仕舞の上達は階段状?

今朝の東京はまたとても冷え込んだのですが、空気が澄んで良い天気でした。

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京都の紫明荘組稽古に向かうために7時過ぎの新幹線に乗ると、途中富士山も晴天の下で綺麗に見えました。

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ところが名古屋辺りから天気が一変して、曇り空→雪が舞い出す→吹雪と10分足らずでひどい荒天になってしまいました。

車窓から見た、米原辺りの実に寒そうな雪景色です。

新幹線も徐行運転になり、京都の稽古場に30分遅れで到着しました。

北陸と滋賀県からいらっしゃる筈の会員さんからは「雪で家を出られないのでお休みします」とのお知らせが。

やはり関西の雪恐るべしです。。

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気を取り直して稽古にかかりました。

これまで何度か経験したのですが、仕舞というのは、始めてから一定期間を過ぎるとある日突然上手くなることがあります。

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最初に稽古する仕舞「絃上」や次の「鶴亀」「猩々」、また「胡蝶」「羽衣キリ」などでは、例えば「ヒラキ」や「左右」、また「ヒキワケ」などの基本的な型を繰り返し稽古します。

しかし、なかなか正確に出来るようにはなりません。

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それが、つい前回の稽古までは変わらなかったのに、今日の稽古を見ると見違えるように正確な「ヒラキ」や「ヒキワケ」をされた方がいらしたのです。

「前回の後に、何か特訓をされたのですか?」と聞いてみたのですが、特にされていないとのこと。

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これはどういう現象なのかわからないのですが、大抵の方が5、6番くらい稽古された所で急に上手くなる気がします。

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坂道をじわじわと登るように上達するほうが日々の達成感があるのでしょうが、何故か仕舞は階段状にレベルアップしていくように感じます。

なので、「いくら稽古してもさっぱり代わり映えしないなあ…。」と思われる方も、おそらくそのまま進んで行けば、ある日急に階段を一段登るように、驚く程上手になられるのだと思います。

1㎞を30分かけて歩くこと

東京に33年振りの低温注意報が発令されたと携帯ニュースで読みました。

33年前というと私が中学生の頃で、実はその年の寒かった冬には思い出があるのです。

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確かその冬の東京には今年どころではない大雪が降って、積雪が40㎝くらいになったことがありました。

道路一面が厚い雪で覆われて、車はチェーン、自転車は走行不能です。

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私の中学校の校庭も勿論一面の銀世界になりました。

毎日昼休みには校庭で遊ぶのが楽しみだったのですが、その日の4時間目が終わると校内放送がありました。

「今日は東京地方では珍しい大雪で、校庭に40㎝ほど積もっています。」

声は、理科の菊地先生の声でした。私の所属する科学部の顧問の先生でもあります。

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私はそこまで放送を聞いて、当然「今日は昼休みに校庭に出るのは禁止します。」と続くと思いました。

ところが続けて菊地先生は、「このような機会は滅多にありません。皆さん是非校庭に出て遊びましょう!」と仰ったのです。

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一瞬教室が静まりました。皆私と同様に、言葉の意味を咀嚼するのに少し時間がかかったのです。

やがて皆一斉に「おお〜‼︎」と歓声を上げて、校庭に飛び出して雪合戦や雪だるま作りを始めました。

後にも先にも、都内であれ程の雪遊びをした経験はありません。

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菊地先生には、色々な大切なことを教えていただきました。

毎年夏に本栖湖畔であった合宿では、我々科学部は昆虫採集や山野草の標本作り、野鳥観察などをする為に毎日野原を歩きました。

その時に菊地先生は「1㎞30分のペースで歩こう」と指示されたのです。

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これは相当にゆっくりしたペースです。

しかし、辺りの自然を観察して何か目についたものを皆に知らせ、一緒に観察するには丁度良い速さだったのです。

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私が今でも道を歩く時に、つい辺りを見回して面白い物事を探してしまうのは、この頃に身についた習慣だと思われます。

