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223の日

去年2月22日のブログでは、2月22日が「忍者の日」であり、また「猫の日」であると書きました。

そして今日2月23日は「富士山の日」だそうです。日本人は駄洒落が好きですね。。

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富士山といえば、私は京都稽古や関西の舞台への移動中に、毎週一度は新幹線から眺めております。

晴天の日に富士山の辺りを通過する時には、大抵下のような車内アナウンスが流れます。

「皆様只今車窓より、富士山の全景が御覧いただけます。束の間ではございますが、どうかお楽しみくださいませ。」

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しかし私はかつてたった一度だけ、上とは少し異なるアナウンスを聞いたことがあるのです。

あれはもう随分と昔、私が小学生の頃だったと思います。

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家族で新幹線に乗っていたので、おそらく冬休みに東京から三重県に帰省する時だったのでしょうか。

やはり新幹線が富士山の近くに差し掛かった時でした。

アナウンス冒頭はパターン通り「皆様、只今車窓より富士山が御覧いただけます。」だったと思います。

しかしそれに続いて「私共も長年新幹線に乗っておりますが、このような美しい富士山を見るのは初めてでございます。」と流れたのです。

子供心にも「えっ!なになにそんなに綺麗なの?」と驚いて、急いで窓の外を見ました。

そこで見た富士山は、私の良く知っている姿とはやはり異なるものでした。

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小学生の記憶なので、完全に正確ではないかもしれません。

その富士山は、山頂から裾野まで全てが雪で真っ白く覆われていました。そして尾根筋の所々では黒茶色の地肌が少しだけ見えて、全体がまだら模様になっていました。

なんと形容したら良いのか。

「ブッシュドノエル」のようなゴツゴツした肌の茶色いケーキを富士山型に焼いて、粉砂糖を多めに満遍なく振りかけたような感じとでも言いましょうか。

「おお、確かに綺麗だなあ」と思う間に、新幹線は富士川を渡ってトンネルに入り、富士山は見えなくなってしまいました。

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以来雪が沢山降った後に新幹線に乗る時は、「今度こそはあの富士山が見られるかも」と期待しているのですが、どんなに雪が積もっていても、裾野まで全て覆われている姿はあれ以来一度も見ておりません。

そもそも新幹線から見えるのは富士山の南斜面であり、そこがあのように全面雪に覆われる為には、よほど特殊な気象条件が揃う必要があるのでしょう。

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それでもいつの日かまたあの真っ白な富士山が見えて、出来れば車内アナウンスが「このような美しい富士山を見るのは初めてです。」と流れることを願いつつ、また新幹線に乗ろうと思っております。

20年後の飛翔

今日は水道橋で五雲会がありました。

無事終わって帰って参りましたが、今頃日本中は羽生選手の金メダルで沸き立っている事でしょう。

私も勿論すごい事だと感動しましたが、今日はもうひとつ、とても気になる競技があるのです。

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スキージャンプ・ラージヒル決勝に、葛西紀明選手が出場します。

葛西選手は今から20年前、長野五輪のスキージャンプ団体のメンバー入りが確実視されながら、土壇場の前日練習でメンバーから外れてしまったのです。

そのスキージャンプ団体で原田雅彦選手らの日本チームは、吹雪の中の本当に劇的な戦いの末に優勝しました。

優勝の同じ時刻に、葛西選手は宿舎で失意のどん底にいたそうです。

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しかし葛西選手はそこで折れませんでした。

それから現在までの20年という気の遠くなる時間をずっと、世界の第一線で戦い続けて来たのです。

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そして今日2月17日、まさにあの長野五輪ジャンプ団体金メダルからぴったり20年目のこの日に、葛西選手は自身の金メダルを目指してラージヒル決勝に臨むのです。

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20年前にもし団体メンバーに順当に選ばれて、金メダルに輝いていたとしたら、今日の彼はいたのでしょうか。

