剛流」や「金春流」ではズボンは左膝から破けるのか、今度若手の友達に聞いてみたいと思います

京大黄金コース

昨日は後期試験期間を挟んでの久しぶりの京大稽古でした。

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現四回生はもう追いコンも終わって、実質OBになっています。

なので事実上最上回生となった現三回生を中心にした稽古体制でした。

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仕舞は新しい曲が多かったのですが、すでに地謡と合わせて稽古している部員も多くいました。

「次は三山です」などと声がかかると、わらわらと何人かが立ち上がって、地謡座に座っていきます。

一度に6人ほど並んでしまったり、地頭を譲り合ったり、この時期特有の少々緩やかな雰囲気の地謡でしたが、難しい曲でも果敢に地謡に挑戦する姿勢はとても良いと思いました。

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稽古の合間には、「今度の関西宝連の舞囃子の件ですが…」「今年出す能の曲の候補ですが、○○は出せますでしょうか…?」「関西宝連で三輪、全宝連で車僧の仕舞を出してもよろしいですか?」などなど矢継ぎ早に質問を受け、いつもながら彼らの前のめりなパワーには圧倒されました。

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そして前向きな稽古だけでなく、楽しいイベントもちゃんと(?)あるようです。

一昨日の2月3日には追いコンがあり、卒業生へのプレゼント贈呈などで盛り上がった後に、二次会として吉田神社の節分祭りに行ったそうです。三次会は勿論京大能楽部BOXです。

それもある意味黄金コースで、大変羨ましく思いました。

二次会の節分祭りの夜店で買った「ピカチュウ」の面を付けた部員が、BOXで仕舞「加茂」を舞って、「ほ〜ろ〜、ほ〜ろ〜」と謡うところを「ピ〜カ〜、ピ〜カ〜」と謡いながら足拍子を踏んでいる動画を見せてくれました。。

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現役稽古の後には若手OB達がやって来て、郁雲会澤風会で出す素謡「大会」の稽古をして、終わると時計は22時半を回っていました。

思えば夜明けと共に東京を出発して、朝10時の大山崎稽古から始まった稽古尽くしの1日でした。

23時頃から現役部員や若手OB達と百万遍に行き、京大宝生会30年来の行きつけの店「なみなみ」で久しぶりに皆とゆっくり話をしながら遅い晩御飯を楽しみました。

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これもまた幸せな「黄金コース」なのでした。

吉田神社の節分祭り

今日は節分です。

去年の節分の記憶が全く無いのは何故かと思い、過去ブログを見てみると去年は七宝会の能「兼平」が2月4日にあったのでした。

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「節分」というと、例年の私は何となく浮き浮きとした気分になります。

何故かと言うと、京都吉田神社の「節分祭り」を思い出すからです。

京都では年間を通じて沢山のお祭りがありますが、実は私は吉田神社の節分祭りが一番好きなのです。

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京大の正門前を東西に通る道が「東一条通」で、その東一条の最東端に「吉田山」がゆったりと聳えており、さらにその吉田山の山腹に「吉田神社」があります。

普段は京大生が大勢行き交うこの東一条が、2月2日〜4日の「節分祭り」の時には全く違う顔を見せてくれるのです。

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東一条が東山通りと交差する角から、吉田山の山頂にある「吉田大元宮」にかけて、何百という夜店が極彩色の灯りをともしてズラリと立ち並びます。

その絢爛たる有様は、全国様々な夜店を見てきた私からしても、全国随一の規模だと思われます。

ちょっと現実離れした、不思議で妖しい魅力を持った空間が現出するのです。

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大学生活を謳歌していた頃の私の「節分祭り黄金コース」は以下の通りです。

①2月3日のまだ人が少なめの夕方に、先ず一度夜店をざっと冷やかしながら参道を登る。途中で「景品付福豆」、「恵方巻き(まだ全国区ではありませんでした)」、「節分祭り限定の日本酒・富士千歳」などを購入。空腹であれば「河道屋の年越し蕎麦(ここは節分の時に年越し蕎麦を出すのです)」を食べて、一度下山する。

