稽古を再開すること

昨日の崇寶会で、初めてお会いすると思われる若い会員さんが2人いました。

どうも学生上がりみたいなのですが、失礼ながらちょっと見覚えがない感じです。。

舞台の後の宴会でのお2人の挨拶を聞いて謎が解けました。

やはり同志社さんと京女さんの宝生会出身の人達だったのです。

しかし、1人は大学時代に2年間だけ宝生会に在籍して一度やめていたそうで、もう1人も卒業後は実家に帰って稽古はしていなかったそうです。

それが最近また稽古を再開して、復帰後の初舞台が昨日だったようなのです。

これはとても素晴らしい事だと思います。

稽古を途切れなくずっと続けるのはなかなか難しい事です。色々な事情で一度やめてしまう人の方が多いくらいです。

それでも何年か経ってまた再開して貰えたら、それも稽古を続けている事になると思うのです。

不思議な事に、中断期間があってから再び稽古する人は、以前よりも癖が無くなって良い謡や型になっている事もあります。

しばらく稽古から遠ざかっている方も、この春を機に再び初めてみては如何でしょうか?

我々能楽師にとって、それは本当に有り難く嬉しいことなのです。

足が遠のいている方も、どうか本当にいつでもお気軽に、稽古場に再び顔を見せてくださいませ。

大歓迎いたします!

崇寶会に行って参りました

今日は渋谷のセルリアン能楽堂にて、山内崇生先生の御社中会の第23回崇寶会が催されました。

初舞台の方から大ベテランの方まで、皆さん賑やかに精一杯舞台を勤められました。

第23回というのは、私の澤風会からすると遥かな先の話です。

先輩の会に参加させていただくと、運営や会員の皆さんの様子など、色々ととても参考になって有り難いです。

私の会の第4回澤風会東京大会はこの3月25日の朝10時より、神楽坂の矢来能楽堂にて催させていただきます。

今日の会を参考にして、良い舞台になるように頑張りたいと思います。また番組などアップさせていただきます。

つくしとスギナ茶

一昨日の木曜日に行った亀岡で、今年初めてつくしを見つけました。

ちょっとわかりにくいですが、中央付近に2本だけ生えています。まだこれから沢山出てくるそうです。

私が子供の頃には、郷里の三重県久居の田圃の畦道に山ほどつくしが生えていて、家族で採りに行ったものです。

各々が大きな袋一杯に採って帰って、広げた新聞紙の上で袴をとる作業を皆でしました。

本当に山のようにあったつくしが、煮ると嘘みたいに小さくなってしまうのが不思議でした。

一方、今日は松本稽古でしたが、稽古場でお弟子さん手作りのスギナ茶が出ました。

スギナ茶は、ミネラル豊富でデトックス効果もあるお茶だそうです。

スギナとつくしは同じ根から生える植物です。木曜日と土曜日でつくしとスギナ両方に出会うのも珍しいと思い、この植物を調べてみる事にしました。

するとちょっと意外な事がわかりました。

スギナは「トクサ綱トクサ目トクサ科トクサ属の植物の1種」だそうなのです。

「木賊(とくさ)」は難曲で知られる能です。しかし季節は秋の曲なのです。

つくしは春の代名詞になっているのに、木賊に限りなく近い種なのですね。

ちなみに狂言には春の曲で「土筆」という微笑ましい内容の曲があります。

子供の頃に食べて以来久しく忘れていましたが、あの苦い味のつくしを久々に食べてみたくなりました。

幼稚園能楽教室

今日は千葉県柏の幼稚園で能楽教室をやって来ました。この幼稚園ではもう7、8年前から続く教室です。

幼稚園というと、能楽教室を開催する年齢としては最年少です。1時間集中力を切らさずにやってくれるか、ちょっとドキドキしながら教室に向かうと…

「あ〜❗️侍だ‼️」「でもチョンマゲしてない〜❗️」好奇心のカタマリの子供達48人に出迎えられました。

始めてみると今年の子供達はとても優秀でした。

例えば悲しみを表す型「くもる」をやってみると、ちゃんとゆっくりと上体を倒して、笑わずにじっと止まって(意外と途中で笑ってしまう子供が多いのです)、またゆっくりと上体を起こして終わってくれるのです。