1㎞を30分かけてのんびり歩くことは、めっきり少なくなりましたが…。

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今日は全く能楽に関係無いお話でした。

偶にはこんな日もあると御容赦くださいませ。

雪の盛岡にて

昨日の朝青森を出て仙台稽古に向かったのですが、途中盛岡で新幹線を降りました。

去年写真家のマグダレナ・ソレさんからの撮影依頼を仲介して下さった、岩手未来機構の皆さんとお会いする約束があったのです。

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今年から再来年にかけて何か能に関わるプロジェクトができないか、何ヶ所か会場の候補地を見学に行き、色々お話をしました。

まだ具体的に申し上げられる段階ではありませんが、岩手未来機構の方々はとても熱意があると感じました。

それこそ未来に繋がる催しが何か出来れば良いと思います。

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それらの打ち合わせの合間に、また何ヶ所か盛岡近辺の観光スポットにも立ち寄っていただきました。

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先日は「岐阜」の県名が織田信長由来であると聞いて驚いたのですが、昨日は「岩手」の名前の由来を初めて知ることが出来たのです。

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昔、この地域で悪さをする鬼がいました。

その鬼が「三ツ石」という大岩の神様に懲らしめられて、二度とこの地を荒らさないという確約を手形として三ツ石に残した、という伝説があるそうです。

大岩に手形をつけたので「岩手」。

その三ツ石がこれなのです。

鬼の手形はどこに?と雪の中を一周してみたのですが、見つかりません。

実はすでに手形は風化して、残っていないとのことなのでした。。

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次に、「報恩寺」というお寺にあるという「五百羅漢像」を見に行きました。

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この頃から雪が俄かに強くなり、気温もぐっと下がって来ました。

この報恩寺の中に五百羅漢像があるお堂があったのですが、なんと格子戸で外と繋がっており、お堂の中に雪が吹き込んでいます。

極寒の中で五百羅漢像を見学。

聞けば江戸時代に9人の仏師が手分けして京都で製作した像で、中には何故かマルコ・ポーロの像もあるとか。

お堂の四面にズラリと並んだ羅漢像を見ていると、驚くことがありました。

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像のいくつかが、「能面」に似たお顔をされているのです。

「景清」「猩々」「平太」に気がつきましたが、本気で探せばもっとあると思います。

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9人の仏師の中に能面も彫る人がいたに違いないと思います。

これもまた想像力を掻き立てられるドラマがありそうでした。

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僅かの間の盛岡滞在でしたが、大変実りの多い時間になりました。

岩手未来機構の皆様どうもありがとうございました。

プロジェクトが具体化したら、またこのブログでも御案内させていただきたいと思います。

冬の青森面白イベント

昨日は雪の東京を出て、東北青森の稽古に向かいました。

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途中郡山の手前で、雪の影響で急に新幹線が停電して車内が暗くなり、止まってしまいました。

何かあるだろうとは予想していたので、慌てず静かに待っていると30分程で復旧し、あとは無事に青森まで行くことが出来ました。

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青森では、例によってユニークでユーモラスな企画のポスターをいくつか見つけたので、ご紹介したいと思います。

「雪女コンテスト」ポスターは去年も確か写真に撮った記憶があります。

今年は3月3日なので「氷女(ひな)まつり」ですか。寒そうです…。

しかしゲストが全く雪女と関係なさそうですね。。

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大きさが一瞬わからなかったのですが、電柱や立木と比べるとこれは巨大なアートです。

これをスノーシューで作って、更に毎日メンテナンスをするとは、実に大変な作業だと思います。

大雪だと埋まってしまい、晴れて気温が上がると溶けてしまうでしょう。

丁度良い天気になってほしいものです。

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うわぁなんじゃこりゃ…と思い、撮ろうか迷いながら撮影しました。。

津軽弁で「愛すべきバカ野郎達」を「もつけ」というのですね。

綱引きだけでも少なくとも60人の薄着に地下足袋の「もつけ」が集合するようです。

参加するのは遠慮したいですが、遠くから眺める分には面白いかもしれませんね。

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「落城記念」?そして「439年記念」?

謎が多いイベントです。

調べるとどうやら去年は「438年記念」だったらしいので、毎年記念のようですね。

それにしても「落城」は記念すべきことだったのでしょうか…?

