「あしらう」ということ

我々の専門用語で「あしらう」という言葉があります。

2本の「張り扇」を使って、囃子の手を打ちながら能や舞囃子の稽古をすることです。

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右手の張り扇を「大鼓」、左手の張り扇を「小鼓」として打つ時もあれば、2本の張り扇を撥に見立てて太鼓の手を打ったりもします。

口では謡を謡ったり、笛の唱歌を口ずさんだりします。

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例えば誰かが舞う能を最初から最後まであしらって稽古する時は、まずシテの出の「次第」や「一声」などの囃子のあしらいから始めます。

そして途中のワキの謡、狂言の言葉も謡って、地を謡いながら張り扇で囃子をあしらい、舞があれば唱歌と張り扇であしらい…と、一人でシテ以外のすべての舞台構成員「地謡方」「囃子方」「ワキ方」「狂言方」を演じる訳です。

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一曲の謡を完全に記憶して、通して無本で謡うことが出来れば、それはその曲を理解する上でのひとつの到達点であると思います。

しかし、更に上を目指すとすれば、「一曲を一人で完全にあしらう」ことだと私は考えます。

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それには、謡と囃子の手を覚えるのは勿論、各箇所の謡と囃子の「位取り(高低遅速強弱の微妙な加減)」や、囃子の「掛け声」、ワキと狂言の文句も勉強しなければなりません。

囃子、ワキ、狂言は、流儀の違いが大きく影響する場合があるので、その点も注意が必要です。

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これら全部を消化して、たった一人で一曲の能をあしらい通すことが出来れば、それこそがその曲を理解する上での究極に近い到達点だと思うのです。

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…私はと言えば、まだその境地には遠く及びません。。

囃子の手組や唱歌の資料を見ながら、大まかな流れを作る程度のあしらいが今の精一杯です。

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しかし、日々人工的な音源を極力使わずに、自分の手であしらっていく事で、少しずつでも「究極のあしらい」に近づいていければと思っております。

立春能

今日は水道橋宝生能楽堂にて「立春能」の地謡に出演して参りました。

立春能は宝生流の女流能楽師が中心になって催される舞台です。

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「能楽師には女性もいらっしゃるのですか?」という質問を度々受けるのですが、人数比では男性よりも少ないものの、たくさんの女性能楽師が活躍しておられます。

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私のような男性が、三番目などの優美な女性のシテを演じるのには、やはり色々と苦労苦心があります。

女性能楽師は、むしろそういった役は自然体で出来るのかもしれません。

逆に二番目や切能などの荒々しいシテを女性が演じるのは、また越えるべき高いハードルがあるのでしょう。

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能楽師の場合、初番目から切能まで満遍なく役が付くので、結局男性も女性もどこかで自分とキャラの異なる役を演じる苦労は経験する訳です。

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しかしその苦労のしどころはある意味で正反対なので、男性と女性それぞれどんな役でどんな苦労をしたか、情報交換をすると面白い気がします。

今日も男の霊、少年、美女、老人、貴公子などの様々な役があり、それぞれの演者の解釈や演技が興味深く、色々と勉強させていただきました。

吉田神社の節分祭り

今日は節分です。

去年の節分の記憶が全く無いのは何故かと思い、過去ブログを見てみると去年は七宝会の能「兼平」が2月4日にあったのでした。

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「節分」というと、例年の私は何となく浮き浮きとした気分になります。

何故かと言うと、京都吉田神社の「節分祭り」を思い出すからです。

京都では年間を通じて沢山のお祭りがありますが、実は私は吉田神社の節分祭りが一番好きなのです。

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京大の正門前を東西に通る道が「東一条通」で、その東一条の最東端に「吉田山」がゆったりと聳えており、さらにその吉田山の山腹に「吉田神社」があります。

普段は京大生が大勢行き交うこの東一条が、2月2日〜4日の「節分祭り」の時には全く違う顔を見せてくれるのです。

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東一条が東山通りと交差する角から、吉田山の山頂にある「吉田大元宮」にかけて、何百という夜店が極彩色の灯りをともしてズラリと立ち並びます。

その絢爛たる有様は、全国様々な夜店を見てきた私からしても、全国随一の規模だと思われます。

ちょっと現実離れした、不思議で妖しい魅力を持った空間が現出するのです。

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大学生活を謳歌していた頃の私の「節分祭り黄金コース」は以下の通りです。

