中学校ワークショップ

今日は千葉県の中学で能楽教室をやって参りました。

体験型ワークショップで、型や謡などを少しずつ稽古して、最後に仕舞羽衣と鞍馬天狗を観てもらいました。

その後に質問の時間を設けたのですが、中学生らしい質問がいくつか出ました。

①舞台に出ると緊張すると思いますが、緊張感を克服する方法はありますか?

②舞台で大きな失敗をしない為に、何に気をつけていますか?

③能楽師という仕事をする上で、特に必要とされることは何ですか?

おそらく、日々の中学校生活の中で緊張したり失敗したりすることも沢山あるのでしょう。

また将来どんな職業に就てどんな大人になるのかを考える時期でもあると思います。

この世代の質問に答えるのは、ある意味責任重大です。

うーむと考えて、答えた内容は…

①緊張感を克服するには、やはり稽古するしかありません。稽古が足りない舞台は、不安で緊張してしまうので、その為に間違えることもあります。また「慣れ」という要素もあります。同じ内容でも、何度も繰り返し経験することで過度に緊張しなくなります。

②失敗は気をつけていてもしてしまうものです。寧ろ失敗した後が大切です。狼狽えずに何事もなく舞台を続けられたら、観客には間違いと気付かれないものです。失敗した瞬間に如何に冷静になれるかが重要と思います。

③一見理不尽に思える稽古にも耐えられる、忍耐力でしょうか。これは体育会系の部活でも同じ経験をするかもしれません。あとは謡を覚える記憶力です。

こんなことを、もっと取次筋斗に話して来ました。

中学生達は最後まで集中して見聞きしてくれました。

この中から将来1人でも2人でも、能を稽古したり舞台を観に来たりするようになってくれたら。

そう期待しながら、今後も学生向けの能楽教室を頑張って参ります。

御依頼があればいつでも何処でも参りますので、もし御希望の方はお気軽にご連絡くださいませ。

着物が好きな子供達

昨日6月6日は、子供が6歳になると芸事の稽古を始めるのに良い日だそうです。

世阿弥も満年齢の6歳位で稽古を始めるのが良いと書いていますが、最近はもう少し早く稽古開始する子が多い気がします。

澤風会松本稽古場でも、5歳にして早くも3番目の仕舞を稽古している男の子がいます。

一昨日の月曜日に稽古に行くとお母さんが、「子供が今日はどうしても紋付を着て稽古したいと言うのです」。

その子はこの8月の合同浴衣会「七葉会」で宝生能楽堂デビューも決まっています。本番を想定した稽古も良いと思い、きちんと紋付袴を着付けて仕舞「鶴亀」を稽古しました。

とても嬉しそうで、帰った後も「幼稚園にも紋付袴で行きたい!」と言ってお母さんに宥められているそうです。

そう言えば、江古田稽古場で今はもう高校生になった女の子も、稽古を始めた幼稚園の頃はいつも着物で、幼稚園にも着物で行っていたようです。中学生になった頃からさすがに洋服になりましたが、今では芸歴10年のベテランです。

松本の男の子も、8月に能楽堂デビューして、今後もずっと続けて行ってくれたらと思います。

着付けはいつでもしますので。

面白写真1

すみません、今回は能には殆ど関係無いのですが、毎日いろんな場所に行く中で見つけた面白い看板や事象などの写真をいくつか紹介させていただきます。

家の近くで。何故背後を威嚇するのでしょうか…?

この猫が行ったら、心の叫びにこたえてただで魚くれるのでしょうか…?