「このままでは絶対終わらない、終われない」という強烈な悔しさがもし無かったとしたら、おそらくこの20年の間に引退されていたのではと私は想像します。

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夢が叶って美しく完結する物語があれば、夢が破れた失意の底から始まる物語もあると思います。

そして能楽においては、後者の物語の主人公にスポットが当たることが多いのです。

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葛西選手の出場はまだこれからなので、結果はわかりません。

しかし悔しかった長野五輪から、その悔しさを原動力にして飛び続けた葛西選手の20年に、私は深く敬意を表したいと思います。

一流アスリートの言葉

韓国平昌で冬季五輪が開催中です。

私は映像では全く見られていないのですが、日々携帯のニュースで一喜一憂しております。

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競技が見られない分、選手のコメントに心を動かされることが多いです。

昨日はスピードスケートの小平奈緒選手の言葉が印象に残りました。

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1000mで銀メダルを獲得した後のコメントで、「順位やメダルよりも、自分がしっかり氷と対話して、好きなように氷を味わって滑りました」と。

また金メダルの選手の滑りを見て、「自分もあのくらいのタイムで滑れるかもと思ったが、そうは言っても自分自身に集中しようと思った」とも。

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これまた私などと比べるのは本当に全くおこがましいのですが、能楽師の立場から見てもとても良くわかる考えであり、参考になると思ったのです。

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つまり、「自分が舞う曲にしっかり向き合って対話して、その曲の場面場面で自分の思うイメージ通りに舞うように心がけた」

「人の型や謡や、華やかな舞台などを気にしてばかりいるのではなく、自分自身に与えられた役を如何にしっかり勤めるかに集中する方が大事だと思った」

というように言い換えられる気がするのです。

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小平選手はその姿勢でトレーニングと競技に臨み、結果として銀メダルに輝いたわけです。

更に、「この結果は忘れて、次の500mに集中します」とのコメントもありました。

小平選手は次のレースもきっと、そのブレの無いメンタルをしっかりキープして滑るのでしょう。

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一流アスリートの言葉には、壮絶な厳しいトレーニングと試合経験に裏打ちされた、ある種の重みを感じます。

私は「試合」というものを経験しない仕事をしておりますが、それでもそれらの言葉に勇気付けられたり、参考にさせていただいたりしています。

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まだまだオリンピックは続きます。

選手の皆さんが良いコンディションで練習の成果を発揮出来るように、心より祈っております。

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北白川の寒さ

当ホームページの記録によると、今日のブログにてブログ投稿数が400回目になるようです。

日々お読みいただいている皆様の応援のおかげで、何とか400回まで続けることができました。誠にありがとうございます。

次は500回を目指して、頑張って投稿し続けて参りたいと思います。

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続くといえば、ずっと寒い日が続いております。

福井の皆様は記録的大雪で非常に大変なことと存じます。

福井には親しい方々も何人もおられるので、心配しております。

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寒さに関して忘れられないのは、やはり京大時代の下宿の寒さです。

私は入学から4回生まで、北白川の「第1双葉荘」というアパートに下宿しておりました。

「家賃27000円、エアコン無し、キッチン、トイレ、シャワー、洗濯機共同」という物件です。

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つまり洗濯、洗面、トイレ、風呂などは全て、部屋を出て一度完全に外気に晒されてから洗面所、トイレ、シャワー小屋などに行かないと不可能だったのです。

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入学して暫くは問題無かったのですが、最初の冬が来ると状況は一変しました。

下宿のすぐ裏手には、その昔白隠禅師が修行されたという「瓜生山」があり、山の冷気が直に吹き付けて来ます。

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寝る前と朝起きての洗面とトイレは、部屋を出る前に「おーし、行くぞ!」と気合を入れて、決死の覚悟で部屋を飛び出し、出来るだけ最短で済ませて部屋に飛んで帰ります。

