降れば土砂降り

今日は朝から大山崎稽古でした。

京都は晴れ間が広がり、空にはもくもくと夏雲が湧いています。

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阪急大山崎駅からJRの踏切を渡るまでは、ほとんど日陰の無い道です。

まだ朝9時半なのに、ジリジリとオーブンで炙られるかのような暑さでした。

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踏切を渡り宝寺への坂道に入っても、直射日光は無いものの気温は非常に高く、むせるような空気の中で登って行きました。

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お寺に着くと、お盆のお墓まいりの人達が既に大勢いらっしゃいました。

朝の比較的涼しい時間のうちにお墓まいりをしようということなのでしょう。

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宝寺では、謡の稽古はエアコンのある部屋でしておりますが、仕舞の稽古をする大部屋にはエアコンがありません。

秋の澤風会に向けた仕舞「葛城」と「大江山」の稽古を、皆さん大汗をかきながら頑張りました。

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昼頃に稽古を終えて、また灼熱の坂道を降りてJR山崎駅へ。

京都まで出て東京行きの新幹線に乗って、車内の涼しさにようやく一息つきました。

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しばらく乗っていると、静岡辺りで俄かに空が真っ黒な雲に覆われてきました。

やがて窓を大粒の雨が叩き始めます。

つい先ほど大山崎で畑を持っている会員さんが、「畑仕事の記録を見ると、去年までと違うのは”夕立”が全く無いこと。それで今年は暑さがこたえるのです。」と仰いました。

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たしかに、夕立がさっと降って暑さが和らぐというのは、ちょっと前までは全国満遍なくある夏の風物詩だったはずです。

それが最近では、一部の地域に集中してゲリラ豪雨が降り、それ以外の土地は逆に全く雨が降らないというように二極化している気がします。

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新幹線は東京に近づいていますが、雨はまだ強く降っています。

三ノ輪に到着するまでに、なんとか小止みになってもらいたいものです。。

試験が終わった途端に

一昨日の金曜日、久しぶりに京大稽古に行きました。

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前期試験が終わって夏休みに入っており、そんなに人がいないかも…

と思って部長さんにメールしてみたところ、「今11人いて、更に何人か増える予定です。」との返事が。

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おお、それは普段と殆ど変わらない人数ではないですか。

これはまた熱い稽古になりそうだと、紫明荘組稽古から京大BOXに直行しました。

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到着するとたしかに大勢の現役が稽古しています。

試験中には来られなかった人達の顔もちらほら。

特に1回生が沢山来てくれていて、仕舞もそれぞれ前回のエレベーターホール稽古とは違う新しい曲をリクエストされました。

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毎年思うことですが、全宝連を経た1回生のシテ謡がとても大きな良い声になっていて驚かされます。

感心していると部長さんが、「実は先日、1回生だけの仕舞発表会を行ったのです。OBOGさんにも声をかけて、20人程が集まって1回生の仕舞を見てから講評をいただきました。」

それはおそらく初めての企画で、1回生の実力を上げる為に大変良いことだと思いました。

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そして1回生に続いて先輩たちもガンガン稽古をして、ようやく21時頃に稽古を終えてご飯を食べに行くことになりました。

すると1回生が何だかとても大きなカバンを担いでいます。

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私「荷物大きいね。これから帰省?」

1回生「いえ、中身は紋付袴です。今日は京大のオープンキャンパスで、宝生会が仕舞を発表したのです。」

なんと、そういえば他にも着物カバンを持った人がいました。

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皆試験が終わった途端に1回生発表会やオープンキャンパスなど、精力的に活動しているのですね。

「夏休みだから人が少ないかも…」などと思うのは大間違いでした。

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次の稽古は大原での夏合宿になります。

こちらも普段よりも更に熱い稽古が展開されることでしょう。

体力をつけて体調を万全にして参加しなければ、と改めて気を引き締めた一昨日の京大稽古でした。

七葉会の話〜ゾーンに入る〜

話題がちょっと戻りますが、この前の日曜日の「七葉会」のお話です。

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仕舞や舞囃子、また能の地謡などを謡う時、私は謡と平行して色んなことを考えてしまう時があります。

これは「雑念」が入った状態と言うか、良くないことだと思うのですが、ついつい謡と関係ない余計なことが頭に浮かんでしまうのです。

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しかしまた逆に、そのような雑念が一切湧かずに、謡いながらその曲の世界にどんどん深く入り込んでいくような感覚を味わうことがあります。