①2月3日のまだ人が少なめの夕方に、先ず一度夜店をざっと冷やかしながら参道を登る。途中で「景品付福豆」、「恵方巻き(まだ全国区ではありませんでした)」、「節分祭り限定の日本酒・富士千歳」などを購入。空腹であれば「河道屋の年越し蕎麦(ここは節分の時に年越し蕎麦を出すのです)」を食べて、一度下山する。

②宝生会の稽古日ならば能楽部BOXへ、そうでなければ吉田寮の一室に行き、恵方巻きを黙って食べたり、日本酒を飲んだり、お好み焼きや焼きそばを食べたりして夜が更けるのを待つ。

③21時頃に再び吉田神社へ。吉田山中腹の本殿の辺りは、通勤ラッシュ並みの身動き出来ない混雑です。これは殆どが23時に始まる「巨大お焚き上げ」を見る為の人々なのです。23時になると、直径10m×高さ10mはあろうかという(記憶は多少誇張されているかも…)お焚き上げが始まり、巨大な炎が天を焦がすのを「おーっ」と歓声を上げて見守ります。

あまりの熱さに最前列の人々は間も無く後ろに退散してくるので、上手くすり抜けて最前列に行くことが出来ます。

④いい加減こちらも熱くなってくるので、後ろに退散して参道を更に登って「大元宮」に参拝します。大元宮の扉は普段は閉ざされており、年に一度節分祭りの期間だけ開かれます。

ここに参拝すると、何と全国すべての神社に参拝するのと同じ御利益があるということなのです。ここは気持ちを引き締めてお参りさせていただきます。

⑤そして再びBOXまたは吉田寮に戻り、福豆で豆撒きをして、冷えた身体を富士千歳で暖め直す。

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…これが黄金のフルコースでした。

能楽の道に進んでからは、何年かに一度素早く行ってすぐに帰る、ということが続いております。

去年は兼平の直前で行けず、今年も2月2日〜4日に東京で舞台があり、行けそうにありません。。

あと1時間ほどで「巨大お焚き上げ」が始まるはずです。

来年こそはまた京大宝生会の面々と、あの節分祭りの幻惑的不思議空間に行けることを願いつつ、今日はこれから明日の舞台の準備などして静かに休もうと思います。

たった1500m…?

昨日のブログで「中国では春節には30億人が大移動します」と書いたら、「13億人の間違いでは?」とのお問合せをいただきました。

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すみません説明が足りませんでした。

「延べ人数で30億人」が確かに大移動するそうです。

しかしやはりこれはある意味で不可解な数字です。

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仮に中国の全人口が電車で往復しても26億人の筈なのです。

1人で何度も移動する人もいるという事でしょうか…?

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因みに能楽で中国を舞台とした曲の中には、やはり荒唐無稽としか言いようの無い表現がよく出て来ます。

その最たるものは能「咸陽宮」だと思います。

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「そもそもこの咸陽宮と申すは、都の周り一万八千三百余里」と謡われていますが、キロに直すと約8万km。

これは地球2周分になってしまいます。

「内裏は地より三里高く」。つまり標高差12000m。言うまでもなく、地上最高峰エベレストは標高8848mです。

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それは幾ら何でも盛り過ぎだろうと思っていたら、実は中国の一里は500mなのですね。

なんだそれなら高さはたった1500mじゃないかと一瞬思ったのですが、考えたらスカイツリーの高さが634mでした。やはり咸陽宮、あり得ない高さです。。

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しかし春節の延べ30億人大移動が現実の事である以上、能楽における荒唐無稽な描写もあながち否定できないような気がして参りました。。

旧正月の神事

今日から2月になりました。

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日本の旧正月、中国で言うところの春節が近づいたということで、中国では帰省ラッシュが始まったそうです。

中国の帰省ラッシュは、鉄道で「30億人」が移動すると聞きました。

30億人の大移動。全く想像が追いつかない数字です。。

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「旧正月」の日付は毎年変わるようで、何回聞いても覚えられないのですが、アジアの多くの国々などではこちらの旧正月の方を盛大にお祝いするのですね。

1月1日は世界共通のお正月だと、子供の頃は疑いも無く思っていたのですが、正に「井の中の蛙大海を知らず」だった訳です。

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そして日本でも明治維新前までは旧暦で正月を祝っていたのです。