質問コーナーでは、いつも何故か出る「好きな果物はなんですか?」という質問に続いて、「どうして扇を挿しているのですか?」と言ったなかなか高度な質問も出ました。

また能面を顔にあてる体験では、「視界が狭くて見えにくいでしょう?」と聞くと意外な事に「見える〜!」「見えるよ〜!」と言う子供が多かったのです。

今年の子供達は能楽師向けかもしれないです。

最初と最後には正座して、正式な礼もきちんと出来ました。

一番最初に能楽教室を体験した子供達はもう中学二年生になるそうです。

この先の日本を背負っていく子供達に、少しでも素晴らしい日本文化を身につけていってほしいものです。

桃の節句と西王母

明日3月3日は桃の節句、雛祭りの日ですね。

桃の節句は能とどう関わりがあるのかを、ちょっと調べてみました。

桃が出てくる能と言えば「西王母」です。

実は西王母の誕生日が3月3日だそうなのです。

古代中国では3月3日に、御祓をした人型を川に流し、また邪気を祓う桃の枝を飾ったそうです。

この行事が日本に伝来して宮中行事の「曲水の宴」になり、奈良時代以降やはり3月3日に行われました。

西王母のキリの部分に「曲水の宴」という文句もあります。

3月3日を「桃の節句」と言うのは、西王母と深く関わりがあると思われます。

また現在のように雛人形を飾るようになったのは江戸時代以降との事です。

七段飾りのある御宅は少なくなってしまったと思いますが、三段目に飾る「五人囃子」とは能楽を演ずる楽師の事なのです。

並び方は能舞台における囃子方、地謡方の並びと同じです。五人囃子は西王母を演奏しているのかもしれないですね。

明日は雛人形の前で、「手まずさえぎる曲水の宴かや♪」と西王母を謡うのも良いかもしれません。

ただし能楽愛好家の女子限定ですが…。

3月になりました。

今日から弥生、3月です。

つい先日行った亀岡では、福寿草が咲いていました。

この時は曇り空で花が閉じていましたが、日が差すとみるみる花が開くそうです。

もう春だなあと思っていたら、今日行った北の町では…
駅前にこんな雪だるま(?)の力作が!

私の首丈までの大きさです。雪だるまというより、むしろ大阪のビリケンさんに近い気がします。。
こちらは高さ30センチの可愛い正統派。

東北はまだまだ冬なのでした。

日本は広いです。

マナーモード

私は乗り物の中でも良く寝られるのが特技のひとつです。

ところが昨日の早朝に乗った新幹線で仮眠していると、誰かの携帯の着信音で目が覚めました。

iPhoneの、ちょっと祭り囃子風のコミカルな着信音です(わかりますかね?)。

ずいぶん長く鳴ってから切れました。やれやれと思っていると、なんとこれが数分置きに断続的に繰り返されるのです。

持ち主は私の斜め前にいる茶髪の中年男性で、何故なのか決して電話に出ようとしません。見かねた近くの人が「マナーモードにしてよ」と言っても、これまた何故か無視しています。