そして「やぶこぎ」は、私が林学科の頃にやっていた「藪漕ぎ」ではなく、雪原のラッセルのようなもののようです。

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こうして並べてみると、身体を激しく動かすイベントが多いですね。

雪に閉じ込められて運動不足になりがちなのを、楽しく解消しようという目的なのでしょう。

しかし相変わらず青森の方々の発想は面白いものが多いです。

今後も期待しております。

本名、屋号、業種名

能楽においては、シテの名前が「漁師」であるとか、「○○の兄」、或いはただ「男」「女」とだけしか名付けられていないことがよくあります。

むしろ「本当の名前をわざと隠している」と言った方が良いかもしれません。

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能「紅葉狩」のシテなどは、元の話では「紅葉」という名前の女であり、「紅葉狩」と「紅葉という女を狩る」をかけてあるのに、能ではシテを「さる御方」としか呼ばず、結局最後まで名前がわからないままで終わってしまいます。

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これは、「本名」という属性を隠すことによって、名前以外の「美しい」「高貴に見える」「ちょっと怪しい」「実は鬼である」といったその曲特有の属性をより際立たせる為なのでしょうか。

以前から不思議に思っていることのひとつです。

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このようなことを書いたのは、実は昨日の松本稽古場の新年会で興味深い話題があったからです。

「昨年末に新しく入った会員さんをどう呼ぶか」という話題でした。

松本稽古場は何故か職人さんが多いと昨日書きましたが、それと同時にまた「本名以外にも呼び名を持つ人が多い」という不思議な稽古場なのです。

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「本名」や「ニックネーム」はどこでも耳にしますが、松本の皆さんはそれ以外に「屋号」と「業種名」でも呼び合っているのです。

屋号だと「さんじろさん」「こちのやさん」「やませいさん」など。

業種名から「うなちゃん(鰻ちゃん)」など、いずれも本名しか知らない人には何だか訳の分からない呼び名です。

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しかしそのように呼ぶことで、名前を知らない初対面の人でも「ああ、あのお城の近くのお蕎麦屋さんの」とわかってもらえたりするのです。

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松本という街は規模も大き過ぎず小さ過ぎず、人と人との繋がりも適度に密な街なのだと思います。

「屋号」や「業種名」はそんな松本に程よく適した呼び方なのでしょう。

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私は本名以外には呼び名を持たずに半世紀程過ごして来ました。

それで不満は無いのですが、松本の皆さんが屋号などで呼び合うのを見ていると、何となく暖かい繋がりを感じて、ちょっと羨ましくなるのです。

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新しい会員さんは、結局「本名」「屋号」「業種名」どれでもOKということになり、私はどう呼んだものかまだ迷っております。。

松本稽古始めと新年会

今日は松本稽古場の今年初めての稽古でした。

例年初稽古の後に、会員さんのされているイタリアンのお店で新年会をします。

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今年は珍しいパターンで、稽古の後に用事で何人か帰られて、逆に新年会から参加の方も何人かいらして、全体的にはこぢんまりとした食事会になりました。

しかし大きなテーブルをちょうど囲める人数で、皆さんそれぞれの興味深いお話を、等しく聞くことが出来ました。

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松本稽古場には何故か様々な分野の職人さんが多くいらっしゃいます。

「独学で勉強を積んだ」という方、「体育会系の親方の元で厳しい日々を過ごした」という方。

バリエーションに富んだそれぞれのご経歴を伺うだけで大変面白かったのですが、今日のお話で共通していた意外なことがあります。

「その職の肝心なところは師匠からも誰からも教えてもらっておらず、自ら勉強して会得した」ということです。

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一見理不尽なことと思われますが、これは能楽の世界にも当てはまることなのです。

楽屋の仕事や舞台上のことの大半は自分で見て覚えておくもので、ある日突然「やってみろ」と言われて、その仕事が出来ればOKで何もコメント無し。出来ないと「今まで何見てたんだ!」と怒られるのです。

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一見不合理に見える修行のやり方の裏側に、大切な本質があるように思っていて、しかしその感覚は他人とは共有し難いと考えておりました。