前にもちらっと書きましたが、能楽の中にも「旧正月」が重要な要素となる曲があります。

北九州門司にある、関門海峡に面した「和布刈神社」において、旧暦大晦日から旧正月の未明にかけて行われる秘密の神事を描いた「和布刈」という曲です。

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この曲は現在では新暦に合わせて12月に演じられることが多い曲です。

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しかし現在も続いている「和布刈の神事」は、実は毎年旧正月の未明に行われているのです。

今年の和布刈の神事は2月15日夜から2月16日未明にかけて行われるそうです。

なので、本当は2月の舞台で演じられても良い曲だと思います。

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因みに、読み方が難しい曲のひとつです。

和布刈。どうか調べてみてください。

どうしても解らない方は、お問合せフォームでお問合せくださいませ。

スーパー・ブルー・ブラッドムーン

今日は「皆既月食」が見られる日です。

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携帯ニュースでは今回の皆既月食を「スーパー・ブルー・ブラッドムーン」という、何かの必殺技みたいな名前で呼んでいました。

また大袈裟な呼び方を…と思ったら、これは正式に使われている呼称だそうです。

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ただし、3つの呼称が重なっているのです。

・スーパームーン:地球に接近して大きく見える月。

・ブルームーン:満月のこと。

・ブラッドムーン:皆既月食で赤くなった月。

そして今日の皆既月食は、実に35年ぶりにこの3つの条件を全て満たしているそうなのです。

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東京は夜には雲が出るという予報でしたが、先ほど田町稽古を終えて外に出てぐるりと夜空を見渡すと、見事な満月が輝いていました。

時間は20時45分。まさにこれから月食が始まる時間です。

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一旦地下鉄に乗り、三ノ輪で皆既月食を見ようと思いました。

雲が出ないように祈って三ノ輪で地上に出ると…

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見えました!三ノ輪は雲ひとつない夜空でした。

写真には上手く写りませんが、左下から欠けて来ています。

しばし寒さに耐えて見ていると、ついに21時50分過ぎに皆既月食になりました。

これまたわかりづらい写真ですが…

先程の写真よりも赤っぽいのはおわかりかと思います。

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能楽に「月」はよく出て来ます。

というより、「月」という単語が一切出てこない曲を探す方が難しいくらい、頻繁に出てくるのです。

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現代のように明かりに溢れた夜ではなく、中世の夜は真っ暗闇だった筈で、月の明かりはとても貴重なものだったのでしょう。

それが、満月の夜に1時間足らずで急に月が暗赤色になって、辺りが暗くなるなどという現象は、当時はおそらく非常に恐ろしい事件だったと思われます。

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これだけ「月」がよく出てくる能楽に、「月食」を示すような内容が無いのは、おそらく月食は不吉な現象と見られていて能楽の題材には適さないと思われたからではないでしょうか?

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現代の私はと言えば、35年ぶりという天体ショーを見られて大満足で、「自分は今、太陽と月を結んだ直線上に丁度いるのだなあ」などと感慨にふけっているのでした。

鰻と能楽

昨日の松本稽古の後、何人かで晩御飯を食べたのですが、その席で新会員の鰻屋さんからまた面白いお話を聞きました。

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同じ鰻でも、焼いていると時折「これはすごく良い鰻だなあ」と思うような素晴らしい鰻に出会うことがある。

また逆に「うーん、この鰻はちょっと…」という鰻に当たってしまうこともあるとか。

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しかしそこは勿論お客様には明かさずに、同じようにお出ししなければならないのが難しいところだと仰っておられました。

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能楽の世界でも、例えば舞台ごとに毎回違う面や装束の組み合わせがあり、「これは良い面が出たなあ」とか、「この新しい装束は初めて使うらしい」とか、お客様には明かされない裏情報があります。

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面白いと思うのは、良い面と装束が出ても確実に良い舞台に繋がるとは限らず、逆にそこまで良品の組み合わせでは無くても、舞台としては良い評価を受けることもあるということです。

面装束というのは舞台を構成する要素の一つに過ぎず、他の様々な要素との総合で満足度が決まるのでしょう。

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会員さん経営の鰻屋さんは、ご飯をお客様が来店してから炊くので、炊きたてのご飯がまた大変に美味しいと言う話です。

