うれしい”ご質問”

このホームページには、今まで様々な読者の方から「お問合せ」をいただきました。

昨日もまたそのような「お問合せ」をいただいたのですが、今回はこれまでとは少々違う内容でした。

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“能に関するご質問”という題名で、都内の高校生からの問合せだったのです。

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その生徒さんは、以前小学生の時に夏休みの自由研究で「能楽」を取り上げてくれたそうです。

そしてそれから数年経って、今高校で伝統芸能について調べる課題に取り組んでおり、そこで再び「能楽」を、今度はより深く調べてみたいと考えたそうなのです。

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その後に質問がいくつか箇条書きで書いてありました。

「お忙しい立場だと思いますが、答えていただけるとありがたく思います」と最後に丁寧に書いてありました。

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全く接点のない私に、こうして能楽の事を質問するメールを書くのは大変な事だったと思います。

そして高校生が自発的に能楽に興味を持って調べてくれるとは、本当にありがたいことです。

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先ほど新幹線に乗りながら、早速質問に対するお返事を書かせてもらいました。

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拙い内容の回答ですが、どうか高校の課題に役立ててもらえるとうれしいです。

そして今回の課題で終わることなく、「能楽」に今後もずっと興味を持ち続けてもらいたいと願っております。

3大学合同「高砂」稽古

今日は夜に大阪の香里能楽堂で、土曜日開催の「七宝会」の申合がありました。

私は能「天鼓」の地謡を勤めました。

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その申合が終わって切戸から出ると、楽屋にはたくさんの大学生達が待っていました。

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来たる5月25日には、「第120回京宝連」にあたる「関西宝生流学生能楽連盟自演会」が大江能楽堂にて開催されます。

そして京宝連120回を記念して、京都女子大がシテ、同志社大と京大が混合で地謡を謡う祝言半能「高砂」が演じられるのです。

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今日はその「高砂」を、七宝会申合の後に満次郎師に稽古していただく日だったわけです。

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京女、同志社、京大の学生達が協力して作り上げる「高砂」の舞台。

今日の稽古ではそれぞれの大学を指導する能楽師3人も、同じく協力体制を組みました。

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同志社大を指導する山内崇生さんはワキの謡を。

京女を指導する石黒実都さんは笛の唱歌を。

そして京大を指導する私が太鼓をあしらって、総監督の満次郎師に稽古をつけていただいたのです。

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結果は「大体よろしい」と満次郎師に言っていただけました。

あとは申合を経て、本番までの2週間でより完成度を高めていければと思います。

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「高砂」以外にも、勿論京阪神各大学から多くの仕舞、素謡、舞囃子が出る今回の「関西宝連」。

皆様5月25日には是非京都大江能楽堂にお越しくださいませ。

思春期世代の能楽教室

今日は千葉の中学校にて能楽教室をして参りました。

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対象は中学3年生30数人。

思春期真っ只中のなかなか難しい年頃です。

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いつものように正座しての挨拶から始めましたが、やはり「よろしくお願いします!」と声を出すのがとても恥ずかしそうで、最初は蚊の鳴くような声でした。

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「声が小さい子供達なのかな?」

と思いましたが、その後の実際に体を動かしての「型」の体験では一転して元気になりました。

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例えば私が「面切り」の見本を見せると、女の子達は全員なぜか大受けで、笑いが止まらない感じなのです。

成る程、これが「箸が転がっても可笑しい年頃」というやつなのだろうかと、こちらもつられて可笑しくなってしまいました。

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そして合間の休憩時間には、今度は皆別人のように賑やかにはしゃいでいます。

しかし後半の「高砂待謡」の体験では、また恥ずかしそうな小さな声に戻ってしまったのでした。。

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きっと1学年30数人という人数が微妙で、誰か1人が目立つ行動はしないようにお互いに牽制し合っているのかな、と推察しました。

思春期の人間関係は我々が考えているよりも繊細微妙で、大変なのだろうなあと思いながら能楽教室を終えたのでした。

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幼稚園児から大人まで、色々な世代向けの能楽教室をしておりますが、「思春期世代」向けの能楽教室というのもまた独特の雰囲気があるなあと、私自身大変勉強になった本日の能楽教室でした。

先生方どうもありがとうございました。

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連休明けの松本稽古

今日は昼から松本稽古でした。

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世の中よりも1日早い”連休明け”です。

久々の澤風会稽古だったので、私自身の調子が狂っていないか少々心配でした。

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しかし始めてみるとそれほど違和感なくスムーズに稽古出来た気がします。

