贅沢な能楽教室

今日は京王線沿線の女子中学校で能楽教室のお手伝いをして参りました。

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中学2年生を対象に毎年この時期に開催される能楽教室で、私ももう5回目くらいの参加になると思います。

「今年の子供達は、ちょっとやんちゃらしいですよ」と事前に聞いていたのですが、始めてみると騒ぎもせず、飽きて余所見したりもせずに、面白いところでは良く笑ってくれるという、非常に有り難い素直な生徒さんたちでした。

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朝9時から午前中いっぱいをかけて、四種類の能楽囃子と仕舞の所作を全て体験して、最後に「船弁慶」の一部を鑑賞するというとても贅沢な能楽教室です。

おそらく大半の生徒さんが「能楽」というものに初めて触れる機会だったはずです。

これはある意味で責任重大です。もしここでマイナスの印象を持たれてしまったら、この人たちは今後の長い人生で能楽に二度と接してくれないかもしれないのです。

逆に「能楽は面白かった」という記憶が強く残ってくれたら、将来舞台を観に来てくれたり、稽古を始めたりしてくれる可能性もあります。

果たして今日の生徒さん達の反応はどうでしょうか…?

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例えば大鼓の体験の時のこと。

大鼓は構えて打つのもさることながら、「よ〜オ〜、ほ〜オ〜」という「掛け声」がなかなか難しいのです。特に「オ〜」の部分で裏声になるのが、大人でも恥ずかしくて出来ないことが多いのです。

しかし今日は声を揃えて「よ〜オ〜!」と裏声もしっかり出してくれていました。

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最後の能楽鑑賞でも、ほんの数人が眠そうでしたが大半はとても熱心に鑑賞してくれました。

つい先程自分たちが体験したお囃子の音や掛け声や、また仕舞の動きなどが、すぐ目の前で演じられるのですから、舞台への心の入り方が全く違うのでしょう。

この生徒さんたちの心に「能楽」が良いものとして残ってくれているように願っております。

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終わって教頭先生に、「やんちゃどころか非常に大人しく素直な良い生徒さんでした」と話したところ、先生は「いや〜、それはお互いに牽制し合っていたのでしょう」と仰いました。

成る程。やんちゃしたり牽制し合ったり、色々難しい年頃なのですね。。

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北白川の寒さ

当ホームページの記録によると、今日のブログにてブログ投稿数が400回目になるようです。

日々お読みいただいている皆様の応援のおかげで、何とか400回まで続けることができました。誠にありがとうございます。

次は500回を目指して、頑張って投稿し続けて参りたいと思います。

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続くといえば、ずっと寒い日が続いております。

福井の皆様は記録的大雪で非常に大変なことと存じます。

福井には親しい方々も何人もおられるので、心配しております。

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寒さに関して忘れられないのは、やはり京大時代の下宿の寒さです。

私は入学から4回生まで、北白川の「第1双葉荘」というアパートに下宿しておりました。

「家賃27000円、エアコン無し、キッチン、トイレ、シャワー、洗濯機共同」という物件です。

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つまり洗濯、洗面、トイレ、風呂などは全て、部屋を出て一度完全に外気に晒されてから洗面所、トイレ、シャワー小屋などに行かないと不可能だったのです。

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入学して暫くは問題無かったのですが、最初の冬が来ると状況は一変しました。

下宿のすぐ裏手には、その昔白隠禅師が修行されたという「瓜生山」があり、山の冷気が直に吹き付けて来ます。

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寝る前と朝起きての洗面とトイレは、部屋を出る前に「おーし、行くぞ!」と気合を入れて、決死の覚悟で部屋を飛び出し、出来るだけ最短で済ませて部屋に飛んで帰ります。

それでも隙間風の吹き込む洗面所で歯磨きを始めると、すぐに歯の根が合わないような状態になってしまいます。

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もっと辛いのはシャワーでした。

先ほど「シャワー小屋」という変わった表現をしましたが、「第1双葉荘」の裏庭には、たたみ一畳を一回り大きくしたくらいの正しく「小屋」があり、そこがシャワー室だったのです。