なので今日は似た感覚を持つ方のお話を伺えて、大変嬉しく思いました。

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他の稽古場でも本当は今日のように、私ではなく皆さんのお仕事のお話をもっと伺ってみたいと思いました。

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もちろん今日は真面目な修行の話ばかりでなく、「鰻を食べた後にカラオケに行く会」の企画の話や、「羊のチーズ」が出たので「羊はあんなに毛がモコモコあるのにどうやってお乳を絞るのか?」といった話など、色々と楽しい時間を過ごしました。

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松本の皆様どうもありがとうございました。

お料理もワインも大変美味しかったです。

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本年も頑張って稽古して参りますので、どうぞよろしくお願いいたします。

足の痛い話

昨日の「耳の痛い話」に続いて、今日もちょっと痛いお話です。

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昨日も書きましたが、「正座」、特に「長時間の正座」というのは実に辛いものであり、そして我々能楽師が生涯ずっと向き合わなければならない試練でもあります。

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正座の問題点はいくつかありますが、実は「痛い」「痺れる」といった事はさほど問題ではなく、最大の問題は「立てなくなる」という事です。

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正座で足が完全に痺れた状態になると、爪先が伸びたままで固まってしまいます。

そこで普通に立とうとすると、伸びた爪先に全体重がかかったまま転倒して、最悪骨折する怖れもあるのです。

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また経験上、正座にはいくつか不思議な点があります。

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「45分の能で痺れる時もあれば、120分の能であまり痺れない時もある。」

短い能だと思って舞台に出ると、最初の15分で完全に痺れたりします。

逆に120分かかると覚悟して座ると、最初の45分など全く痺れなかったりするのです。

正座の痺れには精神的なものも関係しているのでしょうか?

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「能楽堂によって痺れ具合が違う」

私にとっては、宝生能楽堂が一番痺れが少なく、某千駄ヶ谷や某大阪市内の舞台などはとても痛くて痺れる感じがします。

しかしこれも逆に宝生能楽堂が一番痺れる人もいるかもしれません。

正座の痺れには、その場所への慣れも影響するのでしょうか…。

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「時間帯が遅いほど痺れる」

これはやはり足のむくみが関係しているのでしょうか。

夕方から夜の舞台で座ると、すぐに痺れてしまう事が多いです。

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以上のように、「正座」と一口に言っても、様々な問題点や疑問点があります。

実はこの「正座」について、専門家の先生に色々お話を伺ってみようという企画があるのです。

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5月13日(日)12時〜13時、宝生能楽堂にて開催の「能プラスワン〜五感で楽しむ能〜」にて、京都大学薬学部教授で「生体機能解析学」を研究されている金子周司先生をお招きして、私と2人で学術的立場と能楽師の立場から「正座」について対談をいたします。

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「マウスを使った正座の研究」といった、ちょっと想像がつかない興味深いお話が沢山聞けそうです。

料金は1000円(自由席)で、当日月並能のチケットをお持ちの方は500円になります。

お問合せは宝生会事務局℡03-3811-4843まで。

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皆さまこの機会に是非ご一緒に「正座」の勉強をいたしましょう。

「痺れない方法」が分かる、かもしれません。

どうかよろしくお願いいたします。

耳の痛い話

今日は夜に国立能楽堂定例公演の能「忠度」の地謡に出演して参りました。

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今日の「忠度」もそうだったのですが、能の一番最初には、笛が「ヒシギ」と呼ばれる「ヒーヤー、ヒーッ!」という強く甲高い音を出してから始まる事が多いです。

そして、この「ヒシギ」を至近距離で聴くと、大変耳が痛いのです。。

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最も至近距離で聴くのは、地謡前例の一番右のポジションです。

そこは一番若手が座る場所でもあります。

私も能の地謡につき始めた頃は必ずその前例右端に座り、最初の「ヒシギ」を聴く度に耳がキーンとなって、暫くは聴こえ辛くなっていたものです。

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ある時、「ヒシギ」の間に息を吐くようにすると、耳の痛みが少なくなることがわかりました。

