蘇る京大OB謡会の思い出

昨日は夕方から京大宝生会の稽古に行きました。

そこで部長より、「関西京都大学宝生OB謡会の歩み」という大判の本をもらいました。

吉本正春先輩始め関西のOBの方々が中心となって製作出版された力作です。

世代や大学を越えたたくさんの人たちの文章が掲載されており、帰りの新幹線ではとても読み切れないボリュームでした。

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色々懐かしく、また面白く頁をめくっていたのですが、中で特に心を動かされた箇所がありました。

1986年から2018年までの月例謡会の詳細な記録です。

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今私の手元には、月例OB謡会で坪光先生の鸚鵡返しを受けた時の「野宮」の謡本があります。

まだ現役だった私がOB会にお邪魔して、少々背伸びしてこの難曲の稽古を受けたのです。

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この「野宮」の鸚鵡返しは、数ある坪光先生の稽古の中でも特に心に残っているものでした。

冒頭のワキの謡の位取りからして、現役の京大宝生会として習ってきた謡とは全く次元の違う謡だったのです。

このような深い味わいのある世界もあるのかと、内心非常に興奮しながら鸚鵡返しを受けた記憶があります。

この深淵のような謡の世界に、もっとのめり込んでいきたいと初めて心から思った稽古でした。

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その、ある意味で私のターニングポイントになった「野宮」鸚鵡返しの日時、場所、参加者が、”月例謡会の記録”に詳細に記されていたのです。

1991年10月19日、場所は合宿で使ったこともある妙蓮寺。

13時〜17時の間に、徳永先輩、米澤先輩、新妻先輩、吉本先輩、正木先輩、中村先輩と共に、私と、同期の高桑さんが「野宮」の鸚鵡返しを受けたと記録にあります。

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年次を見ると、私は2回生の後半だったようです。確かにその頃ならば、まだ難しい謡はそれ程習っていなかったのでしょう。

そしてまだ能楽師になりたいなどとは露ほども思っていなかった筈です。

しかしもしかすると、この「野宮」の後にそんな気持ちが少し芽生えたのかもしれません。

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忘れかけていた微かな、けれど大切な記憶を、この本のおかげで思い出すことが出来ました。

ゆっくり読むと、きっとまだ色々な発見や驚きがありそうな本です。

関西OBの皆様素晴らしい本をどうもありがとうございます。

美也子さんのこと

辰巳孝先生の妹にあたられる辰巳美也子様が先日亡くなられ、今日大阪での告別式に参列して参りました。

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失礼ながら生前のように”美也子さん”と書かせていただきます。

美也子さんに初めてお会いしたのは、香里能楽堂で開催される「七宝会」の受付をお手伝いした時でした。

当時私は京大2回生だったと思います。

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世間の常識など殆ど何も知らない私に、受付業務だけでなくマナーなど色々なことを教えてくださいました。

優しくも厳しい、そして頭が切れてユーモアのセンスのある方だと思いました。

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時は少し流れて、私が能楽の道を志した頃のこと。

東京芸大を受験する前の1年間、私は辰巳孝先生の鞄持ちとして、色々な稽古場にご一緒させていただきました。

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午前中に香里園末広町の御宅に伺い、そこから辰巳孝先生のお供をして電車か車で関西各地の稽古場に向かいます。

そして夕方か夜に稽古が終わると、また末広町の御宅まで先生と一緒に帰りました。

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御宅では美也子さんが自慢の料理の腕をふるって、美味しい出汁巻きや海老フライなどの晩御飯を作って待っていてくださいました。

私もご相伴にあずかり、時には居間のコタツで芸大の楽典の勉強などをさせていただいてから京都に戻る、という日々を過ごしました。

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あの1年間、辰巳先生と美也子さんは私のことをまるで家族のように可愛がってくださいました。