小屋は吹きさらしで非常に冷えており、脱衣所で服を脱ぐのもやはり難行でした。

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100円で10分お湯が出るシステムだったのですが、最初の冬には寒くてつい長く湯を浴び続けてしまい、洗髪の途中で湯が止まるという悲劇も起こりました。。

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思えば、今三ノ輪の自宅マンションで暖房の効いた部屋を出て、ちょっと気温の低い洗面所に行くだけで「寒い!」と思ってしまう私は、随分と軟弱になってしまったものです。

このブログを書くことで、北白川の寒さを克明に思い出しました。

これからは自宅マンションの暖かさに感謝して過ごしたいと思います。

…400回目が全く能楽に関係ないお話になって恐縮なのですが、今日はこれにて失礼いたします。

隙間花壇 〜春待つ息吹〜

東京三ノ輪の私の自宅マンションと隣の建物の隙間に、四季の野の花が咲く不思議な空間があります。

私は「隙間花壇」と名付けて、日々前を通るのを楽しみにしております。

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とはいえ、秋が深まってからは新しく咲く花も無く、上の写真のように静かに眠っているような景色でした。

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しかし今日、隙間花壇の前を通る時に、何か微かな雰囲気の変化を感じました。

暫し立ち止まって眺めると…

きちんと剪定された紫陽花の枝えだの先に、新芽が顔を出していたのです。

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更に良く見ると、他にも芽の出た植物が。

こちらはガクアジサイの新芽でした。

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そして新芽だけでなく…

梅の蕾もありました。

まだまだ固く閉じられていますが、これから陽射しを浴びるにつれて、大きく膨らんでいくのでしょう。

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能「高砂」のクリの一節に「草木心無しとは申せども 花実の時をたがえず」とあります。

隙間花壇の草花達も、本当にまるで心があるように近づく春を感じとって準備をしているのだと思いました。

京大黄金コース

昨日は後期試験期間を挟んでの久しぶりの京大稽古でした。

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現四回生はもう追いコンも終わって、実質OBになっています。

なので事実上最上回生となった現三回生を中心にした稽古体制でした。

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仕舞は新しい曲が多かったのですが、すでに地謡と合わせて稽古している部員も多くいました。

「次は三山です」などと声がかかると、わらわらと何人かが立ち上がって、地謡座に座っていきます。

一度に6人ほど並んでしまったり、地頭を譲り合ったり、この時期特有の少々緩やかな雰囲気の地謡でしたが、難しい曲でも果敢に地謡に挑戦する姿勢はとても良いと思いました。

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稽古の合間には、「今度の関西宝連の舞囃子の件ですが…」「今年出す能の曲の候補ですが、○○は出せますでしょうか…?」「関西宝連で三輪、全宝連で車僧の仕舞を出してもよろしいですか?」などなど矢継ぎ早に質問を受け、いつもながら彼らの前のめりなパワーには圧倒されました。

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そして前向きな稽古だけでなく、楽しいイベントもちゃんと(?)あるようです。

一昨日の2月3日には追いコンがあり、卒業生へのプレゼント贈呈などで盛り上がった後に、二次会として吉田神社の節分祭りに行ったそうです。三次会は勿論京大能楽部BOXです。

それもある意味黄金コースで、大変羨ましく思いました。

二次会の節分祭りの夜店で買った「ピカチュウ」の面を付けた部員が、BOXで仕舞「加茂」を舞って、「ほ〜ろ〜、ほ〜ろ〜」と謡うところを「ピ〜カ〜、ピ〜カ〜」と謡いながら足拍子を踏んでいる動画を見せてくれました。。

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現役稽古の後には若手OB達がやって来て、郁雲会澤風会で出す素謡「大会」の稽古をして、終わると時計は22時半を回っていました。