以前の「開花宣言」というブログに載せた写真の裏手には、子パンダが遊んでいました。

「落雪注意」

「鹿注意」

「武井砂糖店」の隣は、良く見ると「武井歯科」です。上手い商売です。

最後は多少能に関わるものを。この椅子は本気で欲しかったです。残念ながら売り物ではありませんでした。
今日はこの辺で失礼いたします。曲名看板も鋭意蒐集中です。

東山三十六峰

昨日は京都紫明荘での稽古でした。京都は良く晴れて実に爽やかな陽気でした。

紫明荘の入り口から振り返ると、賀茂川を挟んで向かい側には新緑の東山連峰が見渡せます。

先日「山紫水明」という題名でのブログに載せた写真と近い風景です。

写真左端が比叡山、右端が大文字山です。二峰の間は緩やかな弧を描いています。しかし、「東山三十六峰」では、確か比叡山と大文字山の間にも幾つか山があったような…。

という訳で東山三十六峰を調べてみると、また意外なことがわかりました。

そもそも江戸時代迄の「東山三十六峰」は36の山を特定しておらず、なだらかで美しい東山連峰を「およそ三十六峰はありそうに見える」という理由でそう呼んでいたそうなのです。

36という数字は、「三十六計」、「三十六歌仙」、「富嶽三十六景」など様々な区切りに使われる数字なので、東山にもそれを用いたのではないでしょうか。

1950年代になってから、三十六峰を特定する連載記事が京都新聞に掲載されて、現在はその記事の山を三十六峰とすることが多い、ということです。

また「大文字山」に関しても私は間違った認識を持っていました。

大文字山は「如意ヶ嶽」と同じ山だとずっと思っていて、能「鞍馬天狗」の後場で「比良、横川、如意ヶ嶽」と謡うシーンでは、何となく大文字山から天狗が飛び立つ場面を想像していました。

しかし実は如意ヶ嶽は大文字山の少し東側にある別のピークで、標高も大文字山よりも高いそうなのです。

京都にはもう30年近く往き来しているのに、今日までこれらを知らなかったのはちょっと恥ずかしいです。。

しかし、これからも何か私にとって意外な事実がわかった時は、このブログに書いていきたいと思います。

私と同じように真実を知らなかった人が、「おお!そうだったのか」と一緒に驚いてくださるとありがたいです。

奇妙な孤島の物語

最近読んだ本の中で、不思議な話がありました。

1979年2月にハワイ沖で、乗組員5名の小さなボートが嵐のために行方不明になりました。

10年近く後、その「サラ・ジョー号」の残骸が3600キロも離れたマーシャル諸島の無人の環礁で発見され、しかも残骸の横には簡易なお墓があって、乗組員の1人スコット・モーマンが埋葬されていたというのです。他の4人の行方は杳として知れませんでした。

とても想像力を掻き立てられる話です。

「奇妙な孤島の物語」という題名の本なのですが、驚くのはこの本の作者は一度も行ったことのない50の孤島の話を書いていて、それぞれが上の様な不思議な余韻を残すエピソードなのです。