もちろん時には美也子さんから「澤田さん!あなたこんな事も知らへんの!」と叱られることもありました。。

今では全て懐かしい思い出です。

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今頃は天上で辰巳孝先生と再会されているのでしょうか。

あのお2人のウィットに富んだ掛け合いがきっと繰り広げられていることでしょう。

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辰巳美也子様のご冥福を心よりお祈りいたします。

飽くなき向上心

昨日は国立能楽堂での「若手能」の後に、「京大宝生東京OB会」の新年会に参加しました。

と言っても、舞台は終わった後で、私は宴会だけの参加でした。

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宴会が盛り上がってきた頃に、20人ほどの大ベテランの京大宝生会OBの皆さんが、それぞれ近況や今年の抱負などを述べられました。

「今年は地拍子を本格的に勉強したい」

「私は謡本に自分で地拍子の○△を書き入れて勉強した。それをお薦めします」

などと、大ベテランでありながら向上心に溢れるコメントが多くて流石京大宝生会OB会だと思いました。

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一夜明けて、今日は京都紫明荘組稽古でした。

久しぶりに日曜日に設定したところ、京大宝生会の2〜30代の若手OBOGが次から次へと大勢やって来てくれました。

稽古終了時間ギリギリまで、結局9人の若手OBOGを稽古しました。

素謡「舎利」、舞囃子「東北」を始め、たくさんの仕舞や舞囃子地謡など中身の濃い稽古になりました。

それぞれ忙しい仕事や大学の合間を縫って、難しい曲に挑戦しています。

若手OBOGの向上心もまた眼を見張るものがありました。

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3月9日の東京澤風会では、昨日の大ベテランOBの皆様、そして今日京都で稽古した若手OBOGの面々、さらに現役部員達と、京大宝生会がセルリアン能楽堂に勢揃いします。

それぞれの世代の舞台が今からとても楽しみになってまいりました。

ようこそ紫明荘組へ

今日は朝東京を出て、昼前から紫明荘組稽古でした。

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先日の関西宝連を持って現役を退いた4回生のO君が、早速紫明荘組稽古に参加してくれました。

会員の皆さんに紹介していると、O君が何やら紙袋を取り出して、

「あの先生これは、ご挨拶に持って参りました」

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私は「なんと、そんな気を遣わなくていいのに」と言って、お菓子かと思い「今開けて皆さんにお出ししていい?」

と聞いたところ、O君は

「あ、いえお菓子ではなく、お蕎麦なのです!」

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「へえ、お蕎麦。それはどうもありがとう」

と答えながら、内心「珍しいものをくれるものだなあ」と少しだけ怪訝な顔をしてしまいました。

するとすかさずO君がニヤリとして、

「これから先も、いつもおそばに、という意味です!よろしくお願いいたします」

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なるほど!

そういえばO君はそう言った洒落が大好きなのでした。

昨年の京大宝生会の経政合宿の時には、何故か参加者全員に「ハイチュウ」を配ってくれたのですが、配りながら、

「いや飴にてはなかりけり!」と連呼していたのを思い出しました。

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また個性的な新OBを何人か加えて、紫明荘組稽古に新しい風が吹いて来そうです。

願念寺のエッセイ

先日東北新幹線で水沢江刺に移動する時のこと。

東北新幹線に乗ると「トランヴェール」という車内誌を読むのが私の密かな楽しみのひとつです。

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最初のページの「駅弁紹介」のようなコーナーが先ず面白く実に美味しそうで、「いつか食べてみよう!」と心に刻んでページを1枚めくります。

そこには私の好きな作家の沢木耕太郎さんの旅のエッセイが載っているのです。

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今回も同じ道順を辿ってエッセイのページに至りました。

ところが1枚だけ掲載されている写真を見て、何とも言えない”既視感”を覚えたのです。

写真の下には「金沢 願念寺」

とありました。

これには心底驚きました。

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「願念寺」とは、現在ドイツで靴職人をしている京大宝生会OBのT君の実家で、もう15年ほど前から京大合宿や大稽古会(琥珀の会の前身)などで泊まりがけで何度となくお世話になってきたお寺なのです。

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かの松尾芭蕉が立ち寄ったこともあるという由緒あるお寺ですが、あまり観光客などに強くアピールしていなくて、それが好ましいお寺だと思っていました。

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しかし沢木さんのエッセイのネタになるとは、最近有名になったのだろうか、一体どんな内容だろう…?