②宝生会の稽古日ならば能楽部BOXへ、そうでなければ吉田寮の一室に行き、恵方巻きを黙って食べたり、日本酒を飲んだり、お好み焼きや焼きそばを食べたりして夜が更けるのを待つ。

③21時頃に再び吉田神社へ。吉田山中腹の本殿の辺りは、通勤ラッシュ並みの身動き出来ない混雑です。これは殆どが23時に始まる「巨大お焚き上げ」を見る為の人々なのです。23時になると、直径10m×高さ10mはあろうかという(記憶は多少誇張されているかも…)お焚き上げが始まり、巨大な炎が天を焦がすのを「おーっ」と歓声を上げて見守ります。

あまりの熱さに最前列の人々は間も無く後ろに退散してくるので、上手くすり抜けて最前列に行くことが出来ます。

④いい加減こちらも熱くなってくるので、後ろに退散して参道を更に登って「大元宮」に参拝します。大元宮の扉は普段は閉ざされており、年に一度節分祭りの期間だけ開かれます。

ここに参拝すると、何と全国すべての神社に参拝するのと同じ御利益があるということなのです。ここは気持ちを引き締めてお参りさせていただきます。

⑤そして再びBOXまたは吉田寮に戻り、福豆で豆撒きをして、冷えた身体を富士千歳で暖め直す。

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…これが黄金のフルコースでした。

能楽の道に進んでからは、何年かに一度素早く行ってすぐに帰る、ということが続いております。

去年は兼平の直前で行けず、今年も2月2日〜4日に東京で舞台があり、行けそうにありません。。

あと1時間ほどで「巨大お焚き上げ」が始まるはずです。

来年こそはまた京大宝生会の面々と、あの節分祭りの幻惑的不思議空間に行けることを願いつつ、今日はこれから明日の舞台の準備などして静かに休もうと思います。

ムーミン雪だるま

今朝携帯でニュースを見ると、「京大センター試験会場にムーミン多数出現」という謎の見出しが。

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??と思って本文を見ると、昨日のセンター試験で地理の問題に「ムーミン」が出て話題になり、おそらくそれを知った京大生が昨夜のうちに試験会場前に雪で「ムーミン雪だるま」を多数作っておいた、ということのようです。

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…。

いかにも京大生がやりそうなことです。

「面白いけど、アホやなぁ…」とか、「暇やなぁ、寒いのに…」と言った月並みな感想しか出てこなかったのですが、ふと考えてみると、「多数のムーミン雪だるま」が出現可能な程、昨夜雪が降ったのですね。

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昨日香里能楽堂で七宝会を終えて、17時半くらいに能楽堂を出た段階では全く雪は降っていなかったので、夜に入って急に強く降ったのでしょう。

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受験生の皆さんは、今年も雪の中で大変だったと思います。

無事にセンター試験が終わっていると良いです。

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因みに私は、京大受験の時は共通一次試験、東京芸大受験の時にセンター試験を受けました。

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センター試験の時は、住民票を左京区にしていた為か、幸運にも京大が試験会場でした。

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朝早く起きて先ず「高砂」を待謡から謡って気合を入れてから、自転車で京大に向かった記憶があります。

なのでその年は雪では無かったのでしょう。

会場の教養学部A号館の教室に入ると、試験官が見覚えのある教官で、一瞬怪訝そうに見られたのも覚えています。

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毎年のことなのですが、昨日今日とセンター試験を受けた受験生の中には、この春に京大宝生会に入部してくれる人がいる筈なのです。

どうか二次試験も良いコンディションで迎えられるように祈っております。

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そして無事京大に入学して、宝生会に入部してくれたあかつきには、「ムーミン雪だるま」の話など出来ると良いと思います。

木の間に光る稲妻は…

今日は冬型の気圧配置で寒い中、香里能楽堂にて今週土曜日開催の七宝会新春公演の申合がありました。

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能「葛城 神楽」の地謡を謡ったのですが、この葛城のクセに、「葛城や 木の間に光る 稲妻は」という歌が引用されています。

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稲妻というと、太平洋側で育った私は夏だけ見られるものだとずっと思っておりました。