この本の持つ雰囲気が能楽に通じると私は思いました。

・自らが体験したのでは無い話を、主に伝聞を基に物語にしている。

・全てを説明せずに、読者に想像力を働かせる余地を多分に残している。

・歴史に埋もれて忘れ去られた人物や、名も無い市井の人々に光を当てて、そこにも壮大な物語があることを教えてくれる。

普段は文庫本しか読まないわたしですが、この大判ハードカバーの本は毎日少しずつ大事に読んでいます。

ニュージーランド沖の無人島で、ペンギンの大群に囲まれて行方不明になった兵士は、その後どうなったのか。

10数人の男だけが暮らす、インド洋に浮かぶ絶海の孤島の観測所で、それでも彼等が感じている自由とは一体どんなものなのか。

そしてサラ・ジョー号の4000キロ近くにわたる漂流の旅路と、5人の乗組員の運命。

今夜も能を観るように「奇妙な孤島の物語」を少しだけ読んで、一生行かないであろう海の彼方の孤島のドラマを想像しながら、休もうと思います。

涌宝会大会

昨日今日の2日間、名古屋能楽堂にて和久荘太郎師の同門会「涌宝会大会」に出演して参りました。

お弟子さんの舞台は、やはり師匠の気質を反映するものだと思います。

「涌宝会」の舞台は、「気合と迫力」に満ちていて、これは紛れもなく和久師のスタイルを色濃く映していると思いました。

能が2番と、舞囃子も沢山出てとても賑やかな会でしたが、私が特にすごいと感心したのが「独調」が多く出たことでした。

「独調」は大鼓、小鼓、太鼓のどれかひとつのお囃子に合わせて、お弟子さんが1人で無本で謡を謡うというものです。

時間にして5〜6分ですが、お囃子と謡が緊張感を持って対話しているようで、非常に見応えのある舞台でした。

しかし独調は、謡を正確に覚えて謡うのも大変ですし、教える師匠も囃子の手組を正確にわかっていないと教えられないので、これは難易度が高いです。

私の会でも、いつか独調を稽古出来たらと思います。まだ先の目標ですが。

また、和久師が指導されていて、自らの出身でもある名東高校の能楽研究部が沢山出演したのも素晴らしかったです。

高校文化連盟の全国大会にも出場するというハイレベルな高校生達は、長刀などの難しい曲でも大人顔負けの舞台を見せてくれました。

更に、大会の最後の飾る能「胡蝶」では、シテの方がすごい気迫で、「お幕」の声にまで力が漲っていました。

とにかく2日間ほとんど途切れなく舞台上におられた和久師の気力体力が、一番すごいと思いました。

今回の舞台では大いに刺激を受けましたので、私もまた澤風会の稽古を頑張りたいと思います。

和久先生、涌宝会の皆様、2日間どうもありがとうございました。

紫陽花と最中の共通点…?

以前に書いた「隙間花壇」。私の東京の自宅マンションと隣のマンションの隙間にある、日本の野の花が入れ替わりに咲く不思議な空間です。

そろそろガクアジサイが見頃になって来ました。

青い花と…

白い花。

あじさいは日本の原産種で、古くは万葉集にも詠まれています。

写真のガクアジサイの方が原種で、花が鞠のように全体に咲く所謂「あじさい」はそこから分かれた種のようです。

また面白いのは、あじさいに白居易の詩からとった「紫陽花」という漢字を当てたのは「源順」だそうなのです。

覚えていますか?「みなもとのしたごう」さん。

先日「みなもとの…」というブログで書いた、嵯峨源氏の一人でお菓子の「もなか」の名前の由来となった「水の面に照る月並みを数ふれば 今宵ぞ秋の最中なりけり」を詠んだ人です。