10人程来られた会員の皆さんも、よくお浚いをしてから来てくださいました。

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仕舞「鶴亀」を今日でひと通り最後まで稽古出来た方。

仕舞「雲雀山」が今回で完成して、次から新しい仕舞に移行することになった方。

「女郎花」の稽古を昨年クセの仕舞から始めて、”翔”の舞を経て今日ようやくキリの最後まで稽古し終えた方。

難しい「笹之段」の仕舞を2ヶ月でほぼマスターされた方。

などなど…

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連休中も仕事や家の用事をしていた、という方が結構多く、連休の影響は意外に少ないように感じました。

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そして先日書いた「善知鳥峠」に関する興味深い話もいくつか出て、また資料もたくさん頂きました。

楽しみに読ませていただき、頭の中で整理してから続報を書いてみたいと思います。

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そんな訳で、長い連休は明けましたが、色々充実した松本稽古が出来てひと安心いたしました。

“五月病”になることもなく、すんなりと通常運転に入っていけそうです。

松本の皆様今日もありがとうございました。

カンカン森通り散歩

10連休も終盤になりました。

今日は私にとって連休中最後の空いている1日でした。

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実は自宅近所に以前から気になっている道がありました。

そこを今日は探索してみようと思い立ったのです。

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「カンカン森通り」。

最初に発見したのは夜に家に帰る途中で、何か突拍子も無いネーミングに思われました。

しかし調べてみるとなんと「カンカン森」とは400年近い歴史のある古い名前だったのです。

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三ノ輪の自宅から徒歩3分で「カンカン森通り」の入り口があり、そこから日暮里駅方面に道なりに10分程歩くと…

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マンションの隙間に小さな社がありました。

境内の広さはせいぜい5×10m程です。

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この社は「猿田彦神社」。

そして「カンカン森」とは正式には「神々森」と書くのでした。

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境内に由緒書きがありました。

それによると、今から約370年前に猿田彦神を祀って建立された神社だということです。

ちょうどその頃に、この辺りが非常に風景が良くて日の暮れるのを忘れて過ごしてしまう里であったために「日暮里」の名前で呼ばれるようになったとも書いてありました。

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この神社は「日暮里」の歴史を現代までずっと見守ってきたのですね。

そして大正時代までは境内はもっとずっと広く、木々が生い茂って昼なお暗い雰囲気でした。

その神々しさに、人はこの地を「神々森」と呼んでいたのだそうです。

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この猿田彦神社では毎年9月1日に例大祭が行われるそうで、境内横には御神輿でも仕舞ってあるのか倉庫が並んでいました。

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今年の9月1日にはそのお祭りを是非見てみたいものです。

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旅の神様でもある猿田彦神様に、明日からまた始まる移動の日々の無事を祈って社を後にいたしました。

静かに暮れていく連休最後の1日でした。

令和最初の新入部員は…?

昨日は亀岡の「大本みろく能」の後に京大宝生会稽古に向かいました。

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連休中なので帰省している部員もいるだろうと思いました。

しかし来週には「関西宝連」の舞囃子「船弁慶」と「春日龍神」の申合もあるので、何とかいる部員だけでも稽古したいと思ったのです。

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蓋を開けてみると、なんとほぼ全員参加でした。

半数は「大本みろく能」に新入生を誘って観に来てくれて、終わってすぐに京大に戻って来た部員達です。

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稽古を始めたところで、今度はゲストの方々がやって来られました。

松本稽古場で今年から稽古を始めたばかりのご夫婦です。

かねてより「京大宝生会の稽古を是非見学したい」と仰られており、今回はご夫婦での京都旅行の1日を、やはり「大本みろく能」の鑑能と「京大稽古見学」に充ててくださったのです。

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にこやかにご覧になっておられるご夫婦の前で稽古を再開しました。

するとまた驚きの事態が。

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「今日は授業は無いけれど、一応新歓に行って来ます」と言って時計台の方に向かった部員が、新入生見学者を連れて戻って来たのです。

