今日は京都金剛能楽堂にて、全宝連第1日目が盛大に行われました。
今回の全宝連も一日中熱い舞台で、京大宝生会を含めて見処はたくさんあり、素晴らしい会になりました。
実行委員の皆様本当にありがとうございます。
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すみませんまだ明日もありますので、今日は短めで失礼いたします。
明日もより一層熱い舞台を期待しております。
今日は京都金剛能楽堂にて、全宝連第1日目が盛大に行われました。
今回の全宝連も一日中熱い舞台で、京大宝生会を含めて見処はたくさんあり、素晴らしい会になりました。
実行委員の皆様本当にありがとうございます。
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すみませんまだ明日もありますので、今日は短めで失礼いたします。
明日もより一層熱い舞台を期待しております。
今日は水道橋宝生能楽堂にて「夜能」の舞台に出演して参りました。
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18時半に始まって20時半に終了した今回の「夜能」。
私は先ず冒頭18時半〜18時55分の”解説鼎談”に能楽師代表として参加いたしました。
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そして解説鼎談が終わり、長唄の舞台を挟んで19時20分〜20時10分まで能「土蜘」の地謡を勤めました。
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さらに「土蜘」が終わると、その後の仕舞3番のうちの最後の演目「富士太鼓」のシテを勤めて、舞い終えると丁度20時半だったのです。
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120分の催しの中で、3回にわたって計約90分舞台に出るのは、私としては珍しいことでした。
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3回の出番それぞれ役割が全く異なるので、身につける紋付袴で変化をつけることにしました。
着替えることでなんとなく気持ちもリセット出来る気がしたのです。
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最初の鼎談では、普段「後見」を勤める時の紋付袴セットを着ました。
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終わってから長唄20分の間に「地謡用」の紋付袴セットに着替えて能「土蜘」の舞台へ。
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そして「土蜘」が終わると、今度は「舞用」の色紋付と袴を素早く着付けて、最後の「富士太鼓」の仕舞に臨んだのです。
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今日の「夜能」は、おかげさまでお客様にも大変大勢いらしていただき、心地良い緊張感の中で最初から最後まで勤め上げることが出来ました。
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能のシテの時とはまた違った意味で、とても良い経験を積ませていただきました。
本日いらしてくださいました大勢の皆様、誠にありがとうございました。
京都紫明荘組の稽古場として、最近毎月「ゲストハウス 月と」さんを使わせていただいております。
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築100年以上の京町家を改装したこのゲストハウスで、夏休みに地域の子供達を主な対象とする「寺子屋」形式のイベントが開催されることになりました。
そしてなんとその「寺子屋」の先生として、私にも参加のオファーが届いたのです。
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寺子屋の先生というと、非常に厳格であり、また何でも知っている博学の人、というのが私のイメージです。
そのイメージとは対照的に何ごともいい加減な私などに、何故白羽の矢を立ててくださったのか実に不思議です。。
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しかし歴史ある京町家で、地元の子供達に能楽を体験してもらうというのは貴重な機会です。
せめて1日だけでも真面目な寺子屋の先生になったつもりで頑張ります。
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今年の夏は、大阪の枚方市と岡山の吉備津神社でも子供向けの仕舞教室があります。
京都の寺子屋と合わせると、ひと夏で60〜70人の子供達に能楽を教えることになるのです。
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子供達の夏休みの記憶に「能を経験して楽しかった!」ということが残るように、各地の教室を精一杯頑張りたいと思います。
今日は、今週土日に京都金剛能楽堂にて開催される「全国宝生流学生能楽連盟自演会」の舞囃子の申合がありました。
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今回の全宝連京都大会では、例年よりも多い6番の舞囃子が演じられます。
今日はこのうちの同志社大学「安宅」、京都大学「雲雀山」、甲南女子大学「加茂」、神戸大学「小袖曽我」の申合をしたのです。
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荒い曲、柔らかい曲、中之舞に男舞、ハタラキに相舞と、多様な曲がバランス良く並びました。
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令和になってから早くも3番目の舞囃子「雲雀山」に精力的に取り組む京大宝生会。
全宝連委員長自ら舞囃子「安宅」のシテを勤める同志社大宝生会。
女子大で唯一の舞囃子「加茂」を華やかに演ずる甲南女子大宝生会。
復活後初めての舞囃子「小袖曽我」に挑戦する神戸大宝生会。
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そしてそれら関西の大学に加えて、金沢大学からも舞囃子「葛城」と「鞍馬天狗」が出る予定で、この2番は囃子方の一部を金大宝生会の学生さんが受け持ちます。
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舞囃子への向き合い方にも、各大学のカラーが出ていて面白いのです。
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それにしても、今日のように4つの大学の宝生会が揃って舞囃子申合をするという賑やかな光景は、私の30年来の記憶にも無いほどです。
