本郷給水所公園

今日は水道橋宝生能楽堂にて「金春流宗家継承披露能」に出演して参りました。

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出番は宝生和英家元の仕舞「八島」の地謡一番だけで、滞りなく終わりました。

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早くに宝生能楽堂を出たので、少し謡を覚える為に寄り道をすることにしました。

宝生能楽堂横の「宝生坂」は度々ご紹介していますが、その宝生坂を登りきった突き当たりに公園があるのです。

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「本郷給水所公園」です。私は「水道公園」とも呼んでいますが、この公園はとても綺麗に整備されていて、私のお気に入りスポットのひとつです。

「都会のオアシス」という趣きなのです。

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今の時期は薔薇園が満開になっています。

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東京都内ではなく、どこかヨーロッパの庭園にでも行ったような気分になります。

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こんなに綺麗な薔薇園ですが、あまり有名ではないからか、連休中にもかかわらず人はそれ程多くありません。

その辺も大変好ましい公園です。

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薔薇はさすがに西洋風な名前ばかりで、かろうじて見つけた和風の名前の「しろたえ」という薔薇がありました。

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園内には菖蒲園などもあります。

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色々鑑賞しつつベンチで暫し謡本をお浚いしてから、帰路につきました。

皆様も宝生能楽堂にお越しの際は、この公園を覗いてみてはいかがでしょうか。

私がベンチで缶コーヒーを飲みながら、謡本もしくは文庫本など読んでいるかもしれません。

夏も近づく…

今日は立春から数えて88日目、つまり「八十八夜」です。

この日に摘まれたお茶を飲むと、長生きするとか。

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私が京大宝生会現役だったはるか昔のこと、毎年八十八夜の頃には小川芳先生に連れられて、数人の部員と宇治茶の老舗を訪れたものです。

あまりにも昔のことで、そこでどんな行事があったのか殆ど思い出せませんが、茶摘みをした記憶は無く、ただとても美味しいお茶を何種類もいただいた覚えはあります。

お茶の葉によって適切な湯温があり、その温度で淹れたお茶は実に美味しいものだとそこで知りました。

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私は普段から稽古場でお茶をいただくことが多いです。

それはとても美味しいのですが、私が本当に心からお茶が美味しいと感じるのは、誰かとのんびり会話をしながらゆっくり飲んでいる時です。

丁寧に淹れられた日本茶を何杯もおかわりしながら、ぽつりぽつりととりとめの無い話をして過ごすのが、実はとても好きな時間なのです。

そんな時間も、相手をしてくれる人もなかなか無いのですが。。

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日本で最初にお茶を栽培したのは、能「春日龍神」のワキでもある「明恵上人」です。

師匠である栄西禅師が中国から持ち帰ったお茶の種を、明恵上人は先ず栂尾で栽培して、その後山城国の宇治に移植したということです。

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能「春日龍神」においてワキ明恵上人は、春日明神の御神託によって、中国大陸への渡航を断念します。

その中国大陸からもたらされた「お茶」を栽培することは、憧れの大陸に少しでも近づきたいという明恵上人の気持ちの現れだったのでしょうか。

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今しも新幹線の車窓から、静岡の茶畑のこんもりとした畝うねの連なりが見えています。

そういえば昔の新幹線で売っていたお茶は、蓋付容器の熱いお湯に、静岡茶のティーバッグを自分で入れて、暫し待ってから蓋に注いで飲むというものでした。

思えばあれは美味しいお茶でした。

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こんな風に書いていると、お茶が恋しくなって参りました。

京都駅でお茶を買って、山陰線に乗り換えて明日の舞台のある綾部に向かいたいと思います。

今日は正にお茶を飲みながらの会話のような、とりとめのないお茶の話になりました。

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扇の日

今日から5月がスタートしました。

5月は空気が爽やかで、それ程暑くも寒くもなく、私はとても好きな月です。

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そして今日5月1日は「扇の日」だそうです。

何故なのかと言うと…

①5月1日→「コイ(恋)」という語呂合わせ。

②恋と言えば「源氏物語」。

③「源氏物語」の恋の駆け引きにおいては、「扇」が重要なアイテムである。

…という驚くべき三段論法で、京都扇子団扇商工協同組合によって制定されたようです。

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制定理由は相当に強引な気がしますが、ともかく「扇」という物には日頃から大変お世話になっております。