タレは修行したお店のレシピを元に、地元の材料などを使ってオリジナルのものを作ったそうです。

また気温によって火の通り具合が変わるので、焼き加減を微調整しなければならないということでした。

そのように、「鰻」と一口に言っても、素材、焼き方、タレの味、ご飯の味などが合わさって、やはり総合力で評価が決まるのだと思います。

どの世界も奥が深いのだと思いました。

そして鰻が食べたくなりました。。

1件のコメント

5m四方の場所があれば…

能舞台というのは、三間四方の正方形をしています。

三間四方とは、メートルに換算すると5.4m四方です。

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つまり、約5m四方の平らな空間があれば、極論を言えば世界中どこでも能の稽古が出来る訳です。

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今日稽古をした松本などは、丁度良い広さの稽古場が何ヶ所もあって、理想的な稽古が出来る大変有り難い土地です。

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しかしそのような良い稽古場が見つからない時もままあります。

私はそんな時には、とにかく人に迷惑にならない5m四方の場所を何とか見つけ出して稽古してしまいます。

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これまで稽古した場所では、

・東京ドームの入場口の前

・上野駅の新幹線コンコース

・京都国際会館の駐車場

・パリの某国際空港の搭乗ゲート脇

などがあります。

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しかし聞いた話では、ある偉い先生が「タクシーの中で仕舞の稽古をしていた」そうです。

この境地に達すれば、それこそ「この世のあらゆる場所で稽古可能」なのですが、それにはまだまだ時間がかかりそうです。。

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日々色々な土地を歩いていて、5m四方の良い場所を見つけると、つい「ここはいざという時に稽古に使えるな…」と思ってしまうのでした。

目印になるもの

今日は水道橋宝生能楽堂にて、3月2、3日の郁雲会澤風会で出る能4番の稽古をいたしました。

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私が面をかけて能のシテを舞う時には、色々な物や人を目印にして舞っております。

・舞台の4本の柱

・橋掛りの3本の松

・舞台上にいるワキ方、ツレ、地謡、囃子方、狂言方

・作り物

などなどです。

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しかし更に、その能舞台特有の目印も沢山存在します。

宝生能楽堂ならば、

・何ヶ所かある扉

・扉の上の非常灯

・客席の列の数

・写真室の窓

・欄干の本数

などは目印になってくれます。

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まだ面をかける経験が少ない方には、これら宝生能楽堂特有の目印を覚えることが非常に重要なことなのです。

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今日は何度か舞を止めて、その目印を説明させていただきました。

後は申合で最終的にそれらを確認すれば、舞台上の位置取りは心配無いと思います。

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皆さん順調に準備が進んで、いよいよ本番が視界に入って参りました。

山の本

今日はぽっかりと空いた休日でした。

郁雲会澤風会の準備作業が沢山あるのですが、合間に本を読む時間もありました。

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最近読んでいるのが時代小説家の長谷川卓著「嶽神」シリーズ(講談社文庫)です。

大まかなストーリーは、戦国時代の甲信越を舞台に、深山に棲む「山の者」と呼ばれる人々が乱世に巻き込まれながらも懸命に生きていく、というものです。

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私は京大時代に「木地師」というやはり深山を渡り歩いて暮らしていた山の民を調べたことがありました。

また柳田國男や椋鳩十の本などでも、日本の山々には平地とは全く異なる生活があったと知り、大変興味深く思っておりました。

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この「嶽神」シリーズは、まさにその山の民が主人公であること、また山田風太郎ばりの荒唐無稽なアクションシーンがふんだんにあること、そして舞台が甲信越地方で、見知った場所が多く出てくることなど、私の好みのツボを巧みに押さえた本なのです。

更に、私は好きな本を読み終わるととても寂しい気分になってしまうのですが、「嶽神」は既に10冊程出版されており、まだまだ続きそうなのでその点でも安心なのです。

ちなみに「能役者の家系」であるという意外な人物も登場します。

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「嶽神」は文庫本で、主に電車で読むのですが、最近家で寝る前に読んでいるのがやはり山の本です。

これはあまり売っていない本なのですが、加藤博二という人が今から60年程前に書いた本の復刻版「森林官が語る山の不思議〜飛騨の山小屋から〜」(河出書房)という本です。

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第二次大戦前頃に飛騨の深い山奥に暮らした著者が体験した、山の民や動物や、謎の生き物達も出てくる不思議な話です。

能「山姥」の現代版のような話もあり、日本にはつい戦前までは、平安時代から続く深山の暮らしがあったようです。

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そんな話を少しずつ読んで、想像力を膨らませながら満足して眠るのが、最近の密かな幸せなのです。