鍛え直す。

舞台と稽古が立て込んでおり、なかなか喉を休める時間がとれない日々が続いております。

しかし昨日会員さんから良い言葉をいただきました。

正確にはその会員さんの知り合いのボイスパフォーマーの方の言葉です。

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「喉が枯れたら、そのガラガラ声から新しい声を発見する!」という内容の言葉で、成る程、そんな前向きな考え方もあるのかと感心いたしました。

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「新しい声」という訳ではないのですが、喉が不調な分、それ以外の部分でいかにカバーするかを毎日考えています。

「口の開け閉めはきちんと大きく」とか、「腹筋に力を入れて、喉には余計な力をかけずに」など、人には毎日のように言っていることを、もう一度自らの身体で確認することが出来ています。

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数年前に、膝を怪我したサッカー選手が、その治療期間を使って上半身など膝以外の部分を鍛え直して、結果より強い選手となって戻って来たのをニュースで見ました。

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私も喉の調子が戻ってきたら、その前よりも良い謡になっているように、この機会に喉以外の要素を色々と鍛え直しておきたいと思っております。

長野県巡回公演 3日目

早いもので、3日間にわたる長野県巡回公演も今日が最終日でした。

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今日の小学校は3校の中で一番遠くにあり、長野駅前からバスで1時間半ほどかかりました。

千曲川を渡ったり、長いトンネルをくぐったりして、やがて辺りは長閑な田園風景に。

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そしてバスは山間の村の小学校に到着しました。

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昨日とは打って変わって、空は綺麗に晴れ渡りました。

爽やかな夏空の下に広がる人気の無いグラウンド。

何か郷愁を感じさせる小学校の風景でした。

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しかし公演開始前に体育館に入って来た子供達は、実に活発で元気一杯の様子でした。

豊かな自然に囲まれて、のびのび育っているのでしょう。

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御囃子方の短いワークショップも楽しんでくれたようで、能「黒塚」の後シテの出囃子が始まると、太鼓や大小鼓の手を真似てリズムをとっている子供が何人かいました。

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繰り返しですが、今回は子供達が本当に舞台の際まで座っていて、手の届きそうなほんの目の前で能や狂言が演じられたのです。

これまで色々な作り方の舞台を見て来ましたが、今回の「かぶりつきで観る舞台」という方法は学校公演においてはとても効果的だと感じました。

おそらく間近で観た子供達の心には、「能楽」が非常に強く印象付けられたことと思います。

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3日間で延べ700人程の子供達に観てもらった今回の巡回公演。

いつかこの先に、「あの時の長野県巡回公演を観て能楽に興味を持ったのです」という人とどこかの能楽堂で会えたら良いなと思いながら、帰りの新幹線に乗り込んだのでした。

長野県巡回公演 2日目

今日は長野県巡回公演の2日目、私が能「黒塚」のシテを勤める日でした。

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朝に長野駅前のホテルを出ると、バスの窓にポツポツと雨の筋が。

そして会場である小学校の体育館に入って暫しすると、雷とともに土砂降りになってしまいました。

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体育館の屋根を叩く雨音が凄く、急遽マイクを設置する程でした。

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「黒塚」には「鳴神稲妻天地に満ちて」とか、「空かき曇る雨の夜の」という謡があるので、「ぴったりのシチュエーションだね」などと言っていましたが、開演の頃には小止みになって日が差して来ました。

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今日はかなり人数が多く、体育館のほぼ一杯に子供達と親御さん達が座っておられます。

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後シテ鬼女が「般若」の面をかけて出て来ると、体育館内に「うわぁ…」という声にならない声が充満しました。

最後のキリのところで、平臥していた後シテ(私)が立ち上がって正面に向かって早足で出て行くと、最前列の子供達が今度は「うひゃー」と眼を丸くして驚いて、身を仰け反らせていました。

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今日の子供達は、狂言の時もかつてないくらいに大きな声で笑いながら楽しそうに観てくれて、最後までとても良い反応でした。

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全て終わって体育館を出ると、すっかり雨が上がって、実に爽やかな風が吹いていました。

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今回の巡回公演もあとは明日1日になりました。

明日はまたどんな子供達に会えるのか、とても楽しみです。

長野県巡回公演 初日

今日から3日間、長野県内の小学校3校をまわっての「巡回公演」に参加いたします。

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能は「黒塚」で私は今日は地頭、明日がシテ、明後日にまた地頭を勤めます。

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確か私も中学校の時に、体育館で能を観た記憶があります。

まさかそういった公演に自分がシテとして参加する日が来るとは、夢にも思いませんでした。

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今回まわる小学校の殆どの子供達にとって、生涯で初めての観能のはず。これは非常に責任重大なことです。

何とか子供達の中に「能楽を観た。面白かった!」という記憶を残していきたいのです。

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私の母親などは、学校で鑑賞した能「羽衣」に感動して、その後大学に進んでから能楽を始めたそうなのです。