笛方が笛を構えたら、よく息を吸って準備します。

そして吹きそうになったら息をゆっくり細く吐いていくのです。

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「ゆっくり細く吐く」というのは、笛方によっては構えてからなかなか吹き出さない人もいるからです。

最初の頃は普通に吐いていたのですが、今にも吹き出しそうにされているのに、なかなか「ヒシギ」が始まらず、ちょうど私の息が無くなって、大きく息継ぎをした瞬間に「ヒーッ❗️」と来て、死ぬかと思った事がありました。。

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今では前例右端に座る事も少なくなりましたが、やはり能の始めには、よく息を吸ってゆっくり細く吐いていくのが習い性になっております。

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耳が痛いのと並んで痛いのが「正座の足の痛み」なのですが、これに関してはちょっとお知らせがありますので、また別の日に宣伝させていただきたいと思います。

今日はこれにて。

1件のコメント

舞台から舞台へ

今日は午前中に水道橋宝生能楽堂にて、土曜日開催の五雲会の申合があり、能「源氏供養」の地謡を謡いました。

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終わってから午後は国立能楽堂に移動して、明日開催の定例公演の申合にて今度は能「忠度」の地謡を謡って参りました。

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今日は申合の掛け持ちでしたが、本番でも1日に2回別々の場所で舞台があることがあります。

私はそれ程忙しくない能楽師なのですが、最も忙しい楽師になると、1日に2箇所の舞台でどちらもシテを勤める、という先生もいらっしゃいます。

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また、海外公演から帰った日に、早速日本の舞台に立つ人もいらっしゃるようです。

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以前の澤風会京都大会では、お囃子方で「朝に北海道網走を発って紀伊田辺に移動して、舞台を済ませてから夕方に京都大江能楽堂に来た」という方もおられました。

そんな事が可能なのですね。。

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それを思えば、今日は水道橋〜千駄ヶ谷を総武線で移動しただけなので、とても楽な移動でした。

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私の場合、昔の話なのですが、全宝連金沢大会の鑑賞能の後に、最終の飛行機で小松空港→羽田空港へ。

羽田空港内にあるカプセルホテルに泊まって、翌朝6時の飛行機で韓国釜山に飛び、釜山の舞台を終えて日帰りで夜に羽田空港に帰国、ということはありました。

これは日を跨いでいますが、感覚としては東京→金沢→羽田→釜山→羽田が同じ日にノンストップで続いた気がしました。

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今年もまたそんな日もあるかもしれません。

やはり最後は体力勝負なので、きちんと食べて寝て、1日に何度舞台があっても、全て全力投球出来るようにしたいと思います。

GNHとは?

年末から高野秀行著「未来国家ブータン」という本を読んでおりました。

早稲田大学探検部出身の高野さんの本は、いつも辺境地が舞台の破天荒な探検行の話で、大変面白いのです。

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今回も「雪男」の話や、秘境ブータンの中でも最奥に位置する村の珍しい暮らしの話など、旅行に行った気分で楽しく読ませていただきました。

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その本の中で特に興味深かったのが、「国民総幸福量」という言葉です。

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国民総生産量= GNPではなく、ブータンでは国民総幸福量= GNHの増加が最大の政策目標らしいのです。

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「国民一人一人がより幸福になれば、社会全体もより幸せになれる」という夢のような政策を、政府が真剣に考えて施行しているのがブータンという国だそうなのです。

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持続的な幸福の為に、自然や文化も大事に保護保全しているようです。

またなんと国王が自ら国内を行脚して、国民の暮らしを見ながら世直しをしているという、まるで「水戸黄門」か能「鉢木」か、という話も書いてありました。

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高野さんは、「日本がそうなったかもしれない未来を目指している国」というような表現をしていました。

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確かに現代日本がこれからブータンのような政策をとることはまず出来ないと思います。

しかし、少なくとも私自身の生き方の中では、周りの人たちを含めた「幸福量」が増えること、またその幸福が刹那的なものでなく長く持続することを、ひとつの目標にしてみたいと思いました。

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私の文章ではなかなか伝わりにくいのですが、興味を持たれた方は集英社文庫「未来国家ブータン」を是非お読みくださいませ。