これは人数が増えたことは勿論ですが、関西の学生宝生流の地力が上がって来たことの現れだと思われます。
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これらの舞囃子だけでなく、たくさんの仕舞、素謡なども出る「全宝連京都大会」は、
6月29(土)30(日)の両日、金剛能楽堂にて午前11時開始です。
30日15時からは各大学を指導する能楽師による鑑賞能「船弁慶 後之出留之伝」が演じられます。
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全国各地で能楽宝生流を学ぶ学生達が一堂に会して、日頃の稽古の成果を披露する全宝連京都大会に、皆様是非応援にいらしてくださいませ。
どうかよろしくお願いいたします。
今日は亀岡稽古でした。
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最初に仕舞の稽古をした方が、実は亀岡稽古場で一番植物に詳しい方で、稽古の後に色々な草花を見せてくださったのです。
これは大変に幸運なことでした。
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先ず私の目についたのが小さなイチゴのような実でした。
私「この実はなんですか?」
「それはヤブヘビイチゴ(薮蛇苺)です。食べられますが、そんなに美味しくないですよ」
なるほど。昔小学校の帰り道に、友達と蛇苺を探して食べた覚えがあります。
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大きな黄色い花が咲き乱れていました。
「これはハンカイソウ(樊噲草)ですね。」
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おお!「樊噲」とは漢の武将の名前で、昨年舞った能「夜討曽我」にもその名が出てきます。
スックと伸びた茎の先に咲く派手やかな花を、勇猛な武将に例えたのでしょう。
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「これはエビラフジ(箙藤)ですね。なんで”エビラ”なのかわかりませんが…」
これはまた驚きのネーミングです。
「箙」と「藤」という2曲が合わさった花なのです。能楽関係者ならばニヤリとするに違いありません。
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名前の由来を調べると、花が一方向に咲いている様が、箙に矢を挿しているように見えるからその名がついたとありました。
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他にも「ギンバイソウ(銀梅草)」
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世界中で「青葉山」という山だけに咲くという女郎花の仲間「オオキンレイカ(大金鈴花)」(ただし近年になって、もう1箇所だけ群落が発見されたとか)
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「シナノアキギリ(信濃秋桐)」
などなど、短時間で沢山の花々を教えていただきました。
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そして稽古の続きに戻ろうとしたのですが、もうひとつ目に付いた木がありました。

「ヤマモモ」です。

今年も実がたくさん生っていたのです。

地面に落ちている実も多く見られました。
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実はもう3年越しに、この実を食べにくる「狸」を見たいと思っているのです。
夕方になると出て来ることがあると聞いていたので、今年こそはと思ったのですが…
「去年辺りから、狐が出るようになって、そうしたら狸は居なくなってしまったのです」
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なんと、狸よりも狐の方が強いのでしょうか。
どうやら今年もヤマモモを食べる狸には出会えそうにありません。。
いつか狐が居なくなったら、また戻ってきてもらいたいものです。
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関西の今年の梅雨入りは遅くなっていますが、明後日あたりから天気予報は雨マークです。
梅雨入り前の晴れ間に色々な花に出会えた今日の亀岡稽古でした。
今日は午前中に大山崎稽古でした。
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JR京都線の踏切を渡った所に天王山の登り口があり、そこから稽古場の「宝積寺」まで続く坂道は、私の知っている中では一番急で長い坂道です。
昔内弟子の頃に、タレントが坂道を全力疾走で登るという深夜番組を何度か見ましたが、宝積寺への急坂は、常人ではとても走っては登れないと思います。
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それほど急な坂道を、大山崎澤宝会のある御高齢の会員さんは、毎回歩いて登って稽古に来てくださいます。
数年前に膝を悪くされたという事なのですが、杖をつきながらも確りとした足取りでゆっくりと登って来られるのです。
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そして、仕舞の稽古も「膝がまだ治らず、座れなくてすみません」と仰りながら、休まず毎回参加されています。
今日も仕舞「女郎花クセ」と「松虫キリ」の2番を、他の3人の会員さんと並んで頑張って舞っておられました。
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この2番のうちのどちらかを、9月21日の澤風会京都大会の舞台で舞っていただきたいと思っています。
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膝への負担を出来るだけ軽くするように、私も気をつけてお稽古して参りますので、どうかこの先もずっと、毎年大江能楽堂での澤風会大会で仕舞を舞っていただきたいと願っております。
今朝京都に移動して、昼前からゲストハウス「月と」にて紫明荘組稽古をしました。
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日曜日なので、京大宝生会若手OBOGが大勢来てくれました。
夕方に8人で「絵馬」の謡を稽古して、今日の稽古を終えると、何人かで晩御飯を食べに行きました。
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なんとなく見ていると「若手OBOG」という一括りに見えてしまう彼らです。