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ところがある時、金沢出身の京大宝生会の後輩T君から、「金沢辺りでは、冬には雪が降る時に稲妻が光るので、葛城クセの内容は非常に良くわかります。」と聞いたのです。

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それはもう10年程前に、そのT君がシテを勤めて、京大宝生会が能「葛城」を出した時の話でした。あれは思い出深い演能でした。

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その年の秋。

京大宝生会は、葛城山上の国民宿舎で「葛城 能合宿」を敢行しました。

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夜に皆で外に出て、すすきが靡く山頂でT君が「葛城キリ」を舞った時のこと。

丁度地謡が「月白く雪白く…」という文句に差し掛かった所で、夜空を覆っていた雲が一瞬途切れて、雲間から一筋の月光がT君を目掛けてサッと射し込んできたのです。

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居合わせた全員が、鳥肌が立つような何とも言えない気分になりました。

「葛城の神様」という存在を強く感じたのです。

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この能合宿ではその後も、いくつも不思議なことがありました。

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そして11月半ばの本番の朝。

京都市内に季節外れの雪がぱらついたのです。

「葛城の神様がやって来たのだ」と皆で言い合いました。

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最後まで神がかっていたこの時の能「葛城」。

舞台が終わって数年後には、シテT君と地頭のWさんが結婚するという後日談まで付きました。

葛城の女神は縁結びの神様でもあられたのでしょうか。

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私はその後も現在に至るまで、稲妻と共に降る雪を見ることが叶わずにいます。

いつの日か見てみたいと願っております。

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因みに今度の七宝会新春公演での能「葛城」は、「神楽」の小書が付くので、通常の葛城をご存知の方は「おお!」と驚くような変化があると思います。

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香里能楽堂にて13日土曜日13時半始曲の七宝会新春公演に、皆さま是非お越しくださいませ。

今年も動く若手OB達

1年前の1月終わりに、金沢にて京大宝生会若手OB OGと、その仲間達約30人が集まっての「大稽古会」を開催して、大きな成果がありました。

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皆それぞれ仕事や学業が一番忙しい年回りのメンバーです。

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大稽古会では奇跡的に大勢が集まりましたが、その後はやはりなかなか大人数で集まる機会がありませんでした。

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しかし、その忙しさの中でも若手OB OG達は着実に活動しています。

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一昨日の日曜日の夜に、若手OBの一人からメールが来ました。

「明日の京都稽古に若手OB OGが集まるので、稽古よろしくお願いします」との事。

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そして昨日、紫明荘に代わる新しい京都稽古場のひとつ、「北文化会館」に6人の若手OB OGが来てくれました。

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稽古はとりあえず郁雲会に参加してくれる人の為の謡「大会」と、同じく郁雲会で出る能「巻絹」のツレ、そして仕舞「半蔀クセ」「野守」「歌占キリ」などが中心でした。

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しかし実は今年の後半に再び「大稽古会」を関西で開催する計画があり、その舞台に繋がる「邯鄲」の謡の稽古もいたしました。

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また昨日聞いた話では、昨年の大稽古会の中心だったドイツ在住の若手OBが、今月下旬に一時帰国して、関西OBの重鎮の方の謡稽古を受ける計画などもあるとのこと。

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京大宝生会若手OB OG達は、去年と同様に色々自主的に企画して動いてくれています。

頼もしい人達です。

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私は企画段階ではあまり役に立たないのですが、とにかく稽古を頑張って、その企画が成功する後押しを今年もして参りたいと思います。

成人式の頃

今日は成人の日だったのですね。

しかし私は終日京都の稽古だったので、新成人らしい格好の人を見ること無く終わりました。

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私の成人式は遠い昔の話ですが、かすかに覚えております。

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練馬区民だった私は、「豊島園」という遊園地での成人式でした。

江古田駅から豊島園行きの西武池袋線に乗ると、如何にも新成人らしい若者たちが沢山乗っています。

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不意に「澤田くん!」と声をかけられて振り向くと、全然知らないキラキラした女性がいました。