これが無いと稽古が不可能なので、私にとっては財布の次に大事なアイテムと言っても過言ではありません。

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仕舞の稽古では「扇」、謡の稽古では「張り扇」を常に持っています。

また京大宝生会での仕舞稽古は見ているだけの時間も多くありますが、そんな時も扇をずっと手に持って、無意識のうちに開いたり閉じたりを繰り返しています。

とにかく稽古中は手に扇が無いと落ち着かないのです。

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稽古に使う扇は当然傷みが早く、私の場合は3〜4年で使えなくなってしまいます。

そのような古くなった扇も、何となく捨てられずに押入れに眠っています。数年間を共に過ごした扇には、「家族」「友人」に近いような親しみを感じるのです。

しかしかなりの本数がたまっているので、いつか「扇供養」のような行事に持って行きたいと思っております。

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仕舞においては「扇」一本で実に様々な事物を表現することが出来ます。

「名刀」になり「盾」になり、「筆」になり「牛の角」になり、「天女の羽衣」になり「天狗の羽団扇」になり、「盃」になり「柄杓」になり、「弓」になり「矢」になり、「松明」になり「笠」になり、「風」を吹かせ「波」を立て、また「この世の全てを映す鏡」にもなります。

「恋人との約束の証」が扇であるという曲があり、「ある老武者が自害した場所」が扇で表される曲もあります。

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書けば書くほど、この日本発祥である「扇」という道具の大切さ、また能楽に於ける用途の広さ深さを再認識させられます。

稽古をされている皆さんは「扇」をどうか大切に、そしてまだ稽古をされていない皆さんは、この素晴らしい「扇」というアイテムの魅力を最大限に引き出す「能楽」の稽古を、「扇の日」をきっかけに始めてみるのも良いかと思います。

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最後にもう一つ、「扇」の使い方を思い出しました。

初対面の人と待ち合わせる場合に、「白地に青い雲の模様の扇を持って立っています」などと言っておいて、扇を開いて立っていれば絶対にすぐに見つけてもらえます。

…相当変人だと思われる恐れはありますが。。

休みの日に働くこと

今日はゆるいお話です。

今朝松本稽古に行こうとして、いつものようにJRの改札機に「あずさ回数券」を入れたところ、何故か「この切符は使用出来ません!」と弾かれてしまいました。

そこでようやく、「ああ、今はゴールデンウィークか…」と思い当たったわけです。

回数券はゴールデンウィークや年末年始などは使用不可なのでした。

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「こっちはいつもの仕事なのにな。。」と思いながらすごすごと券売機に向かい、正規料金の切符を買いました。

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能楽師は人様が休みの日に働くことが多い職業で、時にその影響を受けてしまう事があります。

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内弟子の頃には、遠くで薪能などの舞台がある時は大きなワゴン車に装束、作り物、何人かの内弟子を載せて移動するのが常でした。

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舞台が無事に終わると、疲れた身体に鞭打ってまた全てをワゴン車に積み込んで、「もうひと頑張りだ!」と水道橋を目指して出発します。

しかしそれが連休最終日だったりすると、高速道路であえなく大渋滞に巻き込まれてしまうのでした。。

しかも、周りの車を見回すと殆どが休日帰りで「楽しく遊んで来ました!」という雰囲気を漂わせた車なのです。

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一方こちらは仕事帰りで疲れて目つきの悪い男達が満載の、何となく「護送車」という雰囲気のワゴン車です。

