ムーミン雪だるま

今朝携帯でニュースを見ると、「京大センター試験会場にムーミン多数出現」という謎の見出しが。

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??と思って本文を見ると、昨日のセンター試験で地理の問題に「ムーミン」が出て話題になり、おそらくそれを知った京大生が昨夜のうちに試験会場前に雪で「ムーミン雪だるま」を多数作っておいた、ということのようです。

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…。

いかにも京大生がやりそうなことです。

「面白いけど、アホやなぁ…」とか、「暇やなぁ、寒いのに…」と言った月並みな感想しか出てこなかったのですが、ふと考えてみると、「多数のムーミン雪だるま」が出現可能な程、昨夜雪が降ったのですね。

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昨日香里能楽堂で七宝会を終えて、17時半くらいに能楽堂を出た段階では全く雪は降っていなかったので、夜に入って急に強く降ったのでしょう。

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受験生の皆さんは、今年も雪の中で大変だったと思います。

無事にセンター試験が終わっていると良いです。

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因みに私は、京大受験の時は共通一次試験、東京芸大受験の時にセンター試験を受けました。

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センター試験の時は、住民票を左京区にしていた為か、幸運にも京大が試験会場でした。

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朝早く起きて先ず「高砂」を待謡から謡って気合を入れてから、自転車で京大に向かった記憶があります。

なのでその年は雪では無かったのでしょう。

会場の教養学部A号館の教室に入ると、試験官が見覚えのある教官で、一瞬怪訝そうに見られたのも覚えています。

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毎年のことなのですが、昨日今日とセンター試験を受けた受験生の中には、この春に京大宝生会に入部してくれる人がいる筈なのです。

どうか二次試験も良いコンディションで迎えられるように祈っております。

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そして無事京大に入学して、宝生会に入部してくれたあかつきには、「ムーミン雪だるま」の話など出来ると良いと思います。

ゆっくり喋りたい!

今日はちょっとユルいお話です。

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ごく偶に、舞台の合間に「アナウンス」をしないといけない時があります。

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「ただ今より15分間の休憩をいただきます」

と言った簡単なアナウンスなのですが、私はこれがとても苦手なのです。

というよりも、ゆっくり丁寧に喋るのが不得手で、つい口調が早くなって結果噛んでしまったりするのです。

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これには実は思い当たる原因があります。

私は普段の稽古の時に、かなり早口で喋っているのです。

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舞の稽古の時には、地謡や唱歌を謡いながら、合間に型の説明を入れつつ稽古していきます。

そうすると謡の切れる一瞬の間に沢山の情報を喋らなくてはならず、自然早口になっていくのです。

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例えば、「中之舞」のメロディを文字に直したいわゆる「唱歌(しょうが)」は、

「オヒャ〜〜ア〜〜ラア〜〜、オヒャイヒョ〜イ、ヒャ〜リウヒ〜、オヒャ〜ラ〜イ、ホ〜ウホウヒ〜」

という風に謡います。

しかしこれを型の説明付きの「稽古バージョン」にすると、

「オヒャ〜〜、っと笛が鳴りだしたらサシて!

ア〜〜、っと左ヒネって。

ラア〜〜、で右から三足出て!

オヒャイヒョ、で左引いて、ォ〜イ。

ヒャ〜リウヒ〜、でヒラキ終わって。

オヒャ〜ラ〜イ、いっぱいで手を張りながら正へ向いて引き揃えて。

ホ〜ウホウヒ〜、で改めて左ヒネって角柱に向けてスタート!」

…というようになってしまい、この「稽古バージョン」を、「唱歌」だけの場合と大体同じ速さになるようにする為には、文字の部分が猛烈な速さになってしまう訳です。

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なので、こうありたい自分の理想像は、「口数は決して多くないが、じっくり考えてから言葉を選んで、ゆっくり丁寧に話す人」