京大は連休など全く関係無いようでした。

その後さらに自分からBOXを探して来てくれた新入生見学者も1人加えて、むしろ普段より賑やかな稽古になったのでした。

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今年は京大能楽部全体的に新入生の入りが少ない状態です。

宝生会も5月にも様々な新歓イベントを用意して、新入生の入部を待っているのです。

自分の稽古や勉強などもある中で、現役達は本当に頑張っています。

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昨日は見学者2人に「熊野」と「船弁慶」の仕舞を少し稽古して、稽古後には2人も連れて部員達と晩御飯に行きました。

料理を注文して、「僕は来週も稽古に来るので是非また稽古の続きをしましょう!」と話したところで最終新幹線のリミットが来てしまいました。

あとは部員達に任せて、車に飛び乗って京都駅に向かったのです。

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次に入部する人は「令和最初の新入部員」ということになります。

来週の稽古でその記念すべき部員が誕生することを、心から祈っています。

亀岡の花々〜アヤメ科一番乗り〜

今日は朝から亀岡にて「大本みろく能」に出演いたしました。

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朝一番に舞台の方に向かうと、お濠に鮮やかな紫色が見えました。

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なんと、もう「業平の杜若」が満開になっていたのです。

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2年前と比べると、1週間ほど早いと思われます。

すかさず定点観測で何枚か写真を撮りました。

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そして、アヤメの仲間で一番早く開花するために「イチハツ」と呼ばれる花のことを思い出しました。

杜若がこれだと、もう散っている頃だろうか…と思い、舞台への道の途中にある「イチハツ」のある場所に立ち寄ってみました。

すると…

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なんと「イチハツ」も見頃だったのです。

今年は「アヤメ科アヤメ属開花一番乗り」の座を、杜若とイチハツが争っていたようです。

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舞台がすぐに始まったので他の花を見る余裕は無かったのですが、

遠目に「カザグルマ」らしい花が見えたり、他にも沢山の花々が咲き乱れていました。

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今日は夕方に舞台を無事に終えてからも、最終新幹線ギリギリまで色々な出来事が続いたのですが、それはまた明日以降に。

今は大混雑の最終新幹線のデッキにてこのブログを書いています。

間も無く到着の名古屋で、何とか席を確保するのが大事なミッションなのです。。

面白写真〜八十八夜〜

今日は「八十八夜」だそうです。

この日にお茶を飲むと長生きするということなので、是非美味しいお茶をいただきたいと思います。

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少し前に街を歩いていたら、下のような幟を発見しました。

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風にはためいていて少々見づらいですが、

「茶神ハチジュウハチヤー」

というご当地ヒーロー(?)のようでした。

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私は実はご当地ヒーローが大好きなのです。

沖縄の「琉神マブヤー」とか、郡山の「商店ガイレンジャー」などなど。

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茶神ハチジュウハチヤーは、よく見ると手に急須を持っていて、顔は「茶」という漢字で出来ています。

静岡茶のお店だったので、静岡に行けば会えるのでしょうか…。会って一緒にお茶を飲みたいものです。

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ついでに、最近の面白写真を何枚かご紹介いたします。

お店の看板ばかりなのですが、先ずは…

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浅草にて。「珍品を売る店 つる亀」。

開いていなかったのが非常に残念でした。業種も謎です。

どんな珍品なのか、次回必ず確認したいと思います。

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ジャズとラーメン。色んな組み合わせがあるものです。

しかしゆっくり聴いているとラーメンが伸びそうです。。

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次は2枚連続で。

そして、

純和風な店名と業種が微妙にズレているような気がしませんか?

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逆に考えると「和風居酒屋 アレクサンダー」

とか、「和惣菜 チンギスハーン」とかになってしまいます。。

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こちらは「居酒屋」と「スナック」の中間という意味なのでしょう。

店名と業種はぴったり合っていますが、入るのには相当勇気が要ります。。

カウンターに目つきの鋭い店主がいて、間違えて店主の背後を取ると撃たれてしまう、とか…

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最後に店名ではありませんが…

「応仁の乱以来」というネタを久しぶりに見ました。

ブラックサンダーがついに都に攻め上って来たのですか。

京都のお菓子もその衝撃に戦々恐々と…しているのでしょうか…??