周りの車を見渡しながら、「あのベンツ、いけ好かないカップルですよ」「くそ、奴らには絶対抜かれるな!」

「あの赤いマーチ、女子4人乗りです」「よし、ちょっと並走して見て」

などと勝手な事を言いながら渋滞の中をゆるゆると走っていきます。

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こうして書いてみると、それはそれで良い思い出なのですが、当時は「こんな時は高速に”労働車専用レーン”を作ってくれ!」と本気で思ったものです。

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今も松本に向かう「特急あずさ」には、楽しそうな家族連れなどがたくさん乗っています。

それらの「休日客」の喧騒を聞きながら私は「ふう」とため息などついて、せめて車窓から見える甲州路の滴るような新緑に、旅行気分だけでも味わおうと努力してみるのでした。

伊勢神宮の舞女さん

今日は久々に仕事で伊勢神宮に行って参りました。

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数年前に参拝した時に初めて「神楽」を拝見して深く感銘を受けたのですが、今日は再びその神楽を拝見することが出来ました。

4人の「舞女」さんが舞う「倭舞」も勿論綺麗なのですが、私が特に「これはすごい!」と思ったのは実はその倭舞が始まる前のことでした。

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「舞女」さんが2人ずつペアになって、三宝などを神前に供えていくのですが、その時の2人の一挙手一投足が実に美しくシンクロしているのです。

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舞を舞う時には、背後に雅楽が流れています。

4人の動きを合わせるのは、その雅楽のリズムを基準にすれば可能だろうと思います。

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しかし全くリズムが無い状態で、身長や体格の異なる2人の人間が完璧に同じ歩幅、歩数、タイミングで等距離を、しかも美しく移動するのはかなり困難だと思うのです。

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我々能楽の世界では、「後見」の動きに似たものがあります。

2人がかりで「一畳台」などの大きな作り物を運ぶ時、笛座と後見座から別々に立ってその作り物に到達するまでの歩幅、歩数、タイミングを見計らって合わせるのです。

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この「見るともなく横を見て、合わせるともなく合わせる」という技術は、私の場合内弟子で何年か修行してようやくわかって来たものです。

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ところがまたちょっと調べてみると、伊勢神宮の舞女さん達は高校卒業して間もなく研修期間に入り、半月足らず後には参拝者の前で神楽を披露するそうです。

これには本当に驚きました。

舞女さんの就業期間が僅か5年という特殊状況もあるのでしょうが、恐らく作法や舞の稽古が非常に厳しく、またその稽古への集中力が尋常ではないのでしょう。

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通常の見方とはかなりかけ離れた所に感銘を受けている私なのですが、あの伊勢神宮の神楽は、出来れば定期的に拝見したいと思っております。

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「うりずん」の頃

昨日の雨から一転して、今日は朝から晴れ上がりました。

江古田稽古の行き掛けに「隙間花壇」を通ると、紫陽花の葉がすっかり繁っていて、地面にはオレンジ色の「虞美人草」もたくさん咲いていました。

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沖縄には冬と夏の間に「うりずん」という季節があるのをご存知でしょうか。

「潤い初め(うるおいぞめ)」が語源とされている言葉です。

沖縄の短い冬が終わって暖かくなり、草花が咲き出して大地を一斉に潤していく3月から4月にかけてが「うりずん」と呼ばれるそうです。

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今日の東京の陽気は、何となくこの「うりずん」に当たるように思えました。

そして、最近謡でもこのような内容を聞いたような…と思い起こしてみると、思い出しました。

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能「雲林院」の冒頭でワキ公光が「花の新たに開くる日 初陽潤えり」と春の陽気を謡っているのです。

「花・初・潤」と揃って、これは正に「うりずん」を謡にしたように感じられます。

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この謡は「和漢朗詠集」にある菅原文時の「春色雨中深」という漢詩が元になっています。