ついに京都まで一睡も出来ませんでした。。

これも困った事でしたが、能楽堂での着信音はもっと深刻です。

5年前の事ですが、私の道成寺の披きの時に、乱拍子の最中に着信音が鳴りました。

乱拍子は無音の空白の時間が大切なので、これは全く参りました。

それ以来、自分がシテで無くても例えば石橋の「露ノ手」の所などでは「ここで携帯が鳴ったらどうしよう…」とドキドキしてしまいます。

ひとつの舞台はシテの稽古の積み重ねと、ワキ方、囃子方、狂言方、後見、地謡のそれぞれの力の発揮と、楽屋での見えない沢山の作業によって成り立っています。

それらの繊細な努力が、携帯着信音ひとつで崩れ去ってしまうことがあるのです。

これは能楽師にとっては実に怖ろしい事なのです。

お気に入りのメロディを着信音にするのは素敵な事だと思いますが、どうか能楽堂ではマナーモードにしていただくように、くれぐれもお願い申し上げます。

あと新幹線でも。

二枚の鏡板の話  最終話

京大能楽部新BOX  鏡板取り付け前

鏡板取り付け後

・鏡板の未来

京大宝生会OBで建築士の吉本先輩の御尽力により、練馬の渡雲会舞台から移送した鏡板は京大能楽部新BOXの壁にしっかりと取り付けられました。

渡雲会舞台で55年間渡辺先生の稽古を見守って来た鏡板が、今度はこの先50年ほど学生の稽古を見守ってくれるのです。

また江古田では同じ構図の鏡板の前で、私の澤風会と母親の郁雲会の稽古がこれからも続いて行きます。

個人的な話で恐縮なのですが、私はこの鏡板の前で人生最初の稽古をして、おそらく生涯最後かそれに近い稽古も、この松の前で終えることになる筈です。これもまた不思議な縁です。

そして私がいつか居なくなったその先も、願わくば沢山の人がこれら二枚の鏡板の前で稽古をしていってくれたらと思っています。

最後に鏡板の移送と取り付けに関わった全ての方々に感謝してこの稿を終えたいと思います。どうもありがとうございました。(了)

二枚の鏡板の話  その4

・鏡板、京都へ

その先の展開は、全く非現実的な程にとんとん拍子に話が進みました。

鏡板のサイズは、上下左右ともに京大新BOXの壁にぴったりでした。

大学側や他の能楽部の人達は「どうぞ自由に取り付けてください」との事(この京大全体を包む大らかな雰囲気が大好きなのです)。

鏡板の解体は、業者さんがなんと無償でやってくれる事に。但し梱包と輸送は自力でやる必要がありました。

そして澤風会十周年大会の稽古に明け暮れる日々に、何故かぽっかりと予定の空いた9月1日。

私はレンタカーの2tトラックを運転して、サポートしてくれる京大宝生会の現役2人(当時2回生のEさん、当時1回生のK君)と共に練馬の渡雲会舞台に向かいました。

3人で鏡板を大事に梱包して荷台に積み込み、昼前にいよいよ京都に向けて出発。

途中東名高速でゲリラ豪雨にあったりしましたが、3人で励ましあっての10時間程の東海道珍道中(?)の末、2tトラックは22時頃に無事京大新BOXに辿り着いたのでした。

夜更けのBOXでは現役部員たちが待っていてくれて、鏡板は大切に地下のBOX舞台に運ばれました。

色々な事が不思議に上手く運んで、鏡板は京大新BOXに到着しました。これはやはり渡辺先生が「鏡板、大事に持って行くんだよ」と、どこかでお力をお貸し下さったのだと思います。

(続く。思ったよりも長い話になりました。次回でこの話は終わりです。)

二枚の鏡板の話  その3

・鏡板移送作戦開始

渡辺三郎先生は93歳まで舞台に出られて、2013年7月に95歳で亡くなられました。能楽師としての天命を全うされた偉大な先生でした。

2015年7月に先生の三回忌追善の謡会が、懐かしい渡雲会舞台でありました。

そしてその謡会を最後に渡雲会舞台は閉める事にしましたと、お嬢様より報告がありました。

舞台と鏡板は何とか残せないか、と渡雲会会員の皆様も色々考えておられましたが、なかなか難しいようでした。私の家にも既に舞台も鏡板もあります…。

そこで私の頭に浮かんだのが、京大能楽部の新BOXでした。

新BOXはその頃ちょうど完成した所で、8月半ばに引越しすると聞いています。旧BOXには鏡板は無かったので、無論新BOXにも無い筈です。

ここに渡雲会舞台の鏡板を移設出来ないだろうか…。

しかし問題は山積みと思われました。

⚪︎鏡板の取り外しと移送の費用はいくらで、それを何処から捻出するか。

⚪︎鏡板のサイズは京大BOXに合うのか、また大学側や他の能楽部が鏡板の設置を許可してくれるのか。

⚪︎澤風会十周年大会を秋に控えて、果たして私自身が鏡板に関われる時間があるのか。

考える程にこれは無理な計画と思えて来ます。しかし8月末には舞台取り壊しという事で、ゆっくり考えている時間はありませんでした。

私の大好きなこの鏡板が生き残る為に、とにかく動いてみようと心に決め、京大のBOX引越しに合わせて先ずは壁の採寸に京都に向かいました。(続く)