第1回宝生会定期公演

本日は宝生能楽堂にて「宝生会定期公演」に出演して参りました。

昨年までの「月浪能」と「五雲会」という形式を1日にまとめて、午前と午後の2部制で行う新しい公演形態です。

午前と午後合わせて4番の能と2番の狂言の番組が演じられます。

私が内弟子の頃には1日4番の能が出る催しもあり、楽屋では内弟子仲間たちと久しぶりにその頃の話をしました。

思えば私は昨年末の最後の「五雲会」の留の能「土蜘」でツレの頼光を勤めたのです。

そして今日は新しい「定期公演」での最初の役である「藤栄」の後見を勤めさせていただきました。

公演形式は色々と変わって行きますが、気持ちは変わらず、一回一回の舞台をより良いものにする事を第一に精進して参りたいと思います。

希望の6人

先日の特別会の翁に関しては書くことが本当にたくさんあります。

特別会終演後には能楽堂近くの居酒屋「たかの家」にて、京大宝生OB会を中心とした後席がありました。

そこに昨春入ったばかりの一回生が3人参加して、初めてOB会の方々と顔合わせをしたのです。

コロナ禍でこのブログの更新が滞っている間に、実は京大宝生会は存亡の危機と思われるまでに部員が減りました。

昨春の新歓では正に最後の希望をかけて、京大近辺にいるOBOGが総出で様々な新歓活動を行ったのです。

幸いにもその成果があって、なんと6人もの新入生が入部してくれたのでした。

彼らはそれぞれ非常に個性的でありながら、6人の結束力も強く、昼間から夜遅くまで熱心に稽古しています。

彼らの舞台の様子は動画でOB会の皆様と共有されていましたが、実物の一回生と全国のOBOGとの対面は今回の翁の後席が最初の機会となったのです。

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後席は非常に盛り上がり、参加した一回生からは後日に「OB会の皆様とも交流でき、心強い応援のお言葉の数々をいただきました。我々の入部を喜んでくださっているのを改めて実感でき、とても嬉しく思います

というメールが届きました。

彼ら一回生6人は、これからの京大宝生会の核となって新しい歴史を作っていくことでしょう。

目前に迫った今春の新歓もとても楽しみです。

千歳一遇

宝生流の「翁」では、翁の他にもう1人シテ方が「千歳(せんざい)」という役を勤めて、若々しく颯爽と舞います。

私は20年ほど前に金森秀祥さんの翁の時に千歳を勤めました。

今回の千歳は鶴田航己君。私が小さな頃から稽古をしている青年です。

宝生流の定例会では翁も千歳も序列順に先輩から勤めるので、師弟や親子であっても翁と千歳を共演する事はまず無い事なのです。

今回も全くの偶然で、番組を見た時に驚きました。

しかし私が翁で鶴田航己君が千歳という組み合わせは、稽古においては非常に有益でした。

「翁」の冒頭では、翁は左足から出て左足で止まり、千歳は右足から出て右足で止まるなどの非常に細かい決まり事があります。

歩数も決まっている所があり、2人でピッタリ歩みを合わせるのは中々困難なのです。

それが今回は、翁稽古の時に毎回のように鶴田航己君と合わせる事が出来たので、本番では何の心配も無く幕から舞台まで歩む事が出来ました。

天から与えられた偶然に心から感謝したのでした。

私が千歳を勤めた20年ほど前には、鶴田航己君はまだ小さな子供でした。

その鶴田航己君が翁を勤める時には、おそらく今は小さな赤ん坊が立派な青年に成長して、千歳を颯爽と舞う事でしょう。

(ちなみに「千載一遇」は「千歳一遇」とも書くそうです。今回初めて知りました)