こんなキラキラした知り合いがいたかな?と一瞬怪訝な顔をすると、女性は「開三中の○○です。覚えてる?」

なんと、振袖姿の中学校の同級生だったのです。

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同級生の女子はそれから豊島園でも何人か見かけましたが、ほぼ例外無く一目ではわからない程に綺麗に着飾っていました。

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一方で男子は、「おお!お前全っ然変わらんなあ。ちょっとは成長しろよ!」と声を掛け合う程に、代わり映えのしない奴らばかりでした。。無論私も含めて。

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成人式の頃は、私は大学一回生でした。

京大宝生会にもまだそこまでハマっておらず、将来は森や自然に関わる仕事がしたいと漠然と考えておりました。

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椎名誠さんや、カヌーイストの野田知佑さんの本を読んでは、1人で山を歩いたりキャンプをすることに最大の喜びを感じていました。

あれから色々な事があって、思えば遠くへ来たものです。

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今日成人式を迎えた皆さん、本当におめでとうございます。

人生を強引に京大宝生会四年間に例えてみると、新成人の皆さんはまだ一回生が終わった辺りですかね。

これまで稽古したのは基礎的な型や謡で、これからいよいよ自分のやりたい曲を、どんなに難しくても頑張って稽古していくのでしょう。

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…そう考えると、私は現在三回生の半ばくらいに相当します。

良い最上級生になれるかどうかは、今頃の稽古にかかっている訳ですね。

新成人の皆さんに負けないように、頑張らなくては。

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七草の日

今日1月7日は五節句のひとつ「人日の節句」にあたる日で、「七草粥」を食べる慣わしがあります。

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考えてみれば、私はもう長いこと「七草粥」を食べておりません。。

しかし京大宝生会現役の頃は、毎年1月7日に小川芳先生のお供をして亀岡の大本本部に「七草粥」をいただきに伺っておりました。

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お正月前後は普段にも増して不摂生をしていましたので、7日に食べる七草粥は如何にも胃に優しく感じられて、また数々の掛け軸や焼き物やお花などを拝見して、心身共に健康になっていく気分になったものです。

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能には「七草粥」は出て来ませんが、「七草」という言葉が出て来る曲はあります。

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少々意外な曲「求塚」です。

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曲の冒頭、早春の野原に可憐な菜摘乙女が4人登場して、華やかに「春の七草の若菜を摘みましょう」と謡うのです。

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そこから暫くの間は、乙女達が旅の僧と会話をしたり、菜摘み唄を歌ったりと、一見長閑なシーンが続きます。

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ところがこの曲は前半のロンギという部分を過ぎた途端に、3人の男女の哀しく凄惨な悲劇へとガラリと変貌してしまうのです。

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爽やかな七草摘みの光景を、その後の地獄の有様との対比として使ってしまうとは、随分思い切った演出だと思います。

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「求塚」は非常に難しく、大切に扱われる奥伝の曲ですので、私のような若輩者があまり長く話すのは憚られます。

しかしひとつ思い出した話があります。

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以前に読んだ、森田流笛方で京大宝生会OBでもある故帆足正規先生の文章に、ご自身が能楽に惹かれたきっかけについて書かれていました。

それは終戦直後の高校時代に、名人野口兼資師の能「求塚」を観たことだそうなのです。

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映画や舞台などを片端から観る毎日を過ごしていた帆足青年は、ある日殆ど予備知識も無く、初めての能「求塚」を観に行きます。

そして後シテが地獄へと真っ逆様に落ちていくシーンの野口師の型を見て「大地に引きずり込まれていくような力に圧倒され」、そこから正に能楽の世界へと惹き込まれてしまったということです。

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「求塚」は特別な舞台でしか出ない大曲ですが、もしチャンスがあれば是非一度ご覧くださいませ。

帆足先生のように、人生が変わる程の経験が出来るかもしれません。

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今日は「七草」に纏わることを、思い出すままにつらつらと書かせていただきました。

京大宝生会謡納め

今日は京大BOXにて、京大宝生会の「謡納め」がありました。

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京大では合宿最終日にも合宿課題曲5曲での「謡納め」がありますが、毎年末にやる謡納めは一年間に稽古した全10曲と、最初に「鶴亀」を謡うので計11曲。