今回そんな子供がいてくれる可能性もあるわけです。

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実は最初の小学校での公演がつい先程無事に終わりました。

子供達は、最初の狂言「柿山伏」の冒頭からクスクスと笑ってくれて、中々良い反応でした。

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舞台は体育館の床の上に板を敷く構造でした。

つまり子供達は、舞台と同じ高さで舞台の際を取り囲むように座っていて、手の届きそうな目の前で能が演じられる訳です。

こちらも子供達の様子がずっと目に入って来ましたが、能の間も最後までお行儀良く、眼を輝かせて観てくれました。

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終わった後の質問コーナーでは、「幕の色はなぜ五色なのですか?」と言った、かなり高度な質問も出て、回答する楽師も驚いていました。

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明日は私がシテの順番です。

どんな子供達と出会えるか、とても楽しみにしております。

無声の稽古

一昨日の夜は京大宝生会稽古でしたが、ここで私は初めての試みをしてみました。

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「声を出さずに稽古する」

という試みです。

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地謡は元々現役達が謡ってくれます。

問題は舞囃子の「アシライ」でした。

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お囃子は、打音に「掛け声」が加わることで初めて成立するものです。

打音だけで適切な「謡い出し」や「舞い始め」のタイミングをわかってもらうにはどうすれば良いか。

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結局私が選んだ方法は「気合いを入れる」という、至ってバカバカしく思えるやり方でした。

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幸いに声以外は全く健康体なので、とにかく無声であっても「コイ合」や「カシラ」、「カケ切り」などの箇所では顔に力を入れて、心の中では気合いを入れて大きな掛け声をかけてみたのです。

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一応これには伏線がありました。

以前にある新作能の舞台の時、前シテの出が「無声のアシライ」というものだったのです。

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大小とも全く掛け声をかけずに、前シテが橋掛りを歩んでくるのですが、不思議なことにそれに合わせて大小の「ヨオ〜、ホオ〜」という掛け声が聴こえてくる気がしたのです。

ベテランのお囃子方の力とはすごいものだと感動いたしました。

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無論私のアシライでは、そんな風に聴こえる筈がありません。

しかしとにかく「気合い」を入れてやってみました。

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すると、現役部員のシテや地謡は私の「無声のアシライ」をちゃんと汲み取ってくれて、謡出しなどの場所を正確にわかってくれたのです。

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今後も喉の調子が悪くなることはきっとあるでしょう。

その時は、今回の方法で「無声の稽古」をやらせてもらうかもしれません。

その時は私の「気合い」に免じて、聴こえない「掛け声」を想像して聴いていただければ有り難く思います。

「熊野」ツレ無事に終了いたしました

本日の「京都満次郎の会」における能「熊野 膝行三段之舞」の舞台は、先ほど盛会のうちに無事終了いたしました。

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私はツレを何とか無事に勤めることが出来ました。

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今週は、ブログを読んでくださった方々から喉に良い飴やお薬などを頂戴して、本当に有り難く思いました。

おかげさまで喉も回復傾向ですので、油断せずに早く完全に治したいと思います。

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短いですが今日はこれにて。

能「邯鄲」の楽の舞

今日は水道橋宝生能楽堂にて明後日開催の「月並能」の申合があり、私は能「邯鄲」の後見を勤めました。

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「邯鄲」という能は見どころが多く、テーマも深淵で、正に名曲と言えます。

その数ある見どころの中でも、私が何度見ても凄いと思うのは、「楽」の舞です。

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シテ盧生は曲のクライマックスで、「一畳台」という畳一畳分の大きさの作り物の上で「楽」という舞を舞います。

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畳一畳分とは、能舞台(5.4m四方)の僅か18分の1のスペースです。

この空間で、通常と同じ「楽」を舞わねばならないのです。

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一畳台の上では、シテの足数は3足を越えることは決してありません。

また「まわり返し」などの型も、狭いスペースに合わせて非常に巧みにアレンジされています。

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舞が進むにつれて観客の目は、むしろ一畳台が狭いが故にシテに集中していきます。

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そして舞の後半、シテのある動きによって観客は、「一畳台の上は夢の世界で、台の下は現実世界が広がっているのだ」と気付かされます。

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やがてシテが一畳台を降りて広い舞台に出て行く時、それまで一畳分のスペースに気持ちが集中していた分、舞台は対照的に限りなく広大な空間に感じられます。

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シテは今度はその広い空間を縦横に使って、スピーディに動き回ります。

その若干異常にも感じられる盛り上がり方で、「何かが終局に近づいている」とまた気付かされるのです。

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このような様々な効果を、「一畳台を使って楽を舞う」というシンプルな要素だけで実現させてしまう。

こういった発想を目の当たりにすると、能作者とは全く超人的な才能を持った人間なのだと改めて痛感してしまいます。

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この名曲「邯鄲」を、明後日の月並能で是非ご覧くださいませ。

・宝生流月並能

6月10日14時開演 於宝生能楽堂

能「柏崎」シテ金森秀祥

能「邯鄲」シテ大坪喜美雄 ほか

一番しんどいのは…?