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スポーツの世界では「ゾーンに入る」という極限の集中状態があるそうです。

その時にはボールが止まって見えたり、何人もの選手の動きが同時に把握できたりするようなのです。

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謡においてもおそらくその「ゾーンに入る」のに似た状態があるのだと思います。

そして今回の七葉会においては、舞囃子「歌占」の地謡でその状態になりました。

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シテの方の力量が非常に高かった事が第一の理由だと考えられます。

私のどんな謡にも付いて来てくださるので、緩急や強弱を自由自在につけて謡っておりました。

「地獄めぐり」を描く、恐ろしい内容の長大なクセを謡っているうちに、自分の意思が段々と希薄になって来ました。

緩急も強弱も節付けさえも殆ど考えずに、無意識のうちに口から謡が溢れるような不思議な状態になってしまったのです。

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ただ舞台への集中力は増していて、囃子方の掛け声がやけにはっきりと聴こえました。

謡っている自分の謡が怖いなあと思いました。

シテと囃子方と地謡が渾然一体となって、リアルに地獄めぐりをしているような錯覚を覚えました。

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最早自分の方が「歌占」にコントロールされていたようで、謡終えて切戸から入った時には、夢の中で大冒険をして来たような奇妙な疲労感と脱力感を覚えました。

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…このような状態の時には、はたして見所にはどのように私の謡が聴こえているのか、気になるところではあります。

気合いの入った良い謡と聴こえているのか、感情が強くこもり過ぎた過剰に荒っぽい謡と思われているのか…。

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今回七葉会で舞囃子「歌占」をご覧になった方に、感想を伺ってみたいものです。

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松本城薪能〜その2〜

松本城薪能前座の松本澤風会発表会はなんとか無事に終わり、次は私自身がシテを勤めさせていただく薪能の本番です。

しかし、時が経つにつれて空模様は次第次第に怪しくなって来ました。

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18時の開演直前にはついに空からポツポツと雨の筋が。

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薪能の途中で雨が降り出した場合、いくつかの選択肢があります。

①能の時間を短くして、例えば「半能」形式で演ずる。

②装束と面をつけずに、「袴能」形式にする。

③雨が強まった時点で演技を中止して、幕に引いてしまう。

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18時開始の初番の能「清経」は、協議の結果②の方式が選択されました。

この時点で、19時頃開始予定の能「鵺」がどのような形式になるかは全く未定で、私はとりあえず胴着には着替えて楽屋に控えておりました。

②になった場合に備えて、紋付袴もすぐに着られる状態にしてあります。

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「清経」が終わった時点で、雨は小康状態でした。

しかし携帯の雨雲レーダーを見た楽師から「19時15分頃には松本周辺は土砂降りという情報です!」との絶望的な報告が。

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「鵺」をどうするか、家元始め数人の先生方が協議に入りました。

私はどのようになっても受け入れようと、胴着で静かに座って協議の結果を待ちました。

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結果は、「鵺はとりあえず前半から予定通り始めて、雨が降った時点で即座に中止する」という③の方針でした。

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とにかく装束と面をつけて舞台に出ることが決定したのです。

即座に藪克徳くんにお願いして装束をつけてもらいました。

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慌ただしく鏡の間に移動して、面をかけます。

普段通り前シテの面「怪士」を手にとって一礼しましたが、今回は「どうか最後まで演じさせてください…!」という強い祈りも込めました。

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そしてついに始まった能「鵺」の舞台。

その前半の見せ場、源頼政が上空の鵺に向けて矢を放つ場面がやって来ました。

さあ行くぞ、と思った所で能面の狭い視界の前に雨の筋が何本も見えました。

ポタポタと舞台を打つ雨音も。

「今から良い所なのに、ここで中止なのか…!」

と思いながらも、後見が止めに来るまではと一所懸命に舞台を続けました。

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そして気がつくと、前半の山場を終えて中入になっていたのです。

雨は本当に危うい瀬戸際で踏みとどまってくれました。

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中入で装束を着替えている時に、「これは最後まで演じられる気がする…!」という不思議な確信が降りてきました。

後シテの能面「猿飛出」にやはり強く祈ってから、後半の舞台へ。

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後半の途中でも一度雨が少し降り出した気配がありましたが、やはり幸いにも強くはならず、ついに橋掛りで留拍子を迎えることができたのです。

