今から50数年前の京大キャンパスに思いを馳せてみます。
.
.
そこでは能楽部宝生会に入部したばかりの1人の青年が、「浮き立つ雲の行方をや」と鸚鵡返しを受けています。
.
きっとその容貌は今の宝生会現役とどこか似通っていて、そして初めて謡に触れた喜びに眼を輝かせていたことでしょう。
.
.
青年は現役の4年間を全力で駆け抜けて、卒業してOBになってからも熱心に稽古を続け、京大宝生会と京都の学生宝生流を見守りながら、ずっとずっと過ごして来ました。
.
やがてその存在は学生クラブの範囲を超えて、関西宝生流全体に多大な影響を及ぼすまでになりました。
.
.
しかしそれほど大きな存在なのにもかかわらず、あくまで飄々とした佇まいで、片手にグラス、片手はポケットに突っ込んで、ユーモアに富んだお話でいつも周囲を笑わせている、それが植田竜二先輩です。
.
私は京大宝生会の現役だった頃から、植田さんには本当に一番お世話になりました。
.
私が能楽師になりたいと言い出した時、川端今出川の小料理屋「紀州屋」にて植田さんと徳永、米澤両先輩より頂戴した貴重なアドバイスは、今でも肝に銘じております。
.
.
内弟子修行を終えて「澤風会」を立ち上げる時には、「紫明荘」を稽古場として使えるように手配してくださり、澤風会の中心メンバーを紹介してくださいました。
.
植田さん無くして、今の私と澤風会は無いと思います。
.
.
その植田竜二さんと、このように早くお別れをしなくてはならないとは。
.
つい先週末に植田さんのお見舞いにいらした方からは「穏やかな口調でいつまでもお話しておられました」と伺い、私も年内にもう一度お見舞いに伺おうと思っていたのです。
話したいこと、伺っておきたいことは沢山ありました。
.
.
「第1回京宝連」に参加されたという植田さんは、この春の「第116回京宝連」の舞台を、大江能楽堂の最前列で最初から最後までじっと見つめておられました。
.
そして来週の日曜日には「第117回京宝連」にあたる関西宝連が大阪能楽会館で開催されます。
.
その舞台や見所には、植田さんの姿は無いかもしれません。
.
しかし、「この世にいなくなった人でも、その想念は世に残っている」というのは能楽の重要な要素のひとつです。
.
ならば植田さんの想念は、きっと次の日曜日にも、この先もずっと、学生の舞台と共にあると私は信じます。
.
そしてまた私がこの世にいる間は、「植田竜二先輩という偉大なOBがいらした」ということを、宝生会の現役に語り継いでいきたいと思います。
.
いつかどこかで、再びご一緒に謡えることを願いつつ。
植田さん、どうもありがとうございました。