しかし中華料理を食べながら話し始めると、それぞれの現役時代にあった舞台や部活でのエピソードが次から次へと溢れるように出てきます。
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私が京大宝生会の仕舞を教え始めたのは約22年前。
その時に現役だった人から、つい一昨年に卒業したばかりの人までが一つのテーブルを囲んでいるのです。
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溢れ出るエピソードの大半は私も知っている出来事なので、一緒になって大笑いしました。
何か20年分の立体的な同窓会に参加しているようで、懐かしく幸せなひと時を過ごしました。
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しかし単なる同窓会と違うのは、彼らが現在進行形でモリモリと稽古していることです。
過去の思い出だけでなく、この次に計画している大稽古会の話でも大いに盛り上がりました。
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今後この立体的な同窓会は、新しい舞台経験を積み重ねてより豊かなものに発展していくと思います。
彼らの成長を見て行くことができるのは、私にとって何物にも代え難い喜びなのです。
今日は熱海で舞台があり、能「杜若 沢辺之舞」の地謡を勤めました。
帰ってから来週末の「全国宝生流学生能楽連盟自演会 京都大会」までの諸々の準備をしていると、いつのまにか時計は23時45分になっていました。
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大変恐縮なのですが、本日のブログは短く終わらせていただきます。
今日の舞台のお話などは、また改めて。
本日はこれにて失礼いたします。
今からちょうど2年前の2017年6月16、17日に「半蔀の旧蹟を訪ねて」というブログを書きました。
五雲会で能半蔀を舞うための予習を兼ねて、京都市内の半蔀に関わる場所を散歩したのです。
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すると約1年半が過ぎた2018年の秋になって、ある方から「半蔀の旧蹟を訪ねて」へのコメントをいただきました。
それまで全くお会いしたことのない方でした。
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「自分もその場所をいつか訪ねてみたい」
という内容のコメントの最後に、
「私の名前が蔀というのです」
とあり、驚きました。
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「半蔀」という能を舞うことで「蔀さん」と繋がりが出来るとは、不思議で嬉しいことでした。
珍しい御名前なので検索させていただくと、すぐにヒットしました。
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これまた驚いたことに、浅草にある大きな乾物屋さんの社長さんだったのです。
浅草は私の自宅のある三ノ輪からほど近く、そのお店の前も何度か通っていたのでした。
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合羽橋の道具屋筋の入り口近くにあるその乾物屋さんにはカフェも併設されており、一度伺ってお茶を飲み、出来たら「蔀さん」にお会いしたいと思いました。
ところが何故か、その後浅草に何度か行った時にはお店がことごとくお休みだったのです。
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そうこうしているうちにコメントをいただいてから半年が過ぎました。
そして今日は仕事が日本橋で夜からだったので、「今度こそは」と思い立って浅草に向かったのです。
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何度目かの正直で、カフェは開店していました。早速勇んで入店。
乾物屋さんの品物を色々使ったカフェです。
そこで珈琲というのも不粋に思われ、私にしては珍しく「冷し白玉ぜんざい」を注文しました。

久しぶりにいただいた「冷し白玉ぜんざい」は、”白玉”も”あずき”もとても優しい味がしました。
口直しに梅干が添えられているのも良かったです。
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そしてぜんざいを美味しくいただいて、レジで会計を済ませる時に、店員さんにブログのこと、「蔀さん」のことを話してみたのです。
すると、厨房から1人の女性が出てこられて、
「私も旧姓が”蔀”なのです。コメントをお送りしたのは私の兄に間違い無いと思います」
と仰ったのです。
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おお!
コメントの蔀さんではありませんでしたが、蔀さんの一族の方にお会い出来たのです。
とりあえず名刺を妹さんに託して、「また寄らせていただきます」
とカフェを後にしました。
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メニューには”かき氷”や、合羽橋にちなんだ”カッパパフェ”など色々魅力的なラインナップが並んでいました。
能「半蔀」を舞わなかったら、そしてブログを書いていなかったら今でもおそらく素通りしていたはずのこのカフェ。
次は真夏に”かき氷”でも食べに来ようかな、その時には「コメントの蔀さん」にお会いしたいものだと思いながら、日本橋の仕事へと向かったのでした。
今日は終日江古田稽古でした。
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澤風会最高齢90歳の会員さんは、今日も元気にいらしてくださいました。
夏の「七葉会」では素謡「草紙洗」の王と、仕舞「鮎之段」に出演してくださるので、今日はその稽古をしました。
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稽古を終えて、「変わらずお元気ですね!」と声をかけると、
会員さん「いえいえ、私もう先生の3倍も生きているんですから…」
私「いやいや、それだと今は150歳になるはずですよ(笑)」
しかし、本当に150歳までお元気でいらっしゃるような気もいたします。。
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更に、
私「これまで病気で稽古お休みというのは一度も無いですよね」
会員さん「ええ。でも病気をした事はあるのですよ。幼稚園の時にジフテリアになって、もう大変で…」
…!!
なんと幼稚園以来病気とは無縁なのですね!
それは実に驚異的で素晴らしいことです。
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これからも澤風会全員のお手本として、いつまでもお元気で稽古にいらしていただきたいと思っております。