と少々ドキドキしながらエッセイを読み進めました。

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結局、沢木さんもやはり願念寺のそう言った”床しさ”に感じ入った、という文章でした。

特に本堂の前に置かれた箱に「花梨の実」がたくさん入っており、「ご自由にどうぞ」と書いてあったのが良かったとありました。

沢木さんにとっては、願念寺の佇まいの全てが好ましいものだったようなのです。

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なんだか自分が褒められたように嬉しくなり、その場でエッセイのページを写真に撮ってドイツのT君にメールしました。

すると間もなく返信が来ました。

「うちの花梨の実は立派ですが、花梨酒にするくらいしか使い道もないので持って行っていただけるならそれがいいということでしょう。」

とあり、彼のメールにまで願念寺の奥床しさが感じられて更に嬉しくなったのでした。

3件のコメント

リンボウ先生の和歌の講義

今日のニュースで「歌会始」が皇居にて催されたと知りました。

歌会始で歌を読み上げる時の独特の抑揚は、一度聴いたら耳に残ります。

「変わった読み方をするなあ」と思う人も多いでしょうが、私にとってはあの抑揚はそれ程違和感を感じないものなのです。

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というのは、謡の中で和歌を詠むシーンは割と頻繁に出てきて、その時には和歌に”節”をつけて、歌会始風にゆっくりと読み上げるからです。

私は澤風会稽古の時など、逆に「和歌を読み上げる謡は、”歌会始”のような心持ちで謡うと良いです」と会員さん達に言っているくらいです。

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そういえば、東京芸大時代に和歌に関する林望先生の講義を受講した時のことを思い出しました。

試験はレポート形式で、和歌に関する事ならなんでも可、というゆるい条件のレポートでした。

ちょっと考えて、「百人一首」の何首かの歌に謡の節を付けて、それを私が歌会始風に読み上げた音源を提出したら単位を貰えたのです。

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その講義では、「1人一首の和歌を詠む」という回もあり、15分ほど時間を与えられて参加者全員で「う〜ん」と唸りながら和歌を考えたものです。

私は結局、京大能楽部の旧BOXでのことを詠みました。

「謡ひ終へ 窓辺に寄りて 涼み居れば

北山の上を 行く夏の雲」

夏の旧BOXは本当に暑くて、エアコンなど無いので大きな窓をとにかく全開にして稽古したのでした。

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いつか時間が出来たら、和歌を詠む勉強もしてみたいものです。

2019年京大宝生会初稽古

今日は今年初めての京大宝生会稽古でした。

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今はいわゆるオフシーズンなので、各自好きな仕舞を稽古するようにしました。

外は冬の京都で非常に寒々としていたのですが、BOXに到着して稽古を始めると、皆なかなか元気の良い仕舞ばかりを希望してきます。

加茂、七騎落、国栖、また国栖、春日龍神舞囃子、またまた国栖、また加茂…

などと稽古していくと、なんだか汗だくになってしまいました。。

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「次の人は何か希望ありますか?」

「えー、鵜飼か、女郎花クセか…」

「うん、女郎花クセにしよう!」

と、思わず柔らかいものを選ばせてもらいました。

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全員揃って「中之舞」を稽古したり、オフシーズンなのに思いのほか充実した稽古を終えた後には晩御飯に行きました。

とても久しぶりに行く「三愛ふぁんてん」というお店でした。

“ふぁんてん”は”飯店”のことで、しかし中華料理店とも言い切れないという、不思議なしかし学生にとても優しいお店です。

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冬の名物の鍋や、絶品の餃子など色々食べて帰りがけにレジに寄ると、