それでも隙間風の吹き込む洗面所で歯磨きを始めると、すぐに歯の根が合わないような状態になってしまいます。

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もっと辛いのはシャワーでした。

先ほど「シャワー小屋」という変わった表現をしましたが、「第1双葉荘」の裏庭には、たたみ一畳を一回り大きくしたくらいの正しく「小屋」があり、そこがシャワー室だったのです。

小屋は吹きさらしで非常に冷えており、脱衣所で服を脱ぐのもやはり難行でした。

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100円で10分お湯が出るシステムだったのですが、最初の冬には寒くてつい長く湯を浴び続けてしまい、洗髪の途中で湯が止まるという悲劇も起こりました。。

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思えば、今三ノ輪の自宅マンションで暖房の効いた部屋を出て、ちょっと気温の低い洗面所に行くだけで「寒い!」と思ってしまう私は、随分と軟弱になってしまったものです。

このブログを書くことで、北白川の寒さを克明に思い出しました。

これからは自宅マンションの暖かさに感謝して過ごしたいと思います。

…400回目が全く能楽に関係ないお話になって恐縮なのですが、今日はこれにて失礼いたします。

たった1500m…?

昨日のブログで「中国では春節には30億人が大移動します」と書いたら、「13億人の間違いでは?」とのお問合せをいただきました。

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すみません説明が足りませんでした。

「延べ人数で30億人」が確かに大移動するそうです。

しかしやはりこれはある意味で不可解な数字です。

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仮に中国の全人口が電車で往復しても26億人の筈なのです。

1人で何度も移動する人もいるという事でしょうか…?

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因みに能楽で中国を舞台とした曲の中には、やはり荒唐無稽としか言いようの無い表現がよく出て来ます。

その最たるものは能「咸陽宮」だと思います。

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「そもそもこの咸陽宮と申すは、都の周り一万八千三百余里」と謡われていますが、キロに直すと約8万km。

これは地球2周分になってしまいます。

「内裏は地より三里高く」。つまり標高差12000m。言うまでもなく、地上最高峰エベレストは標高8848mです。

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それは幾ら何でも盛り過ぎだろうと思っていたら、実は中国の一里は500mなのですね。

なんだそれなら高さはたった1500mじゃないかと一瞬思ったのですが、考えたらスカイツリーの高さが634mでした。やはり咸陽宮、あり得ない高さです。。

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しかし春節の延べ30億人大移動が現実の事である以上、能楽における荒唐無稽な描写もあながち否定できないような気がして参りました。。

旧正月の神事

今日から2月になりました。

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日本の旧正月、中国で言うところの春節が近づいたということで、中国では帰省ラッシュが始まったそうです。

中国の帰省ラッシュは、鉄道で「30億人」が移動すると聞きました。

30億人の大移動。全く想像が追いつかない数字です。。

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「旧正月」の日付は毎年変わるようで、何回聞いても覚えられないのですが、アジアの多くの国々などではこちらの旧正月の方を盛大にお祝いするのですね。

1月1日は世界共通のお正月だと、子供の頃は疑いも無く思っていたのですが、正に「井の中の蛙大海を知らず」だった訳です。

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そして日本でも明治維新前までは旧暦で正月を祝っていたのです。

前にもちらっと書きましたが、能楽の中にも「旧正月」が重要な要素となる曲があります。

北九州門司にある、関門海峡に面した「和布刈神社」において、旧暦大晦日から旧正月の未明にかけて行われる秘密の神事を描いた「和布刈」という曲です。

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この曲は現在では新暦に合わせて12月に演じられることが多い曲です。

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しかし現在も続いている「和布刈の神事」は、実は毎年旧正月の未明に行われているのです。

