成人式の頃

今日は成人の日だったのですね。

しかし私は終日京都の稽古だったので、新成人らしい格好の人を見ること無く終わりました。

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私の成人式は遠い昔の話ですが、かすかに覚えております。

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練馬区民だった私は、「豊島園」という遊園地での成人式でした。

江古田駅から豊島園行きの西武池袋線に乗ると、如何にも新成人らしい若者たちが沢山乗っています。

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不意に「澤田くん!」と声をかけられて振り向くと、全然知らないキラキラした女性がいました。

こんなキラキラした知り合いがいたかな?と一瞬怪訝な顔をすると、女性は「開三中の○○です。覚えてる?」

なんと、振袖姿の中学校の同級生だったのです。

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同級生の女子はそれから豊島園でも何人か見かけましたが、ほぼ例外無く一目ではわからない程に綺麗に着飾っていました。

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一方で男子は、「おお!お前全っ然変わらんなあ。ちょっとは成長しろよ!」と声を掛け合う程に、代わり映えのしない奴らばかりでした。。無論私も含めて。

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成人式の頃は、私は大学一回生でした。

京大宝生会にもまだそこまでハマっておらず、将来は森や自然に関わる仕事がしたいと漠然と考えておりました。

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椎名誠さんや、カヌーイストの野田知佑さんの本を読んでは、1人で山を歩いたりキャンプをすることに最大の喜びを感じていました。

あれから色々な事があって、思えば遠くへ来たものです。

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今日成人式を迎えた皆さん、本当におめでとうございます。

人生を強引に京大宝生会四年間に例えてみると、新成人の皆さんはまだ一回生が終わった辺りですかね。

これまで稽古したのは基礎的な型や謡で、これからいよいよ自分のやりたい曲を、どんなに難しくても頑張って稽古していくのでしょう。

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…そう考えると、私は現在三回生の半ばくらいに相当します。

良い最上級生になれるかどうかは、今頃の稽古にかかっている訳ですね。

新成人の皆さんに負けないように、頑張らなくては。

「アルファ能」は出来るか?

少し前に「アルファ碁」という囲碁のコンピュータプログラムが、人間の最強棋士に勝ったというニュースがありました。

そして今日見たニュースでは、そのプログラムの進化版「アルファ碁ゼロ」が出現したそうです。

「アルファ碁」は過去の棋士の対局データを参考にして強くなるソフトでしたが、「アルファ碁ゼロ」の方はなんと、「先人の知恵」を一切排除して、「自己対局」を500万回繰り返して学習し、結果「アルファ碁」との100番の対局に全勝してしまったというのです。

これは色々考えさせられるニュースでした。

昔から綿々と続いて来た対局の積み重ね、その棋譜を勉強することで新しい戦法を磨いて来た歴史、そう言ったものが「アルファ碁ゼロ」の前では全く無意味なことになってしまうのです。

これが他の様々な分野に応用されていくと、やがて人間の居場所は無くなってしまうのでは、というSFのような心配をしてしまいます。

しかし「能楽」に関して考えてみると、「自己対局のみによる最強化」というのは不可能ではないでしょうか。

正しい型付、正確な地拍子、美しく聴こえる謡の声の周波数、といったものをインプットして、「あとは自分ひとりで稽古しといてね」と放っておいても、「味のある舞台」というものは出来ないのではないかと思います。

同じ時代にたまたま居合わせた手練れ同士が、舞台上で時には互いに自己主張し、時には相手の間合にあわせて、微妙な均衡の元に創り上げる熱い舞台。

そういったものには、まだ人工知能の入り込む余地は無いのではないでしょうか。

また個人的には囲碁や将棋においても、やはり生身の人間同士の対局にはその棋士の「人生」や「人となり」が反映されて、そこに勝敗を超えた面白味がある気がします。

「能楽師」には個性が強烈な人が多くて、たまに往生する時もありますが、その「人間臭さ」が舞台には必要であるが故に、能楽はこの先もAIに道を譲ることは無いのだろう、「アルファ能」は生まれないのだろうと思うのです。