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今思い返しても、あの状況で雨がほとんど降らなかったのは不可思議なことだと思います。

ともあれ、私にとって初めての薪能のシテ「鵺」は、こうしてなんとか松本城天守閣の前で無事に終わったのでした。

終演後の打ち上げの席で、東京から観に来てくださった会員さんが「いやあ、天守閣に怪しい黒雲がかかって、本当に鵺が出て来そうで抜群の雰囲気でしたよ!」

…成る程。

こちらは心底冷や冷やし通しだった1日でしたが、結果的には松本澤風会の舞台も雲で少し涼しくなり、その雲が能「鵺」の雰囲気まで演出してくれたようです。

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関係者の方々と共に、今回は本当に天に感謝したいと思います。

最後まで舞わせていただき、ありがとうございました。

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松本城薪能〜その1〜

昨日の松本城薪能と、その前座の松本澤風会発表会は、おかげさまで何とか無事に終了いたしました。

いらしていただいた沢山の方々、また暑い中を稽古に励んで発表会に臨まれた会員の皆様、そして松本城管理事務所の加藤様始め薪能の開催にご尽力いただいた全ての方に心より御礼を申し上げます。

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昨日の松本の天気予報は、正午頃に雨が降り出して夜までずっと降水確率60%、という絶望的なものでした。

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しかし朝起きてカーテンを開けると、外は快晴です。

「これから急に荒天になるのだろうか…」

と思いながら松本城天守閣横の薪能会場を下見に行きました。

11時過ぎの段階では上のように綺麗な夏空で日差しも強く、舞台の上に数分立っただけで汗が吹き出して来ました。

それでも天気予報によれば、あと1時間後には雨が降り出すはずなのです。

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次に私はお城近くの大手公民館に向かいました。

松本澤風会発表会のリハーサルと、雨天の場合に大会議室をどのように使って発表会をするかを考える必要があったのです。

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リハーサルは順調に終わり、大会議室でも60人ほどの客席は確保出来る目処が立ちました。

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刻々と発表会の開始時間15時半が近づいて来ます。

今にも雨が降って来るか、と内心ドキドキしながら過ごしていたのですが、15時前になっても外はまだ青空が見えています。

しかし携帯電話で天気予報をチェックすると、予報は変わっておらず既に松本には雨雲がかかっているという内容です。

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携帯の画面と、窓の外の青空を見比べて首を傾げながら、我々松本澤風会はいよいよ松本城薪能の会場に向かいました。

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「ここまで来たら、少なくとも発表会は外で開催出来そうだ。」と少し安堵していると、15時半ギリギリのタイミングで空が雲に覆われて、怪しい空模様になって来ました。

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観客席には、それでも100人ほどもお客様がいらしてくださっています。

「頼むから、発表会が終わるまでは降り出さないでくれ!」と強く祈りながら私は東川尚史君と2人でいよいよ発表会の地謡座に座りました。

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初舞台の鰻屋さん、小中学生の子供達、そして松本に家や仕事場を持ちながら松本澤風会で稽古してくださっている10数人の皆さんが、1人ずつ交代で舞台に上がって仕舞や独調を発表していきます。

緊張しているのがありありとわかる人、落ち着いている男の子、集中力が増して普段より切れのある仕舞を舞っている人…

皆さんそれぞれ、精一杯に稽古の成果を発表してくださいました。

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40分ほどの発表会の間、幸いなことに雨は降りませんでした。

「今回の発表会に出演されたのは、地元の小中学生とそのご家族、松本にお店を持つ人、松本の伝統工芸の職人さんなど、この松本に根を下ろして暮らしている方々です。

そのような人たちに能楽が根付いていくことが、つまり松本に能楽が根付いていくということだと考えております。

これからも頑張って稽古して参ります。」

と挨拶をさせていただき、先ずは松本澤風会発表会が無事に終わったのでした。

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その後の松本城薪能の模様は、また次のブログで書かせていただきます。

ブログを更新出来難いほどの1日

今日の松本城薪能は、昼間の松本澤風会発表会から最後の能「鵺」まで、実に色々なことがありながらも何とか天守閣前の野外の舞台で最初から最後まで終えることが出来ました。

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「色々なこと」というのが今日は本当に盛り沢山過ぎて、書きたいことが溢れています。