「あれ、久しぶりやね〜!」

なんとお店の人は私の顔を覚えていてくださいました。

私「以前に来た頃は、小さな男の子がいましたね」

お店の方「あら!その子はもう高2ですよ!」

うーん、ついこの間だと思っていたのに。時の流れの速さを感じてしまいました。

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今日の京大稽古は、稽古内容も充実していたし、今の現役達に「三愛ふぁんてん」も紹介できたし、とても実りある新年初稽古になりました。

青山の琵琶ストラップ御守り

先日京大宝生会の2018年謡納めに参加した時のこと。

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謡納めが無事に終わると、今年も”申合”をしたという前部長プロデュースの美味しい鍋や、驚くことに前々部長が下宿のオーブンで自ら焼き上げたという七面鳥の丸焼きなどをいただきました。

そしてやがて卒業生へのプレゼント贈呈が始まりました。

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私の頃は謡納めではなく、冬の京宝連の後席で行われていたプレゼント贈呈式です。

今は各学年から「真面目なプレゼント」と「ネタ(受け狙い)のプレゼント」の2種類ずつが贈られるという、中々に品数が多い贈呈式でした。

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それらもひとしきり終わって、再び鍋と七面鳥に戻ろうかと思ったところで、現部長が僕の横に来て「実は…澤田先生にも贈り物がありまして…」

なんと、それは驚きです。卒業するわけでも誕生日でもなく、一体何のプレゼントでしょうか?

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部長「関西宝連の”経政”の前の日に、何人かで仁和寺にお参りに行きまして…。」

そして小さな袋を取り出しました。

部長「ついに手に入れたのです。」

おお、これはまさか!

袋から取り出してみると…

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やはり!

「青山の琵琶ストラップ御守り」!

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思えば9月初めの「経政合宿」の時に、仁和寺に参詣して境内を詳細に見て回り、この「青山ストラップ」も入手するはずだったのです。

しかし台風21号が接近していた為にその予定は叶いませんでした。

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それが遂に目の前に…!

よく見ると、ちゃんと第一〜第四の弦が張ってあります。

そして平家物語にある、

「夏山の峰の緑の木の間より、有明の月の出ずるを撥面に書かれたるゆえにこそ、青山とは付けられたれ」

という由来通りに、山から昇る月が撥面に描かれていました。

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台風襲来の前日に、京大宝生会の皆と登った双ヶ丘のことが思い出されました。

その日は台風の雲がかかり、月が昇るのは残念ながら見られませんでした。

ストラップが無事に手に入った今、次の目標はいつか双ヶ丘から昇る月を見ることでしょうか。

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そして謡納めでは、来年出す能の話もかなり具体的に相談されました。

来年もまた今年の「経政」と同様に、各人が色々な道程を経て本番の舞台を目指すことになるのでしょう。

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今年最後の太陽がつい先程沈んでいきました。

このブログもなんとかほぼ毎日書き続けて2018年を終えることが出来ます。

読んでくださった皆様、またこの1年でお世話になりました皆様、今年も誠にありがとうございました。

一番下にあったのは…

昨日書きましたように、今日の私の最大のミッションは「机の上を片付ける」ということでした。

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思えば1年前の年末は、翌3月に控えた「郁雲会40周年・東京澤風会第5回記念大会」の番組作りに大半の時間を費やしておりました。

なので机の上の整理整頓まで全く手が回らなかったのです。

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おそらく2年ぶりとなる本格的な机掃除です。

上にあるものから順々に「要るもの・要らないもの」に仕分けしていきました。

それはまた今年の時間を徐々に遡っていく作業でもありました。

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つい先日の関西宝連番組と経政の絵のチラシ→11月の京大能と狂言の会の番組とサブパンフ→10月の松本澤風会番組と乗鞍高原の地図→澤風会京都大会の番組と大山崎聴竹居のパンフレット…