精進潔斎の苦労…

昨日のブログで翁の精進潔斎の事を少し書きました。

四つ足の獣は食べるのも身につけるのも禁止、というような様々な決まり事があります。

昨年末にいざ精進潔斎を始めてみて、改めて思い知らされたのが「自分はいかに四つ足の獣に囲まれた生活を送っているのか」という事でした。

食べ物に関しては、当初はそんなに苦労は無いと思っておりました。

「牛、豚、羊、猪肉などの入っていない食べ物」

など世の中に数多くあるし、そもそも、

「鶏肉、海鮮、野菜」

を選んで食べていれば安心な筈です。

ところが…

例えば「ポテトサラダ」

を買って食べていると、中に細かく刻んだベーコンが入っていたりしました。

また、「海鮮八宝菜」

なのに豚肉がサービスで入っていたり…

楽屋弁当にコロッケのような物があったので、「メンチカツならアウトだな」と思って割ってみるとカニクリームコロッケでした。

やれ嬉しやと思ったのですが、よくよく考えると「クリーム」が乳製品なのでアウトなのでした。。

そのような食べ物以外にも、身につける物の罠も色々ありました。

「ウール」は羊毛でだめなので、暖かいカーディガンやツィードのジャケットはしばしお役御免。

化繊のちょっと薄手のカーディガンやジャケットのみで年末年始を何とか乗り切りました。

元々が薄着好みで本当に良かったです。。

そして何とか迎えた本番の日。

「やはり翁を勤めるのだから、今日はスーツでいこうか」

と思って袖を通そうとした所で待てよ、と思って素材のタグを確認すると、

「ウール30%」と書いてありました。。

終わってみれば全く笑い話のようですが、自分としては本当に「四つ足の獣」から逃げ回っていた年末年始だったのでした。

今は打って変わって、当日にお客様からいただいたお手製の猪肉の燻製を美味しく食べたり、ハリスツィードのジャケットで暖かく過ごしたりしております。

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翁を勤めさせていただきました

一昨日1月14日(日)、宝生能楽堂にて開催された宝生会特別公演におきまして、能「翁」を勤めさせていただきました。

翁は能でありながら御神事でもあるという特殊な演目です。

翁を勤める楽師は「精進潔斎」をする慣わしがあり、その期間中は四つ足の獣は食べるのも身につけるのも禁じられるなどの幾つかの決まり事があります。

精進潔斎期間は1週間と言われていますが、別に3週間という説もあり、私は一生に一度の機会と思い本番3週間前の12月24日から精進潔斎に入りました。

年末年始は規則正しい生活をしながら、ひたすら翁の稽古をしておりました。

元旦には毎年恒例の宝生能楽堂での「謡初」の後に翁稽古をして、夕方に帰路につきました。

そして帰宅前に携帯に速報が入り、能登の地震の第一報を見たのでした。

翌日からの稽古では、「天下泰平 国土安穏」という文言がそれまでと全く違う切実さで胸に迫りました。

被災された皆様に対して私は何も出来ませんが、せめて心からの謡で平穏な日々が戻る事を祈念しようと思いました。

翁は「上手く」勤めるよりも「無事に」勤める事が重要だと言われます。

当日は楽屋での御盃事から舞台上の事まで、とにかく間違いの無いように細心の注意を払いながら過ごしました。

今回はおかげさまでチケットが完売ということで、満席のお客様の前でなんとか滞り無く翁を勤める事が出来ました。

心より安堵しております。

当日に至るまで、また終演後にも、たくさんの皆様から励ましや御祝の御言葉を頂戴いたしました。

皆様誠にありがとうございました。謹んで御礼申し上げます。

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第16回澤風会京都大会を開催いたします

皆様 大変ご無沙汰いたしております。

世の中は依然として不安定な状況が続いておりますが、今週末の9月24日に京都大江能楽堂にて、

「第16回澤風会京都大会」

を開催させていただきます。

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2019年までは秋に大江能楽堂で澤風会京都大会を開催するのが常でしたが、コロナ禍以降は中止や延期をせざるを得ず、秋の京都大会開催は3年ぶりになります。

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番組もコロナ以前と比べるとやや少なめですが、舞囃子4番と、最後には能「蝉丸」が出ます。

能「蝉丸」の逆髪民谷渉君と蝉丸村井伊織君は、この度宝生流教授嘱託の資格を取る事になり、今回の能が嘱託披露の舞台になります。

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「蝉丸」は特に謡が逆髪蝉丸ともに難しく、それぞれが独りで謡う部分と、2人の掛け合いの部分で如何に曲の雰囲気を出せるかが大事だと思います。

本番前日まで稽古があるので、最後まで妥協せずに、より良い舞台を目指して頑張って稽古いたします。

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他にも初舞台の人、久々に仕舞を出す人、長刀に挑戦する人など、制約のある中でそれぞれが新たな目標に取り組んで参りました。

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これからはまた毎年秋に澤風会京都大会を開催したいと思っております。

澤風会のリスタートとも言える今回の舞台を、どうかご覧くださいませ。よろしくお願い申し上げます。

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第16回澤風会京都大会

9月24日午前11時半始曲

於京都大江能楽堂

巴塚を訪ねて

今週土曜日の「五雲能」にて、私は能「巴」のシテを勤めます。

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なので今日の午前中の隙間時間に滋賀県膳所にある「義仲寺」を訪ねてみました。

ここには木曽義仲のお墓と、巴御前の供養塔があるのです。

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JRに乗って雨模様の京都を出発。

大津のひとつ先の「膳所(ぜぜ)」で下車します。

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難読駅名のひとつ「膳所」。

昔琵琶湖の新鮮な魚を宮中に献上した場所で、それが名前の由来になったそうです。

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膳所駅から「ときめき坂」というやや照れ臭い名前の坂道を琵琶湖の方へ降りていきます。

10分ほどで旧東海道に行き当たり、左折してすぐに「義仲寺」はあります。

周りには、昔ここで激しい戦があったとは思えないような、平和な住宅街が広がっています。

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境内には義仲の大きなお墓があり、

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その横にひっそりと寄り添うように巴の供養塔「巴塚」がありました。