思えば夜明けと共に東京を出発して、朝10時の大山崎稽古から始まった稽古尽くしの1日でした。

23時頃から現役部員や若手OB達と百万遍に行き、京大宝生会30年来の行きつけの店「なみなみ」で久しぶりに皆とゆっくり話をしながら遅い晩御飯を楽しみました。

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これもまた幸せな「黄金コース」なのでした。

「あしらう」ということ

我々の専門用語で「あしらう」という言葉があります。

2本の「張り扇」を使って、囃子の手を打ちながら能や舞囃子の稽古をすることです。

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右手の張り扇を「大鼓」、左手の張り扇を「小鼓」として打つ時もあれば、2本の張り扇を撥に見立てて太鼓の手を打ったりもします。

口では謡を謡ったり、笛の唱歌を口ずさんだりします。

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例えば誰かが舞う能を最初から最後まであしらって稽古する時は、まずシテの出の「次第」や「一声」などの囃子のあしらいから始めます。

そして途中のワキの謡、狂言の言葉も謡って、地を謡いながら張り扇で囃子をあしらい、舞があれば唱歌と張り扇であしらい…と、一人でシテ以外のすべての舞台構成員「地謡方」「囃子方」「ワキ方」「狂言方」を演じる訳です。

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一曲の謡を完全に記憶して、通して無本で謡うことが出来れば、それはその曲を理解する上でのひとつの到達点であると思います。

しかし、更に上を目指すとすれば、「一曲を一人で完全にあしらう」ことだと私は考えます。

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それには、謡と囃子の手を覚えるのは勿論、各箇所の謡と囃子の「位取り(高低遅速強弱の微妙な加減)」や、囃子の「掛け声」、ワキと狂言の文句も勉強しなければなりません。

囃子、ワキ、狂言は、流儀の違いが大きく影響する場合があるので、その点も注意が必要です。

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これら全部を消化して、たった一人で一曲の能をあしらい通すことが出来れば、それこそがその曲を理解する上での究極に近い到達点だと思うのです。

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…私はと言えば、まだその境地には遠く及びません。。

囃子の手組や唱歌の資料を見ながら、大まかな流れを作る程度のあしらいが今の精一杯です。

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しかし、日々人工的な音源を極力使わずに、自分の手であしらっていく事で、少しずつでも「究極のあしらい」に近づいていければと思っております。

立春能

今日は水道橋宝生能楽堂にて「立春能」の地謡に出演して参りました。

立春能は宝生流の女流能楽師が中心になって催される舞台です。

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「能楽師には女性もいらっしゃるのですか?」という質問を度々受けるのですが、人数比では男性よりも少ないものの、たくさんの女性能楽師が活躍しておられます。

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私のような男性が、三番目などの優美な女性のシテを演じるのには、やはり色々と苦労苦心があります。

女性能楽師は、むしろそういった役は自然体で出来るのかもしれません。

逆に二番目や切能などの荒々しいシテを女性が演じるのは、また越えるべき高いハードルがあるのでしょう。

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能楽師の場合、初番目から切能まで満遍なく役が付くので、結局男性も女性もどこかで自分とキャラの異なる役を演じる苦労は経験する訳です。

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しかしその苦労のしどころはある意味で正反対なので、男性と女性それぞれどんな役でどんな苦労をしたか、情報交換をすると面白い気がします。

今日も男の霊、少年、美女、老人、貴公子などの様々な役があり、それぞれの演者の解釈や演技が興味深く、色々と勉強させていただきました。

吉田神社の節分祭り

今日は節分です。

去年の節分の記憶が全く無いのは何故かと思い、過去ブログを見てみると去年は七宝会の能「兼平」が2月4日にあったのでした。

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「節分」というと、例年の私は何となく浮き浮きとした気分になります。

何故かと言うと、京都吉田神社の「節分祭り」を思い出すからです。

京都では年間を通じて沢山のお祭りがありますが、実は私は吉田神社の節分祭りが一番好きなのです。

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京大の正門前を東西に通る道が「東一条通」で、その東一条の最東端に「吉田山」がゆったりと聳えており、さらにその吉田山の山腹に「吉田神社」があります。