と遡っていき、更に8月の岡山子供能楽教室と吉備津神社のパンフレット、松本城薪能のチラシや前座発表会番組及び松本市民タイムズの記事、3月の郁雲会澤風会の番組とパーティやお弁当など諸々の書類…

と続いていきました。

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そして机の上の山はまだまだ残っており、去年の関西宝連や京大能狂、松本澤風会、澤風会京都大会…とまた少しずつ遡って行って、遂に一番下にはなんと一昨年平成28年春の「澤風会10周年記念東京大会」の番組が埋もれていたのでした。。

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つまり今日1日で、ほぼ3年前までの自分の足跡を振り返ったことになります。

色々とても懐かしい番組や資料があり、この機会に整理して保存しておこうと思います。

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そして机の上が見違えるように綺麗になり、非常に良い気分です。

明日はいよいよ大晦日です。

たまった本の整理などをして、あとは静かに新年の訪れを待とうと思っております。

足の裏が見えるシーン

先日の五雲会での能「舎利」の数日前に、「舎利では見所に足の裏が見える可能性が高いので、新しい足袋を履きます」

という内容のブログを書きました。

今日はその後日談を。

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能「舎利」の冒頭、舎利殿を表す台が舞台の正先に出されて、更にその上に”三宝”に載せられた舎利珠が据え置かれます。

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そして前シテは中入の直前に舎利珠を取り上げた後、この”三宝”を睨みつけ、高く上げた右足で「グシャリ!」と三宝を踏み潰してから飛び去っていくのです。

舎利殿の天井を蹴破る様子をこの型で表現しているそうですが、初めて見るとちょっと驚くシーンです。

しかし能面を掛けているために、実は踏み潰す瞬間には”三宝”はシテからは見えていないので、綺麗に潰すのがとても難しくもあるのです。

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この”三宝”は、形は神社などでよく見る三宝そのものなのですが、全体が黒い布で覆われています。

この特殊な”三宝”は舎利が出る度に内弟子が手作りします。

私も何度も作ったのですが、真上から踏むと簡単に綺麗に潰れて、尚且つシテの足に刺さったり絡まったりしないように、素材や構造に工夫が凝らされているのです。

中々に手間のかかる作り物です。

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今回も楽屋で見ると、大変丁寧に作られた”三宝”でした。

これは心して踏み潰さないと。

そしていよいよ能「舎利」が始まり、話が進んで前シテが舞台の真ん中で「下に居」をするところまで来ました。

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「下に居」をすると、ちょうど正面に”舎利珠”が見えます。

そしてその先、見所の最前列のど真ん中になんと京大宝生会の若手OB2人が正に「かぶりつく」勢いで観ているのが見えたのです。

普段は脇正面に座っている2人です。これは私のブログを読んで、「足の裏が見えるシーン」を狙って正面最前列に座っているに違いありません。

これは益々失敗出来なくなりました。。

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いよいよ中入前。

私は台に飛び乗り、三宝の右横で「くるくる」と一回転してから素早くしゃがみ込んで”舎利珠”を取り上げました。

そして一度立ち上がり、三宝に向けて顔を切ってから右足を振り上げます。

するとそれを見上げる京大の2人が目を丸くしているのが一瞬だけ見えました。

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「グシャッ!」という手応え(足応え?)があった後、私はすぐに三宝から足を離し、飛び返って台から降りて幕へと走り込みました。

「果たして三宝は上手く潰れただろうか…?」

と気になって、中入してすぐに楽屋で見ていた楽師達に聞いてみると、

「ばっちり潰れてましたよ!」

との答えが返ってきて安心しました。

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そして後日、あの最前列で観てくれた2人に「どうだった?」

と聞いてみたところ、

「はい、足の裏が見えました!」

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…というわけで、”三宝”を丁寧に作ってくれた内弟子さんにも、ブログを読んで観てくれた人達にも面目が立ってホッとしたのでした。