説明書きには、巴はこの場所で義仲の菩提を弔った後に木曽で90歳まで生きたとあります。

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しかし能「巴」では巴は若い姿で現れるのです。

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私は想像しました。

…巴は長生きして死んだ後も、義仲と一緒に戦いたかったのではなかろうか。

そして若い姿で修羅道に落ち、そこで再び義仲と出会って永遠に戦い続けている。

そういう幸せもあるのかもしれない…。

そう考えると、なんだか無性に切なくなってしまいました。

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義仲寺の入り口横には、「巴地蔵」という地蔵堂がありました。

その中にいらっしゃる「巴地蔵」はとても優しい顔をしています。

おそらく義仲と共にいる時の顔なのだろうな…と思いつつ、お参りして膳所駅への帰路につきました。

お正月気分かと言うと…

一昨日の元旦は宝生能楽堂にて謡初、昨日は三重の実家に日帰り帰省と、一見お正月らしい生活をしております。

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ところが実は心の中は全然お正月気分ではないのです。

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1月9日(日)の「月浪能特別公演」にて能「正尊」立衆。

1月15日(土)の「五雲能」にて能「巴」シテ。

と、正月早々に太刀や長刀を振り回す激しい役が続くのです。

なので正月行事と並行して毎日稽古も重ねております。

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能「巴」は14年前に大阪の「七宝会」で勤めさせていただきました。

二度目の演能でしかも前回から14年経っております。

今回はよりレベルアップした舞台になるように、頑張って稽古したいと思います。

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また明日からは3月5、6日の「澤風会郁雲会」に向けた舞囃子と能の稽古もスタートします。

明日だけでも舞囃子「山姥」「天鼓盤渉」「乱」「雲雀山」「三輪」、

能「井筒」「葵上」「夜討曽我」の稽古が予定されています。

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とりあえず3月の澤風会郁雲会までは「仕事全力モード」で進んで参ります。

卒寿祝いの「三笑」

今日は私の生まれ故郷の三重県久居に日帰りで行って参りました。

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ここが私の実家です。1939年築のまあまあ古い家で、今は父親が中をリフォームして暮らしています。

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ここ数年の帰省の時には、

父親と顔を合わせる→父親と墓参りに行く→そのまま少し散歩→日が暮れたら近所のハンバーグ専門店で一緒に晩御飯→東京に戻る

というコースがほぼ決まっています。

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でも今回は、ちょっと違う目的がありました。

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実は父親は昨年末の誕生日で卒寿を迎えて、12月25日に親類が集まって卒寿祝いの会を催したのです。

しかし私はその日は奈良と京都で舞台があり、お祝い会への出席が叶いませんでした。

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そこで父親には、「お正月に久居に帰った時に、卒寿祝いの謡をプレゼントするよ」

と伝えておいたのです。

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曲を何にしようかと考えて、「三笑」の

「菊の白露つもりつもって 不老不死の薬の泉よも盡きじ…」

という部分から最後までを謡うことにしました。

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リフォームしたリビングのフローリングの床に正座して、マスクに洋服というなんとも風情の無い有様でしたが、お祝いの心を込めて「三笑」を謡いました。

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父親は喜んでくれて、御礼という訳でもないのでしょうが、趣味で描いた絵をくれました。

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今日はまだハンバーグ屋さんが正月休みなので、2人で珈琲を淹れてゆっくり飲んで、それで帰ることにしました。

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帰り際に1人でお墓参りをした後に、やはり1人で少し散歩してみました。

久居は本当になんにも無い静かな町で、遠くに見える布引山も実に穏やかな姿です。

「子供の頃この辺で土筆採りをしたっけなあ…」

などとしみじみ思いながら、布引山に背を向けて久居駅へと帰路についたのでした。

2022年あけましておめでとうございます

皆様 2022年あけましておめでとうございます。

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昨年はコロナ禍が収まらない中でも3月に京都、10月に松本で澤風会を開催する事ができました。

学生の活動も全宝連は映像配信になりましたが、関宝連と関西宝連、そして京大の自演会は何とか有観客で開催されました。

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今年は先ず3月の5日(土)6日(日)に水道橋宝生能楽堂にて「東京澤風会・郁雲会大会」を開催いたします。

東京での澤風会は1年半ぶりで、能「井筒」、能「葵上」、能「夜討曽我」を始め舞囃子も多く出る予定です。

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そして9月24日(土)には京都大江能楽堂にて「澤風会京都大会」、10月には「松本澤風会大会」を開催予定です。

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私の演能予定としては、

①1月15日(土)五雲能にて能「巴」

於宝生能楽堂

②4月23日(土)七宝会にて能「羽衣盤渉」

於枚方市総合文化芸術センター

③5月27日夜能にて能「小鍛冶白頭」

於宝生能楽堂

の3番が予定されております。

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コロナの先行きはまだ不透明ですが、気をつけながら何とか頑張って稽古して参りたいと思います。

皆様本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。