次の3つのうちで、一番しんどい状態はどれだと思いますか?

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①激しく動きまわっている時。

②ゆっくり動いている時。

③じっと動かないでいる時。

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普通なら①が一番疲れてしんどいと思われるでしょう。

しかし、能においては実は③が最も辛いのです。

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先日の涌宝会の能「船弁慶」の時、私は何人かの楽師と楽屋のモニターで見ていました。

曲も終盤に差し掛かって、後シテの平知盛が長刀を肩に差し当てていわゆる「休息の型」に入りました。

ここから「その時義経 少しも騒がず 打ち物抜き持ち 現の人に」という謡の間、シテはじっとして動かずにいるのです。

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そこで、隣で見ていたある先輩楽師が「ここが一番しんどいんだよね…」としみじみと言いました。

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船弁慶の「休息の型」は、右足に全体重をかけて半身で構えています。

なのでたとえ短い時間であっても、装束も加えた重量と、それまで激しく動いていた疲労が重なって、足がガクガク震える程の辛さなのです。

「休息の型」では全然休息出来ず、それが終わって再び長刀を振りかざした時に「やっと動けた!」とむしろホッとするのです。

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実は明後日の「京都満次郎の会」で出る能「熊野 膝行三段之舞」でも、比較的長くじっと動かずにいる時間があります。

その時間、舞台上の立ち方はかなりの力を使って気張ってじっとしていると思っていただけると有り難いです。。

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繰り返しですが、初めて能を見る方でも「綺麗だなあ」と楽しめて、ちょっと知っている人は途中で「おおっ」と驚きがあり、よくよく知っている方は更に細部にわたって沢山の驚きと発見がある能「熊野 膝行三段之舞」を明後日の舞台でどうか多くの皆様にお楽しみいただければと思います。

・京都満次郎の会

6月9日(土)16時始 於金剛能楽堂

能「熊野 膝行三段之舞」シテ辰巳満次郎

ワキ福王茂十郎 ツレ澤田宏司

仕舞「蝉丸」宝生和英 他

隙間花壇〜梅雨入りの頃〜

今日は近畿から関東まで一気に梅雨入りしたようです。

思えば去年の梅雨入りの頃には、明け方の大きな雷で起こされたりしていました。

今年の梅雨は今の所、しとしと雨のおとなしい感じですね。

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喉を出来るだけ使わないように、昨日の亀岡稽古から帰った後は家から出ずに一言も口をきかずに、蜂蜜を舐めながら先ほどまで過ごしました。

何やら「くまのプーさん」になったような気分で、夜の田町稽古に向かおうと家を出ると…

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隙間花壇のガクアジサイがしとしと雨に濡れて、如何にも梅雨らしく咲いていました。

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しかしよく見ると、地面近くには違う花も見られます。

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なんと、もうオシロイバナが咲いていました。

紫陽花と白粉花の競演。

春が過ぎて、また暑い夏に確実に向かっていることを教えてくれました。

「謡」という乗り物

昨日の大山崎稽古では、試みにこれまで稽古した謡本を全部持って来てもらいました。

15曲ありました。

毎月一回、1時間ほどの団体稽古をコツコツと積み重ねて来た結果です。

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そして昨日はその15曲を、短い範囲で次々に謡っていくという「プチ・半歌仙会」のようなことをしてみたのです。

(半歌仙会とは、18曲を1日かけて謡う素謡会のことです)

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「竹生島」から始めて、「土蜘」「加茂」「船弁慶」「小鍛冶」「咸陽宮」「大江山」「鞍馬天狗」「安宅」…

と謡って、最後に「高砂」の千秋楽できっちり100分間謡い続けました。

15曲制覇はなりませんでしたが、「四半歌仙会」にはなりました。

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これだけまとめて謡うと、謡というものが如何に多彩で幅広く、奥深いかが良くわかります。

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何も知らないで聞いていると、謡は全部同じように聞こえてしまいます。

しかしきちんと稽古してから謡ってみると、一曲毎に時空間が全く異なる、目眩くような世界が広がっているのです。

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琵琶湖縦断の長閑な舟旅。

源頼光と怪僧の緊迫した闘い。

賀茂の神様の不思議な縁起。

嵐の海上で義経に襲いかかる平知盛の怨霊。

天下の名刀小狐丸の誕生秘話。

始皇帝を暗殺から救った琴の秘曲。

酒呑童子が大江山に住み着くまでの放浪の日々。(月にまで行って来たのです!)

春の鞍馬山中での大天狗と牛若丸の邂逅。

安宅の関での、富樫と弁慶の命懸けの攻防。

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「謡」とは、このような沢山の物語世界に自在に入り込んで行ける「乗り物」のようなものだとも言えます。

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大山崎では、来月から新しい曲「草紙洗」の稽古が始まります。

今度は美しい平安の宮中絵巻の世界へと、大山崎の皆さんと共に「謡」に乗って入って行きたいと思います。