今年の和布刈の神事は2月15日夜から2月16日未明にかけて行われるそうです。

なので、本当は2月の舞台で演じられても良い曲だと思います。

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因みに、読み方が難しい曲のひとつです。

和布刈。どうか調べてみてください。

どうしても解らない方は、お問合せフォームでお問合せくださいませ。

スーパー・ブルー・ブラッドムーン

今日は「皆既月食」が見られる日です。

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携帯ニュースでは今回の皆既月食を「スーパー・ブルー・ブラッドムーン」という、何かの必殺技みたいな名前で呼んでいました。

また大袈裟な呼び方を…と思ったら、これは正式に使われている呼称だそうです。

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ただし、3つの呼称が重なっているのです。

・スーパームーン:地球に接近して大きく見える月。

・ブルームーン:満月のこと。

・ブラッドムーン:皆既月食で赤くなった月。

そして今日の皆既月食は、実に35年ぶりにこの3つの条件を全て満たしているそうなのです。

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東京は夜には雲が出るという予報でしたが、先ほど田町稽古を終えて外に出てぐるりと夜空を見渡すと、見事な満月が輝いていました。

時間は20時45分。まさにこれから月食が始まる時間です。

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一旦地下鉄に乗り、三ノ輪で皆既月食を見ようと思いました。

雲が出ないように祈って三ノ輪で地上に出ると…

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見えました!三ノ輪は雲ひとつない夜空でした。

写真には上手く写りませんが、左下から欠けて来ています。

しばし寒さに耐えて見ていると、ついに21時50分過ぎに皆既月食になりました。

これまたわかりづらい写真ですが…

先程の写真よりも赤っぽいのはおわかりかと思います。

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能楽に「月」はよく出て来ます。

というより、「月」という単語が一切出てこない曲を探す方が難しいくらい、頻繁に出てくるのです。

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現代のように明かりに溢れた夜ではなく、中世の夜は真っ暗闇だった筈で、月の明かりはとても貴重なものだったのでしょう。

それが、満月の夜に1時間足らずで急に月が暗赤色になって、辺りが暗くなるなどという現象は、当時はおそらく非常に恐ろしい事件だったと思われます。

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これだけ「月」がよく出てくる能楽に、「月食」を示すような内容が無いのは、おそらく月食は不吉な現象と見られていて能楽の題材には適さないと思われたからではないでしょうか?

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現代の私はと言えば、35年ぶりという天体ショーを見られて大満足で、「自分は今、太陽と月を結んだ直線上に丁度いるのだなあ」などと感慨にふけっているのでした。

1㎞を30分かけて歩くこと

東京に33年振りの低温注意報が発令されたと携帯ニュースで読みました。

33年前というと私が中学生の頃で、実はその年の寒かった冬には思い出があるのです。

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確かその冬の東京には今年どころではない大雪が降って、積雪が40㎝くらいになったことがありました。

道路一面が厚い雪で覆われて、車はチェーン、自転車は走行不能です。

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私の中学校の校庭も勿論一面の銀世界になりました。

毎日昼休みには校庭で遊ぶのが楽しみだったのですが、その日の4時間目が終わると校内放送がありました。

「今日は東京地方では珍しい大雪で、校庭に40㎝ほど積もっています。」

声は、理科の菊地先生の声でした。私の所属する科学部の顧問の先生でもあります。

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私はそこまで放送を聞いて、当然「今日は昼休みに校庭に出るのは禁止します。」と続くと思いました。

ところが続けて菊地先生は、「このような機会は滅多にありません。皆さん是非校庭に出て遊びましょう!」と仰ったのです。

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一瞬教室が静まりました。皆私と同様に、言葉の意味を咀嚼するのに少し時間がかかったのです。

やがて皆一斉に「おお〜‼︎」と歓声を上げて、校庭に飛び出して雪合戦や雪だるま作りを始めました。

後にも先にも、都内であれ程の雪遊びをした経験はありません。

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菊地先生には、色々な大切なことを教えていただきました。

毎年夏に本栖湖畔であった合宿では、我々科学部は昆虫採集や山野草の標本作り、野鳥観察などをする為に毎日野原を歩きました。

その時に菊地先生は「1㎞30分のペースで歩こう」と指示されたのです。

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これは相当にゆっくりしたペースです。

しかし、辺りの自然を観察して何か目についたものを皆に知らせ、一緒に観察するには丁度良い速さだったのです。

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私が今でも道を歩く時に、つい辺りを見回して面白い物事を探してしまうのは、この頃に身についた習慣だと思われます。