つまり「最中」と「紫陽花」は、源順さんがいなければおそらく全然違う単語になっていたのです。

因みに、これ程昔からある紫陽花ですが、能には「あじさい」という文字は見つかりませんでした。

もしも私の見落とした曲に「あじさい」を見つけた方は、是非御一報ください。

まだ咲き始めの隙間花壇の額紫陽花。しばらくの間楽しもうと思います。

ゴロゴロ、ドカーン

私の6月最初の朝は、雷から始まりました。

まだ夜が明けない早朝4時半頃に窓の外で「ゴロゴロ、ドカーン」という感じの大きな雷鳴が鳴って目が覚めたのです。

今、雷の音を「ゴロゴロ、ドカーン」と表現しましたが、能の中では「加茂」などで、雷鳴を「ほろほろ  とどろとどろ」と表現していますね。

能の時代の擬音語は、現代の擬音語と違うものがいくつかあって面白いです。

すぐに思いつくものを挙げてみます。

「ちょう」…能「小鍛冶」で、刀を鍛える為の槌を打つ音。

「きり  はたり  ちょう」…能「呉服」、能「松虫」で、機を織る音。転じて秋の虫の声。

「とうとう」…能「鳥追」で、鳥追いの太鼓を打ち鳴らす音。

「からり」…能「兼平」で、兜に矢が刺さる音。

「くわっ」…能「舎利」で、炎が燃え上がる音。

「ほろほろ  はらはら」…能「砧」で、砧で衣を打つ音。涙が落ちる音とも掛けている。

…頑張って考えてこの位で、意外に少ない気がします。

一方で現代には膨大な量の擬音語が溢れています。

これはやはり「漫画」の存在が大きいと思います。

例えば、野球漫画でボールを打つ音だけでも「カキーン」「キンッ」「ガッ」「ゴッ」「パァン」「バキッ」などなど。「ぐわらごわきーん」というのもあります。。

現代と室町時代と、どちらの在り方が良いとか悪いとか、難しいことはわかりません。

しかし、現代に溢れる新しい擬音語達の中で700年後に残るものがあるのか、あるならどんなものが残っているのか、それが興味あるところです。

因みに能楽に出てくる擬態語や擬声語なども中々面白いので、また別の機会に書いてみたいと思います。

亀岡の花々  5月

先日の亀岡稽古では、また今の季節の花々をいくつか見ることができました。

これは「河骨(こうほね)」という今では珍しい植物です。

睡蓮の仲間で、池沼や緩やかな川に生える水生植物だそうです。

家紋に「河骨紋」の様々なバリエーションがあり、検索すると面白かったです。

能装束の唐織にも「百合こうほね模様」というのがあったと記憶しているので、今度模様を確認してみたいと思います。

因みに東京渋谷にかつて「河骨川」という川があり、童謡「春の小川」のモデルがこの川だったそうです。もっと田舎の川を歌っているイメージだったので、意外でした。

蛍袋(ほたるぶくろ)です。蛍と同じ時期に咲いて、この花の中に蛍が入ると明滅する度に花が朧気に光ります。

蛍袋と蛍が同時に見られる幸運に恵まれた方は、是非トライしてみてください。

また郭公の飛来と同時期に咲く花を「かっこう花」と呼ぶことがあり、これは土地によって違う花を指すのですが、「ほたるぶくろ」も郭公花のひとつらしいです。

ほたるぶくろのラテン語名は「カンパニュラ」と言い、何となく銀河鉄道の夜の「カムパネルラ」に似ていると思って調べたのですが、共通点は明確に見つかりませんでした。

野薊(のあざみ)です。

中島みゆきのデビュー曲が「アザミ嬢のララバイ」ですが、この歌詞では「あたしはいつも  夜咲くアザミ」とあります。

なのでアザミは夜咲くものなのかと思っていたのですが、普通に昼間咲いていました。。

今回はこの辺で。

また次の季節の花々もご紹介したいと思います。

手品師の手法

先日とある場所で、間近に「手品」を見る機会がありました。

3本の紐が次々に長さを変えたり、繋がったり切れたりを繰り返す手品。

百均で買ったばかりのスプーンが、手品師の手の中でくねくねと曲がってしまう手品。

トランプのカードを当てる手品などなど。

何かタネを見つけようと思っても、至近距離で目を凝らしても全く怪しい動きはありません。

これは不思議なことだと思っていると、手品師が少しだけ解説をしてくれました。

「人間の眼には必ず死角があるので、どこか一点に観客の目線を集めて、その隙に素早くカードのすり替えなどをする」ということでした。

この「人の目の死角を利用する」という話は、実に腑に落ちるところがありました。

というのは、私も舞台上でこの手品師の手法を使うことがあるのです。

能の地謡で正座をしている時に、「如何に目立たないように足を組み替えるか」というのが実は重要な要素のひとつなのですが、私はここに「人の目の死角」理論を応用しているのです。(少々大袈裟ですが…)

つまり、例えば幕が開いてシテが出てきた時、およそ橋掛りの半ばくらいまで歩んで来た辺りで見所のほぼ全員がシテに気がつきます。

この瞬間にシテでは無く地謡をじっと見ている人は、余程の変わり者か地謡の大ファンだと思われます。

そんな人は先ずいないと仮定して、私はそこでちょっと足を直したりするのです。

しかし、偶にこの手法が通用しない恐ろしい舞台があります。それは「地謡の背後にも観客席がある舞台」です。

つい先日の「興福寺薪御能」などがそれで、舞台を地謡の後ろから観ているお客様が100人以上おられました。

こうなると死角は無くなってしまうので、心中「すみません!」と思いながら、出来るだけ控え目に足を組み替えるしかありませんでした。

「後ろからマジックを見られてしまった手品師の気持ち」というのは、こんな感じなのかなあと地謡座で密かに思ったのでした。