普段は京大生が大勢行き交うこの東一条が、2月2日〜4日の「節分祭り」の時には全く違う顔を見せてくれるのです。

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東一条が東山通りと交差する角から、吉田山の山頂にある「吉田大元宮」にかけて、何百という夜店が極彩色の灯りをともしてズラリと立ち並びます。

その絢爛たる有様は、全国様々な夜店を見てきた私からしても、全国随一の規模だと思われます。

ちょっと現実離れした、不思議で妖しい魅力を持った空間が現出するのです。

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大学生活を謳歌していた頃の私の「節分祭り黄金コース」は以下の通りです。

①2月3日のまだ人が少なめの夕方に、先ず一度夜店をざっと冷やかしながら参道を登る。途中で「景品付福豆」、「恵方巻き(まだ全国区ではありませんでした)」、「節分祭り限定の日本酒・富士千歳」などを購入。空腹であれば「河道屋の年越し蕎麦(ここは節分の時に年越し蕎麦を出すのです)」を食べて、一度下山する。

②宝生会の稽古日ならば能楽部BOXへ、そうでなければ吉田寮の一室に行き、恵方巻きを黙って食べたり、日本酒を飲んだり、お好み焼きや焼きそばを食べたりして夜が更けるのを待つ。

③21時頃に再び吉田神社へ。吉田山中腹の本殿の辺りは、通勤ラッシュ並みの身動き出来ない混雑です。これは殆どが23時に始まる「巨大お焚き上げ」を見る為の人々なのです。23時になると、直径10m×高さ10mはあろうかという(記憶は多少誇張されているかも…)お焚き上げが始まり、巨大な炎が天を焦がすのを「おーっ」と歓声を上げて見守ります。

あまりの熱さに最前列の人々は間も無く後ろに退散してくるので、上手くすり抜けて最前列に行くことが出来ます。

④いい加減こちらも熱くなってくるので、後ろに退散して参道を更に登って「大元宮」に参拝します。大元宮の扉は普段は閉ざされており、年に一度節分祭りの期間だけ開かれます。

ここに参拝すると、何と全国すべての神社に参拝するのと同じ御利益があるということなのです。ここは気持ちを引き締めてお参りさせていただきます。

⑤そして再びBOXまたは吉田寮に戻り、福豆で豆撒きをして、冷えた身体を富士千歳で暖め直す。

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…これが黄金のフルコースでした。

能楽の道に進んでからは、何年かに一度素早く行ってすぐに帰る、ということが続いております。

去年は兼平の直前で行けず、今年も2月2日〜4日に東京で舞台があり、行けそうにありません。。

あと1時間ほどで「巨大お焚き上げ」が始まるはずです。

来年こそはまた京大宝生会の面々と、あの節分祭りの幻惑的不思議空間に行けることを願いつつ、今日はこれから明日の舞台の準備などして静かに休もうと思います。

たった1500m…?

昨日のブログで「中国では春節には30億人が大移動します」と書いたら、「13億人の間違いでは?」とのお問合せをいただきました。

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すみません説明が足りませんでした。

「延べ人数で30億人」が確かに大移動するそうです。

しかしやはりこれはある意味で不可解な数字です。

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仮に中国の全人口が電車で往復しても26億人の筈なのです。

1人で何度も移動する人もいるという事でしょうか…?

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因みに能楽で中国を舞台とした曲の中には、やはり荒唐無稽としか言いようの無い表現がよく出て来ます。

その最たるものは能「咸陽宮」だと思います。

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「そもそもこの咸陽宮と申すは、都の周り一万八千三百余里」と謡われていますが、キロに直すと約8万km。

これは地球2周分になってしまいます。

「内裏は地より三里高く」。つまり標高差12000m。言うまでもなく、地上最高峰エベレストは標高8848mです。

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それは幾ら何でも盛り過ぎだろうと思っていたら、実は中国の一里は500mなのですね。