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少し調べたところ、また大変興味深い事がわかりました。

「うりずん」という言葉が最初に出てくるのは、「おもろさうし 」という沖縄最古の歌謡集です。この「おもろさうし 」が編纂されたのが16〜17世紀頃。

そしてこの頃までには「和漢朗詠集」などの本土の古典が琉球に持ち込まれて、琉球の歌や詩に影響を与えていたそうなのです。

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ということは、可能性として「春色雨中深」という漢詩の「初陽潤えり」という言葉が「うりずん」の語源になったということも有り得るのです。

あくまでも可能性ですが、ひとつの漢詩が一方で能楽に、もう一方で沖縄の季節を彩る言葉になったとしたら、これも雄大なスケールの話だと思うのです。

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…因みに、私が「うりずん」という言葉に初めて出会ったのは、ダイビングによく行っていた頃のことです。

那覇の安里という所に、その名も”うりずん”という大変素晴らしい沖縄料理屋さんがあって、沖縄に行くと何を置いても通っていたのです。

もう久しく行っていませんが、今でも「うりずん」の頃になると”うりずん”を懐かしく思い出します。

古裂の持つ力

昨日は松本城での打ち合わせの後に、松本稽古場の立ち上げからお世話になっている骨董屋さんの仕事場にお邪魔して、「古裂」のコレクションを見せていただきました。

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店主は数十年かけて、日本国内のみならず世界中様々な国から古い布や着物を蒐集されたそうです。

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大きな部屋の四方の壁や床や、ありとあらゆる場所にうず高く積まれた古裂。

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「これは越前三国に伝わる”三国刺し”という着物です。漁師の防寒具だったのでしょう」

「これはアフリカのある部族の酋長が着る為の貫頭衣です」

「これは縄文時代に初めて織物が発生した、その原始的な織り方で織られた最も古い布です」

「これはインドのミラーワークの初期のものです」

…次々と広げられる古い着物や布たち。

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どれも、着ていた人使っていた人、また作った人の人生や歴史を色濃く感じさせる、圧倒的な風合いを持っています。

ぶ厚い布に太い糸で刺し子が一面に施されている着物など、おそらく私のような非力な現代人ではひと刺しすら出来ないと思われ、手に取るとその力強い重味と、作り手の想いがひしひしと伝わって来ました。

着る人のことを思いながら、丁寧に作られたのでしょう。

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またそれらの古い布の中には、模様や色の組み合わせがとても美しく、「能装束として舞台で使いたい」と思うような着物がいくつもありました。

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内弟子の頃に、夏の蔵掃除で能面を全部並べて虫干しをすることがありました。

すると、並んだ能面を見ているだけで不思議な疲労感を感じたものです。

古い能面の持つ力に「あてられた」のだと思っていました。

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昨日の古い布たちも、やはり同じ力を持っているらしく、長く見た人はドッと疲れて帰っていくそうです。

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これらの膨大な古裂コレクションを、これから撮影して写真集を作る計画があるそうで、これは本当に楽しみな企画です。

また時間がある時にはお邪魔して、古い布たちのパワーを感じたいと思っております。

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鬼くすべの鏡餅

唐突ですが、下の写真は何だと思いますか?

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題名で答えを言ってしまっておりますが、これは昨日、大山崎宝積寺の追儺式「鬼くすべ」で使われた「鏡餅」なのです。

お正月によく見る鏡餅とは、だいぶ形が違いますね。

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昨日も載せた鬼くすべの写真ですが、写真の上の端に、何やらたくさんぶら下がっている物体があります。

これが、「鏡餅」を竹に挟んで更に紐を付けたものなのです。

本堂の鴨居にぐるりと75個吊り下げられています。

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この特殊な「鏡餅」は、鬼が鏡に映った自らの姿を見て驚いた隙に祓ってしまおうという目的で使われるそうです。