であるにもかかわらず、現実は「早口で沢山の事をペラペラ喋って、偶に早すぎて内容が聞き取れないと言われる人」になってしまっているのです。。

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せめてスイッチを切り替えて、「稽古の時は早口で、普段はゆっくり丁寧に」と喋る速さを変えられるようになりたいものです。

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そして、偶に私のアナウンスをお聞きになるかと思いますが、早口で噛んでしまってもどうか御容赦くださいませ。。

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とうとうたらり…

今日は水道橋宝生能楽堂にて、日曜日開催の月並能の申合がありました。

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私は昨年に続いて、初番の能「翁」の地謡でした。

昨年も書いたのですが、やはり新年に「翁」を謡うのはとても気持ちが良いものです。

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この「翁」は最初の謡が、「とうとうたらりたらりら たらりあがり ららりどう」という謎めいた呪文のような言葉で始まります。

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この言葉が何を意味するのか、昔から様々な説があるようなのですが、実はまだ明快な回答は得られていないそうです。

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笛の音色や滝の音の「聞きなし」という説や、外国の言葉だという説などある中で、私が一票入れたい説があります。

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河口慧海師という明治から昭和にかけて生きた僧侶がいるのですが、この人が「翁の謡はチベットの古い言葉である」と言ったそうなのです。

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有名な説なので、聞いたことのある方も多いと思います。

因みにその後この説は日本の学者などによって完全に否定されているとか。

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それでも私がこの説の肩を持つのは、河口慧海師が僧侶でありながら「探検家」とも呼ばれる人だからです。

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明治時代には厳しい鎖国政策をとっていたチベットに、この人は完璧なチベット語を身に付けて、遥かヒマラヤ山脈を越える苦難の旅の末に、チベット人として潜入に成功するのです。

それはもう「探検」と呼ぶしかない偉業です。

目的はサンスクリット語とチベット語の仏典を入手することでした。

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そして日本人とバレることが無かったばかりか、チベット人医師として有名になり、なんとダライ・ラマ13世から直接お呼びがかかって侍従医のオファーを受けたというエピソードもあるそうなのです。

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そのような卓越した語学力を持つ人が、自ら命をかけて潜入した先のチベットに「とうとうたらり たらりら…」という言葉があったというのです。

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日本人と露見したら命が無いという極限状況で、彼が身体を張って獲得して来た情報には、特別な重みがあると私は感じます。

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…それに私はやはり夢のある話が好きなのです。

たとえ学者には全否定されているとしても、「チベットからどうにかして伝わって来たらしい」という説には想像力を掻き立てられる夢があると思うのです。

1000年程も昔に、チベットから伝わって来たかもしれない謎の言葉。

それを謡っていると思うだけで、私は一層気持ちが良くなります。

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この日曜日、皆さま是非宝生能楽堂の月並能においでいただき、「翁」をご覧になってその不思議な「とうとうたらり…」を聴いていただきたいと思います。

昨日の反省…

昨夜のブログで「金沢では冬に稲妻が光る」と書いたら、その直後のニュースで「金沢でテレビ塔に落雷があり、放送が中断した」ということを聞いて本当に驚きました。

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去年の冬に、青森の雪の大変さを知らなかった自分の無知を恥ずかしく思う、という内容のブログを書きました。

今回はまた北陸の冬の落雷の恐ろしさを知り、その後おそらく夜を徹して命懸けで修復にあたられたであろう関係者の御苦労を思い、「冬の稲妻が見てみたい」などと書いた己の無知を反省いたしました。

復旧作業が無事終わるよう祈っております。

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全く別の話題になってしまうのですが、今日の江古田稽古の終わりに母親から嬉しいニュースを聞きました。

何と日本女子大の母親の謡曲仕舞教室に、本日午後に学生が2人も入会したとのことなのです。

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早速「羽衣キリ」の仕舞を稽古したそうです。

とは言え、実はお2人とも四年生らしく、すぐに卒業してしまうということです。

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しかし彼女たちは3月2、3日の郁雲会も観に来てくれるそうなので、京大宝生会と日本女子大の学生との邂逅という楽しみが増えました。