なんだそれなら高さはたった1500mじゃないかと一瞬思ったのですが、考えたらスカイツリーの高さが634mでした。やはり咸陽宮、あり得ない高さです。。

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しかし春節の延べ30億人大移動が現実の事である以上、能楽における荒唐無稽な描写もあながち否定できないような気がして参りました。。

旧正月の神事

今日から2月になりました。

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日本の旧正月、中国で言うところの春節が近づいたということで、中国では帰省ラッシュが始まったそうです。

中国の帰省ラッシュは、鉄道で「30億人」が移動すると聞きました。

30億人の大移動。全く想像が追いつかない数字です。。

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「旧正月」の日付は毎年変わるようで、何回聞いても覚えられないのですが、アジアの多くの国々などではこちらの旧正月の方を盛大にお祝いするのですね。

1月1日は世界共通のお正月だと、子供の頃は疑いも無く思っていたのですが、正に「井の中の蛙大海を知らず」だった訳です。

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そして日本でも明治維新前までは旧暦で正月を祝っていたのです。

前にもちらっと書きましたが、能楽の中にも「旧正月」が重要な要素となる曲があります。

北九州門司にある、関門海峡に面した「和布刈神社」において、旧暦大晦日から旧正月の未明にかけて行われる秘密の神事を描いた「和布刈」という曲です。

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この曲は現在では新暦に合わせて12月に演じられることが多い曲です。

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しかし現在も続いている「和布刈の神事」は、実は毎年旧正月の未明に行われているのです。

今年の和布刈の神事は2月15日夜から2月16日未明にかけて行われるそうです。

なので、本当は2月の舞台で演じられても良い曲だと思います。

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因みに、読み方が難しい曲のひとつです。

和布刈。どうか調べてみてください。

どうしても解らない方は、お問合せフォームでお問合せくださいませ。

スーパー・ブルー・ブラッドムーン

今日は「皆既月食」が見られる日です。

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携帯ニュースでは今回の皆既月食を「スーパー・ブルー・ブラッドムーン」という、何かの必殺技みたいな名前で呼んでいました。

また大袈裟な呼び方を…と思ったら、これは正式に使われている呼称だそうです。

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ただし、3つの呼称が重なっているのです。

・スーパームーン:地球に接近して大きく見える月。

・ブルームーン:満月のこと。

・ブラッドムーン:皆既月食で赤くなった月。

そして今日の皆既月食は、実に35年ぶりにこの3つの条件を全て満たしているそうなのです。

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東京は夜には雲が出るという予報でしたが、先ほど田町稽古を終えて外に出てぐるりと夜空を見渡すと、見事な満月が輝いていました。

時間は20時45分。まさにこれから月食が始まる時間です。

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一旦地下鉄に乗り、三ノ輪で皆既月食を見ようと思いました。

雲が出ないように祈って三ノ輪で地上に出ると…

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見えました!三ノ輪は雲ひとつない夜空でした。

写真には上手く写りませんが、左下から欠けて来ています。

しばし寒さに耐えて見ていると、ついに21時50分過ぎに皆既月食になりました。

これまたわかりづらい写真ですが…

先程の写真よりも赤っぽいのはおわかりかと思います。

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能楽に「月」はよく出て来ます。

というより、「月」という単語が一切出てこない曲を探す方が難しいくらい、頻繁に出てくるのです。

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現代のように明かりに溢れた夜ではなく、中世の夜は真っ暗闇だった筈で、月の明かりはとても貴重なものだったのでしょう。

それが、満月の夜に1時間足らずで急に月が暗赤色になって、辺りが暗くなるなどという現象は、当時はおそらく非常に恐ろしい事件だったと思われます。

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これだけ「月」がよく出てくる能楽に、「月食」を示すような内容が無いのは、おそらく月食は不吉な現象と見られていて能楽の題材には適さないと思われたからではないでしょうか?

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現代の私はと言えば、35年ぶりという天体ショーを見られて大満足で、「自分は今、太陽と月を結んだ直線上に丁度いるのだなあ」などと感慨にふけっているのでした。