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今日はこの辺で失礼いたします。

皆さまも今日はどうか美味しいお茶を。

三種の神器と能楽

今日から年号が改まり、いよいよ「令和時代」が幕を開けました。

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今朝「剣璽等承継の儀」をテレビで拝見いたしました。

三種の神器のうちの「草薙の剣」と「八尺瓊勾玉」を、テレビカメラ越しとはいえこの眼で見ることが出来るとは、実に感慨深いことでした。

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というのも、「三種の神器」は実は能楽にも深く関わっているのです。

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例えば「草薙の剣」は、能「草薙」においてシテ日本武尊が実際に手に持ち、その神剣の力で東夷を征伐した時の戦いを再現します。

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また「八咫の鏡」と「八尺瓊勾玉」は天照大神の「天の岩戸開き」の時に使われたと言われています。

この岩戸開きの有様が能「三輪」と能「絵馬」の中で詳しく描写されています。

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そして三種の神器は「壇ノ浦の合戦」において、平家と共に一旦海中に沈みます。

それを源義経がすくい上げたのです。

その壇ノ浦の合戦の模様は、能「大原御幸」のシテ建礼門院によって切々と物語られます。

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このように神話の時代や源平合戦での出来事を、我々能楽師は能の中で擬似体験しています。

とは言えそれらは余りにも遥かな昔の出来事で、もしかするとフィクションなのではないかと思ってしまう時もあります。

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しかし今回の「剣璽等承継の儀」で、「三種の神器」がその神性を古のままに保ちつつ、現代まで引き継がれているのを目の当たりに出来ました。

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連綿と継承されて来た「三種の神器」は、能の中の世界が遥か昔に確かに存在していた証のように私には思われて、なにか力強い気持ちになるのです。

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奇しくも今月は「草薙」を2回謡い、「絵馬」に関わるワークショップをする予定があります。

神秘なる「三種の神器」に思いを馳せつつ、新しい令和時代も一層能楽の道に励んで参りたいと思います。

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善知鳥峠の謎

昨日のブログを読んでくださった方より、「地名や会の名前に振り仮名をつけてほしい」とのお便りをいただきました。

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確かに「石和川(いさわがわ)」などは、山梨に縁の無い人や遠くの土地の人には読み辛い漢字ですね。

今後はそのような漢字には出来るだけ読み仮名をふるようにいたします。

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読みの難しい地名、というので思い出したことがありました。

先日松本稽古場の方より、長野県塩尻市に「善知鳥峠」という峠があると伺ってちょっと驚いたのです。

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謡をやっている人ならば、「善知鳥」という曲があるので「うとう峠」とすぐに読めるでしょう。

しかし驚いたのはそこではなく、「何故長野県の中心部に善知鳥峠があるのだろうか?」ということでした。

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能「善知鳥」は陸奥の話であり、”善知鳥(うとう)”という鳥もやはり北国に住む海鳥なのです。

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おそらく能の「善知鳥」とは全く関係無い由来があるのだろうと思い、調べてみると更に驚きました。

なんと「善知鳥峠」の由来になった昔話があり、それは能「善知鳥」の前日譚にあたるそうなのです。

以下がその昔話です。

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北の国の猟師が「善知鳥」という珍しい鳥の雛を捕らえました。

猟師は息子を伴って、その雛を都に売りに行こうとします。すると親鳥が子供を取り返そうといつまでも後をついて来ます。

やがて塩尻の峠にさしかかると吹雪になりました。

猟師はついに前に進めなくなり、その周りを善知鳥の親鳥は「うとう、うとう」と鳴きながら飛び回っていました。

翌朝吹雪が止んで、村人たちは猟師の息子の泣き声を聞きました。行ってみると、吹雪から息子を庇って死んだ猟師を見つけました。

そしてその横で、やはり鳴いている雛鳥と、雛鳥を庇って息絶えた親鳥を見たのです。

哀れに思った村人はそこを「善知鳥峠」と名付けて弔ったのでした。

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…という話の後に、能「善知鳥」のストーリーがあるというのです。

確かに2つの話は一応矛盾無く繋がります。

しかし、現在の青森県辺りの海岸から、海鳥の雛を京都まで歩いて運ぶというのは、かなり非現実的です。

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とは言えここまで詳細な昔話が残っているということは、長野県塩尻の「善知鳥峠」と、青森の海岸で「善知鳥」を捕らえた猟師との間には、やはり何らかの関わりがあったのでしょうか…。

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またひとつ興味深い謎が増えました。

この「善知鳥峠」に纏わる話は、今後もっと調べてみたいと思います。

また「善知鳥峠」という場所も、松本稽古の際にでも是非実際に訪れてみたいものです。

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今日はいよいよ平成最後の日になりました。

明日から始まる新しい時代に期待しつつ、静かに平成最後の数時間を過ごしたいと思います。