これを一切省略無しに朝から通して謡うのです。

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今年は授業の関係もあり、ちょっと遅めの12月29日の謡納めでした。

私は謡納めに向かうべく、何も考えずに午前中に東京駅に向かったのですが、あえなく帰省ラッシュ真っ只中に飛び込んでしまいました。。

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何と東京駅の新幹線改札からホームに上がって新幹線に乗るまでに1時間以上かかるという信じられない混雑ぶりで、ようやく京大BOXに着くと半分以上が終わっておりました。。

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しかし年の瀬開催の分、仕事納めの終わった若手OBなども多数参加して、非常に活気ある謡を聴くことが出来ました。

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先日の関西宝連に風邪で出られなかった一回生も元気に参加していて、今日最後の曲「紅葉狩」では、関西宝連で勤めるはずだったワキを力強く謡っていました。

めでたくリベンジを果たせた訳で、その為に彼にワキの役をあてがったのかと思って聞いたら、「いえ、クジ引きでたまたまワキを引いたのです」とのこと。

そんな偶然もあるのかと驚き、一層めでたいことだと思いました。

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11曲を謡納めて最後に千秋楽を謡うと、18時半でした。

開始が朝9時だったそうなので、彼らは9時間半謡い通しだった訳です。

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謡納めの後には鍋が恒例なのですが、これは昨年同様に前部長の完璧な差配により、大変美味しい「キムチ鍋」と、辛味が苦手な人向けの「あっさり鳥鍋」が手早く準備されました。

前部長は予め自宅で、同じレシピで半分量の鍋を作って味見をしたというこだわりぶりで(鍋の申合をしました、とのこと)、今年の京大の一年を大満腹大満足で締めくくれました。

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現役からは来年一年の舞台の相談などもあり、京大宝生会も既に新年に向けて動き出しているようです。

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京大宝生会の現役とOBOGの皆さん、今年も色々お疲れ様でした。

来年もまた頑張りましょう。

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第5回関西宝連のご報告

今日は大阪能楽会館にて、第5回関西宝生流学生能楽連盟自演会が開催されました。

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大阪能楽会館は今年いっぱいで閉めてしまうので、これが学生達にとっても私自身にとっても、最後の能楽会館の舞台になります。

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また最後なのは能楽会館だけでなく、今日は4回生達の現役最後の舞台でもありました。

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その京大宝生会4回生5人を全員役に揃えた素謡「咸陽宮」や、卒業仕舞「山姥キリ」「玉之段」「車僧」は何れも大変見応えのある舞台でした。

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終了後の宴会で同志社の4回生が、「一回生の時に見た先輩の仕舞を、卒業仕舞でやりたいとずっと思っていた」と言っていましたが、おそらく今日のたくさんの卒業仕舞を見て、同じように思った下回生もいた事でしょう。

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下回生と言えば、今日は下回生も4回生に負けない程に頑張っていました。

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1、2回生だけによる素謡「紅葉狩」は、無本で20分以上謡う長い素謡でした。

それだけでもかなり大変な事なのですが、朝に楽屋に行くと、現役「実はワキの1回生が風邪でダウンして休みなのです…」

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なんと、ではワキだけ本を見て、誰か替わりに謡えば?

と言ってみたところ、

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「いえ。実は1回生の○○さんが無本で替わりに謡えると言っております。」

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おお、それはすごいけれど、当日ぶっつけ本番で大丈夫なのか?

地頭(2回生)「もしもの時は僕がワキ謡を付けるので大丈夫です。」

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さすが地頭、役謡も一通り頭に入っているようです。

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そして本番では、ワキ謡は全くノーミスで、全体として見ても1、2回生の枠を超えて大変見事な素謡でした。

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4回生が卒業してしまうのは淋しいことですが、来年再来年に繋がる力も確実に育っているのを実感出来た今日の関西宝連でした。

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4回生の皆さん、4年間お疲れ様でした。

しかしどうか卒業しても、何らかの形で能を続けていってほしいと心から願っております。