1㎞を30分かけてのんびり歩くことは、めっきり少なくなりましたが…。

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今日は全く能楽に関係無いお話でした。

偶にはこんな日もあると御容赦くださいませ。

ムーミン雪だるま

今朝携帯でニュースを見ると、「京大センター試験会場にムーミン多数出現」という謎の見出しが。

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??と思って本文を見ると、昨日のセンター試験で地理の問題に「ムーミン」が出て話題になり、おそらくそれを知った京大生が昨夜のうちに試験会場前に雪で「ムーミン雪だるま」を多数作っておいた、ということのようです。

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…。

いかにも京大生がやりそうなことです。

「面白いけど、アホやなぁ…」とか、「暇やなぁ、寒いのに…」と言った月並みな感想しか出てこなかったのですが、ふと考えてみると、「多数のムーミン雪だるま」が出現可能な程、昨夜雪が降ったのですね。

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昨日香里能楽堂で七宝会を終えて、17時半くらいに能楽堂を出た段階では全く雪は降っていなかったので、夜に入って急に強く降ったのでしょう。

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受験生の皆さんは、今年も雪の中で大変だったと思います。

無事にセンター試験が終わっていると良いです。

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因みに私は、京大受験の時は共通一次試験、東京芸大受験の時にセンター試験を受けました。

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センター試験の時は、住民票を左京区にしていた為か、幸運にも京大が試験会場でした。

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朝早く起きて先ず「高砂」を待謡から謡って気合を入れてから、自転車で京大に向かった記憶があります。

なのでその年は雪では無かったのでしょう。

会場の教養学部A号館の教室に入ると、試験官が見覚えのある教官で、一瞬怪訝そうに見られたのも覚えています。

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毎年のことなのですが、昨日今日とセンター試験を受けた受験生の中には、この春に京大宝生会に入部してくれる人がいる筈なのです。

どうか二次試験も良いコンディションで迎えられるように祈っております。

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そして無事京大に入学して、宝生会に入部してくれたあかつきには、「ムーミン雪だるま」の話など出来ると良いと思います。

昨日の反省…

昨夜のブログで「金沢では冬に稲妻が光る」と書いたら、その直後のニュースで「金沢でテレビ塔に落雷があり、放送が中断した」ということを聞いて本当に驚きました。

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去年の冬に、青森の雪の大変さを知らなかった自分の無知を恥ずかしく思う、という内容のブログを書きました。

今回はまた北陸の冬の落雷の恐ろしさを知り、その後おそらく夜を徹して命懸けで修復にあたられたであろう関係者の御苦労を思い、「冬の稲妻が見てみたい」などと書いた己の無知を反省いたしました。

復旧作業が無事終わるよう祈っております。

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全く別の話題になってしまうのですが、今日の江古田稽古の終わりに母親から嬉しいニュースを聞きました。

何と日本女子大の母親の謡曲仕舞教室に、本日午後に学生が2人も入会したとのことなのです。

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早速「羽衣キリ」の仕舞を稽古したそうです。

とは言え、実はお2人とも四年生らしく、すぐに卒業してしまうということです。

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しかし彼女たちは3月2、3日の郁雲会も観に来てくれるそうなので、京大宝生会と日本女子大の学生との邂逅という楽しみが増えました。

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とても良い流れが来ているのは間違いないので、この春の新歓で三年生以下の学生が入ってくれる可能性は充分にあります。

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また今後の経過をご報告させていただきます。

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今日はまとまりが無くて恐縮ですが、これにて失礼いたします。