しかし今日はさすがに私も少々疲れてしまいました。

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今日の諸々の出来事はまた明日以降に。

おやすみなさいませ。

人事を尽くして…

今日は暦の上では「立秋」。秋が始まったわけです。

無論まだまだ暑さは続いていくのですが、先ほど三ノ輪の自宅から外に出たところ、風の涼しさに驚きました。

まるで本当に夏が終わって秋がやって来たようです。

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しかしこの涼しさは、遠い南東の海上に台風13号が来ているからなのです。

台風に向かって北からの涼しい風が吹き込んで、東京を冷やしてくれているわけです。

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そしてこのままのコースと速さで台風が接近してくると、明日の松本城薪能とその前座の松本澤風会発表会に影響が出てしまいそうなのです。。

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今朝松本城管理事務所から電話があり、今のところ薪能は予定通り開催の方向ということです。

刻一刻と更新される携帯電話の気象情報に文字通り一喜一憂しながらも、とにかく明日への準備をして大荷物を抱えて水道橋に向かいました。

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明日薪能で舞う予定の能「鵺」の最後の稽古をして、そのまま新宿に出て夕方の特急あずさに乗って、松本へと出発しました。

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もしも雨が降っても、松本澤風会発表会だけは、お城近くの大手公民館大会議室にて15時半より開催します。

またその場合にも、せめて能「鵺」の半分くらいでもお見せ出来るように、大荷物の中に色々とアイテムを仕込んで参りました。

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私に出来る準備は全て尽くしました。あとは運命を天にお任せして、静かに松本の夜を過ごして明日を待とうと思います。

七葉会の話 〜能「羽衣」のこと〜

昨日一昨日と2日間にわたって開催された七葉会。

おかげさまで今年も無事に終えることが出来ました。

先生方、また出演された各会の会員の皆様、そして見所で応援してくださった多くの方々に心より御礼申し上げます。

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今回も本当に盛り沢山の番組で、全てを書くと膨大な量になってしまいます。

とりあえず心に浮かんだことから、何回かに分けて書いてみたいと思います。

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まずは澤風会の話ではないのですが、内藤飛能さんの飛雲会から出た能「羽衣」について。

先週金曜の申合の時に、「85歳で初シテなのです」と伺って驚いたのですが、昨日がいよいよその本番の舞台だったのです。

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シテの方に装束の着付けをしながら、少しだけお話しをしました。

10年前にジパング倶楽部の謡曲教室で謡を始めたこと。

女学校の頃に「羽衣」を国語の授業で勉強したこと。

「能のシテを舞う」ということに昔から憧れていたこと…。

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そして装束を着付け終わって、「鏡の間」に移動しました。

シテの方は、大きな鏡に映る天人の姿を見て「はぁ〜綺麗…。自分じゃないみたいです。」と目をキラキラさせて仰いました。

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色んなことに素直に感動される姿に、私もすっかり感情移入してしまい、「この方の”羽衣”は、何としても成功して良い舞台になってほしいものだ…!」と心から願いました。

申合では長絹の袖が上手く返らなかったり、何点か修正点があったのです。本番は果たして上手く修正されているのか…。

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しかし本番が始まると、私の心配は杞憂に過ぎなかったことがわかりました。

やはり1年をかけて稽古されただけあって、とても落ち着いて品のある素晴らしい「羽衣」の舞台でした。

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無事に舞い終えて楽屋に戻って、装束を脱いだシテの方が嬉し涙を流しておられるのを見て、「良かったなあ…」と心から嬉しく思ったのでした。

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75歳から始めて、85歳で能のシテを立派に舞うことも出来る。

これもまた「能楽」の懐の深さだと思います。

よく「私は始めたのが遅かったから…」というような言葉を会員さんから聞きますが、何歳から始めても決して遅くはないのだと、今回の能「羽衣」のシテの方に改めて教えていただいた気がいたします。

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見事な初シテ、本当におめでとうございました。

七葉会2日目まで無事に終わりました

今年の七葉会が2日目まで無事に終わりました。

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終了後の宴会も例年通り究極的に和やかなゆるい雰囲気で、七葉会らしくて良いと思いました。

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私も少々酔っ払っておりますので、今日はこれにて。

また明日からよろしくお願いいたします。

本日休業いたします

七葉会第1日目はおかげさまで無事に終了いたしました。

本日の詳細はまた改めてご報告させていただきます。

明日も頑張ります。