75という数は、聖武天皇が龍神様の御告げを聞いてから75日目に即位したことに由来する数だとか。

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「鏡」という道具は能楽にも様々なシーンで登場します。

能「昭君」で後シテ韓耶将は、鏡に映る鬼のような自分の姿に恥じ入り消えていきます。このあたり、「鬼くすべの鏡餅」と似た構造が見られます。

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また能「野守」では、野守の鬼が「全てを映す鏡」を持って現れます。

この「野守の鏡」は、地獄の閻魔大王が持っている「浄玻璃の鏡」と似ています。

実は大山崎宝積寺には、素晴らしい「閻魔大王坐像」があるのですが、「閻魔大王の浄玻璃の鏡」と「鬼くすべの鏡餅」にも何か関連があるのかもしれません。

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そして昨日の鬼くすべ終了後に、その75個の鏡餅のひとつを私がいただいたのです。

これは大変に有り難いことです。

昨日の煙の香りも鏡餅にしっかり染み込んでいて、顔を寄せると鬼くすべを思い出すことが出来ます。

早速室内に吊り下げて、邪気から護っていただこうと思っております。

宝生坂の桐の花

去年5月8日のブログで、中央本線から見える「桐の花」のことを書きました。

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またその時に、「宝生坂」の途中にも桐の木があり、桜の散った少し後に花が咲くとも書きました。

それは正に今頃の時期です。

今日は五雲会で宝生能楽堂に行きましたが、到着するとすぐに能楽堂脇の宝生坂を覗いてみました。

すると案の定、桐の花が綺麗に咲いています!

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先ずは全景。宝生坂右手の大きな木が桐の木です。

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わかりづらいのですが、都立工芸高校をバックに紫の花が天を向いて咲いています。

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振り返れば、東京ドームホテルをバックにした桐の花です。

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前回のブログでは、桐は古来神聖な木とされており、格式のある紋章として使われていると書きました。

そしてまた今回調べてみると、いくつか面白いことがあったのです。

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「榮」という文字は、普段の生活ではあまり馴染みの無い漢字です。

しかしこの文字は実は「花が木一杯に華やかに咲く」という状態を表し、転じて「花が一面に木を覆う桐の木」という意味があるそうなのです。

そう言われると桐の花は、木の上に「火」がたくさん燃えているように咲いています。

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実は私の身近にこの「榮」という文字を冠する苗字の人がいるので、このことを知っているのかどうか今度聞いてみたいと思います。

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また、英語ではこの桐の木を「プリンセスツリー」と呼ぶそうです。

調べるほどに、「桐」は何やら神聖な木のようです。

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明日の雨を乗り越えてくれるか心配ですが、宝生坂の「桐の花」、今が見頃だと思います。

お近くにお越しの方は、是非ご覧くださいませ。

前線を追い越して

昨日は午前中の五雲会申合の後に、青森稽古に移動しました。

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東京ではもう「桜」と言う単語は過去のものになりかけておりますが、実は一昨日いただいた「岩手未来機構」の方からのメールで「盛岡は間もなく桜が開花します」とありました。

北の街ではまだまだこれから開花するようです。

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新幹線で北に移動しながら、桜の様子で季節が戻っていくのを確認しようと思っていました。

しかし…

仙台までは桜はもう散りかけでした。そこまでの記憶はあります。

そしてその先はトンネル区間が多く、そこで徐々に眠気がおそって来ました。。

私が次にハッと目が覚めたのは、まだ開花直後の盛岡辺りだったのです。

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しかも、目覚めた切っ掛けは「くしゃみ」でした。

東京でようやく治ってきた花粉が、どうやら盛岡辺りではまだまだ絶好調らしいのです。

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青森に到着して、稽古場まで送っていただく車に乗り込んでの最初の一声が「ごんばんわ〜よ”ろ”じぐお”ね”がいじまず〜」という酷い声になってしまって、自分でびっくりしました。

どうやら「桜前線」を追い越すと同時に、「花粉前線」に追いついてしまったようでした。。

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そして今日、花粉前線を後に南下して東京に戻ると、喉もくしゃみも嘘のように治っていました。