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とても良い流れが来ているのは間違いないので、この春の新歓で三年生以下の学生が入ってくれる可能性は充分にあります。

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また今後の経過をご報告させていただきます。

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今日はまとまりが無くて恐縮ですが、これにて失礼いたします。

木の間に光る稲妻は…

今日は冬型の気圧配置で寒い中、香里能楽堂にて今週土曜日開催の七宝会新春公演の申合がありました。

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能「葛城 神楽」の地謡を謡ったのですが、この葛城のクセに、「葛城や 木の間に光る 稲妻は」という歌が引用されています。

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稲妻というと、太平洋側で育った私は夏だけ見られるものだとずっと思っておりました。

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ところがある時、金沢出身の京大宝生会の後輩T君から、「金沢辺りでは、冬には雪が降る時に稲妻が光るので、葛城クセの内容は非常に良くわかります。」と聞いたのです。

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それはもう10年程前に、そのT君がシテを勤めて、京大宝生会が能「葛城」を出した時の話でした。あれは思い出深い演能でした。

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その年の秋。

京大宝生会は、葛城山上の国民宿舎で「葛城 能合宿」を敢行しました。

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夜に皆で外に出て、すすきが靡く山頂でT君が「葛城キリ」を舞った時のこと。

丁度地謡が「月白く雪白く…」という文句に差し掛かった所で、夜空を覆っていた雲が一瞬途切れて、雲間から一筋の月光がT君を目掛けてサッと射し込んできたのです。

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居合わせた全員が、鳥肌が立つような何とも言えない気分になりました。

「葛城の神様」という存在を強く感じたのです。

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この能合宿ではその後も、いくつも不思議なことがありました。

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そして11月半ばの本番の朝。

京都市内に季節外れの雪がぱらついたのです。

「葛城の神様がやって来たのだ」と皆で言い合いました。

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最後まで神がかっていたこの時の能「葛城」。

舞台が終わって数年後には、シテT君と地頭のWさんが結婚するという後日談まで付きました。

葛城の女神は縁結びの神様でもあられたのでしょうか。

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私はその後も現在に至るまで、稲妻と共に降る雪を見ることが叶わずにいます。

いつの日か見てみたいと願っております。

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因みに今度の七宝会新春公演での能「葛城」は、「神楽」の小書が付くので、通常の葛城をご存知の方は「おお!」と驚くような変化があると思います。

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香里能楽堂にて13日土曜日13時半始曲の七宝会新春公演に、皆さま是非お越しくださいませ。

今年も動く若手OB達

1年前の1月終わりに、金沢にて京大宝生会若手OB OGと、その仲間達約30人が集まっての「大稽古会」を開催して、大きな成果がありました。

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皆それぞれ仕事や学業が一番忙しい年回りのメンバーです。

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大稽古会では奇跡的に大勢が集まりましたが、その後はやはりなかなか大人数で集まる機会がありませんでした。

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しかし、その忙しさの中でも若手OB OG達は着実に活動しています。

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一昨日の日曜日の夜に、若手OBの一人からメールが来ました。

「明日の京都稽古に若手OB OGが集まるので、稽古よろしくお願いします」との事。

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そして昨日、紫明荘に代わる新しい京都稽古場のひとつ、「北文化会館」に6人の若手OB OGが来てくれました。

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稽古はとりあえず郁雲会に参加してくれる人の為の謡「大会」と、同じく郁雲会で出る能「巻絹」のツレ、そして仕舞「半蔀クセ」「野守」「歌占キリ」などが中心でした。

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しかし実は今年の後半に再び「大稽古会」を関西で開催する計画があり、その舞台に繋がる「邯鄲」の謡の稽古もいたしました。

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また昨日聞いた話では、昨年の大稽古会の中心だったドイツ在住の若手OBが、今月下旬に一時帰国して、関西OBの重鎮の方の謡稽古を受ける計画などもあるとのこと。

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京大宝生会若手OB OG達は、去年と同様に色々自主的に企画して動いてくれています。

頼もしい人達です。

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私は企画段階ではあまり役に立たないのですが、とにかく稽古を頑張って、その企画が成功する後押しを今年もして参りたいと思います。

成人式の頃

今日は成人の日だったのですね。

しかし私は終日京都の稽古だったので、新成人らしい格好の人を見ること無く終わりました。

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私の成人式は遠い昔の話ですが、かすかに覚えております。

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練馬区民だった私は、「豊島園」という遊園地での成人式でした。

江古田駅から豊島園行きの西武池袋線に乗ると、如何にも新成人らしい若者たちが沢山乗っています。

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不意に「澤田くん!」と声をかけられて振り向くと、全然知らないキラキラした女性がいました。

こんなキラキラした知り合いがいたかな?と一瞬怪訝な顔をすると、女性は「開三中の○○です。覚えてる?」

なんと、振袖姿の中学校の同級生だったのです。

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同級生の女子はそれから豊島園でも何人か見かけましたが、ほぼ例外無く一目ではわからない程に綺麗に着飾っていました。

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一方で男子は、「おお!お前全っ然変わらんなあ。ちょっとは成長しろよ!」と声を掛け合う程に、代わり映えのしない奴らばかりでした。。無論私も含めて。

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成人式の頃は、私は大学一回生でした。

京大宝生会にもまだそこまでハマっておらず、将来は森や自然に関わる仕事がしたいと漠然と考えておりました。

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椎名誠さんや、カヌーイストの野田知佑さんの本を読んでは、1人で山を歩いたりキャンプをすることに最大の喜びを感じていました。

あれから色々な事があって、思えば遠くへ来たものです。

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今日成人式を迎えた皆さん、本当におめでとうございます。

人生を強引に京大宝生会四年間に例えてみると、新成人の皆さんはまだ一回生が終わった辺りですかね。

これまで稽古したのは基礎的な型や謡で、これからいよいよ自分のやりたい曲を、どんなに難しくても頑張って稽古していくのでしょう。

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…そう考えると、私は現在三回生の半ばくらいに相当します。

良い最上級生になれるかどうかは、今頃の稽古にかかっている訳ですね。

新成人の皆さんに負けないように、頑張らなくては。

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七草の日

今日1月7日は五節句のひとつ「人日の節句」にあたる日で、「七草粥」を食べる慣わしがあります。

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考えてみれば、私はもう長いこと「七草粥」を食べておりません。。

しかし京大宝生会現役の頃は、毎年1月7日に小川芳先生のお供をして亀岡の大本本部に「七草粥」をいただきに伺っておりました。

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お正月前後は普段にも増して不摂生をしていましたので、7日に食べる七草粥は如何にも胃に優しく感じられて、また数々の掛け軸や焼き物やお花などを拝見して、心身共に健康になっていく気分になったものです。

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能には「七草粥」は出て来ませんが、「七草」という言葉が出て来る曲はあります。

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少々意外な曲「求塚」です。

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曲の冒頭、早春の野原に可憐な菜摘乙女が4人登場して、華やかに「春の七草の若菜を摘みましょう」と謡うのです。

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そこから暫くの間は、乙女達が旅の僧と会話をしたり、菜摘み唄を歌ったりと、一見長閑なシーンが続きます。

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ところがこの曲は前半のロンギという部分を過ぎた途端に、3人の男女の哀しく凄惨な悲劇へとガラリと変貌してしまうのです。

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爽やかな七草摘みの光景を、その後の地獄の有様との対比として使ってしまうとは、随分思い切った演出だと思います。

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「求塚」は非常に難しく、大切に扱われる奥伝の曲ですので、私のような若輩者があまり長く話すのは憚られます。

しかしひとつ思い出した話があります。

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以前に読んだ、森田流笛方で京大宝生会OBでもある故帆足正規先生の文章に、ご自身が能楽に惹かれたきっかけについて書かれていました。

それは終戦直後の高校時代に、名人野口兼資師の能「求塚」を観たことだそうなのです。

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映画や舞台などを片端から観る毎日を過ごしていた帆足青年は、ある日殆ど予備知識も無く、初めての能「求塚」を観に行きます。

そして後シテが地獄へと真っ逆様に落ちていくシーンの野口師の型を見て「大地に引きずり込まれていくような力に圧倒され」、そこから正に能楽の世界へと惹き込まれてしまったということです。

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「求塚」は特別な舞台でしか出ない大曲ですが、もしチャンスがあれば是非一度ご覧くださいませ。

帆足先生のように、人生が変わる程の経験が出来るかもしれません。

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今日は「七草」に纏わることを、思い出すままにつらつらと書かせていただきました。

信長が名付けた「岐阜」

今日は岐阜県庁のすぐ横にある「サラマンカホール」で舞台がありました。

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昨年の「織田信長の岐阜入城450年」に関連した催しでした。

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そもそも「岐阜」という名前はその450年前の入城の時に織田信長が付けたという事を、恥ずかしながら今日初めて知ったのです。

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岐阜県というのは、東海道新幹線で頻繁に通過はするものの、これまであまり御縁の無い県でした。

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しかし今日色々お話を伺うと、

・稲葉山の山上にある岐阜城の御朱印が大人気であるということ。

・その稲葉山の麓を流れる長良川で行われる鵜飼の鵜匠は実は宮内庁職員であること。

・長良川の少し上流ではお盆に3日間夜を徹して踊り続ける郡上おどりがあり、誰でも参加可能だということ。

などなど、沢山の魅力と驚きが溢れる地域だとわかりました。

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舞台の後はその岐阜城を見上げる長良川沿いのお座敷で晩御飯をいただき、信長と岐阜に浸った一日を過ごしました。

非常にわかりづらいですが、晩御飯を食べたお店の前を流れる長良川と、背後のシルエットは金華山とも呼ばれる稲葉山、更にその山上の中央やや右手の灯がライトアップされている岐阜城です。

寒い松本・熱い稽古

今日は今年初めて松本に稽古に行って参りました。

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松本稽古場としての稽古始めは今月21日なのですが、松本からも郁雲会に能と舞囃子が出るので、その2番の為の稽古だったのです。

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新宿からの特急あずさは今日も新型車両だったのですが、もう昨年末が嘘のように空いていました。

快適な2時間半を過ごして特急が松本平に差し掛かると、遠くに真っ白になった北アルプスが美しく望めました。

松本駅2階から見ると更に大きなアルプスのパノラマが広がっているのですが、天気が良く空気が澄んでいる日には、常念岳という印象的な山の左肩に「槍ヶ岳」がちょこんと見えるのです。

そして今日は…

見えました!

中央が常念岳で、画面左端の近くに、小さな黒い三角形が先端だけのぞいています。

常念岳と槍ヶ岳、いつか登ってみたい山なのです。

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さて外に出ると、13時前なのに気温3℃。

身が引き締まる寒さの中、稽古場の「エムウイング」という綺麗な公民館に向かいました。

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実は2年前の澤風会10周年記念大会の時にも松本から能「竹生島」が出て、やはりエムウイングで稽古をしました。

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広々としたダンススタジオに、椅子を沢山並べて能舞台を作ります。

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本番2ヶ月前というのは、ある意味で最も大変な時期です。

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あらかた出来上がった謡と舞を、今度は細かく修正してより良いものに仕上げていく為の稽古です。

普段は一曲の途中で極力止めないようにしている私が、何度も途中で止めて注意する時期が今なのです。

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外は最高気温3℃という寒さでしたが、広いスタジオに暖房が必要無いくらいの熱のこもった稽古をさせていただきました。

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今回も良い舞台になるように、私も本番までフル稼働で稽古して参りたいと思います。